「あっ……、キャスター?」
問いかけても返事はない。そこにはただ火柱があるだけだ。
それでも僕は消え入りそうな声で問いかけた。
「キャスター?」
当然何度呼びかけても返事などある訳がない。対魔力の高い三騎士なら瀕死くらいで済むかもしれないが、僕のキャスターに対魔力はない。
(僕のキャスターは死んだ? キャスターは死んだ。もう、帰っては来ない)
頭で考えるより先に身体が動いた。受け入れられないと心が叫ぶ。火柱で見えないトリックスターを睨み据えて、僕は突撃……したかった。
実際は一歩も踏み出せず、襟首を捕まえられて持ち上げられ、後方に投げ飛ばされた。地面に激突するよりも早く男の腕に抱えられた僕の視界からは、火柱に突撃するバーサーカーが見えた。
「今は引くぞ」
簡潔に一言だけ、氷室一徹は僕に向かって言うと踵を返して走り出した。
背後が気になり何度も振り返ったが、そこにはただ火柱が立ち昇っているだけだった。
〜数日後〜
僕は町の外れにある教会に来ていた。宗教を気にしたことはなく、特に興味もなかったため、実際に訪れるのは今回が初めてだ。
その教会は立地条件が悪いからか建物がやや傾いていて、埃等の汚れが見当たらない割にはみすぼらしい外観、内装だ。喜んで立ち寄る高校生なんて僕の友人くらいだろう。
そんな教会に来た理由はただ一つ。令呪の返還だ。
僕はキャスター・アダムがトリックスターのキャスターに倒されてから、ずっと、体調を崩してしまっていた。あの退却戦っきり氷室一徹からの連絡は途絶えたままだったが、そろそろ学校に通えるくらいに体調が回復したころに、サーヴァントを通してその後の亜種聖杯闘争の経過を報告してくれた。
驚いたことにこの闘争はもう終盤に差し掛かっていた。気がつけば残りのサーヴァントはバーサーカーを含め三体となり、それぞれが漁夫の利を狙う膠着状態になっているらしい。
この状態を解消するため、監督役の人物は期日を設け、その日までに決着がつかない場合は令呪を一画返還させるというルールを追加した。返還する令呪が尽きた段階で強制的に脱落となる。
ここで厄介なのは残りの三体の内の一体がアサシンであり、そのマスターは令呪を使い切っていることだ。死に物狂いで期日まで足掻くことだろう。そこで、もし。
アサシン組が君を見つけたらどうするだろうか……?
「ようこそ脱落者。ここは中立にして不可侵の領域。汝の生命は今、ここに保証された」
神父、祭司、牧師のどれとも言い難い出で立ちの人物に迎えられ、僕は令呪を返還するために手術を行う運びとなった。
「えっと、僕の令呪は胸にあるんですが、服を脱いだほうがいいですか」
「是非そうしてくれ。わざわざ手術の失敗率を上げるのもおかしかろう。それに……」
「それに?」
「薄々気づいていると思うが、場所が場所だ。失敗すると命に関わる」
「……それでも毎日命を狙われて過ごすよりはマシです。僕にはもう戦う理由もないですから」
そうだ。戦う理由はキャスター・アダムと共に霧散した。彼と共に勝ち抜くことこそ、僕がこの闘争に関わる唯一の理由だった。
僕はベッドの上に横になり、上着から順番に脱いでいった。近くの椅子に腰かけた監督役は会話を続けた。
「ところで。君は本当にこれで良かったのかね。まだ令呪はある。君が望む限り、どんなに勝ち目は薄くとも戦い続けることは出来る。せっかくこちらの世界に来たんだ、もっと楽しんだらどうかね」
服装で人を判断するなんて僕もまだまだ甘い。こいつは祭司、神父、牧師のどれでもない。倫理のカケラもないただの狂人だ。
「僕が一人で戦い抜くなんてとても、とても。本当に死ににいくだけですよ、それは」
僕は服と共に投げ捨ているように答えた。
