私ハリーはこの世界を知っている   作:nofloor

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第17話 銀の光と命の魔法

 

 

「はははははははは!!」

 

 部屋に笑い声が響いていた。

 

「はははは! あはは! ああ、ああ、なんて滑稽な終わり方だ! 世に聞こえたハリエット・ポッターの最期の、なんとあっけない!」

 

 よほど可笑しかったのか、トム・リドルはしばらくの間一人で笑い続けた。

 やがてはそれも収まり、呼吸を整えるように息を吐いた。

 

「さあ……これで僕を邪魔する者は居なくなっただろう」

 

 当然、答えはない。ここに居るのは死にかけた少年と大蛇だけだ。

 

「身体を手に入れたら、そうだな、未来の僕が成し遂げられなかった偉業の続きを始めよう」

 

 敵を倒した達成感からか、饒舌に独り言を呟く。

 

 あと数分もすれば、足元のドラコ・マルフォイは衰弱して死に至り、その力を奪った自分は若い肉体を得る。折もよく、ホグワーツにはダンブルドアが不在。手始めに、この学校を手中に収めて、魔法界に知らしめるとしよう。

 

 ヴォルデモート卿の復活を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「さて……『バジリスクよ、一度戻れ』

 

 蛇語の指示に、大蛇はずるずると重たげに身体を引き摺り始めた。

 そして、スリザリン像の足元で、不意に動きを止めた。

 

『……どうした?』

 

 多分、リドルは予想もしてないだろう。

 牙に噛み砕かれるのを避けるためとは言え、自分から大蛇の口に飛び込む莫迦がいるなんて。

 初めて、小さい身体に感謝した。

 

 蛇の表情を窺うことはできないけど、今はきっと驚愕に彩られている。

 身体の中から失神呪文をダースで打ち込まれれば、蛇の王と言えど動きくらいは止まるらしい。

 

「まさか――!」

 

 リドルの焦った声が聞こえるけど、今更気づいても遅い。

 生暖かく、ドロドロとした粘液に塗れた蛇の口の中、私は次の呪文を撃つため杖を振る。

 唱えるは呼び寄せ呪文。対象は尻尾でぶっ叩かれる直前、位置を確認した銀の剣。

 浮遊呪文で操る予定だったけど――下手に操作しなくていい分、今の方が楽だろ!

 聞こえてもいい。今までこれほどに強く唱えたことはないってほどの大声で、私は叫ぶ。

 

「アクシオ!!!!」

 

 打ち捨てられていた剣が、弾かれたようにカッとんでくるのが呪文越しにわかる。

 輝く剣は過たず、大蛇の喉元に一直線に迫る。

 

「やめろ!!」

「っあああッッ!!」

 

 力一杯振り上げる右腕――目の前を彗星のように閃き翔け昇る銀の光。

 剣が天井に突き刺さる甲高い音は、その一瞬後に響いた。

 

 ほんの少しの静寂の後、バジリスクの喉と脳天から血が噴き出したようだった。ドロリと赤黒い血が口内にも滴り、むせ返るような匂いが充満した。

 そしてすぐに、ギュィ――というあまりにも軽い断末魔を遺し、大蛇は横ざまに倒れた。

 拍子、口から石の床にべしゃりと投げ出される。

 

「あぐっ、うっ……!」

 

 激痛に呻くけど、それよりも今はぜえぜえと、新鮮な空気をただ貪った。

 床に這いつくばったまま目端で見れば、バジリスクは倒れてヒクヒク痙攣している。起き上がる気配は、ない。

 

 倒した――なんとか、ギリギリだったけど。

 安堵した瞬間激しく咳き込んで、身体中が無数の針で刺されたように猛烈に痛んだ。

 

 一際酷いのが、左腕の傷。これはもう穴だ……毒の牙で貫かれた大きな穴。身体を小さく丸めて飛び込んだけど、躱しきれなかった。

 上腕を「インカーセラス(縛れ)」できつく縛っているけど、毒の巡りは止められていない。頭からバジリスクの血に塗れているけど、自分の出血も止まらない。視界も霞んできたし、身体中がぶるぶると小刻みに震えている。

 

 こうしている間にも、私の生きていられる時間が減っていくのがわかった。

 

 でも、まだ、ここでは死ねない。

 あの亡霊……生き汚い悪霊はまだ、死んでいない。

 倒れ伏したまま、歯を食いしばって荒くなる息を飲み込んで、震える手でそっと魔法を使う。

 

 ――命が、杖を通して流れ出ていくような感覚。

 次で最期だ。

 

「……バジリスクを倒すとはね」

 

