キノの旅 ―the Infinite World― 作:ウレリックス
<Infinite Dendrogram>。
一大ムーブメントを巻き起こしたこのダイブ型VRMMOに、新たな来訪者が現れた。
やってきたのは、一人の少女。驚いた表情で辺りを見回している。
ゲームを起動したと思ったら、次の瞬間には見覚えのない庭に立っていたのだから無理もない。
風で揺れる木、水の流れる川……これがゲームの中とは思えないほど、現実感のある庭に少女はいた。
「ようこそ、<Infinite Dendrogram>へ」
突然かけられた声に、少女はビクッとして振り返る。
「時間が勿体ないんだ、さっさと説明を始めさせてもらうよ」
木陰に立ってそう言ったのは一人……いや、一匹の白いウサギ。
しかし人のように二本足で立ち、おまけに布製の衣服を着て上着を羽織り、さらにネクタイまでしている。
手に持った懐中時計を見て顔をしかめると、あっけにとられている少女のことを気にもかけず己の業務をこなす。
「僕はこのゲームの管理AI12号、ラビット。さっそくだけどいくつか決めてもらうよ。まずは描画選択だ。現実視、3DCG、2Dアニメの中から……」
「現実視。世界を見て回るために来たこの世界で、現実視以外はあり得ない」
少女に説明をさえぎられ、ラビットの説明が止まる。
しかし、これはそれまで黙っていた少女に突然遮られたから、ではない。少女が口にした言葉の中に、ラビットが聞き逃せない言葉があったからだ。
「世界を、見て回る?」
「そう。私はそのためにここに来た。現実の世界を見て回ることはできなくても、ここなら自由に世界を見て回れる。見たことのない土地、人、建物と出会うことが出来る。たくさんの思い出を得ることが出来る」
そこで少女の、無表情だった顔が僅かに微笑む。
「この世界なら、私にそんな可能性をくれるのでしょう?」
少女……星野 桜は、旅を愛していた。
否。愛し、そして何よりも求め欲していた。
彼女が「星野 桜」ではなく「〇〇 桜」であった時から。
16歳である彼女は現在、叔父夫婦に引き取られて生活している。
元の両親が……桜の親権を失ったためだ。
桜は過去を振り返って思う。
かつての両親だった者たちは、あまりに小さな世界で生きていた、と。
子供に対する自分たちの考えはすべて正しいと考え。
だからこそ、桜に対し一切の「主張」を認めなかった。
「子供は大人の言うことにただ従っていればいい」のだと、本気で思っていた。
一つでも自分たちの思い通りに動かなければ、即座に暴力を振るった。
だからこそ、人形のように従順に
彼らは気づくべきだったのだ、少女にだって意思があるのだと。
身体的な暴力、そして桜の「主張」を一切認めない心理的虐待に、親権停止の処分が下された結果、桜は彼らから離れることに成功した。
そして今。
彼女は、虐待から抜け出すために頼った叔父夫婦の元で生活している。
妻は病弱で子供を産むことができないだろうと医者に言われていた。だからこそ、子供がいないことを寂しく思っており、姪の桜を大層かわいがっていた。
そのため、桜の両親が虐待をしていると判明したとき、ぜひ自分たちが、と桜を受け入れた。
さて。
話を「彼女は旅を求め欲していた」という点に戻そう。
桜の両親は、旅行が嫌いだった。
何故高い金を使って遠くまで行かねばならないのか。
写真で見れるようなものをわざわざ遠出してまで見て、いったい何が面白いのか、そう思っていた。
結果、旅行というものは一切しなかったのである。当然、桜が「旅行へ行きたい」と駄々をこねようと、殴って黙らせた。
「小さな世界で生きていた」という両親に対する考えは、このことも理由の一つである。
一方で桜は、幼稚園、そして小学校と通い続けるうえで当然同級生というものがいる。
そして聞かされるのだ、家族で旅行に行った思い出話を。
聞くことしかできない旅行の話を、桜がどれだけうらやんだか。
遠出することができない中で、写真でしか見られない世界を、どれだけ自分の目で見てみたいと焦がれたことか。
小学6年生の修学旅行。さすがに両親も止めることはしなかった。
桜の両親は旅行が嫌いだったが、それ以上によそ様から奇異の目で見られることを嫌った。
だから修学旅行に最初から「行かせない」というわけにもいかない。
ちなみに、桜への虐待の跡も、人には見られないよう服の下に隠れる所を殴ったりしていた。
桜はついに旅行へ行けるのだと、修学旅行という存在を知ったその日からずっと心待ちにしていたのだ。
しかし。桜は「風邪」というどうしようもない理由で修学旅行を欠席する。
前日に熱を出し、念願の旅行に行けないと知った桜は深く絶望した。
ようやくつかんだと思ったチャンスを失ったことに、目の前が真っ暗になった。
