転生者の魔都『海鳴市』   作:咲夜泪

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07/前夜

 

 

「――何故、助けたの? 貴方にとって私は利用価値の欠片も無い筈だけど」

「行き掛けの駄賃だ。そして将来を見越した先行投資という処かな」

 

 ――其処は第九十七管理外世界『地球』、日本の海鳴市の一病院。

 

 プレシア・テスタロッサは永らく途絶えていた意識を取り戻し、彼女の記憶の時系列では事前に交渉していた相手と対峙する事となる。

 真に『万能の願望機』を保有する魔都の魔人『魔術師』神咲悠陽。こうして実際に会うのは初めての事である。

 彼は聞かれてもいないのに丁寧に、彼女が管理局に捕らえられた後の経緯を淡々と説明する。

 

 管理局に拿捕され、冗談の如く人権も何もかも無視して永久冷凍刑に処され、それを人質にフェイト・テスタロッサはその手を血で穢した顛末を――。

 

 この眼の前の油断ならぬ男から与えられた情報を鵜呑みにするなど自殺行為を通り越した愚行だが、彼女の娘の、フェイト・テスタロッサのデバイス『バルディッシュ』の記憶媒体は、それが凡そ真実であるという結論を彼女に下させる。

 むしろ、彼の言葉が全体的にオブラートに包み隠したものであると思えるほど、凄惨で耐え難く悲惨な記憶だった。

 

 ――そして彼は、此処での暮らしを無条件で支援すると、在ろう事か提案した。

 生活に困らぬ程度の資金援助、戸籍、生活基盤を用意するとまで。怪しいを通り越した提案だった。

 

「見え透いた嘘ね。貴方はあれに何の期待も抱いていない。利用価値すら見出していない。違くて?」

 

 そう、その提案は彼にとって一文の得にもならないものであり、むしろ論外と言える。

 提示された条件には何処にも彼にとっての利が見えず、どんな聖人でも疑心暗鬼に陥るような状況だった。

 

「貴方が私達を無償で庇護下に置いて、尚且つ採算の取れる見込みの無い資金援助している。今の状況は異常極まりないわ。一体何を企んでいるのかしら?」

 

 そして更に不可解な点は、詐欺師の常套手段である『信じさせる努力』を、この眼の前の男は全くと言って良いほど行っていない。

 その能力が無いとも思えない。だが、今の彼は気怠さが前面に出ており、両眼を閉ざした無表情からは何も感じ取れない始末である。

 彼は面倒そうに考えるような素振りを見せて、深々と溜息を吐く。

 

 

「私が突きつける条件は唯一つだ。――プレシア・テスタロッサ。貴女はアリシア・テスタロッサの母としてではなく、フェイト・テスタロッサの母として死ね」

 

 

 残り少ない余命をもう一人の生きている娘の為に使えと――それが、彼女にとって何よりも耐え難い所業である事を全知しながら、『魔術師』は淡々と告げる。

 

「……今更、母親として接しろと?」

「あの娘にはそれが必要だ。亡くなった娘の十分の一でもいい、実の娘として接してやれ――実の娘をその手で殺した男の言う台詞では無いがな」

 

 くく、と、『魔術師』は力無く自嘲する。

 目の前の人間から初めて人間らしい感情が見て取れる。後悔、遺恨、憐憫、憎悪、悲哀、忙しく揺らめき、やがて消え失せて虚無となる。

 

「……理由、か。ただのくだらない代償行為さ――」

 

 

 

 

 ――彼女、紫天の書の王、ディアーチェにとって、プレシア・テスタロッサとは臣下の一人の素体となった少女の親という縁遠きものである。

 事実、生前では出遭う事は無く、今日執り行われた――『魔術師』が形式上の喪主を務めた葬式にて一目、その死に顔を見ただけの縁である。

 

 フェイト・テスタロッサが母の死を嘆き悲しむのは当然の事。

 だが、この葬儀にてもう一人だけ、まず在り得ないと思える人物がこの一件で精神的衝撃を深く受けている。それは――。

 

「ねーねー、それって美味しいの?」

「別に。ランサーと違って、私は特別美味しいとは思えないな。健康面の観点から見るなら、遅効性の毒物に他ならないだろう」

 

 レヴィは不思議そうに紫色の液体をガラス越しに眺めながらその人物に尋ねる。

 その人物は、ガラスのグラスに注がれたワインを無表情に飲み干し続ける、『魔術師』神咲悠陽に他ならない。

 

