――ミサカネットワーク。
それは二万体の『妹達(シスターズ)』の電気操作能力を利用して作られた脳波リンクであり、彼女はその電子の海の中に産まれ落ちた。
言うなれば、バグみたいな存在だった。巨大な並列コンピュータに匹敵する演算機能を掌握し、唯一人だけ『超能力者(レベル5)』の能力行使を可能とする不確かな存在。
――彼女が外部の研究者に観測されたのは、ミサカ00001号が『一方通行(アクセラレータ)』と相討ちになった時である。
彼女は『とある魔術の禁書目録』の物語を知っていた。
最終的に『妹達』は10031人の犠牲で救われる事を熟知していたが、それでも一万人近い死は余りにも多すぎる。
彼女は自身というイレギュラーな存在の介入によって、その工程を破滅的に短縮出来るのでは、と考えついた。
まず『一方通行』が参加した『絶対能力進化(レベル6シフト)』は、第三位の超能力者『超電磁砲』を128回殺害する事で『一方通行』が絶対能力者に進化する。
ただし、学園都市でも七人しかいない超能力者を128人も揃える事は不可能であり、代用品として量産型能力者計画の『妹達』を二万体揃える事で代用している。
だが、彼女は超能力者に匹敵する能力を持っていた。彼女自身が死ぬ毎に個体を乗り換えて128回戦闘すれば、10031人の犠牲は128人の犠牲で済む。
――その当時の彼女はそれでも多すぎると欲張り、記念すべき第一次実験の時に『一方通行』の殺害を目論見て、これが見事成功してしまう。
唯一人の犠牲で、この巫山戯た計画を頓挫させ――彼女は致命的な間違いを犯した事に、この当時は気づいていなかった。
この予想外の結果に、研究者達は全力で調査し、ミサカネットワークに漂う彼女の存在が明るみになる。
その最大最悪のバグ――『異端個体(ミサカインベーダー)』はあろう事か、上位個体であるミサカ20001号『最終信号(ラストオーダー)』の直接指令すら、彼女を乗っ取る事で却下出来る存在であり、反乱防止の安全装置としての役割が果たせない事を、学園都市の研究者達に突き付ける。
――彼女は、『異端個体』は学園都市の闇を致命的なまでに甘く見ていた。
制御不可能と判断された『異端個体』を始末する為に、『妹達』全てに廃棄命令が下され、実際に即座に実行された。
青天の霹靂とはまさにこの事であった。
『異端個体』は必死に抵抗したが、彼女が守れるのは彼女が乗り移った個体ぐらいであり、一切の慈悲無く『妹達』は処分され続け――彼女は最後の一体となってしまった。
此処まで来れば、もう手を下すまでもない。野放しの複製体の寿命がどれほど短いか、実際に観測して待ち侘びるだけだった。
――唯一人になった彼女は失意の内に嘆く。どうしてこうなってしまったのかと。
最小限の犠牲で終わらせようとして、二万人全部処分される事態に発展するなど笑い話にもならない。
無能な働き者と、彼女は自分自身を自己憎悪し、絶望のどん底の只中にて寿命死した。
――これが救世主になろうとしてなれなかった、彼女の辿った報われない物語である。
53/正義の味方
「ふむ、この『歩く教会』がどのような論理(ロジック)であのような堅牢な防御性能を誇っているのか、科学的に分析すればどのような結果になるか、実に興味深い」
「……うわぁ、女の子の衣服を剥いで服の方にしか興味持てないとか、ミサカ超引いちゃうー」
記憶喪失の『禁書目録』から剥ぎ取った白い修道服『歩く教会』を、『博士』は手触りを確かめたり、物理的な手段で本当に傷付かないのか、手探りで試している。
その変態じみた光景に、『異端個体』はジト目で咎めた。
ちなみに記憶喪失の『禁書目録』は現在意識不明で尚且つ下着状態、襲撃者に備えて全員配置させてなければ、いつ下っ端に襲われても可笑しくない破廉恥な格好である。
「あれの記憶している十万三千冊の方も興味深いがね、それは『プロジェクトF』で解析出来るだろう?」
