キノの旅 ―the Infinite World― 作:ウレリックス
原作に合わせて一部修正しました
キノは相棒のヘルメスと共に、とある酒場を訪れていた。
薄暗い店内には人の数が思いのほか少ない。
一方で喧騒が外から聞こえるため、この静かな酒場だけが騒がしい外から取り残されたかのようだった。
『人いないね、こんな時なのに』
「しーっ。向こうの方が大賑わいになってるから、騒ぎたい人はみんなそっちに行ってるんじゃないかな」
つまり、ここにいるのは騒ぎたくない、けど静かに酒を飲むくらいはしたい、という者だということだ。
もっとも、キノは未成年のため酒を飲むことはできないのだが。
キノがここにいるのも、どちらかといえば騒ぎから少し距離をおいてゆっくりしたい、という気持ちからだ。
「それしても良かったよ、穴場のような場所があって」
マスターは皆騒ぎに参加しているのか、それともログアウトしてしまったのか、キノしかいない。
キノがグラスをかたむけ、カラカラと氷を回していると後ろの扉の方からチリンチリンとベルが鳴った。
扉に取りつけられたベルが来店を告げた客は男のマスターであり……キノとヘルメスの姿を見つけると、顔色を変えて店内から出ようとしたが……それより先に、ヘルメスが声をかけた。
『ここでゆっくりしていきなよ、外に出ても騒がしくなるだけだよ?』
ヘルメスの言葉に男は……どこかうなだれた様子で、しかしその一方でその通りだと頷いた。
キノの隣に座った男は、飲み物を注文すると大きくため息をつく。
『……あれ、そんなにため息ついてどうしたの? 騒ぎになりたくないからここに来たんだと思ったけど、他にも何かあるの?』
ヘルメスの疑問に男は嫌そうな顔をして、そして騒がしい外の方を指さした。
それだけでキノは事情を察する。
「なるほど。でも、仕方のないことだと思いますよ。偉業をなせばその人は讃えられる。ずっと昔から、そうです」
名誉なことですよ? と微笑むキノに、男は嫌みのつもりか、とやはり顔をしかめて出された飲み物を一気に飲み干す。
そのままおかわりを注文した男は、旅人さん、とキノの二つ名で呼ぶ。
いい二つ名だな、自分もこんな二つ名が欲しかった。
そう男は心から羨ましそうにキノの方を見る。キノだって男の二つ名は知っている。いや、キノより有名だろう。
そう指摘したのだが、男はこんなの自分から名乗れやしないと手を振る。
キノが外のマスターやティアンと違って男を褒めはやしたりする事がなかったからだろう、男は少し気をよくしたようで自分の思いを吐露した。
「こんなはずじゃなかった」
男は自分の行いを振り返る。
最初は、ほんの思いつきだった。
本当にとりとめのない、ただの思いつきにすぎなかったのだ。
ほんのふざけ心でしたことだったが、今こんなことになるなら、こんな思いをするとわかっていたら絶対にしなかった。
ただでさえデンドロ世界に降り立ってから後悔したって言うのに。男はそう悔やむが、もはや後の祭りだった。
「何気ないことでも、後でどんな結果が出るかわからない。それでも、それをしたのは間違いなく自分なんです。だから、人は自分の行いに対して責任をとらなきゃいけない」
『そうそう。やったことはもう取り返しがつかないんだから、あとはどう向き合うかだよ』
キノ達にそう言われ、男はわかってはいるさ、と外の方を見る。
外では今も大きな祭りの真っ最中であり……誰かが男の名を讃えるように叫んでいる。
外の祭りは、言わば祝賀会だ。
その立役者の一人である男の名が讃えられるのは当然と言えば当然であり、何の違和感もない。
だが……男は絶対に祭りに参加することはないだろう。
あのお祝いの中心となって騒ぐなど、とてもできるわけがなかった。
なんで、こんなことになったんだろうな……と男は遠い目をして呟いた。
自分は何もわかってなかったんだ……と男は頭を抱える。
こんなことができるようになるなんて最初は思ってもいなかった。ただ最初はこのゲームに対して酷評する気で始めた。
しかし、このゲームが、デンドロがずっと待ち望んでいた夢のゲームだと理解した後はただただ、この世界を楽しみたかった。それだけだったんだ、と半分涙まじりに男は呟いた。
男が悔やむ横で、キノは自分の飲み物を口に入れる。
