天動瑠璃は真の勇者である(完結)   作:ファルメール

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第31話 封じられし刃

 

「はっ……はっ……」

 

 暗く、深い闇の中を須美はひた走っていた。

 

 何処へ向かって走っているのかは、彼女自身分からない。また、何処へ行けば良いのか、そもそも今居るここが何処なのかも分からない。

 

 ただ、じっとしていてはいけない。ここに留まっていてはいけないという無根拠の直感・不安感が、彼女の足を動かしていた。

 

「!」

 

 ふと、闇の中に一点の光が見えた。

 

 そこへ向かって、須美は駆けていく。

 

 光は段々と大きくなって、視界の全てを覆っていく。

 

 その時だった。

 

「うあっ……」

 

 泥のようにぬるっと滑った地面に足を取られて、須美は小さく悲鳴を上げて倒れた。

 

 すぐに立とうとして……気付けば周囲が既に闇の中ではないのに気付いた。

 

 どこかの社殿だろうか。荘厳で静謐な空気が満ちた場所だった。それに、かなり力を入れて造られている。そうした方面についても造詣の深い須美にはすぐにそれが分かった。

 

「ここは……!?」

 

 考えがまとまらない。

 

 確か、自分は結界の外の炎を鎮める為に、捧火祭でこの身を天の神への生贄として差し出した筈なのに。

 

 いつの間に、こんな所に居たのだろうか?

 

「誰か!! 誰か、居ませんか!?」

 

 声を掛けてみるが、呼べど返らず。誰の返事も無い。

 

 須美は仕方無く立ち上がろうとして……

 

 自分が手を突いている床が真っ赤な色をしているのに気付いた。

 

 しかも、濡れている。

 

 勇者装束のグローブ越しに、湿った感触が伝わってくる。

 

「……ひっ!?」

 

 思わず、上擦った声が上がった。

 

 床を濡らして紅く染めているのは、大量の血液だった。

 

 社殿の床は、流れ出た血の海と化していたのだ。最初に須美の足を取ったのも、この血のぬめりだった。

 

 動揺して、また体勢を崩して尻餅を付いてしまった。

 

 だが、そうした事で視線が前に向いた。

 

「あ……」

 

 いつの間にそこに現れたのか、あるいはずっと居たけど自分が気付かなかっただけなのか。

 

 それは分からないが、そこには一人の少女が立っていた。

 

 後ろ姿だけだが、須美が見間違える筈も無い。

 

 桃色の髪をポニーテールにした、勇者装束を纏った少女だった。

 

「友奈ちゃん……」

 

 そう、一言口にしただけで随分と気分が楽になったのが自分でも分かる。

 

 ここがどこで何がどうなっているのかさっぱり分からないが、一番の友達が居てくれるのだ。きっと大丈夫だ。そう、確信が持てる。

 

「……」

 

「……? 友奈、ちゃん?」

 

 自分の声が聞こえていないのだろうか。友奈は背を向けたままで、何の反応も示さない。

 

 須美は先程までの安心感が、急速に失せていくのが分かった。

 

 取って代わるように一秒ごとに不安感が増していって……いたたまれなくなって、須美は立ち上がって友奈に駆け寄ろうとした。

 

 その時だった。友奈が、須美の方を振り返った。

 

「……っ!!」

 

 須美は、思わず息を呑んで手で口を覆った。

 

 振り返った友奈は血塗れになっていた。彼女の手や体、顔にも。前面の全てが、真っ赤に染まっていた。

 

 良く見ると友奈の体に大きな傷は無く……それらの血は全て返り血である事が分かった。

 

 返り血?

 

 ならばそれは誰の血なのか?

 

 その答えはすぐに分かった。

 

 振り返る動作で、友奈が半身になった事で今まで彼女の体に隠されていたその向こう側が見えるようになる。

 

「……なあっ……!?」

 

 須美は、自分の目を疑った。

 

「そんな……」

 

 そこに居たのは、瑠璃だった。

 

 壁に背中を預ける形で座り込んでいて、見開かれた目には何の光も宿っていなくて既に命の火が消えているのがすぐに分かった。

 

 そして瑠璃の胸には、一振りの剣が突き立てられていた。恐らくはそれが彼女の命を奪ったのだ。

 

 その剣の柄を握っているのは……友奈だった。

 

「ゆ……友奈ちゃん、これは一体……まさか……友奈ちゃんが……?」

 