「おいおい、コイツの旨味を解らないなんざ人生の八割は損しているぜ」

「私の人生の八割は酔う余裕など無かったがな」

 

 同じくグラスに注ぎ込まれた酒を美味そうに堪能しながら「なるほど、ちゃんと八割損って訳だ」とランサーは面白可笑しそうに笑う。

 今のこの状況がどれほどの異常かと言えば、ランサー恒例の夜の酒盛りに『魔術師』が加わり、同じペースで飲み続けている事から強く克明に察せるだろう。

 

「? じゃあ、何でそんなの飲むの?」

「素面でいる事に苦痛を感じたからさ、それに伴う一種の現実逃避だろう。今回の件は私とて色々思う処がある」

 

 ランサーと違って『魔術師』は味わいもせず飲み干し、その都度にランサーは空のグラスに酒を継ぎ足す。

 

「……あの女は哀れな女さ。子に先立たれる事ほど親にとって不幸な事は無い。子が親を看取る事こそ、正しい生命の在り方なのにな」

 

 ぽつぽつと、『魔術師』は独白するように言う。

 気のせいではないほど顔は赤くなっており、当人の言うように明らかに酔っていた。

 

「今回の事は、フェイト・テスタロッサにとっては避けようの無い凶事ではあるが、プレシア・テスタロッサにとっては最良の幕引きだ。子に看取られて天命を全う出来たんだ。それ以上の結末はあるまい」

 

 『魔術師』は注がれた杯を静かに口にする。

 こういう個人的な感傷をディアーチェ達の前で話すのは、やはり初めての出来事だった。

 普段喋らない事を頼んでも居ないのに喋ってくれるのだ。ディアーチェは興味津々と耳を傾けていた。

 

(ふむ、此処まで口が軽くなるとは、酒とは侮りがたいな……!)

 

 ――彼女、ロード・ディアーチェにとって『魔術師』とは乗り越えるべき壁である。

 

 彼女達は様々な思惑が折り重なって、常にプログラムの海に閉じ込められ続けてきた。

 そう、三体の『マテリアル』が同時稼働している奇跡に等しい今現在こそ、真の自由を掴み取る千載一遇の好機に他ならない。

 最後のピースである『砕け得ぬ闇』を解放した時、立ち塞がるのは『魔術師』であるのは明白であり、弱味の一つや二つぐらい握ってないと話にもならないだろう。

 

(貴様に打ち堕とされた屈辱、忘れようとて忘れられないぞ……!)

 

 漸く自由になったその時に、身動きを封じられて地に這い蹲って敗北を喫した。今は雌伏の時であると我慢し、虎視眈々と雪辱の機会を待ち侘びていた。

 

「……不謹慎だが、少しだけ彼女の事が羨ましく思うのだよ。それに対する自己嫌悪を許容出来無くて、酒精で誤魔化しているのが現状か。腹立たしいな、全く」

 

 一気に飲み干し、『魔術師』は更なるお代わりを無言で要求する。ランサーもまた受け答えせずに無言で杯に酒を注ぐ。

 誰の眼から見えるほどオーバーペースで飲み続ける『魔術師』に、これでは先に酔い潰れてしまって情報収集どころの話じゃなくなる事を恐れたディアーチェは少しだけ注意を促す。

 あくまでもそこが主題であり、決してこの性悪『魔術師』の安否を心配した訳ではないと、誰にするまでもなく心の中で全力で言い訳する。

 

「……いい加減飲み過ぎだ、それ以上は身体を壊すぞ」

「解ってはいるが、止められないものだ。この一時の酔いに溺れていたいのだろうさ。思考を鈍らせて心を堕落させて、目の前の絶望から一瞬でも背けられるように――」

 

 制止の言葉を掛けられ、『魔術師』は手慰めにグラスの中のワインを回す。盲目の眼差しは、一体何処を見据えているのだろうか――。

 

「――昔話をしよう。在り来たりで退屈な話をな。一回目の私は二つだけ悔いを遺した。一つは両親より先に逝った事、もう一つは子の行く末を見て逝けなかった事だ。私は『親不孝者』であり、どうしようもないほど『子不孝者』さ」

 

 それは『魔術師』の、いや、神咲悠陽の独白のような罪の告解だった。……が、途端、ディアーチェの予想を反して不機嫌極まるという具合に表情が露骨に歪む。

 

「……はぁ、あの『糞野郎(両親)』どもより先に死ぬとかマジ在り得ねぇ。心にも無い弔辞吐いて、やっとくたばりやがって、死んでくれて清々したと見送る事が生き甲斐の一つだったのに」

