ウンディーネの館。そこで正式に客として招かれた詩人とエレン、エクレアは応接室でお茶を飲んでいた。
向かいに座るのはこの館の主、ウンディーネ。更にその背後には彼女の弟子であろう優男たちが5人、壁際に並んで立っている。素性の知れない者たちに対する警戒と言えば妥当だろう。
「それで」
お茶を口にしたウンディーネがまず話しかける。
「まず、中央の小島を奪還して頂くことに協力していただいた事に感謝しますわ。どうやらあなた達は私に何か依頼があってきたとか。それをお聞きしていいかしら?」
「もちろん。自軍の被害を軽微に留める采配をするウンディーネ女史ならば、益のある話ができると信じていますよ」
にこりと笑ってちくりと刺す詩人。こういった交渉の場で、基本的に彼が前面にたつのはもはや暗黙の了解である。エレンとエクレアは何か言われるまで黙ってお茶をすすり、お菓子をかじる。
自軍の損害を気にして協力者である彼女たちに負担を押し付けた事を言われるも、ウンディーネはその表情に僅かな揺らぎも見せない。そもそも悪いことをしたとも思っていない。間違っていない認識ではあるのだが。
「益のある話とは興味深いですわね。3つ依頼があるとお聞きしましたが、伺ってよろしいかしら?」
「もちろん。まず、一番重要な事からお願いしたいが、バンガードに貴女の高弟を派遣して頂きたい。最終的には貴女にもご足労願いたいが」
「バンガードに?」
「ええ。かつての伝説通りに、バンガードを船として動かしフォルネウスと戦う。その為に必要なのが強力な玄武術師の軍団と、それを指揮する一段上の天才術師。すなわち、モウゼスの全力が必要なのです」
詩人の言葉にふむと考えるウンディーネ。彼女はとりあえず答えを出す事を先延ばしにして、詩人の要求を聞くことを優先する。
「それで、次の依頼は?」
「この二人に術の手解きをして貰いたい。俺も術は使えるが、教えるのには余り向かなくて。
それに伴って、急ぎの旅をしているから、申し訳ないが少しの間だけでもウンディーネ女史には俺らの旅に着いてきてもらいたい」
そう言って指し示すのはエレンとエクレア。
彼女たちをチラとみて表情を変えずに頷くウンディーネ。その様子からは良しとしているのか否としているかは読み取れない。
「最後の依頼は何かしら?」
「町の防衛、復興の支援。それらを含めてフルブライト商会と同盟を組んで貰いたい」
その提案に、初めて複雑な表情を見せるウンディーネ。実際、このままボルカノと戦っても勝てる見込みは薄い。そしてなんとか勝利を掴んでも町としての機能は著しく低下する。そこでフルブライト商会を頼ればどうなるか。町の状態はよくなるだろうし、人々は安心して生活できる。
しかしそこにはもはやウンディーネの影響力はない。ボルカノの露払いをして捨て石にされるなどゴメンだった。
「そうねぇ…」
ほんの少しだけ困った顔をして時間を稼ぐウンディーネ。しかしその脳内では素早い計算が渦巻いている。狼狽を見せてはダメなのだ、それは相手が付け入る隙になる。
それは交渉でも、戦闘でも変わらない。
「まず、術を教えるのは構わないわ。長い時間は無理だけど、ボルカノの脅威がなくなれば時間が取れない訳でもないし」
「つまり、ボルカノさえいなくなればいい、と」
「そうは言ってないわ。ボルカノがいなくなっても私がモウゼスからいなくなれば防衛力は低下する。ここで学ぶ分には多少の手解きはしてあげられるという事よ」
つまり旅に連れ出すならば、フルブライト商会の影響力のツケを詩人が受け持てと言っている。そうでなければボルカノを追い出せば少しは教えなくもない、という事だ。
「バンガードに術師を派遣する件は?」
「ボルカノがどうにもならないと動きようがないわね」
「いっそ、モウゼスを捨ててバンガードに移住したらどうだ?」
詩人の言葉にウンディーネの後ろにいる高弟が殺気立つが、ウンディーネ自身は笑みを崩さない。
そしてさらりと切って捨てる。
「バンガードに行くメリットがないわね。
最近、ロアーヌ候が人手を集めているらしいし、そっちも捨てがたいわ。ああ、ピドナで道場を開くのも悪くないわね。ルートヴィッヒは新しい戦力を悪くしないと思うわ」
