転生者の魔都『海鳴市』   作:咲夜泪

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23/裏表の決まってないコイン

 

 

「……『師匠』ねぇ。正直私に師としての資質は限り無く欠如しているのだが」

「そんな事無いです! 神咲さんは私の得意分野とか即座に見抜いたりして、的確な課題を与えてくれますし――」

 

 必死に言い繕う自称『弟子』の高町なのはに、他称『師匠』の神咲悠陽は椅子に腰掛けながら少しうんざりとした表情を浮かべる。

 本来の彼女の物語ではユーノ・スクライアという魔法の先達がいたが、どういう手違いが起こったのか、彼女の元にフェレットの姿は無く、その代役を不本意ながらも自身が務めざるを得なくなったのは彼としても予想外の出来事である。

 

 ――この在り得ざる日々は違う並行世界での事。高町なのはが英霊に成り果てる世界線での事である。

 

「確かに素質を分析し、能力面を特化させるのは得意分野だがね。……私が言いたいのは思想面の事さ」

 

 憂鬱そうな顔を浮かべる神咲悠陽に、高町なのはは不思議そうに眺める。

 その何も解っていない、純粋な困惑を察した神咲悠陽は深々と溜息を吐いた。

 

「私が自身の事を『悪』だと、人として間違っているものだと自覚しているのは、根底に一回目の人生で培った普遍的な人間としての正常な道徳概念があるからだ。真性の『悪』は自らを『悪』だと自覚していない。信じ難いほど偏屈なまでに『正義』だと、自らの行為全てが完全無欠なまでに正しいものだと錯覚しているものだ」

 

 世界は単純な二色、『善』と『悪』にのみ分けられ、己自身は絶対不変の『善』だと盲信出来るのならば、悩みも迷いも葛藤も何一つ生まれないだろう。

 神咲悠陽は吐き捨てるように「全くもって羨ましい限りだ、そういう度し難い愚物は」と毒づく。

 

「……『正義』と『悪』なんてコインの裏表のようなもの。視点の数だけ見方があり、その境界など常に移ろうもの。だからこそ不変の『絶対悪』は存在せず、同時に絶対的な『善』も存在しない」

 

 その意見には素直に納得出来た。

 例えば周辺国に戦争を仕掛けた独裁者も、その国の人から見れば幾多の災難を振り払った強大な指導者であり、『正義』と『悪』は基本的に両立するものである事が解る。

 だからこそ、自身を最初から『悪』であると断じている神咲悠陽は異質なのであるが――。

 

「つまりは、自ら『悪』だと断定している弱者が、誰かを正しく導ける道理はあるまい」

「……弱、者? えと、師匠が……?」

「誰よりも弱いさ。人として正しい在り方である『正義』を貫けなかったからこそ、私は『悪』としての在り方しか執り行えない」

 

 その彼らしからぬ言葉に、高町なのはは誰よりも困惑する。

 高町なのはが内心憧れたこの人物は善悪かはとりあえず問わないが、理不尽な存在をより強大な理不尽で薙ぎ払う、理屈抜きの絶対的な強者である。

 そんな彼が自身の事を弱者と認めている事実が、とにかく不思議で溜まらなかった。

 

「強くなければ『悪』としての存在意味が無いのに、弱くなければ『悪』になんざ堕ちない。中々皮肉な話だな、これは――」

 

 神咲悠陽は自虐的に笑う。

 此処で――強大な『悪』である彼が自ら望んで『悪』になったのだろうか、という初歩的な疑問に思い至る。

 いつしか話してくれた事だが、彼は『三回目』の転生者。その特異な生い立ちの者は『二回目』に多種多様な世界での資質・技能・記憶を全て受け継いで産まれたというが、肝心の『一回目』は誰しも一般人だったという。

 それは神咲悠陽も例外ではなく――誰もが恐れる『魔術師』の根底には、もはや見る影も無いが、自分達と同じような一般常識・道徳概念があるのではないだろうか?

