キノの旅 ―the Infinite World― 作:ウレリックス
キノが案内された部屋には、一人の男が椅子に座って待っていた。
依頼をしたいとのことで訪れたキノであったが、その依頼主に関しては見覚えがない。
当初は以前会ったのに忘れたんだろうかと自分の記憶の中をあさっていたが……キノがやってきたのを見て男が「はじめまして」と挨拶をしたことで、初対面だとわかった。
「はじめまして。キノといいます」
「わざわざ来ていただき、ありがとうございます……。どうぞ、おかけください」
座ったキノは、挨拶もそこそこに男から説明を受ける。
どうやら男も<マスター>のようであり、しかし一方でゲームプレイヤーのようには見えない。装備も初期装備のままだし、キノが《看破》を使ったところ、ジョブレベルもさほど上げていないことがわかる。
その理由も、男が語った話の中にあった。
「まずは自己紹介させていただきます。私の名前はダニエル・ウィルキンス。医師をしているものです」
それは《看破》で見た名前と同じものだったが、どうやらリアルの名前でもあるらしい。
そして彼がログインしている理由。それは彼の仕事に起因するものだった。
ことのはじまりはこの《Infinite Dendrogram》。あまりにもリアルなそのゲームに世界中のゲーマー達は歓喜したが……一方で、ダニエル達医師はそのゲーム、さらにいえば既存のものとは比べ物にならないそのVR技術に目をつけた。
「私たちの患者さんたちの中には、現実で心に傷を負ってしまった方々も多くいます。社会にそのまま戻してしまえば自分だけでなく他者を傷つけるかもしれない人もいれば、社会に復帰したくても、その心の傷のために抵抗を覚える方もいます」
ダニエルの言葉は紛れもなく事実である。
キノは知らないが……たとえば、精神病院にいるとある人物は、《Infinite Dendrogram》の中において
もちろん、他者に害をなすというだけでなく……心の傷という苦痛から戻れない者もいる。
「そうか、だから……」
「えぇ。その前の段階として、仮想の世界……つまり《Infinite Dendrogram》での、言うなればリハビリを行うことにしたのです」
実際に社会に出るのは辛い。しかし少しずつ慣れていく必要がある。
そのために彼らが方法として選んだのがリアルと同じような感覚であるという《Infinite Dendrogram》だった。
「しかし、どうしてボクなのですか? ボクに何をしろというのです?」
キノのリアルはただの学生であり、カウンセリングなどができるわけでもない。しかも今回の依頼は人づてにキノ個人へと依頼されたものである。キノが自分で冒険者ギルドで選んで受けた依頼ではない。
ダニエルの話を聞いて彼の背景はわかっても、自分が呼ばれた理由がさっぱりわからなかった。
「……私の背景は今語った通り。そして、このゲームを始めた患者さんの一人が王国で日々を送っていました。多くの子供たちに囲まれ、少しずつ笑顔を取り戻していました」
その言葉を受け、キノの頭に浮かんだのは先日戦った女性の顔だった。
ボロボロに疲れ切った顔でなお、彼女は子供たちと過ごした思い出を胸に全力でキノと戦った。その戦いの結末は痛み分けであり、二人ともデスペナルティになったが……あの後、彼女がどこへ行ったのか、どうすることにしたのか、キノは知らない。
「しかし、私たちは理解できてなかったんです。この世界は……私たちが思っていた以上に、リアルだった。私たちがゲームとしか思っていなかったこの世界は、あの人にとっては紛れもなく現実世界と同じものだった。それに、気づけなかったんです」
悔しそうに語るダニエルの言葉に、キノは頷く。
デンドロをゲームと捉える遊戯派と、もう一つの世界と捉える世界派。両者の意識には大きな隔たりがある。今回の話で言えばダニエル達は前者にあたり、話に出てくる患者が後者だったのだろう。
そして、この話でキノはおおよその予測ができた。
「もうだいぶ前になりますが、強大なボスモンスターがこの王国に出現したというのは、キノさんもご存知だと思います。その際に、モンスターは多くのNPCの死を招いた。その中には、彼女が親しくしていた人々もいたのです。皆、死んでしまったのです」
