詩人の詩   作:117

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活動報告にも書きましたが。
過去話の細かな点を修正しています。
特に重大な矛盾点であった聖王三傑から聖者アバロンを外し、アバロンは聖王三傑と同格の『聖者』として確立させました。

引き続き修正は続けますが。
さておき、最新話をお楽しみください。


034話

 

 

 

 数秒。

 鳥型モンスターが急襲し、モニカを掴まえるまでにかかった時間である。

 数秒。

 捕獲されたモニカが現状を把握して、落ち着くまでにかかった時間である。

 合わせて10秒以下。

 それがモニカが冷静になるまでに、必要とした時間であった。

(ユリアンは…大丈夫。見失ってないわ)

 馬を駆ってモニカを追いかけるユリアンの姿を見てひとまず安堵するモニカ。

 彼女は外遊するための格好で、装備としては貧弱だ。しかしモンスターの領域に出るのであるからして、最低限の備えはもちろんしている。動きやすい服は防刃仕様の布が用いられており、鳥型モンスターの爪を通さない。モニカは未だ無傷である。

 武器は護身用にフルーレを携帯しているだけで、抜いて鳥型モンスターに向かって振るうのは無理がある。使うなら術であるが――現在の高度を考えて断念する。この高さから落ちてしまえばただでは済まない。

 鳥型モンスターの息が乱れてきていることはモニカにも把握できている。遠くないうちにどこかへ着地するだろう。ユリアンが後を追ってきている以上、ここで大きなリスクを伴う、落下を選択する必要はない。

 そう判断したモニカだが、それが甘いものだったと知るのも遠くないうちの出来事だった。

 

「ゴドウィン男爵!」

「残念だが今の私は男爵ではない、モニカ姫よ」

 地面に近づいた鳥型に向かってエアスラッシュを放ち、その翼を焼いたモニカ。悲鳴をあげながら落下した鳥型モンスターを蹴り、体勢を整えて地面に降り立ったモニカの眼前に居たのはゴドウィン男爵。いや、本人の言葉を使えばただのゴドウィンか。

 先の内戦で反乱を起こした男の服は汚れてほつれ、優雅を纏っていた過去は遠いと感じられる惨めな姿だった。しかしその瞳からは未だに野心は消えていない。むしろ屈辱を燃料として轟々と燃え盛っているようですらある。

 そんな彼の後ろには大きな悪魔型モンスター、悪鬼の姿があった。モニカは悲鳴をこらえ、大きな声で呼びかける。

「ゴドウィン男爵、悪あがきはやめなさい!

 大人しく出頭し、罪を償えばお兄様とて悪いようにはしません!

