「ドブの臭い」ではなく、「ゲロ以下のにおい」でした。
スピードワゴンさん、すいませェん……。
にわか以下のにおいをプンプンさせてしまいました……。
呆気なかったな。
アステルは溜め息をついて、足元を見つめた。
血の海に抱かれ、穏やかに眼をつぶっているドスランポスは、眠っているように見えた。
戦っているときはもっと大きく見えていた。しかし今では、ひどく小さく感じる。
勝利を確信した瞬間、まるで目の前で、シュルシュルと縮んでいくように見えるのだ。
不思議なことだな、と胸の内で呟いた。
彼は腰を落とすと、獲物の死体からボーンククリを引き抜いた。
手近にあった雑草の葉で刀身を拭き、腰の後ろにある留め具に納める。
小細工が多すぎたかもしれない。アステルは大きく伸びをしながら思った。
麻痺毒を吸わせた竜骨のブーメランに、茂みに隠した瀕死のランポス。
それに加え、恐らく敵は気づかなかっただろうが、盾の裏に隠した毒針まで使った。
モンスターハンターの戦い方でないことは確かだろう。
支給品として現地にあった道具のほとんどは用途が分からず、まともに使ったのは砥石だけ。
アステルは小さく笑った。あとでコショーに教えてもらわないと。
あの小さな友人は、悪態をつきながらも懇切丁寧に教えてくれるはずだ。
彼は腰の鞘から、ナイフを一本抜き取った。
防具と一緒に支給されたもので、剥ぎ取り専用のナイフらしい。
ランポスの剥ぎ取りは、集落にいたころに習っている。
同じような要領で、ドスランポスにもできるだろうか。
アステルは死体の前に屈みこみ、素材の剥ぎ取りにかかろうとする。
何かの鳴き声を聞きつけたのは、その直後だった。
「……!」
ハッと驚き、慌てて右手を腰の後ろにやった。剣の柄に手をかけ、肩越しに振り返る。
褐色の岩の陰から現れたのは、一匹のランポスだった。
足を止め、彼に向かって臨戦の態勢を見せている。
びっくりした。ランポスか。
ほっとすると同時に、アステルは気を引き締めた。
敵との距離は、目測で十歩ほども離れていない。
ここまで接近されるまで気づけなかったのは、油断していた証拠だ。
こんなことじゃいけない。一人前の戦士が、戦場で隙を晒すことは許されないんだ。
彼は自分を戒めた。改めて敵を観察すると、面白いことが分かった。
今まで狩った、どのランポスよりも一回り大きい。
鉤爪の大きさや脚の筋肉などは、ドスランポスにも引けを取らない。
なにより特徴的なのは、背中を中心に紅い線が走っていることだった。
稲妻を思わせる模様で、ひっかき傷のようにも見える。
こんなランポスは見たことがない。あの模様は何なのだろう。
アステルの思考はそこで途切れた。
突然、ランポスが肉薄してきたのだ。
「っ!」
目の前で弾ける、紅い閃光。
下からすくい上げるように振り上げられた鉤爪を、辛うじてかわしていた。
地面すれすれの死角を利用した、完璧な不意打ちだった。
論理で挑んでいたら、避けきれなかったに違いない。
アステルは動物的な反射神経のみで、瞬速のアッパーに対処していた。
「危なっ……!」
思わずそうもらし、彼は後ろに飛んだ。
のけぞった反動を利用した宙返りを披露しつつ、着地と同時に剣を抜く。
アステルは額の冷や汗を拭った。
まさかあんなに速く、ジャンプも使わずに距離を詰めてくるとは思わなかった。
何をしたのかは分からない。とにかく気づいたときには、目の前にいた。
これでは一瞬たりとも敵から目を離せない。
追撃に備えたつもりだったが、ランポスは襲ってこなかった。
