詩人の詩   作:117

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022話

 

 

 

「う~み~だ~!!」

 彼女の紅髪に似合った、真っ赤な水着を身に着けて海に突撃するエクレア。大人と子供の間である年頃の彼女は、その身を晒し過ぎないシンプルで単色のワンピースタイプである水着を身に着けている。大人な雰囲気を漂わせながらその行動の幼さから、声をかける大人の男は少ないだろう。同年代でないと声はかけにくい。

 そしてそういった年代の男、というか人間はこの町には数少ない。グレートアーチというこの町は、数少ない観光として成功した町なのだ。一般的には公開されていない特殊な技法で、狭いながらも一定範囲の海のモンスターを完全排除する事に成功し、常夏という気候で浜辺という場所を娯楽に変えてしまった、ある意味での人間の極致を表していると云える。人はどこまでも、好きなように生きていけるのだと。

 その代わりに支払う金は高い。例えばピドナからグレートアーチへの渡航料は、1グループ6人までで1000オーラム。破格と言っていい入国税がかかるのだ。それだけではなく、食事やサービス、宿なども高倍率の税がかけられている。それが支払える者のみが楽しむことができる贅沢、と言い換えてもいい。それもある意味、人間を表していると云えるだろう。

 浜辺を走るエクレアの後ろをゆったりと歩く美女が一人。ここから比較的近い町の為政者であるウンディーネだ。彼女は大人の余裕と色気を漂わせながら歩き、パラソルの下の影にあるチェアーに座る。そして合図をして、控えさせていたウエイターを呼んで飲み物を運ばせる。海に入って楽しむのではなく、この常夏の風景と日差し、そして空気を楽しむのだろう。

 ウンディーネが身に着けている水着の色は黒。タイプはワンピースだが、ところどころファッショナブルな切れ込みが入っており、露出度や妖しさをいうならエクレアとは全く比較にならない。腰にはアクセントのように水色のパレオをつけており、その奥をちらつかせるように隠している。

 浴びせかける男の視線をむしろ楽しみつつ、ウンディーネはフルーツがふんだんに使われたトロピカルジュースを口に運んだ。その動作ですらなまめかしく、悩ましい。

「あ、あの。ウンディーネさん」

「あら。エレンお嬢ちゃんはまだそんな物で体を隠していたの?」

 ウンディーネの後ろを地味についてきた真っ白な女、もといエレン。彼女は白いバスローブで体を隠していたのだ。その表情は羞恥で真っ赤である。

 こんなリゾート地に来た事などないエレンは水着の選び方など全く分からない。どの水着がいいか混乱していたところ、ウンディーネが優しく手助けをして水着を選んだのだ。選んだのだが、ウンディーネのセンスは見ての通りである。蠱惑的であり、異性の感情というものを理解した上で逆撫でする。

 そのセンスで選ばれた水着を、男慣れしていない田舎育ちの美女に着せると、こういった結果になった。恥ずかしがってバスローブを取ろうとしない。

 それすらも楽しみながらウンディーネは笑って話しかける。

「風、気持ちいいわよ。こんな機会滅多にないんだから楽しみなさいな」

「う~。分かりましたよ」

 バスローブを脱ぐエレン。その水着の色は意外にもピンクで快活なエレンには似合わないように見える。だが、この瞬間のエレンは恥ずかしがっており、普段よりも随分大人しい。その雰囲気とピンクという色は確かにマッチしていた。

 そして水着の型はビキニであり、健康的な白いお腹も晒される。上は胸の周りをやや太めに隠し、小さな紐が何本か飛び出して肩をまたぎ、その布を繋ぎ止めている。下は普通だがエレン自身が隠すように内股になっているので、視覚的には布の面積が大分少なく見えてしまう。

 計算通りの美術品にウンディーネは満足そうに微笑む。自分も美女だと理解しているウンディーネは、こんな美女美少女が三人も揃っている事は滅多にないと自慢したい気分でいっぱいだった。ここに混ざる男はさぞ羨ましがられることだろう。

