黒く塗りつぶされた空を僅かに欠けた月と星々が照らす夜。とあるところにある深い森の奥深く、人が足を踏み入れればもう二度と抜け出ることは叶わないほどの深奥部にて、二体の妖怪が対峙していた。
一方は、鬼。自らの強さに誇りを抱き、信念と矜持を持って戦う気高い鬼とは違い、自らの思うがままにその力を振るい、弱き者達を虐げる、まさに「鬼」という字が表すままの妖。
対するは、一見すれば普通の人のように見える。時代錯誤のロングコートを翻しながら鬼に対峙する姿にはある種の風格すら備わっていた。身の丈二十尺はあろうかという長躯の妖物に立ち向かうには頼りなく見える体躯ながら、しかしその不安を感じさせないほどの気迫に満ちている。
……いえまあ散々言葉を並べたわけですが、結局のところ後者のほうはペンギンですけどね。皆さんご存知の妖怪ペンギン。
無気力・自堕落・無関心(美少女は例外)の三拍子そろった彼がなぜこんなバトル展開に身をおいているのかというと、ぶっちゃけ成り行きである。
夕餉のための食料集めをしていた彼は森に入り、木の実や野生の動物をとって食おうとしていた。獲物に定めた鹿を追っているうちにどんどん森に入り込み、気づいたらこの鬼のテリトリーだったというわけである。バカだろコイツ。
おっと、そうこうしている内に戦局に変化があった様です。鬼が野太い咆哮をあげながら拳を振りかぶり、ペンギン目掛けて振り下ろ――そうとした瞬間、ペンギンの蹴りが腹に入り吹っ飛んでいきました。
ガチバトル漫画か、さもなくばギャグ漫画のように滑空した鬼は、背後に聳え立っていた大木に激突。めり込み具合が今の蹴りの威力を物語っている。
どうもタフらしい鬼が頭を振りながら立ち上がり……今度は横っ面を蹴り飛ばされた。再びボールのように飛ぶ鬼。進行方向の樹にぶつかる寸前。真上に現れたギンに今度は地面に叩きつけられた。凄まじい勢いで落下し、バウンドしたところで上へ蹴り上げられ、頂点に来たところで腹に膝を叩き込まれていた。
そこからはもう三次元ピンボール。鬼は手も足も出ない。やめたげてよぉ、とは微塵も思わなかった。
そうしてスコアが二千点ほど溜まった頃だろうか。上空から地面に叩きつけ、落下エネルギーを利用したドロップキックをぶち込み、ギンは一旦離れた。
そこら辺の妖怪なら内臓破裂どころか四肢が爆散しててもおかしくない怒涛の連撃。しかしながら鬼はちょっとキモいくらいにタフだった様子。腕と足を一本ずつあらぬ方向へ捻じ曲げながらも立ち上がり、歯が幾本も欠けた口から聞くに堪えない怒声を上げ、血に塗れた強面を以ってギンを睨み付けた。
「うわ、ウザ」
ぼそり、と。うんざりしたように呟いたペンギン。当人としては大した攻めをしたつもりではないのだが、この調子だと普通に蹴り殺すには手間がかかりそうだった。ただでさえ未だ飯を食っていないし、そろそろ瞼が重くなってきた。これ以上長引くのは面倒くさい。
仕方ないか、と頭をかきながらぼやいた。ドスドスと喧しい音とともに走る鬼をダルそうな目で見据える。一瞬のうちに鬼の懐にもぐりこみ、瞬きするよりも短い時間で、人体で言えば鳩尾に当たる部位に蹴りを叩き込んだ。
瞬間、蹴られた箇所を始点にし、徐々に鬼の体が氷に包まれていく。やがて全身が凍りつき、氷像と化した鬼は自然に砕け散った。
ふぅ、辛い戦いだったぜ、と嘯き、浮かんでもいない汗を拭う動作をしながらギンはその場を離れた。厄介な相手はいなくなったのだ。さっさと飯食って寝よう、と考えながら。
―――『ありとあらゆるものを凍結させる程度の能力』
この能力こそ、たった今起こった摩訶不思議な現象の要因である。
