詩人の詩   作:117

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3週間。ちょっとまったりし過ぎちゃいましたか。
これからもぼちぼち頑張っていきますので、どうかよろしくお願いいたします。

もう一度、週一回以上の更新を目標に。まずは夏まで!
先に言っておきますが、多分夏休みもいただくのでどうかご容赦を。


047話

 

 

 レオナルド武器工房を出た一行。その中で奇妙な緊張感を醸し出している人物たちがいる。それはカタリナとユリアンであり、彼らを複雑そうな顔で見るのはモニカ。

 モニカは全ての事情をおおよそ把握しているが、二人はそうではない。ユリアンはカタリナが極秘任務でロアーヌを出たと思っているし、髪が短いのもその任務の一環だとすればミカエルに強い忠誠を誓っているカタリナならば自らの髪を切っても不思議ではない。ただ、その任務の内容を一切知らないし、知る権利もない為にモヤモヤとした感情がくすぶっているのである。

 一方でカタリナは更に複雑である。彼女がマスカレイドを奪われたという醜聞をさらす訳にはいかないが、それはそれとしてユリアンのみを護衛としてモニカがロアーヌの外に出ているのも不可解な話である。この状況と人柄を鑑みるにユリアンを今更疑わないが、何が起きているのか心配で仕方ない。だが、自分の後ろ暗い任務内容を明かさずにユリアンやモニカの事情を聞くのも難しいとも思っている。

 やがて、ぽつりとカタリナがユリアンに尋ねる。

「ユリアン、少しいいですか?」

「はい、カタリナ様」

「私に様とつける必要はありません。今の私はロアーヌ貴族でなく、ただ任務を全うする個人に過ぎないのです」

 そこで少し話をきり、やや戸惑った呼吸をする。

「ユリアン、あなたは今、己に恥じない行為を行っていますか?」

「? はい」

「モニカ様をロアーヌの外に連れ出しているこの状況、あなたしか護衛がいない現在は万が一がないとも限らない。それでもですか?」

「はい」

 最初の質問にはやや戸惑ったユリアンだが、重ねて問われた言葉には胸を張って答えられる。

「確かに、モニカ様の身の安全のみを考えれば最善とは言い難いかも知れません。ですが、モニカ様の為を思うならば、これが最善だと言い切れます。恥じ入る己はどこにもありません」

「そうですか……」

 やや寂しそうにカタリナは笑い、言う。

「その真っすぐな言葉は、いいですね。今の私には、少し眩しいわ」

 

 ピドナの旧市街にあるあばら家の一つ。

 そこでミューズは醒めない眠りについていた。その顔色は、悪い。それが明確に状況の悪さを物語っている。ついてきたのは夢の世界に入り込む5人に、モニカ。眠ってしまっては無防備になってしまうため、モニカはその護衛をするという形である。

 そんな環境に倒れた人間を置いておく訳にもいかないので、その身の安全確保はベント家にお願いする事になるだろう。その話を通す為、サラはトーマスに事情を説明しに行っている。ニーナも何ができる訳ではないので、サラと一緒にベント家へと向かっていた。もちろんニーナはそのまま留守番だ。

「これが夢魔の秘薬だ。ミューズ様の傍らで飲めば、取り込まれた夢に乗り込む事ができるだろう」

 そう言ってシャールはノーラにカタリナ、ユリアンに少年といった共に戦う面々に夢魔の秘薬を配る。毒々しい色をしたそれは、飲むのに少し勇気が必要だった。

「夢の世界での死はそのまま現実の死に繋がりかねない。夢魔の秘薬は夢と現実の境を曖昧にする禁域の薬だからな。ミューズ様を助けるのは当然だが……皆、死ぬなよ」

 シャールのその言葉に力強く頷いた面々は、決意の表情で夢魔の秘薬を呷る。

 瞬間、言い難い陶酔感が体中を駆け巡り。

 そしてそのまま意識を失うのだった。

 

 

