転生者の魔都『海鳴市』   作:咲夜泪

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11/血染めの聖夜

 

 

 

 

 ――その細い腕(かいな)は人間など簡単にボロ雑巾に出来るほどの理不尽な暴力の塊だった。

 

 吸血鬼としてほぼ最高級の性能を誇り、何処にでも現れられる彼女は不可避の暗殺者として聖夜を血染めにする。

 だから、その男も、背後から一撃で仕留めた二人と同じ結末を辿る筈だった。

 

 ――音速を超えて駆け抜けた手刀が空を切り、エルヴィは気づかぬ内に壁に衝突し、激しく吐血する。

 

「――がァっ!?」

 

 驚愕する彼女の目の前には予測不可能の奇襲に対応し、即座に返り討ちにした中将と呼ばれている人間が居た。

 一体何の冗談なのか、バリアジャケットすら纏っていない、青い制服姿のままだった。

 

「え――?」

「如何にも解せぬ、という顔だな? 吸血鬼の小娘」

 

 右掌を前に掲げ、どっしりとした構えで中将はエルヴィを射抜く。

 その中年男性特有の肥満じみた丸まった肉体は、極限を超えて高圧縮された筋肉の塊である事を悟らざるを得なかった。

 

「元々儂には魔法の才能など欠片も無かった。だが、強さに至る道はそれ一つではあるまい――」

 

 こんな処で躓いては、事に支障を来たす。

 その小さな身体に走る激痛を無視し、壁を蹴って疾駆、両爪を振るう。それだけで人間はこうも簡単にも殺せる。

 

「――?!」

 

 それが化け物たる吸血鬼とただの人間の覆せぬ性能差であり――ならばこそ、何故、自身の両爪が肉を引き裂く前に、顎を殴り抜かれ、腹部を蹴り飛ばされ、地に這い蹲っているのか?

 

「柔よく剛を制す。技とは弱者が強者に打ち克つ為の術よ――!」

 

 ――事実、中将が幾ら人間として優れていようとも、吸血鬼の肉体性能の前では塵屑同然である。

 

 最高速度ではどう足掻いても敵わない。だが、『初速』においてはどうだろうか?

 『意』というものがある。事を実行するに当たり、行動を思い描いて実行に移す。この二つの過程(プロセス)を経て、攻撃は行われる。

 『意』とはその行動の起こり、行動を思い描く段階の前兆を差す。流派によっては殺気や気迫などあれこれ違う言葉で語られる事もあるが概ね一緒の概念である。

 攻撃より先に『意』が放たれる事は無い。その二つの過程のタイムラグを限り無く少なくする事は鍛錬と工夫次第で可能だろうが、武芸者として究極の境地たる無想にでも辿り着かない限り、その理は覆せない。持ち前の暴力で全てを簡単に片付けて来た吸血鬼には到底縁の無い概念である。

 

 ――もしも、その『意』を完璧に察知し、相手の『意』より先に行動出来たとすれば、その圧倒的な『初速』は最高速に到達する前に行動の起こりを全て潰し、人外の怪物であろうと叩き伏せるだろう。

 

 卓上の空論である。内功や技巧という形の無いものを信仰する旧世代の愚者の。

 だが、気が遠くなるほどの鍛錬と反復、愛に似た狂気を以って自己の肉体をひたすら苛め抜き――その境地に一歩足を踏み入れた武侠が此処に居る。

 

(何なのこの人間は……!?)

 

 右腕で振り抜いて首を削ぎ落とそうと思った瞬間には右肩を強打され、行動を潰された硬直を狙ってニの拳が繰り出される。

 行動を潰され、理解出来ずに一方的に拳打を受ける、それの繰り返しだった。

 人間としての性能限界を超えて吸血鬼に匹敵する暴威を振るう『神父』とは全く異質のタイプ、理外の境地に立つ管理局唯一の中国拳法家――張遠麗(チャン・ユェンリー)中将の本領だった。

 

 

 

 

 ――白い粉雪が舞うミッドチルダの星空にて、純白の雪結晶に決して染まらない異物として、赤髪黒和服の『魔術師』は静かに佇んでいた。

 

「――随分と遅い参上だな、重役出勤が板に付いているんじゃないか? もうサンタクロースも夢をバラ撒き終わって帰宅準備に入っているだろうよ」

「ミッドチルダにそんな文化あったかしら? ともあれ、その憎まれ口、どうやら本物の神咲悠陽のようね――」

 

 黒いコートの帽子部分を降ろし、豊海柚葉は雪を振り払う。

 既に管理局員による包囲網は完成しており、指令一つでいつでも狙撃なり何なりで八つ裂きに出来る状態だった。

 

