詩人の詩   作:117

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長くなりそうだったので、前後編にする事にしました。
……中編は多分ないです。


044話 顛末・前編

 

 

 

「どういった訳なのか、納得のいく説明をしていただきたい!!」

 その日、ツヴァイクに荒波が押し寄せていた。といっても、別に低気圧が原因で嵐が起きた訳ではない。ツヴァイクと同盟を結ぶ事が確実視されているロアーヌ侯国より、その主であるミカエルが僅かな手勢を引き連れて電撃的にツヴァイクに来訪したのだ。

 手続きは正式なものだったが、本来ならば必須とされるマナーや作法などはまるで無視。それこそ戦時の火急的な事態にしか使われないような、最短の手順でツヴァイクに乗り込んだミカエル。その手順にただ事ではないとツヴァイク公もある程度の覚悟を決めて謁見したのだが、いきなりのミカエルの怒声である。力関係はツヴァイクが上であるという共通認識を持っていたはずなのに、まさか弱い方から開口一番に激怒の言葉が発された。これにはツヴァイク公も少々面食らってしまった。

 とはいえ、腐っても公国を治める立場の者である。即座に心を立て直すと、やんわりと諭すように言う。

「落ち着き給え、ミカエル候よ。怒りで我を忘れるなど、一国を治めるものとして度量が足りぬと言わざるを得ぬぞ」

「これが落ち着いていられるものかっ! ツヴァイクはロアーヌを裏切るつもりなのか、ハッキリとさせていただきたい。場合によってはこちらにも覚悟がありますぞ!!」

 余りに激高しているミカエルにツヴァイク公も只事ではないと判断する。仮にミカエルがツヴァイクに宣戦布告をしたとして、その結果は明らか。ロアーヌの惨敗だろう。それが分からぬミカエルでもないし、それを防ぐ同盟の証として妹であるモニカをツヴァイクに差し出す約束をしたくらいだ。

 そのモニカだが、ミカエルがツヴァイクと縁故ができると喜んで酒を呷り過ぎた隙をついて、ロアーヌから旅立ってしまった。これはどういう事かとツヴァイクもミカエルをなじったが、ミカエルの平身低頭の態度とモニカが残した手紙で一応の納得を見せた。モニカからの手紙は自身の勝手でロアーヌを出奔する事、その責任の全ては自分にあると認められていた。

 つまりこれはモニカの劣等感が原因だとミカエルから説明がされたのだ。ツヴァイクに見合う能力がない自身の不甲斐なさを恥じ、ツヴァイクに見合う価値を身につけるまで待ってもらいたいという意味だと。

 これにはツヴァイク公もその王子も、納得した顔を見せた。自身に足りないところがあると自覚するのは良い事で、実際にモニカは直前に不逞の輩に誘拐されてしまっている。そんな自分を見つめ直す旅も必要かと納得し、モニカ姫が自分で自分を許せたらツヴァイクに嫁がせるようにと婚約をすることによって一応の決着をみた。また、ツヴァイク王妃としての修行である為として、モニカの足取りが掴め次第見えない形で援助がしたいとロアーヌが提案した為、少なくない金銭もツヴァイクが援助している。ツヴァイクとしてはこれで次期王妃がよりよいものになるなら安いものと、先行投資の気持ちであった。

 そんな円満な関係を築いていたはずの両国だが、まさかミカエルがツヴァイクに怒鳴り込むなど想像の外である。

「まずお聞きしたい。ミカエル候は何にそこまで怒ってらっしゃるのか?」

「何に? 何に怒っているのかと? ツヴァイク公は白を切るつもりかっ!」

「白を切るも何も、本当に心当たりがないのだ。ミカエル候はそこまで怒る理由を説明できないというつもりかな?」

「モニカがツヴァイクに謀殺されかけた事だっ!」

 その言葉には流石にツヴァイク公も目を見開いた。

 ツヴァイクとロアーヌを繋ぐものはモニカの輿入れのみといっていい。その太い約束があるからこそロアーヌは安心できているのであるし、ツヴァイクとしても王子が気に入っている絶世の美女といえるモニカを迎え入れる事に満足しているからこその同盟といっていい。

