空の狭間に唄う   作:HOT PEPPER

4 / 5
前回の後書きに致命的な間違いがありましたので、訂正します。
「ドブの臭い」ではなく、「ゲロ以下のにおい」でした。

スピードワゴンさん、すいませェん……。
にわか以下のにおいをプンプンさせてしまいました……。


四 狩人の心得

 呆気なかったな。 

アステルは溜め息をついて、足元を見つめた。

血の海に抱かれ、穏やかに眼をつぶっているドスランポスは、眠っているように見えた。

戦っているときはもっと大きく見えていた。しかし今では、ひどく小さく感じる。

勝利を確信した瞬間、まるで目の前で、シュルシュルと縮んでいくように見えるのだ。

不思議なことだな、と胸の内で呟いた。

彼は腰を落とすと、獲物の死体からボーンククリを引き抜いた。

手近にあった雑草の葉で刀身を拭き、腰の後ろにある留め具に納める。

小細工が多すぎたかもしれない。アステルは大きく伸びをしながら思った。

麻痺毒を吸わせた竜骨のブーメランに、茂みに隠した瀕死のランポス。

それに加え、恐らく敵は気づかなかっただろうが、盾の裏に隠した毒針まで使った。

モンスターハンターの戦い方でないことは確かだろう。

支給品として現地にあった道具のほとんどは用途が分からず、まともに使ったのは砥石だけ。

アステルは小さく笑った。あとでコショーに教えてもらわないと。

あの小さな友人は、悪態をつきながらも懇切丁寧に教えてくれるはずだ。

彼は腰の鞘から、ナイフを一本抜き取った。

防具と一緒に支給されたもので、剥ぎ取り専用のナイフらしい。

ランポスの剥ぎ取りは、集落にいたころに習っている。

同じような要領で、ドスランポスにもできるだろうか。

アステルは死体の前に屈みこみ、素材の剥ぎ取りにかかろうとする。

何かの鳴き声を聞きつけたのは、その直後だった。

 「……!」

ハッと驚き、慌てて右手を腰の後ろにやった。剣の柄に手をかけ、肩越しに振り返る。

褐色の岩の陰から現れたのは、一匹のランポスだった。

足を止め、彼に向かって臨戦の態勢を見せている。

びっくりした。ランポスか。

ほっとすると同時に、アステルは気を引き締めた。

敵との距離は、目測で十歩ほども離れていない。

ここまで接近されるまで気づけなかったのは、油断していた証拠だ。

こんなことじゃいけない。一人前の戦士が、戦場で隙を晒すことは許されないんだ。

彼は自分を戒めた。改めて敵を観察すると、面白いことが分かった。

今まで狩った、どのランポスよりも一回り大きい。

鉤爪の大きさや脚の筋肉などは、ドスランポスにも引けを取らない。

なにより特徴的なのは、背中を中心に紅い線が走っていることだった。

稲妻を思わせる模様で、ひっかき傷のようにも見える。

こんなランポスは見たことがない。あの模様は何なのだろう。

アステルの思考はそこで途切れた。

突然、ランポスが肉薄してきたのだ。

 「っ!」

目の前で弾ける、紅い閃光。

下からすくい上げるように振り上げられた鉤爪を、辛うじてかわしていた。

地面すれすれの死角を利用した、完璧な不意打ちだった。

論理で挑んでいたら、避けきれなかったに違いない。

アステルは動物的な反射神経のみで、瞬速のアッパーに対処していた。

 「危なっ……!」

思わずそうもらし、彼は後ろに飛んだ。

のけぞった反動を利用した宙返りを披露しつつ、着地と同時に剣を抜く。

アステルは額の冷や汗を拭った。

まさかあんなに速く、ジャンプも使わずに距離を詰めてくるとは思わなかった。