「……承知したよ」
「納得して頂けたかしら?」
「ああ。バンガード市長よりも手強いと理解した」
「あら、私は普通よ。他が私より劣っているだけ」
妖艶な笑みを浮かべて紅茶をすするウンディーネ。ふっ、と息を吐いた詩人はウンディーネを向いたまま連れの二人に話しかける。
「分かったか?」
「え?」
「なにが?」
「まだまだ青いな。未熟なのは仕方ないとはいえ、学ぶ姿勢は忘れるな。
交渉でウンディーネ女史を丸め込めなかった、ってことさ。バンガード市長は丸め込めたけどな。この女傑なら、お前たちを教えるのに不足はないだろう」
実際、フォルネウスに挑むのにバンガードとウンディーネは両方とも必要不可欠なものだ。それがフォルネウスとボルカノという外敵によって滅ぼされかけている。詩人としては手を貸さざるを得ない。
しかし、ここで手を貸させて下さいと下手に出れば安く買い叩かれるのがオチなのだ。いかに相手から譲歩させるかが鍵となり、詩人はバンガード市長に対しては実質の同盟者であるフルブライトに、頼み込むような形にすることに成功した。あれでフルブライトから見た詩人の価値は一層上がっただろう。
それがウンディーネ相手には通用しない。ボルカノと戦うのに、手を貸せ、力を貸せ。嫌なら詩人からもフルブライトからも遠ざかる。そう言っている。
実際に自分の支配権であるモウゼスを手放す事はそうそうあり得ないだろうが、最悪の場合、自分は絶対に協力しないと言い切っているのだ。むしろ半端に力を持っているのに出し渋った輩として恨みを買いかねない。
要するに、ウンディーネはつべこべ言わずに妥協しろ、と言っているのだ。
「は~」
エクレアは感嘆の息を吐く。バンガード市長との話も聞いていたし、ウンディーネとの話も聞いていた。けれどもどちらが上かなど考えもしなかった。詩人はそこも勉強しろと言っている。
エレンは注意を払っていたつもりだったが、それは詩人の話術で当然の事と思わされていたに過ぎないと、ようやく分かってしまった。冷静に考えれば、バンガード市長も詩人から更なる譲歩を引き出せたはずなのだ。それなのに、詩人の目的を忘れ、バンガードを守る事に執着してしまった為にかえって高い買い物をさせられてしまった。
自分の目的を忘れない事も大事だが、相手の目的を強調して守りに入らせる技もある。そう、それは交渉でも戦闘でも変わらない。それを交渉で理解したならば戦闘で活かせ、という訳だ。
「さて」
詩人がエレンとエクレアに軽い講義をし終わった後、格好を崩す。腹を割るという意思表示だ。
それを見てウンディーネも微笑みを消す。お遊びはお終い、ここからは真剣勝負になる。
「前提条件を言おう。ボルカノは邪魔だ」
「そうね。ボルカノがいる限り、貴方は私の助力を一つも得る事が出来ない」
「けれどボルカノを倒したところでそちらは今まで通りの支配力は維持できない」
詩人が調べたところによると、モウゼスの南半分に取り残された住民はボルカノの一味やモンスター共に奴隷のような扱いを受けていた。殺された者も少なくない。昔話でもあるまいし、ボルカノを追い出しました。めでたしめでたし。では済まない。遺恨は残るしウンディーネの指導力も疑問視されるだろう。
実際、バンガード市長も一番の悩み所だった事実はある。そこを上手く処理できなかったからこそ詩人が買い叩く事ができた訳であるが、ウンディーネはそうはいかない。
「その子達の面倒は見るし、バンガードに術師も派遣するわ。その代わり、私の名代としてフルブライト商会の力を借り受ける。それでどう?」
ウンディーネの名代として。これが何よりも重要なのだ。ウンディーネでなければフルブライト商会は動かせず、他の者では更に状況が悪くなる。その大義名分があればこそ、ウンディーネは影響力を落とす事なくモウゼスに君臨し続けられる。
支配権はウンディーネにある。そこははっきりしなければならないところだ。そしてそれこそがバンガード市長が怠った事である。詩人の口車に乗せられて同盟者である事を認めてしまえば、バンガードとフルブライト商会は対等である。その後はその実力が物をいい、フォルネウスに攻められて半壊したバンガードとフルブライト商会ならば、バンガードの乗っ取りまでは難しくとも、多くの実権を握る事ができる。