 その唯一の絆といってもいい、モニカをツヴァイクが謀殺しようとした。それが事実であるとするならば、確かにミカエルのこの取り乱した様子と激怒も理解できる。ツヴァイクとの縁故、そして約束されたはずのモニカの安全。それらがまとめて無くなろうとしているのだ。ロアーヌ候としても、またモニカの兄としてもその激怒は理解できる。もしもそれが本当の話であったとしたらだが。

「それが事実なら、確かにミカエル候の怒りも理解できる。だが、その証拠はあるのかな?」

「このっ…、このっ! 今更、そんなことをっ!!」

「まあ落ち着けよ、ミカエル候。証拠を見せればいい、単にそれだけの話じゃないか」

 なおも激高するミカエルに冷や水を浴びせたのは、彼の後ろに控えていた色黒で曲刀を佩いた剣士。様々な強者を見てきたツヴァイク公には分かる、この男は強いと。

 そして色黒の剣士の言葉に、深呼吸をしていったん落ち着いた風情を見せるミカエル。そして彼は一通の手紙を差し出した。

「すまんな、ハリード。少し頭に血が上り過ぎていたようだ。

 そしてツヴァイク公、これがモニカがツヴァイクに謀殺されかけたという証拠だ」

 その手紙を受け取り、中を検めるツヴァイク公。

 それにはツヴァイク領地の一つであるキドラントにて怪物の被害が発生していたこと。その旨をツヴァイクに知らせようとした夜に捕縛されて、怪物の生贄にされかけた上に持っていた金銭や貴重品を全て奪われたこと。護衛であるユリアンにギリギリのところで助けられ、這う這うの体でユーステルムまで逃げたこと。そこのウォード隊に世話になり、この手紙を書いたこと。そして同じ目にトーマスカンパニーのサラ・カーソンも遭ったことが記されていた。

 これが事実なら確かにツヴァイクの大きな失点だ。事実なら、だが。

「確かに事実なら問題でしょうな。だが、これが本当に事実だと断言できますかな?」

「事実だっ! 共にいた護衛の封蝋印も押されていたし、筆跡も確かにモニカのもの。こちらでも念入りに確認した!」

「ふむ。ミカエル公がそうおっしゃるのならば、事実である可能性は考慮いたしましょう。こちらからもキドラントへ調査隊を送ります。結果はお知らせしましょう」

 その言葉に顔をしかめながら頷くミカエル。それを見て青いなと心の中でほくそ笑むのはツヴァイク公である。

 まあ、仮にこれが事実であったとしよう。だが、それを調査するのはツヴァイクの手勢である。事実など簡単に捻じ曲げられる。そしてモニカが襲われた事実がないと突っぱねれば、立場を悪くするのは事実無根で騒ぎ立てたミカエルの方である。ミカエルも手勢少なく乗り込んできたのであるからして、まさか調査隊に同行はできない。まずはツヴァイクでゆっくりと歓待して冷静になるのを待ち、都合のいい調査結果を持ち帰れば顔を青くするのはミカエルだ。

 ミカエルとの謁見が終わり、優先事項が低い案件として時間を稼ぐツヴァイク公には余裕があった。だが、その余裕はすぐに崩れる事になる。

「親父っ! モニカ姫がキドラントで殺されかけたのは本当かっ!」

 モニカに執着するその王子が父の部屋に怒鳴り込んできたのだ。例え王子でも王に無礼は許されないが、そこは子供に甘いツヴァイク公である。息子を咎めることなく、やんわりと諭すように話しかけた。

