「……リー! しっかりして!ハリー!」
「揺さぶってはいけない……大丈夫、すぐに起きる」
ぼんやりと声が聞こえる。
瞼越しに灯りを感じた。一時暗くなっていた列車内に、また灯がともったようだった。
「起きたのなら、これを食べさせておいてくれ。必ずだよ。私は運転手と話をしてこなければ」
コンパートメントを離れて行く足音が聞こえる。ゆっくりと、私は目を開いた。
「ハリー!」
「大丈夫?」
パーバティとラベンダーが心配そうに覗き込んでいる。
盛大に気絶したらしい。列車はもう動き出してるようだった。
「あなた、急に気絶したの! 覚えている? 私がわかる? あなたの姉だけど!」
「……隙あらば偽の記憶植え付けようとしないで、ラベンダー」
「はぁ、何バカなこと言ってるの」
軽口に安心したようにため息を吐いて、パーバティは四角い銀紙の包みを差し出してきた。
身体に力が入らないけど、頑張って受け取って、まだ心配そうな顔を見上げる。
「チョコレート?」
「そうよ。さっきまでいた……先生?から貰ったの。私たちが騒いでたら来てくれて」
「名前も聞く間もなく行っちゃったね。新しい防衛術の先生かな」
まず間違いなくルーピン先生だろう。話す間もなく行ってしまったようだけど。
二人の腕を借りて危なっかしく座席に座る。
チョコレートは吸魂鬼による鬱状態を緩和する効果がある。
流石に食欲はないけど、包みを破いて無理矢理食べる。少し、身体に熱が戻ってきた。
「パーバティとラベンダーは? 食べなくて大丈夫?」
「私たちは大丈夫。ハリーが食べて。あなた、顔が真っ青だから」
確かに、重たい風邪をひいた時のような身体の重さだ。傍から見てもかなりヤバいらしい。
私から見る二人は特に変わった様子もない。今までに、トラウマになるような体験はしていないらしい。うん、良いことだ。
チョコを食べながら思い返してみるに、私の感じたのは両親が殺された時のトラウマではなかった。
何と言うか、「全てを失敗したとき」のトラウマというか、恐怖を思い起こさせられた。
あの底なしの恐怖……
思わず嘔吐きそうになって、口を押さえる。
「ハリー……!」
ラベンダーが手を握ってくれて、パーバティが背中をさすってくれる。
何度か無理矢理に大きく呼吸して、気持ちを押し静める。
大丈夫、大丈夫だよ。
残ったチョコレートを勢いよく全部口に押し込んだ。
「いやあ、情けないなあ! 1人だけ気絶しちゃうなんてさ」
「ハリー、無理してない?」
「大丈夫。感情なんて、実際に起こることに比べたらなんでもないわい!」
少し強がって言ってみるけど、強がりだっていうのはバレバレみたいだった。
困った子供を見るように眉を下げたパーバティが言う。
「少し休んだら着替えないといけないわ。もうすぐ駅に着いちゃうから」
「そうなのね。どうする? 手伝う!?」
「いや、それはホントに大丈夫」
少し過保護すぎると思ったけど、そういえば彼女たちからすれば、秘密の部屋の事件もまだ記憶に新しいんだろう。
年度早々、また心配をかけてしまった。
でもこの年になって、友達に着替えさせてもらうのはさすがに恥ずかしい。
ホグズミード駅に到着してからは、セストラルの牽く馬車に乗って城へ向かう。
夜風を浴びながら馬車に揺られているうちに、気分も大分楽になって来た。
校門の前に到着して、馬車からぴょんと飛び降りると、ドラゴンのような翼を揺らして引き返して行く。何台もの馬車でぐるぐるローテーションしているみたいだ。
3人で歩き出そうとしたとき、聞き覚えのある声に呼び止められた。
「ここにいたのか!」
振り向くと、ドラコ・マルフォイが立っていた。
2年生のときより、背がかなり伸びている。少し声変りもしたようで、声の印象がかなり違った。
ラベンダーとパーバティは、ドラコを見ると「あらあら」と口に手を当て、「あとは若いお二人で」と言い残してすたこら先に歩いて行った。仲人か何か……って、あれ? こんな展開あったっけ?
ドラコはニヤニヤ去って行く二人に構わず、私にずんと近づいてきた。
思いがけない剣幕にじりっと後退りする。
「おい、もう平気か? 気分はどうなんだ」
「えっと、元気だけど……」
「チョコレートは食べたか? あれは吸魂鬼の症状によく効くんだ」
「うん、食べた。防衛術の新しい先生がくれたから」
「そうか………ふん、ようやくまともな教師が見つかったってわけか」
取ってつけたように憎まれ口を叩くドラコを見て合点がいった。
私が気絶したことを聞いたのだろう。それで心配してくれたと。待っていてくれたと。
……や、優しい!
優しすぎる。原作とは一体――!