何をしたのかは分からない。とにかく気づいたときには、目の前にいた。

これでは一瞬たりとも敵から目を離せない。

追撃に備えたつもりだったが、ランポスは襲ってこなかった。

黄色い眼を細め、こちらをじっと見つめている。品定めをしているような眼だった。

何かがおかしい。

さっきは威嚇のそぶりすら見せず、いきなり攻撃してきたのに。

それにあの眼。

群れのリーダーを殺された怒りとか、獲物を狩る喜びとか、そんな純粋な感情がない。

もっと底の知れない何かが映っている。根拠はないけど、そんな気がする。

ランポスが飛んだ。

後ろ足の蹴爪を警戒し、アステルは横に飛びのく。

想像よりも遥かに速く、敵は頭上に現れた。

しかしアステルの方が一瞬速く、後ろ足の爪は空を切る。

ランポスは着地するや否や、足にくっついた土くれを蹴り飛ばした。

鉤爪を振りかざし、追い討ちをかけるべく飛びこんでくる。

アステルは後悔した。

こんなことなら、盾を拾ってくるんだった。

 「わっ、わっ、わわっ!」

縦横無尽に繰り出される紅い刃を、彼はギリギリのところでかわし続ける。

鼻先をかすめ、鎧がえぐられ、ヤケクソで突き出した剣が弾かれた。

さっきのドスランポスほどの力はないが、とにかく速い。

鉤爪をナイフのように振り回し、その型は変幻自在だ。

普通じゃない。

アステルは、背中に嫌な汗が噴き出すのを感じた。

奴は振りかざした左の鉤爪を突然引っ込め、その影に隠れていた右のを一閃した。

フェイントだ。こいつにはフェイントの概念がある。

アステルは大きく後ろに飛んだ。少しでも距離を置きたかった。

レギンスにこびりついた、泥や落ち葉が重い。

ランポスはまたもや追い討ちを止め、その場で立ち止まっていた。

インターバルのつもりなのか。鉤爪を舐めるその顔は、笑っているように見えた。

黄色い眼を愉しげに細め、喉の奥を小さく鳴らしている。

アステルは呆然とした。首筋が熱を持っている。

触ってみると、固まりかけた血がこびりついた。鎧を裂かれ、首に一筋の傷がついている。

かすり傷だが、あと数センチ深ければ死んでいただろう。

頸動脈だ。鉤爪を斜めに振り上げ、そこを狙ったのだ。

まさかと思っていたが、気のせいじゃなかった。

あいつは人間の急所を知っている。

どこをどの角度で狙えば、人間を楽に殺せるかを理解しているのだ。

手ごわいな。アステルは舌を巻いた。

戦闘術は、本来非力なニンゲンたちがモンスターに対抗するために編み出したもの。

それをどういうわけか、あのランポスは手に入れてしまっている。

まさに一石二鳥、というわけだ。

……ん、何か使い方が違う気がする。まあいいか。

アステルは小さく息を吸った。

喉がおかしな形に歪み、収縮するのを感じる。

細く吐き出された息は、か細い声となって発せられた。

ランポスの鳴き声。仲間を呼ぶ声を、敵に向かって投げかける。

奴はそれをきれいに無視し、甲高く吠えながら飛びかかってきた。

やっぱりおかしい。仲間の声に関心を示さないなんて。

前転して敵の足元をくぐり抜け、素早く起き上がるアステル。

その場で背中越しに剣を振り抜くが、当たらない。

ランポスはヘビのように身をくねらせ、その刃をかわしていた。

 「……!!」

アステルは悲鳴をあげそうになった。

その針のような牙が、ガントレットに食い込んでいる。

しまったと思ったのも束の間、ランポスは全身の筋肉を使って、彼の身体を宙へと放り投げる。

腕の肉が裂かれる感触とともに、アステルは空を舞った。

 

刹那の狂気に踊る、青き狩人の黄色い瞳。

 

