「せ、先輩……ここはどこ……ま、まさか!!」
精霊・巴御前こと銀は、見た事の無い風景の部屋に戸惑っていたようだったが……途端に顔色が悪くなった。瑠璃は、すぐにその意図を察して「大丈夫よ」と声を掛ける。
「ここがあの世で、私も既に死んでいるというオチはないから安心しなさい。ここは歴とした、現世よ」
「そ、そうか……よ、良かった……先輩は生きて……あ!! 須美は? 園子は!? どうなったんです!?」
「大丈夫よ。二人とも、無事でいる。あなたのお陰でね」
「そうですか……良かった……」
それを聞いて、漸く銀は少しばかり落ち着いたようだった。深呼吸を一つする。
「……ただし、あなたの周りは、かなり面倒な事になっているけど……」
瑠璃が手招きすると彼女の精霊である浄玻璃が飛んできて、手にした鏡を二人に向ける。
今までは銀の顔を映していた鏡像が切り替わって、別の場所の風景を映し出した。
「これは……」
どうやら、どこかのホールのようだ。部屋の中央には棺が置かれていて、沈痛な表情をした人達が、空っぽのその棺に花を詰め込んでいく。
どう考えても、ハッピーなイベントには見えない。葬儀の風景のようだが……
物凄く嫌な予感がして、銀は瑠璃を振り返った。
「せ、先輩……こ、これはもしかして……!!」
「ええ、あなたの告別式よ」
いつも通り、無表情の棒読みで瑠璃が言った。
「じゃ……じゃあ、やっぱり……今アタシがこうしているのはギリギリで治療が間に合ったとか、そういうんじゃなくて……」
「そう。銀、あなたはあの時、樹海で死んだ。正確には私が殺した。私は須美達や大赦にはあなたの遺体はバーテックスに破壊されて取り戻せなかったと嘘の報告をして、秘密裏に回収したあなたの遺体を捧げて精霊を召喚し、記憶を転写して再生させた」
「……!!」
衝撃的な事実を次々連発されて、銀は理解が追い付かずに頭がオーバーヒートしたようだった。
ふらふらと後ずさって、壁に背中をぶつけて座り込んでしまう。
「……分からない事や聞きたい事が、たくさんあるでしょう? ゆっくりと……質問に答えるわ」
そっと差し出された瑠璃の手を、銀は握り返した。
数メートルの距離を置いて、椅子に腰掛けた銀と瑠璃は向かい合う。
「……さて、何から聞きたいかしら?」
「じゃあ、最初に……精霊ってのは……」
「簡単に言えば、勇者の使い魔みたいなものかしら……より詳しく言うと……神樹様の中には歴史上・地球上全てのものが概念記録として保管されている。そこにアクセスして、抽出して、具現化させるのが精霊システム。私の浄玻璃や、この部屋に居る沢山の子達のように……」
「じゃあ、今のアタシは……その、鏡を持ったのと同じって事ですか?」
「そうね。ただしこれらの精霊は本物ではなくそれをエミュレートした精霊モドキ、人工精霊とでも呼ぶべき存在だけど。その中でも浄玻璃と巴御前の2体は、特別なの」
この2体には、瑠璃が独自に構築した理論が採用されている。
「精霊を召喚する際、人間の肉体を捧げる事でその人間の記憶を転写する事が出来る……浄玻璃には、私の右目を。そして巴御前には銀、あなたの遺体を触媒として捧げて、全ての記憶を受け継がせた」
「……この体が……」
ぐっぱぐっぱと両手を動かしつつ、銀が瑠璃を見る。
「じゃあ、先輩……教えてください。あの時、先輩は何故アタシを刺したんですか?」
「あなたが、もう助からなかったからよ。あれ以上、苦しまないようにしたの。私は、あの時のあなたのような勇者を何人も見てきたから、分かるの」
泰然として、瑠璃が答える。
銀の表情が、ぞっとしたものに変わった。
流石の瑠璃も言葉をぼかしたが、きっと今の彼女の言には続きがあった事が分かってしまった。『そうなった勇者を、全てこの手で殺した』と。
「あの時、私があなたに出来る事は二つしかなかった。あなたの苦しみを終わらせる事と、あなたがやり残した事を私が代行して果たす事。その二つを、私は完遂したから。それは、安心してくれて良いわ」
「……!!」
ごくりと、銀は苦い唾を飲み込む。