 私たちはフェルディナンド様を祖とする、血を分けた親戚ではないですかっ!」

「断る。悪あがきに見えるだろう。しかし、まだ私は諦めた訳ではない。

 ああ、確かに私はミカエルに敗れた。勝算の大きい戦いに敗れた惨めな敗残者だ、それは認めよう。

 私に力を貸していたビューネイは失望し、多くのモンスターを取り上げられた。だが、全てを失った訳ではない。僅かな手勢でこの状況を覆すチャンスを狙っていたのだ」

 淡々と、その瞳から感じられる激情からは遠い冷静な声を出すゴドウィン。

「ミカエルが内乱を治めれば、次に大きな勢力と結ぶであろう事は読めた。

 最有力候補は領地が接したツヴァイク。北の圧力を消せる上、いざという時には助けも呼びやすい。

 だが、今のツヴァイクは力があっても無能だ。同盟の証として妹を差し出す事は読めていたが」

 くっくっと醜悪に笑うゴドウィン。

「まさかここまで呆気ないとはな。本来ならばツヴァイクに向かう途中を襲う予定だったものを。内乱が起きたばかりなのに、護衛も少なく馬で遠乗りとは。

 いやはや、勝利するとはここまで余裕ができてしまうものなのかな? それが慢心とは気が付かずに!」

 ゴドウィンの言葉に歯噛みするモニカ。

 過程はともかく、結果として身の守りを薄くしたモニカは今、ゴドウィンの眼前に独りきりなのだ。ゴドウィンの嘲りを否定することはできない。

「それにモニカ姫、真実を知ってもその聖王のような慈悲深い言葉を吐けるかな?」

「真実?」

 ニヤァとゴドウィンは大きく笑う。そして紡がれる、残酷な真実。

「前代ロアーヌ候、お前たちの父であるフランツを暗殺したのは私だという真実だ」

「っ! 噂は、本当だったのですね…」

「火のないところに煙は立たんよ。まあ、以前の私なら噂程度気にするまでもなかったが…ここまで落ちぶれれば話は別だ。

 ミカエルはもはや容赦するまい。真実がどうあろうと、暗い噂が立つ者を重用するような甘い男でないことは私にもわかっている。

 だが、血を分けた妹に対する情の話は別だ」

「……お兄様は私よりもロアーヌを優先すると、そう信じております。

 たかが女の一人がロアーヌより優先されるなど、あってはなりません」

 揺らぐ事無く言い切るモニカ、だが、彼女はまだ甘かった。甘すぎた。

「当たり前だ。が、目の前で妹を凌辱され、惨殺されてもミカエルは冷静でいられるかな?」

 サっとモニカの顔から血の気が引いた。それは自分の末路を想像してのことではない。そのような事を考えてしまえる、人間のおぞましさに恐怖したのだ。

「ゴドウィン男爵、まさか、あなたは、本気でそのようなことを…」

「当然だ。貴様を手にした私はその作戦をビューネイに伝えて軍勢を借り受ける。そしてミカエルの眼前で貴様は人として最低の末路を迎えるのだ!

 冷静を欠いたミカエルならば、今度こそ勝てるっ! いや、勝つ。勝って見せるっ!!

 例えビューネイの配下となったとしても、ロアーヌを統べるのはこの私なのだ! この、ゴドウィン侯爵なのだ!!」

 血を分けた親戚を殺し、嬲り、貶める。

 そこまでして手にするのは、四魔貴族の下僕の地位だ。

 モニカにはもはやゴドウィンが何を欲しているのか分からない。いや、もしかしたらゴドウィン本人すら分からなくなってしまっているのかも知れない。

 本来ならばロアーヌを統べるというのは手段のはずだ。領地を広げるであれ、果てのない贅沢であれ、あるいは善政を敷いて民を幸せにするであれ、それらこそが目的になるはずなのだ。しかしゴドウィンにはもはやロアーヌを統べる事しか見えていない、負けて落ちぶれた屈辱を果たす事しか頭にないのだ。

 ゴドウィンの野望に焼け爛れた瞳は血走っている。彼の背後に控える悪鬼と比べて、どちらが鬼と呼ばれるに相応しいのか。

 従順にゴドウィンの命令を待っているモンスターを見て、モニカは何も言う事が出来ない。

 何か言葉を発しなくてはならないのに、その狂気に絶句して声が出ない。そのうちにゴドウィンが指示を出してしまう。

「さあ、ご同行願おうかモニカ姫。人として、最低最悪の末路を迎える為に。

 だがその前に自害されては私が困る。しばらく気を失ってもらおうか」

 その言葉で悪鬼が動き出す。その巨体全てを使った体当たりである、ぶちかましを使う予備動作に入る。

 そして動き出す、その直前に、モニカの前を馬が駆け抜けた。そこから飛び降りる一人の青年。プリンセスガードである彼は、賜った白銀の剣を巧みに使い、悪鬼のぶちかましを逸らして受け流す。

 攻撃を捌ききっても彼は油断しない。敵とモニカの間に自分を割り込ませ、決して隙を晒そうとはしない。

「ユリアンっ!」

「ご無事ですか、モニカ様。このユリアン、遅れながら参上致しました」

 一人の男に悪鬼最大の攻撃が捌かれたことにゴドウィンは顔を青くし、そして真っ赤になって叫ぶ。

「くそ、くそくそくそくそっ!

