キノの旅 ―the Infinite World― 作:ウレリックス
チリンチリン、というベルの音と共に、キノは木でできたドアを開けた。
中は昼時ということもあって<マスター>もティアンも関係ないかのように食事を楽しんでおり、また人によっては連れと一緒に会話を楽しんでいる。
ここ、グランバロアは海の上の国ということもあって、海産物が豊富である。キノが今日訪れたこのレストランも海産物を売りにしている。
キノが入って来たことによってティアンの店員が席へと案内しようと近付いてきたが、キノはそれを断ると、代わりに一つ質問した。
「この店で、今一番食べているお客さんはどこにいますか? その人と約束をしているんですが」
通常、そんな曖昧な質問をしても誰が該当するかだなんてわかるものではない。
だが……今回に関しては例外だった。キノの質問に対し、すぐに「あぁ、なるほど」という表情を見せた店員は笑顔を浮かべて「ご案内します」、とキノを奥にある個室エリアへと案内した。
案内された個室エリアは最初にキノが入って来た時に見たようなテーブルがたくさんあるエリアではなく、個室で食事をとることができるエリアだ。大勢の団体で食事するときや、他の人とは離れて食事をしたいときなどに使われる。
今回キノの相手が個室を選んだ理由は……ある意味”両方”と言えるだろう。
やがて一つの個室の前に着くと、店員は一礼をして去っていった。
ドアの前に立ったキノは一呼吸すると、ノックをしてドアを開けた。
部屋の中で待っていたのは……
「アラ、随分遅かったじゃないの」
カチャリと音を立てて指で直されたサングラス。黒いレンズの奥からは細められた目が彼女を見つめている。
その体は全体的に見て丸々とした印象を与え、どう見ても「太っている」以外の言葉はない。
その腕は脂肪と筋肉に覆われ丸みを帯びながらもがっしりとした印象を与え、その声は内容は女性的であっても、聞いたら誰もがわかる野太さを持っていた。
簡単に一言でいえば……「太ったオネェ」というところか。
「お久しぶりです、マダム」
「えぇ、お久しぶりねキノちゃん。また会えて嬉しいわぁ」
嬉しそうに話しながらも一方で食事を続ける手は止めないその人物の名はマダム・ドンテイスト。
どの国家にも所属しない無所属の<マスター>であり、キノ同様あちこちの国を渡り歩いている。彼? 彼女? は今、机の上に多数乗せられた食事を味わっている真っ最中であった。
一方で山積みになっている空になった皿から、マダムがいかにたくさん食事をしていたかがよくわかる。
「たくさん食事をとるのは相変わらずなのですね」
「まぁ、そうね。リアルじゃこんなに大食いできるわけじゃないのに、なぜかこっちだったら手が止まらないのよねぇ……。不思議だわ」
「あなたの
二人が話していると、扉をノックした音が聞こえ、そしてゆっくりと扉が開く。
そこにいたのはこのレストランの従業員。彼が押しているワゴンには今しがた作られたばかりの料理が数多く乗せられている。そして、その料理たちは新たに食卓へと乗せられていく。
「……まだ食べるんです?」
「だってキノちゃんが遅いのだもの…‥つい頼んでしまったのよ」
従業員が去った後は、料理のうちいくつかをキノはわけてもらい食べることにする。しかしそれでも、通常ならキノが食べ終わるまでにマダムが食べ終えられるとは思えないほどの量が残っていた。
もっとも、通常なら…‥の話である。
「あんまり待たせるわけにもいかないわねぇ……野暮だけどスキル、使いましょ」
十数分後。
キノが二つ目の皿を食べ終わる……それよりもさらに少し前に、キノの十何倍もの量の料理を食べ終わったマダムは口元を紙ナプキンで吹いていた。
「ごちそうさま」
「ごちそうさま、でした……」
相変わらずここのロブスター料理は絶品ね、などと余裕の表情を浮かべるマダムと違って、キノはもう満腹という表情を浮かべていた。