 

「少し意地の悪い質問をしよう。母と恋人が人質に取られてしまい、どのような選択をしても必ず一人以上の犠牲者が出るとしよう。さぁ、どうする?」

 

 あれこれ考えている間にそんな突拍子も無い質問を投げかけられ、自身の母親である高町桃子の顔と、あろう事か、その恋人役に神咲悠陽の顔が真っ先に浮かんでしまい、なのはは顔を真っ赤にして慌てて首をぶんぶん振るって妄念を薙ぎ払う。

 

(な、何で神咲さんが真っ先に……というか、人質になるビジョンが全く見えないのです)

 

 その突然な様子に当の本人である神咲悠陽は首を傾げて疑問符を浮かべていたが――。

 

(……うーん、こういう質問をしてくる時は――)

 

 大抵、神咲悠陽が意味深な質問を投げかける時は、何かを計り、試している時である。知らぬ内に見計らい、何かしら期待する、対応する者にとってはこれ以上無く困る悪癖である。

 こういう場合、安直な解答が正当ではない。

 人質を救う為に犯人を犠牲にするというのが一見して百点満点の模範解答だろうが、神咲悠陽の場合は容赦無く赤点扱いにしかねない。

 幾ら元の価値観が一般人だっただろうが、現在の彼の価値観は常人には理解し難いほど歪みに歪んでいる。

 

 ――実際にそのような状況下に陥った時、自分はどのような選択をするのだろうか?

 

「……全員助けたいと思うのは、傲慢なのでしょうか?」

「ほう、『全員』か。それは人質に取られた母と恋人だけでなく、その犯人も、という事かね?」

 

 その赤点必須の問題しかない解答を、神咲悠陽はまるで望んでいたかのように嬉々と聞き届ける。

 彼の期待を損ねずに済んで、高町なのはは内心少しだけほっとする。

 

「方法が無い訳ではない。その犯人を説得して自主的に投降させるように仕向ければ良い。だが、これは最も難易度が高いのは言うまでもないし、最も危険度が高い。説得に失敗すれば母も恋人も犯人自身も全員死ぬしかないからね」

 

 意外な事に神咲悠陽はその夢見な妄言を否定せず、その道筋まで細かく推測して語る。

 例えるならそれは遥か上空に掛けられた板一枚の道を歩むような行為であり、更なる泣き所は自身の失敗が自分以外の者にまで及ぶという点である。

 言うは易し。だが、実際にその状況になって、本当にその最も困難で最も危険な道を選べるだろうか?

 

「その最も困難で危険な道を自覚して貫き通せる強さがあるのならば、ソイツは『正義の味方』と呼ぶべきなんだろうね。私には未来永劫なれないが、君ならばそういう存在にいつかなれるさ――」

 

 珍しく邪気無く楽しげに笑いながら断言する悠陽に、なのはは気恥ずかしくなる。

 それと同時に――本当に自分はそんな立派なものになれるのだろうか、と僅かに疑問を抱いてしまう。

 

「ちなみに師匠は、そういう場合に陥ったらどうするんですか?」

「達成困難な最善よりも達成確率が最も高い『次善策』を選ぶだろう。ただし、その、私にとっての『次善策』とは『正義の味方』が最初から選択の余地すら入れない『最悪の策』に他ならないがね」

 

 そうして笑う神咲悠陽の表情には、邪気よりも悍ましい怨念と狂気が見え隠れする。

 これだけでなのはは察してしまった。そういう場面に彼が対面した場合、手段を選ばず――否、手段を選べずに、タイムラグ無く『悪』を成して最小限の犠牲者を切り捨てる事を。

 必要となれば、一人、二人、千人でも、代償を積み上げて目的の成就を完璧に成し遂げるだろうと――。

 

 ――ただ、問題になるのは、彼自身が自分にとっての『最善』であると誰よりも『理解』していても、その事を『納得』しているとは限らない事である。

 

「これは私自身の魂の方向性、根源の渦から生じた混沌衝動『起源』の問題だ。私は思い描いた最善の結果には辿り着けないが、思い描く最悪の結末に歪める事は出来る」

 

 それこそが彼の歪みの本幹。『悪』を自称しながら、誰よりも『正義の味方』足り得る存在に憧れ、誰よりも『悪』としての自身を自己肯定出来ない。故に――。

 

「……だから、私は私自身の選択に、常に後悔しかない。最善の未来を思い描きながらも、最悪の未来しか実現出来ない――私は、『悪』にしかなれない」

 

