詩人の詩   作:117

32 / 107
新章、はじまります。
6話後からの分岐、ロアーヌ編になります。
詩人がほとんど関係ない話なので、外伝とさせていただきました。

ちょいちょい過去の話も訂正などしていきます。
感想や指摘なども頂けたら嬉しいです。

では最新話をどうぞ。


外伝・ユリアン編 護衛の剣
032話 ロアーヌの日々


 

 ゴドウィン男爵の乱から幾日か経ったある日。

 ロアーヌ宮殿鍛錬場、そこで威勢のいい声が上がっている。

「たぁ!」

 その声の主は新緑の髪色をした青年、ユリアン。彼は色黒の剣士ハリードに向かって木剣を振るっている。

 虚をついた技であるが故に名付けられた失礼剣。そこから派生して真横に剣閃を発生させる飛水断ち。続けて上段から太刀を振るうが、初撃はフェイント。重ねた二段目が本命であるかすみ二段。

「ふむ」

 その全てを冷静に受け切ったハリードは、技を出し切って出来たユリアンの隙に自分の木剣を叩き込んだ。

「くっ!」

 真剣ならば切り殺されている一撃である。ユリアンは悔しそうに呻きながら後ろに下がりつつ、しかし手に持った得物は落とさない。

 それを満足そうに見て笑ったハリードは声をかける。

「教えた技はおおよそ身についているな。じゃあ、今日はここまでだ」

「ありがとうございました!」

 ビシっとした敬礼をするユリアンに再度満足そうな顔をしたハリードは、機嫌よく鍛錬場から去っていく。それを直立不動で見送っていたユリアンだが、やがてハリードの気配が完全になくなると、その場に倒れ込んで荒い息をつく。

(まだまだだな、俺は)

 モニカ姫を守る。

 ただこの一言が、余りに遠い。

 ロアーヌに来てからの僅かな時間でも知った。誰かを、特に貴族を守るという事は武に優れればいいというものではないということを。

 例えば礼儀作法。それらを持たなければ、格のある儀礼に参加するすることさえ許されない。そしてその場を暗殺者が強襲すれば、体を張って守る以前の問題だ。自分の目の届かないところで全てが終わってしまう。

 そしてそれらを学んだとして、暗殺者から貴人の身を守らねば意味がない。儀礼の場に参加できました、けれども自分も姫も殺されました。それではなんの意味もないのだ。

「精が出ますね」

「あっ…。カタリナ様。ご無様をっ!!」

 倒れ込んでいたユリアンだが、現れた人物に慌てて体を起こし、頭を垂れる。

 カタリナ・ラウラン。ロアーヌ貴族であり、もう何年もモニカ姫の護衛を務めあげている女傑だ。もちろん女性であるその身の上からして、仕事は護衛だけに留まらない。侍従やメイドといった女性でしか務まらない役割も見事にこなし、ミカエルやモニカの信頼は絶大といっていい。その証拠に彼女はロアーヌに代々伝わる聖王遺物を預けられている。マスカレイド。普段は隠し持ちやすい小剣だが、使い手が念じるだけで巨大な剣に変化して強く敵を叩き切る。暗殺にも向いた剣であるが、ロアーヌはそれを護衛の為として決して変えない。一説にはロアーヌ当主の妻となるべき者しか持つことが許されないと論じる者もいた程である逸品である。それは先代のロアーヌ候であるフランツがカタリナに預けたことによって否定されたが。

 そして現在、モニカの護衛であるプリンセスガードの隊長はカタリナであり、副隊長はユリアンである。その下に何人かの人員は存在するが、上位二人は変わらない。これはもちろん決して実力順ではない。モニカの信頼している順番である。

 いざという時に信頼がなければ話にならない。そう判断したミカエルは、モニカの意見を最重要視した。実力が無ければ話にならないのは当然だが、信じられるというのもこれ以上なく大切な要素である。暗殺者に襲われた時、最後の壁が裏切り者でしたでは笑い話にもならない。いや、むしろ笑い者として世界に広まってしまう。そこで最も信頼できる一人としてカタリナに隊長を任せ、信頼できる者の実力を上げていくという方法をとったのだ。

 つまり、ユリアン以下の隊員はモニカの信頼を得ていないという話である。彼らの最重要課題はモニカの信頼を得る事。そして現在ロアーヌの剣客であるハリードに手解きを受けているユリアンの重要課題は自身の腕を上げる事。

