大赦は300年の昔から、人類存続の為に様々な計画を立案し、実行している。
現在もいくつかのプランが平行して進行中である。
その一つが勇者によるバーテックスの侵攻阻止であり、同じようにその一つが、防人達による結界外の調査であった。
防人とは極々簡単に言うと、勇者システムの機能の一部をオミット・デチューンした量産型勇者である。その性能は勇者のそれには遠く及ばず、集団にて戦う事を前提とされ、32名の部隊として運用されている。
その役目を担うのは、四国各地にて勇者候補として選抜されていた少女達であった。讃州中学の勇者部が神樹に選ばれた為に、選ばれなかった者達。いわゆる外れ組。
しかし、彼女達も高い勇者適性は持っており、また夏凜のように大赦の施設で戦闘訓練を積んだ者も居る。
部隊のリーダーを務める楠芽吹もまた、そんな勇者として訓練を積んでいた一人であり、夏凜と勇者の座を争っていた実力者である。
彼女の部隊は幾度も壁外での危険な任務に従事していたが、未だ一人の死者も出してはいない。
そして今回の任務でも、犠牲者はゼロ。
既に部隊の大半は結界の内部へ退避している。
芽吹は指揮官として部隊の最後尾に立って、撤退の指揮を執っていた。
「みんな焦らず、でも急いで!! 秩序を守って、整然と後退するのよ!!」
当然と言えば当然の事だが、芽吹は部隊の最後尾に立っているので視界に仲間の姿は見えない。
それでも指揮官としての習慣で、逃げ遅れた者は居ないかと周囲を見渡して……
「!!」
とんでもない者を発見した。
炎に包まれる世界の中で、防人が纏う戦衣でもない、巫女の纏う羽衣ですらない、普通の巫女装束を纏った女性が立っていたのだ。
顔は見えないが、背格好からして年齢は二十歳前後だろうか。長い黒髪に、アクセントのように白髪が交じっている。その肩には、青い烏が止まっていた。
「あ、あなた……」
結界の外はあらゆる生物の生存を許さない灼熱地獄。例外は勇者や防人、あるいは戦闘力こそ無いものの巫女など、神樹の力に守られた者のみ。ならばこんな所に普通の人間が居る訳が無いのだが……しかし、目に見えているのが事実である。
兎に角保護しようと、芽吹はその女性に駆け寄ろうとする。
「芽吹さん!! どうされましたの?」
「!」
部隊の仲間である弥勒夕海子の声を受けて芽吹は一瞬、そちらへと視線を向けた。
「あ……弥勒さん、あそこに……えっ!?」
そう言って今さっきまで見ていた方向を指差すと、その女性の姿はもう消えていた。
「あ、あれ?」
思わず、瞬いた目を擦る。確かに、さっきまであそこに女性が居た筈なのだが……何かの、見間違いだったのだろうか?
「どうされました? 大丈夫ですか?」
「え、ええ……」
もう一度、目を凝らして見てみるがやはり女性の姿などは見えない。
「……見間違いか、幻覚か……」
確かに、こんな所に勇者でも防人でもない女性など居る訳が無い。
理論的にそう考えて、芽吹は額を伝っていた汗を拭った。
そう言えば、今日は特に熱い気がする。いや、この炎に包まれた結界の外で熱くない日などは無いが、それにしても今日は輪を掛けて熱い。これだけの熱気なのだ、熱さに頭がやられて、妙な幻覚の一つも見えたりはするだろう。
芽吹はそう結論して、戻ったら今日は十分な休息時間を取ろうと考えつつ結界の内側へと退避していった。
「友奈ちゃん、入るわね」
ノックの後、須美は病室のドアを開いた。
返事は、返ってこない。
「友奈ちゃん……」
ベッドに寝かされている友奈の瞳には光が無く、焦点も合っていなくて何処も見ていない。
話し掛けても、何の反応も返ってこない。
ゾディアック12体が合体した最強のバーテックスであるレオ・クラスターとの最後の戦いで、勇者部は全員の力を結集して戦い……そして最後の一撃を友奈が加えた事でレオ・クラスターは消滅、四国の危機はまた一時ながら回避された。
