キノの旅 ―the Infinite World― 作:ウレリックス
今回はどちらかというとある日常の一コマのような、そんなお話。
もう一つお知らせを。
原作で新たにエンブリオのカテゴリーが明らかになったことで、雫のエンブリオのカテゴリーをメイデンwithエルダーアームズからメイデンwithアドバンス・アームズへと変更します。
キノは皇都ヴァンデルヘイムの街並みを歩いていた。
現在はエンブリオであるヘルメスを出してはいない。町の中というだけではなく、今日はお祭りがあるらしく人通りが多いせいだ。
無論、出して手で押して歩いてもいいのだが……やはり人の邪魔になってもいけないなと自粛していた。
それにしても、本当ににぎやかだ。
食糧難が徐々に問題視されており、ドライフ皇国は一部では滅亡の危機などと噂されているが、こうして歩いているとそのようなことは感じられない。
皇帝もまた国庫を開いて食糧支援をしているらしく、そのせいもあるのだろう。
「……お腹、すいてきたなぁ」
食料のことを考えているとおなかがすいてきた。
<マスター>であるキノにとってこの空腹感はあくまで疑似的なものであり、アラートが鳴っていない以上リアルの体において空腹状態はない。
とはいえ、空腹状態のままだと悪影響が出る。幸い、屋台などが多く出ているのでキノはそちらの方へと歩いていった。
数分後。
キノの手には串に刺さった香ばしい肉や鉄板焼きの入った簡易食器が握られていた。
歩きながらパクパクと食べていく。最近は【銃士】のレベル上げも兼ねて狩りをしていたため、屋台で外食する程度なら十分余裕があった。
お肉を食べながら歩いている途中で、何かがキノの体に当たった。
「にゃーん。にゃーん……」
「迷子の…‥子猫?」
それは悲しそうな鳴き声をあげる猫…‥ケットシーだった。モンスターとも思えないし、レジェンダリアにいるような獣人がドライフにいるのも珍しすぎる。
キノはガードナー系統のエンブリオと推察し、とりあえず声をかけてみることにした。
「迷子ですか?」
コクン。
喋れないらしく、声は上げずにケットシーは上目づかいでキノを見る。
その目はうるうるとうるんでおり、庇護欲すら感じさせた。
「あなたはエンブリオですか?」
コクン。
「マスターは近くにいるのですか?」
フルフル。
「どこにいるかはわかりますか?」
フルフル。
「なるほど。はぐれてしまったので探している途中なのですね」
コクン。
首を縦に振るか横に振るかでどうにか意思疎通をしたキノ。
しかし、YESNOだけではケットシーのマスターについて詳細な情報を得ることができない。
どうしたものかと首をひねっていると……キノはケットシーが手にしっかりと握っているものに気が付いた。
それはフルートと呼ばれる管楽器。
「…‥もしかして、あなたのマスターは【音楽家】とかの音楽関係だったりしますか?」
ひょっとしたらと思って聞いてみると、案の定ケットシーはコクンと首を縦に振る。
確かここから少し歩いたところの広場で【音楽家】などが出し物ができるようになっていたはず。もしかしたらそこにいるかもしれないと思ったキノは、そのことを伝えて案内してあげることにした。
「おお、それはすまない。助かったよ」
「いえいえ」
その後、無事にケットシーは老人の<マスター>のもとへと送り届けることができた。
老人は穏やかな顔で泣くケットシーをなでるとキノにも頭を下げる。
「私はベルドルベル。まだまだこの世界では未熟な【指揮者】だよ」
「ボクはキノです。ボクもまだ【銃士】のレベル上げ中の未熟者です」
【指揮者】とは、【音楽家】から派生したジョブであり、パーティーメンバーの音楽系スキルを強化することに特化したジョブだ。音楽系スキルの大半が支援系であるために、「支援職を支援するジョブ」と言える。
だが、このジョブを彼が選んだ理由をキノはなんとなく察していた。
それは彼のエンブリオ。キノが案内したケットシーの他にも数体のガードナーがいるらしい。小型で楽器もそれに見合ったサイズであるため見方によってはおもちゃの楽器にも見えるかもしれない。
