転生者の魔都『海鳴市』   作:咲夜泪

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43/後悔

 43/後悔

 

 

「……はぁ、何で生きているんだろうな、私は――」

 

 ソファを独占してやる気無く寝そべりながら、極限まで怠けている神咲悠陽は心底憂鬱気にそう呟いた。

 既に零れた溜息は百を超えた当たりで数えるのを諦める段階まで来ており、我が主の惨状を使い魔のエルヴィは涙無しでは語る事が出来なかった。

 

『……重傷だな。立ち直れるのか、これ?』

「うぅ、ご主人様。お労しや……!」

 

 相変わらず魔力不足で実体化出来ないランサーは呆れ顔一つも浮かべられず、エルヴィは失意の主を立ち直らせようとあれこれ躍起になるが、その全部が空回りして逆効果になるという失態を何度も何度も繰り返していた。

 具体的にはこの肢体で慰めようと思って夜這いを掛けるも、不貞寝されて無視されるとか、風呂場で背中を流すという名目で突撃するが、本当に背中を流すだけで終わったり、無限のやる気は悲しく空回りするだけに終わった。

 いつもの息があった二人とは思えない酷い有様に、ランサーはただただ唖然とするばかりである。

 

「……どうせ私に関わった奴は皆死んでしまうんだ。それなら、誰にも到達出来ない因果地平に引き篭もるのが一番だよなぁ――『第二魔法』から『全て遠き理想郷(アヴァロン)』かぁ。確か遠坂家からパチった宝石剣の設計図はあったよなぁ、まずは其処から始め――」

「いえいえ、待って下さい!? そんなどうしようもない理由で諦めた『魔法』を目指さないで下さい! 今は魔力の回復が最優先ですよ、ご主人様!?」

 

 その実現に軽く数十年掛かりそうな壮大な研究を無計画にやり出そうとした我が主を、エルヴィは必死にしがみつきながら止める。

 欠片も覇気が無い悠陽はまたもやソファに仰向けで寝転び、その上に赤面のエルヴィが乗っかる形になるが、気怠さを全面的に出して反応の一つも起こさないという酷い憂鬱具合だった。

 

「……魔力なんて『聖杯』を使えば幾らでもあるじゃないか。幾らで、も――」

 

 譫言のように悠陽はそう言って、その杯に再び眠っている聖女の事を思い出して、全力で落ち込む。折角何か別の事に逃避行しようとしたのに、躓いてどん底まで転がり落ちた具合である。

 こういう悪循環の繰り返しで、神咲悠陽の精神的な復旧の目処は当分付かなかった。

 

『あーあ、またかよ。まぁた自滅った……』

「あうあうぅ、ご、ご主人様ぁ……!」

 

 普段の彼と比べて、見る影も無かった。

 実の娘を殺害した事への精神ダメージは極めて深刻であり、むしろそのせいで有耶無耶となっていた彼のサーヴァントの自害を無限回に渡って回想してしまい、追い打ちに未来の高町なのはの事まで思い詰めてしまい、何一つ行動を起こせない精神状態に陥っている。

 

 ――不意に、携帯電話の着信音が鳴り響く。それは彼女の主の携帯からであり、この着信音設定は秋瀬直也だった。

 定時連絡にしては早すぎる。何か緊急事態が発生したと見て間違い無いだろう。それにも関わらず、無表情のまま寝そべる悠陽は欠片も反応せずに無視していた。

 気づいている上で無視しているという、何も解決しない、極めて救いの無い状況である。

 

「ご、ご主人様。秋瀬直也からの電話ですけど……?」

「……面倒だから、エルヴィ、お前に全部任せる」

「は、はぁ……」

 

 気怠げに自身の携帯を机に置いて、駄目人間っぷり全開でうつ伏せに寝そべる。

 今現在の暗い調子を切り替えて、普段通りに努めようと、エルヴィは意気揚々と携帯に出た。

 

「はいはい、もしもしー。今現在、ご主人様は多忙の為、不肖このエルヴィがこの電話に出ましたー!」

『……多忙、ねぇ。物は言いようってか?』

 

 最早涙無しでは語れない影の努力である、とランサーは不覚にもホロリと来る。

 実際問題、今の神咲悠陽の壊滅的な精神状態を知られる事は致命的と言っても差し支えない。何が何でも発覚しないよう、全力で隠し通すしか無いだろう。

 

『川田組のスタンド使いに襲われたんだが、これはお前達の指図か?』

「はい? ……え? 詳しくお聞かせ下さい」

 