「反逆されるフラグでしかないと思うけどー? 前回の失敗から何も学んでないねぇ『博士』」
「いやいや、勿論学んだとも。記憶だけは完全な状態で、肉体面では不完全に調整すれば良いのだろう? 第八位の複製体で其処ら辺のノウハウは掴んだとも」
『異端個体』は「うわぁ」とマジ引きする。
最近、出来上がった複製体が四肢欠損しているような異常な障害者ばかりだと思ったが、どうやら意図的だったらしい。
「そんな方面にばかり力入れているから、完全な複製体を作れないんじゃない?」
「あれの死体さえ手に入れば、完全なる『プロジェクトF』は完成する。ならば、今は下準備を整えるのが最上であろう?」
「取らぬ狸の皮算用って言葉、知ってる?」
研究に対して一途なまでに精力的というか、純粋というべきか――頭の螺子が百本は外れている『博士』は不思議そうに彼女を眺めた。
「何だ、此処では絶対に負けないと言ったのは君だと記憶しているが?」
「十中八九、仕留めれると思うよ。第一位様もそれでお陀仏だったしー……」
自分で言って嫌な事を思い出したのか、『異端個体』のテンションは極限まで下がって、飄々としている表情は曇る。
事情を知っている『博士』はそれに触れず、『歩く教会』弄りを再び始め――侵入者の来訪を告げるサイレンは喧しく鳴り響いた。
「おっと、やっと来たみたいね。それじゃミサカは行くねー」
一転して感情が切り替わり、狂々とした顔立ちで彼女はこの場から立ち去る。
その様子を見ながら、『博士』はビーカーに淹れたコーヒーに口を付けた。
「――二万人の死の贖罪か。統計上の数字過ぎて、儂には理解が及ばぬがのう」
――生まれ故郷はイギリスの農村。
嘗ての故郷である日本の空気とはまるで違ったけど、それでも人並みの幸せが其処にはあった。
二度目の人生という奇異極まる状況とは裏腹に、其処は余りにも平和過ぎて、セラ・オルドリッジは此処が嘗て産まれた世界の過去であると勘違いした。
――小さな差異、と言えば、自身が一種の記憶障害、一度覚えた者は絶対に忘れられない完全記憶能力が備わっている事ぐらいであり、セラはそれを勉学に役立つ程度の意識しか無かった。
それが彼女の運命を大きく狂わす事など、知る由も無い。
この世界が『とある魔術の禁書目録』の世界であると発覚した時には、既に手遅れだった。
――結論から言えば、彼女は十歳の時点で完全記憶能力者である事を『必要悪の教会(ネセサリウス)』の魔術師に見初められ、十万三千冊の魔道書を記憶する生きる博物館『禁書目録(インデックス)』に仕立て上げられた。
――転生者としての記憶を消される前に、セラ・オルドリッジは幾つもの布石を遺した。
『自動書記(ヨハネのペン)』による『首輪』を破るには十万三千冊以外の知識が必要だと、『首輪』の魔術理論を自力で解かれない為に意図的に検閲された魔道書が必要であると――様々な方法で記憶喪失後の自分に伝わるよう、布石を遺した。
――そして、数々の布石は次の世界で花開き、セラ・オルドリッジは嘗ての自分を取り戻す。
余りにも遅すぎる帰還であった。
彼女を知る者は誰もなく、彼女が知っている者もまた誰も居ない。
まるで世界と断絶されたの如く孤独だった――。
「――邪魔だッ! どけぇッ!」
狭い通路には、遅滞戦闘を行う迷彩服の武装兵士が数多く配置されており、マギウス・スタイルのクロウ・タイタスは真正面からの強行突破を敢行する。
この状態の彼は多少の銃火器を浴びた処で、傷一つ付かない。腐っても『マスターオブネクロノミコン』の彼の侵攻を阻むに至らない。
『クロウ、デカいのが出て来たぞ!』
「ちぃ、噂の駆動鎧(パワードスーツ)ってヤツか!? ――ドラム缶?」
『おい馬鹿やめろ。変なキ○ガイを思い出しただろうがぁッ!』
二体の駆動鎧を装甲した敵は、人間では到底扱えない重火器を装備しており――脅威を感じ取ったクロウ・タイタスは全面に防御魔術を構成しながら、銃剣付きの対物ライフルを構える。