だが、その代償として捧げられたのは……友奈だった。
医師の診断によれば肉体的には何ら異常は無く、全くの健康体と言って良い状態だという。
にも関わらず、まるで魂が抜き取られてしまったかのようだ。
あの、最後の戦いで全ての力を使い果たして……その代償に、自分の魂さえも差し出したというのだろうか。
須美が思い出すのは、瑠璃の事だった。
今となっては自分と、園子と、銀。3人の記憶にしか残っていない、失われた勇者。
瑠璃は勇者システムがより高度に完成され、須美と園子がより強く成長し、次代の勇者が選ばれるまでの、その時を稼ぐ為に壁の外に銀と共に残り……そして、自分の全てを供物として捧げて、この世界から消えた。
彼女がどんな最期を遂げたのかは、おおよそ銀から聞かされている。
空を埋め尽くす程の星屑と、小型天体ほどもの大きさを持ったバーテックスを相手にたった一人で、勇者の力が殆ど失われかけて、五感全てが無くなって四肢も動かず、寿命も後三日と残っていない……そんな燃え尽きる前の蝋燭、どころか……消える寸前の陽炎のような状態で、それでも自分が無くなる最後の最後まで、世界を守る為に戦い抜いたと。
彼女を失った事は。皆が彼女を忘れてしまった事は……悲しく、辛い。
でも、須美はそれ以上に悔いていた。それは園子も同じだ。
どうしてあの時、自分は一緒に行かなかったのだろうかと。
瑠璃がどんな経験をしてきたのか、少しだけ聞いた事がある。
天動瑠璃が勇者として活動したのはおよそ5年。だがその中で、仲間と一緒だった時間はとても短いとの事だった。先輩も、同輩も、後輩も。全て戦いの中で死んでいった。
残された瑠璃はたった独りで、ずっと戦い続けて、ずっと世界を守り続けてきた。
そしてあの時の大橋で自分達の為に、滅びの世界へと残って……そして一緒に戦った銀に看取られる事も無く、最期の最期まで、独りぼっちで。
もし、あの時自分がもっと強かったのなら。壁の外で一緒に戦えるぐらい強い勇者であったのなら、無理にでも付いて行ったのなら。そうしたら何も変わらなかったかも知れないけど、何かが変わったかも知れない。
この二年間で、幾度もそう思っていた。
だから、もうあんな想いをしなくても済むように。
大切な人を独りにしないように。孤独に手放す事の無いように。
それを想って、想い続けて、必死に強くなったのに。
それでも、まだ足りないと言うのか。
また、守れないのか。結局、救えないのか。
「嫌だ……!!」
いつの間にか流れ出ていた涙が落ちて、ベッドのシーツにシミを作った。
「嫌だよ、友奈ちゃん……私は、もう……失いたくない……!!」
堪えきれなくなって、須美は友奈のベッドに突っ伏した。
「る……り……さん。どうか、どうか……お願いです。友奈ちゃんを、返して下さい……それが叶うなら、私は……!!」
『……す、み……須美……』
「……!? 嘘……?」
聞こえる筈の無い声が、聞こえてきた。須美が、弾かれたように顔を上げる。
忘れる筈の無い声が。
でも、そんな筈は無い。彼女は、もう……
須美が振り返って……その両眼が、驚愕に見開かれる。
そこには、瑠璃が立っていた。
二年前に別れる前の、須美の記憶に残る彼女の姿そのままで。肩には、青い烏が止まっている。
「……そんな……でも、どうして……銀の話だと、あなたは満開で自分の全てを供物として差し出して、存在そのものが消えてしまった筈……」
その証拠に、瑠璃が最期の満開を使った時点で勇者となって精霊の加護に守られた者以外は、全て彼女の記憶を失ってしまっていた。
「私にも神樹様にも、予想外の事ではあったのよ」
記憶にある通りの棒読み口調と鉄のような無表情で、瑠璃が説明する。