「いやいやいやっ、お前にとっての『親不孝者』の基準とは一体どうなってるんだ!?」

「親への『憎悪(愛情)』とそれは別問題だ。幾ら憎もうが愛しようが、親であるという事実には変わりないからな」

 

 ディアーチェのツッコミも何のその、彼の中では『親孝行』と親への『憎悪』は両立しているという事となる。

 口調そのものはいつもの変わりないが、やっぱり酔っ払っていて世迷い事を吐いているのではないか、そんな懸念をディアーチェに抱かせた。

 

 ――目の前の彼が三回目の人生を歩んでいるという、人間の中でも特異な生い立ちを辿っているのは前にも聞いた話だ。

 

 だからこそ、その悔いが二つだけという処で引っ掛かりを覚える。

 そう、子が居るなら、当然、あるべき者への配慮が何処にもない事に――。

 

「……まぁ、それはともかく。一回目の伴侶には、何も想う処が無いのか?」

「不思議と無い。あれは私が居なくても逞しく生きていけるだろうからな」

 

 悠陽は一片の迷い無く断言する。……本当に、一回目においては普通の人間だったのか、此処に居る誰もが疑問に思っただろう。

 自称はあくまでも自称に過ぎないかと、ディアーチェは呆れながら頭を抱えた。

 

「一応補足しておくと、私と彼女に一般的な『愛情』や『情愛』という概念は無かった。――話せる女友達という適度で心地良い位置関係だったが、彼女の失恋話に酒の席で付き合ったのが運の尽きだったか。まさか一夜の間違いで見事的中するとはな」

 

 やぐされた顔で「責任を取って『人生の墓場(結婚)』にゴールするという身も蓋も無い話だ」と酒を呷り、エルヴィは主の惨状に「うわぁー」とドン引きし、「やっぱお前って女運無ぇなー」とあっけらかんに笑うランサーは酒を継ぎ足す。

 外見年齢九歳の少女達に話すには生々しい話である。免疫の無いディアーチェは自身の頬の赤みを自覚していたし、シュテルの方は目線を逸らして赤くなっているし、レヴィに関しては意味が解っていないのか首を傾げていた。

 

「……最初、生まれてくる我が子を愛せる自信が無かった。元より『愛』という感情など身勝手な性欲や劣情を都合良く格好付ける言葉程度の認識しか無かった。私の両親もまた幼い頃に散々喧嘩した挙句に離婚しているしな、其処に一抹の幻想すら抱けなかった」

 

 レヴィは意味が解ってか解らないでか「複雑な家庭ってヤツだねー」と適当に相槌を打つ。

 

 

「――けれども、生まれてきた我が子を見て、少しでも力を入れれば砕けてしまいそうな、脆くて弱々しい小さな生命をその手に抱いて、私は思ったんだ。これでもう自分はいつ死んでも構わない、と――」

 

 

 ……一体全体、どうしてそんな結論になるのか、ディアーチェには全く解らなかった。

 それは彼女がプログラムに過ぎないからか、それとも『魔術師』が余りにも常識的な人間とはかけ離れた精神性をしているからか――判別が付かない。

 

「……ちょっと待て。何でそうなる? それと、一回目は普通の人間だった、という以前の言葉は途方も無い戯言か?」

「全くもって心外だな。……まぁこれは、子を実際に持った事の無い者には理解出来ない感情だろうさ」

 

 あはは、と『魔術師』は今までで見た事の無いテンションで笑う。

 酔いによって感情の揺れ幅が増大しているのだろう。でなければ、身の上話など未来永劫口にしなかっただろうし――。

 

「何はともあれ、それからの私は我が子に出来る限り、私の生きた証を残してやる事に躍起になった。あれに看取られて天寿を全うするなら、悔いなど遺らなかったのだから」

 

 良くは解らないし、彼女達にそれに相応する存在は無かったが――これが彼の人並みに生きた頃の、父親としての一面なのだろうか?

