キノの旅 ―the Infinite World― 作:ウレリックス
アイリーンという少女の話をしよう。
彼女は一言で言えば「ぼっち」であった。
幼い頃から人に混ざることが苦手であり、加えて引っ込み思案であったことが主な原因である。
さらに悪いことに……そういった性格だから、いじめにもあった。
最初はわからなかった。なぜ自分はいじめられるのか。なぜ自分をいじめる子供たちは笑っていられるのかと。
そして思ったのだ。
「彼らは自分をいじめることで楽しんでいる。他人を下に見るのがきっと楽しいのだろう」と。
人は誰かを下に見なければ気が済まないのだろう、と。
その反省をもとに、進学すると彼女は一転して他人に合わせることを覚えた。
他人に合わせて人の悪口を言い、そしてかつて自分がされたようなことを他人にやる。それで自分が標的にならなければ、自分が誰かと一緒にいられればそれでいいと思っていた。
たとえ誰かの気持ちを踏みにじってでも、それで得られるものがあるのだと、いじめられた時の経験からそう信じていた。
だが、結局のところ、それが彼女の性に合うわけもなく。
さらに言うのであれば、思ってもいない悪口や意にそわないいじめをしたところで……彼女の心が満たされるはずもなかった。
現実に居場所を感じられなかった彼女は……違う場所に居場所を求めた。
もっとありのままの自分でいられる場所を。より心からの自分を受け入れてくれる誰かを。
そして彼女はたどり着いた。その新天地の名前は<Infinite Dendrogram>。
ウォルト、リーリー、アレイズ、そしてヘリッシュ。
自分を偽ることなく、誰かを踏みにじることなく。一緒にいて心から笑顔でいられる仲間が、確かにいたのだ。
「《
アイリーンは自らのエンブリオ、【友隷両輪 コロンブス】の必殺スキルを宣言する。
さらに【クヌト・イデア】だけでなくウォルト、リーリーの姿をしていた【改人】達も本来の姿へと変身させていく。
ウォルトはまず体の大きさは鎧があるために変化しないものの、しかしその顔が人から狼のものへと変化していった【スコル・イデア】に。
リーリーは腕が翼へと変化し、足も鳥のように変わった【セイレーン・イデア】に。
「【スコル・イデア】に【セイレーン・イデア】……! やはり、こいつらもかよぉ……」
「ただ、それだけじゃない…‥‥! 【改人】が本当の姿に変化したとしても、ステータスの上がりが異常すぎる……!」
《看破》で【改人】達のステータスを確認したキノが訝しげにアイリーン達の方を見る。
もっとも、ステータスの変化がなぜ起こったのか、その原因については心当たりはすでにあった。アイリーンが宣言した必殺スキルである。
キノに腕輪を渡した時、アイリーンは「PTのステータスを強化できる」と言っていた。エンブリオの必殺スキルはエンブリオの特性を突き詰めたものである傾向が強いことを考えると……
(おそらくPT内強化スキル……ボク達には反映されてないところを見ると、腕輪を装備してないと強化できない、という条件はそのまま。確か《共に目指す先》だっけ? そのスキルの強化版と見るべきだ。だけど)
だけど、それにしてもステータスが
事実、《仲間か奴隷がいればいい》に対するキノの推論は正しく……そして、足りない。
アイリーンの必殺スキルは、確かに《共に目指す先》よりも強力なPT内ステータス強化の効果を有している。腕輪を装備していないとその恩恵を受けられないというのも、キノが想像した通り。
だが、それだけではない。《共に目指す先》にはなかった内容が彼女の必殺スキルには含まれている。
それは……”奴隷”。
《仲間か奴隷がいればいい》の効果は……腕輪を装備しているPT内メンバー、または同じように腕輪を装備している、アイリーン配下の奴隷に適用される。
ではPT内かつアイリーンの奴隷ならば、どうなるのか? その強化は
これこそがキノが疑問視したステータス強化の正体。必殺スキルによるPT内強化と奴隷強化が重複したからこその大きな強化となったのである。
「仕方ねえ……こいつら全員、ぶっとばす!」
「待ってください!」
しびれを切らしたのか、ヘリッシュは拳を固めて全力で飛び掛かる。狙いはリーリーが変化した【セイレーン・イデア】。おそらくは回復役を潰そうという魂胆だろう。集団戦において回復役の対処は確かに定石である。
