「今日は出かけるわよ」
そう言って八雲紫はスキマを開き、八雲藍と氷室天華とともに入っていってしまった。ぽかんとするのは取り残された氷室ギンだ。唖然とした顔は一見の価値がある。爆笑必死で。というか置いていった方達の中には彼の娘もいるわけなんだが。
「……何処に行くんだよ」
一人だけ置いていかれるのも嫌だったのでギンはスキマに飛び込む。向こうでちゃんと三人が待っていてくれていたのを見てほろりと涙を浮かべていた。キモい。そのまま凍り付けばいいのに。
「今日は交渉、というか、もうほとんど確認だけね。何度も話し合っているからあとは細かいところをつめるだけよ」
「お前の考えに好意的な相手なのか。それは一体どんな物好きなんだ」
「真面目な方よ、アンタとは違ってね。とある山奥にある妖怪の里の長をしているわ。そこにいるのは天狗や河童なんかの、この国に古くから居た妖怪ね。私やアンタのような一人一種族とは正反対ね」
「ここにきてまた初めて耳にする単語が。でも分かるからいいや。つかそのままだし」
「なによ。違うっていうの?これまで私はアナタみたいな埒外の存在、他に見たこと無いわよ」
「そうか。お前のこれまでの長い長い生の中で、見たことが無いのか」
「おいこら鳥肉。ちょっと歯ぁ食い縛れ」
「もぐらっ」
淑女に有るまじきモーションと速度で振るわれた拳は正確にギンの頬骨を打ち抜いた。着弾からさらに力を込められ、拳が振りぬかれるとともにその身体は後方に吹き飛ぶ。
いや、もう後ろではない。気がつけばギンは彼女たちから見て真下に落下していた。ここは彼女の領域だ。座標軸程度捻じ曲げるのは容易いだろう。
「…………ッ!」
これまた淑女にはあるまじき首を掻っ切る動作を視界に収めたのを最後に、ギンの身体はスキマから放り出され、目の前で空間の裂け目は元通りに閉じた。
落ちた場所は遥か天空。そのままギンの身体は真下の山中に向かって落下を始めた。
★
別に今更高いところから落ちた程度で大したことにはならないけどさ。さっきの紫の左フックが予想以上に体の芯に響いてる。
くそぅ。こんなことなら拳を振るう直前の紫の必死そうな顔とか、遠心力で弾む胸とか、あのちっちゃな拳で殴られてみたいとか考えなきゃ良かった。
あれを避けていれば、
「貴様!何者だ!」
こうして四方を囲まれて剣を突きつけられることも無かっただろうに。
ばさばさと背中に携えた黒翼を羽ばたかせ次々と集まってくる山伏の格好をした、おそらくは天狗たち。鼻も長くないし顔も赤くない。夢を壊された気分だ。男でも変わらないのかよ。
ああ、天狗がこんなにたくさんいるってことはここが紫が来るって言ってた山か。恐らくあいつらは山の大将の元へ一直線ルート。俺はこうして地べたに這い蹲りながら三下どもとランデブールートってことですね。あのババア許さん。
「聞いているのか!答えろぉ!」
あー、はいはい。分かりましたよ五月蝿いな。野郎の叫びなんて聞いているだけで吐き気がしてくる。いや、女性の泣き叫ぶ声も聞きたいわけじゃないけどさ。
ぐだぐだと地面を転がっていた身体を引っ張り上げ、だらだらと立ち上がる。空には天狗、天狗、天狗。多すぎて羽ばたく時に抜け落ちた黒い羽根が酷いことになっている。あれには触りたくないなー。
軽く見渡してみるに、どうも俺は天狗たちの居住地区のど真ん中に落ちたらしい。ちらほらと木の上に家らしきものが見える。もっと隅っこに落ちていたらこんなことにはならなかったのに。