キノが本来のスピードでゆっくりと食事をしている間に、スキルを使ったとはいえマダムが
微笑を浮かべてマダムは立ち上がると、ダウンしたキノを引きずって個室を出る。
そのまま勘定を済ませた頃には、キノも一人で歩き出すくらいには回復していたので二人で並んで別の船へと移動を始めた。
ちなみに、料理の金額に関してキノは見ないふりをしていた。いくらマダムが裕福とはいえ、いつ見ても彼女?の食事金額は明らかに度を超えていたのだから。
一時間後。キノとマダムは船に乗って海の上にいた。舵をとっているのは《操縦》スキルを持っているキノである。大型船を用意するのであれば船専用の《操船》スキルを持った【船員】などのジョブを持った者がいたほうが望ましいのだが、今回マダムが用意した船はそこまで大きなものではない。なので、キノの《操縦》でも十分に航行可能であった。
「……ていのいい操舵士にされた気がしないでもないです」
「そんなこと言わないの。ちゃぁんとアタシだって報酬を用意したうえで貴方に打診したのよ? 引き受けたのは貴方自身なんだから。しっかり仕事はしてもらうわよ」
「だったら。あなたもお願いしますよ?」
もちろんよ、と頷くマダム。
今回の二人の目当てはオーシャンベアー。海に生息する熊のようなモンスターだが、その体は陸上の熊よりも大きく、下半身は鯨のようなヒレになっている。このモンスターのドロップ品である「オーシャンベアーの熊掌」、情報から考えると熊の手にあたるだろう食材が目当てである。
その手は海のミネラルや塩分をたっぷりと含み、肉と塩味が合わさったその味は実に濃厚な美味であるという。
このアイテムを手に入れたら、もちろん料理するのはマダムの担当だ。
マダムはサブジョブに【料理人】も持っているため、《料理》スキルだって持っている。センススキルと呼ばれるこのスキルだが、料理の出来はスキルレベルだけでなく料理人の味覚にも左右される。そしてマダム・ドンテイストと言えばティアンの間でも知られるほどの食通であり、美食家である。
マダムの舌は一般人よりもはるかに優れており、また肥えている。そのマダムが作る料理も味は期待できるというものだ。
キノも操縦する内心ではよだれをこらえている。
しばらく船を進めていると、海からモンスターが近づいていると感知した。
今回の役割でいうと、キノが操縦ならマダムは戦闘。邪魔なモンスターを排除することが役割だ。
「おっと、モンスターですかね」
「目当てのじゃないけど……あれは魚系のモンスターね。そこそこ数もいるし、捌くのもアリね」
「ではお願いします。ボクは舵から手が離せないので数はちょっと」
任せなさい、とマダムはアイテムボックスが一振りの剣を取り出す。片刃の剣はどちらかというと巨大な包丁、ともとれるかもしれない。
さらにマダムは、もう片方の手にアイテムボックスから取り出したハンバーガーを持つ。そこそこボリュームがあるハンバーガーだがマダムは《早食い》スキルを発動させてすぐに食べ終える。
もちろん、戦闘前に食事をしたのには理由があった。料理のバフを得るためだ。マダムのメインジョブ、【
戦士系統とはいえ、マダムのサブジョブは【料理人】や【美食家】など非戦闘系のジョブも多く、純粋に戦闘型のビルドにしている人と比べたら素のステータスはそこまで高くない。食事バフの効果があっても低ステータスから割合での補正は大したことがない、と思われるだろう。
しかし、マダム・ドンテイストにその常識は当てはまらない。
「
「メインディッシュはこれからよ? 心得ているわ」
次の瞬間、マダムは並の戦闘系上級職以上のAGIで船から飛び出した。太った体に見合わない素早い動きで海の上を走りだすと次々に魚モンスターを手にした剣で斬り裂いていく。海の上を走れるのは専用のブーツを装備しているからだ。短時間水の上で動けるだけの代物だが、グランバロアでは需要も多いため金さえ積めば手に入る。
