キノの旅 ―the Infinite World― 作:ウレリックス
クラウドモンキー、というモンスターがいる。
基本的に群れを作り、集団で行動をする猿型のモンスターである。
かつてトップ・クラウドモンキーと呼ばれたそのモンスターは、群れの長として君臨していた。長として時に導き、時に自分のために盾として使いつぶしてきた。
そんな日々も……<マスター>達に襲われたことで終わりを告げる。<マスター>による圧倒的な火力でクラウドモンキーは瞬く間に群れの数を減らし、命の危機に陥った。
嫌だ、嫌だ、嫌だ。
ただただ恐怖に震えるトップ・クラウドモンキーは、群れを自分の盾として真っ先に逃げ出したが……自らを守るための群れはあっという間に討伐され、自らも多くの傷を負った。
クラウドモンキーの長たる彼には自分の群れのモンスターにダメージを移す《ライフリンク》に近いスキルがあったが、群れがいなくなってしまえばダメージを移す相手もいない。
幸いにも命だけはとりとめたが……<マスター>から姿を隠した先で、血を流して息絶える寸前であった。
嫌だ、嫌だ、嫌だ……!
死に怯え、ぼんやりとした視界の中に、ふと小さな何かが映り込む。
それが何かはわからなかったが、何となくそうしなければならない気がして、トップ・クラウドモンキーはそれに手を伸ばし、口に含んだ。
次の瞬間、彼には聞こえないアナウンスが流れる。
【デザイン適合】
【存在干渉】
【エネルギー供与】
【設計変更】
【固有スキル《猿影生成》付与】
【固有スキル《影傷反射》付与】
【スキル《MP自動回復》付与】
【死後特典化機能付与】
【魂魄維持】
【<逸話級UBM>認定】
【命名【代影体刻 ハリアーシ】】
それが、今ホワイトキャップ達の前に立つ<UBM>……【ハリアーシ】が誕生した瞬間だった。
「はあああ!」
『ゴギャアア!』
ホワイトキャップが拳を振るうも、ハリアーシにはダメージが入った様子がない。代わりに離れた場所にいた影の一体が強力な打撃を受けたかのように爆散し、ホワイトキャップもまた腹に衝撃を受けたかと思うと吐血した。
「いけない、《フォースヒール》!」
咄嗟にリリアーナがホワイトキャップへと回復魔法を使用する。今彼女の身に起こったのは、今も影を斬り続けている雫の身に起こったのと同じ現象。すなわち、与えたダメージが自分にも反映されたということだ。なぜ本体を殴ったにもかかわらず影を殴ったのと同じ現象が起こったのか。ホワイトキャップの頭によぎった可能性は二つ。
一つ目。本体にも同種のスキルがあるから。しかしこの場合、相手に攻撃が完全に通らないことになってしまう。相手がそこまでランクの高い<UBM>だとは思えなかった。それに、本体だけで防いだのなら別の影が爆散した理由が説明できない。
二つ目。本体が受けたダメージを、離れた場所にいた
ホワイトキャップの推測が正しければ。
この<UBM>を倒すには、影を
だからこそ……
「雫殿! こいつはおそらく、影を全て倒さなければダメージが通らない! 本体への対処は
「了、解……!」
「わかりました!」
本体の足止めや攻撃役とは別に、影を全て倒す者がいればいい。
彼女は察する。この<UBM>は、
「《治癒者の領域》、展開!」
ホワイトキャップは自らの<エンブリオ>、赤く発光する魔法陣を足元から展開する。その範囲内にリリアーナが入ることは横目で確認済みだ。
彼女の<エンブリオ>の能力特性は回復強化。自らだけではなく、結界の範囲内にいるもの全てを対象として行使する回復スキルの効果増幅、コストの削減が《治癒者の領域》の能力だ。
欠点としては範囲を広げた代償か効果の対象を選べないこと。それこそ、敵の回復スキルでも強化してしまうことか。ただし今回の敵であるハリアーシに回復スキルはない。その辺りも確認して回復スキルを持ってないと判断したからこその<エンブリオ>使用である。
「《