さて、余計な会話をするのも面倒くさいんで、ここは一気に走りぬけよう。
「一体何の騒ぎですか?」
「射命丸様!」
やっぱり止めた。
割られるように道を開ける天狗たちの向こうから、他の天狗たちとは違う色の帽子と僅かに装飾を施された服を着た少女が現れた。
剣は持たず、扇か何かを持っている。
「賊が侵入しました」
「その程度なんですか。力づくにでもここから叩き出して……」
目が合った。
俺はキラリと輝くような悩殺スマイルを繰り出した。
文は吐いた。こうかはばつぐんだ。
「久しぶりだってのに、随分と失礼なやつだ」
「……黙りなさい。何故アナタはここに侵入したのですか。ここが天魔様の治める地と知っての行いですか?」
「いやいや、俺だって来ようと思って来たわけじゃないよ。全部あの八雲紫ってババアが悪いんだ」
「八雲……アナタはあの方の知り合いなのですか」
「一応は。その天魔さんとやらのところに向かう途中で放り出された。天魔さん家って何処よ」
「アナタのような怪しいやつを天魔様の下へ向かわせるなんて、冗談じゃない」
「じゃあいいです。あいつらが来るまで待ってますんで」
よっこいしょ、と言って俺はその場に寝そべる。掛け声が年寄り臭いけど間違いなく年寄りなので気にしなーい。
ふてぶてしくもリラックスし始めた俺に、天狗たちも戸惑っているようだ。何人かは文に縋る様な目を向けている。
「…………はぁ」
疲れたようなため息を文は吐いた。そんな弱いところ部下に見せたら示しがつかないよ。
「……この男の身柄は私が預かります。貴方たちは警備に戻ってください」
「よろしいのですか?」
「いつまでも持ち場を離れている訳にもいきません。分かったら行って」
「はいっ!」
ぶわぁーっと蜘蛛の子を散らすようにいなくなる天狗たち。鴉天狗なのに鶴の一声とは。
「出来る上司って感じだな。でも、仕事と恋愛は両立させないとダメだぞ」
「……相変わらず、何言ってるか理解できないわね」
仏頂面で睨み付けられる。俺なんか悪いことしただろうか。
「おお、そうだ。はたてと椛とにとりはどうしてる?元気にしてるか?大きくなったか、背とかその他とか。おおっと」
稲妻のような勢いで繰り出された蹴りを転がって避ける。袴の裾から見えた!褌!
「何すんだよ。ただ成長具合を聞いただけじゃないか。あ、もしかしてあれか。お前追い抜かれたのか?えー、でもお前も結構育ったよなっと、っと、っと」
繰り出される連続攻撃。一本下駄の蹴りから抜き身の小太刀、どこかに仕込んでいたらしい飛び道具から手刀。さすがに扇は振らないらしい。周りへの被害もあるしね。
「ちっ。ちょこまか逃げやがって」
「ごめんごめん謝るから。ヘンなこと言ってごめんなさい。久しぶりにあいつらに会いたいんだ。頼むよ。な?」
「……椛は警邏中。にとりは少し離れた河に住んでるわ。一番近いのはたてのところね。ついてきなさい」
口ではとやかく言いながらしっかり案内してくれる文ちゃん大好き。びゅーんと飛んでいく文を見失わないように、俺も飛行する。アングルの確保に成功すれば飛行中はずっと覗ける。……くそっ、ガードが固い!
★
しばらくお空を飛んだ後、一軒の家の前に着地する文。俺も習ってそこに降りた。
「はたてー。ちょっと出てきなさーい」
ドアをガンガンとノックしながら呼びかける。そんなにしなくても聞こえるんじゃね。え、寝てるの?こんな真昼間から?