中学生になった頃から、今までの虐待生活から抜け出すため、桜は動き出す。
詳細はここでは語らないが、その結果は上で述べた通りだ。
そして、中学生での修学旅行……初めての旅行で、桜は涙を流した。
新幹線、流れる風景、そしてたどり着いた見知らぬ世界。
全てが彼女の刺激となり、初めて見る風景が、初めて訪れた場所が、桜を感動させた。
あの時胸にこみあげてきたあらゆる感情を、桜は生涯忘れまい。
そしてその後……桜が日をまたいだ旅行に行くことはなかった。
夫婦としても大変心苦しくはあった。しかし……病弱な妻を旅行に連れて行くとなると、どうしても彼女に負担がかかる。かといって、一人残すわけにも行かない。それでも、せめて日帰り程度ならばと休日に夫が連れて行った。桜は叔父夫婦に大層感謝していたので、桜としても不満を感じることはない。
しかし……と思いあぐねていたところに、叔父夫婦と共に見ていたテレビで<Infinite Dendrogram>の存在を知った。
見渡す限りの世界が、そこにある。
そして時間加速により実際よりも遙かに長く世界を見て回れる。
これらの要素に桜は大層心惹かれ、その場で夫婦に懇願。両親のせいで滅多に自己主張する事がない桜を密かに心配していた夫婦は虐待を知らされたとき以来の姪の……いや、義娘の頼みを喜んで受け入れ、少女は<Infinite Dendrogram>にやってきた。
「……あぁ。<Infinite Dendrogram>は、新世界と君だけの可能性を提供する。その言葉に偽りはない」
ラビットは桜の言葉を肯定する。
桜が満足そうな顔で頷いたのを見て、ラビットは次にアバター作成について説明した。
自由にアバターを製作出来ることを知り、桜は自分の現実の姿をベースにしたうえで、ラビットにある依頼をした。
「参考画像を出したら、その顔に似せることはできる?」
「イラストを現実視にするなら完全に同じにはできないけど、似せることは可能だよ」
桜が提示した画像は、一人の人物のまわりにたくさんの青い鳥が飛ぶイラスト。
その人物は短い黒髪で少年のようにも少女のようにも見える。無表情で静かにこちらを見つめてくるようなイラストを元に少しだけ調整を入れ、桜のアバターは完成した。
「それじゃ、所属する国を決めてくれ。長々と迷う人もいるんだけど時間はかけないでくれると嬉しい。時間が勿体ないからね」
ラビットが出したスクロールから、7つの国の様子が浮かび上がる。
一通り眺めた少女は、ラビットの期待通りさほど時間をかけずに決定する。
「それじゃ、ドライフ皇国で」
「ちなみに、理由はあるのかい?」
「絶対に必要なものがあるんだ。あの主人公のように、モトラド……いや、バイクに乗って旅をしたい。それが一番手に入りそうなのは、この機械の国と考えた」
スタート国家を決め、最後に……ラビットがあえて最後に回した質問をする。
「君の、プレイヤーネームは?」
「…………」
アバターを作った時から……いや、<Infinite Dendrogram>を始めるときから桜は決めていた。
自分の大好きな物語である「キノの旅」……あの物語の旅人のような旅をしたい、ずっとそう思っていた。
だから……彼女はこう名乗る。
「キノ。ボクは……キノだよ」
姿と口調を似せ、名前は同じ名を名乗る。
初期装備にもちょうど似た茶色のコートを見つけて選択し、武器には銃を選ぶ。
「以上でチュートリアルは終わりだ。せいぜいこの世界を好きに見て回るんだね」
「ありがとう。……君も、ね」
キノの言葉にラビットは大きく目を見開き、驚愕と共に視線を向ける。
「……君は、ボクと……いや、私と同じ目をしてる。同じ夢を持ってる。そりゃあ、わかるよ」
微笑んで手を振るキノに唖然とした後、ラビットは天を仰いで手で顔を覆った。
(そう、その通りだよ。僕は世界を見たい。マスター達が増えて、第6形態まで達するマスターが増えれば……僕はようやく、ようやくアバターを得て世界に立てる。僕のマスターが望んだ、本物の世界を見ることができる……いつか、マスターに話せる世界の思い出を、僕はたくさん目にしたいんだ……)
顔を元に戻したとき、ラビットはそれまでと違い、まっすぐ……キノと視線を合わせ、まっすぐに彼女を見る。
世界の思い出をたくさん得たい。
そんな同じ夢を持った、同士の来訪を歓迎する言葉と共に。
「ようこそ。僕たちは、君を歓迎する」
次の瞬間、キノの体はどこかの世界の上空へと投げ出され……
キノは、笑いながら大きな声で叫んだ。
チュートリアル編でした。
次回からは、諸国を回っている頃の話を中心にしていきます。
ヘルメスとの出会いの話は、またごじつ。
次回予定
「忘れられない話」