「最期の満開によって私の全てが供物として捧げられた事で……肉体・寿命・存在……この私、天動瑠璃という存在を構成する全ての要素(パーツ)が神樹様の中に揃う事となり……結果、私は神樹様の中でもう一度「私」として再生する事が出来た。そして、限定的ながら私の声を届けたり……勇者に力を与えたりする事が出来るようになったのよ」
「……!!」
須美は思い出していた。
バーテックスの再度侵攻が始まるという神託があった時、夢でそれを告げたのは瑠璃だった。
最初の戦いの時、ヴァルゴ・バーテックスの攻撃から精霊バリアではない謎の力が勇者部を守ってくれて、その後に瑠璃の声が聞こえていた。
それに友奈から聞いた事がある。戦いの中で、何度か誰かが力を貸してくれていたような気がしたと。
あれは……
「……ずっと、一緒に戦ってくれてたんですね」
「現世の肉体が無い今の私には、あなた達にあれぐらいしかしてあげられなかったからね……」
「……」
須美は、少しだけ躊躇った。
自分の全てを捧げて、それでも力を貸し続けてくれていた人に、これ以上を望むのは我が儘が過ぎる気がして、心が咎めた。
だが、それでも。
他に頼れる人が居ない。それを出来る可能性を持った人が居ないのだ。
「瑠璃さん。お願いがあります」
「……友奈ちゃんを、助けたいのね」
「はい。私はもう……一番大切な友達を、失いたくないんです。対価が必要なら、一生掛ってでも差し出します。私に出来る事なら、何でもします。だからどうか……!!」
「……では……須美。一つ、私の願いを聞いてもらおうかしら」
相変わらず、無表情の棒読みで瑠璃が言った。
その唇が動いて、内容を伝えていく。
それを聞いた須美は、刹那も躊躇わずに頷いた。
「分かりました。やります。それで、友奈ちゃんが救えるのなら」
「分かったわ。じゃあ、行きましょうか……」
そっと翳した瑠璃の掌に産まれた螢のような輝きが、次第次第に溢れて……須美の視界一杯を光の洪水となって覆っていった。
「ここは……」
気が付いた時、友奈は上も下も無い、どこまでも広がる空間に漂っていた。
泳ぐように、何とか抜けだそうと藻掻いてみるが……この空間には果てが見えなくて、どこまで行っても出口も目印も見えない。
「……どうしよう……」
誰も居ない、何も無い。
頭がおかしくなりそうだ。
これからどうなるのだろう。怖い。
「……みんな……助けて……」
そう言った所で、無駄だと分かっている。
こんな所に、誰も来れる訳が無い。
「……な……ん……」
「?」
空耳だろうか?
友奈は顔を上げた。
「ゆ……な……ちゃ……」
今度は、はっきりと聞こえた。
「東郷さん?」
間違いない。須美の声だ。ひどく掠れているが、確かに届いている。
「ここだよ、東郷さん!! 私は、ここに居るよ!!」
そう、友奈が叫んだ瞬間だった。
距離感が全く無いが……恐らく、数十メートルぐらいだろうか。それぐらい先の空間にヒビが入って、ガラスが割れるように砕け散った。
その裂け目から、須美が飛び込んできた。
「友奈ちゃん!!」
「東郷さん!!」
宇宙空間を進むように動いた二人は、しっかりと抱き締め合う。
「良かった……友奈ちゃん」
「東郷さん……どうしてここに……」
「連れてきてもらったの……瑠璃さんに」
須美が振り返ると、ちょうど空間の裂け目を超えて瑠璃がこちらにやってくる所だった。瑠璃は、二人よりはずっと慣れた様子で空間に浮遊している。友奈を見る瑠璃の目が、少しだけ優しく細められた。
「えっと……東郷さん、その人は……」
「あっ……」
須美は、一つの事を思い出して愕然とする。
そうだ、友奈は瑠璃の事を忘れてしまっているのだ。瑠璃が最期の満開を使った時、友奈はまだ勇者ではなく、精霊の加護は無かったから。
折角、こんな所までやってきたのに。助けに来た相手が自分の事を覚えていないなんて。瑠璃にとってきっと友奈は只の弟子の一人ではなく、年の離れた友人であり、希望を託した一人であったろうに。
