見直したらマジでそうだった…。近いうち、全部直します。
それはさておき。
決戦フォルネウスです。
どうぞお楽しみください。
「これが、アビスゲート……」
ようやくと言うべきか、そこに辿り着いたエレン。感慨深いのか、緊張しているのか、喜んでいるのか、恐れているのか。自分の心が分からない。
だがそれに感じ入る暇はなかった。入ったその部屋、ゲートの間というべきその場所は余りに
自分達とは根本から異なるモノ、それに対する嫌悪感が湧き上がる。同時に自分たちに存在しないモノに対して惹かれてしまう心も、また。
だが遊びに来た訳でも、観光に来た訳でもないのだ。ゲートの破壊、それこそがエレンの目的。
嫌悪感とも好奇を奪われるとも思えるその違和感が最も強い部分は、地面で明滅する白い珠。人が一人すっぽりと入れてしまいそうなソレがゲートなのだと、直感的に理解できた。
どこか非現実的な感覚のまま、エレンは斧を手にふらふらと白い珠に近寄っていく。
『近づくな、雑魚が』
その声に、正気が戻る。寸前までの
「あの白い珠を破壊するわよ!」
明らかにあの声は白い珠に近づくのを嫌がっていた。アレこそがゲート、アビスとの境界に他ならないと確信したエレンはそう叫び、仲間たちは決意の瞳でそれを見据える。
エレン達を排除するべきモノと見定めたのだろう。白い珠が激しく明滅し、まるで投影された画のようにフォルネウスの体が小さく映る。そしてソレは瞬く間に白い珠いっぱいに広がると、現実を侵食するように実体化した。魚を無理矢理に人として当てはめたかのような醜悪な姿は、エレンとエクレア、そしてハーマンには見間違いようもない。
四魔貴族のフォルネウス、それに相違なかった。
「っ!」
「フォルネウスっ!」
「会いたかったぜぇ、何年も前からなぁぁぁ!」
思わず体が強張ってしまうエクレア。決して引けぬと力を込めて倒すべき敵を呼び捨てるエレン。気炎を上げて宿敵を睨みつけるハーマン。
しかしフォルネウスはそれに醒めた目を送るだけである。ため息でもつきそうに、呆れた声をあげる。
『ふん。人間風情が無駄に吠えるものだ』
「じゃあその人間風情に倒されるお前はどの程度なのかしら?」
ウンディーネが気丈に挑発をし返すが、フォルネウスは気に留めた風もない。
ますますハーマンの怒気が高まっていくが、それに水を差したのは素朴な疑問を抱いたボストンだった。
「というか。私は人間なのかな?」
「ボストン、気持ちは分かるけど気が抜ける発言は止めて…」
思わず脱力してしまいそうな、けれども確かに言われてみれば、まあ確かに。ボストンはロブスター族である。人族の、ひいては人間の括りにしていいのかは判断が難しい。
適度に緊張が抜けるのはエレンたちのみ。フォルネウスの態度は変わらない。
『雑魚に変わりはなかろうが』
種族がなんであれ、踏み潰すだけの弱者には違いない。
ここまでコケにされては全員が全員、流石に怒りがこみ上げる。そしてこみ上げた怒りが委縮してしまう程の実力差はないと、そう思える程に強い人間であった。
それが良しか悪しかは分からない。少なくとも弱腰にならない人間たちを見て、フォルネウスは少なからずやる気になってしまう。きっちり潰すべく、重心深く構え殺意を漲らせた。
『アビスの真髄を見るがいい――!!』