 酩酊から唐突に覚醒するような、不自然な感覚。

「……ぅぁ」

 喉からぼけた声が出て、問題のない気怠い感覚を覚えながらユリアンは立ち上がる。身の回りの物は、ある。剣に防具は問題なく、共に夢魔の秘薬を呷った面々も違和のない違和感を抱きながら立ち上がっている。

 ふと周囲を見渡せば、ロアーヌ宮殿を超えた絢爛たる部屋。思わず目を瞬かせてしまう。

「……夢?」

「夢だよ」

「これが悪夢、かい?」

 思わず口に出した少年に反射的に突っ込んでしまったユリアン。それに怪訝そうな声を出すのはノーラ。ここはおそらく夢の世界だろうが、何というか、雅に過ぎる。直前までピドナの旧市街に居たとは思えない。

 だが一方で、この光景に見覚えがある人間もいた。カタリナとシャールである。カタリナは一応ロアーヌの関係者である事を隠しているので沈黙を守っているが、シャールはその口を閉ざす理由がない。同行者に簡単な説明をする。

「ここはピドナ宮殿だな」

「ピドナ宮殿かい? あの新市街の最奥にある?」

「一般人が入れない、あの宮殿か?」

「ああ。ミューズ様の父君、クレメンス様は前のピドナの統治者だった。実務全般を取り仕切っていたクレメンス様はピドナ宮殿に入る機会も多く、ミューズ様を連れ添う機会もあったのだ。その記憶がここに蘇っているのだろう」

 ここがどんな場所だったか、その理由は分かった。だが、根本的な問題が解決されていない。その素朴な疑問を少年が口にする。

「なんでそのピドナ宮殿がミューズさんの悪夢の舞台なの? そもそもミューズさんはどこにいるのさ?」

「……分からん。とにかく、油断するな。夢魔に取り込まれれば、それこそ現実の世界へ戻る事はできないぞ」

 シャールの言葉にそれぞれが緊張を走らせる。

 顔を確認しあい、頷いて。まずは部屋を出ようとする一行に、声がかけられた。

「お客様ですか?」

 背後からかけられた声に全員が振り返るが、そこには少し皺がありながらもシャンとした姿勢で立っている一人の侍従。

 世界で最も栄えている国、ピドナの宮殿で働くに相応しい女性がこちらを見ていた。

「あ、ああ。客といえば客だけど――」

「お前はいつからそこに居た?」

 空気に呑まれ、迂闊に侍従を受け入れていたノーラだが、シャールの鋭い声に正気に戻る。

 そうだ。最初に確認した時は、ここには仲間5人しか居なかった。なのにこの侍従は出入り口が一つしかない部屋の、反対側に立っていた。

 状況を整理すれば明らかにおかしいのに、どこか頭に霞がかかって明瞭な判断ができなかったノーラ。気が付けばシャールは鋭い視線で槍を構え、カタリナはフランベルジュを抜き放っている。ユリアンも腰を落として白銀の剣の柄に手を添えて、少年も東方不敗を握りしめていた。自分だけが出遅れた事を理解したノーラは心の中で舌打ちしながら、工房で新しく開発された棍棒であるゴールデンバットを構えて対峙する。

