目の前で轟々と荒れ狂う雪。分厚い雲によって覆われた灰色の空。寒風に耐えるように身を寄せ合う黒白の羽毛たち。そしてその羽毛の足元で呆然とする灰色の俺。
つまり、おっほん。
――目が覚めたら、体がペンギンになってしまっていた!
……てな感じです、はい。俺にもワケが分かりません。
いや、犯人は分かっているんだ。犯人はあの幼女に違いない。おのれ、次会ったら胸揉んでやる。まあ、揉めるような体積も無いだろうけどな!
おっと、話が逸れた。いけないいけない。現実逃避はひとまずやめよう。
現状において確かなことは、俺の体が以前のものとは大きく違うということだ。視線が低すぎるし、手も小さい羽。歩こうにもチョコチョコとしか歩けない。ええい、もどかしい。
上を見上げる。視界にこれまた小さい嘴が入るが無視。出来るだけ首を上に傾けると、どうにか他のペンギンたちの顔が見る。こんだけ高いって事は、俺はまだ雛ってことなんだな。
というかペンギンがいるって事は、ここは南極ということになる。動物園とかじゃないってのはなんとなく、空気で分かる。
…これは一体どういうことなのだろうか。人間からペンギンに。日本から南極に。どちらか一方でも有り得ないことなのに、それが同時に来るとか。冗談でも笑えない。精々苦笑いだ。
さっきは軽い感じで「犯人は幼女」とか考えたけど、果たしてそれはどうなのだろうか。確かにおかしな幼女だったが、こんなことが出来るのだろうか。そして、俺をこんな目に遭わせた理由とは……?
「…………」
…………無理。分からない。というか考えもつかない。さらに頭も回らない。お腹減った。
考えるのは後からでも出来る。でも、この空腹はどうしようもないんだ。だから。名も知らぬ親よ、俺にご飯を!
ぴーぴー鳴いてたら、何処からかやってきたお母さんらしきペンギンがミルクをくれました。お腹は膨れたけど、代わりに何か大切なものを無くした気がする………
★
――ペンギンになって、永い年月が過ぎた……気がする。時計なんかねーから分かんねーんだよ。
具体的な数字なんかは分からないが、まだ小さな雛だったペンギンが成長し、毛が生え変わり、番をつくり、そして新たな命を生む。このサイクルが優に200回ほど繰り返されるのを見てきたから、大体そのくらい。
その間俺は何をしていたのかというと、まあ泳いだり、餌をとったり、適当に歩き回って探検したり、エンカウントしたシロクマやアザラシ、珍しいところではシャチなどと戦い、勝利しては肉を美味しく頂いたりしていた。
……いやさ、うん。おかしいのは俺も知ってる。仕方ないじゃん。他にすることもなかったんだから。一人ぼっちだったし。
俺の事を周囲が不審に思い始めたのは、恐らくだが生まれてそこそこ日数が経った頃だと思う。他の子ペンギン達は体も成長し、早い固体では体の毛が生え変わっていた。対して俺は全くといっていいほど成長せず、いつまでも雛の状態に近かったのだ。
ペンギンに限らず、野生の動物達というのは移動を繰り返す。外敵から身を守るために。サイズが小さい、つまりは歩幅が短い俺は、よほど頑張らなくては置いてけぼりにされてしまうのである。最初のうちは両親が助けに来てくれたが、親が老い、そして死んでしまうと、それでもまだ小さかった俺を迎えに来てくれるような奴はいなかった。俺は一人になっていた。
そして、気付いた。当然のように天敵である動物に襲われた時、とにかく我武者羅にあがいていたら相手を殺していたことに。それが出来るほどの力があったことに。
力がどのくらいかを知るため、同時に日々生きていく糧を得るため、俺は海に出た。滅茶苦茶すいすい泳げた。
身体能力もさることながら、それとは別にもうひとつ、体の中に得体の知れない力があり、それは月日が過ぎていく度に強くなっていた。ある日思い切って、その力を体全体に流すようにしてみたところ、もう馬鹿みたいに強くなった。ドリルくちばしでシロクマを貫通できるほどに。
それだけの力があったことが、俺が南極の過酷な生存競争を勝ちあがってこれた理由だろう。今ではもう、ここら辺の動物は俺を見るだけで怯えて逃げるくらいだ。俺も鬼ではない。立ち向かってこないというならこちらから追いかけることもしないのだ。
強くなり、また強くなり。それでも成長が芳しくないマイボディにうんざりしていたが、ふと、思いついた。天啓ともいうべきか。
そうだ、日本に行こう、と。
うん。案外悪くない。今となってはペンギンの身だが、元はただのジャパニーズピーポーだったんだ。ここでやることが無いのなら、故郷に帰るのもいいではないか。
雪原のど真ん中で座り込み、短い両羽を組んで考えていた俺は立ち上がり、俺の事を知らないのか、はたまた油断している今なら殺れると思ったのか、忍び足で歩み寄っていたアザラシを秒殺してその肉を腹にたらふく詰め込み、全速力で滑りながら海へと向かい、勢いを留めることなくダイブした。
そして、泳いだ。適当に。そして、迷った。必然に。
方角を確認しなかったのが敗因だったか、泳げども泳げども陸が見えてこない。3日間ほどあても無く泳ぎ続けてから、ようやく太陽を目印にすることを思いつき、さらに泳ぎ続けること約一週間。俺はようやく陸地を見かけた。というか村らしきものもあった。
水面から少しだけ顔を出し観察してみると、住民は全員黒髪黒目。他のアジア系人種という可能性もあったのだが、俺は直感した。「ああ、日本人だ」と。安堵してあやうく溺れるところだった。
海からいきなりペンギンが出てきたらビックリするだろうと思い、夜を待ち、村から完全に灯りが消えたのを確認してから俺は上陸した。久々の砂の地面の感覚に、不覚にも泣きかけた。
ここまでくるのに約十日。不眠不休泳ぎ続けた。いくら身体能力を強化していたとしても限度がある。俺はかなり疲弊していた。
ふらふらとおぼつかない足取りで、俺は休める場所を探した。
不意に、鼻腔に甘い匂いが漂ってきた。どこかで嗅いだ事があるような、とても懐かしい香り。ふらふらと吸い寄せられるようにして匂いの許へ近づいていく。
疲労はピークに達しており、視界はもう映っていない。一番匂いが強くなった地点で、俺は力尽きるように倒れた。
――あ、この匂い。……花の、香りだ…