――その世界は無限に閉ざされた螺旋迷宮でした。
絶望が連鎖し、流された無数の涙は世界を深く沈める。悪辣なまでに世界は悪意に満ちてました。
この無限螺旋を抜け出すには一つの鍵が必要であり、けれども、その鍵は最愛の人の生命を差し出す事で始めて入手出来る代物でした。
――何か他に手段は無いだろうか? 彷徨う事、数千回余り。未だ他の道は発見出来ません。
舞台は着実に終焉に向かい、鍵を入手する条件は整いつつあります。
犠牲無くして幸福になる事は出来ないのでしょうか? 何もかも一切合切解決する方程式は、必ず何処かにある筈です。
そう、信じてました。
三人で挑んで玉砕しました。
四人で挑んで結末を知りました。
六人で挑もうとして決裂しました。
六人で挑んで破滅しました。
二人で挑み続けて心折れようとしています。
――そして、この螺旋迷宮を抜け出す二つ目の方程式が無い事を悟った時、電撃的に閃きました。
道も扉も一つしかないですが、鍵は一つとは限らない。
簡単な話でした。犠牲になるのは私でも良かったのです――。
05/一人の異分子
「あのね、女の子にデートを誘ったからには男の子には一瞬足りても退屈させない義務があるんだけど?」
今、自分の目の前に大層不機嫌そうな顔をしている赤髪蒼眼でポニーテールの少女の名前は『豊海柚葉』――そう、目下、最大の異分子である監視対象である。
何故その彼女と喫茶店でお茶、穿った意見では二人でデート、という異常極まりない事態になっているのかはオレが誰よりも問い質したい処である。
「いやいや、誘ったのはお前の方だろう。それにこれがデートだって? 宣戦布告か奇襲作戦の間違いじゃないのか?」
そう、奴の予測不可能の先制攻撃は放課後と同時に来た。
いきなり此方のクラスに入ってきて皆の目の前で堂々と「ちょっと付き合ってくれる?」なんて爆弾発言を落としやがった。
此方としては「皆に噂になるのが恥ずかしい」と返して回避してやりたかったが、あの時は予想外の展開に機転を完全に失い、成すがままに今の混沌とした事態になっているのである。
「器の小さい男ねぇ。小さい事を愚痴愚痴と女々しいわぁ」
「いや、どう見ても小さくないから。とても重大な事態だとオレは確信しているのだが」
今の処、終始、不遜極まる彼女のペースに乱されているという訳である。
アイスコーヒーを飲みながら、油断無く彼女を凝視し続ける。
ココアを頼んで優雅に飲む彼女は中々絵になっているが、コイツは少なくとも最低一人は転校生を破滅に追い込んだ悪女であり、現状では意図が掴めない敵である。
「御園斉覇の事なら心配しなくて良いと思うよ。どうせ『魔術師』が先手打つだろうから。このまま行方不明になったのならば真っ先に貴方が疑われるから、当人には暫く登校拒否になった挙句に何処かに転校する事になるでしょうね。書類上の問題だけど」
「……自身が『転生者』である事を堂々と晒すんだな?」
「ただの事情通かもしれないわよ? 君達の事情に詳しい一般人も探せば居るものよ」
彼女は此方をからかうように余裕綽々と笑う。
その表情には清々しいぐらい純然なる邪悪が滲み出ており、あろう事か様になっている。女悪魔か、女魔王という処か?
「……単刀直入に聞く。何が目的だ?」
「他の八人と同じように扇動しに来たと思うの? そんな安直な解答に至る単細胞なら失望の極みなんだけど。女性の繊細な気心を察するのが良い男の第一条件よ?」
驚愕の新事実がその何気無い一言で発覚する。
最低一人かと思っていたら、暴走した御園斉覇以外全員の死に関わっていた。それを当たり前の事実のように語れる感覚が恐ろしいし、同時に許せなかった。
「悪いが、腹黒い女の内心なんざ解りたくもないんだが?」
「女の子はね、何歳になっても心は乙女なのよ? 減点ね」
「……人の金で飲み食いしている奴の言葉じゃねぇな」
高いデザートばかり頼みやがって、普通の小学生の小遣いじゃ会計支払えないぞ。臨時収入があったから良いものの――。
「何を言ってんの、女の子を楽しませない最低最悪な男でも財布役は出来るんだから、喜んで支払いなさい。臨時収入もあるんだし、金銭面には余裕があるでしょ」
――コイツ、其処まで知っているのか?