 それについての自分の感情が整理する間も無く、『魔術師』の珍しく邪気の無い笑顔は即座に陰りを見せた。

 

「――私の『二回目』の人生は今考えるとボーナスゲームなどではなく、単なる罰ゲームだったようだな。在り得ない選択と機会が得られてしまったせいで、一回目に生きた世界に帰還してその後の自分の家族達を見届けよう、などと一生涯賭けて血迷ったのだから」

 

 その独白に一番驚いたのは、彼のサーヴァントである『ランサー』だった。

 

「……おいおい、それが『聖杯』を望んだ本当の理由かよ?」

「そうさ、ランサー。実に笑えるだろう。魔術師どもの悲願たる『魔法』を、そんな取るに足らぬ些細な我欲の為に目指したのだからな――」

 

 くくく、と暗く嘲笑しながら「他の魔術師が知れば、発狂物だろうな」と、勝ち誇ったように哄笑する。

 笑って笑って笑い続けて、声が乾き切った頃には、それはいつの間にか自嘲に成り果てていた。

 

「けれど、此処で気づくべきだったんだ。確かに一回目の私は『親不孝者』ではあるが、『子不孝者』では無かったと――親が先立つのは当たり前の話で、それは覆すべき理では無かったんだ」

 

 水代わりにワインを喉に流し込み、一息吐く。

 発狂したかのような哄笑から転じて緩慢な憂鬱に変わる。それこそが彼の辿った波瀾万丈の人生そのものだと言わんばかりだった――。

 

「――先天的な素養か、死を体験した賜物か、はたまた前世の残り香か。『二回目』の私が保有した魔眼は規格外極まるものだった。人間風情に神代の魔眼が宿るなど、悲劇でしかない」

 

 『魔術師』は自身について多くを語らない。

 秘匿すべき情報は徹底的に隠し通す性分であり、自身の魔眼についても今まで『マテリアルズ』の三人娘に話した事は無かった。

 

「一回目の最期から、私の眼は『死の形』を網膜に、いや、魂の奥底まで刻み込んでしまったのだろうな。それ以来、私が視るのはいつもいつも同じ地獄だ――『死』が視えずとも『死』が眼下に顕現されるか。『死の線』が視えずとも衝動的に潰したくなる」

 

 そう言って『魔術師』は自身の閉ざされた両の眼に指を置いて圧迫する仕草を見せ、彼女達を、特にエルヴィをひやりとさせる。

 一瞬本気で潰すのでは、とディアーチェに危惧させたが、彼の彷徨う指は両眼を潰す事よりも、理性を濁らせる酒の杯を優先した。

 

「一般人としての常識を引き継いだまま、私は第二の母親を焼き殺した。――『親不孝者』の次が『親殺し』だとはな」

 

 「あっはっは……!」と、『魔術師』は狂ったように悶え笑う。

 ガラスの杯を持つ手は小刻みに震えており、その身に宿る憎悪は如何程のものか、余人には察せないほど膨れ上がっていた。

 

 ――その矛先は余りにも理不尽過ぎる運命に、だとかそういうあやふやなものではなく、おそらくは、自分自身に対してなのだろう。

 

「この瞬間、私は一般人としての感性を完全に捨てざるを得なかった。魔術師としての常識で理論武装しなければ、こんな事は許容出来なかった。そんな安易な逃げ道を選んだ――あの世界の魔術師は、必要あらば親子供も殺す。自分の犯した覆せぬ過失も日常茶飯事なのだと言い訳して」

 

 それは自己嫌悪どころか、もはや自己憎悪の領域であり、酒の進む速度が更に増す。

 

「……初めの内は塗り固められた。蒼崎橙子や荒耶宗蓮、衛宮切嗣などの理想的な魔術師像を前世から知っているからな、私は誰よりも魔術師足り得た」

 

 平坦な口調で、『魔術師』は抑制無く淡々と話す。

 落ち着きが戻ったと思いきや、彼の形相が深い深い奈落のような絶望を前に歪む。

 

「……この時、保険として産まされた次代の後継者が、まさか一回目での私の実の娘だったとは。何で気づけなかったのだろう……?」

 

 ……暫し、重い沈黙が場を支配した。

 酒を呷る事さえせず、彼は嘆く。今の彼は、驚くほど空虚であり、全盛期を誇る十八歳の青年の身でありながら、枯れ木のような老人のように小さく見えた。

 

「歯車が狂ったのは『第二次聖杯戦争』に参戦した事でもなければ、一回目の世界に帰還しようとしたからでもない。『彼女』を、よりによって『彼女』を召喚したからだ――」

 

 ――『彼女』。その言葉にはどれほどの想いが籠められていただろうか。

 

 虚無だった彼に感情の色が再び灯る。

 それは熱に浮かれたような情熱の色のようでもあり、遠き彼方を見据える羨望の色のようでもあり、初々しいまでの恋情の色のようでもあり――打ちし枯れた絶望の色でもあった。

 