「分からん。ミカエル候の偽りの可能性もあるし、誤報だという事もありえる。その調査をするために、部隊を派遣するつもりだ」

「む……。確かにその可能性はあるか。よし、分かった親父。その調査、俺が引き受けるぜ」

 その言葉に内心慌てたのはツヴァイク公である。王子にはまだ政治の妙というものを教えていない。徐々に教えてはいるのだが、今まで甘やかしていたこともあってなかなか思うように教育が進んでいないのだ。そこはゆっくりと進めればいいと楽観的に構えていたツヴァイク公だが、このタイミングで王子が調査隊に同行するのは困る。

 短慮なところがある王子は、実際にモニカが害された事実があれば怒り狂い、暴走するだろう。それはモニカが実際に被害を受けたとロアーヌに説明することに他ならない。

「まあまて、落ち着け。このような些事、お前の手を煩わせるまでもない」

「俺の未来の妻の命に関わる事だぜ? これが些事かよ!?」

 一向に譲らない王子に頭を抱えるツヴァイク公。

 結局、ここでも数日の時間を無駄にする事になった。この瞬間にもフルブライト商会が攻め入っている事を知っているミカエルは、上手く時間稼ぎができているとほくそ笑んでいる事にツヴァイク側は全く気が付いていない。

 

「フルブライト商会からの侵攻を受けているだとっ!?」

「はっ。この報告を受けた時点で10以上の村や町がフルブライト商会を名乗る軍勢に占拠されております。調査隊員が馬を飛ばして帰ってきましたが、あの進行速度を考えれば更に2か3の村は占拠されていそうな勢いで……」

「馬鹿なっ!? 我が国は宣戦布告を受けていない。そんな暴挙をあの聖王十二将を祖に持つフルブライトの若造が? そんな愚昧だったのか、あの男は。確かな情報か?」

「確実にフルブライト商会の手勢かの確認はできなかったそうですが、西部が侵略を受けているのは確かとの事でした」

 しばらくはロアーヌ候ミカエルを落ち着かせるという名目で日を費やし、ゆっくりとキドラントへ派遣した調査隊が慌てて持ち帰った情報がそれだった。

 気楽な旅を続けていた調査隊だったが、ある村に入ろうかという所で不穏な空気を感じ取った。どういった事態かと警戒してその村に入ろうとしたところ、見知らぬ兵に占拠された村の姿が。そして槍を持って追われ、慌てて逃げ帰った調査隊だが、その襲撃で少なくない数の人員が捕縛か殺害かをされてしまった。

 これは只事ではないと、確実にツヴァイクの領地と呼べる所まで戻って情報を集めてみれば、西よりフルブライト商会の兵が侵入して瞬く間にツヴァイクの領地を占領しているとの情報が手に入ったのだ。

「して、どう対策したと?」

「侵略者に対する備えが必要だという事でして、まだ侵攻されていない近場の大きな町に人と物資を集める手配をする為に隊長が残って指揮をしているそうです。ですが、調査隊長程度の権限ではどこまで効果があるかは分からないかと……」

「であろうな……」

 臍を噛んで報告を聞くツヴァイク公。ツヴァイクは王家や高位の貴族に権力が集中するように施策を行ってきた。その甲斐あって上位の強制力は絶大であり、その強権と威光をもってして富国強兵の政策を進めてきたという背景がある。裏を返せば、立場が低い者の声が届かないという弱点もある。今回の調査もツヴァイクの都合のいいように事実を作ってくればいいだけだと、木っ端役人にその任が当てられたはずである。少なくとも、現地の有力貴族が調査隊長の嘆願を聞くとは思えない。

 となれば、公爵が勅令を出した上で兵を出すのが上策か。そう判断したツヴァイク公の動きは早い。

「よし、儂自ら檄文を飛ばす。現地の者に協力するように伝え、その上で侵略者共に痴れた行いの代償を支払わせてやろう。

 ツヴァイク軍も出す、これは侵略に対する聖戦である!」

「はっ!」

「将軍を始めとした重鎮を呼べっ。その間に儂は檄文を認める。軍議を行い、ツヴァイクの威光を示すのじゃ!」

 ツヴァイク公の大声で場が締まる。かと思いきや、ふと思い出したように言葉を付け加えた。

「そうじゃ、軍議にはミカエル候も出席するように通達するように」

「は? ミカエル候も、ですか?」

 ロアーヌとは未だ同盟は組んでいない。にも関わらず、ミカエルを軍議に参加させるとはおかしな話である。

 しかしツヴァイク公は、うむと鷹揚に頷いて命令する。

「軍を動かすとなればツヴァイクにいるミカエル候にも動きは知れよう。調査隊が持ち帰った情報がツヴァイクに都合が悪く、先手を取ってロアーヌを攻めると勘違いされては事じゃ。