黄色い眼を細め、こちらをじっと見つめている。品定めをしているような眼だった。
何かがおかしい。
さっきは威嚇のそぶりすら見せず、いきなり攻撃してきたのに。
それにあの眼。
群れのリーダーを殺された怒りとか、獲物を狩る喜びとか、そんな純粋な感情がない。
もっと底の知れない何かが映っている。根拠はないけど、そんな気がする。
ランポスが飛んだ。
後ろ足の蹴爪を警戒し、アステルは横に飛びのく。
想像よりも遥かに速く、敵は頭上に現れた。
しかしアステルの方が一瞬速く、後ろ足の爪は空を切る。
ランポスは着地するや否や、足にくっついた土くれを蹴り飛ばした。
鉤爪を振りかざし、追い討ちをかけるべく飛びこんでくる。
アステルは後悔した。
こんなことなら、盾を拾ってくるんだった。
「わっ、わっ、わわっ!」
縦横無尽に繰り出される紅い刃を、彼はギリギリのところでかわし続ける。
鼻先をかすめ、鎧がえぐられ、ヤケクソで突き出した剣が弾かれた。
さっきのドスランポスほどの力はないが、とにかく速い。
鉤爪をナイフのように振り回し、その型は変幻自在だ。
普通じゃない。
アステルは、背中に嫌な汗が噴き出すのを感じた。
奴は振りかざした左の鉤爪を突然引っ込め、その影に隠れていた右のを一閃した。
フェイントだ。こいつにはフェイントの概念がある。
アステルは大きく後ろに飛んだ。少しでも距離を置きたかった。
レギンスにこびりついた、泥や落ち葉が重い。
ランポスはまたもや追い討ちを止め、その場で立ち止まっていた。
インターバルのつもりなのか。鉤爪を舐めるその顔は、笑っているように見えた。
黄色い眼を愉しげに細め、喉の奥を小さく鳴らしている。
アステルは呆然とした。首筋が熱を持っている。
触ってみると、固まりかけた血がこびりついた。鎧を裂かれ、首に一筋の傷がついている。
かすり傷だが、あと数センチ深ければ死んでいただろう。
頸動脈だ。鉤爪を斜めに振り上げ、そこを狙ったのだ。
まさかと思っていたが、気のせいじゃなかった。
あいつは人間の急所を知っている。
どこをどの角度で狙えば、人間を楽に殺せるかを理解しているのだ。
手ごわいな。アステルは舌を巻いた。
戦闘術は、本来非力なニンゲンたちがモンスターに対抗するために編み出したもの。
それをどういうわけか、あのランポスは手に入れてしまっている。
まさに一石二鳥、というわけだ。
……ん、何か使い方が違う気がする。まあいいか。
アステルは小さく息を吸った。
喉がおかしな形に歪み、収縮するのを感じる。
細く吐き出された息は、か細い声となって発せられた。
ランポスの鳴き声。仲間を呼ぶ声を、敵に向かって投げかける。
奴はそれをきれいに無視し、甲高く吠えながら飛びかかってきた。
やっぱりおかしい。仲間の声に関心を示さないなんて。
前転して敵の足元をくぐり抜け、素早く起き上がるアステル。
その場で背中越しに剣を振り抜くが、当たらない。
ランポスはヘビのように身をくねらせ、その刃をかわしていた。
「……!!」
アステルは悲鳴をあげそうになった。
その針のような牙が、ガントレットに食い込んでいる。
しまったと思ったのも束の間、ランポスは全身の筋肉を使って、彼の身体を宙へと放り投げる。
腕の肉が裂かれる感触とともに、アステルは空を舞った。
刹那の狂気に踊る、青き狩人の黄色い瞳。
無防備な彼の腹部に、ランポスは身体を回転させ、足の裏を叩きつけた。
「ぐはっ……?!」
アステルは地面に落ちる前に、大木に背中からぶつかることとなる。