 なぜ、何故だっ!? 何故こうも上手くいかないのだ!?」

 叫ぶゴドウィンを色なく見つめるユリアン。彼にとって相手方の事情など、知った事ではない。ユリアンが考えている事はたった一つ、主であるモニカの安全だけであり、その為にこの場をいかに切り抜けるかだ。

 喚くゴドウィンを哀れみのこもった目で見るのはモニカ。彼がさきほど言った通り、勝利を手にすれば人は慢心する。モニカを眼前に置いて勝利したと信じ込んでしまったゴドウィンが、その慢心を突かれただけの話。長々とした講釈を垂れずにさっさとモニカを拉致してしまえば、この場面は決して訪れなかった。この場面を作り出すためにゴドウィンと会話をしたのは確かにモニカだが、ゴドウィンはそれに付き合う必要は全くなかったというのに。

 そしてその会話も、決して策のために温度がない言葉だった訳ではない。モニカは、ゴドウィンが父であるフランツを殺したという事実を知ってなお、同じ言葉を繰り返す。

「ゴドウィン男爵。

 罪は赦されるものなのです。赦されない罪はないのです。

 父を殺した貴方を、私は赦します。ですからどうか、悔い改めて、もう一度やり直しましょう」

「はっ! 内乱を起こし! 無様に負けたこの私が!

 ミカエルの下でやり直せるはずがなかろう! 本気で言うのならば、お前は私よりも愚かな女だっ!」

 モニカの優しさを侮辱するゴドウィンにユリアンの体が殺気立つ。

 しかしそれでも、彼は激情に任せた行動を決してとらない。己の怒りなど、モニカの安全に比べていかに些末な事であるかを、教わるまでもなく彼は分かっていた。

 そしてモニカも一度悲しみに目を伏せて。そしてあげた顔を決意に染めていた。ここまで来て決意を鈍らせてはいけないと、彼女も教わることなく分かっていた。

「ユリアン、お願いがあります。ゴドウィン男爵を、あの哀れな男を、終わりにします。どうか力を貸して下さい」

「モニカ姫。私は貴女の護衛であり、配下です。願いではなく、どうか命令して下さい」

「ならば命じます、ユリアンよ! 私と共に戦いなさい!」

「御意!」

 ユリアンが前に出て、モニカが後ろに下がる。これは決してモニカが臆した訳ではない。最善を言葉にするまでもなく行動に移せば自然とこうなるのだ。

 モニカは遊びに出た為に軽装であるが、ユリアンは唯一の護衛として完全に装備を整えている。そんな護衛が前に出るのは当然で、さらにモニカは頼りないフルーレを使うよりも後ろから術で支援した方がよほどユリアンの助けになる。

 前衛と後衛が見事に噛み合ったコンビに対してはただのモンスターなどひとたまりもない。ユリアンに剣に斬られ、モニカの術に焼かれて。悪鬼は程なく息絶えた。

 しかし、その間にゴドウィンは逃げ出したようである。戦闘が終わった後のその場に、ゴドウィンの姿は存在しなかった。

「……」

 僅かに沈黙して熟考するモニカ。ゴドウィンは逃げ出したとはいえ、戦闘した時間は長くない。追えば、捕まえられる可能性はある。

 だがこちらの戦力は自分とユリアンのみで、余りに細い。何か一つ間違えば、あるいは狂えば。そのまま全滅しかねない。

「……ロアーヌに帰りましょう、ユリアン」

「はっ!」

 ユリアンは指笛を吹いて馬を呼ぶ。戻ってきた馬にモニカを乗せて、ユリアンはロアーヌに向かって歩き出した。

 

 ロアーヌに帰る途中、その平原を一人の男が走っていた。ツヴァイク王子、その人である。

 彼はどうやら一人でロアーヌに戻る選択をせずにモニカの事を追っていたようだった。モニカ達の方向を向いていた彼は、馬にまたがったモニカを見て安堵の息を吐く。

「おお、モニカ姫。無事であったか!」

「ツヴァイク王子、心配をおかけして申し訳ありません。私はこの通り、無事であります」

「そうか。その護衛には俺を乗せていけと叫んだのだが……声が届かなかったのか、そのまま馬で駆け抜けてしまってな。御身に何かあったらと心が裂ける思いであった。無事ならなによりだ」