 其処にどれほどの苦渋があったか、葛藤があったかは、今のなのはには察する事すら出来ない。

 

 ――その自己矛盾は、永遠に晴れる事がない。

 善意で行動した結果、全て失敗に終わった『一回目』の人生のように。

 悪意で行動した結果、全て成功に終わって、されども何一つ掴めなかった『二回目』の人生のように。

 

 それでも、なのはの胸には燃え上がる想いがあった。

 あの日、あの夜、あの背中を見て抱いた想いを、なけなしの勇気を振り絞って、なのはは口にした。

 

「……バーサーカーがすずかちゃんの制御下から外れた時、秋瀬君がすずかちゃんを殺す選択に迫られた時、師匠は、神咲さんはバーサーカーを焼き尽くして最悪の結末を覆しました。――あの時の貴方の背中を見て、まるで御伽話の『正義の味方』みたいで憧れたと言ったら、笑います、か……?」

 

 それはさっき彼自身が言った事でもある。

 『正義』か『悪』だなんて、見方一つで一変する。

 誰よりも悪辣で冷酷無比な『魔術師』の事を、高町なのはには窮地を颯爽と解決する『正義の味方』に見えてしまったのだから――。

 

「――」

 

 その告白を受けて、暫しきょとんと驚いた顔を見せた神咲悠陽は、途端、歯に詰まったものがいつまでも取れない時のような微妙な表情になる。

 

「……むず痒い。――はいはい、この話はもう止めだ、止めっ! 出来る限り忘れろ、いや、絶対忘れろ。これは師匠命令だ!」

「え、えぇー!? こういう時だけ師匠らしくするんですか!?」

「弟子は師匠の横暴さを我慢するのも修行の一環だと昔の偉人は言ったそうだ。ちなみに実際に言ったヤツは知らん」

 

 物凄い暴論で締められ、この話は終わりだとそっぽを向いて捨て去る。

 

「……えと、それじゃ一つだけ聞いていいですか?」

「ほう、なのはも交渉事が上手くなったものだ。良いとも、口封じの為に何でも一つ答えてやろうじゃないか」

「そ、そんなんじゃないですっ!」

 

 お主も悪よのう、という時代劇の代官様みたいな悪どい顔付きをする神咲悠陽を見る限り、自身の役柄を楽しんでいる一面は無きにしてあらずと言った処なのだろうか?

 それはさておき、滅多に無い言質を取っただけに、なのははとある疑問を口にする事にした。

 

 

「――どうして神咲さんは今の、自身の平穏を絶対遵守するという名目で……人には言えないような悪い事をしてでも、自らの意志でやろうと……?」

 

 

 神咲悠陽という人間を語るに至って、最後に現れる疑問がそれであろう、

 そう、彼には見て見ぬふりをする事が出来た。何もかも関わらずに俯瞰して、それでかつ自身のみ安全圏に避難する事など今の状況から考えれば遥かに簡単だろう。

 自分一人の保身を確保するだけならば、彼は簡単にそれを成し遂げる事が出来た。

 

 ――でも、彼は見て見ぬふりをせずに、誰も気づいてなかった悪意に立ち向かった。

 

 言葉に尽くせぬ悪行を駆使してでも完遂させると覚悟した。自己の矛盾を乗り越えて行動しようとしたその原動力は何だったのか。

 

 ――憧れる人の、最初の第一歩が知りたい。

 

「……冬川と同じ事を聞いてくるんだな」

 

 懐かしむように呟き、神咲悠陽は何回も咳払いした後に、漸く、渋々と口にした。

 今、考えると――その必要以上に長い前置きは、気恥ずかしさから来ていたのではないだろうか?

