清水の流れ。山間を流れるそこそこ大きな川。岩魚や鮎が泳ぐその間を、猛烈な速度で通り抜ける影が一つ。
ペンギンである。
花妖怪の彼女との感動的な(本人はそう思っている。いや、そうであって欲しいと願っている)別れからしばらく。偶然たどり着いた川を見たペンギンことギンは南極時代の血が騒ぎ、いても立ってもいられず川に飛び込んでスイスイと爆走、というか爆泳中である。
尚、先日彼が人型になったときの妖力の暴走的なものだが、アレはどうも一過性のものだったらしく、しばらく経ったら治まってしまった。例えるなら、そう………えっと、いい感じなのが浮かばないのでやっぱり無しで。
とにかく。身に宿る力を持て余すことも無くなったギンだが、幽香のもとへは帰らない。いや、帰れないのだ。
そう、彼は………帰り道が分からなくなってしまったんだ!
適当に飛んだのが失敗でしたね。一通り発散して賢者のような落ち着きっぷりを見せたときにそのことに気づき、真っ青になりました。
まあ、あれだけカッコいい事言っておいてほんの数日で戻ってくるのもアレなので、丁度いいやとばかりに彼は日本全国津々浦々の一人旅を始めたのである。ぶらぶらしてればそのうち幽香にも会えるだろ、と楽観視しながら。
「ペーン!ペンペンペン!」
凄まじい量の水飛沫を上げながらペンギンは泳ぐ。上下左右に動き回り、水中でクルクルと回転したり、泳いでいる小魚を背後から襲って一呑みにしたり。もうやりたい放題である。久々に泳げて嬉しいのか、大声で鳴くギン。声に驚いて鳥が逃げても気にしない。
川原や川底にある石が徐々に丸みを帯びていく。流れに沿って泳いでいるペンギンはいつの間にか山の上流から中流にまでたどり着いてしまったようだ。
と。ここでペンギン一息に深く潜ったかと思えば、次の瞬間には猛烈なスピードで水面を飛び出していた。水滴を撒き散らしながら回る姿は中々様になっている。点数をつけるとすれば十点十点十点と――いや、良いとこ8.1、7.6、7.9ぐらいだろう。世界の壁は厳しいのだ。
弧を描き水面へ落下していくペンギン。そして彼が落ちるであろう地点にはちょこんと岩が鎮座していた。彼は気付かない。そして――ゴンッ!
聞いてるだけでこっちが痛くなるような鈍い音を響かせ、ギンはそのまま数秒間その状態をキープ。ふわっと吹き抜けたそよ風に押されるように傾き、ぽちゃんと水面に落ちる。
「………」
頭にでっかいたんこぶを拵えたギンはそのまま川に流されていく。途中にある岩に何度も体をぶつけながら、やがて川岸に打ち上げられた。彼の目は覚めない。
しばらく経って。彼の後ろでがさがさと梢が揺れる。茂みを割ってそこからひょっこり顔を覗かせたのは一人の少女。少女は川辺で倒れているペンギンを見て、
「これは…放っとけないね…」
★
――ゆっくりと、瞼を押し上げる。思考が定まらない。
あれ。何で俺寝てんだ。最後に憶えてるのは視界を流れていく風景と周りを飛び交うお星様。まったく思い出せん。
体にかけられていた毛布を脇に除け、きょろきょろと周囲を見る。なんというか、古き良き日本家屋そのままって感じだな。囲炉裏なんて俺始めて見たよ。
炭火に手をかざしながら暖を取っていると、
「あ、気がついたんだね。よかったよかった」
奥のほうから湯飲みを二つ持った少女が現れた。服が青けりゃ髪も青い。幽香の緑色もそうだったが、この時代の毛髪の色はどうなっているんだ。まあ、俺もやや人のことは言えなくなったんだが。
「ちょっと待っててね。今お茶請け持ってくるから」
そう言って再び奥に引っ込んでしまう少女。忙しないなー、思いつつお茶を啜る。
ちょっと経って、
「お待たせー…って誰!?」
「失礼な奴だ」
人の顔を見るなり叫びやがって。俺が人型になっていたというのもあるけれど、それは流石に驚きすぎだろう。
人になった俺の姿は、ペンギンになる前の自分とほとんど同じだった。唯一違うのは髪で、灰色の髪から白と黒の髪が二房飛び出てる。なんだろう、ペンギンのオマージュ?