「そのご配慮、痛みいります」

「いや、未来の妻に対する配慮ならば当然だ。

 おい、護衛」

「はっ!」

 ユリアンはどうしてこんな奴にと心の中で思いながらも、ツヴァイク王子に向かって丁寧に跪く。

「大義であった」

「身に余る光栄であります」

「うむ。お前もモニカ姫の護衛として引き続きツヴァイクで雇ってやろう。では、凱旋だ!」

 そう言ってユリアンの馬に飛び乗るツヴァイク王子。モニカの後ろに座り、ふんぞり返って命令する。

 それに逆らう術もないユリアンは無心で馬を曳いて、ロアーヌへと向かう。当然、ここは人の住む領地の外であり、比較的安全な場所ではあるが絶対にモンスターなどが出ない保障はない。そしてその際に戦闘になれば、二人の貴人を守りながらユリアン独りで戦う事になる。必然、彼は緊張を高めなくてはならない。

 決して気と心を緩めないユリアンを見ながら、モニカは先程のゴドウィンの姿を思い出す。人の上に立って政治を行っていた、有能だった男爵の末路。それは人を人として見なくなったからではないのか。あのおぞましい計画を聞いた後なら、そういった思いが湧き上がる。

 果たして。ツヴァイク王子はああならない保証があるのか、人として優れているのはユリアンと比べてどちらなのか。ロアーヌの姫として、政治の道具としてツヴァイクに嫁いでいいものなのか。そんな疑念が沸き起こり、混乱しつつも頭では様々な考えが巡らされる。

 賢しい女は嫌われる、そんな言葉がある。夫婦として立つ二人がいた時、片方がもう片方を立てると上手くいくので、女は上手く男を立てるべきなのだという意味も含まれた言葉だ。自己主張が強く、それを成立させてしまう強かな女は夫婦関係に悪影響を及ぼしてしまう。女性蔑視の考えが根底にあるとはいえ、男性優位の視点からすれば間違った言葉とはいえないだろう。

 その意味で。モニカ姫が余りに有能過ぎた事は否定できない。少なくとも、人間の領地でない襲われたばかりの場所で、何も考えずにふんぞり返っている背後の男よりも有能なのは確かだった。

 

 やがてロアーヌに帰りついた一行。迎え入れた家臣たちは馬が一頭いなくなっている事に狼狽し、ツヴァイク王子とモニカ姫には安全で安らげる場所を提供する一方で、唯一の護衛であったユリアンには激しい事情聴取を行った。

 単独で貴人二人の護衛をし、モンスターを打倒し、そしてロアーヌまで送り届けたその騎士は。疲労にまみれながらも自分が知る情報を口にして共有する。

 その事情聴取に立ち会ったラドム将軍は、最低限の、ゴドウィン男爵の暗躍の話を聞くとすぐに追撃部隊を編成し、そしてミカエルへの報告も同時に行った。その情報がツヴァイク公に流れてしまうのは仕方のない事で、すぐにツヴァイク公の指示の元で会議が開かれる事になる。

「全く。取り逃がした反乱者の奇襲を許した上で、二度も捕まえ損ねるとは。ミカエル候、そなたは少しばかり手腕が足りていないようだな」

「そういうものじゃないぜ、親父。その護衛はモニカ姫を守ったんだ。まあまあな仕事はしてるだろ」

 ツヴァイク公は、ミカエル候とその妹、そして現場で戦った者として呼ばれた全く休む暇もないユリアンを前に、長々と嫌味をこめた言葉を述べていた。

 それを許してやれというニュアンスを込めた言葉を発する王子だが、そもそもとして彼が護衛を断った事が発端である事に気が付いているのか。嘲笑うゴドウィンを思い出しながらモニカはそう思う。

