57/四月下旬
――とある少女の話をしよう。
彼女は常に一人だった。彼女は道具として産み出され、人権すら無い環境で精錬された。
最高の器として、彼の邪悪な野望を叶える最愛の道具として、考え得る限りの方法で強化された。
創造主である彼は、彼女が従順な道具に過ぎないと侮っていた。
けれども彼女は、彼の想像を超えて邪悪に成長し、その背中を刺されて呆気無く下克上される。
彼女の才覚はこの時点で華開いていた。
彼女は望むままに世界を自分色に染め上げた。
彼女が執り行う事が『悪事』である限り、誰一人彼女の悪意を阻止出来なかった。
――いつしか来るであろう『正義の味方』を待ち侘びて、恋焦がれながら、彼女は際限無い悪意を宇宙に振り撒いた。
いつしか正義の味方を自称していた叛徒は滅び去り、彼女は失意の内にこの世の栄華を極めてしまった。
いつか必ず現れる『正義の味方』に討ち取られる為に、最強最悪の『悪』となった少女――これを理解出来る者は誰一人居なかった。
だから、彼女は常に孤独であり、最初から理解も求めなかった。
自分一人で完結している世界、来たるべき異物によって終わる世界、其処に対話の余地すらありもしない。
彼女は必定の滅びを覆して次の世界に産まれた唯一の転生者である。
事実、彼女は二回目の世界において滅びなかった。永遠の栄華をモノにした。
空っぽの玉座に座ったまま、至高の頂に座したまま、白紙の世界を黒く塗り替えていく。それは三回目の世界においても同じ事だった。
退屈な流れ作業、それでもこの三回目の世界は役者に恵まれており、此処ならば自身を討ち倒せる『正義の味方』が居るに違いないと考えた。
『正義の味方』が居ないのならば、自分以上の『悪』でも良い。
――そして彼女は、彼と出遭った。
57/四月下旬
「自ら生み出した複製体に討ち取られるって、なんか悪の組織っぽくね?」
「支援する組織でなければ拍手喝采、大爆笑したわい! ぐぬぬ、畜生めぇッ!」
――海鳴市の現地に存在した支援組織が壊滅しました。何を言っているか解らないと思いますが、私も解らないです。
獅子身中の虫として強力に支援した組織が役割を果たす前に崩壊してしまったのです。此方にとって手痛い失態ですよね、これ。
「せめてもうちょっと共喰いしてくれたら良かったのに。内輪揉めで壊滅するとかまじねーよ。技術者も全部駆逐されるし、踏んだり蹴ったりだねぇ」
完全な『プロジェクトF』の完成に期待していただけに、この結末は拍子抜けも良い処です。投資して何一つ回収出来ないとか、最低最悪な有様なのです。
あれこれお偉い方が愚痴を言い合っていると、久しぶりに備え付けの画面が点灯します。我等の頂点に立つ『教皇猊下』からです。生きていたんですね。
あ、今日は誰一人欠席していません。珍しいです。
『――ふむ。皆、揃っているな?』
黒衣に身を包んだ正体不明の御仁の出現に、我々一同の緩んでいた空気が一気に引き締まります。
『魔女の駆逐状況はどうなっている?』
「はい、教皇猊下。ニ・三日中に片付きます。フェイトちゃんは優秀ですから」
元気良く事の成果を発表します。私自身も魔女の排除に駆り出されているけど、その中でフェイトちゃんの働きは褒めたくなるほどです。
上司の私としても鼻が高いですし、丁度良いストレス解消になっているんじゃないでしょうか? 魔女退治がストレス解消手段になるほど、私生活が切羽詰まっていると言えなくも無いですが。
『その三日間で魔女を総滅し、可能な限りの戦力を『地球』に派遣するのだ』
私達は教皇猊下の直接的な命令に「おお」と緊張感を高めます。遂に来るべき決戦の時が訪れたという感じです。
「おお、遂に仕掛けちゃいますか! わくわくしてきますねぇ~」
金髪少女の中将閣下が真っ先に反応し、獲物を前にした野獣が如く獰猛に笑い、他の二人も表情を引き締めます。
漸くあの『魔術師』に報復する機会が訪れたという訳です。二年前の吸血鬼事件、忘れようとて忘れられません。あれで同僚と同志が何人葬られた事か――。
『総指揮はアリア・クロイツ中将、卿が執れ。ティセ・シュトロハイム一等空佐は中将を補佐せよ』