 説明を果たす意味もあるし、場合によってはロアーヌにも兵を出させてもいいかも知れぬ。その為には軍議に出席させて情報を共有させるのが一番じゃ」

「陛下の深謀には頭を垂れるのみでございます。では、ミカエル候にも軍議への出席を要請致します」

「うむ。事態は切迫している、素早くな」

 こうしてツヴァイクに厳戒態勢が敷かれる事になる。

 慌ただしくなるツヴァイク城で、ほくそ笑む男が一人。

「ツヴァイクはこう動くか。なるほど、なるほど」

「順調かい?」

「それなりにな。想定外という程、突飛な対応ではない。これならどうとでもなる」

「そうかい。ま、しっかりやりな。俺の仕事はお前さんの護衛だけでいいんだろう?」

「ああ。それに変更はない」

 今回の件で先手を取れたその男は手を緩めない、一手分の有利を維持し続ける。

 彼がツヴァイクの味方である前提を疑わない時点で、ツヴァイクは致命的な隙を晒し続けているのである。その有利の大きさに笑いを噛み殺す男とそんな男を呆れた目で見る護衛が、城の片隅で蠢いていた。

 

 やがて集まる重鎮たち。そこに場違いな男が一人いた。

「ミカエル候? なぜ其方が軍議に参加するのだ?」

「さあ? 私もツヴァイク公に呼ばれただけでありまして、何も知らないのです」

 部外者とも言えるロアーヌ候ミカエル。怪訝な顔で彼を見る重鎮たちと、居心地が悪そうな表情で軍議の場に座るミカエル。

 さもありなん。軍議とは、いわば最高機密の塊だ。まさか無関係な者を入れるはずもない。給仕程度の者はもちろん入れないとして、声が漏れ出る外に立つ者もそれなり以上の立場がなければならない。なぜミカエルがいるか、理由が説明されなければ視線に敵意の一つも含まれるというもの。そんな視線が幾多もあれば、それは居心地がよいはずもない。ミカエルとしては、視線から逃れるように小さくなることしかできない。

「集っているようだな」

 そんな時間もやがて終わる。ツヴァイク公が己の息子を連れてやってきたのだ。

 ツヴァイク公が入ると同時、部屋に施錠が為される。公爵が最後に入るのが当然であり、その時間に遅れるような能無しには用はないという意思表示。実際、遅れる者は一人もいない。軍議の遅刻は軍隊行動に準じないという意味でもあり、場合によっては物理的に首が飛ぶ。誰もが納得できない理由でもない限り、降格ですめば御の字だ。

 最奥へと進んだツヴァイク公は上座にどっかりと座り、その脇に腰かけるのは王子。一同が集まっている事を確認したツヴァイク公は毅然と言い放った。

「軍議を始める」

 ピリっとした独特の空気が張りつめる。場合によっては、直接的に国が滅びる。その事実を背負った者たちにしか出せない一種の殺気が漏れ出たのだ。

 ミカエルへ視線を向ける余裕は誰にもなくなり、全員の視線はツヴァイク公へ向けられた。

「この度、我がツヴァイクの西部へ侵略があった。斥候の情報によればフルブライト商会の可能性が大、との事だ」

 ざわりと空気が揺らぐ。フルブライト商会といえば世界最大勢力の一つに数えられる。正面から戦えばツヴァイクの方が上だという自負は彼らにはあろうが、奇襲を受けたなら厳しい。一同の表情は自然と強張ってしまう。