 ポーカーフェイスをしているミカエルだが、ラドム将軍の要点をまとめた報告書を読んでいるため、誰にどんな非があり誰にどんな功があったかを正確に理解している。

 だがそれを目の前の男に突き付ける事はしない。自分を滅ぼす力がある者の前では表向きでも粛々とするべきなのである。それもまた、政治であった。

「若い私はまだまだ経験が足りないようだ。ツヴァイク公には是非ご指導を願いたいものです」

「ふん。まあ、若い時には失敗もするものか」

 下手に出るミカエルに、とりあえず機嫌を直すツヴァイク公。

 結果だけを見れば、王子もモニカ姫も無事だったのだ。悪くないといえば悪くない。反省するならばそれを赦すのも王者の器量かと、ツヴァイク公は自分で自分を納得させた。

「しかし、さて。婚姻の話はどうするか……」

「俺はモニカ姫がよりいっそう気に入ったぜ。襲撃者にさらわれても、逃れて帰って来れるなんて普通じゃない。親父、俺はやはりモニカ姫を嫁に迎えるべきだと思うぜ」

 妹であるツヴァイク姫が参加できない政治の場で、なおも自己主張を繰り返すツヴァイク王子。

 それを聞いたツヴァイク公は、悪くない話だと考えてしまう。運というものは重要である。圧倒的劣勢に立ったものが、まるで運命に導かれるかのような逆転劇をしてしまう事があると、ツヴァイク公は知っている。例えそのような勝率が1%しかない、絶望的な戦いが100回あったとして。たった一度でも間違いが起きてしまうと、人はその強運を次も連続でと夢見てしまうものなのだ。ゲンを担ぐのはストレスを和らげるのに重要で、板一枚隔てて地獄と接するとまで言われる船乗りなどにはより顕著な話だが、一国を司るものがそれのみで重要な物事を決めてしまうのはどうかしているとしか言いようがない。

 果たしてツヴァイク公は、どうかしている側の人間であったようだ。

「よし、決まりじゃ。モニカ姫をツヴァイクの嫁としてもらい受ける。縁談はまとまった、ロアーヌはモニカ姫をツヴァイクへ送る手配をするように」

 一方的に宣言したツヴァイク公は、自分の思い通りになったと上機嫌な息子を連れて会議の場から立ち去っていく。自分で始めた会議を、自分の決定で終わらせる。そんな暴君を見てユリアンが呆気にとられてしまうのは仕方ないだろう。

 何せツヴァイク公がした事は。自分の息子の不始末を聞き、関係者を集めてその責任を相手に吹っ掛けて、そして自分勝手に赦したあげくに両国合議で決める事を独断で決定したのだ。

 こんな事がまかり通っていいのか。そういった忸怩たる想いが湧き上がるユリアンだが、こんな事もまかり通るのである。

 力があるとは、こういった事なのだ。それを悪く使った一例ではあるが、ツヴァイク公の対応は世の中の一面を表しているといえた。

「モニカ」

「はい、お兄様」

 ツヴァイク公と息子が去ったその場で。

 恐ろしい程に平坦な声をあげるミカエルに、平然とした声で応えるモニカ。

「こういった仕儀と相成った。ロアーヌは明日にでもツヴァイクに対する返事をする。

 お前は準備をしておくように」

「分かりました。

 ユリアン、お疲れ様でした。大変な一日だったでしょうし、これからもこれ以上に大変な日々が待っているでしょう。今は下がって休みなさい」

「はっ!」

 平伏したユリアンは、世界の余りの理不尽さを嘆きながら、そしてそれに対して何もできない自分に対して失望しながら。ようやくの休息を許された。

 ……それが本当に僅かでしかない事を、間もなく彼は思い知らされる事になるのだが。

 

 自室に戻ったユリアンは、木でできた粗末な椅子に腰かけて深々とため息をついた。

(俺が素晴らしいと思った人物はミカエル様で、俺を認めて下さったのはモニカ姫だ。あんな愚鈍な男や国に仕える為にシノンを出た訳じゃない)

 いったい、どこでなにをどう間違ってしまったのか、過去を振り返ってもこれといった事例は見つからない。自分は最善を尽くしたつもりだし、ある程度の結果は確かについてきたのに。未来は、袋小路だ。

(いや、あんな男に嫁ぐ事になるモニカ様が一番不憫じゃないか。俺は、そんなモニカ様を守り続けるんだ)