しかしモウゼスではそうはいかない、一番上がウンディーネとはっきりしているのだから。もちろん多少の影響力は得られるだろうが、大きく稼ぐ事はできないだろう。ウンディーネとして見れば利益を守ったともいえる。後はウンディーネとフルブライトの交渉次第であり、詩人の仕事は仲介だけ。もちろんそれだけでも大きな成果である事は確かなのだが。
「分かった。ボルカノを倒した後はそうしよう」
しかしそれもウンディーネがボルカノに勝てばの話である。ウンディーネが負けたらモウゼスの実権も何もないのだから。
「力を貸してくれるのね?」
「奴はアウナスと組んでいる、アビスの力を借りた者に容赦するつもりはない」
「情報を抜いたとか? こちらは兵力を出すわ。有益な情報があったら欲しいわね」
「ああ。かなり美味しい話がある」
詩人は小島での戦いで混乱している隙に抜き出した情報を提示する。
まずは南側、ボルカノの支配している民間人の情報。先程言った通りに奴隷と扱いが変わらない。頂点にボルカノがいて、その下にボルカノ配下の高弟や弟子が好き勝手にやっている。更に自身の身内に危害を加えない条件でモンスター達も好き放題だ。その下でこき使われ、機嫌次第で殺される民間人はたまったものではないだろう。これが8割以上の人間がウンディーネについている大きな理由でもある。
それでも今回の小島を取り返せたのは大きかった。これ以上ウンディーネが劣勢となれば、ウンディーネについていた側は皆殺しになりかねない。死か奴隷か。後者を選ぶものは少なくないだろう。ギリギリ一歩手前で態勢を立て直した事になる。
更に詩人はボルカノ側の戦力も抜いてきた。流石に高弟の実力までは分からなかったが、その数は少数で2ケタはいないだろうとの事。更にその下の弟子やモンスター共ならば援軍として駆けつけたエレンとエクレアで対処できる事は証明している。
それに雑魚モンスターを都合できるとはいえ、今日明日に何十と補充することは現実的には無理な話だ。小島での戦いで雑兵の半分は失っているとの見解がある。
雑兵を捨て駒にウンディーネ側を削るという消耗戦は、エレンとエクレアが参戦しただけで無に帰してしまったと言っていいだろう。むしろこちらから攻めて雑兵を削り切り、勢いのまま敵を全て打ち取る策さえ現実味を帯びてきた。
「と、まあここまではボルカノも分かっているだろうな」
「ええ。相手が取れる選択肢は二つね。尻尾をまいて逃げ出すか、それとも――」
ウンディーネは外套のポケットから一枚の手紙を取り出す。
「――全軍突撃か」
「果たし状か?」
「ええ、明日の正午に決戦を挑むとの内容よ。それまでに投降すれば命だけは助けてくれるって」
「勝てる自信があるんだろうなぁ」
苦笑いを浮かべる詩人に、真面目な顔をするウンディーネ。
「それで、貴方たちも戦力として期待していいのかしら」
「もちろんだ。エレン、エクレア。明日で全部終わらせるぞ。早めに休んでおけ」
「うん!」
「分かったわ」
今はもうすぐ日が暮れる頃。明日はすぐそこまで迫っていた。
「敵襲!!」
怒声が響いたのは朝日が昇る前だった。ボルカノの軍勢が南から大量に押し寄せてくる。
モンスターや術師が入り混じった、まさに総攻撃だった。
「ここまで予想通りだと逆に笑えるなぁ」
「当たり前すぎてむしろ白けるわよ」
それを当然の如く高台から見やる詩人とウンディーネ、決戦は正午と言う言葉など全く信じていなかった二人。特にウンディーネは深夜から奇襲に備えて陣を敷いていた。
早くに休んで日が昇る前に叩き起こされたエレンとエクレアは呆然としている。
「決戦は正午だって…」
「訳ねーよ。騎士の決闘じゃないんだ。口約束を破ったってペナルティーがある訳でもない。当然、奇襲一択だろ」
詩人の言葉に空いた口が塞がらないエクレア。エレンも僅かに我を忘れていたが、すぐに疑問を口にする。
「じゃあ、こっちから仕掛けても良かったんじゃないの?」
「重要拠点である小島はお嬢さんたちのおかげで押さえられたからね。拠点防御の方が損害が少なくて済むのよ。見なさい」