 彼は就任した当初は一端の兵士くらいの実力はあった。が、プリンセスガードで一端の兵士程度では困るのだ。そのためミカエルは内々を整える間のハリードの仕事としてユリアンに剣を教えさせて、そしてカタリナには作法を教えさせるように命令。そしてこれには両者とも快諾をした。カタリナが上司命令に従うのはもちろんだが、ハリードも自分が見込んだ青年を鍛える事を悪い事と思わなかったのである。

 そしてメキメキと実力を伸ばしていくユリアンだが、そこで彼が感じてしまったのはハリードやカタリナとの隔絶した差である。剣であれ、作法であれ、なんであれ。自分はこの両者に敵うものは無いのではないのかという劣等感。それがユリアンをなおさら下手に出させていた。

 それを見てクスクスと笑うカタリナのそれは嘲笑では無い。自分の程を見据えた上で、上を目指す弟を見守るような慈愛の笑みだった。

「見ていましたよ、ユリアン。また腕が上がったみたいですね」

「いえ…。カタリナ様やハリードさんにはまだまだ及びません」

「あら。私たちより強くなる必要はないのよ。モニカ様を守れれば、それでいいのですから」

 カタリナを様と呼ぶのは上司として当然だが、ハリードに敬称をつける必要は実はない。立場としてはプリンセスガード副隊長であるユリアンの方が上であるくらいだ。

 しかしユリアンはそこで教わっている人を呼び捨てる程に驕ってはいない。ハリードが重職についていないのは彼本人がそれを嫌った為であり、自分がハリードより腕が上であるとは夢にも思わない。状況などその他諸々が作用してこうなっているだけの話なのだ。実際に剣を教えられている立場として、それは重々承知している。

 だが現実としてユリアンの立場が上なのは事実である。そこで彼は公の場ではハリードを呼び捨てて、こういった場では最低限の敬称として、さん付けで呼んでいる。このような使い分けは礼儀を教える側のカタリナとしてもにっこりだ。

「疲れたでしょう、お茶を淹れるわ」

「あ、ありがとうございます」

「ついでに、お茶のマナーも見てあげる。それに今はいいけど、ある程度作法やマナーが身についたらお茶の勉強もした方がいいわね」

 さらっとそう言うカタリナにちょっとだけ顔が強張ってしまうユリアンだが、無理矢理に引き締めて返事をする。

「はい、頑張ります」

「精進、精進よ」

 差は存在する。足りないものも多い。そんなユリアンだが、彼は着実に努力をして前に進んでいる。及ばない事を自覚して、劣等感に苛まされながら、しかし決して腐らない。

 そんな意志ある青年を、カタリナは穏やかな眼で見ていた。

(もしもユリアンがモニカ様を守るに足る男になれば、その時は――)

 自分の役目も終わる。もしもその時、ミカエルの奥方が決まっていないのならばもしかして。

 その想像を軽く首を振って終わらせるカタリナ。何を馬鹿な事を思っているのか。自分がミカエルの隣になどいるべきではない、自分はミカエルの片腕として相応しく腕を磨いてきたのだから。

 冗談ならば想像、いや妄想するくらい自分で自分を許しただろう。恋に恋い焦がれる女として、少し醒めた視点も持てた。だが、彼女は悲しい事に本気だった。本気でミカエルを愛してしまっていた。

 故にそのような想像は許されない、愛に溺れてしまえば視界が狭くなる。それは隙となり、ミカエルの不利になる。

 そう。理解していたのに。

 愛という感情は制御できるものではないと、カタリナはこの時は想像できなかった。いや、想像が足りていなかったのだ。

 

 夜。

 にこやかな笑顔でユリアンがくたくたになるまで作法を教え、そしてカタリナ自身も少し疲れてしまった。

 ロアーヌの中庭を散歩して、強張った体をほぐしていた彼女であるが、ふと囁く声を聞いてしまう。

「カタリナ。お前を、一人の女性として愛している……」

「!!」

 その声がカタリナに与えた衝撃は、大きい。

 カタリナの産まれであるラウラン家はロアーヌでは名門である。その上で彼女は美しく、強い。ミカエル候の信頼もまた厚い。そんな彼女の立場や容姿に見惚れた男が、求婚した事も少なくない。