 震える須美の声には、哀願の響きがあった。

 

 違うと言ってくれ。何かの間違いだと言ってくれ。

 

 友奈ちゃんが、瑠璃さんを殺す訳がない。

 

 そうだ、これは夢だ。自分は悪い夢を見ているのだ。醒めてくれ、早く。お願いだから。

 

「い……いやあああああああ……っ!!」

 

 堪えきれず、絶叫してしまう。

 

 その時、友奈の口が小さく動いて何事かを伝えようとしたようだった……

 

 だが、彼女の答えを聞く前に須美の目に映る世界の全てが、急にぼんやりと薄れていって……

 

 

 

 

 

 

 

「……はっ!?」

 

 須美が、体を起こす。

 

 光が染みて、一瞬目を細める。

 

 そうして目が慣れた所でもう一度見開くと……そこに見えたのは。

 

「東郷さん!!」

 

「気が付いたのね、東郷!!」

 

「わっしー、心配したよぉ!!」

 

 勇者部の面々が、自分を覗き込んでいた。

 

 全員の顔には、等しく歓喜と安堵が浮かんでいる。

 

 友奈と園子に抱き付かれて、須美は思わず「わっ」と声を上げた。

 

「ここは……」

 

 まだ重い体を動かして辺りを見回してみると……天井には電灯が見えて、周囲は清潔感のある白い壁だ。小物入れやカーテンも見える。恐らくはどこかの病院、その一室なのだろう。

 

 自分は、どうやらベッドに寝かされているようだ。

 

 須美はこの時、どうして自分がここに居るのかと考えるよりも先に、安堵していた。

 

 さっきのはやはり夢だったのだ。

 

 当たり前だ。何があろうと、友奈ちゃんが瑠璃さんを殺す訳が無い。

 

 そうして気持ちを落ち着かせた所で、本来は第一に考えられるべき疑問が復活した。

 

「友奈ちゃん、私は……どうなったの? 確か、捧火祭で生贄になった筈なのに……」

 

「助けに行ったのよ、東郷。私達みんなで」

 

「……風先輩……では……お役目は? まさか、代わりの人が?」

 

「それも大丈夫よ」

 

 この疑問には、夏凜が答えた。

 

「大赦の調査によると、壁の外の炎は鎮静状態にあるらしいわ。もう、生贄を出す必要は無くなったのよ。東郷、あんたは火炙りでかなり生命力を奪われていたみたいだけど……日頃から鍛えていたせいかしらね? 寿命が縮むとか体の機能が失われるとか、そうした致命的なダメージを負う事は、ギリギリで避けられたらしいわ」

 

「……夏凜ちゃん、そう……」

 

「東郷さん!!」

 

 ぎゅっ、と須美を抱き締めていた友奈の手の力が少し強くなった。

 

「ごめんね、東郷さん!! 東郷さんの事、忘れちゃってて……!!」

 

「……私こそ、ごめんなさい。そうならないように神樹様に私を忘れさせてほしいとお願いしたのに……結局、友奈ちゃん達を……悲しませちゃったわね……」

 

「わっしー、天さんが助けてくれたんだよ!!」

 

 治まらぬ興奮を隠さずに、園子が捲し立てる。

 

「……瑠璃さんが?」

 

 園子の言葉は今ひとつ要領を得なかったが、しかし須美は「あぁそうか」と得心する。

 

 確かに自分が生贄になる事を、友奈を助ける為の交換条件として提示したのは瑠璃だが……だが須美には信じられる事がある。瑠璃はきっと、本意でそんな事を命じたのでは決してないと。きっとあれは、瑠璃にとっても知恵を尽くしてあらゆる手段を探し、幾度もシミュレートを重ねた上で他に手段を見付けられなかったが故の、苦渋の決断であったに違いないのだ。戦友として、須美にはそれが分かる。

 

 もし瑠璃が何も考えず、短絡的かつ安易に生贄を一人出して終わりとするような人であったのなら、彼女はあの時壁の外に一人残ったりなどしなかったろう。ましてや自分の全てが散華によって供物として捧げられて尚、勇者部のサポートなどしなかったに違いない。

 

 だから瑠璃はギリギリまで生存の可能性に賭けて、神樹様の中から力を送って自分を守ってくれていた。それで友奈達の助けが間に合ったのだろうと、須美はそう考えた。

 

 故に須美には、瑠璃を憎んだり恨んだりする事は出来なかったし、そんな気持ちも起きなかった。それはあの交換条件を持ち掛けられた時から、今に至るまで変わらぬ思いだ。

 

