キノの旅 ―the Infinite World― 作:ウレリックス
のどかな昼下がりの頃。
レジェンダリアにある店の一席で、緩みきった笑顔を浮かべ、背もたれに体を預けるキノの姿があった。
彼女の前にあるテーブルには、空になった皿が乗せられている。
「あぁ……幸せだ。ボクは幸せだよ、ヘルメス」
『あーあー、そんなだらしない顔しちゃって。そんなにおいしかった?』
「おいしかった……。期待した以上のものだったよ……」
人気で行列ができるほどという【菓子職人】の店のうわさを聞き、ずっと行きたいと思っていたキノ。だが、人気店ということもあって予約をとることはできず、唯一の手段は行列に並ぶのみ。
しかし、タイミングによっては品切れになることも多く、また【菓子職人】が<マスター>であるために毎日ずっとログインしているというわけでもない。
なのでなかなか機会に恵まれず、ついに先ほど待望のデザートにありつけたというわけだ。
辺りを見回してみれば他の客も皆満足げな顔で食べている。
もちろん、買ってすぐ食べるのが全員というわけでもなく、アイテムボックスに入れて持ち帰る人もいる。それでもこの庭のような食事テラスに人は多いのだから、その人気ぶりがうかがえる。
『食べ終わったなら早く出ようよ、キノ』
「まったくね。こちらも話があるのだし、さっさと店から出てきなさいな」
「ん?」
『ん?』
カツン! というヒールの足音と共にかけられた声に、キノとヘルメスは揃って不思議そうな声を出した。
キノが声のした方をむくと、店の敷地外からこちらを睨んでいる女性の顔があった。その顔はキノも見覚えがある。先日共闘したばかりの<マスター>だ。
彼女の名はサリィ・S・ディエス。
蹴士系統の超級職である【
紺色に近い長い髪をたなびかせた彼女は、キノが店を出て彼女の元に来るまでコツン、コツン、とつま先を地面にぶつけて待っていた。
「お待たせしました。【
キノとしては以前彼女と出会った時のことを口にして話題を振るだけのつもりだったのだが、その名を聞いてサリィはすごく嫌そうな顔をした。件の人物がいろいろとアレだっただけに、彼女の反応も決しておかしくはないのだが。
「やめなさいよ、あの変態のことを思い出させるのは。ま、大勢で討伐戦行っただけあってどうにかデスペナさせることもできたんだし? 今頃は”監獄”に行ってるでしょ。いい気味だわ」
「あ、今王国にいるらしいですよ。”監獄”にはいかなかったそうです」
「……は? どういうこと?」
キノによって自身の予想を否定され、唖然とした顔になるサリィ。もともと【神揉師】の罪状も指名手配されるほどのものかと考えると微妙なところだが、それでもかの【妖精女王】にまで手を出そうとしたのだからてっきり指名手配されていると思ったのだ。故に”監獄”に送られたものとばかり思っていた。
「レジェンダリアにはさすがに戻れないでしょうが……国際指名手配になるわけでもなかったでしょうから、王国にあらかじめセーブポイントを作っていたんでしょうね。噂じゃカルディナでは有力者にも顧客はいるそうですから、”監獄”に行く可能性はおそらく……」
「えぇい、忌々しいわね! ……いいわ、この国にいないならまず私と会うことはないでしょうし。それよりも!」
これ以上は【神揉師】の話をしたくなかったのだろう、自分で話を断ち切るとサリィはキノへ指をつきつける。
「本題よ。私のクエストに付き合いなさい。あなたはまだ下級職だけれど、まあ戦えるっていうのはこの前の戦闘で分かったから……」
「クエスト、ですか」
「あなた以外にもクランのメンバーに声をかけるつもりだけれど、人手はあって困らないもの」
今回のクエストはティアンから依頼されたものだが、その内容は「ティアンに犯罪行為を行った<マスター>の討伐」。
正直なところ、キノとしてはあまり気乗りするものではない。それにサリィは小規模ではあるがクランのオーナーをしているという。なら彼女とクランのメンバーで十分ではないかと思った。
だが、サリィはしっかりと彼女にとってのメリットを提示する。
もっとも……それをメリットと呼んでいいのかは、わからないが。
「あなた、人に銃を向けることについて、何か思うことあるんじゃない?」
「え?」
指摘されたことは、キノ個人としては全く意識していないことだった。
彼女の困惑をよそに、サリィは以前共闘した時からずっと思ってきたことを指摘する。
「前の戦いのときに思ったのだけれどね。あなたは人に銃を向けるとき、僅かにためらいが生まれている。もちろんこれはゲームだし、ましてこの前、そして今回相手にするのは死んでも復活できる<マスター>なのよ? なのにあなたは”命”を意識しすぎてる」
言われて彼女は、王国での出来事を思い出す。
この世界のティアンにも人生がある、それは<マスター>の自分たちと同じだと言って子どもたちのいる養護施設に通っていた聖職者の姿をした女性。
この世界のティアンにも命がある、それは現実の自分たちと同じだと言って傷ついた人の命を救うことに鬼気迫るほどに尽力していたナースキャップの女性。
そして、もう一つ。
「世界派の<マスター>にはたまにいると聞いたわ。……
「……」
彼女たちとの出会いやとある事件との遭遇があってキノはこの世界の”命”を今まで以上に重く見ていた。
そしてそれ故に、たとえ<マスター>といえど、どうしても「命あるもの」としてみてしまう。
だから、銃口がブレる。だから、引き金を引くのが遅れる。