(唯一の懸念は、これが本物かどうか。何処かの人形遣いじゃあるまいし、自身の人形を作る事など不可能だと思うけど――)

 

 彼女の感性からも差異は見られない。此処に居るのは八ヶ月前に逝った筈の『魔術師』神咲悠陽に他ならない。

 だが、それに関わらず、不思議と此処周辺に嫌な感触は無い。油断ならぬこの男の事だ、万全の準備をして待ち構えていると思いきや、何一つ仕掛けが見当たらない。

 儀式場を形成出来ないほど力を失っているのか、または別の思惑があるのか――。

 

「――まさか生きていたとはね。一体どんな魔法を使ったのかしら? でも、遅かったのは貴方の方じゃない? 何もかも終わった後に生き返って来られてもねぇ」

「的外れな事を言う。死者の蘇生は『時間旅行』、『平行世界の運営』、『無の否定』、いずれかの『魔法』が絡む。一介の魔術師には過ぎた領域だろうに」

 

 『魔術師』は小馬鹿にするように嘲笑い、反応を返さずにこの目の前の存在を探る。

 確かに『魔術師』は彼の実の娘である神咲神那と一緒に死んだ。それがどんな理不尽な奇跡が起こったかは知らないが、八ヶ月の時を経て復活したとして――自分が此処に訪れる事がまるで当たり前の反応を示すだろうか?

 

 今の彼の反応は、豊海柚葉が管理局の黒幕である事を明らかに知っている前提だった。

 

「この世界の私は神那と一緒に逝ったのだろう? 此処まで言えば、この私がどういう存在なのか察せるだろう」

 

 察しの悪い子供を諭すような口調で言い、漸く目の前の存在が何なのか、即座に理解する。

 

 ――この目の前の神咲悠陽は、神咲神那を殺し、管理局の手勢を鏖殺し、自分さえ殺して、唯一人の勝利者として君臨した別世界の『魔術師』であると。

 

「へぇ、私を殺した世界から来てくれたんだね。それなら少しは楽しめそうかな?」

「いいや、私はお前を殺してないよ」

「?」

 

 だが、欲しい玩具を手に入れたような彼女の笑顔は一瞬で消え去る。

 平行世界の『魔術師』が此処に存在している以上、彼の辿った世界では自分を打ち倒したものだと推測したが――底知れぬ失望は、瞬時に別のものへと変わる。

 

 

「――お前は救われてしまったからな」

 

 

 一字一句余さず聞き届け、『魔術師』が何を言ったのか理解出来なかった。

 思考が文字通り停止する。一体、どういう経緯を辿ってそうなるのか、彼女には全く想像すら出来なかった。

 

「――……、何を、言って――?」

「解らなかったか? お前はお前の求めた『正義の味方』に救われたんだよ。『悪』として殺されたのではなく、ただの救いを求める少女としてな――」

 

 豊海柚葉の表情から一切の感情が欠落する。

 まるで訳が解らなかった。理解出来なかった。出来の悪い虚言を弄して惑わしているだけだと信じたかった。

 

「……嘘――」

「シスの暗黒卿たる貴様を相手に虚言など意味を成さないだろう。真実こそ心を最も蝕む致死の猛毒である、とは私の持論だぞ?」

 

 だが、この時ばかりは自身の直感を呪う。

 目の前で嘲笑う『魔術師』に、虚偽の色など一切存在しない事を見抜けてしまった。

 それでも、その一言を自然と呟いてしまっていた。

 

「――この世界にも『正義の味方』は居なかった……! いや、万が一出現したとしても、何故私を殺さないッ!? 私は――」

「何故って、そんなに不思議か? 悪い魔王を打ち倒して、捕らわれのお姫様を救ってハッピーエンド。最後に愛は勝つという大喜利なのにな」

 

 豊海柚葉は感情のままに喚き叫び、『魔術師』は平然と受け流す。

 今にも空間そのものが歪みそうな彼女の殺意を浴びて、『魔術師』は冷然と見下していた。

 

「まぁ、私の世界が辿った物語など正直どうでも良い」

 

 『魔術師』は悠然と一歩前に出て、柚葉は自然と一歩退いていた。

 

 ――何もかも解らなかった。目の前の『魔術師』に恐怖に近い感情を抱いている。

 

(……恐怖? 恐怖だって? そんな馬鹿な。嘗て討ち滅ぼし、別の平行世界から訪れた程度の敵に、何を恐れている――!)