 だが、秋瀬直也の身に起きた緊急事態は明らかに使い魔であるエルヴィの裁量を超えている事件だった。

 それも即座に対処しなければ自身の領地も真っ赤に燃えるような、危険な香りを秘めた――。

 

『下校途中に川田組のスタンド使い、名前は何だっけ、そそ、樹堂清隆に襲撃された。何でもコイツが言うにはオレは裏切り者らしいのだが? それで、一番疑わしい人物が豊海柚葉ごとオレを葬ろうとしたのかなぁって思ったんだが』

「ご安心を。その件に関しては私達は関与してませんよー。あと、それは個人の暴走ですか? それともまさかと思いますが、冬川雪緒からの指示ですか? 仮に後者だとしたら私達に知らせないのは筋が通らない話です」

『……まだ解らんねぇ。とりあえず、意識が戻ったら尋問する予定だ。それで、この件に関してはアンタ等は関与しておらず、味方と考えて良いのか?』

 

 当然の事ながら、今の神咲悠陽に策略を巡らせる余力も思考も余地すらも一切無く、その点に関しては此方の意図は全く無いと断言出来る。

 問題なのは、秋瀬直也から神咲悠陽に飛び火するのは時間の問題である予感がびんびんするものであり――非常にまずいなぁと思いながらエルヴィは冷や汗を流す。

 

「はい、今まで通り味方ですけど、援護などは期待しないで下さい。教会勢力と全面衝突に発展しましたので、手出しも手助けも出来ません。此方も現在は余裕がありませんので」

 

 間違っても、今の処の事件の中心人物である秋瀬直也を匿う余裕は、彼等の陣営に無かった。

 今の神咲悠陽はナイフ一本持った小学生でも殺せる勢いなので、危険極まるスタンド使いの襲撃など絶対回避しなければならない事態である。

 秋瀬直也を見捨てる事になるのは非常に忍びないが、エルヴィにとって主である神咲悠陽の安否が最優先である。

 

「ただし、私達の手足である川田組が独自の行動を取るのならば、私達にとっても由々しき問題です。何か新しい事実が判明したら逐一報告して下さい。情報面ならばフルに協力出来ます」

『……そうか。その時は宜しく頼む』

 

 通話を終えて、エルヴィは深く考え込む。

 

 ――便利屋扱いで使っている川田組は利害の一致から、ではなく、主に神咲悠陽と冬川雪緒の親友関係で成り立っている組織関係である。

 

 神咲悠陽にとって秋瀬直也の存在は豊海柚葉に繋がる情報源なので必須の部類、それを独断専行で処理しようとする事態が起こるなど明らかに異変であり、凶兆である。

 今の主人に何処まで聞き届けてくれるか、エルヴィにしても未知数だったが、とりあえず今の電話の内容を伝える事にした。

 生死の危機に瀕すれば、自ずと神咲悠陽は行動を取らざるを得ない。そう、少なからず期待して――。

 

「ご主人様、川田組のスタンド使いが秋瀬直也を強襲したそうです。冬川雪緒の指示かは不明ですけど」

「……単なる独断専行だろうよ。しかし、部下の不始末を冬川が止められなんだか。あれにしては珍しい失態だなぁ……」

 

 ――神咲悠陽は考える素振りさえ見せず、思考を放棄しており、エルヴィは全力で頭を抱えた。

 

「……ああ、駄目だこりゃ。早く何とかしないと……!」

『何とかなるビジョンが欠片も見えねぇけどなぁ』

 

 

 

 

 電話を終えて、喋った内容を逐一説明し――豊海柚葉は戦闘中にも崩さなかった余裕の笑顔を消して、極めて深刻な表情になっていた。

 勝手に先程の家に居座っているので、居心地が悪いが。一応、高町なのはに結界を張って貰っているので、その間は誰かが入ってくる心配は少ないが。

 

「……うわぁ、此処まで腑抜けてるんだ。今回の一件に関しては『魔術師』は全く役に立たないようね。まずいわ」

 

 髪に付着した水分を手で払いながら、彼女は必死な形相で思考に耽る。

 今まで味方だった川田組が一瞬にして敵に回ったが、オレ自身に疚しい点は無い為、中々実感が伴わない。

 あの冬川雪緒が自分を切り捨てる、という選択肢など端から在り得ないし、一体何が起こったのやら……。

 

「……何か心当たりでも?」

「理由は敢えて言わないけど、今回は彼等の勢力を除外して立ち振舞いを考えないと本気で死ぬよ? 私達」

 

 そう、オレを陥れる可能性がある両名、豊海柚葉と『魔術師』が揃って白と思わしき今、誰が書いた脚本なのかが今一不明瞭だ。

 そんな二流三流の筋書きにあの冬川雪緒が踊らされるとは考えにくいし、本当に冬川雪緒の身に何かがあったとしか考えられない。

 