 

「……良いか、他の奴に絶対言うなよ。この私の言葉の重さを履き違えてくれるなよ? 君が私と同系統の魔術師なら『自己強制証明(セルフギアス・スクロール)』で死後の魂をも束縛するほどだ」

「……えーと、それって前、『魔術師の連中はあれを違約不能の絶対の不文律だと勘違いしているからな』って鼻で笑ったヤツじゃ……?」

「なのは。今後の人生の為になる便利な言葉を授けよう。あれはあれ、これはこれだ。んで、その理由は、な――」

 

 

 

 

「――当然の結果よ。『魔法』に出遭って一年未満の私が、未来の『私』に勝てる道理が無いわ」

 

 この組み合わせが最も早く決着が付いたのは、ある意味当然の事である。

 レイジングハートを杖代わりにしなければ立ってすらいられないほど満身創痍の高町なのはは、未だに無傷で天を舞う自身の未来の姿――アーチャーを弱々しく見上げる。

 

(予想以上に手こずった、か……)

 

 それがこの戦闘での、アーチャーの素直な感想だった。

 明らかに過去の自分よりも、あの高町なのはは強かった。自分との交戦の最中、砂が水を吸うように秒単位で成長していった。

 そういえば、神咲悠陽から聞いた事がある。前世の自身の経験を憑依させる事で力とする魔術も存在していたと。それが同一人物ならば、なるほど、在り得ない前提であるが、それと似たような状態を引き起こしたのだろう。

 未来の自分からの戦闘は、恐ろしいほどの速度で力の使い方を最適化させて突然変異にも似た超成長を引き起こした。

 

 ――ただ、それだけの事に過ぎない。

 

 最終形の自身と発展途上の自身、先に限界に到達するのは当然の事ながら過去の自分である。

 最初から解り切った結末であり、予想外にも善戦されたというだけの話である。この天秤の傾きは奇跡が起こらない限り覆らないものである。

 

「立ち上がってどうするの? 貴女は何も守れない。何も変えられない。この『私』がそうだったように――」

「ち、がう。貴女は、ちゃんと……!」

 

 その過去の自分の言葉に、アーチャーの眉がぴくりと動く。

 

「……確かに『私』は一生涯を賭けて英霊の域に達して、最悪の未来に対して一石を投じた。『私』自身は師匠の手で葬られたけど、あの炎の海に消える未来は変えられた……」

 

 ――初めから神咲悠陽の説得は不可能だと解っていた。

 

 彼の動機を唯一知る彼女には、彼の方針を如何なる策・如何なる言葉を尽くしても変えれない事をとうに悟っていた。

 だからこそ力尽くでこの魔都から遠ざけようとして、彼は当然の如くその手を振り払った。

 彼女の一生涯を賭けた逢瀬は失敗に終わったが、未来は変わった。神咲悠陽は自身の死因すら乗り越えて生き延びる事が出来た。

 

 ――だが、ただ、それだけだった。

 

「けれど、またしてもあの人は殺されてしまった……! ……結局、『私』のした事は、殺される時間を少しだけ先伸ばしたに過ぎなかった。『私』の人生は、何の意味も無く無価値なものに過ぎなかった……!」

 

 自身の蛮行はこの世界にバタフライ効果を与えたのは確かである。

 けれども、その歪みは一時的のモノに過ぎず、結局は元の流れに収束する。その目に見えない無意識化の力の流れを彼は、神咲悠陽は『抑止力』と言っていた。

 この世界には星側の抑止力は無いそうだが、霊長たるヒトの抑止力はこの世界にも存在する。

 

 ――それが死後、アーチャーが霊長の守護者『奴隷(サーヴァント)』として時を超えて存在している理由であり、最大の敗因でもあるのは皮肉以外の何物でもない。

 

「……貴女に言っても無駄なのは最初から解ってる。貴女は『私』にならない私だもの。こんなのは、的外れな八つ当たりに過ぎない――」

 

 彼女を穢土転生と良く似た別の術で呼び寄せた者からの強制力は確かにある。

 だが、それはアーチャーにとっては無視出来る程度の代物、令呪のような絶対的な効力は持たない。

 神咲悠陽を殺した仇敵への憎悪の矛先を、ほんの少しの間だけ別方向に誘導しているだけに過ぎない。 

 

(――尤も、殺害対象に認定した私を『私』自身が殺せば、どうなるかなんて誰も解らないけど……)

 

 あれはアーチャーに成り果てない高町なのはではあるが、彼女自身が殺せば、その大きな矛盾による修正で英霊と成り果てている彼女自身も消滅するかもしれない。

 或いは、殺害して術者からの縛りを正規方法で解放した時点で、穢土転生の術を解印して現世に踏み止まれないようにするだろう。

 全くもって此度の茶番は馬鹿馬鹿しいという言葉に尽きる。何もかも中途半端で、何も果たせない。全くもって酷い有様だった。

 

 ――だから、アーチャーに唯一許された自由は、あの『自身』への憎悪を直接叩き付ける事に他ならない。

 

 神咲悠陽が火の海に消え果てない世界線に居た『高町なのは』を、並行世界で助けられた自身より優先されたこの世界の『高町なのは』を、この世界線で神咲悠陽を助けてくれなかった『高町なのは』を――!