「あいあい。教皇猊下のご期待に答えられますよう、全身全霊を尽くしますよ」
ご指名され、砕けた口調で意思表示した金髪少女の中将閣下――アリア・クロイツ中将に、太っちょの中将は苛立った視線を向けてます。
不遜な言葉遣いと指揮を任された事への嫉妬でしょう。今後の方針に関わる事を宣告した後、教皇猊下は先に退席し――我々は遂に訪れた復讐の時に戦意を漲らせてました。
――あの二年前、誰もがミッドチルダで地獄を見て、それでも生き延びた者だけが此処に居ます。
沢山の同僚がグール化し、元同僚のグールを一体何人殺した事か。……感傷的になってしまいましたね。
「それじゃ留守番宜しくねぇ~。私が留守の間に『魔術師』に良い様にやられたら、能力が疑われるよぉ?」
「……フン、誰に物を言ってんだ? あのような俗物にこのミッドチルダを好きなようにさせるものか。精々奴に裏を掛かれぬよう、気張る事だな」
「うわぁ、応援されちゃった。てっきり本音で失敗して降格処分受けろって激励されると思ったのに」
それにしてもこの二人はいつも通り、仲が良いですねぇ。羨ましい限りです。こういう悪友関係は貴重ですよ?
「OKOK、二階級特進して来い」
「そうなったら大将閣下殿を差し置いて元帥閣下様かぁ~。やったね、憧れの魔術師(ミラクル)ヤンと同じ地位だね! あれ、ちなみに殉職以外で二階級特進あったけ?」
「いつからこの世界が『銀河英雄伝説』になったんじゃい! 死ね、氏ねじゃなくて死ね!」
「――ティセ・シュトロハイム一等空佐。フェイト・テスタロッサについて話があります」
会議室を抜けてぶらぶら歩いていると、とある人物に話し掛けられました。
緑髪がトレンドマークで、いつまでも若々しさを保つ未亡人、リンディ・ハラオウン提督である。背後には明確な敵意を向けるクロノ・ハラオウン執務官とエイミィさんが待機してます。
面倒だなぁと思いながら、私は営業スマイルを浮かべて対応する事にします。
「はいはい、何ですかな、リンディ・ハラオウン提督? 忙しいので手短に話してくれるとありがたいのですが?」
遠回しに忙しいので後にしろ、と告げたが、どうも伝わらなかったらしい。
やはり文化の違いか、日本人特有の奥床しい遠回しの言い方では、相手側が空気を読んでくれる事は在り得ないのです。
「今の彼女を実戦に配備する事を反対します。今の彼女は、精神的に戦えません」
「? 可笑しな事を言いますね。フェイト・テスタロッサは十分戦えてますよ? 嘱託魔導師として、驚異的な戦果を齎していると私は認識していますが?」
「彼女を、フェイト・テスタロッサを殺す気ですか――!?」
本当に彼女は善人過ぎて感心します。他人の娘を此処まで心配出来るなんて、誰でも出来る事ではありません。
面倒だなぁと思いつつも、対応する事にします。まぁ最初から、そんな事を私に言っても無駄なんですけどね。お上からの指示ですし。
「うーん、人聞きが悪いですね。元犯罪者である彼女に我々管理局は更生の機会を幾度無く与えています。それに彼女は望んで志願していますよ? その彼女の善意を我々が止める権限などありません」
……まぁ、母親の生命を盾にして「逆らったらどうなるか言わなくても解るよね?」と念頭に置いている訳ですが。
何事も言い様という事です。相手側が納得するかどうかは別次元の問題ですけど。
「――あくまでもフェイト・テスタロッサの自己意志である、と仰るのですね?」
「仰るも何も、当たり前過ぎて言う事すら憚れますわ。一管理局員としては、その志は尊敬に値しますね」
白々しいモノを見るような眼で、リンディ・ハラオウン提督は私を睨みつけます。
うーん、これ以上無くオブラートに包んで説明したのですが、此方の誠心誠意は伝わらなかったご様子です。残念。
激発しそうなクロノ・ハラオウン執務官を抑止しつつ、リンディ提督はごほんとわざとらしく咳払いして急に話題を変更します。
暇じゃないって言ったのに、まだ引き止める気ですか。いい加減、鬱陶しくなります。まだまだ『魔女』狩りをしなければならないのに、職務妨害ですよ、これ。アンタ達の処にも魔女退治回しますよ?