「そう……瑠璃さんは……もう、居なくなっても……それでも、私を守ってくれているのね……ずっと……」

 

「「……」」

 

 この須美の発言を受け、友奈と園子、それに夏凜は少しだけぽかんとした表情になると、次にはにやっと悪戯を思い付いた子供のような笑みを見せた。

 

「?」

 

 これを見た須美は少しだけ、居心地の悪さを感じた。

 

 何か……素晴らしい事が起こっている事それ自体は分かっているのだが、自分だけがそれの具体的な内容を知らされていないような疎外感だ。しかしそこまで不快でもない。こっそりとサプライズパーティーを企画してくれているような微笑ましさも、同時に感じるからだ。

 

「東郷、落ち着いてよく聞きなさい!!」

 

「そうだよわっしー、これを聞いたらびっくりして腰抜かすよ!!」

 

「? どうしたの、夏凜ちゃん、そのっち……」

 

「東郷さん、瑠璃さんが帰ってきたんだよ!!」

 

 友奈のその言葉を受け、須美はしかしその意味が分からなかった。

 

「えっと……友奈ちゃん? 瑠璃さんが、帰ってきたって……?」

 

「だから、天さんが帰ってきたんだよわっしー!!」

 

「それもどういう訳か、私達と同じぐらいの年になってね」

 

「……??? そのっち、夏凜ちゃん……悪いけど何を言っているのか分からないわ」

 

「まぁ……これについては東郷が信じられないのも当たり前ね。説明を受けて実物を見た私でさえ、未だに信じられないんだから」

 

 一歩引いた視点を持つ風が、そう言って場を統制する。

 

「百聞は一見に如かず……実際に見てもらうのが一番なんだろうけど……」

 

 そう言うと、風は困った顔になって病室を見渡した。樹も、同じように困惑と戸惑いの表情を浮かべる。

 

「何処へ行ったんでしょうか、瑠璃さんは……国防仮面さんも……」

 

 

 

 

 

 

 

 大足町の海沿いに建つ、高さ158メートルの建造物「ゴールドタワー」。

 

 旧世紀から存在する建造物であり、現在は大赦の管理下にある。ここ数年は大掛かりな工事が行われていて立ち入り禁止となっていたが、最近になってそれも終わったらしい。

 

 この建物には、一部に関係者以外立ち入り禁止の区画が存在する。

 

 その一室にて。

 

 トン、トン、トン

 

 規則正しいリズムで3回、扉が叩かれる。

 

「どうぞ」

 

 殺風景な部屋の中央に置かれた執務机に向かったまま、誰の目も無い場所だと言うのに大赦の仮面を被っている女性神官が応じる。

 

 ドアが開かれる。

 

「……」

 

 微かに、息を呑んだような音が部屋に響いた。

 

 入室してきたのは帰ってきた勇者・天動瑠璃その人であった。傍らには、かつての浄玻璃に代わって今や彼女のパートナーとなった精霊・巴御前も浮いている。

 

「天動様。あなたとお会いする約束はしていなかった筈ですが」

 

 女性神官は瑠璃のように抑揚が無い声で、しかし僅かだけ咎めるような響きを持たせて言った。

 

「知っています。約束無しで訪ねてきましたから」

 

 瑠璃は少しも悪びれた色を見せずに、こちらも無表情・棒読みで返す。

 

「それと、この区画には許可を持つ者以外は立ち入り禁止となっているのですが」

 

「知っています。ですが許可を取っている時間が惜しかったので、規則は無視しました」

 

「……」

 

 沈黙。一分の半分の時間が過ぎて「はぁ」と息を吐く音が聞こえた。

 

「用件を伺いましょう」

 

 これは女性神官の言葉だった。

 

 瑠璃が、目的の為には規則も法律も人倫も無視して最短ルートを突っ走る事を、彼女は知っている。これ以上問答する事は無意味であり不毛だと考えたのだ。

 

 それで瑠璃が失敗したのならそれを理由に叱責も掣肘も出来るのだが、幸か不幸か瑠璃はそうした独断専行で失敗した事は一度も無い。どころか前後の状況を合わせて総合的に判断すれば、彼女の判断は常にそれしか無かったと思えるような最善の一手であった事が分かるので、大赦としても彼女を咎める事は出来なかった。

 

