グランくんを起こしに来たセンちゃんが抱き枕にされるお話です。
朝焼けの空が、彼方にまで広がる地平線を茜色に染めていく。普段ならもうもうと立ち込める霧も周囲にはなく、雲一つなく綺麗に映える世界は晴天の兆しをしかと描いていた。赤く燦々と燃ゆる日の出が一日の始まりを告げているようで、それは彼らの起床を促しているようにも見える。
騎空士たちの朝は早い。特に副団長ジータの場合、誰よりも早く起きて炊事洗濯掃除を始める。ザンクティンゼルに居た頃から彼女は早寝早起きを心がけており、副団長に就任した今も規則正しい生活を徹底していた。食堂の厨房には昨日のうちに頼んでおいた朝食の仕込みがされていて、これから彼女はさらなる彩りを加えていく。
何しろこの騎空団は身元不明から王族まで、果てには星晶獣すらをも仲間に加えた何でもござれの旅人たちが集う。たかが朝食の準備と言えども侮ってはいけない。むしろ彼女にとって朝の準備は魔物たちとの戦闘と何ら変わらないのだ。
ふんすと気合いを入れて厨房に入り、エプロンと三角巾を装着するジータ。グランが団員たちにねだられて買った大型冷蔵庫には山のように料理が保存されている。
タイムリミットは午前7時。予定通りなら、料理の得意な団員たちも朝食の準備にと、続々と食堂に集ってくる時間だろう。それまでに彼女らが動きやすい環境にしなければ――と息巻いて腕まくりをしたところで
「にゃ~……」
気の抜けた声が食堂に響いた。こんな朝早くから誰だろうか。そう思って厨房からひょいと顔を覗かせると、そこにはぼさぼさの銀髪を整えることなく肩まで流した団員――猫っぽい仕草がよく目立つセンの姿があった。くしくしと目元をこすって眠たそうにあくびを一つ。口元からキラリと光る八重歯が更に彼女の猫らしさ?を助長していた。
「センちゃん? おはよ、珍しいね。こんな時間に起きてくるなんて」
「ふぁあ……じーたさん、おはよ、ございます……なんだか、めがさめちゃいまして……」
そう言ってうつらうつらと舟を漕ぐ。何時もなら時間ギリギリまで眠っている彼女が珍しい。まだ朝ごはんまで時間があるから寝てていいよ、と笑いながら部屋に戻ることを促すジータだが、当の彼女は「にゃー……」とそのまま椅子に座って食堂のテーブルに顔を突っ伏した。お腹が空いているのだろうか。おにぎりくらいなら簡単には作れるんだけれど、と顎に手を当ててジータは彼女を見つめる。それか髪もボサボサだし顔も眠そうだし、いっそのことシャワーでも浴びて目を覚ましてもらったら――と思い始めたところで
「――ああっ!? そういえばグラン! グランって起きてる!? この時間に食堂に来てって言ってたんだけど!」
「だんちょーさん? んー……廊下ですれ違わなかったので、多分、まだ寝てると思うのですが」
「も~グランってば!! やっぱり寝坊してる! ごめんセンちゃん! 悪いんだけどグランを起こして来てくれるかな!? 今日は朝から依頼の人と会う約束してるからさ! 遅刻できないの!」
そう言ってジータは未だに眠たそうなセンの背中をぐいぐい押して食堂から追い出した。「わかりました~」と半ば寝ぼけ眼でその場を去っていく彼女にジータは一抹の不安を覚えたが、ジータはジータで朝食の準備に追われている。きっと彼女ならグランを連れてきてくれるだろう。そう信じて彼の部屋にセンを向かわせたのだが――悲しいことに、その不安はものの見事に的中するなんて、今の彼女には知る由もなかった。
◇
コンコン、と部屋の扉をノックする。いつもなら返事があるはずなのに、今日は反応がない。やっぱり寝坊しちゃってるんだな、とセンは察してドアノブをくいと回す。鍵が締まってないその部屋は全くもって不用心極まりないが、一応団長――グランの部屋である。
