ごくっ。
静謐な室内に、銀が唾を呑んだ音が響いた。
瑠璃が語った彼女の秘密と、希望を未来に繋げる為なら何でもするという言葉。
それは彼女にとっては比喩の類のものではなく、本当に彼女は何でもするのだろう。目的達成の為に他人を傷付ける事も厭わないし、自分の命だって、必要とあらば平気で差し出すだろう。
銀の介入によって未遂に終わったが、満開と精霊システムを確実に実装させる為に戦死しようとした事からもそれは証明されている。
「……ん?」
そこまで考えて、銀の中に一つの疑問が生まれた。
大赦から楽観論を一掃して、二つの機能を勇者システムに組み込もうとしていた、それは良い。
だがそもそも、どうして大赦はそれらの機能の実装を躊躇っていたのだ? 単純にパワーアップするだけならば、さっさとそうしてしまえば良い。
と、言う事はつまり……何か、実装に当たってはデメリットが存在するという事ではないか?
「……先輩、教えてください」
「何かしら?」
「どうして、大赦は最初から満開と精霊システムを実装しなかったんですか?」
聞かなければいけない事だったが、同時に口にしなければ良かったかもと、銀は少し後悔した。
絶対に、恐ろしい答えが引き出されるに決まっているからだ。
「……それは、これら二つのシステムの性質によるものよ」
「……性質?」
「まず、満開だけど……これは蓄積したエネルギーを一気に開放する事で爆発的な戦闘力を発揮する、勇者の切り札……ただしこれには、もう一つ隠された機能が付随するの。私や大赦では、これを散華と呼称しているわ」
「散華……って言うとあれですか? 花が散るの、散華」
瑠璃は頷いた。
「満開を行った勇者は……体の機能の一部を喪失するのよ」
「なっ……!!」
絶句。
先程自分が死んでいて精霊として生まれ変わったと聞かされた時以上の衝撃が、銀に走った。頭をハンマーで殴られたようなとはこんな事を言うのだろうかと漠然と思った。
「五感や内臓機能、あるいは記憶かも知れないわね。一度の満開につき、一つの機能が失われる。どの機能が失われるかは、失われるまで分からない。失われた機能は、神樹様に供物として差し出される。それが散華……」
瑠璃は長髪を掻き上げると、右耳を銀に見せた。
「既に私は、先に行った満開の実戦テストによって、右耳の聴覚を失っているわ」
それだけでも銀が受けた衝撃は十分すぎるものがあったが、瑠璃の話にはまだ続きがあった。
「そして精霊システムだけど……精霊達は、どんな事があっても勇者を守り、決して死なせないように作られている……例えば不意打ちや死角からの攻撃、それに実体を持つ打撃や弾丸だけでなく、有毒なガスといった攻撃からもね……」
「……それは、良い事なんじゃ……」
だが、瑠璃は首を横に振った。
「よく考えなさい、銀……精霊は、何があっても勇者を死なせないように作られている。そして勇者は満開を繰り返す度に、体の機能を喪失していく……すると、戦い続けていけばどうなると思う?」
「……どうって、それは……」
手足が動かなくなって、目が見えなくなって……記憶が無くなって……
それでも、精霊の働きによって死ぬ事も出来ない。
その状態で、戦い続けて、また体の機能を失って……
考えを進める毎に、銀の顔から血の気が引いていく。
「ま、まさか……」
「精霊は戦闘による勇者の喪失を防ぐものであると同時に……勇者を決して死なせずに、お役目に縛り付ける為のものなのよ」
「……そんな……」
絶句した銀だが、すぐにはっとした表情になって尋ねてくる。
「そ、そうだ!! 須美や園子は、それを知ってるんですか!?」
「……」
瑠璃は、無言で首を振った。
「大赦の判断で、勇者に教える事は禁止されているわ。開発者である私は、例外だけどね」
今の銀は、勇者ではなく瑠璃の精霊なので教えるのに問題は無い。
「どうして!!」
「……大赦なりの、思いやりではあるのでしょうね……」
そう言った瑠璃が、目を伏せる。
「そんなのって……酷い……!! 方法は!? 他に何か、方法は無かったんですか!?」
「あるいは、あったのかも知れない」
表情を崩さないまま、瑠璃が即答した。
「ただ、私や大赦が知恵の及ぶ限り考えたけど……見付ける事は出来なかった。それが、今の技術の限界点なのよ」
「そんな……」
がっくりとうなだれる銀。