「それで、詩人は?」

「仕事だそうです。夜には戻るとか」

 無言でジュースを飲むウンディーネ。

 快活に遊ぶエクレア。

 優雅に楽しむウンディーネ(じぶん)

 恥ずかしがる姿が愛らしいエレン。

 それを見ずに、仕事。

 別に悪いとは言わないが。

 これを見ずに、仕事。

 何か、自尊心を大きく削られた気分である。

「……私はここでゆっくりしてるわ。海で遊ぶ機会なんてないでしょう?

 楽しんできなさい」

「? わ、分かりました」

 何か不機嫌になったウンディーネに気が付きつつも、触らぬ神に祟りなし。エレンはエクレアの下へ駆けていく。

 海に向かって走るエレン。温かい風が頬をきる。塩気のある匂いを鼻が感じる。

 海に向かって走るエレン。寄せては引くさざ波が耳に届く。照り付ける日差しが心までも温める。

 そして海に足をいれた時の冷たさと、爽快さ!

 これが、海!

「う~~~ん!!」

 自分の格好の恥ずかしさを忘れ、体いっぱいで伸びをして太陽を全身で浴び、風を感じ、海を楽しむ。その瞬間のエレンはとても輝いていた。

「エレンさ~ん! 隙あり!」

「きゃ!?」

 先に海に入っていたエクレアは笑いながら水をかける。体が浴びたその冷たさに声が出て、そして驚きから笑顔へ表情が変わる。

 そしてエレンもかがんで海に手を浸し、水を掬いあげる。

「やったわね、エクレア! お返しっ!!」

「きゃ~あ!」

 ケタケタ笑いながらそれを受け入れるエクレア。

 そして二人は水かけ遊びを楽しむ。それを見ながら大人の余裕で浜辺で横になるウンディーネは、ジュースを飲み終えるとゴロンとうつ伏せになる。

 合図を出して使用人を呼び寄せる。サンオイルを体にくまなく塗らせるためだ。流石にそこらの男に肌を触らせるつもりはなく、使用人は女だったが。男の使用人が残念がるところまで横目で見つつそれを楽しむ辺り、この女性も中々性格がいい。

 そして女三人は存分に太陽の下で海を楽しむのだった。

 

 うってかわって室内。

 外は晴天だというのに窓は締め切り、ランプで明かりをとっている怪しさである。

 普段のこれは演出である。この近くにある海賊ブラックの宝をトレジャーするという娯楽で、海賊の宝を狙う以上は命の保証はない。そういった雰囲気作りをするための、舞台装置だ。その斡旋人であるハーマンという男はもう老人といっていいほどの外観である。

 だが、今のハーマンは娯楽を提供するという眼ではない。本物の海の男、命が軽いという事を呑み込んだ者だけができる剣呑な瞳をしていた。その視線の先にいるのは詩人。もちろん彼は気楽な宝探し遊びをするためにここに来た訳ではない。たまにいるのだ、本物を求める輩が。例外なく詩人と同じような鋭い眼差しをした男たちが。

「先に言っておく。ここから先は非合法だ」

「ああ」

 楽しむ為のリゾート地で危険があってはマズい。故に、安全に配慮した法整備は他の町よりも厳重に行われている。普段のハーマンの仕事はあくまでその範囲の中にあるが、これからする話に安全という言葉は含まれない。

