ある日の、讃州中学での出来事。
「ねぇ、友奈ちゃん」
須美が、捨て猫の里親募集のポスターを作成中の大親友へと話し掛けた。
「うん? どうしたの、東郷さん」
「ん……一つ、聞きたい事があるのだけど」
「何何? 何でも聞いてよ」
「うん……それじゃあ……」
躊躇いがちな口調であるのには、理由があった。
須美は、これから自分が口にする問いが怖かったのだ。より正確には、その問いを受けて友奈が返す反応が怖かった。
恐ろしい想像が頭をよぎる。そして……多分、それは現実になるだろうという確信めいた予感がある。
だが、それを……口に出して確定させてしまうのが怖かった。
シュレディンガーの猫の話ではないが、そうであるのかないのか、自らの手で確認してしまうのが怖かったのだ。
……と、いうのも少し違う。結論は、最初から一つであると分かっていた。詰まる所「それ」を自分で確かめるのを少しでも先送りにしたかったのだ。
だが、いつまでもそうしている訳にも行かない。
覚悟を、決めなければならないのだろう。
「天動瑠璃……って人の事を、友奈ちゃんは知ってる?」
「……」
沈黙。
いきなり、須美は背筋がぞわっと寒くなる感覚に襲われた。
何故、即答してくれない?
早く言って!!
「瑠璃さんなら、私の武術の先生だよ」
とか、
「最近は連絡が取れないから心配してたんだ!! 東郷さん、瑠璃さんの事知ってるの?」
とか!! 何でも良いからそういう反応を!!
だが、無情にも須美の祈りは届かなかった。
反応は、どちらでもなかった。
友奈は困ったように首を傾げて、そして言った。
「天動……瑠璃……さん? ごめん、東郷さん、分からないや。東郷さんの知り合いなの?」
「……!!」
一瞬、ぐにゃっと視界が揺らいだ気がした。
「と、東郷さん!! 大丈夫?」
肩を掴まれる感覚があって、顔を上げると自分を心配そうに覗き込んでいる友奈の顔が見えた。どうやら錯覚ではなく、本当に倒れかけたらしい。今の須美はショックが大きくて、それにすら気付けなかった。
「う、うん……大丈夫……大丈夫だよ。友奈ちゃん……」
数日前、銀が帰ってきたすぐ後。
瑠璃の形見となった彼女のスマホを、須美と園子は大赦へと届けた。
すると当然と言うべきか、大赦は大騒ぎになった。
最初は、一年半も壁の外で戦っていた瑠璃のスマホが戻ってきたので驚いているのだろうと、まだ単純に軽く考えていた。
だが実情は、恐ろしく深刻だった。
スマホを引き渡すなり須美と園子は大赦の一室にて待機を命じられて、そして一時間近くが過ぎた頃。深刻な表情をした安芸先生を含め大赦の職員数名が入ってきた。
「……乃木さん、東郷さん、聞きたい事があります。この場での偽証や黙秘は認められていないので、そのつもりで心して質問に答えて下さい」
「せ、先生……?」
今まで見た事もない程に怖い顔をした恩師に、須美と園子は戸惑った風だ。思わず席から立ち上がった。銀は現在は姿を消している。
「そのっち……」
須美に言われて、まだ戸惑いが消えていないがそれでも園子は着席して質問を受ける体勢に入った。
それを見て取って、大赦職員は質問を始める。
「では、あなた達は、このスマホをどこで手に入れたの?」
「それは、天さんの精霊が届けてくれたんだよ~」
と、園子。
この回答を受けて安芸先生を含め、大赦側の面々は顔を見合わせた。
「乃木さん、その天さんというのは……一体、誰の事なのかしら?」
「「なっ……!?」」
須美と園子の驚愕の声が、重なった。
「せ、先生? 何言ってるの? 天さんは、天さんだよ!? 私達と一緒に戦ってくれた天さんの事、忘れちゃったの?!」
「……天動瑠璃、私達の先々代から勇者を続けられていた御方ですが……」
「東郷須美、今は真面目な話をしているのだ。ふざけるのは無しにしなさい」
仮面越しのくぐもった声でそう言われて、須美も僅かにかっとなった。思わず、声が大きくなる。
「ふざけてなど……!!」
「まぁ、待って下さい」
安芸先生が落ち着いた声で、大赦職員と須美の双方を制する。
「東郷さん、では順番に説明するわ。大赦が始まってから現在に至るまで、神樹様に選ばれた勇者の中に天動瑠璃という名前の勇者は記録されていないわ」
「なあっ……!?」
「更に言うなら、確かに天動家という家は大赦の系列に存在する……いや、存在したわ」
過去形だった。その意味する所は一つだ。
「天動家は、跡取りが居なくて百年も前に絶えたお家なの」
「そ、そんな……バカな……!?」
「そして先々代の勇者だと言ったけど……あなた達の二代前の勇者は、6年以上前に全員がそのお役目を終えているわ。彼女達が、あなた達と接触する事は絶対に有り得ないのよ」
語る安芸先生の表情は僅かに沈んでいた。お役目を終えたというのは迂遠な言い回しだ。実際にはバーテックスとの戦いで全滅したという事だろう。
しかし須美も園子も、受けた衝撃が大き過ぎてそんな事を考える余裕が無くなっていた。
どうなっているのだ!?