「――プレシア・テスタロッサの裁判、少々強引過ぎると思いますが?」
「残念ですが、私の預かり知る事では無いです。随分と先進的な試みで、スピーディに決着付いたみたいですけど」
そちらが用意した弁護人が当日になっていきなり欠席し、此方の用意した弁護人が席に立って十分仕事した事ぐらいしか知らないです。
面倒になって来たなぁ、と思った時、助けの神はあちらからやってきました。
「やぁやぁ、随分と面白い話をしてますねぇ。リンディ・ハラオウン提督」
「……アリア・クロイツ中将」
「あはは。こんな若年者の名を覚えて頂き、誠に光栄ですねぇ」
わぁ、丁度良い処に現れました。これで私が質疑応答する必要がまるで無くなりました。全権を勝手にアリア中将に委ねて空気となって待機します。
「アリア・クロイツ中将は先のプレシア・テスタロッサの裁判とフェイト・テスタロッサ、第九十七管理外世界『地球』の事について、どうお考えで?」
「ええ、大変健気ですよねぇ。フェイトちゃんは。我々時空管理局は元次元犯罪者の社会復帰を全力で支援しますよ」
ピカピカの営業スマイルが眩しいです。この答えているようでまるで答えていない政治家返答が何とも素敵です。
というより、勉強になりますね。この答える必要の無い部分は全力で置き去りにして都合の良い処だけ答えるという手法は。
ぴきぴき、と音を立てるばかりに怒りで拳を震わすクロノ執務官を舐め回す、というよりも舐めたような眼で見届けながら、アリア・クロイツ中将は突然明後日の方向を向いて話題変更した。
「そういえば、リンディ・ハラオウン提督は『闇の書』事件をご存知ですよね? 十一年前でしたっけ? 私がまだ三歳の頃の事件ですよねぇ」
彼女達三人の表情が一気に豹変する。うわぁ、流石に遺族に向かってこんな事を言う度胸は無く、私なんかには到底出来ません。
「不幸な事件でしたね。貴女の夫、えーと、名前何でしたっけ?」
「……クライド・ハラオウンです」
「そそ、それ。その時に最期まで居残った彼諸共、船を撃沈させたのがギル・グレアム提督でしたっけ? いやはや尊い犠牲ですねぇ」
アリア中将は人を喰ったような笑顔で、リンディさん達は無表情になって小刻みに震えていたりしてます。
……其処まで言っちゃって良いのかなぁ? 今現在でそれを指摘するのは個人的に早すぎるのではないかと愚考しますが。
「――何を仰りたいのですか? 遺族としては、極めて不愉快です」
「はは、これは申し訳ございません。何分若年なもので、他の者への気配りが足りないと良く忠告されます。――随分と精力的に活動しているようですよ、業務外の事で」
悪魔のような笑顔で、アリア・クロイツ中将は語り掛けたのでした。
何というか、私なんかとは役者が違いますね。数段悪辣という意味で。
「ああ、そういえばティセちゃん、言い忘れた事があったや。ちょっと一緒に来てくれるー?」
「はいはい、お供します!」
此処に来て露骨に私に話し掛け、私達二人は彼等三人の包囲網を悠々と抜け出したのでした。
……扱い辛くなって来ましたねぇ。原作の面々だから色々我慢してますけど。
「良いんですか? あんな事を言って」
「無駄に働きたいなら働かせてあげるのが良い上司の条件だよ? 間違い無く内々で処理するだろうから、これでいつでも始末出来るよ」