だが、それらのエンブリオが音楽系スキルを持っていることは想像にかたくなかった。
「やれやれ、なんとか演奏前に間に合ったか」
「やはり、この広場で演奏を?」
「あぁ。ジョブクエストを受けているからジョブのレベル上げも兼ねているがね。それ以上に、私は音楽を奏でる機会は逃したくないのだよ」
ひょっとしてもリアルでも音楽関係の仕事をしているのかもしれないな、と感じるほどに彼からは音楽への熱意が感じられた。
しかし……それだけではない、というようにも感じられた。
それはまるで、キノのチュートリアルを担当した管理AIと話した時のように。
だから、まずは彼の演奏を聴くことにして……驚愕した。
「すごい……」
エンブリオがまだ育ち切っていない状態で、ベルドルベル自身もまだ下級職。
にもかかわらず、彼の演奏を通りがかる者が足を止めては聞き惚れるほどにその演奏は素晴らしいものだった。
これで彼が上級職、いや超級職まで至ったらどのような演奏になるのか。彼のエンブリオが育った時、その楽器の音色はどこまで素晴らしいものへと変わるのか。
彼の演奏が終わった後、キノは立ち上がって拍手をした。
「素晴らしいものでした」
「そう言ってくれると嬉しいよ」
彼の演奏が終わった後、キノはベルドルベルとならんで広場にある椅子に座っていた。
先ほどベルドルベルが上がった特設ステージの前に並べられた座席であり、他にも多くのマスターやティアンが座っている。
「次はアカペラ大会、みたいですね」
「ふむ……飛び入り歓迎、とあるな。君も出てきてはどうかね。私の演奏を聞かせたんだ、次は君の歌をこちらが聞いてみたいね」
「……そう、ですね。下手でも笑わないでくださいよ」
ベルドルベルの後押しもあって、キノは若干恥ずかしそうな顔をして参加受付のカウンターへと向かい、飛び入り参加の手続きをする。
彼女が舞台裏へ移動した後もベルドルベルは一人舞台を眺めていた。彼は作曲家であるが、その関係でプロの歌手の歌を何度も聞いている。それと比べたら技術的に圧倒的な差があるのがこのステージだ。
しかし、彼にとってそれは問題ではなかった。そんなこと関係ないと言わんばかりに、舞台に上がった彼らは歌っていたのだから。何人かの歌が終わった後、ついに緊張した顔でキノが舞台に上がった。
そして、歌い出す。
「――――」
それは、日本ではよく知られた春の代名詞とも言える花をテーマにした歌だった。ベルドルベルも以前日本に行ったことがあり、木に咲いたその花を見たことがある。
キノがその歌を選んだのは、大会規定でそう長い歌は歌えないのでサビの部分で十分印象を与えられると思ったこと、そして自分の名前にもなった花の歌でもあったことからよく知っていた、という理由だった。
「なん、とも……」
歌いきって晴れやかな顔で頭を下げるキノ。
彼女の礼を受け、ベルドルベルは他の観衆同様に大きな拍手を送っていた。
彼女の歌は、正直予想以上だった。もちろんプロと比べたら粗削りな面が見られることは否めない。しかし、それ以上に彼女の歌は十分上手だと思えるほどだった。彼女が【歌手】のジョブをとっているという話は聞いていないから、きっとリアルの彼女もまた上手なのだろう。
それに、何より。
彼女の歌は、彼にとって――
「とても素晴らしかったよ」
「ありがとうございます。さすがに緊張しました…‥」
戻ってきたキノをベルドルベルは一切の世辞抜きで賞賛する。
彼女の歌は、ベルドルベルに一つの情景を思わせた。去っていく英雄に花を贈る一人の少女の姿を。
これは彼にとって大きな収穫であった。英雄の生涯を描く歌劇を作りたいと願う彼にとって、大きな一歩だ。
だからだろう。
「唐突だが……私にはな、デンドロを始めた理由がある」
「何でしょう」
ベルドルベルはこの世界ではまだ誰にも語っていなかった夢を、キノに語った。
「私はな、英雄が見たいのだ」
「英雄……ですか?」