瑠璃は、視線を逸らさずにじっと自分の二体目の精霊を見据える。
「払う犠牲を選べる状況ではないのよ、今は」
「だからって、なんで須美や園子が!!」
「他に選択肢など無かった。現時点で最も高い適性を持っているのが、貴女達だったのよ」
あらゆる感情を廃した合成音のような一言で、瑠璃は即答した。
そうして答えた後で彼女は端末を操作し、傍らのテーブルに置いた。
「……私だけが知る裏コードで、精霊システムの自動防御は解除したわ。今なら、浄玻璃が私を守る事は無い。何の罪滅ぼしにもならないけど……それで銀、あなたの気が済むのなら、好きなだけ私を殴りなさい。お役目があるから、殺されてあげる事は出来ないけどね……」
「……」
それを聞いた銀はふらりと立ち上がって、瑠璃に近付いていく。
瑠璃は、動かない。
目を瞑る事もしない。
銀にはそんな事は出来ないと高を括っているのとは違う。銀が自分を殴ろうが蹴ろうが、それを甘受するつもりなのだ。
つかつかと瑠璃の前まで銀はやって来て……手を上げる。瑠璃は、動かない。何の抵抗も示さない。
ぐいっと、伸ばした銀の手が瑠璃の頭を掻き抱いた。そのまま、ぎゅっと自分の胸に押し付ける。
「……銀? 何を……」
「……もういい、もういいです、先輩……あなたはもう、十分苦しんだでしょう……? あなたが何もかも、全部一人で背負い込む必要なんて無いんです……今のアタシはあなたを守る、あなたの精霊ですから……悩んだら、相談してください。アタシ、頭悪いから良い答えが出るかは分からないですけど……一緒に悩むぐらいは、出来ますから」
「……銀……」
「あれ? 先輩……?」
銀は自分の腕に、何か暖かいものが落ちる感覚を覚えた。
腕に水滴が落ちて、濡れていた。
「……驚いた」
瑠璃は自分の顔に触れて、少しだけ意外そうな表情を見せた。
「涸れ果てたと思っていたけど……私にもまだ、涙が残っていたのね」
その日、帰宅した瑠璃は就寝して……こっそりと、マスコット姿の巴御前に変身した銀は主の家を抜け出した。
こういう時は、空を飛べる精霊の体は便利だと思う。
少し飛ぶと、目的地が見えてきた。
三ノ輪家。彼女の家だ。
ふわりと、中空に浮遊しながら家の様子を覗き見る。
ちょうど家の縁側で、5才になる弟の鉄男が赤ん坊の金太郎をあやしている所だった。
鉄男の手付きは慣れていないのが良く分かって、銀は思わず助けに飛んでいきそうになったが、それは出来なかった。
瑠璃が言っていた。
『バーテックスとの戦いにしか使い道の無い精霊システムや満開と違って……記憶の転写は外法……それを知った時に、どんな風に悪用しようとする者が出るか分からない。だから銀、あなたが他人の前では人間の姿に戻れないように、私がシステムにロックを掛けてあるわ』
嘘では無いらしい。三ノ輪銀の姿に変身しようとしても、今は何故かそれが出来なかった。しようとする気にならないというのが正しい表現にも思える。
銀は「そんな事をしようとする人がいますかね?」と反論したが、瑠璃にこう言って返された。
『銀、あなたは道徳教育に力を入れた神世紀の人間しか知らない……西暦の人間を見た事が無いから、そう言えるのよ』
見てきたような事を言う瑠璃だが、およそ9年に渡って神樹とリンクし、夜な夜なタイムマシンのように過去の歴史を実体験してきた彼女の言葉である。無碍には出来なかった。
『弟たち……姉ちゃんが居なくても、元気に生きるんだぞ……』
胸中で祈るように呟いて、巴御前は夜空へと飛び去った。
一夜明け、翌朝午前6時。
自宅、寝室の布団から、寝間着姿の瑠璃はのっそりと体を起こした。
『おはよう、私。珍しく、夢を見なかったようね?』
「先輩、おはようございます」
起きたそこに浄玻璃と、今は銀の姿になっている巴御前が近付いてきた。
「……神託があったわ。神樹様から」
「『!』」
寝起きであろうと無表情・棒読みで語られたその言葉を受けて、精霊2体は驚いたようだった。特に銀は、身を乗り出して尋ねてくる。
「神託って、神樹様のお告げですよね!! どんなお告げがあったんですか?」
『良いお告げだったの? 悪いお告げだったの?』
瑠璃は、まず浄玻璃の質問に答えた。
「良いお告げだったわ」
その次に、銀の質問に答える。
「『次の戦いに出れば、お前は二度と四国の土を踏む事は無い』。そう言われたわ」