真っ先に駆け寄る、という者はいなかった。フォルネウスは自分達5人を合わせたよりも強い。それを理解し、納得し、呑み込む事からエレン達の作戦は練られていた。フォルネウスにもっとも強い感情を持っているハーマンでさえ、そこは認めた。勝つためには認めざるを得なかった。
「地走り!」
「トマホーク!」
「ソウルフリーズ!」
少女の大剣から地を這う衝撃波が。老爺の腕から鋭く投げられる手斧が。天才術師から放たれる冷気が。まずは遠距離から攻撃する手段にて戦いは始まった。
『小賢しいっ!』
その攻撃を。避けるまでもないと言わんばかりに全て真正面から受けるフォルネウス。地面を走る衝撃波は尾ビレの一撃で叩き潰し、飛来する手斧は片手で掴み握り潰し、襲う冷気は口から吐き出す水鉄砲で霧散させた。
しかしフォルネウスが小賢しいと評したのはそれではない。人間たちとて、溜めがほとんどないその攻撃で手傷を負わせられるとは思っていないのは理解している。その最初の攻撃を目晦ましにして、エレンとボストンが左右から挟むように突撃するのが小賢しいのだ。
実力差が大きいとはいえ、いやだからこそ自身が持つ最高の攻撃を与え続けなければ勝機はない。故に接近戦が得意な面々はフォルネウスに近づくしかない。
もちろんそれは迎撃される危険をも孕む。フォルネウスは片手をエレンに向け、ボストンには顔を向ける。そして鋭い爪を振りかざしたのと、水鉄砲を吐き出したのは同時だった。
それに全くひるまなかったのはボストン。
「ロブスター族である私に水鉄砲が効くとォブゲラァ!」
しっかり効いた。水自体はともかくとして、その水圧は岩を穿つ程に強力なのである。物理的に効かない方がおかしい。その水圧に吹き飛ばされるボストン。
対してエレンにそんな油断は存在しない。襲い掛かった爪をよく見てかわし、そのがら空きになった脇にカウンターの一撃を短勁にて叩き込む。
『グ』
渾身とも言える一撃に対してフォルネウスがこぼした言葉はその一言のみ。どのくらいダメージを与えられたのか、あとどのくらいダメージを与えなくてはいけないのか。気が遠くなる、という感覚は捨て去っている。そんな感想は、勝ってから持てばいい。開き直っているとも、達観したともいえる心境でエレンはこの一戦に臨んでいた。
そしてエレンとボストンの背後から更にフォルネウスに襲い掛かる二人。エクレアとハーマンが即座に攻撃を仕掛けるために、初撃が終わった直後から走り出していたのだ。
「ちょ、ボストン。本当にそういうのやんなくていいから!」
「オラ、ボストン! ヌルい動きをしてんじゃねーぞ!」
比喩なく命が懸かっているのである。油断して見事な迎撃を喰らったボストンには、敵以上に味方が容赦ない。
エクレアは接敵すると同時、すれ違い様に攻撃できる払い抜けを選択し、ハーマンは渾身の一撃である大木断の構えをとる。攻撃に時間差をつけることによって、バンガードで喰らった回転する体当たりを警戒して回避する。あの技は隙が大きいため、仮に一人が吹き飛ばされたとしても残りで一気に畳みかける事が可能だ。もちろん、そんな間抜けなミスをフォルネウスが犯すとも思っていないが。ボストンでもあるまいし。
そしてフォルネウスに近づいたエクレアは払い抜けを繰り出そうとして、違和感に気がつく。
(アレ? 一撃だけじゃなくて、二回斬り払えない…?)