3メートル弱の距離を、彼はランポスの『蹴り』によって飛ばされていた。
ズルズルと音を立て、大木の根本に沈むアステル。背中を預けたまま、動くことすらできずにいた。
指に引っかかっていた剣が、手の平から落ちる。そのまま木の根の上を滑り、落ち葉の下に消えた。
アステルは歯を食いしばり、立ち上がろうとする。
しかし足に力が入らず、尻もちをついてしまった。
彼は顔をしかめ、震える拳を握りしめる。
いろんな攻撃を予測していたが、まさか蹴りが来るとは思わなかった。
笑うところなのか。残念ながら当事者だから、ちっとも笑えないけど。
飛竜の突進などに比べれば、大した威力はないのだろう。
しかし受けた位置がまずかった。完璧に鳩尾だった。
手足が思うように動かず、頭もぼんやりとしている。肺が酸素を求め、うるさくわめいていた。
それでも敵は待ってはくれない。陽光を受けて妖しく輝く爪が、目の前で高々と振り上げられる。
こんなものなのか、僕の力は。
アステルは迫る自分の死を、ぼんやりと眺めていた。
それならそれで、仕方がない。この世界は、力がすべて。
僕は弱い。弱者は死すのみ。それだけの、単純なことだ。
彼は死を覚悟し、ゆっくりと目を閉じる。
そのときだった。
金属の擦れるような音が、近づいてきていた。
「……え?」
アステルは目を見開く。
茂みを切り裂き、突然横から飛び出してくる何かを、彼の瞳は捉えた。
全身を黒一色の鎧に包んだ一人の男。ハンターの姿だ。
肩や頭には威圧的な角がこしらえてあり、武骨で重そうなシルエットだ。
その全身から醸し出される風格は、ベテランハンターのそれだった。
「よっと!」
男は助走の勢いに任せ、鉄製の槍を勢いよく突き出す。
ランポスは軽く後ろに飛びのき、槍の射程距離から悠々と抜け出した。
「大丈夫か?」
角付きヘルムの奥から響いた声に、アステルは少し驚いた。
印象から勝手にシブい中年の男を想像していたが、思ったより若そうだった。
「はい、なんとか」
「そいつはなにより」
アステルの返答に、男は小さく頷いた。
「俺の後ろにいなよ。あのトカゲは、俺が追っ払ってやるから」
言うや否や、男は大きな盾を掲げ、アステルを守るように立つ。
少年はホッと息を吐いた。同時に、少し不安だった。
彼は理解しているのだろうか。あのランポスが、普通じゃないことを。
少年の心配をよそに、男は颯爽と走り出した。
「シッ!」
気合いの息をもらし、大型の槍を連続で突き出す。
ランポスは左右にピョコピョコと飛び跳ね、それらを軽くいなした。
「……あれ?」
男は槍を引きながら首を傾げる。
「当たらねえな……」
さらに深く踏み込み、速い突きを繰り出そうとした。
瞬間、ランポスの眼が鋭く光る。
「危ない!」
アステルの警告は、一歩遅かった。
一気に眼前まで飛び上がったランポスの蹴りが、男の顔面に決まっていた。
槍を後ろに引いた際の隙を狙った一撃。
男は悲鳴一つあげずに、無言でヨロヨロとあとずさった。
「……痛え」
蹴りの威力に耐えきれず、わずかにへこんだ角兜。
それを投げ捨て、男は吐き捨てるように言った。鼻血が出ていた。
「チョー痛えよっ」
彼の様子を見て、アステルは胸を撫で下ろす。思ったより元気そうだ。
「大丈夫?」
さっきとは逆に男に訊いた。
「大丈夫だって?ご機嫌なもんさ」
男は眉間にしわを寄せている。
「ランポスから初めて『蹴り』をもらったハンターにしては、だけど」
血こそ出ているが、鼻の骨は折れていないようだ。
盾を前に突き出し、敵の追い討ちを牽制している。
短く切った茶色の髪に、形の整った眉。
