「うっ……くっ……」
全身を走る鈍痛・激痛を堪えながら、銀は体を起こした。
「銀様、まだ動かれては……」
瑠璃の衛生兵が止めてくるが、銀は手でその動きを制した。
体のあちこちに巻かれた包帯は、あちこちに血が滲んで赤く染まっていた。
「ぎ……ん……」
体中傷だらけで、衛生兵に治療されている須美が消えそうな意識を辛うじて繋ぎ止めながら呻いた。その横には気を失った園子が横たわっていて、こちらも衛生兵に応急措置を施されている。
「敵は3体。いくら先輩でも、万一があるかも知れないから……動けるアタシが、加勢に行くよ。二人は休んでて」
そう言って立ち上がると、いつもの帰り道でそうするように銀は言った。そうする時と、同じような笑顔で。
「またね」
城塞神殿から放たれた主砲の閃光。満開の全エネルギーを一度の砲撃に全て集中させた乾坤一擲の一撃。その、一時なれど闇の世界を昼へと一変させるような光の洪水が治まった時、小惑星ほどもあったバーテックスの巨体はその一欠片すらも残ってはいなかった。圧倒的な光熱の前に、跡形も無く消滅したのだ。
「やった……」
「勝った……の、よね……?」
「やった……やったぞ!!」
最初は困惑のようだったざわめきは、徐々に確信を得ると同時に大きくなっていき……一分としない内に、滅んでしまった世界の一角を勇者達の勝ち鬨が覆った。
「やったぞーっ!!」
諸手を挙げて万歳して、銀が吠えたその時だった。
すぐ隣に居た勇者が、精霊が姿を消す時のように消滅した。
「えっ……?」
「……どうやら、別れの時が来たようだな」
そう言ったのは若葉だった。彼女の言葉を、ひなたが引き継ぐ。
「分かっていた事です。元々、私達は死んで、神樹様へと還った存在。ここに居る私達は、いわば実体を持った蜃気楼や陽炎のようなもの。いつ消え去ってもおかしくないほどに儚い存在が、天動さんを拠り所として辛うじて実在を保っていたんです」
「その、皆さんが消えていくって事は……」
はっ、として銀は、彼方に見える超大型城塞神殿複合構造体へと視線を向ける。
瑠璃に、何かがあったのだ。
見れば、数千隻を数えた空中戦艦の艦隊も、次々に砂のように崩れて消滅が始まっていく。
大地を見れば、残った兵士達も消えつつあった。皆がそれぞれ得物を構えて、敬礼を送っている。
雄々しく戦った神獣達も、威容を誇った守護巨神の像も、全てが消失していく。
「先輩……!!」
銀は駆け出そうとして、足を止めた。消えて、この現世から退去していく若葉達へと視線を向ける。
「行くんだ。それが、君の役目だろう」
その、若葉の言葉が最後だった。
一瞬の光に目が眩んで、再び銀がそこを見た時には、一緒に戦った勇者達はもうどこにも居なかった。
もしかしたらあれは夢だったのかとも思ったが、でも、そんなのでは断じてないという確信が、銀の中には確かに残っていた。
「うっ!!」
気付けば銀が足場にしている舟もまた、崩壊が始まっていた。実体を保てずに消えていく。
精霊としての能力で空を飛んで、城塞神殿へと戻る銀。
今となってはもう歩き慣れた回廊を、走る。
やがて、この数ヶ月は浄玻璃以外誰も入った事の無い王の宮へと続く扉の前に立った。
一年半もの間、維持され続けていた満開が崩れていく。
終わりが、始まったのだ。
「先輩……!!」
元々、瑠璃がとうの昔に限界を超えていたのは分かっていた。
