キノの旅 ―the Infinite World― 作:ウレリックス
カルディナにはあらゆる商人がいる。
食べ物を扱う商人。武器を扱う商人。モンスターの素材を扱う商人。
そして中には、奴隷を扱う商人がいる。【奴隷商】というジョブがこの世界に存在するほどだ。
大砂漠において、商人の移動は簡単ではない。大抵は国が認めた案内人を雇ったうえで、キャラバンを組んで行動する。しかしキャラバンというのは大所帯になりやすいものだ。だからこそ、あえてキャラバンを組まず竜車を使って移動をするものもいる。
この【奴隷商】の集団も、そのような手合いだった。主たる奴隷商とその部下が二人、そして護衛が二人の計五人が竜車へと乗っていた。護衛は道案内も兼ねている。
いや。正確には六人というべきだろう。六人目は……”奴隷”だった。
オアシスに到着すると、奴隷商は部下に命じて休息の準備をする。しかし実際に働くのは奴隷だ。
護衛二人が武器を構えてモンスターなどの襲撃がないよう周辺を警戒する中、部下たちは奴隷を殴り、蹴り、働かせる。
よろよろと奴隷が動く姿を、護衛二人は複雑そうな顔をして見つめていた。
「あーあー……おかわいそうに」
「気持ちはわかる。だが、俺たちが口を出すべきことじゃない」
奴隷は十代の少女だった。親の借金が膨らみ、返せなくなったので売られたらしい。
そんな彼女には大した力もないというのに、荷物を運ばされている。やがて奴隷商たちが準備を終えて楽しそうに食事をしていても、奴隷の少女には何も与えられない。
少女はその状況に何も言わない、いや、言えないのだろう。
その状況に護衛のうち、剣を腰に下げた若い男が馬鹿にしたような顔で呟く。
「自分は、あぁはなりたくないもんですね。自分の意見も言えず他人に使われる人生なんて。おぉい奴隷! 実の娘を売り飛ばすなんて、お前の家族はひどい奴らだな!」
剣の護衛の言葉は確実に少女に届いていただろうが、少女が反応することはない。
それに気を害したらしく、男は舌打ちして放置されている奴隷の方に近づくと、いきおいよく髪をつかんで無理やり彼女の顔を自分の方へと向けた。
「うあっ、ああっ」
「無視するとはいい度胸じゃねーか、なぁ! なんか言ったらどうなんだよ!」
そのまま投げて捨てられた彼女は呻きながら震えた後、ゆっくりと痛みに耐えながらその体を起こした。
たびたび虐げられていたため弱っており、声を出すのも辛そうではあった。しかし、それでも彼女は奴隷として男の言葉に応える。
「……何を、言えと言うのですか……?」
かすれた小さな声に対し、男はケッ、と苛立たしそうな顔をしたが、その表情は相手をいたぶるそれに変わる。
「家族に売られたんだからな、さぞ家族が憎いだろう? 自分を虐げる俺たちが憎いだろう? ハッ、まあ奴隷のお前にはどうすることもできないんだけどな!」
そう言って奴隷の少女を馬鹿にする。挑発して少しでも少女の顔に悔しさや苦しみが浮かぶところを見たかったのだろう。
しかし男の予想に反して、少女の表情は何も変わることはなかった。
沈んだ表情のまま、静かに首を横に振ると、顔を上げて二人を見つめる。沈んだまま、浮かび上がってこない深い海のような瞳を向けて。
「私は……家族の生活のために、売られました……。でも、それは仕方のないことです……。だから私が恨むことはありません。ただ、受け入れるだけです……」
「……本気で言っているのか、お前は」
それまで黙っていた銃を持つ護衛の男が低い声を出す。少女が口にした言葉が納得できないとでも言うように険しい顔で少女へと詰め寄った。その剣幕に、剣の護衛の男は黙り込んでしまう。
厳しい表情のまま、男は胸ぐらをつかんで少女を無理やり立たせた。
「あ、うっ……」
「今ここで俺がお前を殺しても。お前はそれを受け入れるって言うのか? なぁ」