モンスターを一通り狩り終えると、水上歩行スキルの制限時間も近いのですぐに船の上に戻ると、先ほど手に入れたモンスターの食材と簡易キッチンを取り出す。さっそく調理しようというわけだ。
もちろん、この後もモンスターが襲ってくる可能性もあるし、何より目的地まで近い。簡単にできる料理を選んでマダムは調理を始めた。
「ふん♪ ふん♪ ふん♪」
「あまり時間をかけないでくださいね? ……あと、ボクにも分けてください」
「ウフフ、もちろんよ。心配しなくていいわ」
魚の一部は処理した後海に放り投げたマダムだったが、残りの身を使って作られた料理はキノにもふるまわれた。
まかないのようなものだが、小腹を満たすには十分だし何よりマダムの料理だ。おいしいに決まっている。
何事もなく舌鼓をうっていたが……突然、船が大きく揺れた。
「ま、またモンスター!?」
「いや、この揺れは……キノちゃん! しっかり舵を握っていなさい!」
突然の指示に驚きながらも必死で操縦を続けるキノ。マダムはというと先ほどのモンスターに使ったものとは比べ物にならないほど見た目も、そして素材も明らかに違う包丁、あるいは剣を両手に構える。
揺れる海の中から姿を現したのは、黒い毛並みを水で濡らし、巨大な腕を振り上げて大きな唸り声をあげる、熊であった。下半身は鯨のような魚状になっているが、よくよく見れば退化したような小さな足が脇に生えている。
この熊こそ二人が狙っていたモンスター、オーシャンベアー。
その巨体に恥じないステータスを保持しているモンスターであり、各地を渡り歩いた歴戦の<マスター>であるキノとマダム、二人で挑むのであれば十分戦える強さである。ただし、ルーキーが遭遇しようものならあっという間に葬られてしまうために恐れられてもいる。
ちなみに、カンストの<マスター>が一人で挑むとなると……いけなくもないが、決して容易ではない。
「ボクも加勢します。船の操縦はもちろんしますが、転覆を防ぐ程度ですし、後ろから銃でのフォローくらいはできるはずです」
「……しょうがない子ねぇ。アタシは必殺スキル使うことも考えていたのよ? ま、手伝ってくれるのならその必要もないでしょ。カロリーは相当使うだろうけど……そういう<エンブリオ>だから仕方ないわよね」
剣を両手に持ったまま手を横に広げると、大きく息を吐いてスキルを宣言する。
「さぁて、料理の時間ね…‥‥《食は力なり》」
「GAAAAAAAA!!」
オーシャンベアーが吠えながら腕を振り下ろしたが……その腕をマダムは片手の剣で難なく受け止める。その力はいくらなんでも、【大食戦士】のバフの効果だけでは説明ができないほどに強く、オーシャンベアーが困惑の唸り声を上げるほどには不自然な力であった。
「お返しよぉ」
軽い声とは対照的にブォン! と風を切る音と共に、マダムは力強く剣を振るってオーシャンベアーに傷をつけていく。
もちろん、この本来ありえない力がいつまでも続くわけではないということはキノもわかっている。なので宣言した通り腰に下げていた銃を手にすると何度もオーシャンベアーめがけて発砲していく。
火薬式銃器のいいところは、ステータスが低くても高いダメージを与えられること。現在【疾風操縦士】のレベルを上げる途中であるキノはサブジョブにおいている【銃士】のスキルが使えない。なのでステータス頼りの攻撃になるところだがあいにく操縦士のステータスはDEXやMPくらいしか上がらず戦闘には不向き。それを銃でカバーできるのは正直ありがたかった。
「これで……終わりよぉぉぉ!」
さらにカロリー……いや、<エンブリオ>に貯蔵されたリソースを費やしたのだろう、急に力だけでなく速度までも増加させたマダムは猛烈な勢いでオーシャンベアーを切り刻んでいく。
