今でも夢に見るんだ。
全国大会二回戦であいつに打たれたたった一本のホームランを。
悔しさはないなんて本当は違う。
ただ、受け入れられなかった。たった一回のミスが敗北に繋がるのが。
全国大会やその予選はたった一回の敗北すら許されない。
シニアに入って、数ヶ月でそれを経験した。そんなの前から知ってるつもりだったのに、今更思い知った。
プレッシャーを感じないわけがない。
後悔がないなんて、負けて良かったなんて、そんなの嘘だ。
あいつの前では弱音を吐きたくなかっただけだ。
先輩は泣いていた。
みんな本気でやっていた。
あの時、一年の俺にはどうして泣くのか分からなかった。
だってまだ甲子園もあるし、大学に行っても野球が出来るのに。
でも、今なら分かる。
先輩達にとって、あれがラストチャンスだったんだ。
強豪校に行けば、熾烈なレギュラー争いに勝たなければならない。全国から引き抜かれた野球エリート達に、上級生に勝たなければならない。多分、先輩達は分かってたんだ。自分達が強豪校に行ってもレギュラーになれるかどうか分からない事を。だから、あれがラストチャンスだったんだ。
多分、試合に負けた悔しさで純粋に泣いてる奴もいたと思う。
でも、ラストチャンスがなくなって泣いてた奴もいると思う。
どっちにしろ一年によってぶち壊された。
全員が強豪校に行けるわけじゃない。全員がレギュラーになれるわけじゃない。全員が甲子園に行けるわけじゃない。全員がプロ野球選手になれるわけじゃない。本当にほんの一握りの人しか行けない世界だ。
先輩達は本気でそこに行こうとしてた。
毎日遅くまでバット振って、走って、投げて、汗を流して、やっと掴んだ切符を俺がぶち壊した。
俺はエースの器じゃない。ただチームで一番球が速いだけでエースに選ばれた。
他の人は反対してたらしい。それでもキャプテンが強く推薦してくれた。
ーーー大河、これからはお前がエースだ。プレイでチームを引っ張れ。プレイで信頼を勝ち取れ。お前ならそれが出来る筈だ。任せたぜエース。絶対優勝しろよ。見てっからな。
合わせた拳を、叩かれた胸をまだ覚えてる。
忘れられない。忘れられるわけがない。
もう、あんな思いはごめんだ。
もう二度と負けねえ。
先輩、あんたが果たせなかった夢は俺が果たす。
俺がエースになるから。
ーーーーー
変わらず、俺は速水奏にからかわれる。
ーーーーー
七月に入り、最初の練習試合が行われた。
速水奏は別に呼ばれてなかったけど、なんとなく翔平の投げてる姿が見たくなって応援に来ていた。
でも速水奏はその試合を、その姿を見て言葉を失った。
自己最速を更新した138キロの伸びのある直球がバットにかする事なく、三振を量産していく。
練習相手は確かに格下の相手だが、ここまで一方的な試合になるなんて思ってなかった。
五回を投げて僅か二安打。アウトは全て三振。
打では一本のホームランを放ち、先制点を奪った。
翔平は絶対的なエースになろうとしていた。
ただの練習試合なのに、高校のスカウトみたいな人も何人かいるし、なんだか、翔平がどんどん遠い人になっていく感じがした。
試合は3対0で翔平達が勝った。
試合が終わり、奏は翔平のところへ駆け寄った。
「ーーー是非うちに来てほしい。連絡待ってるよ」
スカウトされてる翔平を見て、奏は思わず木に体を隠した。
ーーーまた、スカウトされてる。
翔平が凄いことなんて分かってる筈なのに、スカウトされてるところを見るたびに、胸が痛くなる。
唇を噛みしめ、嫌でも実感してしまう。
やっぱり離ればなれになるんだなって。
手を強く握る。掌に食い込む爪が痛い。
「何やってんだお前は」
「え?」
木に右手を当てて翔平は奏を見下ろしていた。
左手にはスポーツドリンクが握られている。
一歩離れて奏は手を後ろに組んだまま翔平に話しかける。
「……試合、勝ったね」
「……あぁ」
「おめでと」
「サンキュな」
「ねぇ、翔平」
「ん?」
「さっきスカウトされてたの?」
「……あぁ」
どくん……と心臓が強く鼓動する。
「とこから?」
「神奈川の……横浜大附属高校から」
横浜大附属高校……神奈川の王者で甲子園常連校。
そんなところからもスカウトが来てる。
それは嬉しい事だ。
それは喜ぶべき事だ。
でも、だけど……心のどこかではまだ受け入れられていない。大阪と神奈川、それ以外のところからも来てるスカウト。でもこれは翔平の人生だ。奏がどうこう言える事じゃない。
出来る事なら、一緒にいたい。
だけど、奏には何も出来ない。出来る事がない。
どくん……と強く鼓動する。
隠していた感情が溢れてくる。
深く深く沈めていた感情が浮上してくる。
その感情を必死に押さえつけて、もう一度深く深く沈めていく。
押し殺すように、何度も何度も繰り返す。
「……」
小さく開いた口から言葉は出てこない。
力を失われたみたいにどんどん消えていく。
翔平は夢に向かって一歩ずつ進んでいってる。それに対して奏はまだ夢すら見つかっていない。
燃やせる情熱すら無い。
自分達は対等ではない。
いくら勉強できても、運動ができても、全然追いつけない。どんどん差は開いていく。
「速水」
名前を呼ばれて翔平の方を見る。
「約束覚えてる?」
「……約束?」
「明日、野球観に行く約束」
「……うん、覚えてる」
「こういうのさ、初めてだからなんか緊張するけど、俺楽しみにしてるから」
胸の鼓動はやはり強い。
「じゃあ俺あいつらの所に戻るから」
ぽんぽん、と頭を軽く叩かれる。
奏は笑みを浮かべた。
「翔平」
奏の声を聞いて、翔平は振り返る。
「私も楽しみにしてるから」
精一杯の笑みでそう言いった。
その笑顔を見て、翔平も笑みを浮かべる。
「……おう」
そう言って翔平は右手に持っていたペットボトルを奏に投げる。
投げられたペットボトルを奏は受け取る。
「やるよ。お前試合中何も飲んでなかったろ。熱中症になるぞ」
それだけ言うと翔平は走ってチームメイトの元へ向かった。
一人残された奏は受け取ったペットボトルを見つめる。
「っていうか間接キスだし」
頬は少し赤い。
「まだ、時間はある」
卒業まで一年と少し。
まだ一年以上もある。
胸元を強く掴む。
「私もちゃんと向き合わないといけないわね」
ペットボトルのキャップを取って、スポーツドリンクを飲む。
ーーーねぇ、翔平?
♯10 その気持ちに。