 もちろんカタリナはその全てを断ってきた。この身はロアーヌに捧げたが故、ロアーヌに益無き婚姻は致しませぬ。そう言って。

 だが、だからこそ。その声の主ならば。

 カタリナは、身も心も委ねる事ができた。

「ミカ、エル様…」

「! 誰だ!!」

 囁く声が聞こえてきた方向から、重く鋭い誰何(すいか)の声が聞こえてくる。

 だがそれにカタリナが強張ることはない。むしろ誰も聞いてないからこそ口に出してしまった本音だと、顔が赤くなる自覚があった。

「わ、私です。カタリナです」

「カ、カタリナ!?」

 珍しく焦ったようなミカエルの声。がさがさと音がして、中庭の茂みから姿を現したのは確かに己が主君、ミカエルだった。

 カタリナの姿を認めたミカエルは、目を大きく開いてやがて照れたようにそっぽを向いてしまった。

「しまった…。誰もいないと油断してしまったな。カタリナ、お前は何か聞いてしまったか?」

「あ、あの……。いや、その、私は」

「……。いや、聞こえなかった事にしてくれ」

 その言葉に強く強く落胆してしまうカタリナ。思わず零れた涙を隠すために、咄嗟に俯いてしまう。

「聞かれるのではなく、言いたいのだ」

 カタリナの顔が上がる。潤んだ瞳からは涙が飛ぶ。

 そして次のミカエルの言葉で、カタリナはくしゃくしゃになる顔を手で覆い隠した。そして溢れる涙をこらえる事ができなかった。

「愛している、カタリナ。強く、気高く、美しいお前をいつしか愛してしまった。

 私の愛を、どうか受け入れておくれ」

 カタリナは何度も何度も頷く。夢みたいだった。こんな、こんな日が来て欲しいと、心のどこかで思っていた。けれどもそれは、自分で絶ったはずの夢だった。

 それが叶えられた。ひっくひっくと喜びの涙を流すカタリナの、その泣き顔を隠すようにミカエルが抱きしめる。そしてカタリナの自慢である、その長く美しい髪を手で梳いた。

 その愛おしい手つきに、カタリナの心は満たされる。その髪こそがカタリナの密かな自慢だった。強くならねばならない騎士として、首から下は女らしさを捨てなければならない。顔はいつ傷つくとも知れない。だからこそ、髪だけは美しくあろうと決めた日は、遠い。それからの年月全てが報われたような思いだった。

 ミカエルの顔は、見えない。だがその優しい手つきだけで伝わってくる。この人は自分に心を開いてくれてくれている。ならば自分も――

「『開心』」

(え?)

 ミカエルの声と、何か悍ましい者の声が重なって聞こえてきた。

 瞬間、カタリナの力が抜けてしまう。倒れ掛かるカタリナを支えるミカエルだが、しかしそれに優しさは感じられない。使い捨ての粗悪品を場凌ぎで使うような、乱雑な手際だった。

「くっくっく。どうだ、自分の夢に溺れた感覚は?」

(な、なに、が……?)

 ふと、気が付く。自分を抱きとめているのはミカエルではない。似ても似つかぬ醜男だ。

 さっとカタリナの血の気が引く。こんな男に自分のあられない姿を見せてしまったことをまず悔いた。そしてロアーヌ宮殿に不審者が侵入しているということも、また。

(だ、だれか……)

「無駄、無駄、無駄さ無駄。俺様の術に支配されたお前は、俺様の操り人形さ。

 相手に見たいと思わせる状況を錯覚させ、それに溺れる心を絡めとる秘術。お前はもはや、俺様の許可が無ければ声一つ上げる事はできない。

 さて、まずは仕事だ。カタリナ、マスカレイドはどこにある?」

(だめ、言っては、だめっ!)

「私の、懐に」

「差し出せ」

「はい」

 カタリナは跪いて懐からマスカレイドを取り出すと、醜男に向かって捧げてしまう。そして鷹揚に受け取った醜男は、舌なめずりをしながら、カタリナの体を視線でなぞる。

「じゃあ、お楽しみの時間だ。

 俺は見た通りの醜さでね、女にもてた事はない。

 だが、この術で支配した女は別だ。好かれる訳でもないが、蕩けた顔と体で俺に身を委ねてくれる。本っ当、最高だぜ!」

(っ!!)