何だか感動してしまって、両手を握ってぶんぶん振った。
「ありがとう……ありがとう、ドラコ!」
「とっ、突然倒れられたら誰だって心配する、だろ!」
ぺっ、と手を投げ出される。
そのまま踵を返して、学校に向かって歩き出してしまった。と思うと立ち止まり、肩越しに私を見た。
「おい、早く行かないと宴会に遅れるぞ」
「あ、うん!」
早足で歩くドラコを、小走りで追いかける。
「ねえ、休みはどうだった? どこか旅行とか行った?」
後ろから話しかけると、面倒そうに眼の端で見つつも答えてくれた。
「……行ってない。去年のこともあるしな。大人しくしていたよ、父上も」
「ああ、そっか――」
2年前の騒動を引き起こしたのがルシウス・マルフォイだと、知る者は知ることになった。その直後に豪遊していることが知られれば、印象は良くないだろう。
「ルシウスさん、私のこと怒ってた?」
「まあ、最初はな。でも、母上がお前の味方だからな……父上は勝てない」
「勝てないの?」
「ああ、勝てない」
女が強いのは魔法界でも同じのようだ。
しばらく黙っていた後、ドラコが付け加えるようにぽつりと呟いた。
「母上がお前をまた連れてこいと煩いから……またそのうち招待することになるかもしれないが」
わお。
「それは、ええと……お呼ばれさせていただきます?」
「ああ」
思っていたよりナルシッサさんに気に入られたみたいだ。
意外、だけど……全然悪いことじゃないよね。
いつの間にか校庭を抜けて、開け放たれた玄関に差し掛かった。
この辺りに来ると人も集まってきて、ドラコがちょっと離れようとするのが面白かった。
「そういえば」
大広間に入る前、ふと思い出したように、ドラコが言って立ち止まった。
私も立ち止まってその顔を見た。悩んでいるような、迷っているような顔だった。
「どうしたの?」
「いや、お前は――」
「ポッター! 話があります。おいでなさい」
不意に呼ばれて、ビクッとして見回すと、マクゴナガル先生がこっちを見ていた。
多分、汽車で気絶したことについてだろう。原作でも呼び出されていた。
ドラコを見ると、「行ってこい」という様に手で払われた。失礼な。
まあ、何を言いたかったのかは想像がつく。シリウスのことだろう。私の両親の仇だってことをルシウスさんに聞いているはずだし。
「また今度ね」
そう言って手を振って、先生の元へと向かった。
*
マクゴナガル先生と話してから宴会に戻ると、組み分けの儀式は終わってしまっていて、校長先生の話が始まるところだった。
私はこっそりと生徒の間をすり抜けて、パーバティの隣に滑り込んで落ち着いた。
ダンブルドア先生は、吸魂鬼が学校の入り口や抜け道に配備されるから十分注意すること、そして新任のルーピン先生とハグリッドを紹介した。
私自身、吸魂鬼対策をしておかなきゃならない。とんでもないポカミスで忘れてしまっていたけど、守護霊の呪文は覚えておかなければいけない。来年以降に必要になる可能性も高いし。
それから食事タイムが始まって、私は久しぶりの寮生たちと話したり、いつも通りドカ食いしたりした。
宴会が終わると、生徒たちは寮生ごとに大広間を出て各々の談話室に向かった。
私も疲れと満腹感でちょっとだけうとうとしながら廊下を歩く。
このままベッドにダイブをしてしまえばどんなに気持ちいいかと思うけど、それはまだお預けだ。頭を振って眠気を追い払う。
今回は開幕速攻。ロンを探さないと。
周りはみんなグリフィンドール生だけど、見回しても見当たらない。
男の子に聞けばわかるかな?
「フォルチュナ・マジョール」とパーシーが唱え、太った婦人の大きな肖像画が開いた。
目を輝かせた新入生たちがの後を付いて談話室へ入る。
新入生の人数を数えて「おかしいな、一人多いぞ……?」とか言っているパーシーの脛を強めに蹴飛ばしてから、男子寮への階段に向かおうとしているシェーマスに小走りで駆け寄った。
「シェーマス!」
「やあ、ハリー。休みはどうだった?」
「後半はずっと『漏れ鍋』に……って、ごめん、その話はまた今度でいい? ずっとロンを探してるんだけど、上にいる?」
「いや、いないよ」
シェーマスは考える素振りすら見せずに首を振った。
「まだ談話室に来てないはずだよ。大広間出たところで別れたから」
「あ、そうなんだ……どうして?」
「それは――ほら、本人に聞きなよ」
シェーマスが私の背後を指さした。振り返って見れば、話題のロンが談話室へ入ってきたところだった。
「そうするね。ありがと、おやすみ! また明日」
「ああ」
忙しなくロンの元へ向かった。
初日から夜更かしする生徒は少なく、談話室も閑散とし始めている。
ロンに近づくにつれて、その表情が沈んでいるのがわかった。心配事でもあるかのように顔をしかめて歩いている。
近づく私にも気づかない様子だった。
決して小さいからではない。
「ロン?」
「……ん、ああ、ハリーか。ごめん、気づかなかった」
「うん」
上の空だったからね。ハグリッドにだって気づかないだろうね。
まあ今はいい。とにかくスキャバーズのことを――
「……何かあったの?」
――聞こうとしたけど、見るからに落ち込んでいる顔を見て、思わずそう尋ねてしまった。
困っているなら力になりたいし、それを放っておくような人でなしにはなりたくない。
うん。ネズミのことは、一旦横に置いておこうじゃないか。
私の言葉に、ロンはのろのろ頷いて短く答えた。
「スキャバーズが逃げた」
置けてなかった。
直球ど真ん中の話だった。