 

 止めの一撃は何が良いか――その答えは最初から一つしかなかったが――考えていた時、彼女達が戦闘で撒き散らした魔力の残滓が急速に集められていく。

 

 此処だけではなく、海鳴市全域から。

 桃色の粒子だけでなく、緑色の粒子なども一斉に、遥か上空の何処かに誘われて行く。

 

「……あ」

 

 アーチャーは意外そうな眼で、満身創痍の高町なのはは絶望した表情で。

 彼女でも『彼女』でもない『第三の使い手(八神はやて)』によって余さず回収されたようだと、アーチャーは他人事のように感心する。

 

「――あら、これで『奥の手』も使えないわね」

 

 魔力が無くても最後の最後に使う事が出来る高町なのはの最大の手札、集束砲撃魔法『スターライトブレイカー』、これの超火力の直撃を受ければ、如何にアーチャーと言えども敗北は必定である。

 尤も、彼女自身が今の高町なのは以上の撃ち手ゆえに、同じ土俵に上がれば何方に軍配が上がるかは明々白々であるが――。

 

「……締まらない最期ね。まぁそれも私には相応しいかな」

 

 もはや抵抗すら出来ない高町なのはに、アーチャーは非殺傷設定を切ったアクセルシューターを一発撃ち放つ。

 防御魔法どころか、バリアジャケットが半壊している状況では致死の魔弾であり、それを避ける機動力すら今の高町なのはには無く――。

 

 心臓を撃ち貫く前に、黄色い閃光が絶体絶命の高町なのはを救出する。

 

 その突如現れた第三者を目視しながらも、いや、目視したからこそ、アーチャーは何の対応も出来なかった。

 思い出の黒いリボンは未だに彼女のツインテールにあり、自らが齎した歪みを、アーチャーは改めて目の当たりにする事になる。

 

「……フェイトちゃん」

 

 その呟きは、何方のなのはが言った言葉だろうか。

 

「あら、マスター。いえ、元マスターでしたね。何の用ですか? これでも忙しいんですけど」

 

 慣れない憎まれ口を叩いて、アーチャーは雑念を捨てようとする。

 久々に遭った親友――正確には親友になる前に何もかもぶち壊してしまった別の可能性の親友――は何処かやつれていて、夜の暗闇にも紛れないぐらい顔色が悪くて、眼が真っ赤で充血しており、敵である筈の自分すら安否を気遣いたくなるような惨状だった。

 

「……アーチャー」

 

 それもその筈である。今のフェイトは――。

 

 

「……二日前に、母さんが逝っちゃった」

 

 

 見ている此方がいたたまれない笑顔を見て、アーチャーは絶句する。

 

「アーチャーの辿った世界では、私の母さんは『時の庭園』の崩壊に巻き込まれて、アリシアの亡骸と共に虚数空間へ消えて逝った、だったよね?」

「……えぇ」

 

 プレシア・テスタロッサ。フェイト・テスタロッサを『製造』した大魔導師であり、最期まで彼女の事を自分の娘だと認めずに見捨てた、アーチャーにとっても許せない人物である。

 そう、『時の庭園』の崩壊と共にプレシアの亡骸と虚数空間に消え去った人物が、何故、近日にまで生き残っていたのだろうか――即座に、それ以上考えるなと彼女の中の何かが警鐘する。

 フェイトの話を聞かずに戦うべきだと、有無を言わさずに制圧するべきだと、確信に近い直感をしながら、アーチャーは動けずにいた。

 

 ――それが、自身の齎した最大の罪、あるべき未来を改変した歪だからこそ、処刑宣告を待つ受刑者のように、アーチャーは沈黙する。

 