無防備な彼の腹部に、ランポスは身体を回転させ、足の裏を叩きつけた。

 「ぐはっ……?!」

アステルは地面に落ちる前に、大木に背中からぶつかることとなる。

3メートル弱の距離を、彼はランポスの『蹴り』によって飛ばされていた。

ズルズルと音を立て、大木の根本に沈むアステル。背中を預けたまま、動くことすらできずにいた。

指に引っかかっていた剣が、手の平から落ちる。そのまま木の根の上を滑り、落ち葉の下に消えた。

アステルは歯を食いしばり、立ち上がろうとする。

しかし足に力が入らず、尻もちをついてしまった。

彼は顔をしかめ、震える拳を握りしめる。

いろんな攻撃を予測していたが、まさか蹴りが来るとは思わなかった。

笑うところなのか。残念ながら当事者だから、ちっとも笑えないけど。

飛竜の突進などに比べれば、大した威力はないのだろう。

しかし受けた位置がまずかった。完璧に鳩尾だった。

手足が思うように動かず、頭もぼんやりとしている。肺が酸素を求め、うるさくわめいていた。

それでも敵は待ってはくれない。陽光を受けて妖しく輝く爪が、目の前で高々と振り上げられる。

こんなものなのか、僕の力は。

アステルは迫る自分の死を、ぼんやりと眺めていた。

それならそれで、仕方がない。この世界は、力がすべて。

僕は弱い。弱者は死すのみ。それだけの、単純なことだ。

彼は死を覚悟し、ゆっくりと目を閉じる。

そのときだった。

金属の擦れるような音が、近づいてきていた。

 「……え?」

アステルは目を見開く。

茂みを切り裂き、突然横から飛び出してくる何かを、彼の瞳は捉えた。

全身を黒一色の鎧に包んだ一人の男。ハンターの姿だ。

肩や頭には威圧的な角がこしらえてあり、武骨で重そうなシルエットだ。

その全身から醸し出される風格は、ベテランハンターのそれだった。

 「よっと!」

男は助走の勢いに任せ、鉄製の槍を勢いよく突き出す。

ランポスは軽く後ろに飛びのき、槍の射程距離から悠々と抜け出した。

 「大丈夫か?」

角付きヘルムの奥から響いた声に、アステルは少し驚いた。

印象から勝手にシブい中年の男を想像していたが、思ったより若そうだった。

 「はい、なんとか」

 「そいつはなにより」

アステルの返答に、男は小さく頷いた。

 「俺の後ろにいなよ。あのトカゲは、俺が追っ払ってやるから」

言うや否や、男は大きな盾を掲げ、アステルを守るように立つ。

少年はホッと息を吐いた。同時に、少し不安だった。

彼は理解しているのだろうか。あのランポスが、普通じゃないことを。

少年の心配をよそに、男は颯爽と走り出した。

 「シッ!」

気合いの息をもらし、大型の槍を連続で突き出す。

ランポスは左右にピョコピョコと飛び跳ね、それらを軽くいなした。

 「……あれ?」

男は槍を引きながら首を傾げる。

 「当たらねえな……」

さらに深く踏み込み、速い突きを繰り出そうとした。

瞬間、ランポスの眼が鋭く光る。

 「危ない!」

アステルの警告は、一歩遅かった。

一気に眼前まで飛び上がったランポスの蹴りが、男の顔面に決まっていた。

槍を後ろに引いた際の隙を狙った一撃。

男は悲鳴一つあげずに、無言でヨロヨロとあとずさった。

 「……痛え」

蹴りの威力に耐えきれず、わずかにへこんだ角兜。

それを投げ捨て、男は吐き捨てるように言った。鼻血が出ていた。

 「チョー痛えよっ」

彼の様子を見て、アステルは胸を撫で下ろす。思ったより元気そうだ。

 「大丈夫?」

さっきとは逆に男に訊いた。

 「大丈夫だって?ご機嫌なもんさ」

男は眉間にしわを寄せている。