これ以上苦しませない為というのはある意味では人道的であるし、それに合理的、でもあるのだろう。確か、戦場で負傷した味方を助けるには二人か三人の手が必要になると聞いた事がある。だから助かる見込みの無い味方を始末して足手纏いを無くして戦うというのは、善悪や感情を抜きにすれば少なくとも一理はある。
しかしたった今まで肩を並べていた相手に、躊躇無くそれを実行する瑠璃の思考が、銀には理解出来ない。
「……じゃあ、もう一つ。先輩はあの時……最初からアタシを、こうして精霊にするつもりだったんですか?」
そのつもりで、敢えて自分を瀕死にさせて最後は自らの手で葬ったのかと。
これは銀にとっても勇気が要る問いだった。
瑠璃の事は尊敬していて、頼りになる先輩だと思っている。そんな彼女が、自分をハメて謀殺したなど信じたくなかった。だから「違うわ」と明確に否定してくれと、銀はそう願っていた。
果たして瑠璃は、言った。
「違うわ」
即答だった。やはりいつも通り眉一つ動かさない鉄面皮の無表情で、棒読みで、しかし銀はほっと大きな溜息を吐いた。
良かった。そこは、裏切られずに済んだ。
たった一言だが、嘘ではない。それが直感的に分かった。
ただし、やはりと言うべきか瑠璃は一筋縄では行かなかった。彼女はこう続けたのだ。
「あの時、本当は私の方が死ぬ筈だったのよ」
「なっ……!?」
想像の範疇を超えた回答を受け、銀の目が点になった。
「ど……どういう事です?」
「順を追って、説明するわ」
そうして銀は、瑠璃から説明を受ける。
最強の勇者である瑠璃の存在によってここ数年間、バーテックスが確実に撃退されている為、大赦の一部には慢心の傾向が見られた事。
瑠璃は既に勇者としての資格を喪失しつつあり、後二年ほどで戦えなくなるという事。
大赦から慢心を一掃し、確実に満開と精霊システムを実装させる決断をさせるには勇者一人の戦死が必要だと考えた事。
犠牲になる勇者は、まだ成長して強くなり続けている須美達3人ではなく、弱くなり続けている自分が最適だと考えた事。
「……!!」
再び、銀は絶句する。
瑠璃は平然と何でもないように言ったが、自分が死ぬつもりだったと言い切った。彼女は銀を介錯した時もそうだったが、必要とあれば平気で味方を殺すし、自分の死も厭わない。
どうして、ここまで割り切れるのか。
二十歳にもならない彼女が、どんな経験をすればそんな風になるのか。
瑠璃は、自分の理解を超えている。
「……先輩、あなたは……どうしてそこまでするんですか? そこまで、出来るんですか?」
問いを受けて瑠璃はしばらく沈黙していたが……決意したように頷きを一つ。
「……見せた方が、早いわね」
彼女はそう言って、袖をまくる。銀は、ぎょっとした表情になった。
前腕部の白い肌が、内出血で青黒く染まっていた。
「せ、先輩……それ、もしかして……バーテックスとの戦いで?」
「違うわ。これはね……毎日、私の体に付く傷なのよ」
「毎日……? それはどういう……?」
「……銀、あなたは巫女について、知っているかしら?」
「……それは世間一般の用語ではなくて、大赦で使われている勇者と巫女、という意味ですよね?」
勿論、と瑠璃が頷く。
「確か……勇者が神樹様の力をその身に宿して戦う者で……巫女は神樹様のお告げを神託として聞く者……でしたよね?」
須美に比べて勉強不足の銀はざっくりとした回答ではあるが、まぁ訂正を必要とする程に間違ってもいない。
「ええ。そして私は、勇者として史上最高の適正値を持つと同時に、巫女としても史上最高の適正値を持っている事が、大赦の調査で分かったの」
「勇者と巫女の両方が史上最高の適正……せ、先輩、凄いんですね……」
「そんなに良いものではないわよ……」
自嘲するように、瑠璃が首を振った。
「さっき言ったように、神樹様の中には歴史上・地球上の全てが記録として保存されている……私の中で、巫女の力が強くなり始めた10才の頃から……それらの記録が夢という形で、私の中に流れ込み始めたのよ。特に西暦の終わり頃の……バーテックスとの戦いが始まった頃からの記録が、多くね……」
瑠璃は、自分のこめかみをつついた。
空から降り注ぐ、白い化け物、星屑。
家族を目の前で化け物に食い殺される絶望。
自分が、化け物に食い殺される痛み。
