闇に包まれた大赦の一室。
床から幾本もの光の柱が屹立して、その輝きの中に小さな影が浮遊している不思議な空間。
そこに、天動瑠璃は立っていた。
瑠璃の眼前にある柱に浮かぶシルエットは、円形の鏡を小さな人型が支えている。
「……」
そして瑠璃の周りに3つの光の柱が伸びていて、それぞれ3つの影が浮遊していた。
一つの影は丸っこい卵のようであり。
一つの影は鳥のようであり。
一つの影は鎧武者のようであった。
瑠璃は懐から取り出した端末を操作し、慣れた手つきで複雑なキーコードを入力していく。
画面に表示された「完了」のボタンを押すと、彼女の周り4本の光柱が演劇舞台の大道具のように下がっていって、中に浮かんでいた小さな影が光の外に放り出される。
4つの影の内、3つまではふわふわと部屋中を飛び回り始めて、瑠璃の眼前の柱に居た一つが、彼女の目の前まで飛んできて空間に静止した。
「わたし……いえ、浄玻璃……体に違和感は無いかしら?」
『ええ……私。快調そのものよ。こうしてわたしたちを自由にしてくれるという事は……いよいよ、わたしたちの出番が来たという事かしら?』
磨き上げられた鏡を、後ろからお伽噺に登場する小人ぐらいの大きさの少女が支えている。そんな、ぬいぐるみのような姿をした者。精霊・浄玻璃は、瑠璃と全く同じ声でそう話し掛けてくる。問いを受けた瑠璃は静かに頷いた。
「ええ……今日、勇者が一人戦死する」
『……』
瑠璃の口から衝撃的な言葉が紡がれるが、浄玻璃は驚いた様子も見せなかった。
「これで、大赦も今の人類が置かれた状況を正しく認識するようになる……今の現状は、盤石の体制などではなく……薄氷の上を恐る恐る進んでいるような、危うい綱渡りを辛うじて成功させているのに過ぎないという事を……」
『その為には、勇者一人の戦死が、必要不可欠だと?』
「そうよ。最強の勇者である私が戦っても……戦死者は出る時は出るのだと、思い知らせてやるのよ」
『……』
浄玻璃は、何も言わなかった。賛同はしないが、否定もしない。
「青坊主、烏天狗、義輝」
瑠璃に呼ばれて、それまでは自儘に部屋を飛び回っていた精霊達が彼女の周りに集まってくる。
割れた卵から手が伸びて、目が覗いている青坊主。
真っ黒い体をした鳥が着物を羽織ったような烏天狗。
赤い鎧を身に纏った武者のような義輝。
「あなた達はこの先、それぞれの主人の下へ行く事になる。自分の主に誠心誠意仕え、守るように」
精霊達はそれぞれ、人間で言う首肯に当たる動作を取った。
「そして、浄玻璃」
『は……』
「あなたが誰の精霊になるかは、私にも分からないけど……誰に仕えようと精霊としての分を越える事無く、あなたに与えた私の記憶を活かして、その勇者をサポートするように。後は頼んだわよ、わたし」
『分かったわ、私……』
言い終えた瑠璃は「ふう」と息を吐いたが……ややあってあらぬ方向へと目を向けた。
『私……これは……』
「ええ、バーテックスが来た。樹海化現象が、始まっている」
瑠璃はそう言うと、部屋の出口へと進み始めた。
自由になった4体の精霊と、未だ光柱の中に留まっている精霊達はそれぞれ視線を向けてその背中を見送る。
『行ってらっしゃい、私……』
「ええ、行ってくるわ、わたし……」
退室しようとした瑠璃は「ああそうだ」と足を止めて振り返った。
「浄玻璃、大赦の人達に伝言を頼めるかしら?」
『構わないけど……何と?』
「私の遺言状はデスクの3番目の引き出しに入っているから、遺漏無く執行するように」
樹海。
アプリを起動し、勇者に変身した瑠璃はまずは高台へと移動すると、状況の把握に努めた。
須美達と違って一緒に居る時間の短い瑠璃は、離ればなれの場所に居る場合も多い。その為、まずは須美達と合流する為にも彼女らの位置を知らねばならなかった。
しかし、あちこち探す必要はなかった。
視界の彼方で、大爆発が起こる。
既に須美達がバーテックスと戦いを始めていた。
だが、これまでの戦闘とは明確に違う点がある。
「……二体……」
バーテックスが、二体同時に攻めてきていたのだ。
しかし、3人は園子が前衛で攻撃を防ぎ須美が後衛で援護、隙を狙って銀が最大威力の攻撃を叩き込むという見事なチームプレイを見せて、優勢に戦っている。
『その調子よ、みんな……』
走りながら、瑠璃が心中で呟く。