瑠璃の事を自分達以外が忘れてしまっている……いや違う、これではまるで最初から瑠璃が居なかった事になっているような……?
「このスマホもそうね。これはおよそ6年半前に、大赦から紛失した端末なの。大赦は当時、勇者システムの情報漏洩を防ぐ為に懸命に捜索を行ったけど、見付け出す事は出来なかった。それを今になってあなた達が持ってきて、そして調べてみればこの中には信じられない程のバーテックスとの戦闘データが蓄積されている。不審に思うなという方が、無理な話でしょう」
「で、でも……本当に天さんは居て……」
「いや、しかし……」
結局、この日は瑠璃の実在を主張する須美達と大赦側との質問が噛み合わずに査問は平行線を辿り、散会となった。
そして現在。
数日前に査問が行われたのとは別の部屋で、須美は待機を命じられていた。
「銀、居る?」
「はいよ」
ポン、と手品のように銀が姿を見せた。彼女はある程度事情が分かっているらしい。須美達よりは、いくらか表情に余裕があった。
「どうなってるの……? これは……」
須美は自分のスマホを取り出すと、写真アプリを立ち上げる。
保存されていた写真の一枚には、以前に合宿へ行った時に撮った写真があったが……そこには今より幾分幼い須美と園子、そして今と同じ姿の銀が写っていた。
そう、3人だけが。
写真の右側には、不自然に人一人分ぐらいのスペースが空いていた。
須美達は知っている。本来は、ここに瑠璃が立っていたのだ。いつも通り、無表情の仏頂面で。撮影者は安芸先生だった。
「……アタシにも良くは分からないけど……でもあの時、先輩は自分の全てを供物として捧げて、満開を使ったから……目も耳も聞こえなくなって、手も足も動かなくなって、心臓も肺も止まって、記憶も全て無くして、寿命も全て差し出して……それで最後に残ったものは……」
「……瑠璃さんの、存在それ自体だったと言うの……? それを供物として差し出したから、瑠璃さんが、最初から居なかった事になった……だからみんな、瑠璃さんの事を忘れてしまったと……!?」
愕然として、推論を述べる須美。
恐らくそれは実情に近いのだろう。勇者である須美と園子、そして精霊である銀だけが、何らかの力の作用によってその影響から逃れているのだ。
そう、須美が語ったその時だった。扉が開いて、安芸先生が入室してきた。
銀の姿が彼女の意志を無視して、精霊・巴御前のマスコットモードへと移行する。
「東郷さん、神樹様からの神託がありました」
「!! はい……」
姿勢を正した須美の前に、瑠璃のスマホが差し出された。
「神樹様は、このスマホの管理を鷲尾須美に任せる……と、告げられました。つまり東郷さん、あなたに……」
「! 私が、ですか……」
「ええ……これまで、ここまで具体的な神託があったのは初めての事よ……また、このスマホに蓄積されていた戦闘データは、全て吸い出して勇者システムの改良に当てるようにとの、お告げもあったの。データのコピーは、既に済んでいるわ」
安芸先生の表情は冴えない。
無理からぬ所ではあるのだろう。
瑠璃の事を忘れている彼女達にとっては、6年半も所在不明だったスマホがいきなり戻ってきて、しかもそのスマホにはバーテックスとの戦闘データが、須美達のデータ量が螢とすれば太陽のような質と量で蓄積されていたのだ。胡散臭い事この上無い。
だが、もし瑠璃だったら言うだろう。掴める物を選り好み出来る状況か? と。溺れる者は藁をも掴むと言うが、人類全体が溺れない為にはそれが藁だろうが芦だろうが掴まねばならない。そして合理主義者で効率を重視する彼女はそれを掴むのを刹那も躊躇わなかっただろう。