「まあ立ち話もなんだし座れよ。話したいこともあるし」
「あ、はい…」
自分の家だというのに言われたとおりに座る少女。おいおいそれでいいのか、と考えつつ煎餅をばりぼり。
「あの…もしかして、さっきの鳥さんですか?」
「もしかしなくてもそうだよ」
答えつつ、鳥さん、という呼び方についつい笑みが浮かぶ。湯飲みを傾けてそれを隠す。
「自己紹介がまだだったな。俺はギン。一応妖怪だ」
「やっぱり…私は河城にとり。河童です」
「……!」
少女、いや、にとりか。にとりの言葉に少しばかり目を見開く。
河童。にとりの姿を穴が開くほど凝視して脳内へ刷り込んでみる限り、よくある絵のように肌が緑で水かきがあって甲羅を背負っている、などといったことは無いようだ。では残りの、両手の骨が繋がっているとか、元は藁人形だったとか、人や馬の尻子玉を抜くとかいった話はどうなのだろうかと、少女のB・W・Hに視線を固定させながら考える。
…………ん?そういえば、河童といえばこれ、と言われるほど有名な、河童のお皿と言うのはあるのだろうか?
「…………」
「えっと…なんですか?」
「悪いことは言わない。大人しくその帽子を脱げ」
「ええっ!?」
ばっと両手で頭を押さえるにとり。しまった、と思う反面、そうやって隠されると余計に見たくなるのが
しかし、そう長くは持たない。あっという間ににとりは部屋の隅に追い詰められてしまう。
「ふっふっふ…」
「うぅぅ…」
指をぐにゃぐにゃと卑猥な動きをさせる俺と、隅っこで丸くなり震えるにとり。目の淵に溜まる僅かな滴に異様なほど興奮するが……何故だろう、なんやかんやでこんな犯罪チックな場面が出来てしまった。どうしよう、こんなところ人に見られたら――しまった、これはフラグ!
「にとりー、い…る……」
「……」
がららと引き戸を開けて家の中に入ってきた少女とばっちり眼が合ってしまう。ぱちぱちと目の前の光景が間違いではないかと瞬きを繰り返す少女だったが、やがてそれが真実だと悟ったのか、にっこりと笑う。やだカワイイ。
直後、吹き荒れた暴風が俺の体を吹き飛ばした。
★
「ふ~ん。つまり、助けた妖怪に襲われかけた、と」
「い、いや、だから…」
「黙ってなさい変態」
無言で押し黙る俺。別に彼女のゴミを見るような視線の冷たさに背筋がゾクゾクした訳じゃない。断じて違う。本当なんだ、信じてくれッ!
「うるさい」
「…はい」
いつの間にやらもぞもぞと動いていた体を止め正座の体勢をキープ。仁王立ちで正面から威圧してくる少女は鋭い目で俺を一瞥し、視線を横にいるにとりにもどした。その視線は優しい。
ちょっとくらい俺にも優しさを分けてくれ、とは思うものの、やはり悪いのは俺なのでこの状況には甘んじる。
どうもこの少女――にとりとの会話から知ったところでは文とか言うらしい。苗字は知らん――はにとりの友達らしく、暇だから遊びに来たところ親友が得体の知れない男に襲われかけている場面に遭遇したという。だから襲ったんじゃねーですって。聞いちゃくれない。
「…なあ文、ダルいから足崩していいか?」
「気安く名前で呼ばないで。それにダメに決まってるでしょこの変――って、もう崩してるじゃない!」
まあまあ、と。憤った様子の文をなだめつつ、脇においてあった急須から文の湯飲みに茶を注ぎ、ついでに俺とにとりの湯飲みにも新しく淹れ、にとりの帽子の中身を確認し、煎餅を全員の真ん中においてから座りなおした。
「待ちなさい。今明らかに余計な動作が含まれていたわよ」
「え?え?」
気にしない気にしない。煎餅をばりぼり。
「そういや聞きそびれてたんだけど、何で俺にとりの家に寝かされてたの?」
「川辺に打ち上げられてたんだよ、頭にでっかいたんこぶ作って。あの辺は妖怪も出るし、放って置けなくて」