だが、敵もそう甘くはなかった。
「アオォォォォォォン!」
「がっ! あぁ……?」
【スコル・イデア】による咆哮が彼の体を止める。それは強力なタウント効果があった。
「忘れたのヘリッシュ? 【スコル】はヘイト集中や足止めのエンブリオだったでしょ? だからウォルトは優れた盾役だったじゃない」
ウォルトの【スコル】はテリトリー系列に類するエンブリオだった。対象のヘイトを自分に向けさせ、ずっと太陽を追いかけ続ける
そしてそれを模倣して作られた【スコル・イデア】もまた、ヘイト集中能力を持つ咆哮、狼の素早さと力を持つ【改人】。
そう。【クヌト・イデア】もそして【セイレーン・イデア】も。全て元々この世界にいたアイリーンの仲間たちが持っていたエンブリオの能力を元に作られている。姿かたちだけではなく、名前も、能力も全て、アイリーンの希望によって、かつての仲間たちを再現したものなのである。
「さぁ、このままとどめを差してしまおうリーリー! ヘリッシュがあなた達を殺すなんてことをする前に!」
「くそっ、どきやがれ、デクノボーがァ!」
唸り声をあげる【スコル・イデア】は獣のモンスターの力が素材として用いられているため、ヘリッシュでもそのSTRで対抗することができない。さらにかつてのウォルトにはなかった俊敏さをも兼ね備えてしまっており、振り切ることすらできない。
その防御を突破して何度か攻撃を当ててはいるが、そのダメージは【セイレーン・イデア】によって回復されている。
【セイレーン・イデア】が得意とするのは範囲技。正確には音波による攻撃、そして回復技。敵は音波によって広範囲にわたる継続ダメージを与え、そして逆に味方には継続的な回復を与えていく。
そして、攻めあぐねているヘリッシュに向けて一点集中型の攻撃を放とうとして……
「隙あり」
その胸を、一発の銃弾に貫かれた。
「なっ、あっ」
「《
「に、逃げてリーリー!?」
【スコル・イデア】の広範囲タウント、そして【セイレーン・イデア】広範囲音波攻撃。
その影響を受けていたのにもかかわらず、飛び出して銃撃を放ったキノにアイリーンは驚愕の声をあげる。特に【スコル・イデア】はヘイトを集中させるが故に、一定ダメージを与えなければ他の相手に攻撃をすることはできなかったはず。
なのに実際はたやすく銃の引き金を引いた。キノが自由に動けたのは、彼女が持つ古代伝説級特典装備により範囲攻撃が無力化、およびレジストされたことによる。
そしてキノが先ほど宣言したのはアイリーンが発動させているのと同じ必殺スキル。アイリーンが危機感を覚えるのも当然だった。
「キィィィィィ!」
「――遅い」
必殺スキルを発動したことにより、キノのAGIは超級職以上へと跳ね上がる。さらに《行路適応》も用いることで空を駆け、空中を飛んでいる【セイレーン・イデア】へと距離を詰める。逃げようとするも、強化された【セイレーン・イデア】ですら、キノからは逃げられない。そのまま彼女は、左手に持った森の狩人で、追尾弾をいくつも放つ。
その銃弾は一発も逃すことなく、【セイレーン・イデア】の体を貫いた。
「い、いや、いやぁァァァァァぁぁああ!!」
「ヘリッシュさん! そのまま【スコル・イデア】を抑えてください!」
「任せろ、やア!」
ヘリッシュもまた、エンブリオのスキルを発動させて攻撃力を強化すると、続いて【剛拳士】のジョブスキルを使って【スコル・イデア】へラッシュを放つ。
ステータスが強化されているため、その防御を突破するまではかなわないのだが、それでも足止めには十分だ。
そして、キノが持つ伝説級の特典装備。防御突破に特化した銃である【要砕銃 ガルカノン】が【スコル・イデア】へと向けられる。
この武器ならばいかにステータスが強化されていようと、強固な防御力を突破することが可能。さらに、【スコル・イデア】は確かに俊敏さを持っているが……しかし、AGI型のキノから逃げられるほどではない。
重い鎧を装備している以上、フルに狼の俊敏さを発揮することはできない。設計ミスといえばそれまでだが、アイリーンがウォルトの再現を求めた以上、そうならざるを得なかったのだ。