 「ランポスから初めて『蹴り』をもらったハンターにしては、だけど」

血こそ出ているが、鼻の骨は折れていないようだ。

盾を前に突き出し、敵の追い討ちを牽制している。

短く切った茶色の髪に、形の整った眉。

健康的に引き締まった横顔は、精悍な雰囲気を抱かせている。

やっぱり、最初の印象よりもずっと若いようだ。

 「この身で喰らわなきゃ、信じなかったね」

男は左肩を軽く回しながら言った。

 「ただの蹴りならともかく、ローリングソバットだからね」

 「あいつは普通じゃないんです」

アステルは背中にぶら下げた、剥ぎ取りナイフに手をかける。

残っている武器と呼べるものは、もうこれしかない。

 「僕も戦いましょうか?」

 「いや、いいよ。君は後ろにいな」

男はそう返し、槍を構えなおす。

標的の動きを盾ごしに警戒しつつ、安心させるような口調で続けた。

 「なんとかなるでしょ。……たぶん」

アステルは黙って頬を掻いた。

安心させたいのか、心配させたいのか分からない。

 「……よし……行くぜ」

呼吸を整えたあと、男が地面を蹴った。

どっしりとした分厚い盾で正面を守りつつ、ランポスに向かって走り出す。

踏みつけられた落ち葉が砕け、塵になって舞った。

速い。あれだけ重装備なのに、こんなに速く走れるのか。

ランポスとの距離は、あっという間に詰められた。腕を大きく引きながら、標的に肉薄する。

彼の手の銀色の槍が、木漏れ日を受けて蒼く瞬く。雲間を刹那に駆ける、稲妻のようだ。

 「よっ!」

突進の速さを加算した、高速の突きだ。

アステルは目を見張った。それでも敵の眼は笑っている。

そして、辺りに不思議な音が響いた。金属の鳴くような音だった。

 「ぃっ?!」

くぐもった悲鳴を上げ、男が槍を取り落とす。

突き出した左肩の、装甲の一部が吹き飛んでいた。露出した肌からはうっすらと血がにじんでいる。

 「くっそおおぉ!危ねえし!怖いし!」

槍を拾う間もなかった。

男は後ろに飛びのき、ランポスの追撃を逃れる。

槍使いの優れた脚力に任せた、連続のバックステップ。

泣き言をわめきながら、彼はアステルの近くまで退避した。

 「なんなんだよもう、あの野郎は!」

男は泣きべそ顔で言った。

 「俺の槍をあっさりかわした上に、サマーソルトキックまで披露しやがった!」

やっぱり元気だ。アステルは溜め息を吐いた。さすが大人のヒトはタフだ。

肩の鎧が飛ばされるだけで済んだのは、恐らく身をよじったからだろう。

あのランポスなら、きっと剥き出しの頭を狙ったはずだ。

回避判断が早く、逃走にも無駄がない。

若く見えるしベソかいてるけど、このヒトの狩猟経験はきっと長いはずだ。

 「ダメだねあれは。手に負えないよ」

男は肩をすくめて言った。早くもさっきの冷静さを取り戻している。

何かを切って捨てたような、ある種の清々しさすら感じられた。

 「退くのも勇気だ、ってね。さっさと逃げよう」

アステルは無言でコクリと頷いた。

ベテランのヒトが言うのなら、そうすべきなのだろう。

迅速な判断は、時に生死を分かつという。

 「俺はこっち」

木々の向こうを指さし、男は小さな声で言った。

 「君はあっちね。どっちを追いかけてきても、恨みっこなし」

 「分かった」

アステルは頷いた。

確かにそれが最良な気がする。こちらを追ってくる確率も、半分になるのだ。

これ以上、見知らぬヒトに守ってもらうわけにもいかない。

 「お先に!」

重そうな盾を投げ捨て、男は全速力で逃げ出した。

鎧の揺れる音が、ガチャガチャと賑やかに響く。

アステルもきびすを返すと、男の指した『あっち』の方向に飛び上がった。

