絢爛なお屋敷。華美な装飾こそありはしないが、しかし細部にまで細かく気を使った設計がなされており、持ち主の品格の高さが伺えた。
そんな屋敷のとある一角。普段ならあまり人が来ない行き止まりへ続く角からひょっこり顔を除かせる小さな影。
「………ペン」
ペンギンである。
風来坊で根無し草で素浪人であるペンギンが、多少身分が高いくらいでは足を踏み入れることさえ許されない屋敷に、あまつさえ人の姿でなく子ペンギンの姿でいる理由。
それは、時の都でひとつの噂が流れ始めたことがきっかけである。
曰く、『絶世の美女がいる』と。
それを耳にした瞬間、あらゆる経緯や動機は捨て去り、たった一つのシンプルな答えがギンの脳裏に焼きついた。
『噂になるほどの美人を一目見てみたい……』という願望。その結果としてその美女がいるという屋敷に忍び込んだのだ。
ようするに、覗きである。
ペンギン(不法侵入の疑いあり)はきょろきょろと辺りを見回し、使用人などの姿が見えないことを確認してから、ペタペタと足を鳴らして移動を始めた。小さければ見つかりにくいだろうと考え姿を元に戻したギンではあったが、しかしその分歩幅は縮まり、次の角に移動するまでだいぶ時間をかけてしまう。
ようやくたどり着いた角に体を預け、そっと向こうをうかがい、女中が数人集まり話しているのを見つけ慌てて顔を引っ込めた。
数分経って、女中たちは自らの仕事場に戻っていった。ほっと安堵の息を吐き、再び移動を始めるペンギン。それから、二つ三つと立て続けにコーナーをクリアしていった。
……一見順調そうに見えるが、実はこの鳥は噂のお姫様がどこにいるのか知らないのである。適当にうろちょろしていればそのうち見つかると考えているあたり、彼の計画性の無さが窺える。
しかし、この鳥には計画性は無くとも、運はあったらしい。それが良いのか悪いのか、強運か凶運かは分からないが。
いくつもの角を通り過ぎ、なんかそろそろ飽きてきた、とギンが感じ始めた頃合だった。気を抜いていたせいか、ギンは突如開け放たれた襖に反応できなかった。開かれた襖の丁度真ん中にギンはいたので、動作主には真っ先に気付かれた。
美しい少女であった。
艶のある黒髪とか、筋の通った鼻だとか、大きく透き通った瞳だとか、白磁の如き美しい肌だとか、ぷっくりとした朱い唇だとか。
そこらへんのライトノベルを開けば並べられるような美辞麗句がすべて当て嵌まるような少女であった。いやぁ、ラノベってスゴいですねぇ。
硬直した一人と一羽であったが、先んじて再起動したのは美少女のほうであった。彼女はきょろきょろと首を回して見える範囲に使用人がいないことを確認すると、重たい着物を重ね着しているとは思えないほど俊敏な動作で、『やっぱり黒髪ロングは最高だぜ!』と考えているペンギン(いろんな意味で雑食)を抱えあげると部屋のふすまを閉じ、そそくさと室内に引っ込んでしまった。
何枚ものふすまを開けては閉め、やがて自らの私室へと行き着いた少女はすとんと座り込み、ずっと胸に抱いていたペンギンを改めて見つめる。
ふわふわの羽毛。曇りの無い瞳。小さな少女の胸にもすっぽり納まってしまうその矮躯。時折動く羽や足のまた愛くるしいこと。
たとえ内心で『ああ、ダメっ。そんなに熱っぽい視線で見られたら……うっ』とか考えていようとも。それが外見に反映されないからにはまったく持って問題は無いのだ。
「はぁ…」
うっとりとした目で美少女はペンギンを見つめる。両手で手触りを確かめるように羽を揉み、顔を近づけて目を至近距離で合わせ、だらんと垂れ下がった両羽をつまんだりした。