 そんな一行をクスクスと笑いながら応対する侍従。顔は笑っているが、眼が笑っていない。

「いつからここにいたかとおっしゃられましても。最初からいましたし、今はいないとお答えする事も間違ってはいませんわ」

「…………」

「あらあらまあまあ。意志の強い方々ですこと、夢に堕ちて下さらない。まどろみの中で不安なく眠る事も悪くはありませんのに」

「…………」

「仕方ありませんね。眠らないのでしたら――引きずり込むまでっ!!」

 瞬間、侍従の姿が大きく変わる。体が肥大化し、人間のそれから魔獣のそれへと変化する。特徴的なのはその鼻だろう、長く伸びたそれは魔獣の一つの武器であると察せられる。

「――バクか!」

 正体を看過したシャールの声より早く、突進を仕掛けてくるバク。もちろん人間の数倍以上はある体格差があるというのに真っ向から受ける者はおらず、四方に飛んで散る面々。

 とりあえず初撃を回避し、敵を囲む事に成功したが。逆を言えばそれぞれが受け持つ部分は薄いという事でもある。一人倒されれば、バクはまたも自在に暴れまわるだろう。

 その一人を、獣の本能で察知するバク。誰でもいいなら最も弱い人間を狙うのが道理。

「私かいっ!」

 そして狙われたのはノーラ。確かに彼女の本職は職人であり、戦士ではない。彼女に狙いを定めるのは間違っていないといえば間違っていない。

『さあ、痛みから逃げなさい! 夢の世界へ堕ちるのです!!』

 単一を狙ったその攻撃に、ノーラは全くの無傷とはいかない。牙で裂かれ、その長い鼻で強打される。

「ぐっ!」

 痛みと霞がかかった感覚に、意識が飛びそうになるノーラだが。それを選ぶには彼女は意志力が高すぎた。

 唇を噛み、その痛みで意識を立て直す。そう簡単に死んでやる訳にはいかない。ゴールデンバットを盾にして、できるだけ被害を少なくするよう守りに入った。

 そして囲みを抜けなかったのならば、他の人間が敵の無防備な背中に切りかかるのは道理。バクの隙だらけなその体に、シャールのパルチザンが、カタリナのフランベルジュが、ユリアンの白銀の剣が、少年の東方不敗が。それぞれ襲い掛かり、その巨体を引き裂いていく。背中は穿たれ、脚はもがれ、骨が断たれて生物としての命と行動力とを失っていく。

 動きが鈍り切ったところで、一身に攻撃を喰らっていたノーラがその憂さを晴らさんばかりに武器を振り上げて、叩き込む。

「オラァ!!」

 渾身の一撃はその頭蓋を叩き割り、バクのその体はまさしく四散したと表現するに相応しい様相を晒す事になった。

『……なるほど。痛みや力であなた方を夢の世界に引きずり込む事はできないようですね』

 ぐちゃぐちゃになった死体のはずの体から声が聞こえる。その違和感に思わず少年は顔をしかめた。目の上まで頭が潰れているのに、口は動くのだ。ゾンビ型モンスターよりも気味が悪い。

 そして今の戦闘がまるで夢であったかのように、バクの死体が寄り集まり人間の姿に戻る。最初と同じ年かさの侍従の姿に戻ったバクだが、それに警戒を解く愚か者は一人もいない。全員が全員、鋭い目で見据えながら臨戦態勢を崩さない。

 そんな彼らに微笑みながらバクは、その姿に見合った優雅な礼をして言葉を続ける。

「よく分かりました。ならば、別の方法で夢を見させてあげましょう」

「お前の言葉通りに動くと、本気で思っているのか?」

「ええ。私が先に夢に堕ちたミューズ様の許へ案内すると言えば、あなた方はついてくるでしょう?」

 その言葉に思わず硬直してしまうシャール。その言葉が正しいならば、ミューズは既に悪夢に囚われてしまっていることになる。

 だが、それに不敵に笑って頷くのはユリアン。

「願ってもない。ミューズ様を夢から覚ますのはこちらの目的に沿う。ミューズ様の所へ案内する気なら乗ってやる。だが――」

 抜き身の剣を侍従の首筋にあて、剣呑な瞳で敵を睨みつけるユリアン。

「騙すつもりならば。その体、再び引き裂かれると思え」

「ふふ、怖いですねぇ」

 侍従らしい奥が見えない笑いを見せて、バクはこの部屋のたった一つの出入り口へと向かう。それを警戒しながらも追従する一行。

「ノーラ、痛めつけられましたね。癒します、アースヒール」

「ん、楽になったよ。カタリナ、ありがとう」

 態勢を整える事ももちろん忘れない。

 