小島は出入口はそれぞれ数名しか入れないような狭さだ。そこに連携に長けたウンディーネの高弟を惜しみなく注ぎ込み、雑兵を薙ぎ払っている。
その上で余力は残しており、疲労が溜まったら下がってモウゼスの私兵が時間を稼ぐ。こちらの損害はほとんどないにも関わらず、相手方の雑兵は多く倒れている。
「最初からこの方法でやればウンディーネお姉さんも主導権を握られずに済んだんじゃないの?」
「相手の雑兵は数日したら補充されちゃうから、決定打に欠けてジリ貧だったのよ。けれど今は貴方たちがいるしね。雑兵を気にせず戦えるのは嬉しいわ」
「…あたしたちはあの雑兵と戦わなくていいんですか?」
エレンの言葉に表情を引き締めるウンディーネ。
「ボルカノと、その高弟。そして上級モンスターの実力が未知数なの。
貴方たちと私、それから私の高弟選りすぐり5名は温存してるわ。今はこちらに被害がない事が最優先。徐々に後退させてるしね」
ふと見れば、確かにボルカノ側は数を犠牲にした代償に、軍をジリジリと前進させている。ウンディーネ側は敵を削る代償に攻撃を避ける事も多く、陣地を奪われていた。
それでもボルカノ側は前進をやめない。雑兵全部を使い潰してでも、その傷さえあればボルカノ自身とその側近でこちら側を全滅させる自信があるのだろう。
「このままだと正午くらいに小島で決戦かしらね?」
「…恐ろしい女だな。相手の冗談に自分の絵図面合わせやがった」
「せっかく素敵な果たし状を貰ったのですもの。ならべく沿わせて見せますわ」
ひらひらと指で挟んだ果たし状を見せびらかしながら、ウンディーネはにこやかに笑ってみせた。
状況を支配できる程にウンディーネには余裕がある。しかし、最後の戦いに負ければ全てが終わる。それを理解しつつ、ウンディーネはにこやかに笑い、詩人はフラットに戦況を眺めている。
エレンとエクレアはとてもそんな気分になれず、来るべき決戦に神経を尖らせていた。
そして正午になる。
モウゼス中央にある小島には、ボルカノとウンディーネの最高戦力が並んでいた。
ボルカノ側は最後の戦力でもある。ボルカノ自身と、その配下の高弟3人。そして大きな蛇型モンスター。それがドラゴンバンジーと呼ばれる高等モンスターである事に詩人は気が付く。
「あのモンスターは厄介だ。とりあえず俺に任せておけ」
そう言って棍棒を握りしめる詩人。自分よりもウンディーネの方が采配は上手いと判断したのだろう。残りの指揮権はウンディーネに全て渡すつもりだった。
ウンディーネ側の残りはウンディーネ自身と彼女の高弟5人。そして戦斧を持つエレンに、バスタードソードを握りしめるエクレア。あのモンスターの威圧は恐ろしいし、ボルカノも薄い笑みを張り付けて不気味だ。しかし数で有利な現状ならばそれを頼りに押しつぶすのが上策。
「お前たちは術師3人を相手取りなさい! 数を生かして戦えば欠員は出ないはずよ、時間をかけてもいいから確実に連携して仕留めなさい!!」
「はっ! ウンディーネ様、お任せを!!」
リーダー格の玄武術師が返事をすると、素早くハンドサインを繰り出して連携して襲い掛かる。
見れば詩人とドラゴンバンジーも戦いを始めていた。ウンディーネは詩人の戦いを初めて見るが、圧倒的の一言に尽きる。あの強大なモンスターを相手を完全に手玉に取っていた。ただ惜しむならば、ドラゴンバンジーのタフさだろう。そもそもサイズが全く違う。倒しきるまでにしばらく時間がかかりそうだ。
3つに分けられた戦況のうち、2つは時間があれば倒しきれると判断する。ならばこそ、ボルカノの自信は彼に集約されるのだろう。ウンディーネは警戒のランクを更に一段上げる。
「エレン、エクレア。
…強いわよ」
「「上等!!」」
声を合わせて突っ込む二人。これは前もって決めていた作戦だった。とにかく相手の術はこちらの術で相殺、もしくは軽減する。そして術師が苦手とする接近戦に持ち込んで撃破。単純で、堅実で、隙の無い戦法。
そのはずだった。
ボルカノの背後から突如何かが飛び出し、エレンの振り上げた戦斧を逸らしてエクレアのバスタードソードを受け止める。
その正体は、盾。禍々しい意匠を施された、漆黒の盾が宙に浮き、自律してボルカノの身を守っていた。
「くくく。はーははははは!