結界の外での戦いが始まってから三ヶ月で、瑠璃は両足の機能を失って歩けなくなった。
半年が過ぎる頃、手が動かなくなってそれからは銀が瑠璃に言われた通りの文面で、定時連絡のメールを代筆するようになった。
十ヶ月が過ぎたぐらいで目が見えなくなって、次の月には声が出せなくなった。それからは、送信履歴を参考にして銀が自分で定時連絡のメールを打つようになった。
一年が過ぎる頃には五感が全て無くなって、内蔵も殆どが動いていなかった。女の命である髪は抜け落ちて、肌は朽ち果てた木の枝のようになって、触っただけで崩れそうだった。記憶も、既にあちこちが虫食いだった。寿命も、どんどん削られていた筈だ。
あの時の瑠璃を見れば、百才の老婆だと言われても事情を知らない者なら信じただろう。
それから更に二月が過ぎる頃には、浄玻璃以外は誰も王の宮に立ち入る事は許されなくなった。銀も、例外ではなかった。
元々、瑠璃はあの時、須美と園子と別れてからは一枚のパン、一滴の水すら口にしてはいなかった。常人ならほんの数日しか生きられない所を、精霊の加護によって無理矢理延命して、彼女はこの一年半を戦い抜いてきた。
しかし、それにも限界が来たのだ。
瑠璃は、もう助からない。いや、この表現は適切ではあるまい。最初から、助かるつもりなどなかったのだ。あの時の、神樹様のお告げの意味が銀にもやっと分かった。
『次の戦いに出れば、お前は二度と四国の土を踏む事は無い』
あんな神託が下るのも、当然だった。
本人が二度と四国に戻るつもりが無かったのだから。瑠璃は自分が勇者でいられるのは、後二年程だと言っていた。その二年間、可能な限り自分が戦い続け、須美と園子が力を蓄え、勇者システムが強化され、次代の勇者が育つ為の時を稼ぐ為に。
その為に戦って、死ぬつもりだった。
「違う!!」
銀は首を振った。そうだ、断じてそんなのは違う。
確かに瑠璃は帰るつもりは無かったかも知れないが、同時に死ぬつもりなど少しも無かった。ずっと一緒に戦ってきた、自分には分かる。
大切なもの全て。
託された希望、仲間、何も知らずにだが平穏に生きる人々。
その全てを守り、未来へ託す為に。
自分の全てを燃やし尽くして、瑠璃は、最後まで生き抜いたのだ。
「せめて……せめて帰れなくても……先輩の体だけは、四国の土に還して……」
ブチ破る勢いで、ずっと閉ざされていた扉を叩く。
開かずの扉は、思いの外抵抗感無く開いた。
「先輩!!」
王の宮に突入した銀は、
「うっ!!」
顔を引き攣らせ、絶句する。
見るも無惨な姿になっているのであれば、覚悟していた。
でも、違っていた。
そこには王に謁見する家臣のように、百を数えようかという瑠璃の精霊達が整然と並んでいて。
だが玉座には、誰も座っていなかった。
ただ、瑠璃のスマホだけが置かれていて、その脇に浄玻璃が浮遊していた。
「……じょ、浄玻璃……せ、先輩、は……?」
『……私は、逝ったわ。掛け値無しに自分の全てを、供物として捧げて……』
「そんな……」
がっくりと、銀は力無く両膝を付いてへたり込んでしまった。
『気にする事ではないわ、銀。私は、最初からこうするつもりだったのよ。だから、わたしを造った』