 リドルの声が近づいてくる。

 その表情は――もうあまり見えない。……構うもんか。私だってお前の顔なんか見たくない。

 

「だが、ハリエット・ポッター。代償が大きすぎた。君は死んだ。もうすぐ、『穢れた血』の恋しい母親の元に戻れるよ、ハリエット……」

 

 言っていろ。

 残った力をかき集めて見えているのは、地面に放ってある日記と、ドラコの顔だ。

 それだけでいい。力が湧いてくる。

 杖を握りしめて、痛みに抗って、震える脚に力を入れて、ゆっくりと、ゆっくりと立ち上がる。

 

「まだやる気かい? 驚いたな……そんな力が残っているとは。なぜそこまで――」

 

 憐れみを含んだような声音は――ああ、ありがとう。ここにきても最高に油断してくれている。

 口の端から垂れる血を感じながら、致命的に軋む身体を動かしながら、私は薄く微笑むことができた。

 

「――愛だよ、リドル」

 

 囁くように言った言葉に、リドルの顔が醜悪に歪むのが手に取るように分かった。ざまあみろ。

 歯を噛み締めて右手を振った。単純な浮遊呪文。もう動かないバジリスクの身体が砕いた像、その石の欠片をできるだけ――もうほんの数個だけど、浮かべて、射出――。

 それで全て尽きた。降った腕の勢いを堪えることもできず、バチャリと前のめりに倒れた。首を上げて石の行方だけを目で追う。

 飛んだ石片を、リドルは避けようともしなかった。

 

「魔法が無理なら物理攻撃なら効くと思ったかい? 残念だっ……ね、そ……ば、――」

 

 ああ、耳も聞こえなくなってきた。

 でも、やるべきことはやった。

 

 

 リドルを狙ったと思わせた石片、その一つが日記に突き刺さっている。

 

 たかが石の欠片が分厚い紙束を貫くことができるのか? 

 そんなわけない。

 

 うつ伏せに倒れたまま、震える右手だけ挙げてふっと杖を振った。

 自分の魔法を解くのに、力は要らないから。

 

「これ以上何を――」

 

 私が言う前に、答えは目の前に現れた。

 飛ばした石片……石に変身させられていたものが――バジリスクの牙へと戻る。

 

 

 

 私にもはっきりと聞こえるほどの、耳をつんざくような悲鳴が長々と響いた。

 日記からインクが迸って、亡霊はのたうち回り、叫び続け……そして消えた。

 

 

 

 静寂が訪れた。

 私の、自分でも恐ろしく浅いと思う呼吸だけが聞こえていた。

 

 私はきっと、助からないだろう。

 でも、ドラコは助かるだろう。

 私が助けたんだ。

 

 そう思うだけで、激痛に苛まれる身体を余所に笑みが浮かんだのがわかった。

 自分の成すべきことを成せたという達成感と、満足感があった。

 

 気のせいか、傷も不思議な温かみを持って、痛みが薄らいできた。

 身体全体もじんわりとした温もりに包まれているような気さえする。

 これが死ぬということなら、そんなに悪くない。

 

「おい……おい!? ポッター!」

 

 ドタバタと近づく足音が聞こえた。

 

「ふ、不死鳥……!? く、今はいい! おい、ポッター! 返事をしろ!」

 

 ごろりと仰向けに転がされた。目の前にドラコの顔があった。なぜか反対には不死鳥の顔もあった。

 傷を見たのか、ドラコの表情が悲痛に歪む。

 

「ドラコ……」

「そうだ、しっかりしろ!」

「あは……友達に看取ってもらえるなんて、私は幸せだったよ」

「不吉なことを言うな! 待っていろ、今、呪文を――!」

「無理だよ……バジリスクの、毒だもん」

「っ……!」

 

 絶句された。まあ、12歳が相手にするものではないよね。おまけ(ヴォル)もついてたし。

 

「僕の、せいだ……」

 

 歯の隙間から零れたような声だった。

 

「僕が、あんな本に手を出したから……! 今ならはっきりわかる、僕はどうかしていた!! あんなものに頼ったばかりに!」

「反省なんてドラコらしくない、けど――気づけたんだね」

 

 右手を伸ばした。はっと気づいたドラコが握ってくれる。

 あ、こんなシーン、いつかどこかで見たことがある気がする……。

 

「気にしないで、私がやりたくてやっただけ。その結果命を落としても、後悔はないよ」

「でも、こんな……!」

「がふっ」

「ポッター!!」

 

 口の中に溜まった血を吐く。

 それでも私は、ドラコを安心させようと微笑んで見せた

 