だが、遠距離からの広い視野を持っている瑠璃であるからこそ気づけたものがあった。
「!! 3体目……!!」
攻めてきているバーテックスは、3体いる。
時間差で侵攻してきた3体目が、無数の光の矢を吐き出して仲間ごと須美達を狙い撃ちにした。
咄嗟に園子が槍の穂先を傘状に展開して、須美と銀はその中に入って死の雨から身を守るが……
そうして3人が一カ所に固まりしかも動きが止まった瞬間を狙って、巨大な尻尾を持つバーテックスがそれを鞭のように振るって、3人を吹き飛ばした。
「きゃあっ!!」
「うあっ!!」
銀だけは辛うじて斧を盾代わりにして防御したが、須美と園子は空中に投げ出されて、無防備なそこを更に尻尾の一撃が痛打して、血塗れになった二人は地面に叩き付けられて気を失ってしまう。
「園子!! 須美!!」
比較的軽傷だった銀が、背に二人を庇うようにして立つが……そこに、更に光弾が撃ち込まれる。
斧を盾にして防いだとは言え衝撃や熱までは殺しきれず、銀の体中から血が噴き出した。
「ぐっ……!!」
出血と痛みによって視界が暗くなって、たまらず銀は膝を付いた。須美や園子よりは軽傷とは言え彼女の傷も決して浅手ではない。斧を杖として、何とか倒れずに体を支えているような状態だ。
対照的に、バーテックスは3体全てが健在。3体目の矢によって蜂の巣になった他の2体も、損傷が既に再生して万全近い状態となっている。
誰がどう見ても、絶望的な状況だった。
しかし銀は震える膝に力を入れて立ち上がると、双斧を構える。
バーテックスがそんな彼女と、後ろの二人にとどめの一撃を加えんとしたその時だった。
背後から無数の火線や矢の雨が飛んできて、バーテックスに殺到した。圧倒的な破壊力は巨体を誇る怪物達を足止めするだけではなく、僅かに後退さえさせた。
と、同時に無数の雄叫びが樹海に木霊する。
『全軍突撃!! 須美様達を、お救いするのだ!!』
『突っ込めーーっ!!』
『化け物どもを追っ払ってやれ!!』
何処から現れたのか重鎧に身を包んだ装甲兵や騎兵、無数の軍勢が殺到して、一斉にバーテックスへと襲い掛かった。
「これは、先輩の……!!」
そう呟いた銀のすぐ傍に、黄金の装束に身を包んだ勇者が舞い降りてきた。瑠璃だ。
「先輩!! 来てくれたんですね!!」
傷だらけの銀の顔が、それでもぱあっと明るくなった。
先輩が来てくれたのだから、絶対に勝てる。絶対にみんな助かる。そんな確信が、彼女の中に生まれる。
「ごめんなさい、遅くなったわね」
瑠璃はいつも通り無表情で、須美を担ぐ。それを見て銀も、園子の体を抱えた。
「一時退避するわよ、付いてきて」
「は、はい!!」
「全軍、奴らをしばらく足止めしなさい」
『ハッ、閣下!!』
『ここは我らが防ぎます故、どうか閣下は何も心配されず、彼女らの看護を!!』
兵士達の声を背に瑠璃と銀は、大橋から神樹を繋ぐ直線ルートからは横に外れたポイントへ移動する。バーテックスの目的が神樹に到達して破壊する事ならば、ここが襲われる可能性は低いと考えての事だった。
瑠璃と銀は、注意深く須美と園子の体を横たえた。
「衛生兵」
『ハッ!!』
瑠璃が呼ぶと白衣に身を包んだ十数名の兵士が出現して、須美達の周りに集まった。
「3人の手当を」
主の指示に従い、衛生兵が持っていた鞄から薬や包帯を取り出し、応急処置を始める。
それを見た瑠璃は「さて」と立ち上がった。
「あなた達は、ここで休んでいて。後は……私がやるから」
「せ、先々代……」
意識朦朧としている須美が、消え入りそうな声を上げた。
「待ってください先輩、アタシも一緒に戦います!!」
「あなたとて決して軽傷ではない筈よ、銀?」
「これぐらいなんとも……」
言い掛けた銀の体を、瑠璃はトンと小突いた。
「あぐっ……!!」
体中に走った痛みに顔を歪めた銀は、うずくまってしまう。
「私の目は誤魔化せないわよ。ここは、私が戦う」
「先輩……」
「何、大丈夫よ。これぐらいの修羅場は、私はいつもくぐり抜けてきたから……それに……」
少しだけ、言い淀むように瑠璃は言葉を濁した。
「……先輩?」
「……それにここは、あなたの死に場所ではない筈よ、銀……命は一つしかないから……大事にしなさい」
そっと伸ばした瑠璃の手が、くしゃっと銀の頭を撫でた。
「では……行ってくるわね」