 当然、普通にハーマンに会ってもそんな話は相手にしない。ある特別な方法で自分に接触した者にのみ、ハーマンは裏の顔を見せるのだ。

「本物のブラックの宝が欲しい、か。

 まずはどこでその情報を手に入れたか聞こうか。それとどこで儂の事も知ったかもな」

「両方ともフルブライト商会で調べてもらった。これが証拠だ」

 そう言ってフルブライトの手紙を見せる詩人。それには裏の顔としてのハーマンへの接触方法が書かれていた、フルブライト会頭の印と共に。

 受け取り、眺めながらハーマンは言葉を発する。

「フルブライトか、大商会だな。それに会頭の印とは…兄ちゃん、ただ者じゃねぇな?」

「ただ者がブラックの宝を求めないだろ?」

「違いない」

 クククと油断なく笑うハーマン。

 それを真顔に戻し、話を仕切り直す。

「それで、どんなお宝が欲しい? 知っての通り、儂は言われた宝の案内しかしないぜ」

 情報戦の全てを含めて実力だとハーマン老人は言っている。それすら備わない者にはブラックの宝は相応しくないと。

「オリハルコーン製のイルカ像」

 ぴくりとハーマンの眉が動く。

 確かにそれはブラックの宝にあった。フルブライトから奪った宝だとも記憶しているし、実際この男もフルブライトからの情報だと言っている。取り返しに来たのなら、バレてはいけない秘密がある。

 と、いうより、他に理由が見つからない。ブラックの宝で実用性がなく、元フルブライト所有のものだとすれば。ハーマンは慎重に言葉を選ぶ。

「イルカ像を見つけてどうする?」

「フォルネウスと戦う。俺の弟子と、その志を持った奴がな」

「フォルネウスと戦うだと!?」

 だからこそ、その言葉に驚きをもった声があがってしまった。

 意外過ぎる言葉だった。そして諦めた言葉でもあり、待ち望んだ言葉でもあった。

 だが、安易にその言葉にのる訳にもいかない。自分の正体に気が付いてカマをかけている可能性もあるからだ。

「これは驚いた! たかだが像で、どうやって四魔貴族のフォルネウスと戦うつもりだ?」

「バンガードを動かして船にする。フォルネウスに沈められない船はバンガードしかない」

「バンガードを動かす、だと?」

「聖王詩は知っているだろう? ランスの聖王家で調べた事柄から、バンガードは船として動く物だと俺は確信している。

 その為に必要なのが、天才玄武術師とオリハルコーン。

 バンガードとは話を通し、前者は既に手元に置いた。後はオリハルコーンさえあればバンガードは船として機能する」

「海底宮はどこにある? 広い海をくまなく探すつもりか?」

「西の果ての傍にいるロブスター族が海底宮の場所を知っているはずだ」

「…それをどこで知った?」

 ハーマンの言葉が一段低くなる。今、聞き逃せない言葉をこの男は言った。

「西の果てにいるロブスター族だと? その事を知っているのはブラック一味だけのはずだ。

 そしてブラック一味は儂を除いて全滅した。その事を知っているはずがない」

「……」

 表情を消し、沈黙する詩人。

「言い訳するか? それも聖王家の書物で知ったと」

「……ああ、その通りだ」

「実際に見た訳ではないんだな? それを信じろと?」

「信じるさ。他ならぬブラック一味の唯一の生き残りである、アンタが知っていたからな」

 それは確かに急いて攻めたハーマンの失策だった。

 ロブスター族はいるかも知れない、という事に保証を加えてしまったのはハーマン自身だ。だがしかし、この男の胡散臭さは抜けない。

 きな臭い、何かがおかしい。長年の勘からそれを確信するハーマン。

 それと同時にバンガードを動かすという事が本気である事も薄々理解した。というより、なんとなくだがこの男はハーマンは眼中にないのだろう。

 いや、四魔貴族のフォルネウスすら眼中にないのかも知れない。詩人は連れや弟子がフォルネウスと戦うとは言ったが、自分が戦うとは一言も言っていない。

 ならば…フォルネウスと戦うのは本当か。そこで嘘をつく事が感じられない。いや、嘘でもいい。あれから何年も経ったが、フォルネウスと戦うと言った者は初めてだ。ならばハーマンの言葉は決まっていた。