健康的に引き締まった横顔は、精悍な雰囲気を抱かせている。
やっぱり、最初の印象よりもずっと若いようだ。
「この身で喰らわなきゃ、信じなかったね」
男は左肩を軽く回しながら言った。
「ただの蹴りならともかく、ローリングソバットだからね」
「あいつは普通じゃないんです」
アステルは背中にぶら下げた、剥ぎ取りナイフに手をかける。
残っている武器と呼べるものは、もうこれしかない。
「僕も戦いましょうか?」
「いや、いいよ。君は後ろにいな」
男はそう返し、槍を構えなおす。
標的の動きを盾ごしに警戒しつつ、安心させるような口調で続けた。
「なんとかなるでしょ。……たぶん」
アステルは黙って頬を掻いた。
安心させたいのか、心配させたいのか分からない。
「……よし……行くぜ」
呼吸を整えたあと、男が地面を蹴った。
どっしりとした分厚い盾で正面を守りつつ、ランポスに向かって走り出す。
踏みつけられた落ち葉が砕け、塵になって舞った。
速い。あれだけ重装備なのに、こんなに速く走れるのか。
ランポスとの距離は、あっという間に詰められた。腕を大きく引きながら、標的に肉薄する。
彼の手の銀色の槍が、木漏れ日を受けて蒼く瞬く。雲間を刹那に駆ける、稲妻のようだ。
「よっ!」
突進の速さを加算した、高速の突きだ。
アステルは目を見張った。それでも敵の眼は笑っている。
そして、辺りに不思議な音が響いた。金属の鳴くような音だった。
「ぃっ?!」
くぐもった悲鳴を上げ、男が槍を取り落とす。
突き出した左肩の、装甲の一部が吹き飛んでいた。露出した肌からはうっすらと血がにじんでいる。
「くっそおおぉ!危ねえし!怖いし!」
槍を拾う間もなかった。
男は後ろに飛びのき、ランポスの追撃を逃れる。
槍使いの優れた脚力に任せた、連続のバックステップ。
泣き言をわめきながら、彼はアステルの近くまで退避した。
「なんなんだよもう、あの野郎は!」
男は泣きべそ顔で言った。
「俺の槍をあっさりかわした上に、サマーソルトキックまで披露しやがった!」
やっぱり元気だ。アステルは溜め息を吐いた。さすが大人のヒトはタフだ。
肩の鎧が飛ばされるだけで済んだのは、恐らく身をよじったからだろう。
あのランポスなら、きっと剥き出しの頭を狙ったはずだ。
回避判断が早く、逃走にも無駄がない。
若く見えるしベソかいてるけど、このヒトの狩猟経験はきっと長いはずだ。
「ダメだねあれは。手に負えないよ」
男は肩をすくめて言った。早くもさっきの冷静さを取り戻している。
何かを切って捨てたような、ある種の清々しさすら感じられた。
「退くのも勇気だ、ってね。さっさと逃げよう」
アステルは無言でコクリと頷いた。
ベテランのヒトが言うのなら、そうすべきなのだろう。
迅速な判断は、時に生死を分かつという。
「俺はこっち」
木々の向こうを指さし、男は小さな声で言った。
「君はあっちね。どっちを追いかけてきても、恨みっこなし」
「分かった」
アステルは頷いた。
確かにそれが最良な気がする。こちらを追ってくる確率も、半分になるのだ。
これ以上、見知らぬヒトに守ってもらうわけにもいかない。
「お先に!」
重そうな盾を投げ捨て、男は全速力で逃げ出した。
鎧の揺れる音が、ガチャガチャと賑やかに響く。
アステルもきびすを返すと、男の指した『あっち』の方向に飛び上がった。
ほぼ垂直な幹を駆け上がり、枝の上に飛び移る。
太陽を遮る天幕の、深緑の影から影へ。
闇と静寂を身にまとい、アステルは森の天井、梁のような大枝の上を飛び回った。