その言葉を最後に瑠璃は跳躍して、彼女の軍勢が戦っている戦場へと戻っていった。
「さよなら」
「……そう……命は、一つしかない。だから大事にしなければならない」
主戦場に向かう途中で、瑠璃は先程銀に掛けた言葉を鸚鵡返しする。
命を大事にしろという言葉。嘘ではないがしかしそれは彼女にとっては何があっても守らねばならない、という意味ではなかった。
自分の役目、命の価値を良く知って、使うべき時には使い、捨てるべき時には捨てる事を惜しむなという意味だった。使い時・捨て時を誤れば、持ち腐れとなるのだから。それが常に最前線でバーテックスと戦い続けてきた、瑠璃の価値観だった。
跳躍を繰り返した彼女は、バーテックスと戦闘中の軍勢のほぼ中心部、彼女の特等席である玉座へと降り立った。
『閣下!! 戻られたのですね!!』
『閣下の指揮があれば、我々に負けはない!! 勝てるぞ!!』
『おおっ、ここから盛り返すぞ!!』
指揮官を欠いていた軍勢はバーテックス3体を相手に劣勢ではあったが、守勢を強いられながらも未だ戦線の維持に成功していた。
瑠璃は、今回は玉座にふんぞり返らずにそこに立った状態で指揮を執る。
「総員、まずは敵の一体を集中的に叩く!! 重装歩兵隊を固い槍の穂先として突貫、押し戻すと同時に長弓兵団・猟兵部隊・狙撃隊・砲兵部隊など遠距離攻撃の手段を持つ者は全ての火力を集中して攻撃!! 短期決戦で、まず確実に一体を仕留める!!」
『ハッ!! 閣下!!』
『行けぇ!! 進めぇ!!』
数千の軍勢は瑠璃の指示に従って一個の巨大な生物のように動き、長い尾を持ったバーテックスに激突。
単純なパワーであれば巨体を誇るバーテックスが圧倒的に秀でているが、しかし瑠璃の兵団は全員が死兵となって突貫し、全く無駄無く全ての力を集約してそれと拮抗、否、凌駕する事に成功していた。
バーテックスが、押し戻されていく。
同時に矢や銃弾といった飛び道具が突き刺さって、巨体に浅くない損傷を刻んでいく。
未だ鎮火の儀こそ始まらないが、損傷を受けたバーテックスは動きが鈍った。後一押しで、結界の外へと追い返せる。
この時、ちょうど3体のバーテックスは正三角形の頂点のような位置関係にあった。その中心部分に、瑠璃の軍団がいる形だ。
光の矢を吐き出すバーテックスが瑠璃を直接狙ってくるが、彼女の玉座を担ぐ近衛兵によって防がれた。このバーテックスの攻撃手段が口から出る遠距離武器だという事は既に分かっているので、瑠璃は既にそれを防御するよう軍団に指示を出していたのだ。
すると今度は、そのバーテックスは明後日の方向へと矢を吐き出した。
今度は瑠璃へ向かうものではないので、軍勢達は反応しない。
「……」
しかし瑠璃だけは、この動きの意図に気付いていた。
指揮官でもある彼女の脳内では、常に全体の位置関係が俯瞰視点かつリアルタイムで処理されている。
光の矢が向かう先には、もう一体、固い甲殻を持ったバーテックスが居る。
バーテックスは無駄な行動は取らない。それはこれまで幾度となく戦ってきた瑠璃が、体で知っている。
先程味方を撃ったのは、味方ごと須美達を攻撃する為。ならばこの状況で味方を撃つ意図は……
『攻撃を反射させての、予想外の方向からの攻撃か……』
瑠璃の頭脳は即座にその結論に達して、しかしそれに対応する動きを彼女は見せない。
彼女は、この攻撃を全くの無防備で受けるつもりだった。
天動瑠璃は、バーテックスとの戦いで死ぬべきだと、彼女自身は考えていた。
最強の勇者の戦死。その事実こそ大赦に与える衝撃と危機感は最大になるだろうからだ。日常生活・非戦闘時の事故や自殺では不十分。
それに勇者としての資格を失いつつあり、今この瞬間も弱くなり続けている自分よりも、成長して強くなり続けている須美、銀、園子。3人が残る方が、長期的に見て人類を長く守る事が出来る。
大赦から慢心を払拭して、真に危機感を持って事に当たらせる為に勇者一人の命が必要ならば……消えるべきは、自分。
それが瑠璃の結論だった。
瑠璃は、剣を一本掌に召喚して視線を落とす。
刀身が鏡の役目を果たして、予想通り甲殻型のバーテックスが光矢を反射して自分へ向けて飛ばしてくるのが見えた。
即死のダメージだけは避けられるように、瑠璃は微妙に体を動かして、位置を調整する。