きっかけは数週間ほど前。森の中に捨て置かれた廃寺に一泊したギンは、ぼろぼろの壁にあいた穴から差し込む光に強制的に覚醒させられると同時に、突如脳裏にこの能力が浮かび上がったのである。
なんだ、また中二病が発症したのか、と思ったギンだったが、何の気なしに、物は試しにというような軽い気持ちで『この寺丸ごと凍りつけ』と念じながら床に手を置いた。
そして、一瞬で廃寺は氷のオブジェに変貌を遂げたのだ。
その時のギンの表情といったらもう爆笑モノ。背中には「ぽかーん」という擬音が浮かんでいそうだった。
まあまあ、そんな外野からの感想はさておいて。凍りついた廃寺を放置し付近で数回実験を繰り返したところ、その能力がただの妄想の産物ではないことがようやく理解できた。
ありとあらゆるものを凍結させる程度の能力の概要を説明すると、まずは凍結――要は凍らせたいものを指定する。口頭でも思念でもいい。あとはその後に凍結しろ、とつければそれでカチンコチンになる。冗談半分に「○○凍結しろ」とかでは発動しない。
蛇足として、口頭で宣言したほうが能力の質が上がるというのもある。具体的な実例として、河川を凍結しようとした場合、念じるだけでは(妖怪の視力で)見渡せる範囲のみだが、口に出せば上流から下流まで一気に凍らせることが出来る。確認作業のほうが大変だった。あ、あと氷の塊をいくらでも出せます。冷蔵庫サイズから氷河級まで。
この能力の発現はギンの旅路において非常にメリットになった。
なんと、この能力のお陰で手軽に保存食を作れるようになったのだ。ただ多めに獲った食材を凍らせてるだけなんだけどね。それでも以前に比べれば食糧問題は大幅に改善された。自らの妖力や気配を凍結すれば、獲物となる野生動物にも接近しやすくなったのだ。もうこの能力様様である。
ただ…知ってか知らずか、その気になれば地表の約70%を占めている海洋のおよそ5割すらも(つまり地表の大体何%でしょうか?)氷のうちに閉ざすことも可能な程の(現時点で)強大な能力を、主に食い物関係にしか活用しないというのは……宝の持ち腐れが過ぎるだろう。
ま、本人(本鳥?)がいいならそれでいいか。
★
『最近、ずっと誰かに見られている気がする』
ここのところ俺の頭の片隅に、ずっとこびり付く疑問である。……いや、被害妄想とかじゃないっすよ?
妖怪を蹴り殺した時にどこからか拍手が聞こえたり、夕飯に鹿の足を丸焼きにして岩塩から削りだしたお手製の塩を振りかけているとどこからかお腹の鳴る音がしたり、水浴びをしている時なんかはどこからかゴクリと唾を飲む音がしたり。最後のはマジで勘弁して欲しい。どこ見やがった。
そんな生活が数週間は続いて鬱憤とフラストレーションが溜まりに溜まり、これ以上ストレスがマッハ状態が続くのなら明日にでも四方八里を氷土に変えてあぶり出してやろうか、と思考が危険な方へ傾きだした夜のことだった。
ソイツは突然、俺の前へ姿を現した。
「御機嫌よう。いい夜ね」
突如として空間に出来た裂け目から出、その縁に腰掛けた彼女は口元に浮かぶ胡散臭い笑みを隠すように扇子を広げた。流れるような金髪が橙光に照らされ、身に纏う黒紫のドレスと相まって幻想的な雰囲気を醸し出している。
白い手袋と腕にかけた日傘はまるで中世の貴婦人のようで。そんな彼女は底知れない眼を俺に向けていた。
しかし。俺はいきなり現れたその女性に一切動じることなく、ただ悠然と、
「あの、格好つけてるところすいません。焚き火の上にいるせいでドレスの裾がちょっと焦げてます」
★
「………」
「………」
俺達の間に言葉は要らなかった。気まずくて喋れないという意味でだけど。