驚愕の眼差しを向けた処、彼女はさもおかしいという具合に小憎たらしく笑った。
「全くダメダメな間諜ねぇ。顔に答えが全て出ているわよ」
……今度は眼が点になる。全て見抜いた上でオレを誘うだと? 何だこれ、此処はまさに死地じゃないだろうか?
緊張感を一段と高める。意識を臨戦状態から戦闘状態に移行させる。何か一つでも変な行動をすればスタンドを容赦無くぶちかませる状態にする。
「オレが『魔術師』の間諜と解っていて話すのか?」
「何処の世界に間諜と仲良くなってはいけないって決まりがあるの?」
パフェを食べながら、豊海柚葉は平然と語る。どうやら彼女の感覚と一般常識は相容れないようだ。
言葉のドッチボールだ。まるで掴み所が無く、常に空振る勢いである。それなのに此方の魂胆は全て見透かされている感じがして肌寒い。
あの『魔術師』の時も同じ感覚を味わったが、この少女も同様――同レベルの異常者なのだろう。
「それじゃ間諜は間諜らしく、堂々と聞くか。何故八人の転校生を殺した?」
「――人聞き悪いわねぇ。私自身は一回も手を下していないわ。少しだけ誘導した結果、彼等が勝手に破滅しただけよ?」
などと意味不明な供述をしており、皮肉気に「堂々と調査対象から話を聞く間諜なんて初めて知ったよ」と付け足す。
というか、結果的に彼等の死因になっているじゃないか。
怒りを隠せずに睨みつけるも、その視線に動じる事無く、パフェを幸福そうに食べる。図太い神経だ。非常にやり辛い。
「今まで転生者である事を徹底的に隠匿していたのに関わらず、よりによってこの時期に行動を起こした理由は?」
「別に隠していた覚えは欠片も無いんけどぉ? そうねぇ、強いて言うならば退屈な役者に退場願っただけかな?」
――この女は、一体何を言っているのだろうか?
吐き気を催す邪悪の化身が、ただただ童女のように純粋に笑っていた。
「この街の現状はとても混沌としていて面白いのに、ぽっと出の大根役者が現れても萎えるだけでしょ? 手間を省いただけよ。どの道、彼等程度ではどう足掻いても生存出来ないし」
確かに、現状ぽっと出の転校生が他の二次小説のように馬鹿みたいに振る舞えば、この『海鳴市』は微塵の容赦無く牙を剥いて食い散らすだろう。
もしも自分が冬川雪緒と接触して無ければ――果たして生き延びれただろうか? 第一印象は最悪だったが、彼は自分にとって救いの神、命の恩人だったのではないだろうか?
「――その点、君は合格かな。この街に来てから少なくとも三度死に直面し、ちゃんと的確に回避しているんだから」
「三度?」
「あら、もう忘れたの? それともあの程度の窮地は日常茶飯事かしら? 一つは魔導師、ランクCの陸戦だったかな? あの程度の雑魚は蹴散らして当然だけどね。二つ目は『魔術師』よ。初見で彼に始末された転生者って少なからず居るのよ? 三つ目は『空間移動能力者』で、内面はボロボロの塵屑だったけど、能力が能力だっただけに厄介だったわねぇ」
……考えてみれば、一日に一回ペースで死ぬような危険と相対しているような気がする。そして自分の中の『魔術師』の危険度を更に一段階向上させるのだった。
「何か知らないが、お前も『魔術師』もオレの事を過大評価してないか? オレは物語の主人公になれる資格なんて持ち合わせてないぞ?」
「興味深い話だね。君にとって『主人公の条件』とは何だと思う?」
今度は興味津々と言った具合に話に食いついてくる。今一彼女の人物像が掴めない。
冷徹無比な悪女かと思いきや、今みたいに童女のような反応も返す。何方も彼女の一面という事なのだろうか?