ヘリッシュを逃がさないように素早く立ち回ることはできたが、それはヘリッシュがAGIに重きをおいたステータスではないだけだ。完全なAGI型であるうえに、必殺スキルでさらに速くなったキノからは逃げられない。
腕を振り回して妨害しようとする【クヌト・イデア】を牽制しつつ、キノは【スコル・イデア】へ引き金を引いた。
「ガアアアアアアア!」
「ウ、ウォルト…‥」
頭部へ銃弾をくらい、倒れ伏す【スコル・イデア】。二人もの【改人】を失い、アイリーンは呆然としている。彼女自身はバッファーであり、純粋な戦闘職であるヘリッシュ達には立ち向かうこともできない。
しかしまだ終わりではない。自らを妨害していた盾役が倒れたことで、ヘリッシュは最後の【改人】も屠るつもりでいた。
「あの砂でできたゴーレムはボクとは相性が悪いです……。何発か撃ちましたが、さっきみたいに防御突破すればいいわけではない、みたいですし……」
「周りの砂吸い込んで回復してやがるからな。後はオレがやる」
ガツン、と両手の拳を突き合わせると、彼のエンブリオが赤く光り、熱を放ち始める。
彼のエンブリオは今までも強化によって熱を持ってはいたが、先ほどまではオーバーヒートを避けるためまだ全開ではなかった。だが、残る【改人】は一体。全てにケリをつけようと、ヘリッシュは出し惜しみするつもりはもうなかった。
「■■■■――」
「砂で体作ってるっていっても、もとは人間だ……だったら全部が砂になってるわけじゃねェ、どこかが核になって周りを砂で覆ってるだけだろ? だったら、全部まとめて吹き飛ばせばいいんだろォ!?」
周囲の土や砂を吸収したゴーレムである【クヌト・イデア】。しかし人間としての姿、つまりアレイズの姿は残す必要があったため、改造の際完全にモンスターの体へとつくりかえられたわけではない。どうしても「人間」としての部分が残ってしまうのだ。
それこそが狙い目だと、ヘリッシュは理屈ではなく直感で理解していた。
腕をヘリッシュへと振り下ろさんとする【クヌト・イデア】を前に、ヘリッシュは拳を握りしめる。
「もう人形ごっこも友達ごっこもうんざりなんだよ……これで! 終わりだァ!! 《
アポローンという神は様々な側面を持つ。
太陽神としての側面も持っているが、実はボクシングを創始した神としても知られている。そのことをモチーフにしたのがヘリッシュのエンブリオ、【太熱拳 アポローン】。
彼の必殺スキルは直情的な彼の性格を反映したのか、純粋な攻撃スキル。ただしその規模、熱量は桁違いであり、一発拳をアッパーのように振り上げるだけで巨大な火柱が上がる。ヘリッシュの目の前で発生するため、対策アクセサリーを装備していなければ彼自身も熱によるダメージを受けるほどだ。
そんな巨大な火柱が、【クヌト・イデア】を覆って燃やし尽くす。
砂だけでは防ぎきれない熱量が、内部にあった【クヌト・イデア】の生体部分までもを熱していき、灰へと変えていった。
「■……■……」
「砂に還れ、偽者野郎」
塵となっていく【クヌト・イデア】に、ヘリッシュはやるせない顔をしてそう呟いた。
キノは戦闘態勢を解き、銃をホルスターにしまう。彼女の視線の先には、空中に漂う塵へと手を伸ばして泣きじゃくるアイリーンの姿があった。
もう何も残っていないというのに、それを取り戻さんとするばかりに空をつかむ彼女の姿はもはや哀れでしかなかった。
「あ、あぁ、あぁぁぁぁぁ……‥。ウォルトぉ、アレイズぅ、リーリー……。嫌だよ、みんな、みんなぁ……。私を一人にしないで…‥‥! 一人はもう嫌だよぉ…‥‥!」
彼女の脳裏に思い浮かぶのは、今までの日々。
かつて仲間と笑いあっていた楽しい思い出。
彼女に別れを告げていった、つらい記憶。
ヘリッシュが一時期ログインできなかった頃の、一人ぼっちの記憶。
『俺、ついにアニメの主役もらってさ……! ただでさえ忙しくなってたんだけど、評価してもらったおかげで色んなところからも声かかるようになったんだ! だから俺は、仕事にもっと時間をあてることになりそうだからな……』
『すごいじゃんウォルト! いなくなるのは寂しいけど……これからも応援してるからね!』
『私、今まで付き合っていた彼氏に、プロポーズされたの……。これからは、彼の支えになりたいから、もう一人でゲームする時間もなくなってくると思うから、お別れね』
