樹海の中。
立ち尽くす瑠璃の眼前に、もう一人の彼女が居た。
ただし、一方は今の彼女ではない。背丈も低くて、顔立ちも今より幼い。あれは、まだ役目を受けて間の無い頃の彼女だった。
幼い瑠璃の傍にはもう一人、庇うように覆い被さって勇者が居た。幼い瑠璃より、その勇者はいくらか年上に見えた。
その、もう一人の勇者の背中には、光の棘が無数に突き刺さっている。
「う……ごほっ……」
勇者が、咳き込んで血の塊を吐き出した。大量の血は、瑠璃の体に掛って彼女の勇者装束を真っ赤に染め上げる。
「瑠璃……ちゃん……無事、なのね……良かった……」
「……先輩、何故?」
「……ごめんね、あなたに……あなた一人に……何もかも、背負わせてしまって……」
勇者が、ずるりと倒れる。彼女に庇われていた幼い瑠璃は、血塗れになったその勇者を見下ろす形になった。
勇者が伸ばした手が、幼い瑠璃の頬に触れた。その掌も血で染まっていて、瑠璃の顔に紅い手形が付けられる。
「……ごめんね、ごめんね……でも、もう戦えるのは貴女しかいないの……どうか……どうか……この世界を……守って……」
「承りました。それが使命であり義務ですから。お役目を、果たします」
幼い瑠璃は、表情を変えずに抑揚の無い口調で答えた。
だがそれでも、死に瀕しているその勇者には十分だったようだ。血塗れの顔が、それでも優しく笑った。
「ありがとう……ごめんね……ごめんね……」
最後まで謝りながら、その勇者は息を引き取った。
「!!」
その時だった。
視界一杯に、光の雨が降り注ぐ。先程、傍らに倒れている勇者に致命傷を与えたバーテックスの攻撃だ。
幼い瑠璃は、倒れている勇者の死体を担ぐと、それを盾にして攻撃を防ぎ切る。
そうして攻撃が収まると、彼女は全身に光棘が突き刺さってハリネズミのようになった死体を打ち捨てて、両手に剣を召喚するとバーテックスへと斬りかかった。
視界が暗転する。
再び、そこは樹海の中だった。
あちこちに戦闘による破壊の跡があり、少しずつ景色が揺らいでいる事からバーテックスとの戦闘が終わった後だと分かる。
その樹海の中に、兵士達に担がれた玉座に腰掛けて、瑠璃はバーテックスが逃げていった大橋の方角を睨んでいた。その彼女は今よりも少しばかり年若く、だが先程の光景の中よりは幾分年を取って背も伸びていた。
「る……り……瑠璃……」
掠れるような声が聞こえてきて、そちらへと視線を向ける。
そこには壁にもたれかかるようにして、全身を朱に染めた勇者が倒れていた。
彼女は瑠璃の戦友だった。幾度も背中合わせで戦って、いつも互いに互いを助け合って、誰よりも信頼し合った親友だった。
傷だらけで、今にも死にそうなその彼女はぶるぶると震える手を、必死に瑠璃へと伸ばす。
「瑠璃……助けて……お願い……助けて……」
「ええ、今助けに行くわ。待っていて」
玉座から飛び降りると、瑠璃は彼女へと走り寄って、その手を取った。
「ああ……瑠璃……」
親友に手を握られた事で、勇者は安心しきった顔になる。これで助かる。瑠璃なら、親友なら必ず自分を助けてくれる。しばらくは入院する事になるだろうが、治ったら今まで以上に頑張って、ずっと二人で世界を守っていこう。
そんな未来を思い描いて、傷だらけの勇者は痛みを堪えてそれでも精一杯の笑顔を見せる。
そして、その笑顔がすぐに強張った。
瑠璃が手にした短剣が、勇者の心臓を正確に貫いていたのだ。
「る……り……? どう……し…………て……?」
自分の目で見たものが信じられないという顔をして、勇者の瞳孔が開いて、そして体から全ての力が失せた。
瑠璃はそっと手を差して、見開いたままになっている目を閉ざしてやった。
「あなたはもう手遅れよ」
確かに、瑠璃は親友を助けると言った。だがそれは命を助けるという意味ではなく、苦痛が長引く事から解放するという意味だったのだ。