そんな相手が、自分の事を覚えていないなんて。
「……」
僅かな間だけ、瑠璃は瞑目する。そして瞳を開けると、無表情・棒読みで二人に言った。
「感動の再会の所、申し訳ないけど……まだ、終わっていないわよ……二人とも」
すっと、瑠璃が指差す。
「「……?」」
二人が指先を追って視線を上げると……空間の、巨大な目のような模様に見える所から、雨が降ってきた。
全てを焼き尽くす熱量を持った、火の雨が。
「東郷さん!!」
「友奈ちゃん!!」
互いに互いを庇い合う、友奈と須美。
しかし、その必要は無かった。
「ふん!!」
さっと、瑠璃が手を翳す。
いつだったか勇者部を守った物と同じルドベキアの花束が空間に舞い、それらはエネルギーの場となって、傘のように火の雨を完璧に防ぎ切った。
「さぁ、行きなさい。ここは私が防ぐ」
「……る、瑠璃さん……でも、どこへ行けば……」
その時、瑠璃の肩に留まっていた青い烏が飛び立った。
「……その鳥に、付いて行って。必ず、二人を元の場所に戻してくれるから……」
「で、でも……あなたは……」
「友奈ちゃん。行こう」
「でも……東郷さん……」
「瑠璃さんなら大丈夫……ですよね? 瑠璃さん」
信頼と、僅かに不安が混じった視線を向ける須美。瑠璃は、展開した力場を維持しつつ火の雨を防ぎながら応じる。
「ええ……私は大丈夫。早く、行きなさい……また、ね」
「……!!」
この言葉で、須美の迷いは吹っ切れた。瑠璃は「また」と言った。「また」と。
あの時も、瑠璃は言っていた。死ぬつもりでここに残るのではない。生きる為に残るのだと。その意味が、二年越しに須美にもやっと分かった気がした。
死ぬつもりで、ここに残るんじゃない。生きて、また会う為に。
「はい、瑠璃さん……また……!!」
友奈を抱えた須美は、青い烏に先導されるように空間を進んでいって……
「ん……」
須美は、目を開いた。
視界には、ベッドのシーツと友奈の体がぼんやりと映る。
頬には、流れた涙が乾いた感覚が僅かにあった。
そうだ、友奈の看病にやって来て……泣いてベッドに突っ伏すようにして、そのまま寝てしまったのだ。
『今のは……夢……?』
あぁ、そうかと、須美は諦観の呟きを脳内で漏らした。
瑠璃は、もう居ない。逝ってしまったのだ。
逝ってしまった人はもう、何をする事も出来ない。
それに縋るなんて、やっぱりまだ自分は弱いのだ。
『だから……友奈ちゃんを、私は助けられなくて……』
そう、胸中で呟いた時だった。
そっと、自分の髪を撫でる感覚があった。
「……!?」
「とう……ごう……さん……」
弱い声が聞こえて。
顔を上げた、そこには。
望んで止まなかった光景があった。
友奈が。一番大切な友達が、笑いかけてくれている。
「友奈ちゃん……!!」
「東郷さん……来て……くれた……ね……」
「うん……うん……!!」
限界だった。
涙が溢れて、泣いて泣いて。それでも、笑いながら。二人は抱き合った。
「お帰り……友奈ちゃん……」
「……ただいま……東郷さん……」
病室のそんなやり取りを、ちょうど覗き見る事が出来る位置にある木の枝。
そこにルドベキアの黄色い花束が集まって、花吹雪が治まった時、そこには数秒前までは居なかった筈の人影が出現していた。
巫女装束を纏い、肩に青い烏を乗せた女性。
芽吹が壁の外で見た女性と、同じ者が。
それは余人に非ず、やはり天動瑠璃その人であった。
「……須美、私はあなたの願いを叶えた。今度は、あなたが私との約束を守る番よ」
そう彼女が呟いた時、肩の烏が顔を動かし、じっと覗き込むようにして見てきた。
瑠璃の顔はやはり無表情のまま、動かない。
「須美……あなたには結界の外で強まり続けている炎を鎮める為に……天の神への生贄になってもらう」