ここなら安全だ。彼は一人安堵する。
ランポスに木登りは難しい。いくらあいつでも、ここまで来ることはできないだろう。
枝から飛び降り、蔓にぶら下がる。
身体を振り子のように動かし、曲芸のように蔓から蔓へと移動した。
あと少しでベースキャンプだ。このまま逃げ切れる。
アステルは目的地の方向を見据える。
そして、思わず顔をしかめた。
視界に映ったのは、獲物を待ち受けるランポスの姿だった。
背中を紅い稲妻が走っている。さっきのヤツだ。
爪をこすり合わせ、こちらを睨みつけている。さっさと降りてこいと言わんばかりだ。
アステルは唇を噛み、左右に視線を走らせる。迂回できる道はない。
どちらにしろ、もうぶら下がれるような蔓も枝もなかった。
あと一息だったのに。必ずここを通ると踏まれ、先回りされていたのだ。
「しつこいなぁ……」
苛立ちを込めて彼は呟いた。蔓から手を離し、片膝をついて地面に降り立つ。
日の光で固まった泥が、パキパキと音をたてて割れた。
「そんなにかまってほしい?」
彼の言葉に、ランポスはくちばしを突き出し、牙を剥くことで答えた。
アステルは剥ぎ取りナイフを抜くと、素早く構えをとる。
噛みつかれたガントレットはボロボロだったが、右腕は動かせる。
蹴りつけられた鎧の腹部は金属が一部めくれただけで、ただ動くぶんには支障がない。
不思議な高揚が、彼の心を包んでいた。
こいつの眼。初め見たときは、何も気づかなかった。ただ得体の知れない何かを感じ取っただけだ。
でも今、やっと分かった。こいつは僕と同じだ。試したいんだ。自分の力を。
だから強い。自分の強さ以外何も見えてないし、考えていない。
狩りを楽しみ、生を謳歌する。
それこそが、生きとし生ける者たちにとって最も根源的で、純粋な感情なのだ。
アステルは唇をぺろりと舐めた。
いいよ。一緒に遊ぼう。
彼は大きく息を吸った。湿った植物の、どこか苦い味のする空気。
個を捨てよ。
己の本能に身を委ね、恐怖も渇望も、生への執着を捨てよ。
少年は、咆哮した。龍でもランポスでもない、人間の咆哮だった。
恐怖か動揺か、ランポスの体が硬直する。その一瞬の隙を逃さず、彼は敵へと飛びかかった。
足を狙った一閃を、ランポスは後ろに跳んでかわす。
地を這いずるような動きで追いかけ、喉元めがけて見舞われる追撃。
鋭く迫る切っ先が、ランポスのくちばしをかすめた。
ランポスが笑う。獲物の逆襲を楽しんでいる。
戯れにナイフを鉤爪で受け止め、力で押し返そうとした。
しかし、少年は動かない。彼の力は、ランポスの力と拮抗していた。
それどころか、ナイフはゆっくりとランポスの喉めがけて進んでいる。
力負けしている。ランポスは悔しそうにうなった。
刃を捌き、少年の顔面に蹴りを打ち込む。
少年は首を横に傾け、これを軽くかわした。
最低限の動作でかわしたことで、生じるチャンスは大きい。
アステルは外套に手をかけ、バサッとランポスの眼の前に広げた。
ランポスの視界から獲物が消え失せ、白一色の世界へと変わる。
彼は小さく鼻を鳴らすと、鉤爪を斜めに一閃した。
邪魔な目眩ましを引き裂くつもりだったが、無駄だった。
不可思議な象形が描かれた白の外套は、ただの布で織られていなかった。
外套は切れずに爪に絡みつき、ランポスは苛立たしげに真横に放り投げる。
そのときには、少年はすでにランポスの背後をとっていた。
直線に迸る、一筋の閃光。
少年は、思わず笑みをもらした。
急所を狙った一撃は、身をよじってかわされた。呆れるほどに速い反射だ。