最終的にぎゅっと強く胸に押し付け、
「カワイイ……ッ!」
満面の笑みで、そう漏らした。
その後、少女は部屋を飛び出し、おじいさんとおばあさんにペンギンを突きつけ「この子飼いたい」とせがんだ。見たことも無いような生き物に警戒しおじいさんは渋ったが、目の前のペンギンの可愛さにほだされたおばあさんと偶然その光景を目にした女中たちに押し切られてしまったそうな。
★
気がついたら、かぐや姫のペットになっていた…
な…何を言ってるのかわからねーと思うが 、俺にもよく分からなかった。
こんな美人と一つ屋根の下で生活だなんて、頭がどうにかなりそうだぜ……。
「どう、ペンペン?気持ちいい?」
「ペンッ!」
「そう、よかったわ」
うふふ、とかぐやは微笑んだ。普通に可愛いです。もう多分この状態でも普通にしゃべれるだろうけど、なんかこの鳴き声じゃないとしっくりこない。そのまま名前にも起用されてしまったしな。
かぐやの笑顔をオカズに十分に楽しんだ俺は、よっこいせと庭先に置かれた水の張られた盥から出、ぷるぷると体を振るって水気を飛ばした。
「あら、もういいの。それじゃあ、これ片付けておいて」
そばに控えていた女中さんに指示したかぐやは立ち上がり俺を抱え上げて縁側から離れた。抱っこされる体勢でいる俺には、後ろで頭を下げている女中さんが見えた。
俺がかぐや姫のペットになって、早一ヶ月くらい。そろそろこの暮らしにも慣れ始めてきた今日この頃である。まあ幽香の時で経験あるし、ちょっと周りに人がいっぱいいることくらいしか違わないか。
長い廊下を進み、ようやくかぐや姫は自室にたどり着いた。
俺が飼われるようになってからというもの、かぐや姫は部屋に一人ではいるや否や俺の羽毛を弄繰り回し腹に顔を埋めるなどといった奇行を繰り返していた。俺としては美人さんに弄ばれるというのも嫌いではないので不平不満などは無かったが、しかしその間のだらしなく緩みきった顔は家の人に見せていいものではないだろう。
物語で呼んだお姫様とは全然違うな、と思っていたのだが、しかし今日のかぐやはどこか違った。
「……はぁ」
紅など塗らなくとも赤く染まった唇から、小さなため息が漏れた。表情にも陰りが見える。
「…ペェン」
思わず俺のくちばしから心配するような声が漏れてしまった。
「あら、慰めてくれるの?優しいのね」
うっすらと。膝の上にのせた俺の体を優しく撫でながら、かぐやは儚げに微笑んだ。その笑顔ははっとするほど美しいのだが隠し切れない憂いが見て取れ、じっくりと視姦する気にはならなかった。
この少女がこんな風になっている理由ははっきりしている。三日後の十五夜の日、かぐやは月に帰らなければならないのだ。
詳しい理由や経緯は『竹取物語』を参照してほしい。
それにしても、先日屋敷を訪れたと言う月からの使者というのは一目見てみたかった。なんで晩飯のあとにくるんだよ。丁度居眠りしてた時じゃんかよ。
ああ、別にかぐやは月に帰ることになったから落ち込んでいるわけではない。というか月には帰らないらしい。
なんでもかつての恩師である、や……なんちゃらえーりんという人がいて、その人に協力してもらい脱走するらしい。
個人的にはそのえーりんと言う人にぜひ会ってみたい。なんでもおっぱいが大きいらしい。もう一度言う。おっぱいが大きいらしい。かぐやが俺にその人のことを説明する時に小声でぼそぼそ呪詛のようなものを唱えていたのが聞こえた。自分の胸を悲しげに見つめるかぐやの顔を俺は見ていられなくなり、仕方ないからその胸元をガン見することにした。