「いいだろう。イルカ像の隠された洞窟に案内してやる、1つの条件を飲めばな」

「…その条件とは?」

「簡単だ。儂を連れていけ」

「…は?」

「儂を連れていけといった。一緒にフォルネウスを倒してやる」

「それが、条件なのか?」

「ああ」

 迷いなく頷くハーマン。

 それに僅かに考え込む詩人だったが…まあいいかと思ってしまう。なんというか、断る理由がない。勝手に戦う分まで詩人は責任を持つ気はない。エレンと同じだ。

 違うところがあるとすれば、未熟ではないため詩人が稽古をする必要がないところくらいか。

「構わない。連れていこう」

「決まりだな。

 身辺整理に一日かかる、出発は明後日以降にしてくれ」

「分かった。その時にこっちの連れの顔合わせもしよう」

 話はまとまった。ハーマンが同行し、イルカ像を入手する。

 バンガードを動かす日は、近い。フォルネウスと戦う日も、近い。

 

 夕方に詩人が宿に戻ると、ウンディーネがエレンとエクレアに術の講義をしていた。体はほどよく太陽に焼けているが、リゾートに来てまで遊ぶなと言う程に詩人は鬼ではない。むしろ遊ぶくらい心に余裕がないと困ると思っている程だ。

「要するに地属性の術は流れを感じて操るものなの。水のせせらぎ、風の囁き、土の鳴動、炎の揺らめき。それらを感じる事が第一歩。そしてそれを操る事が術の本質。

 天の術は原理が全く異なるわ。明と暗、実と虚。現実に存在しないそれを明確に分けながらも、そのコントラストが描く曖昧さも理解しなくてはいけない。こっちもその実感が大切なのだけど、体で感じられないから難しいの。天の術の開発が進みにくいのはこれが原因ね」

「炎の揺らめきとか、感じられなくないですか?」

「暖炉に当たった事はあるでしょう? 瞬間ごとに温度の違いが分かるはずよ、それが炎の揺らめき。

 風や水は言うまでもないけど、地面も生きて動いているの。それを感じやすいと白虎の素質が高くなるわね。私に言わせれば、術の素質は体に合うかどうか。どれに感覚が合わせやすいかだけの違いなの。

 それらを全部組み合わせた術のエキスパートを育てる事も私の研究テーマに入っているわ」

 無茶な事を言う。そう思って詩人は講義に邪魔にならないところで静かにしている。

 実際、詩人にはここまで上手に術の説明はできないだろう。教育者としてウンディーネを引き込めたのは幸いだったと思わざるを得ない。

 そして更に講義を進めたウンディーネはやがて課題を一つ出す。

「それじゃあ、体感した流れを思い出してみましょう。

 今日、海で遊んだでしょう? エレンは海の流れを、エクレアは潮風の息吹をそれぞれ思い出して。それを体から発するように、魔力にのせて放出する。それが術の基本よ。瞑想して今日の事を思い出しなさい」