「秋瀬君、柚葉ちゃん、目覚めたよ」

 

 と、バインドで例のスタンド使いを捕縛している高町なのはから、樹堂清隆が目覚めたと報告を受けてオレと豊海柚葉は赴く。

 黄色い雨合羽を剥いで素顔を表している金髪の男は、敵意を剥き出しにしながらオレ達を睨んだ。

 

 ――やはりというか、『液体』ではなく、本当に水しか操れないスタンド使いなんだと確信する。

 腕や胸から出血した血を操作しなかった当たりで、大体の目見当を付けていたが。

 

「……殺せ。裏切り者に話す事など何も無い」

「そうか。高町」

「はい?」

 

 中々に忠義心深く、生半可な拷問では屈さないだろうし、何より時間が掛かる。

 其処でオレは高町なのはを指名する。本人は何で呼ばれたか、疑問符を浮かべる勢いだったが、樹堂清隆の反応は劇的であり、脂汗をだらだら流していた。

 

「――ひぃっ!? お、おお、脅しには屈さないぞ……!」

『――Let's shoot it Starlight Breaker.』

「はい、何なりと聞くが良いっ! まずはお話で解決して下さい! お願いします!」

 

 ……それにしてもこのレイジングハート、主人と比べてのりのりである。

 というか、堕ちるのはえぇよ。少しは意地見せろよ。……まぁあんな極太の砲撃魔法に撃たれるなんて生涯御免だが――。

 

「……弱っ」

「ば、馬鹿野郎ォッ! 実際にディバインバスターを食らってから言いやがれェ――! 死ぬほど痛かったぞっっ!?」

「……にゃはは」

 

 どうやら超遠距離砲撃魔法での狙撃は彼のトラウマになったらしい。

 あれ以外で倒す方法が無かった、雨天時ではほぼ無敵のスタンド使いの癖に……。

 

「とりあえず、オレはお前達を裏切った覚えは欠片も無い。それを念頭に置いて聞いてくれ。今回の一件はお前の独断専行か? それとも冬川雪緒の指示か?」

「何を白々しい事を。これは冬川さん直々の指示だ。裏切り者を始末しろとな」

 

 ――ああ、くそ。一番否定して欲しかった事をあっさり肯定しやがった。

 尋問するオレは頭を抱えて、言葉が詰まり――代わりにドライヤーで髪を乾かしてもう一度ポニーテールにした豊海柚葉が前に出た。

 

 

「――ところでさ、前々から疑問に思っていたんだけど、あのバーサーカーを前に冬川雪緒はどうやって生き残ったのかしら?」

 

 

 オレと高町なのはからの視線を見て見ぬ振りをし、豊海柚葉は忠誠高い樹堂清隆に猜疑心を植え付けに掛かった。

 

「……何が言いたい?」

「死体を操るスタンドってある? 乗っ取るのでも可能だと思うけどね」

「何を馬鹿な事をっ!」

 

 憤慨して否定するが、沈黙するオレと高町なのはの深刻な顔を見て、樹堂清隆は視線を著しく彷徨わせる。

 

「あの堅物を絵に書いたような冬川雪緒が筋を通さないのは可笑しいって言っているの。今回の一件、『魔術師』の陣営はまるで知らないそうよ?」

 

 それを聞いて、樹堂清隆は驚いたように眼をまん丸にする。

 オレは『魔術師』と最も密接に関わっており、裏切り者として処分するのならば誤解が無いように『魔術師』に知らせてから行動に移すのが当然の経緯であろう。

 『魔術師』の恐ろしさは誰よりも知っているだろうし、この事が真実であるのならばまさに筋が通らない――彼の知っている冬川雪緒に、らしくない、のではなく、あるまじき指示である。

 

「どの道、君とは意見を共有出来ようが出来まいが私達の運命と一蓮托生よ。君は生かして帰すけど、普通に帰ったら恐らく始末されるよ? 私達と内通したと疑われてね」

「冬川さんがそんな事をする訳が……!」

「もう私達は冬川雪緒が嘗ての冬川雪緒でない事を前提に話しているの。その方がむしろ筋が通るし」

 

 豊海柚葉が嬉々と植え付けた疑心暗鬼の芽は、否定出来ないほど彼の心を蝕み――その上手く扇動出来た様子に、彼女は満足気に笑った。

 

「同僚のスタンド使いで信頼出来る者を見繕って、冬川雪緒を探って来て欲しいの。彼が本当に冬川雪緒ならば、反逆行為にも背信行為にもならないでしょ? 彼が今まで通りの彼で、正常で信じるに足る者だったのなら、また私達を襲えば良い」