「――『聖杯戦争』に挑むに当たって、高名な『英霊』の触媒を手に出来なかった訳ではない。確かに手駒の『英霊』が強力なのに越した事はないが、術者と『英霊』の相性が最悪ならばその戦力も陰り、絶対に勝ち残れない。ならばこそ、自らを触媒として最も相性の良い『英霊』を呼び寄せれば、例え招き寄せられた『英霊』が脆弱でも戦いようなど幾らでもあった」

 

 その話をディアーチェだけでなく『ランサー』も興味津々と聞き届ける。

 彼とて鞍替えせざるを得なかったとは言え、『魔術師』のサーヴァント。マスターからの英霊選びの基準を聞かせられては興味が無い筈があるまい。

 

「そして招き寄せられたのは最優のクラスと名高い『セイバー』、『オルレアンの聖女』――いや、『救国の魔女』ジャンヌ・ダルクだった」

 

 何よりも愛しそうに、何よりも悲しそうに『魔術師』は告げる。

 

「? 何故『救国の魔女』と言い直したのだ?」

 

 当然、その事に対してディアーチェは疑問をぶつける。

 彼女とて『魔術師』の屋敷に滞在する内に、よりによって『魔術師』から一般常識などを叩き込まれ、悪戦苦闘しながら日本史やら世界史やらテーブルマナーやら帝王学さえも覚えさせられた始末。

 百年戦争の末期に活躍したフランスの救国の英雄であるジャンヌ・ダルクの事は、彼女の中の知識にもあった。

 

「『第二次聖杯戦争』は幕末の時代。その当時、未だに『彼女』は魔女の烙印を押されたままであり、その汚名が雪がれるのは一世紀以上先の事だ」

 

 更に「その当時でも『彼女』の殉教は後世の者達によって都合良く美化されていたがな」と極めて険悪な表情で付け足す。

 その燃えるような憎悪が誰に向けられているかは問うまでもない。もしもその当時にタイムスリップするような奇跡でも起きようものなら、『彼女』の宗教裁判に関わった聖職者を一人残らず焼き殺さんばかりの勢いである。

 

「――此処まで条件が揃っているのなら、属性が反転して『反英霊』として呼び寄せられる筈だった。当人が生前如何なる人格だったかは関係無い、無辜の怪物たる『串刺公』のように後世の歪んだ信仰で変質する事も稀ではない――何より召喚者が私だったからな」

 

 ――確かに、と無意識の内に相槌を打ちそうになり、ディアーチェは全ての理性を総動員してその言葉を止める。

 尚、そんな事を考えずにぽろっと零れそうになったレヴィの口はシュテルによって物理的に塞がれていた。

 

「なのに、あれは――私の知る『聖女』として召喚された。あれが、あの状態の『彼女』が、歪んだ信仰に侵食されていない、ありのままの『彼女』が最も相性の良い英霊? 一体何の冗談だ、死因繋がりか? 当時の私にはこの結果を受け入れる事が出来なかった」

 

 自身を触媒として最も相性の良い英霊を呼んだ筈なのに、想定外の事態だと理不尽に怒り――途端、全く別の感情を浮かべていた。

 

「この忌々しい魔眼には『最悪の死』しか映らないのに、『彼女』だけは燃え尽きず、何よりも綺麗で美しくて尊くて――ただの一目で心を奪われたと認めるには、あの時の私は若すぎた」

 

 それは彼にとってどれほどの奇跡だっただろうか――それは当人以外には触れる事さえ許されない聖域だった。

 

 

「――生まれて死んでまた生まれて初めて、私は恋をした。されどもその初恋は、初めから逃れられない破滅が約束されていた」

 

 

 その時の神咲悠陽の表情は窺い知れないものであり、それは無表情よりも読みにくい代物だった。

 

「『彼女』との戦闘面の相性は最高だった。『彼女』は如何なる英霊が相手でも耐え凌げる。『セイバー』が相手のサーヴァントを足止めしている間に私が相手のマスターを仕留める。――それは即ち、例え相手のサーヴァントがどれほど強大な存在でも、私次第で幾らでも勝機を用意出来るという事だ」

 

 ――それが彼とサーヴァントの在り方。

 

 サーヴァントを単なる囮の道具にしか扱わなかった衛宮切嗣とも違う、サーヴァントに全て依存したウェイバー・ベルベットとも違う、サーヴァントに終始振り回されて最終的に裏切られた遠坂時臣とも違う、互いが己が領分でベストを尽くせる理想的な関係がそれだった。