雫の特典武具である【霊獣召鈴 リンドウイン】、その腕輪についた鈴がチリンと音を鳴らす。次の瞬間、多数の犬型の獣たちが我先にと影たちへと襲い掛かる。そのダメージ反射はあくまで雫ではなく、召喚された霊獣たちへと還る。その中で雫自らもまた刀を振るい続け、傷を負いながらも影の数を削っていく。その傷はホワイトキャップの<エンブリオ>により強化されたリリアーナの回復魔法、そして雫の装備スキルで次から次へ治していく。
ホワイトキャップはというとハリアーシ本体を前に相手を殴りながら自分への回復を施しつつ、アイテムボックスから【ジェム】を取り出した。【ジェム】に込められた魔法を発動する前に、叫ぶ。
「
返事はない。
ただし言葉が返ってくる代わりに……【高位結界師】のスキルである結界が周囲を覆う。結界の外への逃亡を物理的に阻止し、AGIを減少させるものだ。結界の展開を確認したホワイトキャップは【ジェム】に込められた光魔法を発動させる。
大した威力のあるものではない。精々辺りを明るく照らすだけのもの。だがその光はハリアーシの影を伸ばし……
『《シャドウ・スタンプ》』
伸びた影を、背後でずっと気配と姿を隠していた
彼女の言葉が投げかけられたのは、雫でもリリアーナでもない。今回の調査対象である
『もう一つおまけで、《ブラッド・アレスト》』
『ギャオ!?』
突如自分の身に降りかかった【呪縛】や【恐怖】、【吸魔】の状態異常にハリアーシは驚きと恐れで声をあげる。そして、その隙を逃すホワイトキャップではなかった。
ダン! と音が鳴るほどの踏み込みと共に、彼女はスキル名を口にする。
「《
宣言したのは【治療前線 ナイチンゲール】の必殺スキル。もう一つのスキル、《気孔拳》は彼女のメインジョブである【高位僧兵】が持つスキル。
踏み込みと共に放たれた拳は、また一体の影を爆散させ、同時にホワイトキャップへとダメージを与える。だが、《気孔拳》はただの攻撃スキルではない。与えたダメージに応じた回復効果がある。ダメージが返ってくるといえども、《治癒者の結界》によって増幅された回復効果ですぐに治る。
「《気孔拳》」
そして、必殺スキルである《この血は傷つく人々のために》は、簡単に言えば《治癒者の領域》の上位スキル。上昇率は高くないが回復量をさらに高め、コストをかなり削減する。だが、もう一つ追加効果がある。
それは……
「《気孔拳》、《気孔拳》」
『ゴア、ガアア……!』
回復効果を持つスキルの、クールタイム消去。
「《気孔拳》《気孔拳》《気孔拳》《気孔拳》」
『ガアアアアアアアア!?』
代償として、対象となった回復スキルの減少前コストに応じたダメージを受ける。さらに今はハリアーシからの反射ダメージやハリアーシ本体からの攻撃によるダメージも受けている。
だが、それらは繰り返される《気孔拳》の回復効果や、時折混ぜられる自身やリリアーナの回復魔法で十分カバー可能。
その結果生まれるのは……
「《気孔拳》《気孔拳》《気孔拳》《気孔拳》《気孔拳》《気孔拳》《気孔拳》《気孔拳》《気孔拳》《気孔拳》《気孔拳》《気孔拳》《気孔拳》《気孔拳》《気孔拳》《気孔拳》《気孔拳》《気孔拳》《気孔拳》《気孔拳》!」
「う、っわぁ……」
『やっぱえげつねぇッスね、このコンボ……』
《気孔拳》が回復効果を持つ攻撃スキルであることを利用した、<エンブリオ>とのシナジー。絶え間ない回復と攻撃を繰り返す恐るべきコンボ。
初めて見る雫だけではなく、以前見たことのあるリリアーナや未だ姿を隠したままの男さえ唖然とするほどのラッシュだった。
だが、このラッシュによって……影の数が、大きく減る。それはすなわち、ハリアーシ本体へと攻撃が届くことを意味する。
その光景は……かつて死にかけ、死に怯えてここまできたハリアーシの目にどう映るのか。
『アァ、アァァァァァ!?』
「くっ、まだ影は増えるのですか!?」
死にたくない。
死にたくない。