その程度、その程度で俺に挑もうとしたのか!!」
そう言いながら片手ずつで術を生み出すボルカノ。二つのエアスラッシュがエレンとエクレアを襲う。
「! スパーリングミスト!」
咄嗟にウンディーネが護りの力が込められた霧を少女二人の周囲に発生させる。それでボルカノの術の威力は大きく軽減された。
「くぅ…!」
「熱っ!」
それでも。軽減された上で、その刃に込められた熱で二人にダメージを与える。
攻撃が回避され、いったん距離をとる二人。僅かなダメージも支障をきたすと考えたウンディーネは即座に回復の術を発動させる。
「生命の水!」
癒しの水分が少女たちに降り注ぎ、たちまち火傷を治していった。そして即座に術を構築。高圧に圧縮した水を帯電させたものを10程作り出し、ボルカノに向かって発射する。
「サンダークラップ!」
降り注ぐ帯電する水球はしかし、宙に浮く盾に全て阻まれボルカノには届かない。
そこでようやく理解して歯噛みするウンディーネ。あの盾こそがボルカノの絶対の自信。そしてその正体にもおおよそ見当がついてしまう。
「魔王の…盾!」
「流石に貴様は知っていたか、ウンディーネ。そう、このモウゼスに封印されていた魔王遺物の一つ、魔王の盾だよ」
ニヤニヤと笑いながらそれを口にするボルカノ。ウンディーネは、こんな悪魔の武具を持ちだしてくると想像しなかった自分の甘さに歯噛みした。正真正銘、この男はアビスに魂を売ったのだ。
それを知らないエレンが何かを問う。
「ウンディーネさん、魔王の盾って?」
「この小島に井戸があるでしょう?」
ウンディーネの言葉にチラと脇を見ればそこには確かに井戸がある。しかしそれはどこか禍々しい。
「あれは死者の井戸。四魔貴族が世界を支配していた数百年前、あそこに病人や老人を生きたまま投げ込んで生贄にしていたの。その怨霊に満足した呪われた魔王遺物、魔王の盾をそこに留める為に。
そしてその怨霊が表に出ないように封印し続けていたのがモウゼスの術師の役目。封印を解くにも相当の技量が必要なのだけど――」
「当然、俺にかかれば封印なぞ簡単に解けたわ」
「でも! 魔王の盾は呪われた防具よ! 使用者に魔力と護りを授ける代わりに意識を奪われてしまう!!」
「意識を奪われる? 違うな、意識は差し出したのだよ」
ボルカノは手を使うまでもなく、十数ものエアスラッシュを作り出し自分の周囲に待機させる。見れば魔王の盾の側にもそれと同じ現象が起きている。
「もはや魔王の盾と俺は一心同体! そして魔王の盾を破壊する事など誰にもできん!