駆け抜け様に一太刀加えるのではなく、斬り上げと斬り下げを同時に行うのである。昔ならともかく、腕力がだいぶついた今なら可能だと思えた。そして思いついたら即実行、エクレアの長所の一つである。
逆風の太刀。そう呼ばれる一撃がフォルネウスに食い込んだ。そして反対側からはハーマンが大木断にて裂傷を与え、即座に引く。
『グゥ!』
「ムーンシャイン!」
後方に控えたウンディーネが、無様に吹き飛ばされたボストンを癒しの光で包み込んだ。ミスをした仲間をフォローするのも術師であるウンディーネの役目である。
そして立ち直ったボストンの前に立つのはエクレア。逆サイドにはエレンが前に立ち、その後ろにハーマンが居る。最奥にはウンディーネが控えており、何かあったら即座にフォローできる態勢を整えている。
『ム?』
そこでフォルネウスは違和感に気が付いた。最奥にいるウンディーネから癒しの術力が全員に流れ込んでいるのだ。フォルネウスに切り込むというそのプレッシャーや使った体力、そして受けた傷をも徐々にだが癒していく力の流れ。
これが天才術師と言われたウンディーネが編み出した、最高の陣形と自負する玄武陣である。最奥の術師から前衛に向かって補助する術力を流し続けられるという、術師の能力を最大限に活かせる陣形。欠点といえばその特性上、術師にかかる負担が大きい事だが、ここにいるのは天才である。短期戦は当然、中期戦でも数人ならば持たせられる。さらにウンディーネは術力を回復させる
では奥にいるウンディーネから片づけようかというと、そう単純な話でもない。最奥のウンディーネに攻撃しようかと踏み込むということは、四方に散っている前衛の真ん中を突っ切るということだ。袋叩きにして下さいと自分からお願いするような愚行である。
『やるな』
ここに至ってようやくフォルネウスは認識を改めた。改めざるを得なかった。
そう、雑魚を適当に潰すのではなく。雑魚を丁寧に潰していくべきだと。とりあえず前にいる4人のうち、1人でも潰してしまえば陣形の流れは途絶えるだろう。玄武術にも精通しているフォルネウスにはそれが分かった。
ギロリとその巨大な瞳が、眼前にいる小さな4人を睨みつける。
戦いは次の段階に進もうとしていた。
軽く連続で振るわれるその爪は致死の威力。繰り出される水鉄砲は凶悪で、剥き出しで迫る牙は鋭い。
そんな猛攻を紙一重でかわしつつ、なんとか反撃をしていく一同。
「はぁぁぁぁぁ!!」
反対側に居たエクレアに攻撃を定めたフォルネウスの隙をエレンは容赦なく抉る。短勁を連続で繰り出し、内部に確実なダメージを与える。
が、今回は一歩踏み込みが深すぎた。邪魔だと言わんばかりにフォルネウスの尾ビレが振るわれ、その尾撃が加えられる。かする程度だが、フォルネウスとエレンではサイズが全く違う。まるで巨漢に突進をくらった様にはね飛ばされるエレン。
それでもエレンは動揺しない。尾撃の後は即座に追撃が加えられない事を理解しているため、目を一瞬だけ閉じて集中。
集気法。そう言われる気の運用方法の一つである。気は攻撃だけに使われるのではなく、このように癒しの力にも使える。錬気拳のように相手を弾くにも引き寄せるにも使える、術力に負けず劣らずの万能性を秘めているのである。ただ、その活用法が周知されていないだけ。もしかしたら、エレンは気の活用を広める第一人者になる可能性も大いにある。
この戦いを生き延びられたら。その但しがつくが。
フォルネウスの攻撃を必死にパリィしていたエクレアだが、単一を狙ったフォルネウスの猛攻に無傷で済む訳はなく、一気に傷ついていく。それを必死に術で癒していくウンディーネとボストン。術師ではないボストンまで癒しに回らなくてはならない程の猛攻だった。
「ナップ!」
ここはハーマンも術でフォローをいれた。本来は相手を眠りに誘う術だが、フォルネウス相手にそこまでは見込めない。しかし気を散じさせる程度の効果はあったようで、エクレアのパリィの成功率が格段に上がった。
うざったいという感情を隠そうともせず、僅かに下がったフォルネウスは全体にダメージを与えようと術を唱えた。
『スコール』