「今まで一度も考えた事の無い話題だな。あれか、一番強くて運が良くて格好良くてモテモテとかそんなもんか?」
ドラゴンボールの孫悟空、ラッキーマン、数多のギャルゲー主人公を適当に思い浮かべながら返すと――豊海柚葉は物凄く不機嫌そうに口を尖らせて沈黙する。
無言の抗議である。元が美少女なだけに様になっていて恐ろしい。
茶化す場面では無かったようだ。少しだけ反省する。
「解った解った、真面目に考えるからそんな顔するな。――そうだなぁ、『異常』である事かな?」
「ほほう、その心は?」
「平凡な奴では務まらない事は確かだ。異彩を放つ何かを持っているというのは、他人とは外れた部分を持ち合わせているという事になるんじゃないか?」
こういう主人公と言えば『HUNTER X HUNTER』の『ゴン』とかが当て嵌まるんじゃないだろうか?
あれは一見して正統派な主人公だが、内面は一番イカれている代表例である。
「面白い意見ねぇ。他の人間より優れた部分を『異常』呼ばわりかぁ。中々洒落ているね」
「そういうお前はどうなんだ? 人に聞くからには自らの解答ぐらい用意してるんだろう?」
とりあえず、適当に話題提供、話を繋げながら相手の性格・嗜好などを探っていく事にしよう。
こういう他愛無い会話に重要な要素は含まれている事だ。気づくか気づかないかは別次元の問題だが。
「その物語に対する『解決要素』を持つ事が『主人公の条件』かな。強さは必要無いし、異性を惹き付ける何かも必要も無い。物語という立ち塞がる『扉』の前に『鍵』を持っていれば良い」
「何だかかなりメタ的な要素だな。……その定義からすると『魔法少女リリカルなのは』の主人公は誰になるんだ?」
巻き込まれ型の主人公を全否定する身も蓋も無い定義である。
でも、その手の主人公は読者と近い立場を取る事で物語に感情移入させる目的なのが多いか。
「この物語は高町なのはが不在でも勝手に解決する。故に主役という駒は実は不在なのよ。彼女の役割は解決が約束された舞台を踊るだけ――『道化』だね」
清々しいまでに良い笑顔である。将来、こういう笑顔をする女性には金輪際近寄りたくないものである。
「そんな舞台だからこそ、舞台裏で蠢く根暗な『指し手』が好き勝手に暗躍出来るのよ。チェスの盤上のように物語を見立て、複数のプレイヤーが同時進行で手を打って状況を動かす。中には一人で勝手に動く駒もあるけどね」
そして豊海柚葉は「そういう奴に限って戦術で戦略を引っ繰り返すイレギュラーだったりするんだけどねぇ」と愉しげに付け加える。
そんな『コードギアス・反逆のルルーシュ』に出てくる『枢木スザク』みたいな厄介な転生者が実際に居るのだろうか?