「ぅぇ!? 昼間は遊びじゃなかったの?」

 エクレアは思わず変な声をあげるが、ウンディーネはにっこりと笑って揺るがない。

「遊びよ。その遊ぶ感覚で術を覚えるのが大事なの。楽しむ事は学ぶ上で最も大事な事の一つなのよ。

 さあ、昼間の楽しかった事を思い出して。そしてそこで世界が動いていた事も思い出して、意識するの。やってみなさい」

 ウンディーネの言葉に、納得のいかない表情をしながら目を閉じるエクレア。ゆっくりと瞳を閉ざすエレン。

 彼女たちはすぐに集中し、己の中に埋没する。これも才能の一つだろう、一点に集中するという中々できる事ではない事を、彼女たちは容易にやり遂げるのだ。

 それを確認したウンディーネは満足そうに頷いて、部屋の片隅にいた詩人へと近寄る。

「お帰りなさい。昼間、遊ぶ間も惜しんでした仕事の成果はどうだったのかしら?」

「上々だな、協力者を得られた。明後日には動けるから、遊ぶのは明日までになるぞ」

「嫌味よ。全く、グレートアーチまで来てやる事が仕事って」

「仕事する為に来たからな」

 素っ気ない詩人にウンディーネは流し目を送る。

 詩人は整った顔立ちをしている。ならば、夜を楽しむのも悪くはない。

「貴方、遊ばないの?」

「遊ばないことはないが…」

「ねえ、今夜、私と遊ばない?」

 そう言って、艶やかな目で詩人を見るウンディーネ。

 彼女はその顔を見る、瞳を見る。困った顔をした男を見る。そして理解する。これは真面目な男だと。

 女と遊ばない、女を遊ばない、女で遊べない。

 そんな馬鹿真面目な男だと。理解した途端、ウンディーネは醒めた。

「…つまらない男だこと」

「…それは余り言われないな」

「だって貴方、女を見る目がないんですもの」

 人は見ても女を見ない男はウンディーネにとって相性が悪い。

 麗しい男と情熱的に刹那的に楽しむのがいいのだ。真面目な男に愛を説かれ、一途に付き合うなど性に合わないにも程がある。自覚があるのかないのか、詩人はその類の男だろう。相手に、そして自分に一途なのだ。一途になってから遊ぶのだ。

 だがまあ、人としての強さは本物だし嫌いではない。

「一杯、飲まなくて? ここのバーは素敵よ」

「付き合おう。正直、一日働いて疲れてるんだ」

 笑って酒を交わす為に歩き出す二人。そこにはどこか打算的な笑顔がある。

 そのくらいの距離感がちょうどいい。どちらともなくそう思いながら、リゾートに相応しい酒場へ向かう。心までは酔わないと、そんな不思議な緊張感を漂わせていた。

 

 夕方からは離れ、深夜には遠い。

 そんな時間に詩人は浜辺を歩いていた。ウンディーネと飲み、楽しみ、語らい、探り合う。そんな時間が終わり、就寝前の時間に散歩をしていた。

 気持ちのいい時間だった、だが、それもすぐに終わる。

 浜辺に二つの人影がいた。片方は剣を振り回し、片方は拳を繰り出している。

 戦いではない、鍛錬だ。それは動きを見ただけでも分かる。エクレアとエレン。彼女たちは、昼間に遊び、夕方に術を学び、夜に技を磨く。そうしているだけの話。

 そしてそれが、酒に酔った詩人には酷く不快だった。

「よう」

「詩人!」

「詩人さん!」

 笑顔を取り繕い、笑いかける詩人に動きを止める二人。

「鍛錬か? 精が出るな」

「遊びに来て腕を落としたら話にならないからね。フォルネウスと戦うのにまだ不足しているのは分かっているわ。ちょっとでも強くならないと」

 肩をすくめて笑うエレン。しっかりと地に足をつけて戦っている人間の笑顔だった。

 このままエレンは強くなっていくだろう、死ななければ。

―先生。強くなって、多くの人を救いたいんです―

 酒のせいか、エレンのせいか。脳内に思い出すその言葉、その笑顔。

「私もー。強くなるって楽しいし、やってて飽きないし!」

 エクレアも満面の笑みで言う。目的の為に強くなるのではなく、強くなる事が目的。それが悪いとは思わない。そういった仲間もかつていた。目的があった詩人とは反りが合わない事も多かったが、その強さと一途さに一目置いていた事を思い出す。