 マスカレイドを渡してしまったカタリナが心で呆然としていると、更なる衝撃が心を襲う。

 こんな卑劣漢に、奪われる。今まで守ってきた純潔が。想いが。全てが。

「夢を見させてやった代償と思って諦めるんだな。ではカタリ――」

「…けるな…」

「――ナ?」

 醜男は唖然としてカタリナを見た。目に激しい怒りを灯し、自分を睨みつけるその女騎士を。自分の術に囚われて操り人形となったはずの女が、怒りに満ちて自分を睨みつけていた。

「ひっ!!」

 今までにない経験に、醜男の喉から情けない悲鳴が漏れる。

 カタカタとナニカに抗うぎこちない動きで、カタリナは徒手空拳の型をとる。

 醜男から滝のような脂汗が流れた。これ以上はマズい。そう判断した醜男は、捨て台詞もなく夜の闇に紛れると、消えていった。

「――くっ」

 術から解放されたカタリナはその場で膝をつき、己を掻き抱いた。

 奪われた。マスカレイドが、ミカエルからの信頼が。

 だが、それよりも。マスカレイドを奪われた時には抗えなかったのに、己の純潔を守るためには抗えた。

(――なんと、なんと。なんと! なんとっ!!)

 

 なんと醜いのだ。カタリナ・ラウラン。

 お前はミカエルに全てを捧げたのではなかったか。ならばこそ、純潔は奪われてもマスカレイドは奪われるべきではなかった。

 なのに、お前がした行動は覚悟と真逆。マスカレイドは差し出して、純潔は守り抜いた。

 何が忠義の騎士だ。何がロアーヌに全てを捧げただ。お前は自分の身を守り、守るべきマスカレイドは見捨ててしまった。

 心に付け入る隙があった? そんなにも自慢の髪をミカエル様に褒めて欲しかったのか、醜いカタリナよ。

 

 ならば、もうそんな髪など必要(いら)ない。

 

 カタリナは声なき絶叫を上げながら、取り出した小刀で己の髪を切り裂いた。

 女の命として大事にしてきた髪。ただ一つの女としての証明。それを自ら捨てていく。

 瞳に憎悪。表情は修羅。ゆらりと立ち上がったその女騎士は、悪鬼になったかのように自分を削ぎ落とし、捨てていく。

 この命を落とすか。はたまたマスカレイドを取り戻すか。

 その瞬間まで、カタリナは女であることをやめた。忠義の騎士であるとも名乗れない。もはや怨讐に囚われた一匹の獣。カタリナは自分をそう位置付けた。

 

 

「カタリナ、どうしたの、その髪!?」

 翌日。謁見の時間を取り、ミカエルの前に姿を現したカタリナ。その髪を見て、側に控えていたモニカが思わず声をあげてしまった。

 女として誇れるのはこの髪だけです。そんな事を照れた笑いと共に言っていたカタリナが、その誇りをバッサリと切り落としていた。

 そして、すっとモニカを見たカタリナの瞳に、モニカはひるんだ。もちろん、敵を見る目でない。だが、人として何かがおかしくなってしまった、そんな感覚を抱かせてしまう瞳だった。

 カタリナはモニカの問いには答えず、ミカエルの前に平服する。

「申し訳ありません、ミカエル様。マスカレイドを奪われてしまいました」

 ぴくりとミカエルの表情が動く。まさかそんなと言わんばかりにモニカは驚きの表情をする。

 それに構わず、カタリナは淡々と熱のこもらない言葉を口にする。

「本来ならば今すぐに自害してお詫びする所存ですが、どうか今一度だけマスカレイド奪還の機会を与えて頂きたく、恥を承知で謁見に参った次第でございます」

「ほう…。その髪は必ずマスカレイドを奪還するという覚悟の現れか」

 ミカエルは素早く頭の中で計算する。ロアーヌに代々伝わる聖王遺物を奪われてしまうなど、これ以上ない醜聞だ。ただでさえ今は内乱が起きたばかりである。ゴドウィン男爵を蹴散らしてミカエルの強さを示したとも言えるが、反乱者を許してしまう程にミカエルが甘いという見方もできるのだ。内外にこれ以上の隙を晒すのは避けたい。