モンスターや部下など、この井戸に辿りつくまでの捨て石に過ぎないのだよ! これを手に入れた俺はアウナスと並び立つ権利を得た! 世界を掌握する権利を得たのだ!!」
その瞳にもはや正気は感じられない。アビスに魅入られるという事を目の当たりにした女性三人は揃って背筋を凍らせた。
だが、このまま座しても死ぬだけだ。頭を高速で回転させ、答えを出したのはエレン。
「ウンディーネさんは後ろからフォローをお願いします。あたしは正面から魔王の盾に攻め込んで防御を手薄にするわ。
その隙をついて、エクレア。ボルカノをお願い」
返事は聞かない。今はボルカノが慢心しているからこその隙であって、自分たちが生み出した隙ではないのだ。一刻の猶予もない。
エレンは魔王の盾に向かって突進し、その直前で止まる。その運動エネルギーを戦斧に伝え、強烈な一撃をお見舞いする。斧技の一つ、アクセルターン。
そのまま回転の勢いを利用し、回し蹴りを叩き込んで地面に押さえつける。そして地面に押し付けた魔王の盾に向かって戦斧と拳で乱打する。
それでも魔王の盾は傷一つ付かない。それどころか魔王の盾から生み出されるエアスラッシュでエレンの体は切り裂かれ焼かれ爛れていく。
「ァァァァァァァァァァァーーーーーー!!!!!!」
エレンは止まらない。今、魔王の盾を押さえつけている僅かな時間が値千金になると信じて魔王の盾を封じ込める。
「生命の水! 生命の水! 生命の水! 生命の水!」
そんなエレンを必死になって癒すウンディーネは、全力をもってエレンを癒し続ける。それが治しては切られ焼かれる地獄を生み出していると知りながら、彼女の命を紡ぐにはそれしかないのだ。
エレンが決死の覚悟で魔王の盾を封じた僅かな時間。エクレアは薄ら笑いを浮かべるボルカノに突撃する。
「そのふざけた笑い、叩き壊してやるわ!」
「ははははは。面白い、やってみるがいい」
バスタードソードを振りかざし、勢いをつけて叩きつける。ただしその先はボルカノではない。その前にあった地面が目標であり、スマッシュは激しい地煙をあげて視界を遮断した。
そしてエクレアは両手を自由にすると、その拳を硬く握りしめる。エレンに教わった技である短勁だ。限りなく距離は近く、そして相手は術師。視界は悪く回避もロクにできない。その状態で渾身の一撃を連続で放とうと一瞬のためを作る。
それがエクレアの敗因となった。
「バードソング」
甲高い奇妙な音が響く。その余りの不快さに、一瞬だけエクレアの体が硬直してしまった。
そしてその一瞬で僅かに地煙が晴れ、エクレアの影がボルカノに捉えられてしまう。正面から変わらずに突撃しようとするエクレアに、ボルカノは連続して術を放つ。
「ファイアウォール」
ボルカノとエクレアの間に炎の壁ができる。
まさかこの壁を直接殴る訳にもいかず、エクレアは素早くシルバーフルーレを取り出す。だがそれも遅い、遅すぎる。
炎の壁はエクレアに倒れ込むように襲い掛かり、その体を焼いていく。
「きゃあああああぁぁぁぁぁ!!!!」
とっさに地面に突き刺さったバスタードソードに手をかけ、迫りくる炎の壁を振り払えたのは僥倖だろう。僅かにダメージを軽減し、即死だけは免れる。
だがしかしエクレアはもうそこから動く体力はない。焼けてボロボロの衣服が体に張り付き、その肌は無残にも焼け焦げている。
それを見て愉悦に顔を歪ませるボルカノ。大きく右手をあげ、術力を高めて高威力のエアスラッシュを作り出す。その狙いはエクレアの首。焼き切り落とすために作り出されたそれは確実に彼女の命を絶つだろう。
「ウォーターポール!」
エレンの回復を無視してでもエクレアのフォローに回るウンディーネ。防御の水柱がエクレアに周囲に巻き起こる。しかし彼女自身が二番目に分かっていた、エクレアを包む水柱ではボルカノの一撃を防ぐ事はできないだろうと。
それを一番理解しているボルカノの笑みは一層濃くなった。絶望にあがくその光景が楽しくて仕方ないと言わんばかりに。