 

「不満そうだな、ランサー」

「おぅおぅ、堂々と惚気やがって。オレじゃ不足か?」

「いや、お前の『魔槍』には全幅の信頼を置いているよ。私の知る正史とは違って、確実に相手の心臓を穿ち貫いているからな。今の処だが」

 

 『魔術師』は不満そうにいるランサーをからかうように笑い「テメェの知る正史って何だよ!?」「毎度毎度お前の槍は何故当たらないんだって言われる次元だよ」「はぁ!? なんじゃそりゃ?!」と、自身の在り得ざる可能性にランサーは全力で戦く。

 そんな二人のやりとりを遮ったのは、相変わらず空気を読まないレヴィだった。

 

「あっるぇー? 以前に基本的な戦闘力は低いって言ってなかったけ?」

「此処にいる連中と比べたらそうだろうさ。ドイツもコイツも揃いに揃って規格外揃いだ。余りの戦力差に泣きたくなるよ」

「いや、貴様も大概というか、同類というか、筆頭というか……」

 

 ディアーチェのツッコミは、どうやら酔っぱらい『魔術師』には届いていないようだ。

 彼女自身『この男には何をやっても敵わないのでは?』という気弱な疑念すら抱いているというのに――。

 

「マスターとマスター、魔術師と魔術師が誰にも邪魔されずに一対一で殺し合う。つまりは、この私が最も得意とする土俵で勝負する訳だ。魔術と魔術の競い合いと勘違いした脳味噌まで黴びた連中は真っ先に脱落したっけな」

 

 あくまでも正々堂々と決闘する気は『魔術師』の中には無いようだとディアーチェは結論付ける。

 愉快痛快に邪悪に嘲笑い「あの時代での『魔術師殺し』とは私の事だしな」と誇らしげに語る。

 

「……『彼女』を呼んだからには『聖杯戦争』の勝利は予定調和だった。問題はその後だ。この『聖杯戦争』での最大の失策は『彼女』を召喚した事に他ならない――初志貫徹するなら、何かしらの『英霊』の触媒を使うべきだったんだ」

 

 ただそんな様子も、一瞬にして陰る。

 

(……? 話に聞く限り、最高のカードを引いたというのにどういう事だ?)

 

 ちびちび煮え切らないように酒を啜りながら、『魔術師』は大きな溜息を吐いた。

 

「一回目の世界に帰還する。それを可能とする神秘は魔術を超えた領域、地平の果ての理、即ち『魔法』に他ならない。元より冬木の『聖杯』はそれに特化している。――『七つ』の『英霊』の魂を『聖杯』にくべて『大聖杯』を起動させる。それで根源への扉は開かれる」

 

 ランサーの目付きが一瞬鋭くなる。

 それもその筈だ。この話は、呼び寄せられる英霊にとっては最高に面白くない話である。

 

「『聖杯戦争』で召喚される『英霊』は全部で七騎、つまり――」

「そうさ、シュテル。――他の六騎のサーヴァントを撃滅した後、令呪をもって自身のサーヴァントを自害させる。最初から、その為の儀式が『聖杯戦争』であり、第二次から追加された令呪はその為にあるものだ」

 

 「第一次での失敗を繰り返さない為にな」と『魔術師』は付け足す。

 何とも悪辣な儀式であると、ディアーチェはげんなりする。性根の悪さでは劣るだろうが、『魔術師』と同類の性悪で存在破綻者が七人も出揃うのだ、ろくな戦争にならないだろう。

 

「当然ながら召喚される『英霊』にその知識は与えられない。この方式を考えた奴は『英雄王』が評する通り、神域の天才だろうね。空の器に過ぎない『万能の願望機』を誘蛾灯に至高の魔力源である『英霊』の魂を呼び寄せるなんてね」

 

 卵が先か鶏が先か――結果的に『万能の願望機』になるのだから、『聖杯戦争』の謳い文句は確かに果たされる。

 そう、全ての『英霊』を『聖杯』に捧げた上で――。

 

「――けれども、『彼女』は最初から、召喚される前から知っていた。この『聖杯戦争』の絡繰りを識ってた、全知していた。例外クラス『ルーラー』の補正なのか、啓示スキルが働いたのかは不明だがな」

 

 一際沈み切った上で――『魔術師』はくつくつと、邪悪に嘲笑った。

 

「――嗚呼、何て都合の良いサーヴァントなのだろうか。それを知りつつ、この私の為に死力を尽くして戦ってくれるなんてね。余程生前と同じ死因を辿りたいらしい、愚かな女だ」