 ……懐かしい記憶だ。捨てた人、失った人。それを思い出した。

 復讐はもう間もなく完遂する。完遂させる。けれど、それでも失った人は戻ってこない。失くした絆は元通りにならない。

『復讐が終わったら、どうする?』

 レオニードの問いが蘇る。復讐にかけた時間は、余りに多く長い。他の事など忘れてしまう程に。

 だからこそ、再び人に教えるという事にここまで戸惑うのか。やりがいがあるなんて、そんな感傷にふけってしまうのか。まだ、復讐は終わっていないというのに。

「詩人? 大丈夫?」

 唐突にかけられた言葉に、詩人は声を失った。大丈夫だと、そう返す事が出来ず、絶句する。

 その表情を、エレンとエクレアは見ていた。

 元々、詩人がここに来た時から少しおかしかったように思える。酒に酔っていたせいか、何というか珍しく隙があるように見えた。

 少しの会話で詩人のその隙が広がっていくようだった。いつも揺らがない詩人が、どこか戸惑っているように見えた。

 それが普通の人間のはずなのに、エレンはどこか危うさを感じてしまった。そして聞いてしまった、大丈夫かと。

 反応は劇的だった。一瞬で顔面を蒼白にして、言葉を失ってしまった詩人。明らかに大丈夫じゃない人間の反応に、エレンは咄嗟に詩人の手を両手で包み込んだ。

 今の詩人は危険だと、頭ではなく心で理解していた。人は完全じゃない、心が動揺する時だってある。そしてそれは悪い事ではない。人と人が繋がっているのはこういう時に支えるものだと、エレンは信じていた。

 だからエレンは包み込むように詩人に触れる。自分はここにいる、詩人ほど強くはないかも知れないけど、頼ってくれていいのだと伝える為に。

 ただそれだけの事で詩人の顔に血の気が戻った。エレンは詩人の瞳を見る。怯えた小動物のようだったそれが、段々と落ち着いてくる。それにエレンはホっと安堵の息を吐く。

「貴方、疲れているのよ。早めに休んだ方がいいわ」

「……。あ、ああ」

 さっきとは別種の戸惑いを含んだ詩人。それを傍で見ていたエクレアも戸惑っていた。

 彼女にとって、詩人は特別な存在だった。自分が危ない時に助けてくれて、鍛えてくれて、優しくしてくれる。完全な人だと思っていた。けれどもたった今見た詩人にそれは当てはまらない。何かを怖がっている普通の人と詩人とが重なった。

 それに少しも落胆が無かったと言えば嘘になる。完全だと思っていた人が完全ではなかった。エクレアの勝手な思い込みである事は間違いない。別に詩人が自分で自分が完全だとも、最強だとも言った事はないのだから。

 でも、だからこそ。エクレアは初めて自分が詩人について何も知らないのだと気が付いた。自分の理想を押し付けて、自分の見たいものだけを見て、そしてそれ以上のものを見せてくれていた詩人。そんな彼の本当の事を知りたいと、初めて思った。改めて思えば、自分は詩人の事をよく知らない、本名すら知らないのだ。

「エクレア」

 そんなエクレアに詩人が声をかける。エレンから逃げ出すように声をかけた詩人だったが、その声は止まらない。

「俺の最も得意な武器は剣だ。そして棍棒は、重心や振り方が近いから好んで使っているだけに過ぎない。

 遠距離を攻撃するのに弓は上等な武器だし、武器がなくなった時の為に体術を覚えて損はない。だがこれらは便利だから使っているだけで、俺の得意分野じゃない。

 覚えなければいけない事と、得意分野を間違えるなよ」

「う、うん…」

 唐突な授業に曖昧な言葉しか返せないエクレア。だが、次の言葉にその顔色が変わる。

「俺の得意武器は剣、そして槍だ。

 …明日から槍を教えてやる。それが十分に身についたら、次は剣だ」

「本当っ!?」

「ああ。覚えたいんだろう、俺の剣を」

 喜色満面のエクレアを見つつ、横目でちらりとエレンの顔を見た。

 エレンはやや心配そうに詩人を見ていた。そんな表情をさせてしまった事に罪悪感を覚えつつ、詩人は踵を返して宿へと戻る。

「今日は休ませてもらう。最近、疲れているのかも知れないからな」

 

 

 

「……何をやっているんだ、俺は」

 

 

 

 




詩人も人間です。
惑う事も、自分の行動に理屈をつけられない事も、たまにはある。
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