生き残った人間の中で、しかし手を取り合って助け合わずに争い合う醜さ。
いつ、バーテックスに殺されるかも知れないという不安。
空を見上げる事すら出来ない程に、深く刻み込まれた恐怖。
自分達を守ってくれている勇者を、自分達で貶める浅ましさ。
全てが、まだ幼かった瑠璃の中に入ってきた。
「そして特に多く、私の中に流れてきたのが……かつての勇者や巫女の記憶。その人生だったわ」
勇者と言っても、心は只の少女に過ぎない。簡単に迷い、苦しみ、懊悩する。それらが全て、自分と他人という境界を取り払った完全な実体験として、瑠璃の中に流れ込んでくるのだ。
過去の勇者の人生全てを、彼女らが何年かを掛けて受けた痛みも感じた苦悩も、瑠璃は全て一夜にして体験する。
彼女たちがバーテックスとの戦いで傷付いた事も、瑠璃は映像や暗示などではなく、ほぼリアルと遜色無く。夜毎に味わう事になるのだ。
「で、でも……どうして夢の中で傷付いて、現実の体まで傷付くんですか?」
「心が現実にするのよ」
医学的に、深い催眠状態では「これが焼け火箸だ」と言って割り箸で突くとその部位に本当に火傷をしたかのように水ぶくれが出来る事例が、西暦の時代には既に報告されている。人間の肉体は精神に支配されているのだ。
フィードバックが完全ではないにせよ、過去の勇者達が受けた傷を、瑠璃は負うのだ。その、高すぎる巫女の才能が故に。
「10才の頃は、週に2、3回だったけど……段々巫女としての力が強くなって行くにつれて頻度が増えていって……11才の頃からは、殆ど毎日夢で傷を負うようになっていったわ。そしてそれは、今も続いている……」
「ま、毎日……ですか……?」
「ええ、ほぼ毎日……11才の頃から今まで、ずっと……」
無表情で、瑠璃は返す。
銀は、顔を蒼白にした。
もし、自分が瑠璃の立場だったとしたら……そんなのに耐えられるだろうか。想像しようとするが、あまりにも理解を超えていて想像する事すら出来なかった。
安芸先生の元にいた頃と、再会した時の瑠璃が人が変わったようだったのも当然だった。そんな経験を経ているのに、人が変わらない方がどうかしている。
「私は、11才からは毎日悪夢にうなされて飛び起きて、起きている時は体にいつの間にか刻まれている傷の痛みにのたうち回る日々だった……真剣に、何度も自殺を考えたわ。でも、出来なかった」
「……どうして、ですか……?」
「夢で、教えられたからよ。苦しい事、嫌な事も沢山あって、絶望しか無いような世界でも……けど……それでも……抗って、戦い続けた人が居た事を」
自分達の未来に滅びしか待っていない事を知りながらも、それでも大切な日常を守り続けて、想いを未来に繋げた勇者が居た。
最後の瞬間まで、二人一緒に勇敢に戦い続けた勇者達が居た。
守った筈の人々に誹られ、心をすり減らして、勇者の資格も失って、それでも最後は仲間を助けた勇者が居た。
大好きな人達の為に、心に囁きかけてくる悪意を振り切って、命を燃やし尽くした勇者が居た。
仲間を生贄に差し出したというカルマを生涯背負い続け、人類の為に尽くし続けた巫女が居た。
戦友を全て失って、その仇を討つ事も叶わず、失われた土地を取り戻す事も叶わず、自分の無力さに打ちひしがれて、それでも未来の為に戦う事を止めなかった勇者が居た。
「……他にも沢山の人達が戦って、諦めなかったから今も世界が続いていて、私達は生きていると……私は教えられた。だから私は、今こうして生きている事を当然と思わず、精一杯感謝して生きよう。自分を全うして死のう。そして自分の力如きには決して負けてなどやらないと、そう決めたの」
大赦の記録では、瑠璃の発作は12才の頃から頻度を減らして、13才からは一度として無くなったとある。
それで彼女の奇病は治癒したと思われていたが……実際には違っていた。症状は改善されているどころか、瑠璃の巫女としての力が強くなって行くにつれて重篤化さえしていたのだ。
ならば何故、発作の回数が少なくなっていったのか? 答えは簡単だった。
瑠璃が、それを超えたのだ。
「そして5年前……勇者として選ばれた時に、誓った。受け取ったバトンを次の代に渡し、希望という名の未来を創る為なら……私は何でも出来る。何でもしようと」