 やがてそんな思考に至ってしまった。

 正直、そう思わないとやってられないという考えもある。

 今夜は飲むか。そう思って無理矢理自分を立ち直らせたユリアンだが、部屋をノックする音を聞く。

「なんだ?」

「ユリアン副隊長、本日はお疲れ様でした。モニカ様の命でお茶をお持ちしました」

 茶よりも酒の気分だったが、モニカ姫の厚意であれば心も安らぐ。

 あのお方はこんな状況にもなって配下を気遣えるのだと、誇らしくさえあった。

「入ってくれ」

「失礼いたします」

 侍従の服を着た女がお茶を持ってユリアンの部屋に入ってくる。

 手間をかけた事と、気を遣ってくれた事。その両方に報いる為にユリアンはいつも通りに侍従の目を見て礼を言おうとして、固まった。

 そこには、侍従の服を着たモニカの顔があった。

 絶句するユリアンを尻目に、モニカはテーブルの上に静かにお茶を置くと、侍従の服を脱ぎさってしまう。そこには姫としての格好をした女ではなく、かつてシノンの村に飛び込んできた旅の服装をしたモニカがそこに立っていた。

 彼女はにこやかに笑うと、口を開く。

「ユリアン様」

「は、はい……」

 余りの事態に己を失っているユリアンは気が付かない。モニカがユリアンを、様とつけて呼んでいることを。

「お願いがあります。私を逃がして下さい」

「え」

「私をロアーヌから、ツヴァイクから。この運命から逃がして下さい。

 従わなくてはならない運命ならば、私は従いましょう。しかし、どうしても私にはこれは従うべき運命に思えないのです。抗うべき運命としか思えないのです」

 粛々と語るモニカに、ユリアンは慣れた言葉で返してしまう。

 それはゴドウィンを前にした時と同じ。人を尊重するモニカが配下に対する言葉でない言い回しをよく使うため、自然と身についてしまった言葉でもあった。

「モニカ様、私は貴女の配下です。どうかお願いではなく、命令をして下さい」

「私は、貴方に命令はしません」

 しかし。モニカに一言で切って捨てられる。

 そしてモニカは椅子に座るユリアンの目と自分の瞳の高さを合わせるため、地面に膝立てて自分の視点を下げる。

「貴方はロアーヌの配下として、プリンセスガードの副隊長として。この願いは断るべきなのです。一国の姫が自分の判断で国と国の約束である婚姻を無下にすることは断じて許されません。

 故にユリアン・ノール様。モニカ・アウスバッハはただ個人として貴方を信頼して、お願いいたします。どうか、私をこの運命から逃がして下さい」

 そう言って、モニカはさらに深く姿勢を下げる。ロアーヌの姫は、たった一人の平民に対して万感の思いでその頭を垂れていた。

「どうか、お願いいたします」

 静かな時間が流れていた。

 ユリアンの心に湧き上がるもの、それは憤怒。

 モニカに対するものではない、ミカエルに対するものではない。ロアーヌに対するものでもない、ツヴァイクに対するものでもない。

 それは自分に対する憤怒だった。

 運命だの、宿命だの、権力だの、なんだの。自分はいつからここまで腐っていたのだろう。

 モニカは揺るがず、己とその立場と向き合って戦っていたのに。自分は先程まで何に対して諦めていたのであろう。どうして自分は妥協してしまっていたのであろう。

 少し前の自分を、ユリアンは決して許さない。許してはいけない。そう固く自分を戒める。

 そして彼は、自分の前で頭を垂れる気高い姫に対して跪いて言葉を返す。

「モニカ・アウスバッハ様。貴女に、最高の敬意を。

 その願い、ユリアン・ノールが必ず叶えましょう」

 それは騎士としての礼ではなかった。姫に対する礼でもなかった。

 人が、人を認めた時。自然に払ってしまう敬意。それを形にしたような礼であった。

 互いに頭を下げ合う形をとっていたユリアンとモニカだが、やがて顔をあげて微笑みあう。そしてロアーヌを脱する計画を立てるのであった。

 

 

 深夜。

 ロアーヌ宮殿の前庭を静かに進む二つの人影があった。それはユリアンとモニカであることは言うまでもない。

 ユリアンはプリンセスガードの短期的なトップである。長い目や広い目で見れば効かない無理も、一晩であれば通る事も多い。現場の判断は尊重されるべきであるというその風潮を利用して、ユリアンはモニカの護りに脱出できる穴を作り、そしてそこからモニカを連れ出した。