そういう意味で、今回の神樹様の神託はまるで瑠璃のようだと思えた。あるいは彼女の全てが供物として捧げられたから、神樹様にも彼女の思考が伝播したのだろうかと、取り留めも無い事を須美は考えた。
「さぁ……受け取りなさい」
「はい……」
かつて最強の勇者の物だったスマホは、須美の手に委ねられた。ぐっ、とそれを持つ手に力を入れる。
「……東郷さん、あなたの事は心配していないけど……このスマホには謎が多いから……扱いには、くれぐれも気を付けるようにね」
「はい、分かっています。先生……でも、大丈夫ですよ」
須美には確信があった。
尊敬出来る先達が遺してくれた物だ。悪い物である筈がない。
「そう……では、私はこれで……」
安芸先生が退室すると、再び精霊・巴御前が姿を現して銀の姿に変身した。
「良かったなぁ、須美。どうなるかと思ったけど、これで一緒に居られるな」
「そうね、銀。また、よろしく……」
こんなやり取りが交わされていると、今度は園子が入ってきた。
「わっしー、入るね」
今回は、銀の姿はマスコットモードに変身しなかった。
「あれ……?」
少しだけ不思議そうに、須美が首を傾げた。
「銀、今回は姿が変わらないのね?」
「あぁ、先輩が精霊の自動防御システムを応用してアタシの体である人工精霊・巴御前のプログラムに組み込んであるらしくて……勇者以外の人間が居る所だと、正体がバレないように自動的にあのゆるキャラみたいな姿になって、戻る事も出来ないみたいなんだ」
「それじゃあ……銀、あなたはもうご家族に会う事も出来ないの? 折角帰ってきたのに、そんな……」
悲しげに目を伏せる須美の頭に、銀がポンと手を置いた。彼女は明るく、でも少しだけ困ったような笑顔を浮かべていた。
「そんな顔しないの。拾った命だからね。あいつらが元気で大きくなっていく姿を、遠くから眺めていられるだけで十分。それ以上は望み過ぎだよ」
「むう……うむむ……」
このやり取りを聞いていた園子が、腕組みして唸り声を発する。
「そのっち?」
「どうした? 園子……」
「つまりミノさんが人前で強制的にセバスチャンみたいな姿になるのは、ミノさんの正体がバレないように天さんが組み込んだシステムって事だよね? 逆に言うと、ミノさんだとバレなければ変身する必要は無いという事……それなら、何とかなるかも……」
「「?」」
その日の深夜、大赦の道場。
月下にて、二本の木刀を前に正座した夏凜は瞑想して精神を集中させていた。
次期勇者候補生の中で最高の成績を修めてきた彼女はいよいよ今夜、勇者となる最終試験に臨む段取りとなっていた。
試験の内容は、知らされていない。
同じく候補生である芽吹と一対一の立ち合いでもさせられるのか。
あるいはいきなり敵が襲い掛かってくるかもしれないと、何が起ころうと即応出来るよう精神を研ぎ澄まして臨戦態勢を維持する夏凜。
「!」
今の夏凜は水溜まりの中に立っているようなものだった。もし、誰かが近付いて水溜まりを踏めば波紋が起きて、それによって接近する相手の存在とその方向が分かる。これは鍛錬に鍛練を重ね、遂に会得した技能だった。
相手が、来た。
木刀を手にすると、縁側に出る。
月光を背に、その相手は居た。
バサッ、と外套を翼のように翻し、屋根の上に立っている。
「国を衛れと人が呼ぶ!! 愛を衛れと叫んでる!! 憂国の戦士・国防仮面見参!!」
旧軍の制服を身に付けた、覆面の女性だった。
「はぁ……!?」
夏凜の思考がフリーズして、目が点になった。
「新たに勇者の道に踏み出そうとする者よ!! 君にその資格があるかどうか、このアタシ、国防仮面が今こそ見極めよう!!」