――さて、彼女の言い分は存分に聞いた。
それで溜まった憤慨を一気に晴らすべきである。
「――お前等にとって、人の命とは何なんだ? どの程度まで軽く映っているんだ?」
「人の命なんて単なる消耗品よ。当然、他人も自分も等しくね」
予想通りの言葉にぐぅの音も出ない。机の下に隠した握り拳に爪が食い込む。
こんな遊び感覚で生命を散らした者がいるなど、遣る瀬無い。
豊海柚葉は挑発的な笑みを浮かべる。今の自分の正当な怒りが、さも滑稽に映ったらしい。
「――私の行いは間違い無く『悪』よ。これから積極的に事を起こすだろうし、犠牲になる人も増えるだろうね。これは呼吸をするかのように娯楽を求める行為、止めたら窒息死しちゃうわ」
――やはり、彼女・豊海柚葉とは殺し殺される局面まで行くしかないらしい。
ある種の覚悟をした瞬間、豊海柚葉は溜息を吐いた。まるで子供の理不尽な怒りに対応する腐れた大人のような不逞な尊大さで。
「そうね、此処で貴方に敵対行動を取られ、直接対決になるのは今現在の状況下では望ましくないわ。命乞いの算段でもしようかしら?」
くるくると自身の前髪を指先で弄りながら、彼女は余裕綽々に笑った。
――それは自信満々の、一片の迷いも無い、不敵な微笑み。
殺し合いをする寸前まで此方の感情を悪化させておいて、それすらも彼女にとっては遊び感覚なのだろうか? 非常に忌まわしく思う。
この女は此方の感情の動きを全て理解し、把握した上で嘲笑ってやがる……!
「君の価値が『魔術師』に高く評価されているのは私の『当て馬』として非常に優秀だから。私と『魔術師』が相争う最中は余り失いたくない手駒だろうね。それじゃ早期に決着が付いてしまえば? 君は『魔術師』にとっていつでも使い捨て可能の捨て駒まで落ちるし、私にとっては敵対者の残り香として直接的にしろ間接的にしろ排除に掛かるだろうね」
彼女の口車に乗るつもりは一切無いが、それはあの『魔術師』の『使い魔』が救援に来るという異常事態についての明確な解答に他ならなかった。
そういう目的であれば、ある程度は納得が行く。あの状況では傍観が最善だった筈、それなのに労を要して介入してまで助けた理由があったと考えるべきだ。
それが彼女の言った事であると断定するのは危険極まる話であるが――。
「君自身の生存率を高めるのならば、私と『魔術師』の暗闘が継続中の方がむしろ望ましいという事さ。君としても、ただでさえ危険の多い原作中に危険を倍増させる行為は控えたいでしょ?」
豊海柚葉は此方の心の中に僅かに生じた葛藤の芽を育むように、親切丁寧に補足説明する。
その危険度を更に高めている張本人から言われれば説得力は倍増だな、と心の中で猛烈に毒付く。
「そして短絡的に此処で決着を付ける行為は非常に愚かだね。まず一つに情報アドバンテージが段違いである事。私は君の『スタンド』が風を操る類のものだと推測出来ているのに、私の能力に至っては情報が皆無。でもまぁ『魔術師』自身は此処で激突して私の能力を確かめられるからそれで良いと考えているだろうね――御園斉覇の時とは違って、援軍は来ないという事さ」
――そう、問題はまさにそれだ。
オレは彼女の目の前では『ステルス』を使っていない。ただ『スタンド』を飛ばして御園斉覇を力任せに殴り飛ばしたのみである。
それなのにオレの能力が風を操る類であると断定しているのは正体不明の察知能力及び監視能力の高さが此方の予想を遥かに上回っていた事の証明だ。
(最大の泣き所は、奴の戦闘能力の有無が欠片も解らない事。全てハッタリだとしたら称賛物だが、此方の『ステルス』を考慮した上で勝てると踏んでいる……)
スタンド能力の全てを晒した覚えは無いが、秘めたる能力が未知数である以上、敗北の可能性は常に濃厚に付き纏う。
いや、敗北の可能性など戦闘をする限り大小問わずに生じるものだ。今はこれの危険度から察するに、早急に排除した方が良いとオレの勘が警鐘を鳴らしている。
彼女は残念ながら存在するだけで犠牲者を量産する正真正銘の『悪』だ。許されざる存在である。
「――凄いね、自分の生命と街の平穏を天秤に掛けて迷えるなんて。献身的だねぇ、まるで本物の『正義の味方』みたい」
……これまでと違って、心底感心したのか、少女は物珍しげに此方の顔を万遍無く眺めた。
その眼に灯るのは無色の好奇心、なのだろうか? 何なんだろう、この世紀の悪女と年端無い童女が同居しているかのような奇妙な有り様は?