『おめでとうリーリー。旦那さんと仲良くしてね。今まで、ありがとう……』
『ごめんな、アイリーン。俺はあの大学、絶対に受かりたいんだ。どうしても就きたい仕事がある。やりたいことがある。だから、他の奴よりは早いだろうけど娯楽断ちして受験勉強に集中することにしたんだ。ウォルトやリーリーに続けて俺までいなくなるのは悪いけど…‥‥』
『仕方ない、よ……。また、受験が終わった頃に、一緒に遊べたらいいね……』
『悪いな、大会が近くてよ。しばらくオレは練習が忙しくてログインできなくなると思う』
『……そう、なんだ。うん、頑張ってね。私は、大丈夫だから……』
『誰も、いない……みんないない……。う、うぅ……。寂しいよ……寂しいよみんなぁ…‥‥一人は、やだよぉ……』
一人泣いていたその時に、ローブ姿の人物から声をかけられたのだ。
『私の主は、人の涙を歓喜のそれへと変えることを望んでいます。あなたが望むのであれば、あなたの仲間が戻って来たかのような奴隷を、ご用意できるでしょう』
『できるん、ですか…‥? もし、それが本当なら……!』
『えぇ。姿も、顔も、力も。主はリクエストには応えるとおっしゃっています』
そして彼女は、三人の奴隷を……【改人】を手に入れた。
彼女は仲間たちのエンブリオの名を冠した【改人】達を、仲間が戻って来たかのようにPTを組んで日々を過ごした。ヘリッシュが大会を終えログインした時も、驚愕するヘリッシュに「みんなが帰って来たよ!」と紹介した。
そこまで彼女が仲間たちの面影を求めたのは……
「みんないなくなったら……私は……私は……寂しくて……一人は、いやだぁ……」
彼女は一人になるのが嫌だったのだ。リアルでずっと一人だった彼女は、<Infinite Dendrogram>にて本当の仲間を……友達を得た。
だが、また一人に戻ってしまう……それだけは嫌だったのだ。だから、《仲間か奴隷がいればいい》と考えた。
仲間がいなくなった悲しみを、仲間そっくりの奴隷で埋めようとしたのだ。
だが……ヘリッシュの言う通り、それは”友達ごっこ”に過ぎない。彼女が本当に求めたものではない。
それに……
「一人だなんて、言うんじゃねェよ……」
オレがいるだろうが。
そう言ってヘリッシュは手を伸ばした。彼は、紛れもなく、アイリーンの仲間だから。
泣きじゃくるアイリーンは、何度か目を瞬かせた後、静かに彼の手を握った。
今回のテーマ、それは「引退」です。
ネットゲームをしている人の中には、経験したことがある人も多いかもしれません。
自分にも経験があります。ログインしたときのあの物足りない感覚は辛いものです。
今回登場の<マスター>
年齢:15
メインジョブ:【司令官】(指揮官系統上級職)
エンブリオ:【友隷両輪 コロンブス】
キャラ紹介:
引退した仲間たちの面影を求めるあまり、ラ・クリマの手の者の誘いに乗せられて仲間そっくりの【改人】を手に入れ、パーティーを組んでいた。ラ・クリマ側としてはそこまで深い目的はなく、しいていうなら<マスター>に販売したときのデータ収集である。
なお、プレイヤー名のアイリーンは本名である。本名をプレイヤーネームにしたのは彼女がオンラインゲームの初心者だったというのもあるかもしれないが、自分を偽らずに済む場所を求めていたからかもしれない。
<余談>
エンブリオのモチーフとなったコロンブスはヨーロッパからの大西洋横断航路を見つけた人物。しかし、アメリカ大陸に渡ったコロンブスは原住民を奴隷として連行し、略奪を行った。
そんなモチーフのエンブリオが誕生したのは、自分を偽らずに済む新天地を求め、ありのままで接することができる仲間を求めたことももちろん関係あるだろうが、アイリーンの過去(誰かの気持ちを踏みにじってでも、それで得られるものがある、という考え)にも関係があると思われる。事実、彼女の必殺スキルのコストは「腕輪を装着した者から一部、または全部徴収した経験値」である。<マスター>がつけていても経験値を差し引いてチャージすることはできるが、基本的には<マスター>からの供給はオフにし、奴隷から得た経験値を全てコストとしてチャージしていた。
次回予定「約束の話」