すぐに中からドタドタと足音が聞こえたので、外開きの扉から一歩離れる。
「ちょっと何よー、文。私今日は非番だから一歩も家から出たくないって言ったわよね。全く、休みの日は一日中ごろごろしていたいっていつも言ってるじゃな――い?」
顔を見せるなりまくしたてるように苦情を述べ、しかし途中で文の後ろにいる俺を見つけて言葉を止めた。
「お、おう」
以前会った時と比べて色々と成長しており再会が嬉しいはずなのだが、しかし俺に言えたのはこれだけだった。なんだろう、数年ぶりに帰郷したら子どもの頃の知り合いがニートになっていたのを知ったようなこの感覚。
はたては一歩踏み出し、ずいと顔を覗き込み、
「んー?あれー、どっかで見たような顔ねー。でも何処だっけ。思い出せないわ。最近なんか記憶力がア衰えてきた気がしてね。やっぱり年かしら……って、私はまだ若いわよ」
「うわぁ」
ぼっちにありがちな一人呆け突っ込み。誰も見ていないのに面白くもないことを言って自分で笑いもしないという非生産行動の極みだよ。
「残念ながら、はたてはアンタのことを覚えていなかったみたいね。お気の毒様」
「会って話したのは一度だけだし、それも何年前のことだと思ってんだよ。すぐに思い出せるほうがおかしい。あ、でもお前は覚えててくれたんだよな。ありがとう」
「……どういたしまして」
ぶすっとした顔の文はさておいて、とりあえずはたてとコンタクトを試みる。
「おら、お客様がいらっしゃったぞ。さっさと茶の一つでも用意せんか、この社会不適合者」
「は?アンタ何言ってんの?誰が不適合者よ。私はちゃんと働いてるっての!」
「自主休暇も多いけどね」
「文うっさい!大体誰なのよコイツは!」
指差すなこら。その指しゃぶるぞ。
「ちょっと!さっさと答えなさいよ!」
「なあ文、なんかコイツの張り切り方が面白いからしばらくこのままでもいいか?」
「あんまり放っとくと際限なく五月蝿くなるから駄目よ。それにはたて、人見知りのアンタが初対面のやつにそんなに強気に出れるはずが無いんだから、一度でも会った事があるのはすぐに分かるでしょ」
「ひ、人見知りじゃないわよ!そんな子どもみたいな!……う~ん、でも言われてみれば見たことがあるような無いような……?」
腕を組み眉根を寄せて思案顔。うんうんと唸って記憶を掘り起こそうとしているようだった。
……そして十分後。
「分かった!二十年前に引っ越していった近所のタカシくんだ!」
「残念外れ」
玄関口から聞こえてきた馬鹿の声をはたての家の床の間に居座りながら一蹴し、ずずずと湯飲みを傾ける。
正面に座る文は折角入れてやったお茶に手をつけず、呆れたように頭を抱えていた。
★
「いやー!懐かしいわね!本当に久しぶり!なによあれから元気にしてた!?」
「うん、ちょっと黙ろうか。その口閉じないといやらしい方法で強引に塞ぐぞ?」
「何馬鹿なこと言ってるのよ!」
バシバシと背中を叩かれる。これっぽちも痛くないけど横から盛んにもれる笑い声は関西圏のおばさんのそれを髣髴とさせる。テレビでしか見たこと無いけど。
「なあ文、これどうにかしてくれないか?」
「諦めなさい。そいつ人見知りなのは子どもの頃から変わらないけど、成長してある程度親しくなった相手にはやたら馴れ馴れしくなる性格になったのよ。懐かれてると思って納得しなさい」
「いや、友好的な証だって言うなら我慢するけど」
「ちょっと、文ばかりと話してないで私とも会話しなさいよ、ほら」
ばしばしと叩かれるのがウザかったので顔を鷲づかみにしてぐりぐりと揺さ振ってみる。ようやく大人しくなったな。
「んで、次は誰に会いに行くんだ?椛か、それともにとりか?」
「にとり、かしらね。椛は今哨戒中でしょうし」