親友は心臓を一突きにされて、苦しむ暇さえ無く絶命しただろう。恐らくは何故、瑠璃がそんな行動に及んだのか、理解する事すら出来ぬままに。
再び世界が暗転して、今度は樹海ではなく夜の町だった。
「はっ……はっ……」
息を切らせて、一人の勇者がビルからビルへと飛び移って、建物の狭間の闇へと姿を隠した。
「ここまで来れば……」
「残念だけど、逃げられないわよ」
勇者は横合いから掛けられた声にびくりと体を竦ませる。
振り向いたそこには、剣を片手に勇者に変身した瑠璃が立っていた。その彼女は、今と殆ど背丈や顔立ちも変わっていない。
「戻りなさい。今なら、私の権限で何も無かった事にして済ませるわ」
「先輩、見逃してください!!」
勇者が、涙目になって訴えた。だが瑠璃はそれが聞こえていないかのように一歩一歩と近付いてくる。
十歩の距離まで、瑠璃が接近した。
「こ、恐いんです!! 戦いが、恐くなったんです!! 足が竦むんです!! もう、あんな死ぬような戦いなんて、私……!!」
「では何故、最初に勇者になる事を止めなかったの?」
「っ!!」
「少なくとも、私は貴女に二度機会を与えた。実戦を一度経験した後と、その後で勇者になると私に言いに来た時に。最初によく考えるように言い含めたし、最後には本当にそれで良いのかと、確認した。あなたはそれにイエスと答えた。私は勇者になると。自分の意志でこの道に足を踏み入れておきながら、今更戻る事など出来ないわ」
「ぐっ……」
反論のしようも無いほどに正論で返されて、勇者は言葉に詰まる。
「勇者になった者には、道は二つしか用意されていない」
刀片手の瑠璃が、更に近付いてくる。
「お役目を全うするか、死ぬか」
そう言った後で、瑠璃は「尤も、バーテックスの再侵攻が始まってから現在に至るまで、生きて任を終えた勇者など私が知る限り一人も居ないけど」と、そう付け加えた。
勇者が、絶望しきって顔を蒼白にした。
勇者になった時点で、救われる道など存在していないと、瑠璃はそう言っているのだ。
「そんな……そこまで知っていて……じゃあ、何で先輩は勇者を続けていられるんですか!?」
「私の命一つで、何万何十万という人の未来を作る事が出来る。それが、素晴らしい事だと思っているからよ」
棒読み口調で、瑠璃は即答した。
「酷い……!! ……先輩は、世界の為なら、一人の命なんてどうでも良いと言うんですか!?」
「それは違うわ。この世界を成すのは沢山の人達だから、個人の幸せや個人の人生も同じように尊いと、私は思っている。だから私はあなたに、勇者になるかどうかの選択肢を与えた。それで勇者になる事を選んだのは、他ならぬ貴女自身でしょう? たらればの話になるけど、もしあの時あなたが勇者にならない、なりたくないと言ったのなら……私は全力で、あなたを守って何があろうと勇者にはしなかったしさせなかった。大赦が何を言ってこようが、どんな事があってもね」
再び、瑠璃は理詰めで反論する。
「それに付け加えるなら、一人の為に世界が滅んではいけないとも思っている。それだけよ」
そう言って「さて」と前置きを一つ。
「返事を聞こうかしら? 大赦に戻るか……それとも……」
「う……うわああああっ!!!!」
勇者が、固有武器である銃を具現化して瑠璃へと向ける。
しかしその引き金を引くよりもずっと早く、振るわれた瑠璃の剣が彼女の体を逆袈裟に切り裂いていた。
血を吹き出して、勇者がどうと倒れる。
少女の作った血の海の中に瑠璃は踏み入って、彼女を見下ろした。
「心配しないで。貴女はお役目の最中に殉死……という形にしておくから。家の名前には、傷は付かないわ」
「ひと……ご……ろ……し……呪っ……て……やる」
それがその勇者の、最後の言葉だった。
「間に合っているわ、呪いならね」
「む……」
小鳥のさえずりと、窓から差し込んでくる朝日を受けて、瑠璃は瞼を開けた。
「すぴー……すぴー……」
膝の上では、鼻提灯を出して園子が眠っていた。