ほぼ垂直な幹を駆け上がり、枝の上に飛び移る。

太陽を遮る天幕の、深緑の影から影へ。

闇と静寂を身にまとい、アステルは森の天井、梁のような大枝の上を飛び回った。

ここなら安全だ。彼は一人安堵する。

ランポスに木登りは難しい。いくらあいつでも、ここまで来ることはできないだろう。

枝から飛び降り、蔓にぶら下がる。

身体を振り子のように動かし、曲芸のように蔓から蔓へと移動した。

あと少しでベースキャンプだ。このまま逃げ切れる。

アステルは目的地の方向を見据える。

そして、思わず顔をしかめた。

視界に映ったのは、獲物を待ち受けるランポスの姿だった。

背中を紅い稲妻が走っている。さっきのヤツだ。

爪をこすり合わせ、こちらを睨みつけている。さっさと降りてこいと言わんばかりだ。

アステルは唇を噛み、左右に視線を走らせる。迂回できる道はない。

どちらにしろ、もうぶら下がれるような蔓も枝もなかった。

あと一息だったのに。必ずここを通ると踏まれ、先回りされていたのだ。

 「しつこいなぁ……」

苛立ちを込めて彼は呟いた。蔓から手を離し、片膝をついて地面に降り立つ。

日の光で固まった泥が、パキパキと音をたてて割れた。

 「そんなにかまってほしい?」

彼の言葉に、ランポスはくちばしを突き出し、牙を剥くことで答えた。

アステルは剥ぎ取りナイフを抜くと、素早く構えをとる。

噛みつかれたガントレットはボロボロだったが、右腕は動かせる。

蹴りつけられた鎧の腹部は金属が一部めくれただけで、ただ動くぶんには支障がない。

不思議な高揚が、彼の心を包んでいた。

こいつの眼。初め見たときは、何も気づかなかった。ただ得体の知れない何かを感じ取っただけだ。

でも今、やっと分かった。こいつは僕と同じだ。試したいんだ。自分の力を。

だから強い。自分の強さ以外何も見えてないし、考えていない。

狩りを楽しみ、生を謳歌する。

それこそが、生きとし生ける者たちにとって最も根源的で、純粋な感情なのだ。

アステルは唇をぺろりと舐めた。

いいよ。一緒に遊ぼう。

彼は大きく息を吸った。湿った植物の、どこか苦い味のする空気。

 

個を捨てよ。

己の本能に身を委ね、恐怖も渇望も、生への執着を捨てよ。

 

少年は、咆哮した。龍でもランポスでもない、人間の咆哮だった。

恐怖か動揺か、ランポスの体が硬直する。その一瞬の隙を逃さず、彼は敵へと飛びかかった。

足を狙った一閃を、ランポスは後ろに跳んでかわす。

地を這いずるような動きで追いかけ、喉元めがけて見舞われる追撃。

鋭く迫る切っ先が、ランポスのくちばしをかすめた。

ランポスが笑う。獲物の逆襲を楽しんでいる。

戯れにナイフを鉤爪で受け止め、力で押し返そうとした。

しかし、少年は動かない。彼の力は、ランポスの力と拮抗していた。

それどころか、ナイフはゆっくりとランポスの喉めがけて進んでいる。

力負けしている。ランポスは悔しそうにうなった。

刃を捌き、少年の顔面に蹴りを打ち込む。

少年は首を横に傾け、これを軽くかわした。

最低限の動作でかわしたことで、生じるチャンスは大きい。

アステルは外套に手をかけ、バサッとランポスの眼の前に広げた。

ランポスの視界から獲物が消え失せ、白一色の世界へと変わる。

彼は小さく鼻を鳴らすと、鉤爪を斜めに一閃した。

邪魔な目眩ましを引き裂くつもりだったが、無駄だった。

不可思議な象形が描かれた白の外套は、ただの布で織られていなかった。

外套は切れずに爪に絡みつき、ランポスは苛立たしげに真横に放り投げる。

そのときには、少年はすでにランポスの背後をとっていた。

 

直線に迸る、一筋の閃光。

 