これで一秒後には光の矢が背中から自分の体を貫いて、即死には至らぬまでも決して浅手ではなく、時を置いて死に至る程度のダメージを与えるだろう。瑠璃はそれを想定して体の力を抜き……
その瞬間、刀身の鏡に紅い影がよぎった。
「先輩、危ない!!」
覚悟していた鋭い痛みではなく、柔らかいものがぶつかってくる感触が、背中に走った。
「っ、銀……!?」
風のように現れた銀が、体当たりするように瑠璃を突き飛ばして、射線から外させた。
そして当然、銀の体が無防備な状態で光の雨に晒されて、全身から血が霧雨のように飛散した。
ぐらりと崩れ落ちる銀の体を、すぐに駆け寄って瑠璃が支える。
「……銀、どうして……」
「へ、へへ……アタシだって、勇者だから……先輩、だけに……戦わせておくなんて……やっぱり……出来ない、でしょ……がはっ!!」
言いながら、銀は血を吐いた。
樹海の地面に、紅いシミが広がる。
「さ、さぁ……せ、んぱい……こっからは……アタシも一緒に戦いますから……コイツ……ら……を、追っ払って……須美達を、病院に連れて、って……みんなの所、へ……帰……」
話す間にも血が流れ出して、纏う勇者の装束よりも尚紅く銀の体を染めていく。衛生兵が応急処置で巻いたのだろう包帯も、傷が開いて既に白い部分が残っていなかった。
どれほどの激痛が総身を襲っているのだろうか。
もう、意識も消えそうな筈なのに。
それでも、銀は斧を構えて、バーテックスに向かい合う。
「人間、様、の……気合い、と、こ、ん性と……魂を……こいつ、らに……」
その時だった。
ドスッ。
軽い衝撃が、銀の体に走る。
「え……?」
銀が視線を落とすと、自分の胸から刀身を血で濡らした白刃が生えているのが見えた。
バーテックスの攻撃?
いや違う、バーテックスはこんな武器など使わなかった筈。
じゃあ、誰が?
そう考えたのが最後で、銀の意識は闇に落ちた。
銀の心臓を背中から貫いていたのは、瑠璃の手に握られていた刀だった。
瑠璃は刀を引き抜くと、全ての力を失って崩れ落ちる銀の体を抱き留めた。
「もういい、銀……これ以上、苦しまなくていい……」
勇者として、数え切れない程仲間を見送ってきた瑠璃には分かっていた。もう、手遅れなのだと。今すぐ戦う事を止めて安静にして、衛生兵に手当をさせて、樹海が解けると同時に病院に担ぎ込んでも、銀の命が助かる見込みは無い。
只、苦しむ時間が長引くだけなのだと。
ならば瑠璃が銀の為に出来る事は、二つしかなかった。
一つは、ただちに彼女の苦しみを終わらせる事。
腕の中で目を閉じて、眠っているような銀の体を、瑠璃は近衛兵に預けた。
「お前達、銀を守れ……これ以上は誰にも、決して彼女を傷付けさせないように」
『ハッ……閣下……仰せのままに……!! 我らの命に代えましても』
最敬礼した兵士達は、人垣を作って防御態勢を固めると銀を後方へと運んでいく。
瑠璃は、運ばれていく銀をじっと見送っていた。
「……銀、あなたはバカだ……あなたには、ご両親も……小さな弟も、生まれたばかりの弟だっている……対して私は天涯孤独、天動の家とて、私を勇者にする為に大赦が名前だけを与えたに過ぎない……居なくなって悲しむ人間の数から言っても、生き残るべきは私ではなく……あなた達であるべきなのに」
愚痴のようなその言葉は、彼女にしては珍しいものだった。
この一時だけ、瑠璃はここが戦場である事を忘れているようだった。
そしてそんな隙を見逃す、バーテックスではない。
巨大な尻尾を持った個体がダメージを再生して、尻尾の先端を槍のように突き出して背中から瑠璃を串刺しにせんとしてくる。
軍勢達は、動かない。
バシッ!!
瑠璃は、振り返りもせずに水平に挙げた左手で尻尾の先端を掴む。
そしてそのまま、先端を握力で力任せに握り潰して、砕いてしまった。
バーテックスに痛覚はあるまいが、しかしこの反撃は予想外だったのだろうか、尻尾を引っ込めて警戒するような動きを見せた。
周囲に展開している他の2体も、それぞれ動揺したように巨体を揺すった。
瑠璃は、ゆっくりと振り返ってバーテックスを見据えた。
「今更言っても、それはどうにもならないから……だから私は、この状況で自分に出来る事をするわ」
銀の為に、瑠璃が出来るもう一つの事。
それは、彼女がやるべき事を代行して成し遂げる事だ。
「こいつらは、私が追い返す。だから……安心して休んでいて」