 当然、マスカレイドは取り返す。秘密裏に、だ。その前にマスカレイドを奪われたカタリナの罪に、罰を与えなくてはならない。

 カタリナは自害すると言っているが、ミカエルとしてはここで腹心に死なれるのは困る。マスカレイドは取り戻せるかも知れないが、なくなった命は戻らないのだ。カタリナは、ミカエルの為にも死んでいる場合ではない。確かにマスカレイドを奪われたという事は死一等に値するが、それを減じる程度にはカタリナは優秀であり、そして信頼もしていた。

 しかしカタリナはマスカレイドを失った事を相当に強く恥じている。それにマスカレイドを持たないカタリナがロアーヌにいるのも上手くない。何かの拍子にカタリナの元にマスカレイドが無いと漏れてしまったら事だ。

 ならば――

「よかろう。ただし、マスカレイドがロアーヌに戻らぬ限り、お前がこの国に帰る事は許さん」

「そんな、酷いわ! お兄様っ!!」

「温情、ありがたく」

 ――ならば。カタリナを秘密任務と称して外に出し、同時にマスカレイドも捜索してもらうが良しか。マスカレイドの持ち主であったカタリナがロアーヌからいなくなれば、マスカレイドを携えたと考えるのが普通である。

 故に、戻るならばカタリナとマスカレイドと同時が望ましい。もちろんミカエルが独自に出した捜索でマスカレイドが見つかっても構わない。その場合はカタリナは別の形で罰を受けて貰う事になるが、それは仕方がないだろう。

 ただ、その時はカタリナはどことも知れない場所で自決しそうな覚悟である。釘を刺しておくのは必要かと、ミカエルは言葉を続ける。

「その時までお前の命はこの私が預かる。どことも知れぬところで死ぬのは許さん。

 良いな?」

「はっ」

 深く頭を下げたカタリナは身を翻し、場を辞する。

 その背中を見たミカエルはふと思った疑問を投げかけた。

「まて、聞き忘れたことがあった。

 カタリナ、お前程の者からマスカレイドを奪うとは只者ではあるまい。

 奪ったのは何者だ? どのようにして奪われた?」

 ぴたりとカタリナの動きが止まる。カタリナが忠義の騎士であるなら、ロアーヌに全てを捧げたのならば、言うべき事である。

 どのような手口か。どのような術を使うか。どのような男か。

 それを知る事はロアーヌにとって決してマイナスにならない。だから言うべきなのだ。

 だが。

 震えた声でカタリナの口から出た言葉は、ミカエルへの答えではなかった。

「そ、れ。ばかりは、言う訳にはいきません。

 どうかご容赦を」

「そうか。ならば重ねて問うまい。行け、カタリナよ!」

 己の情けなさに泣きそうになりながら、カタリナはロアーヌから出ていく。向かうはミュルス、ロアーヌの側にある港町。

 言えなかった。ミカエルに恋心を抱いているなどと。

 言えなかった。忠義より純潔を守ってしまったことを。

 言えなかった。未だ己は忠義よりも自分が大切なのかと。

 泣いてしまえば楽になったかも知れない。しかしカタリナは涙はこぼさず、瞳を潤ませる事なく歩を進める。情けない心とは裏腹に、彼女の動きは騎士のそれだった。

 

 人はそう簡単に変われないのだ。

 

 

「ふー」

 玉座でミカエルは溜息をつく。

 モニカは既に退室させている。彼女はカタリナに心を開いていた。そのカタリナが居なくなってしまった心の整理をつける時間は必要だろうと。

 その建前ではあるが、ミカエル自身も一人になる時間は必要だった。カタリナが居なくなった穴は大きい。モニカの護衛が最たるものだが、彼女が居たから安心できたという事実はあったし、他にも彼女に任せていた大きな仕事は少なくない。

 そして、ミカエルとて人だ。心が弱る時もある。そんな時、カタリナの前で無様を晒せないと、己を叱咤した事もある。カタリナが後ろにいたからこそ、前に進めた事もある。

 そんなカタリナがいない。陳腐な言葉だが、居なくなって初めて有難みを感じるという事もある。

「……カタリナ」

 呟くミカエルの胸中を知る者は、いなかった。

 

 

 




あのワンシーンに一話を使ってしまった。
次回からも頑張ります!
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。