などと怖い事を言いながら「まぁ公表しても問題無いしねぇ。ある事、無い事が全部押し付けられて、あれらの派閥ごと一掃出来るしねぇ」と悪巧みを語るような顔が、何とも頼もしい事で。
「彼女達、自称『良識派』は前提から間違っているんだよ。善人が権力闘争で勝ち残れる訳無いじゃん」
誇らしげな顔でアリア・クロイツ中将は言い放ち、私もまた「ですよねぇー」と全力で同意するのだった。
「……飼い犬に噛み付かれたそうだな」
『耳が早いな。流石に頭が摩り替わっているとは思わなくてな、苦労した』
「……心中察する。あれは、惜しい男だった」
純度100%の和室の中、電話の相手は嘗ての旧友からだった。
湊斗忠道は珍しい、と率直な感想を内に述べる。『魔術師』神咲悠陽とは表面的に敵対関係にある以上、直接的な連絡をしてくる事など緊急時以外は在り得ない。
――逆に考えれば、この要件は『ワルプルギスの夜』に比肩する重要度という事に他ならない。
『――其方の近況はどうだい?』
「貴様達が所構わず派手に暴れ回ってくれたからな、此方で抑える事は不可能だ。近日中に大規模な掃討戦が開始されるだろう」
『おお、怖い怖い。『善悪相殺』なのに良くまぁ殺す気になれるものだ』
茶化す『魔術師』に、湊斗忠道は心底から溜息を吐いた。
あの『ワルプルギスの夜』で共同作戦を経て、少しは対転生者の感情が落ち着くと思われたが――その後に行われた数々の時点で呆気無く帳消しとなった。
今では連日して『転生者討つべし!』との声が日増しに強くなり、武帝の頂点に立つ彼でも抑えられなくなっている。
「……他人事のように話しているが、その最優先候補地は貴様の領地だぞ?」
『――集団自殺したいの? 私としては他の勢力を削ってくれると嬉しいのだが? 野に下っている有象無象の転生者はまだ幾人か居るだろう? そういう潜在的な危険分子にぶつけろよ』
その『魔術師』の声には欺瞞も虚勢も無い、ただ淡々と事実を突きつけているものであり――海鳴の大結界が復元しない内に討ち取るべきだ、という声が組織内で強いが、馬鹿な話だと湊斗忠道は内心思う。
――この一切油断ならぬ男が、地脈が完全に破壊されると解っていて、何ら対策を講じないだろうか?
現に今まで『魔術師』は結界の修復を行った形跡は一切無く、その完全なる余裕は見ていて気味が悪い。
今の『魔術師』の状態は『結界が壊れて隙が生じてますよ、チャンスですので屋敷に来て下さい』と言わんばかりであり、実際に飛び込んで罠の有無を調べるのは別の者にやらせるのが至上だろう。
『――近日中に管理局の連中が動く。ミッドチルダにバラ撒いた『魔女』を全て片付けて、可能な限り戦力を投入してくるだろう。それと時期が被らないように留意してくれ』
「……後回しにするか、一気に激発させるか、か。貴様はいつも無理難題を押し付ける」
情報通り、管理局からの大規模な攻勢があるのならば、連中に様子見させるのが最も効率良い。これならば血気に逸る部下達も説得出来るだろう。
自分達以外の者に尖兵を任せ、その末路を眺めさせれば、自分達がどれほど愚かな行動をしようとしていたか、冷静に分析出来るだろう。
「出来る限り先延ばしにしよう。だが、今回までの幾多の事件で、転生者に関する感情は最悪を通り越している。突発事故の可能性は高まるばかりだ」