「私がアーチャーを召喚して、貴女の世界とズレちゃったのかな。『時の庭園』が崩壊する事無く、母さんは管理局の人に確保されて、冗談みたいに永久冷凍刑に処されたの」

「――え?」

 

 フェイトから告げられた信じられない事実に、アーチャーは耳を疑う。

 自身の正常さを疑い、管理局の正気を疑う。確かに自分の世界での管理局の上層部は信じ難いほど人として腐っていたが、まさか其処までするとは想像外の事であった。

 

「……彼らは私にこう言ったの。母さんを助けたければ、言う事を何でも聞けって。まずは全身を拘束されて身動き出来ない次元犯罪者を突き出して『殺せ』って……」

 

 そういう人に言えない暗部が存在していた事は、アーチャーとて知っている。

 だが、彼等が自分とフェイトに求めた役割は清く正しい広告塔であり、表の役割の筈である。故郷は未曾有の事故で消え去ったが、それでも管理局の正義を率先して実践する若きエース・オブ・エース、偽善の厚かましい押し付けの筈である。

 

「……どうしてアーチャーの辿った世界よりも酷くなっちゃったのかな……? その時の私は訳が解らなくて、貴女の事を酷く恨んだ。行き場の無い怒りをなのはにもぶつけた……」

 

 何も、言えなかった。改めて自分の仕出かした罪を見せつけられて、アーチャーの心は罪悪感と自責でズタズタに引き裂かれていた。

 けれども、不謹慎ながら心の底で安堵した。此処で穢土転生されて呼び寄せられた甲斐が、一つだけ生じた。

 

(……一度辿った死因は、決して覆せない、か。私は『転生者』じゃなかったけど、もう同じような存在なのね――)

 

 嘗てのアーチャーは管理局に反旗を翻し、反乱組織のリーダーとして幾多の世界を焼いた。償い切れない罪を犯した。その狂乱の最期に引導を渡したのが、他ならぬ唯一の親友、フェイト・テスタロッサである。

 あの時は泣き喚く親友に一生遺る心の傷を与えてしまったが、今度は憎悪のはけ口になれる。殺されてやる事で幾許か気を晴らす事が出来るだろう。

 

 

「――でも、貴女を召喚していなければ、私は母さんと最期まで過ごせなかった。本当の親子に、なれなかったと思う。その事を、私は貴女に感謝する……」

 

 

 ……だから、それだけは、何が何でも受け入れられなかった。

 驚愕と共に正視出来なかったフェイトの顔を見る。彼女は両眸から涙を零しながら、今にも消え入りそうなぐらい儚く笑っていた。

 

「……何、それ……?」

 

 かたかた、と怯え震える。地獄の釜から這い出たような、自分のものとは思えない低い声だった。

 違う。自分に浴びせられる言葉は感謝の言葉なんかではない。憎悪の言葉だ、罪を責め問う地獄の閻魔の如き責め苦だ。そうでなくてはならない。

 彼女は本来辿る筈だった世界を知る唯一の立証者であり、正しき未来を奪った自分を弾劾する権利が彼女にはある。

 それが、その彼女が、全てを貶めた大罪人を許して良い筈が無い……!

 

「……やめてよ。どうして、今更……!」

 

 ――あの時の貴方の背中を見て、まるで御伽話の『正義の味方』みたいで憧れたと言ったら、笑います、か……?

 

 嘗ての高町なのはが神咲悠陽をそう見たように。

 

 その最も困難で危険な道を自覚して貫き通せる強さがあるのならば、ソイツは『正義の味方』と呼ぶべきなんだろうね。私には未来永劫なれないが、君ならばそういう存在にいつかなれるさ――。

 

 でも、彼女は神咲悠陽の期待に答えられず、彼の憧れた『正義の味方』にはなれなくて――。

 

 『正義』と『悪』はコインの裏表のようなもの。

 更に言うならば、何方が裏で何方が表かなんて定まっておらず、それこそ人の視点の数だけ議論が分かれる。

 

「……っっ!」

 

 声にならぬ悲鳴をあげて、アーチャーは激情の赴くままに魔法を振るい、フェイトが正面から受け答える。

 嘗てのサーヴァントと嘗てのマスターが此処に初めて、交差する――。

 

 

 

 


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