浄玻璃はただ単に瑠璃の記憶を転写された精霊というだけではなく、開発者として瑠璃が組み込んだ機能によって戦闘指揮を代行し、満開の発動権すら与えられている。それは、天動瑠璃という存在を余す所無く消費させる為だった。
散華によって自分の肉体の機能が失われて戦えなくなっても、自分の代わりに満開を発動させて、自分が無くなる最後まで世界を守る為に。
光も音も届かなくなって。
手足が動かなくなって。
記憶すらも消えていって。
何もない「無」の世界に放り出されて。
自分という存在そのものが少しずつ削られていって。
瑠璃はそうなる事を全て最初から承知の上で、壁の外に残ったのだ。
辛くなかった筈がない。苦しくなかった筈がない。怖くなかった筈がない。だが、それでも。彼女はそれを全て超えたのだ。
『銀、あなたには……まだ役目が残っている』
「!!」
浄玻璃の声に、銀は突っ伏していった顔を上げた。その顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。
主を悼むように整列していた精霊達が、消え始めている。
一体、二体、四体と、加速度的に数が減り始めていた。
「!」
『満開で増えた精霊は、勇者の力で支えられている。勇者である私が居なくなったから、勇者達と同じようにわたしたちもこの世界からの退去が始まっているのよ。そして、消える前に、銀……あなたには私の二つの形見を、四国に届けてほしい』
浄玻璃はそう言うと、玉座に置かれていたスマホを拾って銀に手渡した。
「これは……」
『このスマホには、この一年半の全ての戦闘データが記録されている。これは、勇者システムの強化に多大な役割を果たす筈……これを、四国へ持ち帰って』
「……分かった。絶対に、これは四国に届けるよ!!」
受け取ったスマホを、銀は懐にしまって立ち上がった。
「じゃあ、もう一つの形見は?」
『それは、行けば分かる……』
「え、それはどういう……」
『早く、もう時間が無い……!!』
浄玻璃が急かしてくる。
銀が振り返ると、既にこの王の宮には彼女と浄玻璃しか残っていなかった。
「分かった……行くよ!!」
頷いた銀は、姿勢を正して背筋を伸ばすと、誰も居ない玉座に向け、深々と頭を下げる。
「先輩……一緒に戦えて、幸せでした。行ってきます!!」
そして銀は、もう振り返らずに走り去っていった。
浄玻璃は、その背中を見送って……ふっと呟いた。
『……これで、良かったのよね。私……わたしの役目は、終わったわ……後は、次代の勇者に任せましょう……わたしも、少し疲れたわ……もう、休む、と……し……』
精霊の言葉は、最後まで紡がれなかった。
王の宮には誰も居なくなって、そして満開が解かれる事によって城塞神殿は崩れゆき……そして、全てが光となって消失した。
四国、大橋跡地。
「これは……!!」
援軍に行こうとして、しかし瑠璃の満開が発生させる障壁によって阻まれていた須美と園子だったが、どんな攻撃にもビクともしなかった無敵のバリアが、不意に砕け散って消滅した。
「わっしー……!!」
須美と同じ事を、傍らの園子も感じ取っていたようだった。深刻な表情になって、こちらを見てくる。
「ええ……先々代……瑠璃さんの身に、何かあったのよ……!! 行きましょう、そのっち!!」
「うん!!」
走り出そうとして……しかしすぐに、足が止まった。
橋の支柱に背中を預けて、誰かが立っていたからだ。
誰だろう?