 

 今は自分の直感すら信じられず、疑心暗鬼に陥る。

 目の前の男は、いや、嘗ての『魔術師』はこれほどのものだっただろうか? 幾つも手札を隠し持ち、自分と同じ位置に居る指し手――だが、今のこれはどうだろうか?

 

 神咲悠陽とは、これほどまでに見えない魔物だっただろうか――?

 

「私はね、豊海柚葉。一身上の理由で君を殺させて貰うよ。今のお前には欠片も興味を示せないがね」

「……自分の弔い合戦?」

 

 思いつく限り、別の平行世界の彼が自身と敵対する理由などそれぐらいしか思い浮かばず、されども『魔術師』は的外れだと言わんばかりに首を横に振る。

 

「それこそまさかだ。そんなものに興味は持てないな。ある意味、娘殺しも最愛の人を再び見送る事もせずに済んだのだから、この世界の私は幸せだろうよ」

 

 くつくつと『魔術師』は笑い、されども冷たい殺意を常に向けている。

 瞬間、途方も無く嫌な悪寒が過ぎった。此処に居てはならないという警鐘が、彼女の中で全力で鳴り響く。

 

 

「――約束してしまったからな、世界が変わったぐらいで違える訳にはいくまい。英雄・高町なのはの誕生を私は否定する」

 

 

 だが、その言葉で立ち止まってしまう。

 何だそれは、と。将来、高町なのはは亡き者への愛に狂って、破滅の運命を辿るだろう。それは豊海柚葉が生きている限り、確定した未来である。

 しかし、自身と同格の悪党が、そんな下らない低俗な理由で、何ら関係の無い平行世界の自分と、全てを賭けてまで殺し合うのかと――!

 

 ――その異変は一瞬の内に常識を塗り替えてしまった。

 

 淡い粉雪は一瞬にして焔の雪へと変貌し、雪の積もったビルの屋上を紅く赤く朱く毒々しい花畑に変貌させる。

 昼とも夜とも思えないぐちゃぐちゃな色の空が広がり――別法則の異世界は完全に鎖された。

 

「――固有結界……!?」

「何を驚いている? 誰の御蔭でこの境地に辿り着いたと思っているのやら。――固有結界は継承出来るんだよ。神那を殺して生きている以上、私が使えるのは至極当然だろう?」

 

 そう、これがこの世界の彼と、今の『魔術師』の完全な差異。豊海柚葉が読み違えた彼への恐怖の正体。

 それは彼女の補正が完全に働いている最中であるのならば、絶対に辿り着けない魔道の境地。

 彼女の補正の支配下から解き放たれた三ヶ月間で得た、完全無欠の『悪』たる豊海柚葉に対する最終解答――。

 

「お前は『悪』である限り、何が何でも滅びない。その秩序に背こうものなら世界そのものが改変するだろう。それは最早『抑止力』の一種なのだろうね。実に忌々しい限りだ。だが、この世界の中に限ってはそんなものは一切通用しない――」

 

 世界が改変され、その手に神秘を取り戻した『魔術師』は悠然と戦闘態勢に入る。

 もう目の前の、一般魔導師にさえ劣っていた脆弱極まる『魔術師』は、桁外れの脅威と成り果てていた。

 

(――っ、やられたぁ……! 手駒から完全に隔離されて一騎打ちに……ッ!)

 

 此処は彼の固有結界、彼の胃袋の中、彼の『魔術工房』に匹敵する異法の処刑場。この敵の殺し手は自身にも届くと、豊海柚葉は驚愕しながら確信した――。

 

 

 

 

(世界からの修正力が桁外れだが、今回に限って言えば無意味だ。しかし、此処まで反則を投入して五分とはな……!)

 

 ――固有結界、まだ名前は無い。

 神咲神那とジャンヌ・ダルクの固有結界の面影を残しているが、その実は彼以外の存在を全て拒絶する世界。他の侵入者を決して許さず、取り込んだ者を絶対に手放さない当たり、当人の心象風景が色濃く反映されている。

 その名無しの固有結界に舞う焔の雪に触れれば、魂さえ焼き爛れるだろう。

 

「――っ!」

「……っ! 刻印接続、肉体及び治癒強化ッ! 術式選択『原初の炎』――!」

 

 尤も、この敵がその制限時間を悠長に待つ筈も無い。

 豊海柚葉は死に物狂いで侵攻し、『魔術師』もまた時間稼ぎという逃げに出れば一瞬で殺されると判断し、全力で殺しに掛かる。

 

 魔術回路から荒ぶる魔力が神経を焼き、その都度に再生して回転数を更に上げていく――凡そ人間単体に放つ代物ではない、最大規模の神秘を『魔術師』は選択する。

 

