続きませんが、いつかある程度の技術がついたら続きを書くかもしれません。
人ならざるモノが見えない少年と見える少女のはなし
「見えないの? そこにいるのに」
この世界には、人ならざるモノが数多く存在している。いわゆる妖怪、幽霊、妖精、神の使い……そんな類。
いや、「いる」というのは語弊があった。訂正すると「いるらしい」。僕には“それら”を見ることができないのだ。目が悪いというわけではない、何がそれを分けるのかはわからないが、まるでフィルターがかかったのかのように“それら”だけが消えて見えるのだ。
この話を「彼女」にすると、いつも不思議がられる。「彼女」は“それら”を見ることができるからだ。当たり前に見てきた「彼女」にとっては、僕の感覚は不思議でしかないのだろう。
今更欲しがってもどうにもならない話だが、やはり人より劣っているというのは悔しいものだ。一度でいいから“それら”を見てみたいと思う。「彼女」は見てもいいことなんてないと言うが、いつまでも姿を知らないままなんて嫌だ。
「そこに、幽霊いるから」
「彼女」に腕を引かれる。見えない僕がぶつかっても意味はない(すり抜けるだけだ)が、気をつかってくれたのだろうか。“それら”の存在を知りたい僕のために。
やっぱり、見える方がいい。
「ごめん、見えない」
この世界には、人ならざるモノが存在している。主に幽霊、まれに妖怪や妖精、神の使いなんかも見ることがある。“それら”は当たり前に私達の生活に溶け込み、互いに認識しながらも干渉しないというラインを保って存在している。
しかし私の友人である「彼」は、“それら”が見えないという。初めて聞いたときは驚いた。
何故なら、“それら”が見えるのは当たり前だからだ。
幽霊も妖怪も妖怪も神の使いも、見えることが当たり前。人口のほぼ100%が“それら”を見て暮らしている。むしろ「彼」は極めて珍しい人間だ。見えないことが判明した頃は、研究施設にいたらしい。
「彼」に言わせると、“それら”にのみフィルターがかかったかのように見えないという。何故そうなるのだろうか。例えばそれが犬だったら、犬がいる所だけ風景が見えるのか?
「そこに、幽霊いるから」
曲がり角に幽霊を見つけた。「彼」の腕を引いて避けさせる。今のは交通事故だろうか。あまり体が原型を留めていない。
当たり前に見てきたから慣れてはいるが、幽霊というのは基本的に亡くなった時の姿をしている。病死はまだマシだ。酷いのは事故や殺人。慣れというものはあっても、朝から原型を留めていない人間なんて見せられて、いい気分になる訳がない。最近は社会問題にもなってきて、“それら”をどうにか不可視化する研究が始まっている。
「彼」は、生まれたときから“それら”の無い世界を生きている。いや、存在はあっても実体は知らず、私達とは違って、見えないモノに夢を持って生きている。羨ましい力だ。
見えない方が、幸せだった。