なんと。そんなことになっていたのか俺。ぱっと手を頭に当てるが特に腫れてる場所も無い。どうやら治ったみたいだ。妖怪の回復力に感謝。
「ああ。そういえば文にはまだ自己紹介してなかったな。ギンです。よろしく」
「ったくアンタは……私は射命丸文。鴉天狗よ」
天狗とな。その割には肌は抜けるように白いし鼻も普通だ。にとりの頭に皿が無かったことといい、民間の伝承には間違いがあるんじゃないのか。
というか、妖怪の美少女率が高い。幽香は言わずもがなだが、にとりと文もかなりのものだぜこれは。二人を見比べるに文の方がやや年上っぽい。年齢などが人間に比べて桁違いな妖怪なのだから、一見五歳くらい違うように見えても実際は云百年離れている、なんてこともあるのだろう。やはり年齢の差か、ボディの凹凸にも明らかな差がある。
「…何かしら、邪な気配を感じるわ」
「私もだよ…」
「そうか?俺は感じないぞ」
文の背中の翼に目をやる。すげぇな、きっとあの翼で空とか飛ぶんだぜ。いいなぁ…所詮俺は飛べない鳥さ。
いーよーだ。別に。代わりにメッチャ泳げるし。それにペンギンは子ども達のアイドルだし。カラスはゴミステーションで生ごみ啄ばんでる様な奴だし。
「…何かしら、物凄く不快な気分なんだけれど」
文が何かしらつぶやいていたが、気にせず湯飲みを煽った。
「本当にこの変態は……ちょっと本当に大丈夫なのにとり?こいつ、アンタが一人で食べようとこっそり隠してそのまま二、三ヶ月放置してた魚みたいな目してるわよ」
「大丈夫だって。文は心配性だなもう」
苦笑いするにとり。というか文よ。そんなに俺がこの家にいるのが危なく感じられるのか。やれやれ。
まあいいか。お茶も飲んだことだし。そろそろお暇させてもらおう。
「それじゃな、にとり、文。俺はそろそろいくわ。邪魔したな」
「ええ。本当にね」
「ちょ、ちょっと文…最後までゴメンね。気を悪くしないで、良かったらまた遊びに来てよ」
「おう、あんがとな」
最後まで一貫して態度の変わらない文に苦笑いしながら、立ち上がろうとしたところで、再び家の扉がガララと開けられた。
「文さーん、ここですかー?」
「文ー、呼ばれてるわよー」
犬耳とツインテールがやってきた。
★
いきなりのことに少々面食らったが、人が増えたことには変わりは無い。すぐに帰るかもしれないが、それでもお茶の一杯くらいは出しておくべきだろう。そう判断した俺は家の奥に行き、戸棚から新たに湯飲みを二つといくつか茶菓子の追加を手にして再び居間へ戻ってきた。
「ちょっと待って!何で当たり前のようにお茶の用意をしてるの!?いつの間に私の家の間取りを把握したの!?」
にとりが目を見開いているが無視。とりあえず煎れたお茶を犬耳とツインテールに差し出す。
「………」
「な、何よアンタ、別にお茶なんて頼んでないわよ!」
たった今までなにやら文に耳打ちされていた犬耳はこちらをじっと睨み、ツインテールはにとりの背に隠れながら精一杯虚勢を張っている。場の雰囲気がさらにカオスになってきた。嫌いじゃないけど。
と。目つきを鋭くさせたままの犬耳が立ち上がり、ずんずんと歩いて俺の前に来た。一言物申したいことがあったのか、ぶっちゃけ俺の座高よりやや高いくらいのちんまりした体躯を偉そうにふんぞり返らせて、何か言いかける。
だがしかし、目の前に格好の
「きゃうんっ!?」
びくんっ、と跳ねる体。しかし俺はそれどころじゃない。ふさふさの犬耳の独特の感触に心を奪われていた。そういえば近所の犬コロはこうしてやると喜んだよな、と思いつきのまま空いていた反対の手で首筋から顎にかけて、優しくゆっくりと撫でる。撫で回す。
「く、くぅぅうう~」
へにゃへにゃと。さながら垂直に立てた紙が倒れるような軟体動物っぽい動きで膝から崩れ落ちる。そしてオン・ザ・俺の膝。これも膝枕というのだろうか。膝の上で丸くなる犬耳の髪を梳いたりしながら愛でる。