 部屋を出て、絢爛な宮殿の内部を侍従の後をついて歩く。途中ですれ違うメイド、近衛兵、貴族たち。宮殿にいてもおかしくない職種の人間たちだが、その表情は判を押したように侍従と一緒。その瞳の怪しさも、また同じ。

 自分達以外の全てが敵であり、バクであると理解せざるを得なかった。このバク達が一斉に襲い掛かってきたら危ないかも知れないと、ユリアンや少年、そしてノーラは警戒心を隠さないまま歩き続ける。

 シャールもまた背中に冷たい汗をかいていた。利き手が使えれば何の問題もないと胸を張って言えるが、あいにくとその腕の腱はルートヴィッヒによって断たれてしまっている。反対の手でも槍を使えるように訓練はしてきたが、全盛期には遠く及ばないだろう。せいぜいがそこらの兵よりも強い程度か。そもそも槍は両手で扱う武器であるからして、片方の腕が使えないというのは致命的に過ぎる。やはり、今現在シャールが最も頼りにする己の武器は術だった。

 この中唯一冷静なのはカタリナ。彼女のみ、周囲の人間が一斉にバクとなって襲い掛かってきても返り討ちにできる自信が備わっていた。強いという事は心の安定にも一役買う事があるという好例だろう。その彼女から見て、いきなり襲われる可能性は低いように思えた。周囲のバク共は虫で遊ぶ子供の目である。そうでなければ、平民の拷問を酒の肴にする貴族連中とでもいえばいいか。自分が手を出さず、相手を嬲り物にする趣味の悪さを感じる。つまり、こいつらは自分以外の手によってこちらの破滅を楽しむ腹積もりだろう。

(やれるものならやってみなさい)

 その感情を冷静に理解し、逆に見下すように視線を返すカタリナ。意図が伝わったのか、そうでないのか。バク共の反応は変わらない。

 そして少しか、多少か、しばらくか。歩いた先に、立派な門構えが見えた。主がいるべき部屋の、その扉だと全員が理解する。

「お入りなさい。中にミューズ様がいます」

 先導した侍従はそう言い残すと、霞のように消えてしまう。残されたのは夢の中に乗り込んだメンバーのみ。

 その中で少年が聞く。

「どうしよう?」

 罠の可能性もないではない。このままのっていいのかどうか、全員に問う。最初に答えたのはノーラ。

「すまないが、私はこういった事を考えるのは不得手でね。みんなの意見を聞きたい」

「乗り込もう。正解か不正解かのヒントはないんだ、覚悟をした上で入った方がいい」

「ミューズ様を見つける為には、くまなく夢の中を探さなくてはならない。この部屋を除外する理由はないな」

「この中は当たりかと。奴らは力づくでこちらを折る事はしなかった。でしたら、趣味の良い光景がこの中にあるのでしょうね」

 ユリアン、シャール、カタリナがそれぞれ言う。

 入るべき、ただし警戒は必要。それが一行の総意となった。お互いに視線を交わし、覚悟を決めた上で扉を開く。

 果たしてそこには2人の人間がいた。

「ク」

「クレメンス様っ!?」

「おお、シャールか。うむうむ、壮健そうでなによりだ」

 気品ある椅子に座る壮年の男。ユリアンや少年は知らないが、シャールとノーラの驚愕の表情を見るにアレは前のピドナの主権者にしてミューズの父、そしてシャールの主であるクレメンスなのだろう。

 その男の隣で、これまた豪奢な椅子に座っている、絶世と称していいだろう美女がいた。ユリアンにしてモニカよりも美しいかも知れないと思い、そしてそんな人間は想像もしていなかった。

 どこか虚ろを見るようなその美女。この期に及んで違うとは言わないだろう。

「ミューズ様、か」

「多分ね」

 ユリアンと少年はお互いに頷き合って確認する。今を見ていないような、夢を見ているようなミューズはまさしく現を抜かすと評するに相応しい。彼女を正気に戻さなくてはならないとなれば、一苦労で済むかどうか。