ただでさえ心の傷があった患者にとって、親しかった人々が皆死んだことがどれだけ大きな影響を与えるかは想像もできない。
ダニエルは今、ティアンのことをNPCと口にした。彼らにとってはあくまでゲームのプログラムにしか見えないのだろうが、患者にとってそれはただのデータではなく、紛れもなく人間だった。
「貴方に依頼するのは、ホワイトキャップさんという方から紹介を受けたからです。患者さんからもその方のことは聞いてまして……。もう一人、エリーゼさんという方の名前もうかがっていますが、その方には、依頼するのは難しいだろうと」
「……そう、でしょうね。この前エリーゼさんと会ったばかりですが、同じくその出来事にひどく心を痛めていました。街へ来ることもなかなかないでしょう」
「そうですか……。さて、そろそろ本題に入りましょう。私があなたにお願いしたいのは、彼女に会って、そして話をしてきてほしい。ただそれだけです」
説得などを頼まれるのかと思っていたキノはこの依頼内容に拍子抜けした。話を聞いて自分が名指しで依頼された理由はわかった。ホワイトキャップは知り合いの<マスター>だし、おそらくは今回の”患者”と自分との共通の知り合いでもある。
”患者”の名前は未だダニエルの口から伝えられてはいなかったが、ここまでの話で予測はできた。
その予測は見せられた写真によって確信に至る。幼い少女の姿をしたその人物は、確かに会ったことのある人物だった。
「聞くだけ、ですか?」
「ええ。お恥ずかしい話ですが、現在私どもと彼女はうまくコミュニケーションが取れていない状態です。今の彼女には、”医師”の私の言葉は届かない。だからこそこの世界の中で、この世界で知り合った人となら……今の胸の内を明かしてくれるかもしれない。彼女の胸の内がわかれば、そこからどうカウンセリングなどを進めるか筋道を立てることができます」
ダニエルは立ち上がると、深々と頭を下げた。
「いつ、どこで会えばいいかはこちらでどうにか段取りを組みます。現実の都合を持ち込むなんて厚かましいとは理解していますが、どうか……」
ダニエルとのやり取りから数日後。
日が落ちた夜の街をキノは歩いていた。指定された場所はとある廃屋の一つ。
正確には、空き家になっていたものを交渉の末借りているもの、らしい。多少古いとはいえ建物一つを買い受けるにはそれなりの金銭が必要となる。
聞いた話によると、今からキノが会おうとしている人物は、もはや金策すらしていない。
だからこそ、お金がかからない形で廃屋を利用しているのだろう。彼女はもう、家に住む、ということすら必要としていない。
やがてたどりついたそこでは、誰も住んでいないはずだというのに外からわかるほどに明かりが漏れ出ていた。
とはいえ、約束していた人物がいるのはわかっていたのだから、キノが不審に思うことはない。
ノックをし、返事を聞いたうえで部屋に入る。
そこには――
「「「あー! お客さんだー!」」」
数人の子供たちが、わらわらとキノの方へ近づいてくる光景があった。
たくさんの子供たちに引っ張られたりする状況にキノはデジャビュを感じる。相も変わらず子供慣れしていない彼女は子供たちにされるがままになってしまう。
そんな光景を、部屋の奥のソファーに座って見つめる人物が三人。大人の男女と、二人の娘らしい子供。
彼らがニコニコと見つめる中で、キノは複雑な気持ちで子供たちを見つめていた。
ランタンの明かりが照らすこの部屋を、キノはかつて見たことがある。それは、エリーゼに連れられて訪れたあの教会だった。
そもそも、廃屋だったはずなのに中に入ってみれば廃屋とは思えない綺麗な部屋になっているこの光景が、まともなものであるわけがない。
今キノと触れ合っている子供たちは、
離れた三人に目をやれば、その中の一人だけに唯一《看破》が反応する。他の二人や子供たちには何も反応しないというのに。
キノの視線に反応したかのように、子供たちは、いや、子供たちの幻は、三人の方へと笑顔で駆け寄っていく。
女性と少女がソファーから立ち上がり、子供たちとのじゃれ合いを始める。
何も言わず、動くこともない男性の横に座ると、女性と少女に向かって声をかける。
「お久しぶりです、チャイルドビューさん。話は聞いていると思いますが……ボクは今日、あなたと話をするためにここへ来ました」