「うんうん、あの子すごい仕事に真面目だから。お昼くらいに交代して休憩とるだろうからその時にでも会いに行きましょ」
「はいはい。それじゃあ川辺に行ってにとりに――あん?」
ぱっと顔を上げ横を向き、視線の先に広がる森林の一点を見つめる。つられて文とはたても同じ方を向いたが、まだはっきりとした位置は見定まっていないようだ。
だが俺にははっきりと分かる。今恐るべき速度でこちらに接近してくるものがある。
脚を肩幅に開き腰を落とし身構える。次の瞬間には襲い掛かっているかもしれない何者かの襲撃に備えて、万全の対応を取れるように。
そして、
「わぉおおおおおおおおおおおおおおお――――んんんんんっ!!」
「どーんとこーいっ!」
木々の間から飛び出してきた白い影をど真ん中から受け止め、素早く急所である頭と行動の基点となる腰を抑える。
「わうっ、わうっ、わうっ」
「おお、よしよし。暴れるなこら、落ち着けって」
「くぅん、くぅん」
「鼻面を擦り付けるな、くすぐったいから。ほらほら、もういいだろ、お座り!」
「わん!」
ぱっと俺の腕の中から飛び出し、空中で一回転決めてから地面に降り立ち座り込み、上手に出来たから褒めてと言わんばかりのキラキラとした目を向けてくる。
「良い子良い子。ほーれ、なでなでー」
「きゃいん、きゃいん」
首の辺りを優しく掻いてやると、気持ちよさそうに鳴きながら身体を摺り寄せてきた。はっはっは、愛い奴め。
「……何やってるの、椛」
呆然としながら文が口を開いた。ちなみにはたては口をあんぐりと開けてアホ面を晒していたりする。
さて、問いかけられた椛はといえば、一瞬だけちらりと文に目を向けるも、すぐに目を離し俺に尻尾を振り始める。
「ちょっと、無視しないでよ!ていうかアンタ仕事は!?まだ勤務時間のはずでしょ」
「……なんですかもう、横できゃんきゃん騒がないで下さい。貴女は犬ですか?」
「アンタに言われたくないわよ!」
「仕事なんて放り出してきました。私にとってご主人様よりも優先すべき事柄などこの世に存在しません」
「うん?なんか今聞き捨てなら無い単語が飛び出したよ?」
すぐにでも文と言い争いを始めそうだった椛の顔の前でぴらぴらと手を振る。キラキラとした目で見つめてくる。
ご主人様、って誰?……こっち指差さないでよ。え、俺?コクコクと頷かれた。
「理由を聞こうか」
「初めてあったあの日のことです。恐れ多くもご主人様に牙を見せようとした幼い頃の私をいとも容易く抑え込んだあの力強さ。そしてそんな愚かな私を許しずっと愛でて下さった深い愛情。あの日以来私はご主人様の『雄』の虜になってしまったのです」
「審議拒否」
ちょっと何言っているのか分からないです。ええ、俺には理解できません。
「ああ、そういえば椛ってばギンがいなくなってからしばらく塞ぎこんでたっけ。いやー、乙女ねー。道理で告白してきた男衆を片っ端から叩きのめす訳だわ」
「当然です。そこら辺の有象無象の男などご主人様と比べることすら相応しくない。ぶっちゃけ眼中に無いですね」
うん、ご主人様、って素敵ワードで呼ばれることは小学四年からの夢だったけど、実際に呼ばれてみると結構くすぐったいね。
というかこれはちょっとヤバいかもしれない。これは傍から見たら俺が椛にあの呼称を強要しているのではないかと思われるかもしれない。主に身内に。
参ったな。これは下手をしたら以前紫と藍と天華が風呂に入っているのを覗いているのがバレた時のように一週間おやつ抜きとかにされるかもしれない。それは嫌だ。でも泣いて謝っても天華は許してくれないんだよな。
苦渋の決断だが仕方ない。
「椛、お手」
「わんっ」
「じゃあこれから俺のことはギンと呼ぶように」
「はい、ギン様!」
びしっと敬礼を決めた。
ドヤ顔が可愛かったのでつい頭を撫でてしまった。