 その中でただ一人だけ怪訝な顔をする男がいた。誰であろうミカエルだ。

「フルブライト商会が侵略ですと? 宣戦布告を受けながら軍備を整えなかったのですか?」

「宣戦布告はない」

「なんと?」

「フルブライト商会からの宣戦布告はなかった。故にこう言った、侵略と」

 その言葉に大きく目を見開いたミカエル。

「バカなっ!? そんな愚かな真似を、フルブライト商会が? 彼の商会はアビスにでも魅入られたのか!?」

「分からん。が、正気ではあるまい。場合によってはロアーヌの力も借りるかも知れぬ。その為に候を呼んだのだ」

「正道を守る為ならば喜んで」

 ミカエルの快諾を得、ふっと頬を緩めるツヴァイク公。

 侵略されているのはツヴァイクだ。相手が誰であれ何であれ、大義はツヴァイクにある。その侵略者に対する同盟の言質を取れたのだ。これでロアーヌとの共同戦線が張れる。

 その上で消耗が大きそうな戦場はロアーヌに押し付けてやろうかとの考えも走る。上であるツヴァイクが多少へりくだれば、この若い君主は義憤と共に突撃するだろう。

 そして次の議題へと入る、その直前。ゴンゴンと施錠された扉が叩かれる。

「ご注進っ!」

「何事か、軍議の最中であるぞ!」

「調査隊がフルブライト商会の伝令を持って来ました」

「なに? 相手がフルブライト商会と確定したのか? よし、入れ」

 いいタイミングだとほくそ笑むツヴァイク公。同じ笑みを顔の裏側でミカエルがしている事には気が付いていない。

 そして開かれた扉から入る男が二人。一人はツヴァイクの高官だと誰もが分かるが、もう一人に見覚えはない。

「うん。お前は誰じゃ?」

「わ、私は、今回キドラントの調査に派遣された者であります。この度、フルブライト商会の私兵に捕まっておりましたが、伝令の為に解放されました」

「伝令とな? 我が国を荒らす賊が今更何を言うか。

 まあいい、話を聞こう。ついでに敵軍の詳細も別室で話すように」

 それで、と話をさせるツヴァイク公。彼にとって誤算だったのは、やはり身分の壁だった。

 調査隊にされる程度の身分では、ミカエルの顔を知る事はなかったのだ。そしてまた、身分の違いにより何故ミカエルがツヴァイクに来たかも知らされていなかった。彼は自分の仕事は、キドラント村にて発生した怪物の調査としか知らなかったのだ。

「はい。フルブライト商会が言うには、トーマスカンパニーの使者がキドラントにて金品を奪われ、怪物の生贄にされかけたとのことです。

 奴らはツヴァイクの非道を正すべく立ち上がった義の軍であると。ツヴァイクに義心が残っているのならば、大人しく裁きの刃を受けろとの宣言でした」

 その言葉にガタリと立ち上がるのはミカエル。その顔は驚愕と激怒が混ざった顔をしていた。寝耳に水な重鎮たちは呆気に取られた顔をしており、僅かでも事情を知っていたツヴァイク公とその息子の顔は苦渋に歪んでいた。

「聞く。その生贄にされかけた使者とは、サラ・カーソンか?」

「は? い、いえ。名前までは聞いてはおらず……」

「よい、分かった。下がれ」

 これ以上場を掻き回されてはたまったものではない。素早くツヴァイク公は男を下がらせるが、手遅れなのは火を見るよりも明らかであった。ミカエルが鋭い視線でツヴァイク公を射抜いているのだから。