「あぁ。本物の英雄の姿を、私はこの目に焼き付けたいのだ。私の作品を完成させるためには、本物の英雄というものが分からなければならない。私はそう考えて、この世界に来たのだよ」
「そう、ですか……ボクは、世界を旅するために、旅ができるこの世界を訪れました。たくさんの光景を眺めて、たくさんの人に出会うために」
旅の中で、いつか、あなたの求めるものを目にすることがあるかもしれませんねとキノは空を見上げる。
それにつられるように、ベルドルベルも空を見た。
「旅か……それもいいのかもしれんな」
キノとベルドルベルがその後、皇国で再び巡り合うことはなかった。
それでも、二人はこの出会いを忘れなかった。
「久しぶり、ですね」
「おぉ、なんとも久しい顔だ」
『そういえば知り合いだったっけ?』
皇国で巡り合うことはなかった。
しかし……アルター王国のカルチェラタン伯爵領にて、二人は再会した。
キノがカルチェラタン伯爵夫人とお茶会をした時、聞き覚えのある音楽が聞こえていた。なので、もしかしたら……と探していたのだ。
「随分と旅を重ねたようだな。1,2……3つも特典武具を持っているとは。羨ましいものだな」
「そういうベルドルベルさんこそ、超級職に就いているじゃないですか。ボクはいまだに上級職止まりですから」
「それで特典武具が3つというのもすさまじいのだがな……」
ベルドルベルは感慨深そうに息を吐くと、そこで少し食事でもどうか、と近くの喫茶店へとキノを誘う。
キノはヘルメスを押してテラス席へと移動すると、スタンドを立ててヘルメスを固定し、椅子に座る。
「先日はギデオンにもいたそうですね。久しぶりにフランクリンさんと会いましたよ」
「あぁ、彼の計画に私も参加することになってな。もっとも、一番大事な場面を見逃してしまったのが悔やまれてならん」
英雄のごとく、ボロボロになりながらも右腕を掲げた【聖騎士】の姿を、キノも闘技場のモニターから見ていた。
なるほど、あの時すでにベルドルベルがデスペナルティになっていたのなら、彼にとっては非常に悔しいだろう。
しかし、ベルドルベルはそこまで気にしていないようにも感じられた。
「その割には、穏やかな顔をしていますね」
「あぁ。最近このあたりで起こった事件は知っているだろう?」
「えぇ」
皇国の<超級>である【魔将軍】が悪魔を大量に召喚し街を襲った事件のことは聞いている。
この事件の際に、【魔将軍】は<超級>どころか下級エンブリオの<マスター>に敗れ、しかも指名手配までされている。【魔将軍】が敗れる動画はキノも見ていた。
「その時にな、私は求めていた者の片鱗を見たのだよ。あの背中が、私がずっと求めていた英雄の背中を彷彿とさせたのだ」
「そう、ですか」
「君もこの世界を旅して、様々なものを見てきたのだろう。君の言葉を思い出して、私も皇国を離れ、旅の手始めとしてこの国に来たのだが……来てよかった」
それぞれコーヒー一杯しか頼んでいないため、いつのまにか二人のカップは空になっている。
「さて。これから私は演奏の予定があるのだが…‥よければ君も来ないか?」
「喜んで。久々にあなたの演奏を他の人と一緒に聞かせてもらいます」
「いやいや、何を言っているのかね」
ここでベルドルベルはいたずらっ子のような顔で笑った。
「君はこちら側だよ。あの日君が歌った歌を調べて、伴奏を私なりにアレンジしたスコアがある。以前とはブレーメンの演奏もより優美なものになった。ぜひ君にも”歌い手”として参加してほしい」
「えぇぇ!?」
『いいじゃん! 頑張れキノー』
「ヘルメスまで!?」
その日、カルチェラタン伯爵領には壮大なオーケストラのような演奏と一緒に、一人の少女の歌声が流れた。
少女の歌声を聞きながら老指揮者は、心の中で決意していた。
自分が描こうと願う歌劇の中に、一人の少女の歌を入れよう。
去っていく英雄へ、花を贈る少女の歌を。
ベルドルベルさん、再登場したときはかなり嬉しかったですね……。
その後のローガンとの戦いもかなりいいものでした。
次回予定「知らなかった話」