キノの銃撃に気をとられていたオーシャンベアーはマダムの連撃を防ぎきれず、やがて大きな水しぶきをあげて倒れこんだ。
船を止めると二人はドロップアイテムを確認する。今回の目当ては「オーシャンベアーの熊掌」。この食材が手に入らなければせっかくの戦闘も無駄骨である。幸い、マダムの方が無事獲得しており、そのまま船に備え付けられたキッチンを使って料理を始めた。
どんな料理になるだろうと楽しみにしながらキノはアイテムボックスから出した机などを並べ、料理ができあがるのを待つ。あれほどの巨体のモンスターだったのだ。さぞボリュームのある肉が食べられることだろう。キノの口の中に唾液が溢れるのも仕方がない。
そして待つこと30分。ついにマダムが料理を手に戻って来た。
「お待たせしたわ、キノちゃん」
「待ってました! これがオーシャンベアーの……手……?」
最初は高いテンションだったが、マダムが持ってきた皿を見てその声が急激にしぼんでいく。
確かにそれは熊の手だ。マダムという腕のいい【料理人】によって絶妙に調理されたそれは食欲をそそる香りを放ち、茶色いソースがその味を高めていることは疑いようもない。
なの、だが。
「……小さいですね」
「小さいわね」
どうみても、それは戦闘に用いられたたくましい手とは程遠い大きさの熊の手だった。
いや、確かに皿の上にあるそれは普通の熊の手くらいのサイズはあるのだろうが……先ほど戦った手と同一とはとても思えない。どう考えても二人が見たそれよりも小さい。
ここにはInfinite Dendrogramの仕組みが関わってくる。モンスターを倒すとその死骸がそのまま残るのではなく、管理AIによってアイテムへと変換される。キノ達が手に入れることができたのは、”オーシャンベアーの手”ではなく、「オーシャンベアーの熊掌」という名前のアイテムにすぎない。
つまり、巨大なモンスターだったとはいえ、アイテムに調整された結果が、これなのである――!
「……そんなに落ち込んでも仕方ないでしょ。第一、本物の熊の手は調理にものすんごく時間がかかるのよ? このオーシャンベアーの熊掌っていうアイテムだからこそ、30分程度の調理で食べれるの」
机の上に置いた皿を挟んで、二人は座る。正直なところ、一つだけでもあの大きさなら十分だろうと思っていたが……これを二人で分けるのだと思うと、どうにも物足りない。
「「いただきます」」
そんな不満を抱きつつキノとマダムは肉を口に運び……
「この味はっ……! 《早食い》!」
「ちょ、へ、ヘルメス!! 《
余りの美味に二人してAGIを増加させ、肉の取り合いになった。
今回登場の<マスター>
年齢:???
メインジョブ:【大食戦士】(戦士系統食戦士派生上級職)
サブジョブ:【料理人】(料理人系統下級職)
<エンブリオ>:【????】
キャラ紹介:
丸々と太ったオネェのような存在。しかし中の人は決してオネェではない。
中の人がデンドロを始めるにあたって変に考えすぎた挙句妙なところは開き直った結果、今のアバターになった。
デンドロ内で美食を求め旅している食のカリスマ。自身も【料理人】としては優れているが、リアルでは料理人の才能がないと自身を卑下している。料理人にはなれないと感じたからこそ、料理評論家としての道を歩んでおり、業界ではそれなりに名を知られている人物。
量より質を重視しているため、空を食べるような【暴食魔王】は「気が合わない」と感じている。
キノとは旅の中で何度か出会う旧知の仲であり、彼女が食事を代価に依頼を引き受けてくれる存在であるが故に頼み事をすることもしばしばある。
なお、マダムの<エンブリオ>はリソースをガンガン消費するため前準備が必要なだけでなく、そもそも今回のような強化ができるようになるまでには相当時間がかかった模様。大器晩成型の<エンブリオ>である。
マダムは今後も登場予定です。大抵飯テロ回で。
次回予定「尽くす話」