そしてその右腕が振り下ろされる。
「エアスラッシュ!」
「エアロビート!」
しかし攻撃はエクレアには届かない。直前に割り込んだ人物がボルカノの術に対抗するように空気の断層を作り出し、受け止める。
まさか自分の攻撃が止められるとは思わなかったボルカノに隙が出来た。それを見逃さず、攻撃を受け止めた男――詩人はエクレアを抱えて最高速で背後に下がる。そしてサイドステップで魔王の盾を止めていたエレンの側までいくと、持っていた棍棒を捨ててボロボロのエレンも回収してウンディーネの元まで舞い戻った。
「ふむ」
間が空く。その間にボルカノは戦況を理解する。
まず最重要の魔王の盾は自由になり、自分の近くを浮遊する。
配下の術師3人はウンディーネの高弟に倒されたようだが、まあそれはどうでもいい。奴らを消耗させただけで十分だ。あの程度ならば自分の敵にはならない。ウンディーネも術を酷使し過ぎて回復にはしばらく時間がかかるだろう。
そして最大のモンスターであるドラゴンバンジーは息絶えていた。あの短時間で強大な生命力と攻撃力を持つドラゴンバンジーを仕留める詩人こそが最大の敵だと判断する。
「よくやった。俺がボルカノをやるべきだったな、すまない」
「し、詩人、さん…。
ごめん、なさい。負け、ちゃった」
「あたしも、甘かっ、た」
息も絶え絶えの二人を痛ましく見る詩人だが、すぐに術を発動させる。
「ムーンシャイン」
月術の回復術である。詩人の唱えたそれはみるみるうちにエレンとエクレアを癒し、致命傷から回復させる。だが、まだ戦闘に参加させるのは無理だろう。
「魔王の盾…! あそこまで強力だとは思わなかった…!」
悔しさに食いしばるウンディーネだが、現状は変わらない。実質戦えるのは詩人一人。そして一人では魔王の盾は突破できない。詰みだった。
「引く、わよ」
続けて自身の高弟に足止めを命じようとしたウンディーネ。だが、それは気楽な詩人の言葉に遮られてしまう。
「冗談。ここまできて引けるかよ」
「…引くしかないわ。ボルカノじゃない、魔王の盾には勝てないのよ」
「ああ。俺が剣を使わなければ、な」
その言葉に。エクレアは目を輝かせ、エレンは驚きの表情をし、ウンディーネは呆れた嘆息を出し、ボルカノは不快気に顔を歪める。
「その剣でこの魔王の盾を斬れると?」
「たまには使わないと腕が錆びる。ちょっと切られてくれればそれでいい」
詩人が剣の柄に手を添える。
ズン、と。空気が一気に重くなった。ただ、詩人が剣の柄に手を添えただけで。
「詩人さんの、剣…!」
「……見せてもらうわよ」
エクレアは純粋に好奇心旺盛な表情をするが、エレンは今一つ信じられない。あの魔王の盾を突破するビジョンが全く浮かばないのだ。だがそれでも、あの詩人が勝てるというのだ。期待感もある。
その異常な雰囲気に、ウンディーネは言葉が止まり、ボルカノは警戒を持って対峙する。魔王の盾は詩人とボルカノの間で浮いていた。二人の間は剣を振るうには遠く、詩人はボルカノにさらなる接近をしなくてはならない。そんな距離だが、間には魔王の盾がある。
威圧は確かに言うだけ存在する。だがそれでも魔王の盾には敵わない。術師二人の見解は共通していた。
そのまま時間が流れる。
動いたのはボルカノ。体を前にのめらせる。
詩人は動かない。剣の柄に手を添えたままだ。
ボルカノは更に動く。体を前に、前に。
そのまま、どんと音を立ててボルカノは地に伏した。
「え」
それは誰の声だったか。エクレアはエレンを見て首を振る。
エレンは詩人を見て目を見開いている。
ウンディーネはぽかんと口を開けていた。
「え?」
じわじわとボルカノが伏した地面に血が広がっていく。彼が動く気配は、全くない。
そこでようやく詩人は構えを解いた。
カツンと、魔王の盾が地面に落ちる。
動くものは何もなかった。
これがモウゼスの戦いの、その終着だった。
Q.詩人って本当に強いんですか? 剣を使ったらどのくらい強いんですか?
A.このくらい。