 そしてそんな場を一歩引いたまま、厳しい表情で見ているのはカタリナ。誰にも感情移入していない上に歴戦の剣士と呼ぶに相応しい彼女は、現状を正しく理解していた。

「ノーラ、シャール。しっかりしなさいっ!!」

 腹の底から響かせる怒声でもって、腑抜けた仲間たちを叱咤する。正気であったユリアンや少年がビクと震えるような大声で、そして人として現実を感じさせる力ある声で。

 その声にハッとするノーラ。

「あ、ああ。すまない。そう、そうだ……。クレメンス様は、死んだんだ……。

 ここが夢の中だって、すっかり忘れていたよ」

 それはきっと、夢魔の秘薬を呷った時からある感覚。頭にかかる霞が、ほんの小さな差異を忘れさせ、目の前の統合性ない事象を現実と認識してしまう。

 この感覚を持ち続ければ、確かに正気を保つのは難しいかも知れない。全員が正気を失う前にこの夢から醒めなければならなかった。

 だというのに。

「クレメンス様、今、お側に……」

 仲間の一人が囚われた。シャールはミューズと同じく現を抜かした表情と瞳、そしてナニカを失った声でフラフラとクレメンスの姿をした男へ歩き出してしまった。

「! シャール、止まりなっ!!」

「シャール。そ奴らは儂の下に馳せ参じるそなたの忠義に邪魔なようだ。始末しなさい」

「…。はっ!!」

 夢に囚われたシャールはクレメンスの姿をした男の声に従う。

 槍を構え、先程まで共にいた四人に向かって襲い掛かる。

「ちぃ!」

「ここは僕が!」

 舌打ちをするノーラを追い越して、前に躍り出た少年が軽やかに東方不敗を振るう。襲い掛かる槍を叩き落とし、距離を詰めて拳を振るう。

 シャールはバックステップで下がって拳をかわし、素早く術を完成させた。

「エアスラッシュ!」

 熱が伴った刃が少年に迫るが、東方不敗を振るってそれをかき消す少年。そのままシャールに接敵し、武器を振るう。槍で受けるシャールだが、やはりその技量は拙いと言わざるを得ない。少年の力任せの攻撃を受け切れず、後ずさる。

 だが、この状況で困るのは少年である。まさかシャールを叩き切る訳にもいかない。

「……どうすればいい?」

「あなたは足止めを。その間に私たちが元凶を仕留めます」

 冷静にカタリナが言った。この状況は明らかにあのクレメンスの姿をした男が原因だ。アレがいなくなればシャールも、そしてミューズも正気に戻る可能性は十分にある。

 そうでなくても、アレを放っておいては百害あって一利なしだろう。始末しないという選択肢はありえない。

 惑わされたシャールと、それを留める少年。それを置いて敵へと向かうノーラとユリアン、そしてカタリナ。そして楽しそうに見やるクレメンスの姿をした男と、虚ろなミューズ。

「おおっ、儂の元に刺客が迫る。どうしたらいいかな、ミューズ?」

「はい、お父さま。シャールにかつての力を取り戻してもらうのがよろしいかと」

「お前がそう言うならそうしよう」

 クレメンスの姿をした男は、どこからともなく美しい彫刻がなされた小手を取り出した。どこか霊的で、そして聖的な雰囲気を持ったそれが明らかに邪悪なその男に似合わず一人を除いて怪訝な顔をする。

 除いた一人はカタリナ。彼女はそれ(・・)と似た雰囲気を持つものを知るが故に固まってしまった。それは聖王遺物である、彼女が失ってしまったマスカレイドの雰囲気にとても良く似ていたのだ。

「しまっ!?」

 気が付いたカタリナは素早かった。とっさに踵を返し、少年に抑え込みかけられているシャールの所へ駆ける。

 そしてその判断は正しかったと言わざるを得ない。

「シャールよ。聖王遺物、銀の手だ。これを用いればお前の腕はかつての力を取り戻せるだろう。その力、存分に使うが良い」

「……? 受け賜わります」

 どこか違和感を覚えつつ、シャールは主の言葉に粛々と頷いた。

 シャールが了解した瞬間、銀の手はクレメンスの姿をした男の元から消えてシャールの腕に取り付けられていた。それは槍と大剣とで鍔迫り合いをしていた少年にとってはたまった物ではない。力で優位に立っていたはずが、一瞬にして相手が自分の力を上回ったのだ。一気に押し返され、大きな隙を作ってしまう。