 あまりにもタイミングが悪すぎる。ツヴァイク公は必死で舌打ちを我慢していた。

「公」

「よい、ミカエル候。そなたの言いたい事はよく分かる」

 重すぎるミカエルの声に、ツヴァイク公はそれでも平坦な声で応じる。今、動揺を見せてはいけない。ここは一つの山場だった。

 ツヴァイク公を見据えるミカエル候。そのミカエル候を見返すツヴァイク公。お互いに視線を逸らさないまま、しばらく時が過ぎる。

 やがて、先に視線を外したのはミカエルだった。

「……モニカの事、後日にとっくりと説明をしていただく」

「後日にという配慮に感謝しよう。まずは、攻め込んできたフルブライト商会をどうするか、だ」

 ここにきてツヴァイクの不祥事がミカエルに、ロアーヌに露見してしまった。この傷を最小限に抑えるにはどうするか、必死に頭を回すツヴァイク公。

 場合によっては正道を守るといったロアーヌさえ敵に回りかねない。醜聞を晒した今だからこそ、それだけは防がなくてはならない。祖に聖王三将であるフェルディナンドを持つミカエルがツヴァイクを擁護すれば、まだ出血は少なく済む。ここにきて、ツヴァイクにとってミカエルはなお一層重要な位置に存在することになった。

「とにかく、フルブライトの主張がどうあれ、これ以上我が国を荒らされる訳にはいかん」

「……まあ、そうでしょうな」

 しぶしぶといった口調でツヴァイク公に同意するミカエル。そんなミカエルの手前、フルブライト商会に攻撃を仕掛けるような真似はできない。

 将軍に兵を預け、防衛に力を注ぐ指示を出し、そしてフルブライト商会に使者を出す。被害にあったトーマスカンパニーにも同席を願うべきだというミカエルの言葉に、頷いたツヴァイク公はトーマスカンパニーにも使者を出す事にした。

 トーマスカンパニーがどんな会社かは、ミカエルが怒鳴り込んできた来た時に調べがついている。名目は独立した会社だが、実態はフルブライト商会やラザイエフ商会の使い走りであるとの情報は入手している。ここはトーマスカンパニーに大きくへり下り、小さな会社には過ぎた賠償金で済ますべきだろう。その上でトーマスカンパニーの問題に顔を突っ込んだフルブライト商会を糾弾し、せめて領地を荒らした分くらいの金を出させられれば上出来。その為にはトーマスカンパニーを確実に寝返らせなくてはならない。

 ツヴァイクは日にちをずらして使者がトーマスカンパニーとフルブライト商会に届くように調節した。そもそも、それぞれが本拠地とするピドナとウィルミントンには距離がある。近いピドナに情報が早く行くのは仕方がないという建前もある。

 

 戦いは侵略から外交へとその場を移そうとしていた。

 

「ツヴァイク軍が見えました」

「よし。ミカエル候が上手くやっていれば向こうから手を出す事はないはずだ。

 攻めるのはここまでにして、防御の兵だけ残せ。それでも戦いになるようだったら、命を優先して引け。無駄死にするなよ。

 引きながら、途中にある村や町の財貨を回収してユーステルムに運ぶ。いったん奪ってユーステルムに置いてしまえば、ツヴァイクはそうそう攻められない。

 ミカエル候が時間を稼いでいる間に遠くまで運べばこっちのものだ」

「了解。しかし、盗人のようで気分が悪いっすね」

「先に強盗殺人をやらかしたのはツヴァイクだ、人をなるべく殺さないだけうちは良心的だろう?」

「物はいいようといいますか、考えようといいますか……」

 

「ツヴァイクから招待状が届いた。先んじてサラに被害を負わせた事を詫びたいとの事だ」

「……トム、許さないでしょ?」

「当たり前だ。これが普通の被害だって許さないが、元を辿ればツヴァイクが逃がした生物兵器が原因だっていう話だからな。容赦は一切しない。

 妥協するふりをできるだけして、むしり取る。その上で教授の手紙を暴露して、盛大に恥をかかせてやる」

「教授からの手紙? そう言えば、何が書いてあったの?」

「証明書さ。天才ネズミのアルジャーノンをツヴァイクに引き取って貰った、な」

 

 その外交でさえ包囲網が敷かれている事に、ツヴァイクは未だに気が付いていなかった。

 

 

 




次話の投稿はなるべく早くします。
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