 モニカはユリアンがその手配をする間を縫って、この件は自分勝手な事であると手紙に認めていた。何かあった時、ユリアンに責任がいかないように。

 そうしてロアーヌ宮殿を出た二人は、ミュルスに向かった道を選ぶ。船に乗って、ひとまずは遠くまで逃げる。ほとぼりが冷めるまでの時間を稼ぐ必要があった。

「よう」

 だから。その太い声で体が強張ってしまう。

 ユリアンにとって聞きなれた声だった。安心できる声だった。信じられる声だった。それを裏切って行動している自分を今更恥じたりはしないが、その男を切り抜けられる自信は、未だない。

 夜の闇と同化するような漆黒の肌をもった傭兵。現在はロアーヌに仕える最強の剣士が、ミュルスへ続くたった一つの道の中央に立って塞いでいた。

「婚姻前夜の姫が騎士と一緒に夜遊びかい?

 やんちゃなお姫様だ」

「ハリード、様」

 ここまで来て立ちはだかる、ロアーヌ最強の壁にモニカの顔が絶望に染まる。

「ミカエル候からの伝言を預かってきたが……。それは後でいいよな?」

 佩いた曲刀をすらりと抜くハリード。剣を扱ってきたユリアンには分かる。虚実が織り交じった宮殿で暮らしてきたモニカにも分かる。

 ハリードは、本気だと。

「っ!!」

 理解した瞬間、ユリアンは腰の剣に手をかけた。モニカを護るために授けられた白銀の剣。悪鬼を滅ぼしたその剣が、今は酷く頼りない。

 その忠誠の証に手をかけたユリアンだが、そこで動きが止まってしまう。

 ハリードはその曲刀を構えたからだ。たったそれだけで、ユリアンは自分が勝てないと思い知らされた。

 格が、違った。

「引け」

 静かにハリードは告げる。

「引いて、ロアーヌに戻れ。今ならまだ間に合う。今夜は何も起きていない静かな夜だったと、そういうことにしてやってもいい。

 だがユリアン。お前が剣を抜けば、後戻りはできない。剣を抜くなら覚悟して抜け」

「っ! ユリアン、戻ります!」

 その言葉に虚がないことを見抜いたモニカは、思わず叫んだ。

 だが。

 ユリアンは動かない。

「ユリアン、私はロアーヌに戻ります! 貴方が命を捨てる必要はありません!」

「……な」

「ごめんなさい、貴方を惑わしてしまって。ごめんなさい、貴方を巻き込んでしまって。

 ……ごめんなさい、貴方の優しさを利用してしまって」

「…るな」

「ユリアンっ! これは命令ですっ!!」

「ふざけるなっ!!」

 毅然としたモニカの命令。それを、ユリアンは自分の叫びでかき消した。

 その顔色は真っ青である。逃れようもない死を前にして、ガタガタとみっともなく震えて。それでもユリアンは忠誠(けん)から手を放さない。

「俺は、誓った。姫ではない、モニカ様に誓った!