「ハリエットって呼んで、ドラコ……」

「ああ、ハリエット! 生きてくれ!」

「これからは、もっと人を思いやって……血筋に拘らず実力を認めてあげて……ハーマイオニーは、凄い子、だから――がふっ」

「わかった、わかったからもう――」

「好き嫌いなく、変な上から目線はやめて……」

「ああ、もちろん……ん?」

「下級生にも優しく、あと、テストで負けても拗ねないように……」

「…………」

「あと、今度お菓子奢って……」

「……………おい」

「バタービールとか……」

「おい、お前元気だろう」

「あ、バレた?」

 

 ぺい、と手を投げ捨てられた。酷い。

 

「よい、しょっと」

 

 上体だけ起き上がってみた。うあ、少しくらくらする。血が足りてないのかも。

 

「や、それにしても不死鳥の涙は凄いねえ。あんな傷でもこんな綺麗に治っちゃうなんて」

 

 左腕をしげしげと眺めてみる。直径3センチ程もあった穴は痕もなく消えていた。

 不死鳥の涙には癒しの力がある、とは聞いていたけど、こんなに強力なものだったとは。

 リドルが消えてからすぐに()()()いてくれたんだろう。

 ありがと、と言って傍らの不死鳥を撫でてみると、「構わんよ」と言う感じで美しく鳴いた。

 

「さ、帰ろうか、ドラc」

「待てえええ!!」

 

 大声に驚いて身を竦ませると、顔を真っ赤にしたドラコが詰め寄ってきた。

 

「おいお前ふざけるなよお前!」

「いやごめんごめん、つい出来心で」

「どれほど心配――いや、その……」

 

 この期に及んで言葉を濁すドラコに少し笑ってしまった。

 

「心配してくれたのはわかってるよ。ありがと。貴重な経験だったから、少し長めに体験したくて。ごめんね?」

「く、このっ――ああもう! 無事だったならいい!」

「うん。一件落着だね」

 

 顔を背けて拗ねてしまった。

 ……本当に、死ななくて良かった。ドラコに責任を感じさせないですんだ。

 

 とは言っても、全部紙一重だったのは間違いない。ぶっちゃけバジリスクの毒でリドルを倒せるかどうかも確証はなかった。なぜか()()はなくても()()はあったんだけどね。

 それに特に、この不死鳥が居てくれなかったら、間違いなく助からなかっただろう。作戦を一回お釈迦にされたけど、それ以降は本当にお世話になりました。実に都合よくバジリスクの解毒もできたしね! 

 ――いやほんとに、全部お見通しなんじゃないかと思うよ。

 

 とにかく、去年に引き続きハードだったけど、なんとか生き延びた。

 ギリギリの死の淵から生還したせいか、私もフラフラだ。帰ってお風呂入って寝たい。

 

 そんなことを思いながら立ち上がって、捨て置かれていた組み分け帽子と、インクが滴る日記を回収していると、ドラコが近づいてきた。 

 

「おい、ポッター」

「ん、ハリエットって呼んでくれるんじゃなかったの?」

「う、煩いな! いいから、どうやって帰る? 地下だろう、ここ。箒なしに飛ぶ魔法なんて使えないぞ」

「あ、私も、今は無理かも……お腹も空いてるし」

「そこなのか……いやそこだよな、お前は……」

 

 困った。最後の最後でこんなことで悩みたくない。

 

 と思っていると、ふわりと不死鳥が私たちの前を飛び、金の尾羽を振った。

 「掴まりな、嬢ちゃんたち」という感じだ。

 

 私たちは顔を見合わせて、何となく笑い合って、運んで行って貰うことにした。

 

 

 

「あ、忘れてた」

「何だ?」

 

 不死鳥に掴まる前に、杖を天に向けて唱える。

 

ディセンド(落ちろ)

 

 シュラッ、という金属の軽やかな音。そしてすぐに、天井から銀に輝く剣が降ってきた。

 手元に浮かべて見れば、たくさんの血糊に塗れても、その銀は美しかった。

 ドラコも興味深そうに覗き込む。

 

「こんな物も使ったのか……何で天井に刺さってたんだ?」

「今度話してあげる。私の武勇伝だよ」

「ふーん……持つよ」

「あら、ありがと。でも、すっごい重いよ?」

「おっと――そうか? そこまででもないが」

「………へえ~」

「何だよ」

「いや、ドラコって男の子だったんだぁと思って」

「今まで何だと思ってたんだ……」

 

 

 さっきまでの闘いが嘘のように。

 軽口を叩きながら、私たちは帰路についた。

 

 

 

 

 


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