「アンタ椛に何してるのよ!」
「アハハ…すごいね、あっという間だったよ」
「う、うぅ…」
文は怒り、にとりは苦笑い。そしてツインテールはいつまでにとりの後ろにいるんだ。
「というかお前、椛っていうんだ」
「はひぃ…そ、そうれすぅ…」
正直に答えたご褒美に撫でる速度を二倍にする。湿っぽい声を発し続ける椛を無視し、にとりの後のツインテールに名前を尋ねる。
「え!?え、えと……ふ、ふん!人に名前を聞くときは、まず自分から名乗るのが「それもそうだな。んじゃ、俺の名前はギンだ。よろしく」っ、……ひ、姫海棠はたて…よ」
強気に出ようとしたはたてだったが、すぐに潰す。結果、名乗りが徐々に尻すぼみになっていった。その縮こまる姿を見ていると、なんだか悪いことをしたなという気持ちに。まあそれと同じくらいにムラムラしてるんだけど。
んでまあ、それからしばらく雑談に興じた。しばらくうじうじしていたはたてだったが、なんだか吹っ切れたらしくにとりの背中から出て一人で一角に座った。
席順としては囲炉裏を中心に玄関方面ににとり、正面に俺(&椛)、右に文で左にはたて、という陣形に落ち着いた。お茶を飲み煎餅をかじりながらくだらないことを話す。
主な収穫として、この山の中にある天狗の里について結構知ることが出来た。文が守秘義務があるといっていたが、そこは俺の巧みな話術で洗いざらい吐かせた。あとは椛が犬ではなく狼だというのを知ったりとか、俺の本当の姿を見せたらもみくちゃにされたとか。そんな感じ。
そんな折、ふと俺が、
「そういや、椛とはたてって文のこと探してなかったか?」
はたてと…何故か文はしばらく固まり、そして再起動すると共に声を上げた。
「あ~!そうだった!文のこと探してくるように頼まれたんだった!」
「そういえば、私、にとりのところにはお魚分けて貰いに来たんだった!」
おいおい文もかよ。うっかりし過ぎだろ天狗族。ほら椛も、用事があるんだろ?さっさと行け。
………そんなうるうるした目で見たってダメです。ほら、俺が鼻血を噴射する前に膝から降りなさい。その綺麗な白髪を血で真っ赤にはしたくないだろ?
………こらこら、そんな事言っちゃいけません。何処で憶えて来たんですか。「あなた色に染めて」だなんて。そんなこと言われたらただでさえ少ない俺の理性がガリガリと削れていくじゃないか。
………ああこら、止めなさいって。俺の服に体をこすり付けないの。マーキング?嬉しいけど、凄く嬉しいけど、待ってくれ。見てるから、三人がこっちガン見してるから。顔真っ赤にしながらも見てるから。
………いや、見せ付けてるって。そういうのじゃないだろコレは。だから止めなさいって。待て!椛、待て!よし、いい子だ。
………頼まれごとがあるんだろ?だったらそれをさっさと済ませなさい。それに、もうすぐで暗くなるから、大人しく里に帰りなさい。俺?俺はこのままお暇させてもらうよ。風来坊だし。
………お別れしたくないって、そんなこと言うなよ。皆も悲しそうになっちゃったじゃん。大丈夫だって。また会えるって。また会いにくるから。その時にまた遊ぼうな?
………平気だな?泣かないな?よしいい子だ。それじゃあ、さよならだ。三人も、今日は楽しかった。ありがとな。
………そんなに怒るなよ、文。つい椛と同じ感覚で撫でちゃっただけじゃん。まあイヤだって言うなら仕方ない。俺の両手はにとりとはたての為に使う。ほら、よしよし。
………冗談だって。そんな拗ねんなよ。ほ~ら、わしゃわしゃわしゃわしゃ!あはははは!髪ぼさぼさ…うわ、ちょ、危なっ。掠った!掠ったって!
………ふう、危なかったぜ。あやうく襤褸雑巾のようになるところだった。まあ無事だったからよしとしよう。それじゃあ、みんな、
「またな」