班長に相談したが下級兵士には権限はない。
曹操陣営に災厄が降りかかるか。
「フム。
そう」
華琳は短く感嘆の吐息を漏らすと黙ってしまった。
「華琳様、たかだか色が黒っぽい虫です。
恐れるに足りませんよ」
「姉者、そうはいっても蝗害ともなれば国の一大事だぞ」
「秋蘭は昔から虫が苦手だったからだろう、ハハハ」
「な、それとこれとは違う・・・・わ」
全く気にしない春蘭に珍しく言い籠められる秋蘭だった。
その様子を眺める華琳には軽い嗜虐の気がこもった。
「春蘭、それくらいにしなさい。
卓の判断は銀叔父の見聞が基にあるのよ。
それはむやみに軽んじるわけにはいかないわ」
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「磊、殿様と大将軍様方は何を話しているんだ?」
「俺にはわかりませんよ。
親方から聞いたことのある話を説明しただけです」
「それはそうだが、いきなり殿様がお声をおかけになったのは肝をつぶしたぞ」
班長は視察に来られた刺史様が直々に話しかけてきたことに驚いた。
組織の中では頂点の曹操。
彼女はたびたび視察という建前で屯田兵たちの労いに訪れることがあった。
彼女には夏侯氏を筆頭に臣下や部下がいる。
彼らは文字通り命懸けで仕えてくれる。
彼らを厚遇することは間違いではなかったが、覇道を歩む自分には民草が大事だと教えられた。
その教師は母曹嵩や張銀だった。
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「卓、注ぎなさい」
「は、はい!少々お待ちを」
華琳は、粗末な木杯を下座に座る卓に差し向ける。
薄暮の中に華琳は卓の姿を捉えていた。
篝火を灯し、少し長めの
卓は持ち込まれた酒瓶を取り華琳の許に注ぎに行く。
酒は華琳の差し入れだった。
屯田兵達には久しぶりの酒だった。
何十杯も飲まないと酔わない度数の低いものだったが街どころか邑からも離れているため徒歩で運んでいては酸っぱくなる。
馬で運ばれてくるとギリギリ飲めたのだ。
「どうぞ」
「ありがとう。
いただくわ」
華琳は酒の注がれた木杯を呷る。
篝火に照らされた少女の姿は、天女がたわむれに地上に降りてきたようだった。
≪ゴクリ≫
屯田兵たちが一斉に生唾を飲み込んだ。
「みんな、食事を始めなさい。
お酒は差し入れよ」
「お前たち、華琳様に感謝するのだぞ」
「明日からも期待しているぞ」
≪≪オーーーー!!≫≫
各々木杯に酒を注ぎささやかな酒宴が始まった。
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華琳の両側に春蘭と秋蘭が座り、給仕役のように卓は控えていた。
華琳は酒宴を見届けると春蘭に合図をすると卓を見た。
「卓、いえ開、あなたも飲みなさい」
「え?」
「わたしたちだけ飲んでいても美味しくないのよ、わからないなら頸を刎ねるわよ」
「えーーー!
・・・・あのー、器がございません」
卓は酒を強制されやむを得なく器を探したが素焼きの皿しかなかった。
仕方なく水を掬うように手を器代わり差し出す。
「はい、ちゃんと持ちなさい」
「卓、光栄に思えよ」
「姉者、嬉しそうだな」
「な、何を言うんだ!」
「春蘭、もう酔ったの?」
華琳が使っていた木杯を渡されると春蘭が酒を注ぐ。
秋蘭が一言挟むと春蘭は紅潮し、華琳はそれを見逃さなかった。
卓は畏れ多い現状に固まってしまった。
仕える主人から使っていた木杯を渡され大将軍の酒を注がれてしまった。
「開、早くの飲みなさい。
飲み終わったら、あなたの考えが聞きたいわ」
「俺の考えですか・・・・」
華琳の澄んだ瞳はすでに方針を決めていた。
卓にはそれが判った。
そして何を言えばいいのか少し考える。
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(俺ごときが操お嬢様に献策していいものだろうか?)
卓は逡巡してしまう。
たかだか行商見習いだった自分がどれほどの提案をできるだろうか。
試されているのだと思った。
失望されるのが嫌だった。
拾われて真名で呼ぶことを許され酒を酌み交わす状況と言ってもいい。
そう考えると何が何だか判らなくなってきた。
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「開、あなたはまだ兵士見習いよ。
急いでは欲しいけど、慌てなくていいのよ」
華琳は相変わらずの少年に未だつかみどころのない気迫を感じ確信は揺るがなかった。
華琳が陳留の刺史になって初めての災厄になるのか?
卓はどのような献策で華琳に応えるのか?