『其方の管理下から逸脱する恐れがあるか。一応留意しておこう』
気楽なものだと、文句の一つや二つ、言いたくなる。
敵対者の『魔術師』からすれば、掛かってくるならば殺すだけで良いが、手綱を握る者からすれば、そうも言ってられない。
『――それと近辺の異常を見逃すなよ? 獅子身中の虫という言葉があるように、内部の敵は厄介極まる』
「……まさか、貴様が此方の心配をするとはな。明日は槍か、蛙か?」
『そんな天気はねぇよ。単なる気まぐれ――いや、確実に冬川雪緒の影響だな』
電話越しから深々と溜息が吐かれる。冬川雪緒の影響力を失い、川田組を信頼出来なくなった『魔術師』の足元は存外に揺らいでいる。
互いに苦労は絶えないようだと、湊斗忠道は分析する。
『そろそろ管理局の勢力を徹底的に叩き潰す。今後、此方の世界に二度と手出し出来ないようにな。――邪魔立てしてくれるなよ?』
最後にこう言い残して、返事を聞かずに通話が終了する。
「最早脅迫だな、御堂」
「幾分優しさが加わって従来以上の混沌具合だ」
「あの御仁も難儀なものだ」
彼の半身である劔冑、通称『銀星号』、正式名称・二世右衛門尉村正は、嘗ての人の形態――褐色の肌に白髪、童話のエルフのように長い耳の少女の姿をとって寛いでいた。
「平和な治世だというのに、この魔都の争いは一向に絶えないものよ。平和惚けして腐っても、人間の本質というモノは変わらぬものらしい」
「……村正」
善悪相殺の戒律を以って全ての戦いを無益なものにしてしまう劔冑は、改めて問う。
「そろそろ答えを聞こう。我が仕手よ。我等村正の掟は『善悪相殺』――前世からの答えを聞こう」
――『魔術師』との交渉は、『ヴォルケンリッター』に闇の書の頁の蒐集を転生者以外の対象から実行する事、最終的に管理局の勢力を排除して『八神家』を取り入れさせない事を同意させ、あと三つの条件が追加されて即座に締結された。
有事の際の救援要請を互いに断らない事、闇の書の防衛システムの共同破壊、管理局の勢力の排除を一切邪魔しない事の三点である。
更には信頼の証として、学園都市の勢力の跡地から見つかった『歩く教会』の返還が行われた。
……何か変な仕掛けが施されていないか、アル・アジフと一緒に疑ったが、今の処、異常は見当たらなかった。
(にしても随分と気前が良いというか、驚くぐらいの変わり身だなぁ)
一度は八神はやてを葬ろうとしたとは思えないぐらいだ。
傍目から見ても『魔術師』が大きく譲歩したような形であり、何らかの意図があったと思われるが、はやての事で奴と争わずに済んだのは救いである。
一つの事をやり遂げて安堵した反面、今のオレ達に支配するのは言い知れぬ無気力感だった。
――学園都市の勢力との戦いで、『過剰速写(オーバークロッキー)』は帰らぬ人となった。
教会内でのムードメイカーだったはやては見るに耐えないほど落ち込み、その影響はオレ達にも出ている。
どうやったら、落ち込んでいるはやてを元気付けられるか、空を見上げながら考える。
彼女一人の笑顔さえ、オレは守れないのかと、自身の無力さに落胆しながら……。
「……此処に居たんだ、クロウ、さん」
「……呼び捨てで構わねぇよ。今更さん付けなんて逆に変だし」
黄昏れている処に現れたのはセラであり、珍しく私服である。
『魔術師』から返して貰った『歩く教会』は洗濯中だったか――?