少年は、思わず笑みをもらした。

急所を狙った一撃は、身をよじってかわされた。呆れるほどに速い反射だ。

あらかじめ予測していなければ、死角からの攻撃にあんな反応は無理だろう。

しかし敵の体勢は崩れた。

ここで押し切って、仕留める。

 「あああああああぁぁ!」

野獣の如き咆哮が、密林を揺らした。

少年の右腕は隆起し、歪に膨らんでいる。

竜人の内に潜み、彼らの血脈に受け継がれる『竜』。

それが少年の猛りによって目覚め、外へと現れた結果だった。

ナイフをくるりと回し、中指と薬指の間に柄を挟み、拳を握りしめる。

柄頭を掌で支える、突きに特化した握り。竜人族の手の形を生かした、特殊な型だ。

そして、嵐のように乱舞する白刃。

牙獣種のそれのように肥大した腕から、息つく間もない、突きの連打が繰り出される。

ランポスは眼を見張った。そして次の瞬間には、狡猾そうに細めた。

捉えきれない速さではない。見切ってやる。彼の眼は悠長に語っていた。

しかし捉えられることと、防げるということは別だった。

眼前にかざした鉤爪が一瞬で砕かれる。いなすことすら不可能な、圧倒的な力。

優れた『技』は、それを上回る『力』をもって凌駕する。少年が持つ唯一のカードだ。

ランポスは恐怖を感じた。

体勢は崩れ、鉤爪も失った彼にできるのは、ただ死を待つことだけ。

少年のナイフは寸分違わず、その喉元に突き刺さる。

そう見えたのは、ほんの一瞬だった。

鉄が弾けたような、耳に障る音が響く。

少年のナイフは、真ん中から砕け散っていた。

元々は、獲物から素材を剥ぎ取るための道具だ。鋭さは申し分ないが、耐久力に難があった。

キラキラと光る銀色の破片。それが地を転がるより先に、ランポスが吠える。

次の瞬間、くちばしから覗く鋭い牙が、再び少年の利き腕を捕えた。

 「うぐっ……!」

うめき声をあげつつ、少年は空いている方の腕をあげ、敵の眼めがけて肘を打ち下ろす。

痛みに耐えかね、顎を離したランポス。大きく跳躍し、少年から距離をおいて着地した。

 「つッ……!」

少年は痛みに顔を歪めた。

咬みつかれたからではない。

人としての、それも子供の肉体の限度を超え、眠れる竜を引き出した結果だった。

彼の右腕の筋肉は今、内側でズタズタに裂ける一方、骨を軋ませるほどの速さで再生している。

早い話が、ものすごい筋肉痛を起こしていた。

どうする。武器がない。右腕ももう使えない。

アステルは歯を食いしばった。

さっきのハンターの言葉を借りるなら、チョー痛えよ、だ。

生死をかける戦いの享楽から目覚めた少年は、再び頭を回転させていた。

蹴りか。左腕で殴るか。どちらもあまり効きそうにない。決定打を与えるには、やはり刃物が必要だ。

心臓を突き刺しても、しばらく動けるほどの生命力。そんな相手に、ヒトの格闘がどれだけ通じるだろう。

ランポスは眼を細め、少年を見つめている。その黄色い眼は不運なことに、無傷だった。

少年の最後の悪あがきを、心待ちにしているらしい。

……どうする。

アステルが再び自身に問いかけた、そのときだった。

彼とランポスの間に、黒い影が立ち塞がる。

いつの間に近づいていたのだろうか。彼は音もなく現れた。

 「あ……」

アステルは小さく声をあげる。

大きな黒い鎧に身を包んだ青年が、目の前に立っていた。捨てたはずの槍と盾が、その手に握られている。

 「よくよく考えたんだけど」

男の声は落ち着いていた。

 「やっぱあのまま逃げたら……俺、人でなしじゃね?」

 「助けに来てくれたんですか?」

アステルが明るい笑顔を向けると、男の肩がピクリと震えた。

 「いや……まあ、ね」

男の声はかすれている。

 「っていうか、俺も帰り道こっちだったっていう……」