 

 豊海柚葉の指示でバインドが解かれ、樹堂清隆は夢遊病の患者のようにふらふらと歩いて、何処かに立ち去って行った。

 

(アイツの水の鎌の軌道を完全に見切った事から、写輪眼のような動体視力か未来予知の類だと思ったが……写輪眼なら幻術か? でもまぁ眼の色は変わらなかったからそれは無いだろうけど)

 

 コイツの保有する能力は未来予知系統だと思ったが、精神干渉や洗脳系もあるのか……? そんな万能能力なんて心当たりも無いが――。

 

「……やっぱりお前って怖いわ。先程まで敵だった奴をこうも簡単に使えるとはな」

「『魔術師』が腑抜けていなければ私の出番なんて無かったんだけどね」

 

 ぶーぶーと文句言いたげな顔で豊海柚葉は不機嫌そうにする。

 

「でも、状況は何一つ好転していないわ。私達は常に『スタンド使い』の襲撃の危機に瀕している。本当に厄介よねぇ」

「……全くだ。頭が痛くなるぜ」

 

 『スタンド使い』の多種多様性は随一であり、戦闘をしながら相手の能力の絡繰を見破らない限り勝機は訪れない。

 一騎当千のような派手さは無いが、型に嵌まればその一騎当千の兵すら討ち取れるのが『スタンド使い』の強みである。

 

「あ、あの!」

 

 今後の身の振り方を考えていると、高町なのはの方から声を上げて、オレ達は彼女の方に振り向く。

 

「私に出来る事は何かありませんか……!」

 

 その必死な立ち振舞いを見て――冬川雪緒の事を思い出す。

 

 ――確実に、高町なのはは罪悪感を覚えている。

 月村すずかに倒され、死の淵に居た処を冬川雪緒の挺身で救われた。後で助かったと解って事無き得たが、どうも風向きが怪しい。

 だが、もしあの時に冬川雪緒は死んでいて――別の誰かに摩り替わっているような事態になっているのならば、その全ての責任はオレが背負うべきものである。

 

「……いや、高町。冬川の事は、オレ達も半信半疑で――」

「折角の好意を無為にする事は無いわ、直也君」

 

 オレの言い訳じみた言葉を遮ったのは豊海柚葉であり、オレは瞬時に眉を顰める。

 高町なのはをこの一件にこれ以上巻き込むつもりか、と睨みつけるが、笑い返されてスルーされる。

 

「暫くは固まって行動しましょう。互いだけが最後の頼みの綱になるかもしれないわよ?」

 

 

 

 

 クロウとセラの一触即発の緊迫した状況は、『神父』の機転によって二人を別々に隔離する事で事無きを経て――セラは陰湿な雨降る景色を眺めながら、一人で黄昏れていた。

 

「……退屈な部屋。本当に何にも無い部屋ね……」

 

 此処は彼女の部屋、否、彼女じゃない『シスター』の部屋であり、女性の部屋とは思えないほど飾り気が無くて殺風景でげんなりする。

 いや、気が滅入る理由は他にもあるのだが――ふと、唯一飾られていた写真が眼に止まる。

 自分じゃない誰かが笑って――あのクロウ・タイタスと一緒に写っている。幸せという題名を形にしたような写真であり、酷く心が傷んだ。

 見続けるのも苦痛であり、咄嗟に写真立てを伏せる。子供じみた真似に自己嫌悪さえ抱きながら、彼女はベッドに寝転んだ。

 

「……解っているよ。突然降って湧いた部外者の私に、居場所が最初から無い事ぐらい」

 

 世界から一人取り残されたかのような疎外感は、錯覚ではなく真実である。此処には彼女が知る者は誰一人居ないし、彼女を知る者もまた誰一人居ない。

 

「……どうしろ、と言うのよ。いきなり私なんかに投げ出されてさぁ」

 

 ――記憶を取り戻すのが、余りにも遅すぎたのだ。

 

 こんな事ならば、一生目覚めなかった方がまだ幸せだっただろう。自分も、そして彼女も、その周囲の人達も、誰一人傷付かずに済んだだろう。

 

「……十万三千冊の魔道書の知識を持って、首輪無しで行使出来るなんて規格外も良い処でしょ。そんなのと何も出来ない無力の私に入れ替わったら怒られて当然でしょ……」

 

 ――本当に、嘗ての自分が羨ましい。憎たらしい。

 彼女の事をこんなにも想ってくれる人達が傍に居て、本気で心配して怒ってくれる人が傍らに居るなんて――。

 