あらかじめ予測していなければ、死角からの攻撃にあんな反応は無理だろう。
しかし敵の体勢は崩れた。
ここで押し切って、仕留める。
「あああああああぁぁ!」
野獣の如き咆哮が、密林を揺らした。
少年の右腕は隆起し、歪に膨らんでいる。
竜人の内に潜み、彼らの血脈に受け継がれる『竜』。
それが少年の猛りによって目覚め、外へと現れた結果だった。
ナイフをくるりと回し、中指と薬指の間に柄を挟み、拳を握りしめる。
柄頭を掌で支える、突きに特化した握り。竜人族の手の形を生かした、特殊な型だ。
そして、嵐のように乱舞する白刃。
牙獣種のそれのように肥大した腕から、息つく間もない、突きの連打が繰り出される。
ランポスは眼を見張った。そして次の瞬間には、狡猾そうに細めた。
捉えきれない速さではない。見切ってやる。彼の眼は悠長に語っていた。
しかし捉えられることと、防げるということは別だった。
眼前にかざした鉤爪が一瞬で砕かれる。いなすことすら不可能な、圧倒的な力。
優れた『技』は、それを上回る『力』をもって凌駕する。少年が持つ唯一のカードだ。
ランポスは恐怖を感じた。
体勢は崩れ、鉤爪も失った彼にできるのは、ただ死を待つことだけ。
少年のナイフは寸分違わず、その喉元に突き刺さる。
そう見えたのは、ほんの一瞬だった。
鉄が弾けたような、耳に障る音が響く。
少年のナイフは、真ん中から砕け散っていた。
元々は、獲物から素材を剥ぎ取るための道具だ。鋭さは申し分ないが、耐久力に難があった。
キラキラと光る銀色の破片。それが地を転がるより先に、ランポスが吠える。
次の瞬間、くちばしから覗く鋭い牙が、再び少年の利き腕を捕えた。
「うぐっ……!」
うめき声をあげつつ、少年は空いている方の腕をあげ、敵の眼めがけて肘を打ち下ろす。
痛みに耐えかね、顎を離したランポス。大きく跳躍し、少年から距離をおいて着地した。
「つッ……!」
少年は痛みに顔を歪めた。
咬みつかれたからではない。
人としての、それも子供の肉体の限度を超え、眠れる竜を引き出した結果だった。
彼の右腕の筋肉は今、内側でズタズタに裂ける一方、骨を軋ませるほどの速さで再生している。
早い話が、ものすごい筋肉痛を起こしていた。
どうする。武器がない。右腕ももう使えない。
アステルは歯を食いしばった。
さっきのハンターの言葉を借りるなら、チョー痛えよ、だ。
生死をかける戦いの享楽から目覚めた少年は、再び頭を回転させていた。
蹴りか。左腕で殴るか。どちらもあまり効きそうにない。決定打を与えるには、やはり刃物が必要だ。
心臓を突き刺しても、しばらく動けるほどの生命力。そんな相手に、ヒトの格闘がどれだけ通じるだろう。
ランポスは眼を細め、少年を見つめている。その黄色い眼は不運なことに、無傷だった。
少年の最後の悪あがきを、心待ちにしているらしい。
……どうする。
アステルが再び自身に問いかけた、そのときだった。
彼とランポスの間に、黒い影が立ち塞がる。
いつの間に近づいていたのだろうか。彼は音もなく現れた。
「あ……」
アステルは小さく声をあげる。
大きな黒い鎧に身を包んだ青年が、目の前に立っていた。捨てたはずの槍と盾が、その手に握られている。
「よくよく考えたんだけど」
男の声は落ち着いていた。
「やっぱあのまま逃げたら……俺、人でなしじゃね?」
「助けに来てくれたんですか?」
アステルが明るい笑顔を向けると、男の肩がピクリと震えた。
「いや……まあ、ね」
男の声はかすれている。
「っていうか、俺も帰り道こっちだったっていう……」