 「来てくれてありがとう!」

 「……どういたしまして」

男は口のなかでモゴモゴと呟いた。

また性懲りもなく現れた乱入者に、ランポスは完全に興を削がれていた。

黒い鎧の男には、すでに興味を失っているらしい。

カリカリと地に蹴爪を立てるランポスをいちべつし、男は口を開いた。

 「俺の好きな……マンガにさ」

友達に話しかけるみたいな口調だ。

 「お前みたいに、鉤爪で戦うヤツがいるんだよ。シブくてワイルドで、カッコいいんだぜ」

ランポスは吠えた。そして消えた。

そう思わせるほどの、素早い動きだった。

出会い頭に使ってきた、あの歩行法だ。傍目に見て、初めてその原理に気づいた。

態勢低く、敵の視界から外れつつヘビのように、一瞬で距離を詰める。

何のことはない。自分もたまに使う技術だ。ただしあちらの方が、明らかに完成度が高い。

もはや瞬間移動と形容しても差支えない動き。

しかし男は、それにしっかりとついてきていた。

 「ほっ!」

盾を掲げ、真正面からの蹴りを受け止める。

反撃を警戒したのだろう。ランポスは地面を蹴り、これもまた一瞬で遠ざかり、男から距離をおいた。

 「……こっちの番だぜ」

男は宣言し、疾駆する。

盾で前面を守りつつ、槍を大きく後ろに引いた。

突進の速さを乗せた、高速の突き。さっきとまったく同じ攻撃だ。

ダメだ。すでに見切られている。勝ち目はない。

敵の反撃の蹴爪が、今度こそ彼の首をえぐるだろう。

しかし少年の心配は杞憂だった。

男は槍を突かなかった。

 「そおいっ!」

掛け声とともに突き出したのは、右腕の盾だった。

カウンターを狙っていたランポスは、対応が遅れた。

標的めがけて叩きつける。分厚く幅広い鉄の塊を、突進の威力そのままに。破城槌さながらだった。

鋼が重苦しく鳴り響き、ランポスは吹き飛んだ。

敵の武術概念を逆手に取ったフェイントだった。

 「お。当たった」

男は嬉しそうに呟いた。

泥を巻き上げながら突進の勢いを殺し、その場で立ち止まる。

ランポスは跳ね起きると、男を鋭く睨みつける。

一矢報いられた悔しさからか、その眼は血走っているように見えた。

折れた爪を振りかざし、鳴き声で威嚇する。

対して男の方は、つとめて冷静だった。

盾を掲げ、槍を後ろに引く。あごを引き、腰を落とす。

騎士の彫像さながらに、そのまま微動だにしなかった。

アステルは息を潜め、彼の背中を見つめた。

彼は守りに徹することにしたらしい。重心低く構えるその姿には、隙がない。

彼は今、一つの城塞と化していた。鉄壁で守られた、不動不落の要塞。

逃げることを勧めたあのときとは違う、全く別の覚悟。おぼろげながら、アステルはそれを感じ取った。

その覚悟こそ、彼の城塞たる最も根幹を成していた。

刺し違えてでも止める。後退はない。

それは、逃げることを放棄した覚悟だった。

アステルは息をのむ。

男の覚悟を、肌で感じ取った。野生生物が殺気を感じるように。

――モンスターハンターだ。

 「襲いかかるなら、早めに頼む」

男は低い声で言った。

 「この体勢……足とかけっこうキツイんだよ……」

ランポスは黄色い眼を光らせ、うなった。しかし飛びかかりはしない。

なまじ戦術を見切る眼を持っているだけに、今の彼に隙がないことがよく分かっていた。

たとえその蹴爪で致命傷を与えても、一撃決殺の反撃を返される。

二歩、三歩と、ランポスが後ろに下がった。

とどめとばかりに、その頭上に何かが降り注ぐ。

朱色の羽を煌めかせる矢だった。

 「ひえっ!?」

男は奇声をあげ、慌てて飛びのいた。

わずかに遅れて、地面に長く鋭い猟矢が突き刺さる。

あのままあそこにいたら、巻き添えを喰っていただろう。

次から次へと飛んでくる朱色の雨に、ランポスは大きく後ろに跳んだ。