そんな気持ちが悲鳴としてハリアーシの喉から溢れ、《猿影生成》のスキルを全力で行使する。自分を守る影さえあれば、自身が傷つくことはない、死ぬことはないからだ。
そして自身は……逃亡を図ろうとする。かかっていた【呪縛】や【恐怖】が時間経過で解除されたのもあり、体が自由に動くようになったハリアーシは影たちに足止めをさせ、全力で逃げようとした。
「この……逃げるな!」
リリアーナが追いかけようとするも、AGIはハリアーシの方がはるかに高い。
「逃げるな!」
ホワイトキャップが追いかけようとするも、影が今まで以上に彼女の妨害をしようとするため、それを殴り飛ばすことに気がとられてしまう。
「逃げるなあ!」
雫はこの中で一番、影を大量に倒していたためその分受けたダメージも大きかった。回復が行われているとはいえ血を多く流しており、傷痍系状態異常も発生していた。
これで逃げられる。
そう思って入口へと走ろうとしたハリアーシは……
展開されていた、
『ガア!? ガアアアアアアアア!!?』
最初に男は結界スキルを使ってハリアーシの逃げ道をふさいでいた。たとえハリアーシを拘束していた状態異常が切れたとしても……結界のスキルは、まだ残っている。狂乱するハリアーシがガンガンと結界を殴り続けるも、男の<エンブリオ>によって増強されたMPにより、強固に組まれた結界は壊れる様子を見せない。
ハリアーシを逃がさないための檻が、破られたわけではなかったのだ。
「逃げるなぁぁぁぁぁぁぁ!」
次の瞬間、その場にいた影のほとんどが断ち切られて、消えた。
ゲホ、と血を吐きながら雫が全力で刀を手に走り続け、影たちを両断していったのだ。
そう。全力。
それまでは一気にダメージが返ってくる可能性があるためにペースを
相手にダメージを与えれば与えるほど。そして、
自分と相手の血が流れれば流れるほど、【修羅】はその力を増していくのだ。
傷痍系の状態異常を多く抱えることにはなったが、体を動かすだけなら支障はない。今の雫は特典武具である紅い籠手と具足を装備している。その効果は、「HPの継続回復」、そして「傷痍系状態異常を無視して思うように体を動かす」もの。逸話級の特典武具故に強力なスキルでは決してないのだが……ダメージを受けてこそ強くなる【修羅】にとっては強力な後押しになる。
逃げられないと悟ったハリアーシは、生きあがくが故に《猿影生成》を使い続けるが……召喚のペースが間に合わない。さらに言えば、シャドウ・スタンプによって与えられた【吸魔】がここに来て召喚の限界を後押ししていた。
いかに《MP自動回復》があるといっても、ハイペースで召喚スキルを使っていては消費のほうが多すぎる。
『アァ、アァァァァァ……』
ハリアーシには理解できなかった。
こちらに与えようとしたダメージは間違いなく相手にも返っていた。ホワイトキャップも、雫も、血を流し続けていた。
なのになぜ。血まみれになってなお、戦おうとするのか。血を流し、傷だらけになっても、自分を殺そうとする彼女たちの姿はハリアーシにとって恐怖以外の何物でもなかった。
雫が影を一掃していくことにより、ホワイトキャップが再度自由になる。一気に距離を詰めると、必殺スキルが切れたとはいえ拳を振り続け、ついにダメージが入り始める。
『アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』
ハリアーシも必死だ。雫とホワイトキャップによって影は一掃され、自分の身を守るものがない。全力で目の前のホワイトキャップを止めようと全神経を彼女に集中させ、
『待ってたッスよ、この時を』
首に強い痛みを感じ、動きを止めた。
男はずっと、姿を隠しながらサポートに徹し続けてきた。もともと彼自身が搦め手を得意とするタイプであり、下手に姿を見せたところで邪魔にしかならないだろうと思っていた。
また、彼はハリアーシを逃がさないための結界スキルを発動し続けていた。だからMPもそこまで余裕があるわけではなかったし、素のステータスが高くはない自分が倒され相手を逃がすよりはずっと耐え忍び、サポートに徹していた。