どうでもいいがかぐやは不老不死らしい。不老ということはこれ以上の成長は見込めないということですね分かります。
気がついたら話が脱線していたな。後悔は微塵も無い。
かぐやが悲しんでいるのは、自分を育ててくれたじいさんとばあさんと別れなければならないことだ。一緒にいたのは数年のこと、妖怪である俺や不老不死のかぐやからしてみたらわずかな時だが、しかしそれは確かにあった時間。その中で生まれた思いは、永い時を生きる俺たちだからこそ大切にしなくてはならないのかもしれない。
かぐやが手を止める。両手を俺のわきに差込み顔の正面まで持ち上げる。
「…ねぇ、ペンペン。よかったら、私と一緒に行かない?あなたのさわり心地は手放すには惜しいわ」
いたずらを仕掛けた子どものように無邪気に、そしてからかうような口ぶりの軽い問いかけ。
しかし問いかけるかぐやの表情はまるで縋るようであり、瞳は寂しさで満ち溢れていた。
「――ペン!」
一瞬の間も置かず、俺は大きく鳴いた。言葉だけでなく体全体を動かし、その全てから肯定の意を伝える。
突然の挙動にわずかに戸惑ったようだが、しかし俺の答えをしっかりと届いたらしく、かぐやは嬉しそうに微笑み、ぎゅっと俺を抱きしめた。
ちょ、待、力強い!しかも着物が厚いせいであまり柔らかくない!
あ、でもいいにおいがするからいいか。
★
今宵は満月。十五夜。中秋の名月。空に鎮座する月を肴に一杯引っ掛けたいところだが、生憎とそうもいかない。
なんといっても、今日はこれから月の団体さんがいらっしゃるんだから。
屋敷の周りにはたくさんの灯りがともされ、ぎっしりと弓を持った兵士、というには身なりが良過ぎる群集がひしめいている。ぶっちゃけ暑苦しい。視覚的にも見ていられないよ。
これらの人員は全てかぐやにぞっこんLOVE(死語)の帝様から派遣されてきた。どうしてもかぐやを守りたいらしい。惚れた女を守りたいと言うのはかっこいいがそれなら自分で守れよ。そうでなくてもせめてこの場に来いよ。
かぐやとじいさんばあさんが控えている部屋の前にも兵士が門番として控えている。選りすぐりの屈強な兵士らしいが、ぶっちゃけ今のペンギン状態の俺でも十秒以内には沈めれそうだ。
かぐやはじいさんばあさんと湯飲みを片手に最後になる会話をしている。内容はなんてことないもので、やれ庭の花がきれいに咲いた、やれ最近寒くなってきたからもう一枚厚着しようか、やれ何処其処のお菓子は出来がいい、などといった、もうすぐ今生の別れになるやも知れないと言うのに、口から出るのはそんな話題のみ。
だがこれでいいのかもしれない。別れ際に特別なことは必要ない。いつも通りの、今まで通りの、変わらないことをすればいいのかもしれない。大事なのはそれを忘れないことなのだろう。
しみじみと考えながら、俺は今や定位置となったかぐやの膝の上に座っている。三人の会話の邪魔はしたくないので動かずに、さながらぬいぐるみのように不動。たまにかぐやに弄られるけどそれでも動かない。
一室で続けられる家族の交流。それはいつまでも続きそうで、このまま何も無かったかのように明日が来るのが最高なのに。
しかし、空気を読めず、おまけにぶち壊してしまう輩というのは何処にでも何時の時代でもいるのだろう。
―――どうやら、おいでなさったようだ。
障子の向こうが不自然に明るくなる。篝火にしては色が白い。炎の色ではない。
「……ごめんね、ペンペン。苦しいかもしれないけど、我慢してね」
そういって袂を大きく開き、かぐやは俺を其処へねじ込んだ。