静か過ぎる空気に落ち着くことができない俺の対面には俯き黙り込んでしまった少女がいる。今となっては後悔している俺の指摘に顔を真っ赤に染め、そそくさと裂け目の中に引っ込んだかと思えば、別の箇所に現れた裂け目から今度はしっかりと体を出し焚き火をはさんだ正面に座って以降、彼女は口を開こうとしない。
う~ん。個人的にはこのままでもいいんだけど、彼女凄い美人だし。美女と一夜を共にする。嘘は言ってないよ。
でも、どうしても聞きたいことがある。
「なあ、ひとつ確認したい。ここ最近俺の事を見てたのはお前か?」
「……ええ、そうよ」
どうやら立ち直ったらしい彼女が事も無げに言い切った。お巡りさん、コイツです。
というか、やっぱりストーカーはコイツだったか。さっき見たあの裂け目みたいなの使えばずっと監視するのも可能だろう。ところでさっきチラッと見たらあの裂け目の中は目玉でいっぱいだったんだけど、平気なんだろうか。見られたい側の人なんだろうか。見たり見られたり忙しい。
「それで?付回してたからにはなんか俺に用でもあるんだろ」
「あら、随分と急かすのね。せっかちな男は女性に嫌われるわよ?」
「いや、頑張ってるの分かるんだけど、ぶっちゃけさっきの見た後だと滑稽にしか見えないぞ」
「………うぅ」
正直な気持ちを吐露したら真っ赤になって押し黙ってしまった。またやっちまった!でもかわいいからいいや。
押し殺しきれなかった笑いがぐふっと漏れると、赤くなった少女はジト目で睨んできた。ゾクゾクするね。
「…はあ、もういいわよ。もうどんなことをしても笑われそうだから。さっさと話を進めましょ。私は八雲紫。妖怪よ」
「俺はギン。妖怪だ。まあ知ってると思うけど」
「そうね。貴方最近噂になってるし。やたらと強い妖怪がいる、って」
「え」
さらっと何か衝撃的なことを口走る紫。俺の聞き違いか紫の勘違いであってほしいなコンチクショウ。
「貴方自分の事なのに知らないの?各地の妖怪を次々と倒す妖怪がいるって、名のある妖怪から木っ端妖怪、人間でも一部の陰陽師たちが貴方のことを話してるのよ。私はその噂を聞いて、貴方に接触しようって思ったの」
「ちょ、おま」
姉さん、事件です。気づかないうちに俺が一躍時の人に。絶対これは面倒くさいことがおきるフラグだろ。見かけたら即行でへし折りに行かないと。
「何でそんなに気落ちしているのかは分からないけど、話を聞いて。私は貴方にお願いをしにきたの」
紫は居住まいを正し、まっすぐに俺の目を見て言った。
「私の夢の成就に協力してほしいの」
「…夢?なんだ、お嫁さんにでもなりたいのか」
軽いジャブとしてボケてみると、紫は赤面しながらふざけないで、と睨んできた。意外に純情なのかも知れない。
しかし、夢。夢ねえ……
「どんな夢か言ってみろ。内容次第じゃ考えてやらんことも無い」
「妖怪と人間が共存できる世界を作りたい。それが私の夢よ」
スケールが半端じゃない。もっと緩いというか、子どもが考えるようなシンプルな願いかと思ってた。もしくはあれだ、復讐とか。
「…やっぱり貴方も馬鹿馬鹿しいと思う?」
「いいや別に。でっかい夢はいいと思うよ。抱く理想は常に高くあるべきだ。確かにその夢を叶えるのは非常に難しいだろうが、まあ夢見ちまったなら行けるとこまで行ってみろよ」
で。
「その口ぶりからすると、他にこのことを聞かせたやつにコケにされたことでもあるのか」
「ええ。何人かの高名な妖怪に話してみたんだけれど。いい返事を聞かせてくれたのはほんの一握り。ほとんどからは馬鹿にされたわ。『世間を知らない若造の戯言』『妄言を吐くにも程がある』とかね」
「んー、そうなってくると俺に声をかけたのにも何か理由がありそうだな。いくら権力者たちに袖にされたとはいえ、だからって俺みたいな野良妖怪をわざわざ探し出して話をする必要もないだろう」