床を見ると、トランプやお菓子があちこちに投げ出されていて、横になった須美と銀が寝息を立てている。
「夢か……」
寝ぼけていた頭が覚醒して、昨晩までの記憶が蘇ってくる。
昨日は襲ってきたバーテックスを撃退して、そのまま夜通し祝勝会で乱痴気騒ぎを演じる事となったのだ。
時計を見れば、午前6時とある。
今日は日曜日。須美達も学校は休みだから、このまま寝かしておいてやろうと三人に毛布を掛けてやると、瑠璃は音を立てずに部屋から出て行った。
大橋の近くには、小さなドームがある。
そこには無数の墓標が、ずらりと並んでいた。
ここは英霊之碑。
この国を守る為に命を捧げた勇者達を祀る場所だった。
そこに、喪服を纏った瑠璃が立っていた。
彼女は捧げ物をするでもなく、跪いて祈りを捧げるでもなく、ただそこに立っている。
「ああ……やっぱり、来ていたのね。もしかしたら会えるかとは思っていたけど……」
「先生……」
声のした方を瑠璃が見ると、そこには同じように喪服を着て、花束を持った安芸先生が居た。
安芸先生は墓の一つに花を置いて祈りを捧げると、傍らに立つ瑠璃を見上げる。
「……瑠璃ちゃん、あなたには……辛い役目ばかりさせてしまうわね……」
二人だけだからであろうか。普段よりは、安芸先生の口調は幾分親しげな響きがあった。
「私が自分の意志で選んだ道です。感謝もいたわりも、不要です」
瑠璃の口調はいつもと変わらない。棒読みで、表情筋が少しも動かない。
それは彼女の本心なのだろう、嘘偽り無く。
「……そう……」
安芸先生は、どこか哀しそうに目を伏せた。
「……私はお役目の為に自分の命を懸ける事に躊躇いはありませんが……しかし、先生……私が戦えなくなる日は……そう、遠くはありませんよ?」
「……やっぱり、そう……なのね……」
どこかで予測はしていたのだろう。瑠璃の言葉を受けて、安芸先生はそこまで驚いた風ではなかった。
「どれぐらい、保ちそうなの……?」
「既に、私の力は衰え始めている……恐らく、後二年程で……私は勇者になれなくなるでしょう」
「……そう……」
神樹様の力を使えるのは勇者だけ。そして勇者になれるのは極々一部の、神様に見初められて供物と成った無垢な少女だけ。
穢れ無き身だからこそ、大いなる奇蹟を振るう事が出来る。
大人になりつつある瑠璃は、その資格を失い始めているのだ。
これは勇者システムが根本的に抱えている問題ではあるのだが、今まではあまり重要視はされなかった。何故ならこれまで、お役目を受けてそこまで生きた勇者が居なかったからだ。
最強の勇者であり、国防の要。お役目を拝命してから現在に至るまでの5年間、ずっと世界を守り続けてきた瑠璃だからこそ、この問題点がクローズアップされる事態となったのは、皮肉な結果であると言える。
「だからこそ……精霊システムと満開……一刻も早くその二つの実装を……と、再三申し上げているのですが……」
「……」
瑠璃にどこか責められるように言われて、安芸先生は首を振った。表情には、苦渋が浮かんでいる。申し訳なさや、悔恨、その他様々なやりきれない感情が、ミキサーに掛けられているかのようにゴチャゴチャになって彼女の胸中に去来しているのが、透けて見えるようだ。
最強の勇者は、ふうと嘆息する。
大赦はこの瀬戸際にあっても(勿論全体ではなく一部なのだろうが)どこか対岸の火事と言うか、慢心している部分がある。
その責任は、良いとか悪いとかではなく一部は瑠璃にもあると言えるだろう。
バーテックスに負けたら世界が終わるからそれは論外だが、しかしそれにしてもあまりにも確実に勝ち過ぎてきてしまった。だからこそ「瑠璃が居れば大丈夫だ」という考えが、多かれ少なかれ現在の大赦には蔓延ってしまっている。
そんな楽観論を一掃し、足下に火が迫っている事を思い知らせるには……
須美、園子、銀。
瑠璃の脳裏に、後輩3人の顔が順番に浮かんだ。
『私達の中から誰か一人……戦死者でも出れば、目が覚めるでしょうね……』