 

 すぐさま哄笑となり、『魔術師』は笑う嗤う哂う。余りにも痛ましくて、見てられなかった。

 

「令呪は二つ温存出来た。如何に対魔力に優れた『セイバー』と言えども、令呪の重ね掛けには抗えまい――いや、違うか。『彼女』に抗う意思が最初から無いのだから、令呪は一つで良かったのか!」

 

 「こんな事に今更気づくなんてな!」と『魔術師』はともかく笑い続けた。

 ――けれども、その顔は、今にも泣き崩れそうなぐらい痛々しく歪んでいた。

 

「……殺せなかった、のだな……」

 

 見ていられなくなったディアーチェは、敢えて口にする。

 かくんと、糸の切れた人形のように、『魔術師』は力無く項垂れた。

 

「この地獄の只中で唯一つだけの尊い光を、何よりも神聖で愛しい希望を、私は手放す事が出来なかった――」

 

 ――それが、彼の唯一にして最大の失敗だった。

 

 些細な野望を叶える道具の為に使役していたのならば、一切迷う事無く切り捨てられただろう。

 元より彼の魔術師としての常識は良心すら傷まなかっただろう。必要な犠牲として嬉々と切り捨てただろう。

 だが、彼が召喚した『彼女』は奇跡的なまでに、誰よりも魔術師然と振る舞えた彼を人間に戻してしまった――。

 

 その葛藤を誰が知るだろうか。悩んで悩んで悩んで悩み抜いて、その終わり無き苦悶の果てに――。

 

「……『聖杯』は、『万能の願望機』は『彼女』にこそ相応しい。救国の為に立ち上がり、最終的には魔女の烙印を押されて何もかも奪われ犯され侵されて火刑に処された。その生涯に救いも報いも何一つ無い。だから、在り得ない救済が一つぐらいあっても許されるだろう……?」

 

 初志貫徹するならば、この『魔術師』の言葉は世迷い事に等しい。

 本末転倒、此処に極まりだ。届かぬ救済を手にする為に『聖杯』を求めたのに、その過程の道具である『奴隷(サーヴァント)』に捧げるなど、愚か極まりない。

 

「救国の英雄としてではなく、一人の人間としての、『彼女』自身の些細な望みなど『聖杯』なら幾らでも叶えられるだろう。幸いな事に第二次までは『聖杯』は正純だ。本来得られなかった平凡で一般的な生涯を全うする事も、もう一度歩む事だって出来た」

 

 『魔術師』は最高の名案だと自画自賛する。

 『聖杯』によって受肉する事で第二の生を謳歌する。何て幸せな未来図か。例えその先が一寸の光すら無い暗闇でも、『彼女』と一緒ならば何処にでも行けた。如何なる不可能も可能に貶めたと豪語する。

 

「それなのに……ッ! アイツは、あの大馬鹿者はッ!」

 

 『魔術師』は心の底から絶叫する。感情の爆発の後、彼は目元部分を片手で押さえた。

 

「……私の最初の願いを成就するにあたって、最後の障害が自分自身である事を『彼女』は察していたのだろう。私が令呪で自害を命じられない事を。――だから、『彼女』は自分自身の手で決着をつけた……」

 

 その選択が『彼女』にとってどのような意味があるか、『魔術師』にとって何を齎すか――当人以外に、口にする権利は無い。

 

「――けれども、私は『彼女』の魂を分解せずに残した。冗談じゃない、勝手な思い違いで自害しやがって。無理矢理でも一生涯付き合って貰うとも……!」

 

 その行為に、魔術的な観点から見れば何ら意味も無い。『万能の願望機』を無意味に使い潰す最悪の結末だ。

 ただ、その身を神に捧げた『彼女』を、神如きに渡したくなかった。恐らくはそんな子供じみた理由なのだろう。

 其処までに『魔術師』は『彼女』を愛し、どうしようも無いほど『彼女』にイカれていたのだ――。

 

「こうして『第二次聖杯戦争』には本来在り得ざる勝利者が生まれたが、『聖杯』は『万能の願望機』としての機能を失ったまま死蔵される。従来通り、参戦した全員が不幸になる結末だ――そして私にとって此処からが本当の地獄の始まりだった訳だが」

 

 再び酒を一気に呷り、より一層顰めっ面が厳しくなる。

 もうこの時点でさえ最悪に等しいのに、まだこの上、いや、下があるのかとディアーチェは戦慄する。

 