「ちょ、ちょっとそれはやめたほうがいいんじゃ……」
彼らの雇い主である奴隷商たちも何の騒ぎだとこちらに視線を向けている。何より、護衛として雇われている彼が雇い主の商品である奴隷に手を上げるわけにはいかないだろう。そう思って剣の護衛の男はもう一人の護衛の男を止める。
やがて少女は奴隷商たちに呼ばれ、そちらへとよろよろ戻っていく。
その後ろ姿を見ながら、銃の護衛の男は吐き捨てるように言った。
「……さっきは悪かったな。あいつにいらついてつい、な」
「びっくりしましたよ急に……何か気に入らないことでも?」
剣の護衛の男は、銃の護衛の男に問いかけるが、しばらく男は黙っていた。
その後一言、気に入らないことだらけだ、と男は言う。
だが、特に一番許せなかったのは……少女の「ただ受け入れるだけ」という言葉だった。
「あいつには”自分”ってもんがない。ただ環境に振り回されて、それを馬鹿正直に受け入れて、それが仕方ないと言って当たり前のようにしている。自分の思いも、主張も、感情も、心も……何もかも押し込めて、見失って」
「はぁ……それが?」
「俺が一番嫌いな人間だよ、「自分」のない人間ってのはな。だから、仕方がないからただ受け入れるしかないって口にするのも気に入らん」
それは「受け入れている」のではない。ただ「諦めている」だけだ。
確かに奴隷に落とされた彼女の身の上は同情すべき点もあるだろう。必死にこらえている気持ちもあるのだろう。
だが。
だからといって、彼女の思想が認められるかと言ったらまた別の話だった。
「自分の気持ちをただ押し込めて、周りの言われるまま……それはただの”人形”だ。人の形をしているだけの、何かでしかない」
「あー。まぁ、そうですねぇ。しかしまぁ、さっきはほんとひやりとしましたよ。この道中、ずっと感情を見せないもんですから意外でしたわ」
「……忘れろ。今後はもうあんな姿は見せんよ」
男の様子に、もう一人の男は気になるものを感じたのだが……話を切り上げられてはこれ以上聞くわけにもいかない。何か事情があるのかもとは思ったが、それを聞くのはご法度だ。
翌日。
竜車は護衛の男の案内のもと、カルディナの砂漠を進んでいく。小型モンスターの襲撃は稀にあるが、護衛二人で何とでもなる程度の低レベルモンスターだった。
竜車の中で奴隷商たちはだらだらと酒を飲み、奴隷の少女は護衛たちの監視のもと御者をさせられている。
彼女は売られるまでも御者の経験があったため、ちょうどいいとばかりにここでもこき使われていた。そんな状況でもなお、少女は何も言わず、手綱を握りしめている。
しかし、砂漠を進んでしばらくした時……少女は気づいた。自らの持つスキルの一つ、《危険察知》が彼女に危険を知らせていることに。
(……今の、は)
護衛の人間も《危険察知》を持っていておかしくなさそうなものだが、なぜか反応しない。気づいているのは少女だけのようだった。
その事実に対し少女は…‥‥
助けを呼ぶことも、注意を促すことも、その場から逃げ出すこともなく。
ただ淡々と、そのまま竜車を進めていた。モンスターが出現するまで、何も気づかなかったかのように。これから自分に降りかかる運命がどんなものであろうと……どうでもいいとでもいうように。
「おい、なんだ……? う、うわぁぁぁぁ!」
突如として砂の下から現れる虫型のモンスター。巨大な鋏のような顎により、すぐに竜車が破壊され、乗っていた人々は地面の上へと投げ出された。護衛の男はすぐに戦闘態勢に入り、撃退を試みようとする。一体、二体程度なら撃退できたのかもしれない。
しかし、現れたのは強さはそこまででなくとも数が多かった。まるで何かのアイテムに誘導されたかのように群がっていたモンスターたちは、手当たり次第に剣を失った護衛の男や奴隷商たちへと襲い掛かった。
「……あ」