どのみち月からのお迎えの連中からは逃げ出す。逃亡の際、俺を抱えたまま追っ手を振り切るのは難しいだろう。
そう考えたかぐやが思いついたのがこの方法。あらかじめ着物を着るときに余裕を持たせ、俺を格納するスペースを確保したのだ。「胸が小さくて丁度良かったわ」とか自虐的なことを呟いていたのが記憶に残っている。元気出せよ。
それはさておいて、俺は今着物の中にいる。女の子が着ている着物の中にいる。
なんだこれ。天国かよ。ここが天国なら俺もっと早く死んでおくべきだったな。
月の連中に見つからないようにしっかり袂は閉めているから視界はゼロに近い。よって他の感覚が強化される。
あったかくて、やわらかくて、いいにおいがする。もうここから出たくない。俺ここの家の子になるわ。
★
なんだか知らないけどさっきからぐわんぐわん揺れる。かぐやが何か運動でもしているのだろうか。つまりはもう月の連中からは逃げ出せたと見るべきか。
耳を澄まして外の音を拾ってみる。
『…様、…ち……す!』
『え……………そこま……来て……』
『…ッ……な……ら』
なんか切羽詰ってる感じだぞ?かぐやともう一人女性の声がする。恐らくえーりんという人だろう。巨乳の。
ふむ。ここらでひとつ顔を出して状況確認でもしてみるか。
せーの、
「ペンッ」
「「え?」」
飛び出した俺を見て驚くかぐや。同じように驚くなんとも前衛的としか言いがたい服を着たお姉さん。その向こうでなんか近未来的な武器を構える集団。
おk。大体把握できたぜ。つまり気分は約二時間にわたる謎解きの末崖に追い詰められた犯人、ってところか。
袂に羽を引っ掛け体を引き出し、一気に飛ぶ――
「あ!ダメよペンペ――」
――着地と同時に人型になった。
「うぇえ!?」
「どうしたよ、かぐや。お姫様らしくない声を上げて」
戸惑うかぐやを尻目に、月のやつらがなんか光線銃的なブツからビームを撃ってきたので氷の盾で防ぐ。デザインは雪の結晶をモチーフしてみたぜ。
「え、誰、嘘、だって今、ペンペンが、あれ?」
「おう、ペンペンだぜ」
「で、でも今、違」
「妖怪だもの。変化くらいできるわ」
「よ、妖怪っていったいいつから…」
「最初から。お前に会う前から俺は妖怪だったぜ」
「…っ、じゃ、じゃあ、今までの全部…!抱きしめたり一緒に寝たりご飯食べさせてあげたり体中まさぐったり目の前で着替えたり一緒に体洗ったり、あ…あ……あぁ…!」
ばたんきゅー。
「姫様っ!?」
呆然としていたお姉さんがかぐやが倒れたのを見て再起動。傾くかぐやの体を慌てて受け止めた。
「お姉さん、お姉さんが『えーりん』さんかい」
「アナタは?敵?味方?」
「俺のことはギン、もしくはペンペンと呼べ。かぐやのペットやってます」
「…ふざけてるの?」
「ふざけてませんからその弓を下ろしてください。味方です味方だから安心しろ。そんでもって速く行け。ここは俺が何とかしておくから」
見てわかんないかな。盾がちょっと溶けてきてるんだよ。急いで!
「礼を言うわ。気をつけて」
「そっちこそ。風邪引くなよ」
真っ赤になって唸っているかぐやを背負ったえーりんは、人一人抱えているとは思えないスピードで走り去っていく。
「逃がすな!追――」
声を張り上げる男に接近し蹴る。その肉体は砕かれ、凍り、さらに砕けた。
続けて隣にいた男の頭を同じように砕き、反撃がきたので後退する。
僅かなうちに二人を殺した俺を優先すべき敵としたのか、月の連中は銃を構える。
俺はにやりと不敵に笑い、
「かぐや様が第一の飼い鳥ペンペン、主を守るためにここに参上。死にたいやつからかかってこい」