お邪魔します、と一言告げて部屋の中に入ると、やはりというか、グランは布団を被って爆睡していた。
身体を横に向けて側臥位の姿勢で眠っている為に顔はよく見えない。けれども時折聞こえる規則的な寝息を耳にして、センは「だんちょーさん」と声をかけた。しかし反応はない。
「団長さーん、朝ですよ~。起きてください~」
今度は近づいて身体をゆさゆさを揺らしてみる。けれどもやっぱり、反応はない。「むぅ~」と意固地になったセンは今度は馬乗りになってグランをゆさゆさと揺らすけれども、重さを感じてないのか感じないくらい深く眠っているのか。ぴくりとも微動だにしないグランにセンは困ったように首を傾げた。
「にゃ~……団長さん、全然起きてくれません……」
馬乗り状態から身体を前に倒してグランにぴたりと密着する。布団越しに伝わる彼の体温が心地よくて、ついセンもそのままうつらと意識が飛んでいきそうになるも、いけないいけないと頭を振る。自分はジータに言われてグランを起こしに来たんだ。一緒に寝てしまっては意味がない。
「それにしても……」
センはふっと思い立ち、ぐるりとグランの部屋を一瞥した。彼の机の上には依頼の書類の他に彼が極めているジョブ専用書の山が出来上がっている。その隣にある本棚には武具の極意が記された書物が整然と収納されていて、膨大な数の武具知識を叩き込んでいるだろう様子がはたと想像できた。
おそらく昨日も遅くまで知識の吸収に励んでいたんだろう。頑張り屋なのはいいんだけれど、根詰めすぎても疲れてしまいます。とセンは口をへの字にして未だに眠りこけているグランを見つめる。きっと寝不足なんだろうし本当はこのまま寝かせてあげたいけれど、仕事がある以上は起きてもらわないと困る。そう思い、可哀想だけどいっそのこと毛布をはぎ取ってしまおう――と思ったセンなのだが。
「にゃっ……!?」
毛布の裏生地に手を触れた瞬間、びくりと彼女は身体を硬直させた。それは滅多に姿を現さないホワイトラビットの純正な毛皮を使用した布団だったらしく、心地よい弾力と優しい伸縮がセンの掌に馴染むように伝わってきた。こんなものに包まれて寝入れば、さぞかし気持ちの良いことだろう。あわあわと布団をもふもふしながらセンは
「こ、これは人をダメにしてしまう毛布です……」
と、戦々恐々とした顔のまま言い放つ。こんなに揺さぶっても起きないグランが最たる例だ。この騎空団を狙う人物が彼の部屋に潜入しても、きっと彼はこのまま間違いなく眠り続ける。そんな予見すら出来るほど、この毛布は魔性に満ちていた。満ちていたからこそ――ゴクリ、とセンは喉を鳴らす。
――入ってみたい。この布団に包まれてみたい。そんな欲望が垣間見える。
きっと気持ちが良いんだろう。きっとふわふわなんだろう。しかし、そんな欲に負けるものかと意気込んでも――
「お、お邪魔します……」
理性は待ったをかけても、本能的には抗えぬのが悲しいところである。
罪悪感を覚えるよりも前に、もぞもぞとセンはグランの布団の中に入っていった。
お目当ての毛布に入った瞬間、やっぱりというか、なんというか。
全身を包み込む温かな絹の感触は勿論のこと、ふわふわと頬や身体に触れる毛皮の気持ちよさたるや底知れず、想像以上の温もりは言葉にするのも惜しいばかりで、恐る恐る入ったセンを「ふわわわぁ……!」とあっという間に幸せな気持ちへと導いていった。
ずるい、ずるいです団長さん。こんな気持ちのいいお布団で毎日眠っているなんて。