「そうか、それは少し残念だ。しかし、同時に私は嬉しくもある」
「え?」
その言葉の真意も知る由もなく、僕は深い眠りに落ちていった。
これは夢だ。今までになく曖昧な感覚だが、同時に心では確かに分かる。
僕はある男を一部、不透明な感覚で見ていたのだ。知識の探求に一生を捧げた男、アダム・スミスという学者の一端を。
そして、今までの不可解な夢が全て彼の記憶だったということが分かった。
「なぜだ。こんなにも苦しい人々がいるのに、見て見ぬ振りができるのだ。どうして心が痛まない。一体どれほど歴史が進めば皆が皆を思いやれる世界になれるのだろう」
男は悲しかった。結局の所、自分が出した本が出て何年も経った21世紀でも、誰かを思いやる世界はまだまだ遠いという事実に直面しただけだった。
「確かに私の生きていた時代よりは明らかに平和だ。特にこのニホンという国はその傾向が顕著だと言える。しかし……」
男は複雑な気持ちだった。サーヴァントとなった今でも共感する能力を高く持ち続けていた。いや、寧ろキャスターというクラスのせいか新しい魔術という広がった世界はより他人への共感を促進させていた。
「所詮は仮初めの平和。皆満たされぬ故か、暗い顔をして他人を、ひいては自分を疑って生きている。生きているのか、死んでいるのか、心は乾いたままだ。これでは戦争という大義名分も市民にとっては必要最低限の悪だったのかとさえ錯覚する。望むもの、望まないもの両者にとってもだ。……マスターが君のような若者で無かったら、世界の破滅を願っていたかもしれないな」
キャスターは一呼吸を置くと、独白を再開した。
「私は家庭教師だった頃を思い出していた。あの時は……まだ私は分からないことだらけで、自分のことで精一杯だった。仮にも先生だというのに。まあ、それほど生きること、学ぶことに必死だったという訳で勘弁して欲しい。だからだろうか。一度死んでお粗末にも英霊という影法師の立場で家庭教師をすることは新鮮だった。君はどうだったか知らないが、亜種聖杯闘争に関わるより何倍も家庭教師を務めている時が幸せだった。これが教え、教えられるということかと実感出来た。そして同時に希望を持つことが出来た」
正直なところ僕は生きるのに精一杯でそれどころではなく、話半分に聞き流していたのが現実だ。でも、でもだ。僕の何処に希望を感じたのだろうか?
「詳しい説明は君の部屋の使ってないノートにメモしておいたから、家に帰ったらじっくり読んでくれ。今言えるのは君の根元が恐らく破滅のような自身に対して危険なものであるということだ。令呪を無理矢理身体の中に埋めて込まれたことで変質したのか、元からなのかは定かではない。そして私は気がついた。こんな危険な性質を持つ君でも十分に分かり合えること、それがささやかでいて確かな希望になったんだよ」
なんとなく上辺だけは理解できたが、本当にそんな小さな希望で良いのだろうか。話のスケールが違いすぎて、とてもじゃないけど実感が湧かない。
「ああ。こんな小さな希望だからいいんだよ。それに時にはその乾いた心が助けになることもある。亜種聖杯闘争という非日常の夢から自力で目覚め、今一度現実を生きていくことへのね」
それは、流れでというか、死にたくないからというか。……あぁ、そうゆうことか。
「よかった。これで家庭教師として教えるべきことは教えられたかな」
そう呟くと夢の中のキャスターは背を向けて歩き出した。え、これでお別れなのか。
「これがロ、いやトリックスターのキャスターとの契約だからね。今ここに契約は成立した」
確実に遠ざかるキャスター、身動きできない僕。必死にかける問いももう彼には届かない。
最後に彼はゆっくり振り向いて、屈託のない笑顔を浮かべた、ような気がした。
エピローグに続く