変わらず、俺は速水奏にからかわれる。   作:花道

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♯15 自覚と嘘の約束。

 

 

 

 

 

 

 7月18日に行われた全国大会の予選決勝戦で、翔平のチームは9対2という大差で負けた。

 翔平は負けない。

 心のどこかで翔平だったら当たり前のように全国大会に出場して活躍しているものだと奏は思っていた。

 でも現実は違った。

 この世界に必ずや絶対は存在しないのに、そう思ってた。どれだけ努力しても負ける時はあっさり負けるのに、奏はそう思っていた。

 奏が知る限り翔平は才能に恵まれている。努力もしている。身長も同年代では大きい方だ。大阪、広島、岩手、神奈川の強豪校からスカウトだって来ていた。だから絶対負けないと思っていた。

 進む足を止めて、空を見上げる。

 夏のギラギラした空が広がっている。

 こういう時、なんて声をかけたらいいのか奏にはわからない。興味があれば少し練習しただけでなんでも出来てしまう奏にとって、今まで人生をかけてなにかに打ち込んだ事なんてないし、負けを経験する事がどういう事かも、この短い人生からでは想像さえしにくい。偉人達の言葉はこういう時全然役に立たない。

 きっと、奏のような素人ではわからない悲しみがあるのだ。負けを経験して悲しいというのは当たり前。悔しいと感じれるならそれは素晴らしい才能だ。今の翔平はおそらくどっちの感情も持っている。だから大丈夫。必ず、もう一度、翔平なら立ち上がれる。

 もし、立ち上がれない時はーーー。

 

 

 ーーーその時はわたしが隣にいるから、頼ってほしい。

 

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

 

  変わらず、俺は速水奏にからかわれる。

 

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

 

 

 7月21日。

 今日は終業式だ。

 今頃みんな体育館で校長先生の長い話でも聞いてる頃だと思う。

 俺は終業式には出席せず、来てすぐ屋上に忍び込み、寝っ転がって空を見上げていた。別に大きな理由なんて特にない。ただ忘れたい記憶があるだけ。だけどそんな簡単には忘れられないから、こうして空を眺めて忘れようとしているだけ。

 負けたのに次のキャプテンに指名された。正直に言えば俺より適任がいると思う。

 あの試合の後、先輩達は泣いてた。多分理由はあの時と同じ。後輩は泣いてなかった。多分理由はあの時の俺と同じ。

 もう二度と仲間が泣いてるところは見たくなかったのに、また見てしまった。

 チームを勝たせる事が出来ないエースなんてエースじゃない。きっと本当のエースはチームを日本一に導けるような奴のことを言うんだ。俺にそんな力はない。

 先輩との約束は果たせなかった。

 桐英の監督は変わらず熱心に声をかけてくれる。

 「負ける時は負ける、だから気にするな」と言っていたけど、心のモヤモヤは取れないままだ。

 勝負に絶対はない。それはプロ野球選手でさえそうだ。プロで無敗のまま生涯を終える人なんていない。シーズン無敗はいるらしいけど、もう何十年も出て来ていない。負けないことがどれだけ難しいのかそれだけでわかる。それは他のスポーツでもそうだ。海外のサッカーやバスケのトッププレイヤーですら負けを経験するというのに、なんで俺は……そんな当たり前のことで悩んでんだろ。

 事実、あの試合から俺は自分に自信が持てなくなってしまった。

 このまま桐英に進学してもエースになんてなれないまま終わってしまうんじゃないか。レギュラーなんて取れないまま終わってしまうんじゃないか。スタンドで応援するだけで終わってしまうんじゃないか。そんな事ばかり考えてしまう。

 俺に野球の才能なんてあるのか。

 プロ野球選手になんてなれるのか。

 こんな思いをもう一度経験するくらいなら、諦めた方が楽なんじゃないか。

 小6の時、俺がU-12のメンバーに選出された時も監督はあまり使ってくれなかった。それって俺に才能がないから使わなかったって事だったのかな。

 それじゃあなんで俺をメンバーに選出したんだろう。

 空に向かって持っていた白球を投げて、受け止める。

 ギイ……と扉が開く音がした。

 影が俺に落ちてくる。

 見慣れた顔がある。

 髪の毛が風に揺れている。

 喋りづらそうにしながらも、奏は真っ直ぐ俺を見据えていた。

 

「終業式、終わったわよ」

 

「……そっか」

 

 その視線に耐えれなくなって視界から外す。

 俺の予想より早く終業式が終わったらしい。

 

「みんな、教室に戻ったわよ」

 

「……奏は戻らなくていいのか?」

 

「……うん」

 

 そう言って奏はわざわざ俺の視界に入る位置に移動して隣に座る。

 会話はなく、ただ時間だけが流れていく。

 7月なのに、俺たちの間に通り過ぎる風が冷たく感じる。

 