 極めて優秀ながら、そうした点から瑠璃は大赦の一部からは扱いづらい人間としても認識されていた。

 

「このゴールドタワー……いや、千景殿の地下に封じられた『あれ』を、貰いに来ました」

 

「……そうですか、分かりました」

 

 少しだけ間を取った後に、女性神官は立ち上がった。

 

「こちらへどうぞ」

 

 恭しく一礼すると、瑠璃を先導していく。

 

 女性神官に案内されてゴールドタワー内を進みながら、巴御前は少し落ち着かないように体を動かした。

 

「意外でした」

 

 と、瑠璃。

 

「何が、でしょうか」

 

 前方を向いたままで、女性神官が尋ねてくる。

 

「てっきり、私の申し出を受けて『あなたにあれは渡せません』とかあるいは『上層部の許可が必要となりますので、確認しますから少しお待ち下さい』とかで時間稼ぎをされるものかと思っていましたから」

 

『……!!』

 

 巴御前モードの銀には発声能力は無いが、しかし少し焦ったような動きを見せる。

 

 これは巴御前(銀)が、今の瑠璃の言葉には続きがある事を知っているからだ。きっとあの後で瑠璃は「その場合は実力行使に出る事となりましたが」と続けたのだろう。精霊になった今でも、胃が痛くなる思いだ。

 

「単なる二者択一です」

 

「二者択一?」

 

 鸚鵡返しに、瑠璃が聞き直す。女性神官は頷いた。

 

「天動様に、そのような手が通用しない事は承知しております。仮に天動様の申し出を断った場合、天動様は実力行使に出られたでしょう。その場合……」

 

「その場合は?」

 

「その場合、現存する勇者と防人の全てを動員しても、天動様を止める事は叶いません。2年前の天動様ならあるいは全員で掛かれば1パーセントの勝機はあったかも知れませんが、今のあなた相手ではノーチャンスです。その結果、勇者6名と防人32名を全て失って、更にこのゴールドタワーが倒壊する程の被害が発生し、極め付けに『あれ』も天動様に奪い去られてしまう。ならば、最初から天動様の要求通り『あれ』をお渡しした方が、被害が生じない分だけ良い結果と言えるでしょう。だから、二者択一です。脅迫に屈する形ではありますが……」

 

「脅迫ではありません。選択肢です」

 

 これは言葉の遊びだ。女性神官は瑠璃の言葉を聞いていないようだった。

 

「……それに、天動様が私欲で動く方でない事は、私も存じ上げております」

 

 女性神官のこの分析には、巴御前(銀)も内心で頷いた。

 

 瑠璃は悲しい程に勇者としてそのお役目、与えられた義務には忠実だ。彼女にとってバーテックスの脅威から人類を守る事は至上の命題であり、それに余計な考えは差し挟まない。友奈や夏凜と個人的な親交を持っていたり銀を精霊として現世に残るようにしたように、情を見せる事はあるがそれは目的を達成出来る事を絶対の前提条件とした上で、その結果に差異が生じない『ゆらぎ』の範疇に限っての事だ。

 

 もし、銀を喪った方が世界を守るのに最も有効な手段だと考えたのなら、瑠璃は躊躇無くそれを実行しただろう。それは、銀の立場が自分自身に変わったとしても同じだ。

 

 そんな瑠璃だから、最短で目的を達成する方法を誰より早く考え付いて、それを実行する事を躊躇わない。

 

「善悪を考えなければ、あなたが執られる手段は常に有効なものだと……少なくとも私は確信しております」

 

 女性神官がそう言ったのと前後して、二人と一匹はエレベーターの前に到着する。

 

 十数秒待ってエレベーターに乗り込むと、女性神官は3階、5階、3階、1階とでたらめにボタンを押していき……

 

 最後に開延長のボタンを押すと扉が閉まって、上がりのボタンで呼んだ筈のエレベーターは逆に地下へと下がり始めた。

 

「暗証番号ですか」

 

「ええ……無関係な者が、地下へと立ち入らないように……」

 

 話している間にもエレベーターはぐんぐんと下がっている。

 

 改修後のこのゴールドタワーは地下4階までしか存在しない筈だが、地下4階の深さなどとっくの昔に通り過ぎてしまっている。

 

「……お聞きしてよろしいでしょうか、天動様」

 

「何か?」

 

「天動様は、何故この時に『あれ』を欲されるのですか?」

 

「本当の勇者になる為です」

 

 瑠璃は即答した。

 