激しい雨が降り注ぐが、ウンディーネが創り出した鱗のお守りのおかげで、全員が玄武術に強い耐性ができている。無視できるダメージは当然無視する。
が、それをみてニタリとフォルネウスが嗤う。スコールを唱えたおかげで頭上には厚い雨雲ができている。そして玄武術は水だけでなく、雷も司るのだ。フォルネウスは雨雲に術力を注ぎ込み、雷を発生させた。
激しい雷が降り注ぎ、一行全員を襲う。前衛には牽制程度の
「きゃああああああぁぁぁ!」
直前のスコールで前衛の気を引いた上で、意識が薄くなった術師を仕留める。フォルネウスの作戦が見事にはまってしまった。
流れる術力の低下が生命線であるウンディーネの危機を雄弁に語ってくれる。
「いかん!」
焦りを隠せず、ボストンが下がって癒しの術をかける。これで前衛は3人であり、先程と比べて一人辺りの攻撃密度は単純に増える。最低でも1人はこれで仕留められるだろう。
楽なものだ。そう嗤うフォルネウスに、エレンは突撃の速度を上げながら叫ぶ。
「術!」
意味を理解したエクレアは不安そうに、ハーマンは迷いなく下がった。
これはフォルネウスも意外な展開である。まさか薄くなった前衛を更に薄くするとは。しかし襲い掛かってくるエレンの瞳に覚悟と決意を感じ取り、本気でたった独りで四魔貴族フォルネウスを相手取るつもりなのだと理解した。
『面白い、その匹夫の勇を思い知らせてやる!』
エレンはここが勝負所だと、その鋭い勘で感じ取っていた。フォルネウスは新手である落雷を使ってでもウンディーネを潰そうと画策し、こちらはそれにはまってしまった。
が、それを隙とみた攻め手を潰せれば、相手は一手を失う。ならば選択するは守るでも迎撃でもなく、突撃である。優勢になって慢心を増やしたフォルネウスを逆に攻め立てる。ここは安全を犠牲にする場所だと、確信できた。
先に襲い掛かるはリーチのあるフォルネウス。その長い腕を伸ばし、爪を振りかざす。エレンは槍ほどもあるその爪に対して拳を振るい、錬気拳をも使って弾き返す。
走り込んでくる小さな人間に向かって水鉄砲を放つ。エレンは細かいステップで的を散らし、直撃する大ダメージのみを回避する。体がきしむが気にしない。
体をグルリと回転させ、最大の遠心力を込めた尾撃を叩きつける。エレンは高く高く飛び上がり、ギリギリ下を凶悪な威力が込められた尻尾が通り過ぎる。
全てを攻撃をかわしきる。フォルネウスとエレンの距離は近い。にやりと笑うエレンにフォルネウスは激高した。
『小賢しいわぁ!』
その巨体全てを使ったぶちかまし。近すぎるエレンに回避する
だから。エレンはその絶望の光景を見て。
かかったと、ほくそ笑んだのだ。
この一撃はフォルネウスから向かってくるもの。エレンは、フォルネウスは最後には必ずその巨体を生かした攻撃をしてくることを期待していた。そしてそれこそが、相手の威力と自分の威力が合算されるカウンターに最も適した瞬間なのだ。
錬気拳を強く練る。重力場が発生し、フォルネウスが加速する。驚きに表情を変えるフォルネウス。いくら体当たりといえど、いやだからこそか。相手に当たるその最後の一歩の踏み込みが大切なのだ。なのに、その拍子を外された。
残るは待ち構えるエレンに向かう大きな的。
全身全霊を込めたエレンの拳がその醜悪な顔に突き刺さる。
『グォォォ…!』
たまらずたたらを踏んで下がるフォルネウス。しかし災難はこれで終わらない。なんの為にエクレアとハーマンは下がったのか。
エレンが生み出すと信じた、この隙の為である。
「「トルネード!!」」
蒼龍術最強威力を誇るその術が二重に発動された。双子の真空龍が生み出す破壊力は二倍ではない、二乗だ。
玄武陣にてお互いの流れを感じられるからこその、僅かなタイミングのズレも許さない蒼龍の合成術。最強術の重ね撃ち。
もはやフォルネウスの悲鳴さえ聞こえない壮絶な竜巻に、近くにいたエレンさえも軽く吹き飛ばされてしまった。もちろん空中で体勢を立て直せばなんてことはない。そして宙を舞いながらエレンは戦場を俯瞰的に把握する。
ボストンの術が効果を為し、ウンディーネは立ち直っていた。エクレアとハーマンは術に集中している。フォルネウスはその中心で身動きが取れず、絶叫すら聞こえない。
……絶叫すら、聞こえない?