意外な二面性? 多重人格? いや、どれもしっくり来ない。
「良いわ。貴方に免じて暫くは動かないであげる。原作が始まるまでの退屈凌ぎは貴方でするから」
豊海柚葉は何か無い胸を張って、えばって言っている。
オレは沈黙を持って。疑いの眼を持って無言の圧力を掛ける。
「……むぅ、心底信じてない顔ね?」
「……全くもって信用出来ないし、信頼など元から無いからな」
「役者の選別は終わったし、後は舞台の開演までやる事が無いわ。――何故ならば、この物語は『魔術師』が『ジュエルシード』をどうするかで何もかも一変しちゃうんだもの」
彼女は若干拗ねたような口調で言い捨てる。
はて、何で『魔術師』が『ジュエルシード』をどうするかの決定権を持っているのだろうか?
あれは事故で『海鳴市』にばら撒かれる筈なのに。
「『魔術師』が『ジュエルシード』を……?」
「素直に原作通り『海鳴市』に落とさせるか、落下を防ぐか。大筋で二通りだけど、何方だと思う?」
――今まで考えた事が無かった。
コロンブスの卵である。今まで『ジュエルシード』が『海鳴市』に落ちる事が確定していて、落ちた後をどうするかと悩んでいたが、阻止するという選択肢もあるのか。
「何方にしろ原作通りには進まないけどね。呪いの塊である『魔女』の願いを『ジュエルシード』が叶えれば、間違い無く未曽有の災害になる。それはそれで興味深いよね、廃棄物の呪念をどのような形で叶えるのか、今からワクワクするわぁ」
そんなクリスマスのプレゼントが何か、猛烈に期待している子供のような笑顔を浮かべられてもその、何だ、困る。主に反応が。
ただの『魔女』でも運が悪ければ『ワルプルギスの夜』みたいな超弩級の災厄になってしまうんじゃないだろうか?
その場合、オレ自身が生存出来たとしても、家族は間違い無く死んでしまうだろうなぁと真っ黒な未来予想図に暗く沈む。
一応実の両親として、それなりに愛着が湧くものだ。それが三人目の存在だろうと変わらないものだ。
「そして『ジュエルシード』の落下を防げば――船の事故そのものが発生しなければ『ユーノ・スクライア』は『海鳴市』に来訪せず、魔法少女の『高町なのは』は生まれない。これの影響が何処まで響くかは誰にも想定出来ないだろうね」
目先の危険を回避するなら最上の手だが、未来が不明瞭になって予想出来なくなるのが欠点か。
原作通りに進めるという選択肢が無い今、あの『魔術師』は何方を選んでも苦渋の選択となるだろう。
……あの『魔術師』が思い悩んでいる光景など、想像だに出来ないが。
「さて、今日は此処でお開きにしましょうか。貴方が私を退屈させない限り付き合ってあげるわ」
いつの間にかパフェもココアも飲み終わったのか、豊海柚葉は既に帰宅準備を整えていた。
未だに迷っているが、尊大な言い方にかちんと来る。自分でも驚くほど反骨心が湧いてくるものだと客観的に思った。
「言うに事欠いてそれかよ……全くもって傲慢な女だな、お前は」
「ええ、私が私である限り傲慢なのは当然だもの」
「自信を持って言う言葉じゃねぇよ!」
結局、今日の内はこれでお開きとなり――彼女との会話を『魔術師』にどう報告したものか、暫く頭を悩ませるのだった。
――私の名前は『エルヴィ』、正確にはもうちょっと長い『真名』があるけど、黙秘権を使用します!