 それを逃さず、シャールは力が戻った利き腕でできた隙を容赦なく突く。

「エイミング」

「無形の位っ!」

 それを咄嗟に割り込んだカタリナがいなした。タイミングとしてはギリギリで、少年の胸を穿つように放たれた突きはカタリナによって逸らされる。

 そのカタリナの頬を冷たいものが伝う。シャールの槍を逸らしきれず、ほんの少しかすってしまったが故に流れた血。もしも武器に毒が用いられたら終わりであるが故に無傷であり続けようとした戦士にとって、それは決して楽観できない傷であった。

 利き腕を存分に振るえる、ピドナの近衛騎士筆頭。それは自分と同等以上であると、カタリナは自分を戒めた。だからカタリナは足手まといを許さない。

「少年、君はユリアン達と行け」

「で、でも……」

「行けっ!!」

 問答している余裕はない。有無を言わさぬ怒声に数歩後ずさる少年。

 そしてシャールはカタリナに襲い掛かった。突かれるパルチザン、振るわれるフランベルジュ。その鋭さに、重さに、軽快さに。一瞬で自分の及ばない域であると理解してしまう少年。自分は邪魔以外の何物でもないと理解した少年は、激しい打ち合いの音に背中を向けてもう一つの戦場へと向かう。

 そこには剣を持って振るうクレメンスの姿をした男と交戦する、ユリアンとノーラの姿があった。

 だが、その戦いは余りに異様。

 ユリアンの剣が敵を貫く、ノーラの棍棒が肩を砕く。

 致命傷となる一撃を薄ら笑いのまま、避けもせず受けた敵。貫かれた傷が、砕かれた骨が、逆再生のように元に戻ってしまう。

「くそっ!」

「どうなっているんだいっ!?」

 そして敵の反撃。だが、その動きはお世辞にもいいとは言えない。戦う事を得意とするユリアンはもちろん、専門職でないノーラもダメージを受ける事なく捌く事ができる。

 だが、それが何だというのだろう。相手を打倒できなければ何の意味もない。いつか疲れて集中力を欠き、仕留められるだけだ。

 そんな戦いに集中していた彼らは気が付けなかった。ほんの少し離れていた少年だけが気が付いた。

 この場でただ一人、動きの無かった者であるミューズがその戦いに目を向けていた事に。もちろんそれ自体はおかしい事でないだろう、目の前で武器が振るわれていたら視線はそこに向く。だが、違う。先程と違う。現を抜かすような表情ではなく、どこか青ざめた表情でその戦いを見ていたのだ。

「……違う、違う。これは違う、違うの。……夢、そう、悪い夢。お父さまが死ぬなんて、そんなの、悪い夢」

 かすかに呟く声が少年の耳に届いた。

 思い出す、ここは夢の世界だと。ミューズの夢の世界だと。そう、これはミューズの()なのだ。最愛の父が死んでいないという、都合のいい夢。

 少年はそれを理解する。自分達は間違っていた、夢に巣食う夢魔を倒す事が勝利条件だと思い込んでいた。

 だが、バクは何を目的としていた? こちらを傷つけようとしたのはあくまで手段であり、目的は自分たちに現実を否定させる事。夢の世界に引きずりこむと、明確にそう言っていた。

 気が付いた少年の行動は早い。決して死なぬ男を相手にする戦いを走って抜け、この夢の元凶であるミューズの前に立ち、肩を掴む。力強く掴まれた柔肌は歪み、ガクンと力なく首が動き顔が上向く。真っ青なその表情のまま、ミューズは焦点が合わない瞳のままで呟き続ける。