――生身の人間なら、一瞬にして蜂の巣になりかねないガトリング砲を防御魔術が受け止め、クロウはクトゥグァの魔弾を二発撃ち放った。
結果など見るまでも無い。装甲が厚いだけの鉄の棺桶の胴体を真っ二つに両断して過剰殺傷し――クロウは壮絶に舌打ちした。
この魔都で生きるからには殺し合いなど日常茶飯事だが、それでも普通の人間に過ぎない敵を殺すのは永遠に慣れない。
胸糞悪い感触が体内に駆け巡り、行き場無く蟠って彷徨う――。
「……アル・アジフ。シスター、いや、セラの居場所は?」
『まだ遠いな。――飛ばし過ぎているぞ。敵地のど真ん中で魔力切れになっては洒落にならんぞ?』
「わぁかってるよ……」
焦燥感を抑え込み、クロウは自らの思考に冷静さを取り戻そうとする。
幾ら十四歳のちんちくりんでも、女は女。人質の身が綺麗である保証は何処にも無い。
それに此処の連中は、人体実験など非人道的な所業を何の躊躇無く実行する人でなし揃いだ。否応無しに焦る。
一分一秒でも早く辿り着くには――感情を制御し、冷徹なまでの意志力が必要だ。
――地下施設に、重苦しい震動が轟く。恐らくは、別方面での『過剰速写』だろう。
「あの野郎、派手にやってやがるな。此処が陥没する勢いだぜ――急ぐぞ、アル・アジフ!」
『応とも!』
「――私では八神はやてを、クロウちゃんを救えない」
『禁書目録』になった彼女は、悲しげに呟いた。
十万三千冊の知識があっても、『魔神』の如き力があっても――彼女は八神はやてを、クロウ・タイタスを『魔術師』の手から救えないと吐露する。
「……でも、貴女は可能性を示した。あの神咲悠陽と争わずに済む理想的な未来を提示した。それを実現出来るのは、現状では貴女しかいない」
確かに、その交渉を実現出来るのはセラ・オルドリッジしかいない。
だから身を引く――? セラは信じられず、自分ではない自分の本音を探ろうとし、即座に思い至る。
「……それまでは、私の存在を許すって事? はは、終わったら役目御免でアンタに消されるのに?」
流石は記憶を失っても自分だと、その腹黒さを褒めてやりたいぐらい、セラは嘲笑った。交渉の余地の無い脅迫だと同時に泣きたくなった。
「――私の目的は、貴女の記憶を取り戻す事。それはあの吸血鬼の御蔭で達成された。けれども、私には一つだけ未練がある」
『禁書目録』になった少女の姿が徐々に薄れていく。
完全に消える寸前、彼女は『禁書目録』になってから唯一、心の底から望んだ事を口にした。
「――クロウちゃんを、助けてあげて」
目を見開いて、セラは消え果てた『禁書目録』の儚い願いを、信じられないものを聞いたような顔で聞き届けた。
「……なっ、巫山戯てるの!? 来る訳無いじゃない! 貴女ならまだしも、今の私を助けに来る訳無いじゃない……! 今、この場において助けて欲しいのは私の方だよっ!」
――そして、目覚めたセラは、当然の如く孤独(ヒトリ)だった。
光さえ無い一室に監禁され、『歩く教会』を剥ぎ取られて下着姿、手首は後ろに拘束されるという無力な少女には不似合いの厳重な具合である。
(……アイツが、私を助けに来る訳無いじゃん――)
冷たい地面に顔を押し付けながら、セラは時折響く謎の震動に疑問符を浮かべる。
よくよく耳を澄ませば、それは爆発音と銃声であり――『此処だ、クロウ!』と、聞き覚えのある声と同時に扉が蹴り破られ、全身血塗れになったクロウ・タイタスが、セラの前に現れたのだった。
「よぉ、涼しそうな格好だな」
「……やぁ。デリカシーの欠片も無いね」
「ほっとけよ。これでも結構気にしてるんだぜ?」
クロウは彼女の背後に回り、手首の拘束を一息で両断する。
よくよく見れば、クロウの身体の血は返り血だけではなく、自分自身の負傷も処々含まれていた。
「『歩く教会』を剥ぎ取られた以外は無事なようだな。んじゃ、帰ろうぜ」
クロウの何気無い一言に、セラは表情を曇らせた。