「……これで、はやてに関しては安心だ。改めて礼を言う。……ありがとよ」
「……私は、その、私の為に、しただけだから……」
俯いてセラは言う。その細かい表情は窺えないが、あくまでも自分の為であって、他人の為じゃないと言って。
「それでも、礼を言わせてくれ。オレ達じゃ、はやての将来を守れなかった」
元々オレは魔法少女リリカルなのはの世界なんて知らないし、管理局が転生者によって何処まで変質しているかなんて解らないが――はやての将来を、誰かの思惑で著しく制限したくない。
自分で選び、いずれ自分のその足で歩むべきなのだ。それが周囲に居る一人の大人として、成すべき事である。
「……私の方こそ、ありがとう。こんな私なんかを、助けて、くれて……」
また俯きながら、セラは呟くように話し――漸く、一歩、彼女と近寄れた気がした。
「よーし! それじゃはやてを元気付ける方法を考えようぜ! オレの脳味噌じゃ全然思い浮かばないから頼るぞ、セラ」
「う、うん、難しい問題だけど、頑張って考えるよ……!」
「――これで、内の問題はほぼ全て片付いた。後は貴様だけだ、豊海柚葉」
教会勢力との交渉を即座に締結させ、足元の憂慮をほぼ完全に排除した『魔術師』は魔王の如く邪悪にほくそ笑む。
漸く一番の敵との決着の時が訪れた。完全無欠なまでの形で討ち滅ぼしてやると、『魔術師』は意気込む。
「……ただ、最大の問題にして不確定要素が一つ残っているがな」
謎というヴェールに包まれた豊海柚葉の全容を、『魔術師』はあの一戦で見極めたと言っても過言じゃない。
その代償に――自身の掌に納まっていた秋瀬直也という駒が、未知数の脅威に成り変わってしまった。
『矢』によって、自身のスタンドをレクイエム化させる事によって――。
これが今現在、『魔術師』が懸念する由々しき事態である。
「エルヴィ、ランサー。秋瀬直也は私と豊海柚葉、何方に付くと思う?」
「そんなの決まってるじゃないですか。男という生き物は、絶対に可愛い女の子の方を選びますよー」
「自分の保身の為に女を見捨てるような奴じゃねぇな、あの坊主は」
エルヴィとランサーのさも当然の如く述べられた意見を、『魔術師』もまた無条件で同意する。
幾らあの豊海柚葉の性根が腐っていようと、同レベルの人間と比べて何方かを選ぶのなら、『魔術師』だって間違い無く男の方では無く、美少女の方を選ぶだろう。
誰だってそうする、オレもそうするレベルの真理である。
「……全く、説得出来る人物は居なくなってしまったからな」
此処に冬川雪緒さえ生きていたのならば、義理人情の重みで秋瀬直也を説得する可能性が残されていた。
この一連の事件で損を被ったのは、間違い無く『魔術師』の陣営である。
副長の位置に居た者を長に据えて今回のゴタゴタに収拾を付けたが、もう冬川雪緒が居た頃と同じ関係を築く事は不可能である。
何より『魔術師』自身が今の川田組を信頼出来ない。これは致命的な問題である。
「で、どうするんだ? マスター」
「一応、筋は通す。関わらないのならば手出ししないし、今後の安全も保証する。庇い立てするなら後日に片付けるさ」
『魔術師』は自身が絶対に信頼されない類の人間であり、人望の欠片も無い事を熟知している。謀略の才能と人望のセンスは真逆の概念であり、面白いぐらい反比例する。
だからこそ、人望があって義理堅い冬川雪緒という存在は掛け替えの無い親友だった。彼だからこそ曲者揃いのスタンド使いを統率し、扱う事が出来たのだ。
――だから、秋瀬直也を此方の味方に引き摺り込む事は不可能であり、明確に敵対するか、観測者として傍観するか、本人に直接問わねばなるまい。
「即座に葬らない、だと……!?」
「ご主人様、どうしちゃったんですか!? いつものご主人様なら『見敵必殺(サーチ&デストロイ)』で即座に暗殺する流れですよっ!?」
ランサーとエルヴィは揃って驚いたような表情を浮かべ、その二人の従者の様子に『魔術師』は青筋を立てて怒る。
「……あのなぁ、人の事をどう思ってやがるんだよ?」
「愉悦部入り間違い無しの性格破綻者です」
「謀略好きのロクデナシだな」
揃いも揃って即座に言い合い、『魔術師』は笑いながらブチ切れた。
「あはは、主を存分に理解してくれる従者を持てて私は幸せ者だ……! 其処に直れ、修正してやるっ!」
「きゃーパワハラ反対ぃー!」