「え? 無事に生きて帰ったのに?」

「そうさ、レヴィ。無事に生還して『聖杯』を持ち帰ったからこそ――神咲家七代目当主、つまりは二回目の私の親父殿が許さなかった」

 

 そして待ち受けるは何処までも無残な骨肉の争い。血で血を洗う魔術師の親子の結末である。

 

「魔術師にとって根源への到達は世代を越えて尚受け継がれる宿願、いや、永久に果たせぬ妄執というべきか。代を重ねる毎に増す怨念と無念を、私は受け継いでいながら何一つ理解出来ていなかった」

 

 それが彼の、二回目の生を受けた転生者としての最大の弊害だった。

 

「あの時の私は言うまでもなく全盛期であり、親父殿は老年差し掛かった没落期。『魔術刻印』を受け渡したのだから、魔術師としての格など競うまでもない。何よりも親父殿は戦闘を主眼としない研究職の魔術師、完全に殺害を目的とした戦闘特化の魔術師である私に殺し合いを挑むなど愚かしいにも程がある――そう、愚かなのは私だった」

 

 『魔術師』の苦悩はより深く刻まれ、更に沈む。

 

「諦められないからこそ、彼等は魔術師という永遠に報われない群体であるのにな――結果から言えば、親父殿を返り討ちにし、殺害現場を目撃して離反した二回目の妻である妹も焼き殺した」

 

 ――『彼女』によって、人間としての当たり前な在り方を取り戻した直後に訪れた、魔術師としての日常である。

 

「尊属殺しを二度味わう羽目になり――『三回目』には『子殺し』も加わる訳だ。本格的に『子不孝者』だ。何だこの喜劇は、回を増す毎に酷くなるじゃないか!」

 

 「ははは!」と狂ったように泣き笑い、一切り飽きた後――慣れない自分語りを終えて『魔術師』は本題に入った。

 

 

「――ロード・ディアーチェ。『砕け得ぬ闇』、いや、ユーリ・エーベルヴァインを解放したら、何処なりとも旅立つが良い。もうお前達を縛る鎖は何処にもない」

 

 

 ――ディアーチェは目を見開いて驚く。

 

 ……その算段は、つい数日前に整っていた。

 プレシア・テスタロッサの訃報が重なり、後回しになっていたが――紫天の書から『砕け得ぬ闇』を解放する手立ては、既に付いていた。後は出た処勝負である。

 その『魔術師』の言葉に、ディアーチェの眉間が歪む。シュテルとレヴィも、緊張した様子だった。

 

 ――自分達が真の自由を得る過程で、最大の難関が目の前の男だと今まで思っていた。だが、その男から出た言葉に動揺を隠せない。

 

「……一つだけ聞かせろ。何故、貴様は我等を引き取った?」

「各勢力の力関係上、私が引き取って監視するのが一番の安全策だったからに過ぎないが――いや、建前は止そう。ある種の代償行為なのだろうな」

「代償行為?」

 

 それは端的に言うならば、ある目標に到達する事が不可能になった時、代わりに満足感を得る為の行為を指すが――。

 

「……エルヴィ、後は任せた――」

 

 

 

 

「……あーあ、飲み過ぎですね。やれやれです」

 

 座りながら意識を手放して夢の世界に旅立ったご主人様を、私は溜息混じりで眺める。随分ととんでもない事を任せて眠りに付かれたものである。

 

「……エルヴィ、その代償行為というのは――」

「そうですね、ご主人様に任されたからにはちゃんと答えましょう。素面なら口が裂けても言いませんし、こんな致命的なミス犯さないですからねー」

 

 そう尋ねるディアーチェに、私は思わず笑みが浮かんでしまう。

 微笑ましいとはまさにこの事だ。今の私には彼女達の事が――おっと、その前にご主人様からの説明義務を果たさねばっ。

 

「ご主人様は稀代にして天性の極悪人ですけど――不幸な事に、一般人としての道徳概念は未だに根底にあるんです。普通に生まれて普通に生きた、最初の人生の……」

 

 そう、ご主人様は生まれついての先天的な『悪』ではなく、なるべくしてなった後天的の『悪』である。

 自身が『悪』であると自覚して『悪』を振るう暴君であり、そういう類の『悪』であるからこそ、『悪』には『悪』なりの甘さが残っている。

 それこそ断っても断ち切れない『家族』との宿縁であり――。

 

「ご主人様は貴女三人の事を、本当に『我が子』のように接しているのですよ――」

 

 

 

 

 


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