「……本当の勇者とは?」

 

「何者をも傷付けずに、何事をも為す者。どんな命も救えるのが本当の力で、それを持っている者。それが、本当の勇者だと……私は信じています。今も昔も、変わらずに」

 

 それはかつて、訓練生時代の夏凜に説いたのと同じ教えだった。

 

 十歳の頃から、強くなり続ける巫女の力によって神樹と精神がリンクしている瑠璃は識っている。彼女の精神には、今も神樹の中に記録されている300年前の、バーテックスの襲来時に殺された人々の絶望や恐怖が流れ込み続けている。

 

 愛する肉親や女性、慈しむべき子供達、信頼すべき友や仲間。それらのどれか一つでも喪ったその人が、どれほど悲嘆に暮れて、絶望するのか。瑠璃は両親はもう居ないが、彼女はその喪失感を自分のものとしてもう何万回も味わっている。そして今も味わい続けている。恐らくはこれからも。だから分かる。それらのどれ一つを取っても勇者が命を懸けて守護し、救うに値すると。少数を殺して大を生かす選択が、良いものである訳が無いと。

 

 だから全てを活かす道を探して、探し続けて。

 

 そして決断の時が訪れる度に、瑠璃は自問していた。

 

『他に方法は無かったのだろうか?』

 

 無い。

 

 それは大赦の人間が口を揃えてそう言ったし、瑠璃自身もそう考えてはいた。

 

 いや、あるいはあったのかも知れない。ただ自分の力と知恵では見付ける事は出来なかった。

 

 だから瑠璃は本当の勇者に成れなかったのだ。

 

 何かを殺す為の力ではない。世界も、何も知らずに生きている人々も、掛け替えのない仲間も、血は繋がらずとも心を繋げた姉も。それら全てを衛る力を持っている者。それこそが、本当の勇者。

 

「……そう、ですか」

 

「……? 何か……」

 

「いえ……最近、全く同じ事を聞かされたもので。同じ事を、私に説いた子が居るのですよ。誰一人犠牲にしない者。犠牲を生まない道を拓ける者こそが、勇者だと」

 

「防人達のリーダー、楠芽吹さんですね」

 

 これを聞いて、女性神官は僅かに驚きを見せた。ぶるっと体を震わせる。

 

「ご存じだったのですか」

 

「ええ……神樹様の中から、全てを見ていました」

 

「……そうですか」

 

 超絶の偉業を何でもないかのように語る瑠璃に、女性神官は驚きを見せなかった。もう「瑠璃ならそれぐらい出来ても不思議ではない」と、感覚が麻痺してしまっているのかも知れない。

 

「……今まで成れなかった者に、今なら成れると?」

 

 仮面越しの声は変わらず抑揚も感情も無かったが、少しだけ皮肉が利いているようではあった。

 

「今だからこそ、です」

 

 瑠璃は穏やかに言い返した。

 

「本当の勇者になれる機会は、恐らく4、5回しかないのでしょう。私はこれまでの3回もしくは4回の機会は、全て逃してきてしまった。そうなる事が出来る機会がそこにあるのだと、気付く事さえ出来ないままに。多分……今が、その最後の機会なのですよ」

 

「……本当の勇者になって、あなたは何を為されるのですか?」

 

 女性神官のこの問いは、瑠璃が単なる名誉欲や意地などで動く人間ではないと確信しているからであった。

 

「それは」

 

 説明しようと瑠璃が口を開けたその時に、エレベーターが目的地に到着した。

 

 ドアが開いて、二人と一匹がそこから出る。

 

 本来のゴールドタワーの設計図には無い大深度地下に存在するその空間は、それそのものが巨大な祭壇のようになっていた。

 

 最低限の照明によって空間の広さが辛うじて把握出来る。どうやら標準的な学校の体育館の、半分程の大きさらしい。そこに勇者を模った石像が、4つ置かれていた。

 

 それらの勇者像は空間の四方に配置されていて、どれも手を伸ばしたようなポーズを取っている。その、伸ばされた手の部分からは更に鎖や標縄が伸びていて、それらには無数の護符が貼付けられている。勇者像の胸部にはそれぞれ桔梗、山桜、姫百合、紫羅欄花の紋章が刻まれていた。

 

 巴御前(銀)は4つの勇者像の一つ一つの顔に、見覚えがあるように思った。

 

 そして勇者像が手にしている鎖や標縄は、この空間のほぼ中央に存在する他より高い台座、そこに供物のように安置された物へと繋がっている。

 