「やっぱりね。まぁ、ティアンを傷つけるのは避けたい、そう思ってしまうのは百歩譲っていいとしましょう。だけど<マスター>は違うでしょう」
キノが王国を出る頃から生じていたその不調を、サリィは共闘の中で敏感に感じ取っていた。
彼女はキノが不調に陥る前から知り合いだった、というわけではない。ただ、わかってしまうのだ。
キノがまだまだ上級職にも届かぬ<マスター>であるとはいえ、それでも戦いの節々から「この子はこれくらいならできる」「これくらいならできておかしくない」、といったことをサリィは見抜くことができた。
行動、判断、動きからその実力を見抜くことができるのはリアルにおけるサリィの才能であり技術であるのだが……それは些末事。
つまるところ、彼女の提示するメリットとは、次のようなことだ。
「だから、このクエストであなたの根性を
「…………」
しかし、それを提示されてもキノの顔が晴れることはない。
サリィは表情が変わらないキノへどう言葉をかけたものかと考え……そして
「あぁもう、じれったい!」
「ぶべっ!?」
考えるのがめんどくさくなったので、とりあえず蹴り飛ばした。【蹴姫】の一撃だ、それはもう痛い。
さらにサリィは倒れたキノに近づくと、容赦なく頭の横の地面を、ヒールで踏みつけた。
「い、いきなり何を……うぎゃ!?」
「言葉で説得するのがめんどくさくなったから蹴り飛ばしたわ」
真っ青な顔のキノを見下ろしながら、サリィは笑みを浮かべて言う。
「私のように戦いを楽しめなんて言わない。だけどせめて、そのためらいはここで捨てていきなさい。あなたが望んだ
「……えぇ、そうですね」
諭され、そして蹴り飛ばされようやくキノも覚悟がきまる。
いきなりティアンを、定めある命を奪うわけではない。まずは<マスター>同士での戦い。
前回のような姿は見せられないなと気合をいれて臨むことにした。
「そもそも、今回はどうしてクエストが発行されるに至ったんですか?」
サリィの仲間とも合流して、敵である<マスター>が潜んでいると言われる場所へ向かう道中、キノがサリィに尋ねる。
依頼人が言うには、<マスター>が徒党を組んで一部の村や集落に通じる道を塞ぎ、盗賊行為を行っているのだという。
だが、サリィに言わせてみれば「ただの八つ当たり」に過ぎないのだそうだ。
「あなたは聞いたことあるかしら? ガードナー獣戦士理論って」
「えぇ。そういえば、この先にある場所では【獣戦士】につく風習があるとか……」
「そうよ。そして、今回集まっている奴らはいわば敗残兵。……【
ガードナー獣戦士理論とは、ビルド構成理論の一つだ。エンブリオのカテゴリーの一つ、ガードナーが従属キャパシティ0であることを元に、【獣戦士】のスキルによって<マスター>のステータスを底上げすることでより強いビルドにしようというもの。
だからこそ、特に「最強」を求める<マスター>たちはこぞって獣戦士系統の超級職である【獣王】を求めた。
しかし、超級職につけるのはたった一人だけ。その一つだけの座が先日、ついに埋まってしまったのだという。
当然、彼らの落胆は大きく……中には「ティアンが超級職の就職条件を自分にちゃんと伝えなかったせいだ」などと逆恨みをするようなものまで出てきてしまった。それが今回討伐対象となっている連中である。
なるほど、と納得して歩いてしばらくした後。
「! 姐さん、上!」
メンバーの一人が警戒した声をあげた。
全員がその声によって上を見上げると、鳥型のモンスター、否、ガードナー系列の<エンブリオ>が羽ばたきながらじっとこちらを見つめていた。
さらに、<マスター>がスキルを使ったのだろう、突然足に何か現れたかと思うと頭上からそれ……爆発物をキノ達へと落としてきた。
「斥候兼爆撃機ってことかしら……! 盾役!」
「アイヨォ!」
サリィの掛け声で一人の男が<エンブリオ>の固有スキルを使い、範囲攻撃でもある爆発を一手に引き受ける。
爆風や爆熱、その全てが吸い込まれるかのようにその男へと向かっていって……
「う、おぉぉぉ……キモチイイィィ」
「えっ」
何か変な声が聞こえた気がしたが、キノ以外誰も反応しない。
むしろ平然と当たり前のような顔をしているのだから、キノとしては面子についていささか心配になってしまった。
攻撃を防いだところで、サリィはガツン、と足を地面にたたきつけた。
「アイツ、私の上を飛ぶなんていい度胸ね……《私に跪け》」
サリィもまた、エンブリオの固有スキルを発動させる。
すると空を悠々と飛んでいた鳥が突然、地面へとたたきつけられ、まるで頭を下げるかのような体制で【拘束】されていた。
(今のは……重力?)
王国で似たようなエンブリオの話をキノは聞いたことがある。
もっとも、効果時間はさほど長くないようですぐ鳥は動き出すのだが……それをサリィが見逃すわけもなかった。
「頭を下げているのなら…‥‥それを蹴り飛ばすのが礼儀よね?」
口にするやいなや、一瞬でその頭を蹴り飛ばす。【蹴姫】のキックを受けた鳥の頭は破裂したかのように吹き飛び、すぐに体ごと消えていった。
相手側も焦りだしたのだろう、奥で声や音がし始める。
「さぁ……殲滅するわよ!」
今回は、以前「愚痴をこぼす話」でジョブだけ出てきた、【蹴姫】さんの話です。
【神揉師】
レジェンダリア変態枠その2。レジェンダリアで猛威を振るい、怒りに燃えた女性<マスター>達によって討伐された。
現在は王国へ逃亡中。
サリィの詳細は次回かな?