ご主人様、神咲悠陽様の忠実なる『使い魔』で、生活自立能力皆無の駄目駄目人間の引き篭もり生活を成り立たせる縁の下の力持ちなのです。
でも、たまぁにちょっぴり自分の存在意義を見失ったりします。
『眼』を瞑ったままのご主人様が自身の携帯電話を弄って、正確に目的の人物に通話成功させた時とか特に思います。「あれ、私っている必要無くね?」と……。
「お久しぶりですね、神父。お元気でしたか?」
『相変わらずだね、悠陽。偶には顔を見せたらどうです? 二人共寂しがってましたよ』
「ご冗談を。アイツら二人ならまだしも、貴方に対面したら殺されますよ」
私の吸血鬼の聴覚ならば携帯からの相手の音声を聞き取るぐらい容易い事なのです。
決して聞き耳立てて盗聴している訳じゃないです。勝手に聞こえてくるものは仕方ないのです。
それにしてもお相手はあの吸血鬼殲滅狂の神父ですか。あの人とは何度も殺し合ったので良い思い出は一切ありません。
言うなればアンデルセン神父二号です。二度と遭いたくない類の狂信者です、はい。
「近日中に原作が始まる見込みなので、今現在居場所が確定している『魔女』の一斉殲滅を今夜行いたいのですが」
『良いでしょう、神が創りしものを悪魔が弄った忌むべき廃棄物、あのような唾棄すべき存在は我々『教会』としても許せるものではありません』
今は温厚な口調だが、異端者や吸血鬼が見えた瞬間にアンデルセンみたいな二面性を発揮し、殺すまで執拗に追いかけてくる狂戦士となります。
過去に吸血鬼に何か確執があるんですかねぇ? 親か嫁でも殺されたのかな? 死なない自信があるとは言え、超怖いです。
「それでは『教会』には『海鳴市』の東区と南区をお願いします。正確な結界の位置は後程送信しますので。西区と北区は私どもが担当します」
『任されました。私達の方は問題ありませんが、君達の方は大丈夫ですか? 人手が足りないのならば応援を寄越しますが』
「ご好意は感謝しますが、遠慮しておきますよ。不用意に衝突すれば殺し合いになるだけです。『川田組』のスタンド使いも動員しますから人手は大丈夫ですよ」
ああ、今回は『川田組』の人も総動員するんですか。私とご主人様だけで十分だと思いますけど、恐らく楽したいのでしょう。
自身が怠ける為ならば他人を塵屑のように使い捨てるのが私のご主人様です。
『――時に、ミッドチルダの方はどうかね?』
「最近は『魔女』に忙殺されてちょっかいを出す気力も無くなったみたいですね。ですが、原作が始まれば余計な手出しを間違い無くしてくるでしょう。理想としては奴等に介入される前に事件を治めてしまう事ですね」
ご主人様としては嵐の前の静けさだと悟ってのお言葉でしょう。『ミッドチルダ』の連中は叩いても叩いても絶対に諦めない偏屈者の集団ですからねぇ。
『惜しいな、君が敬遠な信徒として手助けしてくれれば何よりも心強かったのに』
「生憎と『魔術師』と『教会』は基本的に相容れぬ人種ですよ。それに私はあの吸血鬼を『使い魔』にした事で貴方の不倶戴天の怨敵になった筈ですよ?」
……そうなのである。ご主人様は私を『使い魔』にしたせいで、あの殲滅狂の神父、そして『教会』に常に命を狙われる身なのである。
表立って敵対はしてないが、遭遇したら必ず殺し合う仲である。ただの信徒なら問題無いが、禁書目録もどき、埋葬機関の代行者とぶち当たればそれなりに苦戦は必須である。
(この『魔術工房』ならば幾ら攻めて来ようが何とも無いのですが――)
――ともあれ、敵の多いご主人様が安心して暮らしていけるのは、この『魔術工房』の堅牢さに他ならない。
『魔術工房』だとご主人様は謙遜してますけど、ぶっちゃけ神殿級だと思いますよ?