しかし今、影が一掃され、ハリアーシの意識はホワイトキャップへとむけられていた。その背後は完全に無防備になっており……
男はその首へと、ナイフを勢いよく突き刺したのだ。
『ガ、ァ……』
急所へのダメージ。ダメージを転嫁する先はもうどこにもなかったハリアーシは、弱弱しく唸るとその体を光の粒子へと変えた。
【<UBM>【代影体刻 ハリアーシ】が討伐されました】
【MVPを選出します】
【【ジャンク・ラック】がMVPに選出されました】
【【ジャンク・ラック】にMVP特典【代影体石 ハリアーシ】を贈与します】
アナウンスによって戦いの終わりが告げられると、彼らの空気が弛緩する。ずっと姿を隠していたジャンクは、リリアーナや雫へペコリと頭を下げる。
「どうも、おつかれさまッス。オレの名前はジャンク・ラック。戦闘スタイルの関係でずっと姿隠しながらサポートさせてもらってたッス」
「彼は私が個人的に雇っていました。その、万が一の事態が起こった時の対処として、です」
雫を疑っていて、というのは本人の手前言いづらいのでぼかしつつホワイトキャップが紹介したことで、二人も彼へと礼を言う。
ジャンクは問題なさそうだからとそのまま帰り、ホワイトキャップとリリアーナは一番ダメージの大きい雫へと回復魔法をかける。
「ああ、どうもありがとうございます」
「いえ、私こそ一番ダメージを負う役目を雫殿へとお願いしていたので」
「私に至っては回復役として戦闘にはあまり参加してないので……さすがにもうMPが限界ですけどね」
笑って言うリリアーナ。
一方、ホワイトキャップは言うか言うまいか迷っていたのだが……表情を引き締め、雫へと口を開いた。
「最後に……その。言いづらいことですが言わせてほしいことがあります」
「なんでしょう?」
「あなたの、戦闘スタイルのことです。正直目を疑いました。あなたの最後の行動……影の一掃は、一歩間違えれば死ぬほどのダメージを受けていました。事実、かなりの傷を負っていたでしょう」
雫は何となく言われようとしていることを察し、違っているといいなと思いながら苦笑いを浮かべ後ろを向く。
その背中へ、ホワイトキャップはなおも言葉をつづけた。
「血まみれになってもなお、戦い続ける姿はまるで、死を恐れていないように見えました。いえ、事実そうなのではありませんか? 私は、その目を知っています。リアルで何度も見てきた、あの目をしているんですよ、貴方は」
彼女はかつて、衛生兵として戦場にいた過去がある。格闘術もその時鍛えたものだ。
そして、戦場だからこそ彼女は見てきた。
「あなたにかつて何があって、あなたが何を思ったのかは知りません。この世界であなたが死ぬことはないから単に死をリスクとしていないのかもしれないし、
「死を恐れていないのは、悪いことですか? 死に恐怖を抱える必要があるのですか?」
ホワイトキャップの言葉を遮り口にした言葉には、雫が抱える何かが込められていた。
「ホワイトキャップさんが善意で言ってくれているのはわかります。私の戦闘スタイルは確かに死を前提としている部分がありますし、自分自身死を受け入れている面がある自覚はあります。ですが、あなたが心配する必要はありません」
それは、どうしようもないからだ。
どうしようもないから。死に怯え、恐怖し続けるのは
「私の命です。命の使い方は……私が決める」
彼女は振り返ることなく、さようならと口にして、その場を去っていく。
あとに残されたリリアーナとホワイトキャップは、どこか痛ましげな視線で……彼女の背を見つめていた。
少し長くなったので、「今回登場の<マスター>」はちょっとお休み。
時間空いてからホワイトキャップの詳細など更新するかもしれません
皆さんは鬼滅の刃劇場版、観に行かれましたか?
逃げようとするハリアーシを追い詰めるあの場面は、正直少し影響された感はあります。
次回予定「味気ない話」