後肢   作:ziggy


オリジナル現代/日常
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後肢

 夏が終わって、しばらくが経っていた。

 空気を埋め尽くしていた蝉の声は、もうぱらぱらとつくつくぼうしが鳴いているのみになっていた。

 あの日、夏休みが明けても変わらずに外で遊び回っていた僕は、でこぼことした草っ原の真ん中で、小さな池を見つけた。

 それはへこんだ地形の中に、雨が溜まって出来たものらしかった。

 その年は台風がたくさん来ていたから、雨もたくさん降ったのだ。

 草っ原のなかにぽかんと出来たその池は、しかし今にも干上がりそうになっていた。夏が終わって台風は来なくなったが、多少涼しくなったとはいえ日差しはまだぎらぎらとしている。昼下がりの陽光が、残暑とともにその小さな池に光を注いでいた。

 僕は、日の光を照り返す金色の水面が、触りもしないのにくしゃくしゃ揺れていることに気がついた。何かにかき回されているかのようにゆらゆら蠢き、時折、琥珀色のしぶきを散らして、ぱしゃりとはじけた。

 手のひらの影を水面に落として透かしてみると、僕の小指ほどの深さにまで干上がった水の中で、何十匹ものオタマジャクシが泳ぎ回っていた。

 いや、泳ぎ回っていたというより、もがいているといった方が正しいかもしれない。よく見れば池の中は数え切れないオタマジャクシでいっぱいになっていた。みんな、僕の人差し指よりもある、大きなオタマジャクシだった。

 僕はその光景を、好奇心にかられて見ていた。いつも池の底に潜っていて、捕まえようとしてもすぐ深いところに逃げてしまうオタマジャクシが、手の届く場所に数え切れないほど泳いでいるのだ。

 池の端っこに浮いている一匹を、指でつついてみる。つつかれたオタマジャクシは、あわててくるりと向きを変えると、池の真ん中でかたまっている群れのなかに飛び込んでいった。面白がって、しばらくそれを繰り返していると、ふと、さっきよりもほんの少しだけ池が浅くなっているのに気がついた。日差しはまだぎらぎらしていた。指を入れた水の中は、日の光でぬるま湯になっていた。

 僕は立ち上がって、あらためてその小さな池を眺めてみた。よく見ればその水面には白い腹を見せて死んでいるオタマジャクシや、もう干上がってしまった泥の中で、苦しげに口をぱくぱくとしているものもいた。

 その光景になんだかやるせない気持ちになって、さっきまでの興奮がさあっと引いていった。

 もう帰ろう。日が沈むより前にそう思ったのは初めてだった。

 そんなとき、僕の足下で何かが動いているのに気がついた。

 ぬかるんだ地面の上を、一匹のオタマジャクシが、生えたばかりの後肢を必死に動かして這いまわっていた。背中にくっついた泥が、風に乾いてひび割れていた。

  …………!

 いきなり胸がきゅうっと痛くなって、僕はその場にかがみ込んだ。僕の影が落ちた水面の下で、無数のオタマジャクシが悶えていた。

 僕は我慢できなくなって、きびすを返して草っ原を走り出した。

 ――――もう少しだったのに。モウスコシダッタノニ。

 逃げるように走る頭の中で、泥にまみれたたくさんの目が鈍く光り、そして少しずつ消えていった。最後に、かすかに響く声が残って、消えた。

 ――――もうすこし、だったのに。

 

 次の日、僕は水を入れたバケツを持って、あの池に行ってみた。しかし、干上がってしまったのか見失ってしまったのか、もうその池は、見つからなかった。

 

 

 最近、窓辺に秋の風を感じると、あの日のことを思い出す。

 僕はレポート用紙に走らせるペンを止めて、窓の外を見遣った。やはりぱらぱらとつくつくぼうしだけが鳴き、風は涼しくなったけど、太陽はまだぎらぎらしている。

 何で胸が痛くなったのか、あの日の僕はわからなかった。でも、今はなんだかわかるような気がする。

 泥の中で空を見上げるたくさんの目。飛び跳ねるにはまだあまりにも小さかった後肢。温んだ水の中で、横たえた白い腹。

 ――――ああ、もう少しだったのにね。

 あいつらは、大人になれなかったのだ。

 

 僕は冷めたコーヒーを一口含んで、またペンを走らせた。

 残暑に揺らめく、他愛ない感傷である。


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