モンスターが次に少女へと狙いを定める中、ふと目を下ろすと。少女を竜車につないでいた鎖が壊れている。
しかし彼女には戦闘力がない。よって彼女が戦って倒せるわけもない。
そもそもを言えば、先ほど《危険察知》が発動しても何も思うことがなかった。それはまだ彼女を縛る鎖があったからだ。自分は”奴隷”だから逃げられないと、無意識のうちに自分自身をも縛り付けていた。
「あ。あぁ……!」
だが、今彼女を縛る鎖は切れた。たったそれだけのことが、彼女の心境に劇的な変化をもたらす。
死んでもいいと、思っていたのに。
受け入れるしかないと、思っていたのに。
「ああああああああああああっ!」
少女は立ち上がると、それまでとは違う強い瞳で走り出す。
モンスターに目をつけられたその時、思ってしまった。
生きたい、と思ってしまった。
だから少女は走る。
たとえ戦闘力のないひ弱な身でも、逃げ切れる可能性なんて0に近いとしても。
なぜなら――
「私は……私はもう、”奴隷”じゃない! 私は、エリア・アーレだっ!」
”奴隷”と呼ばれ蔑まれる何かではないのだと、自分の名を叫び、ただ生きたいと口に出す。
それでも、現実は無慈悲である。自分を取り戻した少女に対し、モンスターは容赦なく牙をむき――
「あぁ、まったく。全滅で終わらせるつもりだったのに」
【強制睡眠】にかかったモンスターが地響きをたてて倒れ伏した。それも多数いたモンスター全部が一斉に、だ。
何が起こったのかわからず呆然とする少女……エリアだったが、やがてたちこめる砂煙の中から一人の人影が彼女の方へと歩み寄っていた。
やがてその砂煙が消えた時、エリアは驚きのあまり口を手に当てた。
「な、なんで……」
「話は後だ。さすがに全部倒すのは難しいから眠らせただけだからな。離れるぞ」
そこにいたのは……銃の護衛の男だった。
竜車が襲われた場所からだいぶ離れた場所で、二人はたき火を前に座っていた。
エリアの方はそわそわした様子だったが無理もなかった。一度は脅しとはいえ自分を殺そうとした人間が、実際には自分を救おうとしたのだ。
いや、それもそれで理由の一つではあったが、もっとエリアを混乱させた理由がある。
「どうしました? 私の顔に何か?」
「い、いえ」
離れた場所につき一息つこうとしたところで……護衛の男が手を振ったとたん、彼の姿が一瞬で変わった。
大柄な体は細身の姿となり、いかつい表情だった男の顔はあまり表情が感じられない女性の顔へと変わったのだ。その後女性は何かをアイテムボックスから出そうとしたが、手を止めて少し考えた後そのまま何も出さずに、己の顔でエリアへと向かい合った。
しばらく沈黙が二人の間に流れていたが、意を決したエリアは問いかける。どうして自分を助けたのかと。
「どうして、ですか」
理由を聞かれた女性は少し考えるようにしていたが、彼女自身その質問が来るのは予想していたらしく、あらかじめまとめていた答えをエリアへと答えた。
「まず最初にも言いましたが、本来私は誰も生かす気などなかったんです。あの【奴隷商】を殺すために仕込まれていたモンスターを呼び寄せるアイテム。それがなにかのアクシデントに失敗しないように」
「あなたが仕掛けたわけじゃ、なかったんですか?」
「えぇ。私はただ最初に殺意を煽って相手をそそのかし、あくまでその場を見届け、そして実行した方に利するよう動いただけです」
それが彼女のやり口。彼女は決して自分から実行することはない。彼女は人が人を殺すその心理を知りたかった。道を外れてまで罪を犯すその過程に、自分が”自分”を見つける糸口をつかみたかった。その目的はまだかなったとはいえないが。
今回もまたその一環で護衛の一人として潜入していたのだが……そしてエリアに、奴隷の少女に出会った。
「あの時言った言葉は本心でした。私は、”自分”を持たない人間が嫌いです」