そんな嫉妬?と羨望が入り混じった視線でグランを見やるセン。もぞもぞと布団の中で動いているのに一向に起きようとしない彼に、少し心配の念を抱きそうになる彼女だったが――そんな折で、グランの瞳がゆっくりと開いた。間の悪いことに、センはちょうどグランの胸元辺りに移動していたので、彼と視線が鉢合わせになってしまう。
「んっ……うん?」
「……はうぅ……このお布団、わたしもほしいです……あっ、団長さん。良かった。
おはようございます。やっと起きたのですね」
「うん、セン……? ああ、おはよう……それと」
寝ぼけ眼なグランがセンの姿をじーっと眺める。本当なら布団の中にセンがいるという時点で、グランは飛び起きてベッドから転がり落ちるようなリアクションを取るはずなのだが――実際はそうではなく。自分の傍にいたセンの身体をがし、と掴むと
「――にゃっ?」
「おやすみ……」
そのままぎゅっと抱きしめて、再び寝息を立て始めた。毛布の中で、グランに抱きしめられたままセンがしばしの間呆け顔で硬直する。ぱちぱちと目を瞬かせる彼女だが、これが何を意味しているかを吟味するまでにはそう時間がかからなかったらしく、ぼふっ! と顔を真っ赤にしてじたばた暴れようとした。
「だっだだだ団長さん!? だ、ダメです駄目です! 起きてください寝ちゃダメです! そ、それからセンは抱き枕じゃないです! 寝ぼけちゃダメです! 勝手にお布団に入ったことは謝ります! だから離してくださいぃ~!」
それでも両腕両足と封じられていてはセン自身どうすることも出来ない。ごめんなさいと懇願しても既に夢の世界へと旅立ってしまったグランには届かぬどころか馬の耳に念仏状態である。
ぎゅっと抱きしめられてあわわと挙動不審になるセン。グランの体温や呼吸が間近に感じられて心臓がバクバクと高鳴る。ダメですだめですとうわ言のようにつぶやくセンだが、こうも近かったら拒絶もしにくくて仕方がない。グランが完全に覚醒するまで待つしかないものか、と抱き枕にされながらも困り果てるセン。誘惑に負けて布団に入った自分に後悔しつつ、頬と頬がこすれ合うくらい近い状態でセンはグランを見つめ続けた。
それからどれだけの時間が過ぎたか。数分が過ぎれば流石にセンも耐性がついてくるようで、そうなったら今度はグランの体温と毛布の温かさに包まれて猛烈な眠気が襲い掛かってくる。ぬくぬくとした人肌とふわふわの毛布のコンボは正直言って反則である。それも朝の肌寒い時間帯なら猶更だ。もともとこの時間は眠っている彼女だからこそ、余計に睡魔は容赦なくセンの耳元で悪魔のささやきを続けてくる。
「(あぅ~……ダメです、眠っちゃダメです。気持ちいいけど、眠っちゃダメ、眠っちゃ……)」
呪詛のように眠ってはダメだと繰り返し続けるセンだったが、かえってその思考巡りが害をなしたか。
羊の数を数えるように繰り返した先の展開など非常に分かりやすく、うつらうつらと意識を混濁させていたセンは、根負けしたようにグランの胸元に自分の顔を押し当て――
「……くぅ」
可愛らしい寝息を立ててしまうのだった。
――それから。一向に起きてこないグランに激怒したジータが彼の部屋に入ってみれば、起こしに行ったセンと一緒に寝ている様子を目の当たりにして更に激昂して――持っていたフライパンとお玉を二人の耳元でこれでもかと叩いて蹴飛ばすように起こし、その場で正座させて延々と説教したとのこと――。
なお、依頼者との会談は遅刻した模様。
センちゃんを抱き枕にしたい(真顔)
そして最近一気に寒くなって参りました。風邪をひかないように体調を整えてまいりましょう。