「死なない、死なない。お父さまは、死んでいない……」

「目を、覚ませっ!」

 その頬を力いっぱい叩く少年。だが、ミューズは正気に戻らない。

「お父さまは生きている、生きているの……。死んでいない、死んでいない……」

「人は、死ぬ!!」

 びくりとミューズの体が震えた。その心に届く声を出す事は、きっとユリアンにはできなかった。カタリナにもノーラにも、シャールにもできなかった。

 関わった人が死に続けた、少年にしか出せない心からの言葉。それでようやくミューズの心の琴線に触れる事ができた。

「……死ぬ?」

「そうだ、人は死ぬ。必ず」

「お父さまも、死ぬ?」

「ああ、その通り。誰でも例外なく、死ぬ」

 その言葉にまたもミューズの声が冷えていく。

「死ぬ、死ぬ、死ぬ。けれど夢の中なら、生きていける……。そう、死なない、死なないの。お父さまは、死なない……」

「生き続ける事はできない」

 けれども死ぬ事を恐れてはいけないと、彼は他人とは思えない少女から教わった。

 生きる事を、楽しむ事を、教わった。

 死に囚われてはいけない。そう死とは――

「死ぬ事は正しい。その正しさを認めなかったら、悲しむ事もできないんだっ!!」

 ――死とは、悼むものなのだ。

「お父さんが好きだったんだろうっ!? なのになんで死ぬ事を認めてあげないんだ、生き続けるなんて人に許されない事を願ってしまうんだっ!!」

「だって、お父さまがいないと、悲しい……」

「悲しめっ!!」

 それが少年の結論。

 彼を助けようとした人が死んだ。死んだ人の気持ちは分からないが、それでもあの人は昔の自分の様に人を怖がって人と関わらない。そんな孤独な人生を送る事を願ったのだろうか?

 自分が死んだせいでそうなったとしたら、それはきっととても悲しい事だと少年は気が付いた。

「泣いて、悲しんで、嘆けばいい! でも、その後に笑わなくちゃいけないんだ。死に嫌われた人は、死に負けちゃいけない」

「死に――負ける?」

「そうだ、勝て。死ぬという事に勝てばいい」

「……どうやって?」

「笑えっ!」

 そう言って、満面の笑みを浮かべる少年。

「泣いて、悲しんで、嘆いて。その後に、死んじゃった大好きな人を思い出して笑えばいい。それだけでいい、それだけでいいんだっ……」

「――」

 後ろで戦いの音が聞こえる。けれども少年のこれも戦いだった。紛れもない、自分を懸けた戦いだった。

「――笑え、ない」

 ミューズがやがて口にする。

「私は、笑えない。

 こんなにも、悲しい。こんなにも、辛い。

 だって――」

 

「お父さまは、もういないのだから」

 

 ユリアンの剣がクレメンスの姿をした男の心臓を貫く。

 これで何度目だろう、数えるのも億劫になる程に殺し続け、ユリアンの心に疲労が溜まり続けていた。それでも負けは認めないと、再生する敵と戦い続ける覚悟を決めている彼は素早く後ろに下がり、追撃を避ける体勢をとる。

「……そうか」

 だが、追撃はない。いや、それどころか傷が再生もしない。

「夢が、終わるのか……」

 そう呟いた男は、どこか寂しそうだった。

「え。クレ、メンス、様?」

 その言葉と表情と。それを認識したノーラは茫然とした声を出した。

 自分が戦っていたその男が、工房に良くして貰っていた優しいおじさんと完全に一致した。見た目ではなく、その雰囲気が。

 この中で、ノーラしか知らないクレメンスの一面だった。それがミューズの夢で見えるとは、まさか。

 呆気に取られたノーラに向かって困ったように笑う、クレメンスの姿をした男。戦いの音はいつの間にか聞こえなくなっていた。その静寂が支配した空間に、男の声が響く。

「ミューズを、頼む」

 

 

 

 世界が、崩れた。

 

 

 

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