 いや、安置されているという表現は正確ではない。

 

 台座の中央に、一振りの剣が鞘と合わせて×印を描くように突き立てられていた。鎖や標縄は、剣の刀身をぐるぐる巻きにしている。無数の護符は、その剣を封印する為のものであると一目で分かった。

 

「……っ」

 

 思わず、女性神官は進んでいた足を止めた。

 

 まるで剣から見えない圧力が噴き出していて、自分に近付く者を拒んでいるかのようだ。

 

「これほどとは……」

 

 瑠璃が、畏敬の呟きを漏らした。

 

「神度剣(かむどのつるぎ)……大赦が来たる反攻作戦の要として、三百年掛けて用意してきた切り札です」

 

 女性神官の説明に瑠璃は頷いて返した。ちらり、と傍らの巴御前に視線を移す。一連の会話は、この場の三名の中で唯一事情を把握していない巴御前(銀)への説明の意味も含んでいる。

 

「三百年前、西暦の時代……現在の記録からは消された初代勇者の一人、郡千景様が持たれていた大鎌には、『大葉刈』という武器の霊力が宿っていた」

 

 郡千景。

 

 その名前を聞いて、銀はあの壁の外での最後の戦いで駆け付けてくれた勇者の一人。紅い勇者装束を纏って、死神を思わせる大鎌を手にした少女の姿を思い出した。

 

「そして初代勇者の筆頭にして、バーテックスとの戦いで最後まで生き残られた乃木若葉様……つまり、乃木園子様の先祖に当たる御方ですが……彼女が自らの武器である『生太刀』と大鎌を合わせて打ち直し、この地に安置されました。天動様も知っての通り、この場所は四国の中でも神樹様の霊力が強く巡る、地脈の要点ですから」

 

 これは四国に限らず、古今東西の建築思想と魔術・呪術の関係に於いて良く見られるものである。

 

 風水的に重要な地点に城や砦を建てる事でその城塞は落ちにくくなるというし、霊的に重要な地点に神社や仏閣を建立する事でその地の荒魂(あらみたま)を鎮めて、災害を防ぐ事が出来ると信じられている。

 

 このゴールドタワー、否、千景殿とて例外ではないのだ。

 

「300年に渡り、この地を巡る神樹様の霊力を注がれ続け……神度剣の霊格は、神器として相応しい位階にまで高まっています」

 

「素晴らしい」

 

 瑠璃は満足そうに頷くと歩を進める。

 

 女性神官は近付けなかった圧力だが、彼女はそんな物は無きが如くに前進して祭壇を上り、神度剣の柄を握った。

 

 同時に、火の気など少しも無いのに護符が全て燃え尽きて、標縄や鎖が、一本残らずひとりでに千切れて床に落ちた。

 

 瑠璃は勢い良く、神度剣を祭壇から引き抜く。

 

 瞬間、栓が抜けて押さえ付けられていたものが飛び出したように、室内であるというのに風が逆巻き、稲光が走った。

 

「うっ!!」

 

 思わず、女性神官が腕を使って体を庇う。

 

 巴御前がその前方に移動すると、精霊バリアを発生させて彼女を守った。

 

 次の瞬間、一際強い旋風と閃光が襲い掛かってきて、聴覚と視覚が一時的に役立たずとなる。

 

 それが治まった時、瑠璃の手に握られた神度剣は先程まで放っていた全ての力が失せたようになっていた。しかしその力が消えた訳では無い。300年に渡って蓄積され続けてきた霊力の全ては、その刀身へと内包されているのだ。

 

「どうやら……初代様達や神度剣も、天動様を主として認めたようですね」

 

 瑠璃は頷いた。

 

「どのみち、反攻作戦が凍結されて捧火祭を行った時点で、これは大赦にとって無用の長物……ならば、私が所有しても文句は無いでしょう?」

 

 引き抜いた鞘に、剣を納刀する。

 

「そして……先程の、あなたの質問に答えましょう」

 

 神度剣を手に入れて、本物の勇者になって、瑠璃は何をするつもりなのか。

 

「神度剣は、大葉刈の別名……大葉刈は、土地神が友人の喪屋を切り倒すのに用いた忌まわしき刃。仲間を害するに相応しい武器。つまりは神が神を傷付ける為の……神殺しの刃。神殺しの刃を用いて為される事など……たった一つでは、ありませんか?」

 

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