トルネードの威力はもう弱まってきているのに?
ゾワリとした感覚がエレンの背筋を這う。着地と同時にエレンは叫んだ。
「守れ!」
叫びながら体を小さくし、攻撃面積を狭くするエレン。反応できたのはハーマン、斧を斜めに立てて攻撃を受け流す体勢に入れた。
だがそこまで。エクレアとボストン、ウンディーネは間に合わない。
―メイルシュトローム―
フォルネウスを中心に、空間に大きな波紋を広げながら、回避のしようもない衝撃波が全てを覆いつくす。
余りの威力にエレンは何度も何度も転げまわり、地面に叩きつけられる。前も後ろも、上も下も分からない濁流に呑まれながら、それでも必死に意識は保つ。
やがて静まった空間。倒れ伏しながら、何とか周囲を把握するエレンの目に映ったのは散々たる有り様だった。
ウンディーネとボストンは折り重なるように倒れ、壁際まで押し流されてしまっている。ハーマンは何とかその場に留まれたようだが、既に体力は残っていないのだろう。肩で息をしている。
そしてエクレアは――フォルネウスのすぐ側で倒れていた。激怒のみを宿した瞳のフォルネウスの側に。
『よもや、よもやこの私が切り札を切らざるをえないとは…。
このような雑魚共に、雑魚共にぃぃぃーーー!!』
「あ、あ、あああ……」
フォルネウスの憤怒の咆哮。エクレアは恐怖と痛みで動けない。ウンディーネとボストンは遠すぎる。ハーマンは動く体力も尽きたのか、ぶつぶつと何かを呟くのみだ。
「おおおおおおおぉぉぉぉぉーーーー!!」
フォルネウスがエクレアを、自分を慕ってくれる少女を踏み潰す前に。
お前が私に滅ぼされろ。
エレンは飛び上がった位置エネルギーを確保しつつ、その戦斧を肩に担いで大きく溜める。そこから投げつけられる威力はもはやただのトマホークではない。
スカイドライブ。
高速回転しながら飛来する戦斧は、フォルネウスの顔面に深々と突き刺さった。
余りの威力に後ろに倒れるフォルネウス。
地面に着地したエレンは、痛む体に鞭うってエクレアに駆け寄ると、少女を抱き上げて後ろに下がる。
そして見る。フォルネウスは動かない。
動かない。
動かない。
「あ」
「ああ、あ」
「「はぁぁぁ~」」
二人で大きく息を吐き出し、そして顔を合わせて笑みを見せる。
『殺す』
その笑顔が凍り付いた。
のっそりと、巨体が起き上がる。顔には大きく醜い傷がつき、片目が潰れている。それでも残ったもう片方の目は、通り越した怒りでむしろ澄んですらいた。
『殺す』
もう一度の宣言。いや、宣誓。
襲い掛かる威圧に。ウンディーネはへたり込み、ボストンは達観を抱かざるを得ない。ハーマンは未だに正気でないのか、ぶつぶつと呟くのみだ。
そしてエレンは。
立ち上がり、拳を構えた。
エクレアはそんなエレンを不安そうに見た後、決意の瞳でバスタードソードをフォルネウスに向けた。
『殺す』
「「お前が死ね」」
声が揃う。それを合図に踏み出す足、近づく巨体。
その動きが直前で止まる。
ハーマンの周囲から爆発的な風が舞い起こったからだ。いや、風ではない。肌は風だと感じているのに、服は動かないのだ。風なのに、風ではない風。
それは限られた者にのみ許される、蒼龍術の奥義。
術の奥義と呼ばれるものは、全て生命力を削って発動される。例えば朱鳥術の奥義は生命力を使う代わりに死からも舞い戻るように傷を癒し、例えば玄武術の奥義はその命を捧げる代わりに時間の流れすら捻じ曲げる。そう、術の奥義とは命を差し出す者にしか使う事が許されない。