(――魔眼、及び魔剣『死の眼』は使えない。この固有結界から脱出する可能性など与えてはならない)

 

 この相手に魔術の炎をぶつけるには絶え間無い面制圧しかないが、威力が低ければフォースで弾かれる。

 コンマ一秒でも遅滞出来たのならば、この相手は準最強の破壊魔術だった『原初の炎・簡易版』からも生き延びる。

 それ故の、一切合切、ただの一撃で決着を付ける核兵器の如き空間焼滅である。

 

 ――僅か一瞬にしてその構築する魔術の脅威を感じ取った豊海柚葉は最速を以って疾駆する。

 

(これは『ワルプルギスの夜』の時に見せていたからな――!)

 

 『原初の炎』は神咲家の魔術の最奥、十以上の小節を以って簡易的な儀式と為す『瞬間契約(テンカウント)』が必要となる。

 明らかに術式を構築するよりも、彼女の方が圧倒的に疾い――!

 

「魔弾形式、炸裂焼夷――!」

 

 十の魔力の塊が灼熱の魔弾に加工され、迫る豊海柚葉を迎え撃つ。

 一瞬にしてどういう質の攻撃魔術なのか見極めた彼女はフォースをもって一息に飛ばす。

 その赤いライトセイバーで切り払ったのならば、一瞬にして圧縮された炎が解放されて火達磨になっただろうが、これでは一瞬の遅滞にすらならない。

 

「はああああああああああああぁ――!」

 

 刃圏に捉えた直後にライトセイバーは神速を以って振るわれ、見事に空振る。

 

「っ!?」

 

 彼女が目の前の空間の歪みを意味を感じ取り、即座に地を蹴って離脱する刹那、その背後に空間転移した『魔術師』から宙転抜刀が繰り出され、浅からぬ裂傷を彼女に刻む。

 いつの間にか手にした太刀による、正面から相手の背後を奇襲する必殺の術理――。

 

「っっ、魔剣『昼の月』――!」

「あれは距離や間合いを狂わす術技だからな……!」

 

 此処は彼の固有結界、彼の胃袋も同じ、此処での空間転移は何よりも容易い――!

 

「――粛ッ!」

 

 空いている左掌を砕けんばかりに握り締め――それ故に何処ぞのラスボスが如く空間を握り潰す行為も可能である。

 

(これで死んでくれれば可愛いのだがな……!)

 

 轟音と焔の雪が舞い、毒々しい花畑を蹂躙する。

 手応えはあった。だが、完全に仕留めてはいない。『原初の炎』の術式構成を自己暗示のみで密かに進め――飛来する赤い何かに反応し切れず、『魔術師』の肩口を穿ち貫いた。

 

「グ、ギィ……!?」

 

 貫通する寸前の処でライトセイバーの柄を握り取り、瞬時に刀身をオフにして手元に確保する。

 肩口に若干無視出来ない風穴が開いたが、完全に焼き切れた為、出血の心配は要らない。生じる激痛もこの程度は詠唱の支障にもならない。

 放置しても魔術刻印が勝手に治癒するだろう。

 

(――! チィッ、もう踏み込んで来たか……!?)

 

 ――痛みに気を取られたのは一瞬、その一瞬で豊海柚葉は自身の間合いまで踏み込み、予備のライトセイバーを振るう。

 

(だが、此方にライトセイバーを渡したのは失策だったな――!)

 

 反射的に奪い取ったライトセイバーをオンにして致死の剣閃を受け止め、抜刀即斬撃で仕留めようとした刹那、血塗れの柚葉はその迂闊さを嘲笑う。

 

 ――かちり、と、フォースの念力によって『魔術師』の持つライトセイバーがオフに切り替わり、受け止めていた刀身が綺麗に消失した。

 

「――!?」

 

 空間転移を以って全力離脱し、それよりも疾く斬り伏せる。

 胸への一閃は一刀両断こそ免れたが、夥しく身体性能を低下させる損傷を『魔術師』に与える。

 

「憧れのライトセイバーを振るった感想は如何かしらっ!」

「っっ、この、小細工を……!」

 

 何方かと言えば、こんな下らない小細工に引っ掛かった自身の迂闊さを『魔術師』は壮絶に呪ってライトセイバーの柄を焼き捨てる。

 

 

 ――嘗ての世界での豊海柚葉との死闘が、互いに探りながらの必殺の機会を辛抱強く待ち望む長期戦前提の模索戦ならば、今のこれは安全圏の一線を大きく踏み外して削り合う短期決戦の消耗戦だった。

 

 

 

 

 

 


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