そう思って目を凝らして……
そして、二人とも自分の目を疑った。
「ぎ……ん……?」
「うそ……ミノさん……?」
そこには一年半前に死んでしまった筈の、三ノ輪銀が。その時の姿のままで立っていたのだ。
「よっ。久し振り、須美、園子……」
二人の記憶の中の彼女と同じように、気安く挨拶する銀。
自分達の追憶の中にしか、もう居ない筈の彼女が目の前に居る。この現実に、二人の勇者は戸惑いを隠せないでいた。
「ぎ、銀……本当に……あなたなの……?」
「アタシはアタシだよ。他の何でもないさ」
「で、でも……ミノさんはあの時……」
「死んだ筈だよ、って? まぁ、色々あってね……先輩が、助けてくれたんだ」
「天さんが……」
銀は頷いて、目を細めて二人を見た。
「一年半振りで……二人とも、大きくなったなぁ……特に鷲尾さん家の須美さんは、クラス一おっきなお胸がますます大きくメガロポリス並になっちゃって……」
「……銀だ」
もしかしたら偽者か影武者かと疑ったが、今ので確信した。目の前に居るのは、本物の三ノ輪銀その人だ。
「そ、そうだ!! ミノさん、天さんが……!!」
「大丈夫だ、園子……先輩は、勝ったよ。アタシはこれを、先輩から預かってきた」
差し出されたのは、傷だらけになった瑠璃のスマホだった。
「あ……」
ストラップホールにはネコのぬいぐるみが二つ、括り付けられていた。あの、最後の戦いの前に園子が贈った物だ。
銀の手から、園子へと。瑠璃のスマホが渡される。
希望は、確かに託された。
それを確かめると、銀はぐいっと両手で須美と園子を抱き寄せた。元々銀は三人の中で一番身長が低かったし、二人は成長期で背が伸びているので背伸びをせねばならなかった。
「銀?」
「ミノさん?」
「二人とも……やっと会えて嬉しいけど、アタシもそろそろ……逝かなきゃいけないんだ。先輩も、最後まで自分のお役目を全うして……そして、逝ったよ」
「瑠璃さんが……!!」
「天さん……」
あらゆる者には役目が在る。
瑠璃も、自分の役目・義務を果たして、魂の欠片一つ残さず自分の命を燃やして、燃やし尽くして生き抜いた。
そして銀は、きっとこれが自分の役目なのだと思った。
自分は今この時の為に。託された希望を届ける為に、その役目を果たす為、瑠璃に助けてもらったのだと。
「後は、頼んだよ」
「銀……銀!!」
「ヤダ……ヤダよ、ミノさん……!! やっと、また会えたのに……もう、お別れなんて……!! そんなの……!!」
泣きじゃくる二人を抱き締めながら、銀は静かに目を閉じた。
「ごめんね……」
「……あれ?」
いつまで待っても、駆けつけてくれた勇者や他の精霊達のような退去が始まらない。
銀の体は消えずに、ずっとそのまま現世に存在し続けている。
「どうして……」
「あれ? ミノさん、これは……」
瑠璃のスマホの画面が起動して、そこには「主格精霊を浄玻璃から巴御前に変更しました」と表示されていた。
これは、精霊システムの開発者である瑠璃だけが使える隠し機能だった。
精霊は、アプリにプリインストールされているのが1体。その後は満開の回数に応じて増えていく。その性質上、他の精霊は勇者の力に依存する部分が大きいが、最初の一体だけはいくつかの条件を整えれば現世に存在し続けられる。
瑠璃はそれを主格精霊と呼称していて、須美であれば青坊主、園子であれば烏天狗がこれに当たる。
瑠璃にとっては、それは自分の記憶を受け継いだ浄玻璃だったが……銀にスマホを渡す直前、浄玻璃はその隠し機能を使って、主格となる精霊を自分から巴御前……銀へと変更していたのだ。
『あぁ……そっか……もう一つの形見って……そういう事ですか、先輩……』
浄玻璃、つまり瑠璃の遺志はあの時既に、もう一つの形見を渡してくれていた。それは銀自身。「生きろ」と、彼女はそう言い残したのだ。
いやはや参ったと、銀は天を仰ぐ。
そうして、完全にお別れを言っておきながら今更と、どこか気まずそうに須美と園子へと向き直った。
「えっと……二人とも。アタシは、まだ逝かないみたいだ。またよろしくうぶぇっ!?」
途中からは言葉にならなかった。
泣き笑いした二人に押し倒されて、もみくちゃにされた。
「銀!! 銀!! 待ってた!! ずっと待ってたのよ!!」
「ミノさーん!! うぇぇ……!! お帰り、ミノさん……!!」
「……ただいま。須美、園子……」
これが、一つの戦いの終わり。
一人の勇者を失って、一人の勇者が帰ってきた、その戦いの結末だった。
『天動瑠璃は生き抜いた』のだ。