そして蒼龍術の奥義は。その生命力を削る代わりに、その体におぞましい程の力を分け与える。まるで龍の神を宿すようなその術は単純にこう名付けられた。
―龍神降臨―
立ち上がったハーマンはもはや老爺ではない。黒い髪に皺のない顔、生命力に満ち溢れたその顔を、この場ではたった一人だけが知っていた。
「ブ、ブラック!」
「再会の挨拶が遅れてすまねぇな、ロブスター族のボストン。大海賊、ブラック様の復活だ」
僅かばかりのな。そう言いながらニヤリと笑うハーマン…ブラックは、斧を担いで悠々と歩き出す。宿敵、フォルネウスに向かって。
そしてその間に居たエレンとエクレア。その側で止まると、素手になったエレンの近くに斧を振り下ろした。ザンと地面に刺さった斧には目もくれず、素手でフォルネウスへと向かう。
「ハー…ブラック、これは? 貴方、素手じゃあ!!」
「俺様の形見だ、取っておけ。ブラックのお宝の中で最高の物さ。質といい、価値といい。ブラック様から直々に手渡されたなんて逸話がついちゃあ、売るにも困る値が付くぜ」
「ジ、ジジ…イ!? いや、オッサン! 危ないよ!!」
「お前は最期までそれか、チビ。ま、お前と一緒の旅は悪くなかったぜ」
肩越しに軽く手を振って応えるブラック。彼は振り向く事すらしない、ただ命と共に言葉を置いていく。
「エレン。俺様の言葉、忘れるなよ。信じる者を間違えるな」
一歩一歩、進んでいく。命を風のように散らしながら。
「動きは俺様が止める。ゲートを破壊するんだろう? しっかり決めろ。
ブラック様の一世一代大舞台、くれやがった負けをノシつけて返す大チャンス。覚悟を決めろよ、エレン。
そして、お前もな、フォルネウスゥゥゥーーーー!!」
雄たけびをあげながら突進するブラック。余りの光景に我を忘れていたフォルネウスだったが、流石に敵が眼前に迫ってまで呆けはしない。
人間如きに負けてなるものか。その気炎を上げながらブラックに襲い掛かるフォルネウス。だが、気が付いていない。負けてはなるものか、その思考はすでに王者のものでないことを。
先に振るわれるフォルネウスの爪。それを腕で受けるブラックだが、ビクともせずに僅かも揺らがずフォルネウスの胴体に向かって突進を続ける。
そして組みついたブラックは、何倍も十何倍もある体格差をものともせずにフォルネウスを押し込み、今までの鬱憤を晴らさんばかりにその胴体に拳を入れる。
『ゴバァァァ!?』
苦悶の声、どころではない。汚らしい胃液をブチまけながらフォルネウスは体をくの字に曲げつつ、後退する。
そんなフォルネウスの姿を見てさらに気を良くするブラック。
「オラオラオラオラ!! どうした、四魔貴族様よ、フォルネウス様よ!? 俺様の脚はうまかったかい? 吐き返してくれるまで殴ってやるよ!!
頭を下げてお願いするならやめてやってもいいんだぜ?」
『ゴブッ! ゲブェ! グゴォ!!』
「どうしたどうした、海の覇者様よぅ? 出るのは呻きと胃液だけってかぁ?」
『な、なめるなぁ、下等種がぁ!!』
殴りかかるフォルネウス。それを顔で受けて、しかしブラックは微動だにせず不敵に笑う。
「おおっと、こいつは失礼。負け惜しみも出るのかい?
で、どうよ? 下等種に無様な負けを晒す王様の気分は?