キノの言葉に、チャイルドビューは答えない。
「ダニエルさんに聞いたのですが……あなたはルニングスが滅んだあの日から、ずっとデンドロに出たり入ったりを繰り返しているそうですね。しかも狩りなどにいくことはなく、ずっとここにいて」
近所の人に話を聞く限り、チャイルドビューらしき人物が外に出ている姿は見られていない。
廃屋を借り受ける際にも、「特に工事やリフォームなどは何もしないし、長時間いるわけでもないから」という話があったと聞いている。
つまり、彼女はずっとこの廃屋の中で、幻に包まれ続けているということになる。
「あなたの<エンブリオ>は一度見せてもらいましたね。【夢想幻灯 スウォゥルスティガネ】。エレメンタルのガードナー系列。有する能力は……幻」
「……よく、覚えてますね」
ポォッ、とランタンよりも強い光が、少女が差し出した両手の上に集まって形を作る。
その形は球体がぼやけたような姿をしていたが、これがスウォゥルスティガネの本来の姿だ。キノもかつて見せてもらったことがある。
「聞かせてください、チャイルドビューさん。あなたは、ここで何をしているのですか? いえ……何を考えているのですか?」
「何を……。それは、たいしたことじゃ、ないんです」
ぽつりぽつりと語るチャイルドビュー。
ダニエルは話を聞けなかったというが、キノにはどうやら思いを告げるらしい。あるいは、キノだからこそ、かもしれない。
エリーゼ同様この世界で子供たちと共に過ごした思い出を、共有できる人物が相手だからなのかもしれない。
そのことをよく知っていなければ……きっと自分の気持ちはわからないと、そう考えて。
「私は、嫌になったんです。現実にはもう家族がいない。この世界にはもう子供たちはいない。失って悲しい気持ちになるのは、もう嫌なんです」
母親がゆっくりと少女を抱きしめる。
キノは話を聞きながら、二人の姿を眺めていた。そして、話し続けるチャイルドビューのHPが、どんどん0へと近づいていくのをじっと見つめていた。
キノは詳細を知らないが、これは<エンブリオ>の必殺スキルのデメリットなのだろうということは予測がつく。
事実、廃屋の中をすべて幻の光景で埋めるだけでなく、まるで本当の人がいるかのような動いて話す幻まで作り上げる……これが《
「ねぇ、キノさん」
HPが0になると共に、周りの風景が一瞬で変わる。明るい教会の部屋から、ランタン一つの明かりしかない薄暗い廃屋の部屋へと戻り、子供たちの笑顔は消え、そして残された人物は二人だけ。
一人はキノと……そして、ふよふよとスウォゥルスティガネが浮かぶ側で、
大人の女性のような幻の姿から元の少女の姿に戻った彼女は、HPが0になったことにより光の塵となりながらキノへと問いかける。
このデンドロにおいて大事な子供たちの幻も、事故で失った愛する夫と娘の幻も消えた廃屋の中で、涙ながらに問いかけた。
「この世界が自由なら……たとえ幻でも、幸せな思い出に浸るだけでも……いいじゃないですか……」
デスペナルティによって消えてしまったチャイルドビューに、答える言葉がキノにはなく。
ふと横を見ると、ランタンに灯っていた火が揺れて、やがて消えた。
【夢想幻灯 スウォゥルスティガネ】
<マスター>:チャイルドビュー
TYPE:ワールド・ガードナー 到達形態:?
能力特性:幻
必殺スキル:《
モチーフ:童話「マッチ売りの少女」(スウォゥルスティガネはデンマーク語でマッチの意)
備考:ふよふよと浮かぶ光のエレメンタル系のガードナー。もっとも、直接戦闘能力は高くはなく、自発的に幻を発生させて相手を惑わせたりとサポートに向いたガードナーである。戦闘能力が低い分、幻の効果や範囲にリソースが割かれている。
また、原作におけるネメシスのように自らの<マスター>の意識、考えを把握することもできる。スキルの効果でチャイルドビューの夫と娘の幻や子供たちの幻を作り出せているのも、チャイルドビューの記憶から読み取ったから。
11巻が発売されましたが、11巻の事件がちょうどエリーゼやチャイルドビューに大きな影響を与えることになった事件であること、11巻の序盤で「夢幻泡影」の話が出てきたので正直タイムリーだなって思いながら書き上げました。
最近戦闘がなかなかなかったので、次回は戦闘もありの話になるかと思います。
次回予定「使い道の話」