「来てくれてありがとう!」
「……どういたしまして」
男は口のなかでモゴモゴと呟いた。
また性懲りもなく現れた乱入者に、ランポスは完全に興を削がれていた。
黒い鎧の男には、すでに興味を失っているらしい。
カリカリと地に蹴爪を立てるランポスをいちべつし、男は口を開いた。
「俺の好きな……マンガにさ」
友達に話しかけるみたいな口調だ。
「お前みたいに、鉤爪で戦うヤツがいるんだよ。シブくてワイルドで、カッコいいんだぜ」
ランポスは吠えた。そして消えた。
そう思わせるほどの、素早い動きだった。
出会い頭に使ってきた、あの歩行法だ。傍目に見て、初めてその原理に気づいた。
態勢低く、敵の視界から外れつつヘビのように、一瞬で距離を詰める。
何のことはない。自分もたまに使う技術だ。ただしあちらの方が、明らかに完成度が高い。
もはや瞬間移動と形容しても差支えない動き。
しかし男は、それにしっかりとついてきていた。
「ほっ!」
盾を掲げ、真正面からの蹴りを受け止める。
反撃を警戒したのだろう。ランポスは地面を蹴り、これもまた一瞬で遠ざかり、男から距離をおいた。
「……こっちの番だぜ」
男は宣言し、疾駆する。
盾で前面を守りつつ、槍を大きく後ろに引いた。
突進の速さを乗せた、高速の突き。さっきとまったく同じ攻撃だ。
ダメだ。すでに見切られている。勝ち目はない。
敵の反撃の蹴爪が、今度こそ彼の首をえぐるだろう。
しかし少年の心配は杞憂だった。
男は槍を突かなかった。
「そおいっ!」
掛け声とともに突き出したのは、右腕の盾だった。
カウンターを狙っていたランポスは、対応が遅れた。
標的めがけて叩きつける。分厚く幅広い鉄の塊を、突進の威力そのままに。破城槌さながらだった。
鋼が重苦しく鳴り響き、ランポスは吹き飛んだ。
敵の武術概念を逆手に取ったフェイントだった。
「お。当たった」
男は嬉しそうに呟いた。
泥を巻き上げながら突進の勢いを殺し、その場で立ち止まる。
ランポスは跳ね起きると、男を鋭く睨みつける。
一矢報いられた悔しさからか、その眼は血走っているように見えた。
折れた爪を振りかざし、鳴き声で威嚇する。
対して男の方は、つとめて冷静だった。
盾を掲げ、槍を後ろに引く。あごを引き、腰を落とす。
騎士の彫像さながらに、そのまま微動だにしなかった。
アステルは息を潜め、彼の背中を見つめた。
彼は守りに徹することにしたらしい。重心低く構えるその姿には、隙がない。
彼は今、一つの城塞と化していた。鉄壁で守られた、不動不落の要塞。
逃げることを勧めたあのときとは違う、全く別の覚悟。おぼろげながら、アステルはそれを感じ取った。
その覚悟こそ、彼の城塞たる最も根幹を成していた。
刺し違えてでも止める。後退はない。
それは、逃げることを放棄した覚悟だった。
アステルは息をのむ。
男の覚悟を、肌で感じ取った。野生生物が殺気を感じるように。
――モンスターハンターだ。
「襲いかかるなら、早めに頼む」
男は低い声で言った。
「この体勢……足とかけっこうキツイんだよ……」
ランポスは黄色い眼を光らせ、うなった。しかし飛びかかりはしない。
なまじ戦術を見切る眼を持っているだけに、今の彼に隙がないことがよく分かっていた。
たとえその蹴爪で致命傷を与えても、一撃決殺の反撃を返される。
二歩、三歩と、ランポスが後ろに下がった。
とどめとばかりに、その頭上に何かが降り注ぐ。
朱色の羽を煌めかせる矢だった。
「ひえっ!?」
男は奇声をあげ、慌てて飛びのいた。
わずかに遅れて、地面に長く鋭い猟矢が突き刺さる。