よかったら冥土の土産に教えてくりゃぁしねぇかい?」
『こ、この…、このぉぉぉ!!』
「そんなお前さんにアドバイスだ。今日は落下物にご注意を、ってな!」
ハっと僅かにできた影に気が付き、フォルネウスは顔を上げる。頭上高くに跳んだエレンが、そのブラックの斧を大きく振り上げていた。
マズイと避けようとするが、ブラックが組み付いて離れない。動けない。避けられない。
エレンは限界を超えるように力を溜めて、その一撃を振り下ろす準備の全てを整える。その脳裏にハーマンの言葉が蘇る。
(斧は動かないモノに対して高威力を与えるもの)
動けないフォルネウスはもはや
『おのれ、おのれおのれ! こんな、こんなバカな事が…! あっていいはずがぁぁぁ!!』
「マキ、割、ダイナミィィィクッ!!」
醜悪で巨大な魚人が縦に真っ二つに割かれていく。
エレンはその勢いに負けないように、その手に持った斧を深く深く振り下ろしていく。
その感触がふと消える。直後、エレンの視界に映ったのは白い珠。アビスとこの世界を結ぶ、ゲート。
躊躇いなど、一瞬もない。
「
ガキィィィと甲高い音が鳴り、白い珠に亀裂が入り。そしてゲートは命を無くすように、その輝きを無くしていった。
同時、真っ二つにされたフォルネウスも消えていく。まるで世界に存在しなかったように、世界に存在を否定されたように。
薄暗くなったゲートの間、その中心部を破壊したエレン。彼女はゆっくりと立ち上がると、周囲を見渡す。
何が起きたのか分からないといった表情のウンディーネ。呆気といった様子のボストン。ゲートの間に入ってきた詩人。万が一の為に剣を構えていたエクレア。
そして、全てが終わった事を確認して、崩れ落ちるブラック。
「ブラック!!」
全員が全員、命を燃やし尽くして戦った海賊に駆け寄る。
「ハーマン、いや、ブラック…?」
「おうよ、詩人よぅ。俺様が大海賊ブラックよ。どうだい、男前だろう?」
「うむ。もう一度会えて嬉しく思うぞ、友よ」
「そうかい。俺様に会えて嬉しいかい、ボストン。我が友よ」
「……ありがとう」
「随分としんなりしてるじゃねぇか、ウンディーネ。元気になったら一晩、どうだい?」
「いやだ、いやだよぅ…。ブラックッ……!!」
「おうエクレア。ようやく俺様の名前を呼びやがったな」
「…………」
「で、お前さんが黙って泣くのかよ、エレン…」
死にかけのブラックは溜息を吐いた。
ボストンはともかくとして、他の顔が辛気臭いこと。せっかくの場面が台無しである。
快活に笑いながら、ブラックは二人の少女の頭を慰めるようになでる。そのゴツゴツとして、海を生き抜いた男の手で。
「な~に悲しんでるんだよ。エレン、エクレア。
大海賊ブラックさまの大往生だぜ? 笑って見送り、泣いて喜べ!!」
「じゃあ、これは、嬉し涙…。の、わけ、ないじゃない!!」
「ブラック、ブラック、ブラックゥ。ぅぅぅぅぅぅぅ…」
「おいおいおい、俺様は、俺様が死ぬ事を、悲しんじゃあ、いねぇぜ?
負けを、返して、死ねるんだ、上等、な、死に様、だ、ろ……?」
もう、ブラックに生命力は残っていない。
それでも、彼は笑う事をやめない。笑いながら、楽しそうに、死んでいく。
「てめぇら、人生、楽しめ! 今日は、泣いて、
笑って、生き、ろ。そして! 笑って、死ね!!」
呵々大笑。
やがてそれは小さくなり。
そして。
消えた。
犠牲の無き戦いは存在しない。
だがそれでも人は笑って死ぬことができると、初めて知った。
…ブラックの最期の言葉は、誰に遺したものだろう?
分かっているはずなのに、問い掛ける。