 抗うべき運命から逃がすと誓った! 死ぬのがなんだ、命令がなんだ。それはお前の誓いより重いのか、ユリアンっ!!」

 自分で自分に問いかけるユリアン。

 そしてユリアンの誓いに、ユリアンの体が応えた。

 その腰から護衛の剣が引き抜かれる。ハリードに対する明確な返答となって、星月の輝きを背負ってその刀身が構えられる。

「そうか。それがお前の結論か、ユリアン」

 平坦な声で言葉を紡ぐハリード。恐怖で震えて剣先が定まらないユリアン。

 構えたその曲刀がユラリと不吉に揺れ、圧倒的な速度でユリアンに迫り、そしてその肌を剣で裂いて駆け抜けた。

 突進と乱れ切りを合わせた、剣技の一つの到達点。

 疾風剣。

 それがユリアンの肌を無数に切り裂いた。

 それを為したハリードはそのままモニカの背後を通り過ぎ、ロアーヌに向かって歩き出す。ユリアンもモニカも、一つの反応もできなかった。

「俺の奥義、疾風剣。土産だ。

 それと、ミカエル候からの伝言だ。もしもモニカ姫がロアーヌから逃れようとしたら言付けるように命じられた。

 『ツヴァイクよりも価値があることを示せ』

 以上だ」

 そのままハリードは立ち去っていった。

 残されたのは動けなかったモニカと、肌を無数に切り付けられてもやはり動けなかったユリアン。ただし、血は一滴も流れていない。

 薄皮一枚を何十と切り裂き、なお血を流させない絶技。

 ハリードとユリアンでは、やはり格が違ったのだ。

 

 

 

「戻ったか」

 ミカエルはワイングラスを傾けながらハリードを出迎えた。

 そして自分が飲んでいた酒と同じものをもう一つのグラスに注ぎ、ハリードに向かって差し出す。

 それを受け取ったハリードは、上品に僅かばかり酒で自分の喉を湿らせる。芳醇な香りが体内からも湧き出るような、絶妙な飲み方だった。

「言付けは伝えたぜ。しかし、あれでよかったのかい?」

「いいに決まっている」

 くっくっと笑いながらミカエルは言葉を続けた。それをハリードは珍しいと思いながら見ていた。

 ロアーヌ候、ミカエルが酔うなどとは。

「アレは、私の想像をはるかに超えていく。ゴドウィンの反乱をアレが伝えに来るなど、予想もしていなかったのだからな。

 父、フランツが殺されることも予想できた。ゴドウィンが反乱することも予想できた。だが、モニカが反乱に気が付くことは予想できなかった!

 モニカは私の上を行く。私の計画を超え、更なる結果を呼び起こすっ!」

 酒にか、それとも他の何かにか。ミカエルは明らかに酔っていた。そして喜んでいた。

「そうかい。ま、俺にはどうでもいいことだ。

 しかしミカエル候、酒なんて飲んでいいのかい? 明日はツヴァイク公に対する釈明があるというのに」

「だからこそだ」

 ミカエルはワインを飲みながら言葉を続ける。

「私はツヴァイクとの縁が出来たことを喜び、泥酔する。その隙をついてモニカはロアーヌを脱出した。ツヴァイクにはまだ自分は相応しくなく、己を磨くために旅に出ると」

 その指にはモニカが認めた手紙が挟まれていた。

 封は開けられていない。しかしミカエルにはその内容が手に取るように分かっていた。だからこそ、それをツヴァイク公の目の前で開けてこそ価値が出るのだ。

「現状でツヴァイクはモニカを十分と認めているのだ、旅で価値が落ちなければどうとでもなる。そのまま戻っても、ただツヴァイクにあてがえばそれで済む話。その間はツヴァイク次期王妃の祖国としてむしり取らさせてもらおう。

 ツヴァイク王子はモニカに喰いついている、最初の想定以上の無理も強いて大丈夫だろうな」

(どっちがどっちの想定の上をいっているのやら)

 ハリードは心底そう思う。

 ミカエルはモニカの動きを完全に読み切っていた。その上で誘導をかけ、自分の思惑通りに動かした。

 そして自分の想像を超え、ツヴァイク以上の価値を引っ提げて帰ってくる事を期待しているのだろう。想像を越えた戦果を期待しながら、その戦果の想定は全くしていない。

 だが、信じている。

 あるいは盲信とすら感じられるような、そんなあり得ない確信を抱いているようだった。

(似ているな…)

 ミカエルとモニカはやはり似た者兄妹なのだと、ハリードには感じられた。

 情であれ、結果であれ。

 必ず期待以上に応えてくれる、そう信じあっている兄妹なのだ。

 

 ハリードは窓から外を見る。

 夜の闇。月の輝き。星の煌めき。

 吉凶を読むには複雑すぎる、そんな夜空が浮かんでいた。

(まあ)

 どうでもいい話である。

 ハリードはまたグラスを傾けて、体全体でその香りを楽しんだ。

 

 

 




ロアーヌの日々、終わっちゃった。
サブタイトルがここまで短いのは初かも知れない。
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