男が後悔する気持ちはわからないでもなかったが……だからといって、キノにできることなど何も無い。
「あなたが今日成し遂げたことは、ボクの知る限りでは初の偉業です。今騒いでいる人たちが笑っていられるのだって、あなたがいればこそです。ボクには、とても不可能だったでしょう」
男がいなければ、こんなお祭り騒ぎにはなっていなかったかもしれない。
いや、それ以上に多くの人が死に、正反対の悲痛な状況になっていたかもしれない。
だからこそ、男が讃えられるのは必然なのだ。
この国のティアン達が、彼の名を忘れることはないだろう。
『で、これからどうするの?』
どうしたもんかな、と男は考えた。
自分はティアンではない、マスターなのだから……この<Infinite Dendrogram>から離れる選択肢だってある。それもまた、自由の一つなのだから。
そうだな、そうしよう。
男は頷くと立ち上がり、キノに礼を言う。
自分だけで一人頭を抱えるよりも、胸に溜まっていたことをはき出せてすっきりしたのだろう。
あるいは、自らの友人の仇を討てたことで、気持ちが軽くなっていたのかもしれない。ここにずっといなければならないという気負いがなくなっていたのかもしれない。
料金を払って、男は酒場から出て行った。
男が去った後、キノは彼が出て行った扉をしばらく見つめていたが、やがて視線を戻し座り直す。
『あの人、どうするかな?』
「さあね。永遠にこの世界から去るとまでは思わないけど、それでもしばらくは帰ってこないかもしれないね」
キノの言葉は的中した。
翌日も、その次の日も。男は帰ってこなかった。誰も男の姿を目にすることはなかった。
次の日も、その次の日も……
キノが国から出て行くまでに、男が戻ってくることはなかった。
キノ達は酒場を出た後、ヘルメスを手で押しながら上へ上がる。
この国……グランバロアで起こった大事件。
<SUBM>、スペリオル・ユニーク・ボス・モンスターの襲来を退け、グランバロアを襲った<SUBM>、【双胴白鯨 モビーディック・ツイン】の討伐を祝う祭りがまだ続いていた。
「まさか醤油抗菌さんとあんなに話ができるとは思わなかったよ」
『ラッキーだったね』
人間爆弾の異名を持つ【大提督】醤油抗菌はグランバロアに所属する<超級>の一人であり、今回のモビーディック・ツイン討伐において辺りの海水を全て爆破することで海水を取り入れ回復するモビーディック・ツインの回復を防いだ。そして、見事討伐MVPの一人となったのだ。
「彼のことは誰も忘れないだろう。国を救った彼は、英雄として名を残すことになるわけだ」
『まさに、歴史に名がはばかる、ってヤツだね!』
「……歴史に名が残る?」
『そうそれー』
もっとも……彼としては、あまり嬉しいことではなかったようで。
彼の醤油抗菌というプレイヤーネームは、周瑜公瑾のもじりらしい。
自分の本名のもじりでもあるとこのもじりをプレイヤーネームにしたようだが……当時はさすがに自分が<超級>となり、有名なプレイヤーの一人になるなんて想像もしていなかったのだろう。
そもそも、彼はゲームを始める前には、<Infinite Dendrogram>そのものに期待なんかしていなかった。
だが、彼は自分の二つ名が人間爆弾という物騒なものになった上に、呼び名まで頭を抱えるようなものになってしまったのだ。
「でも、このゲームは名前のつけ直しなんてできないからね」
『エンブリオならともかく、自分でつけた自分の名前だからね。どうしようもないよ』
自分の名前をキノにして後悔したことある? とヘルメスに聞かれ、キノは当然のように答えた。
「もちろん、あるわけないさ。ボクはこの名前で、ヘルメスと共にこの世界で旅をする旅人。そのことに、何の不満もないよ」
よかった、とヘルメスは笑顔のキノに返事をする。
言葉にはしなかったが、自分のマスターが変な名前で呼ばれることもなくて良かった、とも思った。
キノ達が笑う横で、酒に酔って興奮したマスターやティアン達が大きな声で叫ぶ。
「本当に、醤油抗菌さんには助けられたな」
「醤油様々だな!」
「醤油万歳!」
「「「「醤油! 醤油! 醤油! 醤油!」」」」
というわけで、今回はコメント返しで有名な醤油抗菌さんのエピソードでした。
彼の話だと皆さんどこで気づきましたか?
次回予定「壊せない話」