木々の陰の奥へと躍り、闇に姿を消す。

そして、何も聞こえなくなった。

逃げてしまったのか。アステルは耳をすましたが、辺りは静まりかえっている。

どこか遠くから、小鳥のさえずりが聞こえるだけだった。

 「無事かしら?」

誰かの声が響き、茂みがガサガサと揺れる。

小枝を分けて現れたのは、金髪の女性だった。

桜色の弓と矢筒を背負っている。このヒトもハンターだろう。

しかし、その鎧は鎧と呼ぶには、あまりに露出が多かった。

というより、ほとんど水着だ。ちょっと引っぱったら、簡単にこぼれてしまうだろう。

彼女は紅いルージュの引かれた口元を緩め、悪戯っぽく笑った。

 「相手はランポス?ずいぶん手こずってたじゃない」

 「いやいや、ただのランポスじゃないんすよこれが」

男は片手を左右にブンブンと振った。

 「あれは間違いなくG級でしたね」

 「そう?大変だったわねぇ、二人とも」

女性はアステルに視線を移すと、優しげに微笑んだ。

包み込むような優しい笑みだったが、なぜか少年にはそれが、どこか危険なものに思えた。

 「助けてくれてありがとう」

アステルがペコリと頭を下げる。

女性は彼に歩み寄ると、腰を少し落として目線を合わせた。

 「お礼なんていらないわ」

 「そうなの?」

 「そうよぉ。だって、何かで払ってもらうつもりだから」

彼女の顔が近い。頬にかかる金髪から、微かな甘い香りがした。

食虫植物が獲物を誘う香りに似ていると、彼は思った。

 「僕、何も持ってませんよ」

 「持ってるわよぉ」

アステルの頬に甘い息を吹きかけ、女性は囁くように言う。

 「あなたのハジメテを……私に……」

 「はい、そこまで」

重装備とは思えない軽やかな身のこなしで、男が彼らの間に割って入る。

 「とりま落ち着こう。ね、姐さん。犯罪だから」

 「なによぉローラン。邪魔しないで」

女性は不満げな声を出し、黒鎧の男に詰め寄る。

あのハンターさん、ローランっていうのか。アステルは密かに名前を覚えた。

 「それともぉ……あなたが代わりにしてくれる?」

 「……え」

 「この子に妬いちゃったんでしょ?」

 「いや……あの……」

ローランは退こうとしたが、首に腕を回されてしまう。

彼の顔色は真っ青になった。

女性はゆっくりと目を細め、ローランに唇を近づける。

そのときだった。

 「オエエエェェェ!」

 「ギャアアアァァァッ!!」

突然ゲロを吐きかけられ、ローランは断末魔の叫び声をあげた。

 「何をするだァーーーーーーッ」

 「あら……ごめんなさい」

女性は口元を拭い、すっかり青くなった顔をしかめた。

 「変ねぇ、何でかしら……。さっき食べたコゲ肉が当たったかな……?」

 「勘弁してくださいよ……」

 「うっ、エエエエェェェッ!」

 「ギャアアッ!こっち向くなあぁぁ!」

モンスターハンターだ。

彼らから十分距離を置いて、アステルはそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ハイスペックランポスと、ゲロ以下のにおいのお話でした。

格闘術を身につけたランポス。身につけたというより、覚えているという言い方の方が適切か。
人間が編み出した格闘術を、鳥竜種の筋力で打ち放つ。
サルが銃の扱いを覚えたら手に負えねえ的な話の、ランポスバージョンでした。
ローランが「間違いなくG級」と言ってますが、しょせんランポスなので、飛竜には勝てないでしょう。クック先生あたりならいけるか……?

クック先生「なめんなよ。MH4の俺も、ハイスペックなんだぜ?」
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。