あのままあそこにいたら、巻き添えを喰っていただろう。
次から次へと飛んでくる朱色の雨に、ランポスは大きく後ろに跳んだ。
木々の陰の奥へと躍り、闇に姿を消す。
そして、何も聞こえなくなった。
逃げてしまったのか。アステルは耳をすましたが、辺りは静まりかえっている。
どこか遠くから、小鳥のさえずりが聞こえるだけだった。
「無事かしら?」
誰かの声が響き、茂みがガサガサと揺れる。
小枝を分けて現れたのは、金髪の女性だった。
桜色の弓と矢筒を背負っている。このヒトもハンターだろう。
しかし、その鎧は鎧と呼ぶには、あまりに露出が多かった。
というより、ほとんど水着だ。ちょっと引っぱったら、簡単にこぼれてしまうだろう。
彼女は紅いルージュの引かれた口元を緩め、悪戯っぽく笑った。
「相手はランポス?ずいぶん手こずってたじゃない」
「いやいや、ただのランポスじゃないんすよこれが」
男は片手を左右にブンブンと振った。
「あれは間違いなくG級でしたね」
「そう?大変だったわねぇ、二人とも」
女性はアステルに視線を移すと、優しげに微笑んだ。
包み込むような優しい笑みだったが、なぜか少年にはそれが、どこか危険なものに思えた。
「助けてくれてありがとう」
アステルがペコリと頭を下げる。
女性は彼に歩み寄ると、腰を少し落として目線を合わせた。
「お礼なんていらないわ」
「そうなの?」
「そうよぉ。だって、何かで払ってもらうつもりだから」
彼女の顔が近い。頬にかかる金髪から、微かな甘い香りがした。
食虫植物が獲物を誘う香りに似ていると、彼は思った。
「僕、何も持ってませんよ」
「持ってるわよぉ」
アステルの頬に甘い息を吹きかけ、女性は囁くように言う。
「あなたのハジメテを……私に……」
「はい、そこまで」
重装備とは思えない軽やかな身のこなしで、男が彼らの間に割って入る。
「とりま落ち着こう。ね、姐さん。犯罪だから」
「なによぉローラン。邪魔しないで」
女性は不満げな声を出し、黒鎧の男に詰め寄る。
あのハンターさん、ローランっていうのか。アステルは密かに名前を覚えた。
「それともぉ……あなたが代わりにしてくれる?」
「……え」
「この子に妬いちゃったんでしょ?」
「いや……あの……」
ローランは退こうとしたが、首に腕を回されてしまう。
彼の顔色は真っ青になった。
女性はゆっくりと目を細め、ローランに唇を近づける。
そのときだった。
「オエエエェェェ!」
「ギャアアアァァァッ!!」
突然ゲロを吐きかけられ、ローランは断末魔の叫び声をあげた。
「何をするだァーーーーーーッ」
「あら……ごめんなさい」
女性は口元を拭い、すっかり青くなった顔をしかめた。
「変ねぇ、何でかしら……。さっき食べたコゲ肉が当たったかな……?」
「勘弁してくださいよ……」
「うっ、エエエエェェェッ!」
「ギャアアッ!こっち向くなあぁぁ!」
モンスターハンターだ。
彼らから十分距離を置いて、アステルはそう思った。
ハイスペックランポスと、ゲロ以下のにおいのお話でした。
格闘術を身につけたランポス。身につけたというより、覚えているという言い方の方が適切か。
人間が編み出した格闘術を、鳥竜種の筋力で打ち放つ。
サルが銃の扱いを覚えたら手に負えねえ的な話の、ランポスバージョンでした。
ローランが「間違いなくG級」と言ってますが、しょせんランポスなので、飛竜には勝てないでしょう。クック先生あたりならいけるか……?
クック先生「なめんなよ。MH4の俺も、ハイスペックなんだぜ?」