 こんこん、と控えめのノックが鳴り響く。私はベッドから起き上がって「……どうぞ」と小声で言う。

 此処は彼女の部屋ではなく、他人の部屋だ。誰が訪ねて来ようが、彼女に拒否する権利は無い。出て行け、と言われるのならば、出ていくしかあるまいだろう。

 了承を得て入ってきたのは、予想を反する事に『神父』だった。

 

「少し話をしたいのだが、良いかね?」

 

 『神父』は笑顔でそう切り出し、セラは無言で頷いた。

 どうにも、彼だけは人物像を掴めずに居る。セラの無理難題な提案を聞き受けてくれたのも彼であり――不安に思いながらも、その心中を聞く事にした。

 

「……どうして、私の意見なんて取り入れたんですか?」

「泣いている子を放っておける親はいませんよ」

 

 その言葉に、目元が熱くなり――首を何度も振り払って、雑念を払う。

 彼のその感情は自分ではなく、セラではないシスターに向けられたものに過ぎないと最初から諦めるように。

 

「貴方の知っている私は、『私』じゃありませんよ」

「もう一人、新たに増えただけです。最近は減る一方でしたがね」

 

 『神父』は少し寂しげに笑う。

 

「一つ昔話をしましょう。二年前の事です」

 

 この海鳴市の大体の事は聞いている。無論、魔都じみたこの都市で起こった事件も、今更聞くまでもなく全て聞き及んでいるが、セラは静かに耳を傾けた。

 

「その頃は海鳴市にとって屈指の大混迷期でした。転生者の割合が過去最高でしたからね、彼等が起こす犯罪は通常の法的機関では立件出来ず、野放し同然でした」

 

 二回目の転生者は殆どミッドチルダ式の魔導師としての素養があるだけで、デバイスがなければただの人間だが、三回目の転生者は以前の世界の才覚を引き継いでいる。

 その異能力をもって好き勝手暴れる者は、今とは比べ物にならないぐらいのさぼっていた。その時点では、神秘の隠蔽を徹底する『魔術師』と、転生者への復讐組織である『武帝』という最大の脅威は存在しなかった為だ。

 

「まぁそれでも――この孤児院はその時期が一番平和でしたよ。神咲悠陽も居て、湊斗忠道も居た。喧嘩は絶えませんでしたが、賑やかでしたよ」

「……『魔術師』に武帝の人も?」

「ええ、この孤児院出身です。あれほどまでの者達がこのしがない孤児院に捨てられたのは皮肉な話ですね」

 

 『禁書目録』だった彼女、十三課の『神父』、埋葬機関の『代行者』、『魔術師』、『銀星号』の仕手、『竜の騎士』、『全魔法使い』、才能無き『魔導探偵』――極めて傑出した転生者がこんなにも集まっていた事実に、セラは改めて驚愕する。

 もうこの教会の孤児院は特異点に指定されても文句無いぐらいである。

 

「そしてあの忌まわしき吸血鬼の事件が起こった。この事件の過程で、私達はこの街の歪みを正すには、もっと直接的で大胆な手法でなければ不可能であると悟ったのです」

 

 『神父』は静かに「転機はまさにその時でした」と語る。

 

「内外の脅威を払う『魔術師』、無法の転生者を恨む非転生者達に復讐の手段を与える『武帝』、異端者や吸血鬼を殲滅する『教会』の三勢力に分離したのは必然でしたね」

 

 ――つまりそれは、自然に分離したのではなく、共通の目的意識を抱いて三つの道に進んだという事では無いだろうか?

 

「これら三勢力は海鳴市にとって無くてはならない、必要不可欠の自浄作用です。その事実を知っているのは私と悠陽と忠道だけですがね。――まぁ悠陽は吸血鬼を飼った件が負い目になって、自ら進んで独立しましたが」

「……どうして、前の私にも喋っていない事を私に?」

 

 極めて重大な裏事情を聞いて、何故そんな事を自分に話すのか、必死に脳を動かしてセラは推測する。

 その三勢力は裏で結びついていて、万が一の有事の際は協力出来るが、組織である以上、自由に身動き出来ないケースもある。

 

「出来る事ならば、私は息子達と争いたくはない。言葉で解決出来るのならば、それが最善であり、最良なのです」

 

 利害の一致という観点もあり、今回の争点である『闇の書』の主の処遇については互いに思う処があるのだろう。

 互いに滅ぼす訳にはいかないが、争う事もある。それはつまり――。

 

「私にはこんな卑怯な言い方しか出来ませんが――貴女なら、それが可能だと思ったからですよ」

 

 

 

 

 

 

 


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