これを攻略したくば、一発で何もかも一切合財葬り去ってしまう対界宝具『天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)』をぶちかますか、ミス・ブルーや宝石翁などの『魔法使い』でも派遣しろとはご主人様の言葉である。
逆に言えば、最大の脅威と認めても対策が思い浮かばなかったのはその二つ程度であるが。
外壁の守護だけでも、対空墜落術式、ランクAの攻撃魔術まで耐える防御結界が幾百程度。
『騎英の手綱(ベルレフォーン)』及び『遥かなる蹂躙制覇(ヴィア・エクスプグナティオ)』などのランクA+に匹敵する対軍宝具の迎撃概念武装。
(ただし、基本的に一発防いだら終わりな使い捨ての防御術式なので、連発されたら厳しいとか)
『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』級の対城宝具の相殺術式。
(これはテストしようがなかったので、本当に防げるかどうかは実際にやってみないと解らないらしいです)
対『広域殲滅魔導砲(アルカンシェル)』用の空間座標反転術式。
魔術工房の防備を根本的に揺るがす『直死の魔眼』及び『破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)』及び『幻想殺し(イマジンブレイカー)』『起源弾』専用の事前察知撃滅術式――後半に行くほど特定のメタが激しくなるが、まだまだある始末。
(まぁこの時点でこの『魔術工房』の異常性を察知して逃げていれば良いんですがねぇ)
そして魔術工房の内部に侵入すれば、異界化させた空間が待ち侘びており、第四次聖杯戦争のマスター『ケイネス・エルメロイ・アーチボルト』の魔術工房を正攻法で挑んだらどうなるか、身を持って体験出来るでしょう。
常に侵入者の体力を消耗させて『魔術工房』の維持に還元させる生命力奪取の結界なんて序の口。
一度侵入した相手を絶対に逃さない空間転移阻害結界。所謂「魔王から逃げられない」という理屈です。いつから概念化してたんですかね? それ。
破壊されても貯蔵魔力が尽きない限り再生する館全体の復元呪詛。
対吸血鬼用の法儀礼済みボールベアリングのクレイモア地雷列(実は魔術でも何でもない、衛宮切嗣御用達の物理兵器)。
この世界の対魔導師用に最高純度のAMF(アンチマギリンクフィールド)。
対超能力者専用のAIMジャマー。大能力者(レベル4)まで無効化に出来るとか出来ないとか。
対象を擬似的な宇宙空間に永久放逐する永続隔離閉鎖術式。
空間跳躍させて額縁の中に放り込む昔懐かしの『石の中にいる』。
摂氏数千度の温室。サウナってレベルじゃないよ。
ほぼ全ての術式を無効化する対魔力Aランク持ちの『アルトリア・ペンドラゴン』専用の対竜種殲滅術式――これ以上あげてもきりがないし、一日一つペースで増え続けている模様。
一体、どんな敵を想定しているのかと問われれば、サーヴァント級の敵を撃退撃滅する為としか言えない。
それでも実際に攻め入られたら厳しいらしいとは本人の談。対魔力Aランク持ちのセイバーや第五次のバーサーカー(ヘラクレス)が攻め入ったら、ほぼ全ての術式を正面から打ち破られた上で呆気無く討ち取られるだろうと試算。侵攻を遅滞させるだけで精一杯だとか。
魔術師にとって英霊という存在がどれほどまでに規格外なのか、思い知らされる一面である。
『その問題はいずれ決着を付けますが、今でも君は私にとって愛すべき息子の一人ですよ』
「――貴方には感謝している。あの当時の私を引き取ってくれる者は神父ぐらいしかいなかった。なるべく受けた恩は恩で返したいものです」
そう、これである。ご主人様は基本的に外道であるけれども、案外義理堅いのである。これのせいであの殲滅狂の神父と言えども殺しにくいのである。
「エルヴィ、喉乾いた。茶くれ、茶」
「あ、はいはいー! すぐ持ってきます!」
こうして自身の存在意義を改めて確かめながら、幸せな一時は刹那に過ぎていくのでした――。