なぜなら、それはかつての自分だから。自分とは何かがわからなくなった彼女にとって、自分を持たない人間はかつての自分自身を思い出させてしまう。それが何よりも嫌だった。
だから、少女を助ける気なんて最初はなかった。同情なんてすることもなかった。
だが…‥エリアは、モンスターに襲われそうになったその時に、何もかもを諦めていたようなその束縛をぬぐいさった。
”自分”を取り戻し、新たな一歩を踏み出そうとしたその姿は……このInfinite Dendrogramで、”自分”を見つけ出そうと一歩を踏み出そうとした自分と重なった。奴隷としての彼女がかつての自分と重なったから余計に。
そんな彼女を見捨てることは……一歩を踏み出そうとした自分を否定することに等しい。そう思うと、エリアを見捨てるという選択肢は彼女の中になかった。
だから、エリアを助けたのだ。
「……あなたを助けた理由について、全てを語る気はありません。ですが、あそこであなたを見捨てるのは自分を否定するようなものでした。だから、助けた。それだけです」
「そう、ですか」
「……さっきからずっと私の顔を見ていますが。何か、ありますか?」
彼女は普段とは違って、アバターの素顔をそのままエリアに晒している。その素顔は彼女のリアルの顔を少々いじった程度のものであるため、整った横顔がエリアの目に映されていた。
「いえ、その。あんないかつい人が実はこんなきれいな人だったなんて、びっくりで。でもその割には、あの時みたいに表情が顔に出ないなー、なんて……」
彼女の言葉にむぅ、とやや不満げな声を漏らして頬を引っ張り、表情を作ろうとする。護衛の男の時もそうだが、何かの役を演じているときは表情豊かになる一方で、素で人と接しようとするとなぜか表情が表に出てこない。リアルでも同じで友人にも言われたことがあるため、密かに気になっていた。
”星秋院 霞”を演じているときはちゃんとできていたのに。なぜ素ではダメなのだろうか。
それが、彼女……ノーフェイスの悩みである。
一通り話した後、ノーフェイスはゆっくりと立ち上がる。目の前に座っている少女を近くの都市まで送り届けなければならない。
ずっとログインしていられるわけでもないため、急がないとな、と彼女は大きく伸びをした。
あの時の出来事を、エリアは今も忘れていない。おそらく一生忘れることはないだろうと確信している。
「ありがとうございました! またどうぞ!」
商家で働くことになったエリアは、大きな声で今日も客を見送っている。
彼女を都市に送り届けた後、ノーフェイスは仮面をつけたままどこかへと去っていった。去り際に初めて彼女の名前を聞くことができたのだが、あとでその名前が指名手配されている<マスター>と聞いて驚いた。でもよくよく思い出してみれば、自分と会った時も【奴隷商】を死に追いやっていたのだから今更か、と妙にすとんと胸に落ちた。
そんな彼女も、しばらく前に”監獄”と呼ばれる場所に行ったのだとか。そこでは今、彼女は何をしているのだろうか。
そこは罪を重ねた<マスター>が閉じ込められる場所と聞く。そう簡単に出られるわけではないだろう。なのに……何故か、また彼女とは出会う気がした。
「……あれ?」
先ほどまで買い物をしていた客が忘れたのだろうか、紙が一枚、置かれている。
忘れものなら届けないと、と辺りを見回したが、すでに先ほどの人物らしき人影はどこにも見られなかった。仕方ないと紙を裏返して、そこに書かれた言葉にうっすらと笑みを浮かべた。
『自分らしく、生きていきなさい』
お気づきの通り、この話は原作キノの「フォト」を元にしたお話。
以前感想の返信かなにかで「御柱にフォトの要素がある」という話もしましたが……気が付けばこんな話も書いていました。ノーフェイスがキノと出会う前のお話ですね。
次回予定「手を取り合う話」