その言葉は自分のものではなく、『禁書目録』だった彼女のものだ。自分に向けられたものではないと、彼女は自分自身に必死に言い聞かせる。
「――助けに来たのは、貴方の言う、シスターの為……? そんなにボロボロになってさ……」
「……何言ってんだ。攫われたら、誰だって助けるに決まってるだろ。シスターの事は、今は後回しだ」
だから、続くその言葉に抗う手段は無く、彼女の涙腺は一気に崩壊した。
誰も彼女を助けてはくれなかった。記憶が消される寸前も、誰一人助けに来なかった。心底望んだものが此処にあって、嬉しくて悲しくてセラは泣き崩れた――。
(……良しッ、奴の風は全部剥ぎ取った。五分は再展開出来まい。後は――)
この機会に徹底的に追い詰め、『矢』を使わせるように仕向けるのみである。
秋瀬直也は気づいていないが、『彼』と自身のスタンドは共有している。秋瀬直也が自身のスタンドを『矢』で射抜けば、自動的に『彼』もまた『矢』で射抜かれた事になる。
――同時に二人のスタンドがレクイエム化する事態となる。
だが、『彼』は自身の勝利を何一つ疑っていなかった。嘗ての最強無敵の能力を取り戻し、更にその先にある領域に辿り着く。
それでいて秋瀬直也のスタンドに負ける道理など何処にも見い出せない。
(元々、奴と『オレ』との戦いに決着は着かない)
秋瀬直也をこの手で殺せば、自殺扱いで十秒間巻き戻ってしまう。それは在り得ない事だが、秋瀬直也が『彼』を殺しても同じ事だ。
この切っても切れない因縁は、最早『矢』でしか清算出来ないのだ。
――『彼』は消火栓から湧き出る無尽蔵の水を使い、この場に猛吹雪を巻き起こす。
三河祐介の時とは違い、幾らでも凍らせられる水が手元にある今、スタンドパワーを損ねる事無く能力を持続出来る。
極寒の地獄が此処に顕現し、春着だった秋瀬直也の体力と体温を間接的に奪い続ける。
(しかし、懸念がある。果たしてこのまま追い詰め続けて、秋瀬直也が素直に『矢』を使うだろうか――?)
あれの根性は筋金入りであり、実際、最期まで妥協しなかった。
前世での忌まわしき結末を思い出し、『彼』の胸の内に怒りが灯る。だが、これは重大な事である。
最期まで『矢』を使わず、自分と相討ちになる結末を選んだくらいだ。そのスタンドさえ、『矢』を最期が通り過ぎても手放さなかった。
(――何か一手、奴を一押しする一手が必要、なのか――?)
奴自身を追い詰めるだけでは足りない。もう一つ、別の要素で秋瀬直也を精神的に追い詰める必要性を感じる。
奴自身の死では駄目だ。彼は自身を犠牲に出来る人間だ。自己犠牲だとか蛙の糞に劣る低俗な概念など『彼』には理解出来ないが、その自暴自棄の恐ろしさは身を持って体験している。
――生成した氷柱を飛ばして断続的に攻撃しながら、『彼』は必死に思考を回す。
家族を人質にする? 否、足りないし、今すぐ用意出来ない。所詮は二回目の両親、秋瀬直也が幾ら甘くても感情移入しているかが問題となる。
町の人々を盾に取る? 否、不十分だ。あれは博愛主義ではない。正義の味方でもない。無関係な人間程度では揺るがない。
――『彼』が必要としているルールは、彼が自分以上に大切だと認識している者。これに他ならない。これに該当する者が果たして存在しているか、どうか――?
「――ぐッ!?」
思案している内に、秋瀬直也は致命的なミスを犯した。
凍えて自由の利かなくなった足ですっ転び、致命的な隙を晒した。一回殺して時間を巻き戻して考え直そうと、巨大な氷塊を生成して奴の頭上に放り投げる――。
「……っっ?!」
同時に押し潰される激痛を覚悟しながら、『彼』自身も身構え――されども、氷塊は木っ端微塵に砕け散った。
「――あら、随分と苦戦しているじゃない」
――居た。恐らく可能性があるとすれば、彼女に他ならない。
秋瀬直也と同年代の少女、赤髪のポニーテールを揺らす豊海柚葉の出現を、『彼』は心から狂気喝采した――。