「…驚いた。貴方、なかなか頭も切れるのね」
紫が大層驚いた顔をする。俺はそんなに阿呆に見えるのだろうか。もしかして脳みそ空だと思われているのか。
「私がどうしても貴方にこの話をしたかった理由。それはねギン、貴方が人間に友好的だと思ったからよ。いくつもの村を妖怪の脅威から救った貴方は少なくとも人間のことを憎からず思っていると考えたの」
「そうか」
一通りの話を聞き終え、俺は黙考する。腕組みをして首をひねり、唸り声。とりあえずは形から入ってみた。
紫は期待した目でこちらを見ている。隠そうとしているのだろうが、体がやや前のめりだ。待ちきれない子どものようだ。
「はっきり言うぞ、紫。お前の夢、実現するのはかなり難しい。人間と妖怪は根本的に相容れない」
「それは分かってる。でも…」
「妖怪は人の恐怖から生まれる。そして妖怪は人を食う。そしてなにより、人が妖怪を恐れている。お前は知らないだろうが、今まで俺が救ってきた村の中には俺が妖怪だと知った途端手のひらを返すように俺を殺そうとした村だってある」
紫の言葉を遮り口にする。人間と妖怪の間にある決定的なまでの深い溝。これを埋めるには一方からだけでなくお互いに歩み寄らなければならない。
「とはいえ、そんな人間ばかりじゃない。俺が妖怪と知って尚変わらず接してくれたやつらもいる。だから俺は人間を嫌いになれないんだが」
以前は人間だったというのに、何を言っているのやら。まあペンギンでいた時間が長かったのさ。今の俺にとって魚とは丸呑みにするものでしかない。人とは違うのだよ人とは!
「紫。その夢を叶えるには、何百年、下手をすれば千年近くかかるかもしれない。苦難も挫折も障害もたくさんあるだろう。それでもお前は楽園を作りたいと願い続けることができるのか」
「勿論」
即答されてしまった。揺れることのない紫の目を見て、俺はニヤリと笑った。
「そうかそうか。いいだろう。ならばお前の夢、俺も一枚かませてもらうぜ。とはいえ、俺は交渉ごとだのなんだのは面倒くさくてイヤなので、主に荒事中心に手助けをするよ。文句は言わせない。言われても困る」
「そう?貴方なら舌先三寸口八丁で丸め込むのは得意そうなのだけれど。助けを求めている立場なのだし多くは言えないわね。それで十分よ。ま、機会があったらとことん酷使させて貰うけど」
「ひでえ」
俺はゲラゲラと笑い、紫はコロコロと笑った。
「時に紫よ。お前のそのいかにも胡散臭そうに喋ろうとするの、やめた方がいいぞ。ぶっちゃけ似合わない」
「…うるさいわね。舐められない様に頑張ってるのよ」
照れによって頬を赤くしながら紫は立ち上がり、いつのまにか現れた空間の裂け目のような場所に入ろうとする。
「最初も思ったんだが、なんだそれ」
「これ?私はスキマと呼んでいるわ。『境界を操る程度の能力』で空間の境界を操っているの」
「なにそれかっこいい。俺の『ありとあらゆるものを凍結させる程度の能力』より強そうだな」
「貴方のほうがよっぽど壮大じゃない」
どうでもいいことだが、スキマとやらから体を半分だけ出して話していると非常に気持ち悪い光景ができあがる。
というかあれは『どこでもドア』という解釈でOKなのだろうか。いいな、オレも欲しい。
「じゃあ私は次の妖怪のところに向かうわ。賛同者は大いに越したことがないし」
「そうか、頑張れよ。困ったことがあったら呼べよ。暇つぶしに助けてやる」
「期待してるわ」
当初から変わらず胡散臭そうな笑みを浮かべる紫。そしてそれに影響されたわけではないのだが、あえて言うなれば対抗して、俺は面倒臭そうに振舞った。
「またな」
「またね」