「試合、残念だったね」

 

 ズキリと心の奥でなにかが反応する。

 

「……」

 

 俺の顔を見ながら、そう呟く奏とは別の方向へ視線を向ける。

 逃げ出したい気持ちで心が支配されていくのを感じる。

 なんて答えたらいいのかわからない。

 「あぁ」、「うん」、「おう」。ありふれた言葉はたくさん出てくるのに、そのどれを口にしていいのかわからない。難しくない質問なのに、言葉が溶けていく。消えていく。なくなってしまう。

 気づけば静寂に包まれる。

 奏はなにも言わない。

 俺の返答を待っているのか、次に喋る言葉を考えているのか俺にはわからない。

 風が吹く。

 雲が流れる。

 時間だけが過ぎていく。

 答えは出ない。

 正解はわからない。

 わからないけど、気づけば奏の名を呼んでいた。

 

「奏」

「なに?」

「俺さ、決勝で戦ったチームに負けないって思ってた」

「……」

「去年勝てた相手だから今年も普通に勝てるって思ってた」

「……うん」

「みんなあれだけ練習したんだから、今年も絶対全国に行けるって思ってた」

「うん」

「でも負けた」

「……」

「俺、多分あいつらのこと格下だと思って舐めてた」

「……」

「だから……だから」

 

 吐き出された言葉に心が締め付けられる。

 本気でやってるつもりだった。舐めてたつもりはなかった。でも、多分俺は心のどこかであのチームを見下してたんだ。いろんな高校からスカウトが来て、調子に乗ってた。知らないうちに天狗になってた。

 だから、負けた。

 負けるのはやっぱり悔しい。

 できるなら経験なんてしたくない。

 でも、それは不可能だとわかっている。

 だからみんな負けないように努力している。

 俺もそのつもりだった。

 

「翔平……?」

 

 知らず知らずのうちに溢れ出した涙が視界を歪ませる。

 溢れ出した涙を止める術を俺は知らない。

 時間が経つのを待つしかなかった。

 

「ねぇ、翔平」

 

 ぽつり、と奏が小さく俺の名前を呼ぶ。

 

「わたしは翔平が野球をしている姿が好き」

 

 ……それは知ってる。

 

「投げる姿が好き」

 

 それは知らない。

 

「三振を奪ってガッツポーズしながら叫ぶ姿が好き」

 

 それも知らない。

 

「野球の話をしてる翔平が好き」

 

 それは知ってる。

 

「だから……わたしね、翔平と同じ高校に進学しようと思ってるの」

 

「え?」

 

 突然の告白に驚いて変な声を出して起き上がってしまった。

 俺と同じ高校に進学? 意味わかってるのか。東京から離れるんだぞ俺は。

 奏は真っ直ぐ俺を見つめながら言葉を続ける。

 

「同じ高校に行って野球部のマネージャーになりたいの」

「……」

「わたしにはまだ夢がないわ」

「……」

「これは多分夢とは違うものたと思う」

「……」

「ただ、わたしが翔平の近くにいたいだけ」

「……」

「翔平がもう立ち上がれないと思った時にわたしを頼ってほしいから、近くにいたいから……だから、だから……」

 

 伸ばされた右手が俺の頬に触れる。

 

「そんな顔、しないでよ」

 

 親指で俺の頬に流れた涙を受け止めながら奏は言う。

 自分がどんな顔をしていたのか、想像しかできないが、ひどい顔だったのだろう。

 ドクンーーーと心臓が強く打つ。

 何CCかの血が全身に送られる。

 脳裏に浮かぶ。

 色が弾ける。

 瞬きの回数が自然と増えていく。

 自分は今、なにを思っているんだろう。

 この気持ちにまだ気づいてもいないのに。

 いや、本当は気づいている。気づかないふりをしていただけ。

 握る力が自然と強くなる。

 自然と口元が緩む。

 笑顔が出来上がる。

 

「ありがとう。奏」

 

 そう言うと、奏は太陽みたいな眩しい笑顔を浮かべた。

 あぁ、見慣れた笑顔だ。

 わかってる。わかってるよ。自分の本当の気持ちなんて、とうの昔からわかってる。でも、まだだめだ。まだ遠い。届かない。今のままの俺じゃあ、ダメなんだ。

 もう負けは経験したくない。

 負けるのなんて嫌だ。

 だからもっともっと練習して、今より上手くなりたい。あの人みたいに、甲子園でノーヒットノーランを達成したら、言おう。

 だから今は。

 今は……。

 

「なぁ、奏」

「なに?」

「ウソ、ついていいか?」

「……」

「……、」

「いいよ」

 

 

 

 

  ♯15 自覚と嘘の約束。

 

 

 

 


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