ぐったり。
一言で説明するならそれで十分だろう。時刻は日が落ちたばかり、場所は海上で向かうはリブロフ。ユリアンと少年は心身ともにすり減らし、甲板の上で脱力していた。流石というか、シャールはそんな醜態は晒さない。しゃっきりと背筋を伸ばし、疲れきった男たちを苦笑しながら見守っている。
女性たちは既に船室に引っ込んで、ベッドで眠りに落ちているだろう。だが女性たちよりもずっと過酷な状況にいた男たちの神経は緊張して尖り、それを鎮めるために波の音を聞いて夜空の星月を眺めていた。
ピドナを脱出する際に起きた戦闘は過酷だった。男三人に女四人、単純に人手が足りなかった為に大きな防御網を作り、その中心にいた女性たちを守るという形になっていた。具体的に言えば、前線にユリアンを配置して突破力を高める。その後ろにモニカとサラを最終防衛ラインとしてミューズとニーナを守り、その女性陣を少年が更に覆うように守りを固める。シャールは奇襲全般に対応する役目を負っており、その布陣で夕暮れのピドナを駆け抜けたのだ。
この中で一番負担が大きかったのは誰かといえば、言うまでもなくそれはシャールである。市街戦であり、相手もそれに特化した人員を送り込んできているのだ。建物の上、路地の影、背後からの強襲。警戒すべき攻撃は数えきれない程あり、しかもその場所が瞬間毎に変わるのだ。右手に薄暗い路地が見えたと思った次の一秒では、頭上からの奇襲に適した建物の側を通る事もある。これを見事に防ぎ切った上で余力を残したシャールは、流石元ピドナ近衛騎士筆頭というべきだろう。
もちろん他の面々の負担が比較的軽かったとはいえ、それは楽をしたという事ではない。前線を任されたユリアンは立ちふさがる敵を速やかに排除しなければ逃げる速度が落ちてしまうため、苦戦すら許されない。相手もそれを分かっているので足止めを目的とした妨害をしてくるのだが、それを時には力であるいは技でねじ伏せる。少年も多勢に無勢の猛攻をシャールとユリアンが受けていた為に、いつ打ち漏らしが出てもおかしくないという緊張感で体を漲らせていた。実際、僅かな手勢や流れ矢の対処もしていた。女性陣も命を狙われるという重圧の中、もつれそうになる足を叱咤して街を駆け抜けたのである。少しは修羅場をくぐったモニカやサラはともかく、深窓の令嬢であったミューズや田舎娘であるニーナには堪えた時間であった。
この逃走劇が成功した要因の一つとして、カタリナとノーラの逆奇襲があったのも事実だった。相手は攻撃だけに集中すればいいのではなく、どこからから攻撃を仕掛けてくる敵にも配慮をしなくてはならなかった為、その分大きく攻撃に割く余裕を奪っていた。守り一辺倒では勝てないと言ったカタリナの言葉がずばり的中である。
そのような濃密で短い時間を潜り抜けた一行は、港に逃げ込んでリブロフ行きの船に飛び乗って、そのままピドナを脱出する事に成功した。まずは一安心と言っていいだろう。
「きつかったな……」
「うん……」
しみじみというユリアンと、素直に頷く少年。それに首を縦に振りながらその戦いを讃えるのはシャール。
「しかし各々、よく役割を果たした。おかげで無事にピドナを脱出できた。この戦果は誇っていいものだ。
よくやったな」
「ありがとうございます。しかし、本当にシャールさんは強いですね」
重ねて言うが、一番厳しい配置を受け持ったのはシャールである。市街戦で奇襲を防ぐという、単純に強ければ為せる訳でない役割をしっかりとこなし一行を守り切った。更に後方から突撃してきた相手もその槍で一蹴するという技の冴えを見せて、ユリアンや少年はその高みをむざむざと見せつけられたのだ。その強さにはいっそ憧憬すら湧く。
ゆえに次の言葉が出てもおかしくはない。
「シャールさん、俺を鍛えてくれませんか? もっと強くなりたいんです。いえ、もっと強くならなければならないんです」
「僕もできればお願いします。自分の命だけじゃなくて、仲間を守れる強さが欲しい」
「もちろんいいとも、二人にはミューズさまを夢から救い出してくれた礼もある。私でよければ喜んで手解きをさせて貰うよ」
船上で過ごす、ゆっくりとした時間。だんだんと闇が深くなり、空気が冷え込んでいく。
そろそろ暖かいベッドで横になり、体を休めてもいい頃だと。誰ともなしに割り当てられた船室へと向かうのだった。
「強くならなければならないと思うのです」
翌日。一晩しっかり休み、全員で朝食をとった後のお茶を楽しんでいた時にミューズがそう切り出した。
それに難しい顔をしたのはシャールである。
「ミューズさま、それは……」
「言いたい事は分かります、シャール。ですが、私は貴族としての振る舞いしか身に着けてきませんでした。この過酷な旅では無能者です。ですから最低限、自分の身は自分で護れるくらいに。出来うるならば、それより強く。そうならなくてはならないのです」
言い切るミューズ、それに頷くのは女性陣。
この一行、実権を握っているのは女性達である。シャールの主として認められているのはミューズであり、ユリアンが仕えているのはロアーヌでありその妹姫でもあるモニカだ。そして彼女らを保護しているのがトーマスカンパニーであり、その代表として同行しているのがサラ。サラに付いて来た少年もサラの意向を無下にはしないだろうし、ニーナもトーマスカンパニーの世話になっている身として基本は言われるがままだ。つまり一番発言力が強いのはサラで、次いでトーマスカンパニーが保護しているモニカやミューズが続く。何かあったらユリアンやシャールに相談はするだろうが、決定権は彼女たちにある。
こういうとサラが一番決定力があるように思えるし、それは間違いではないが、しかしサラが何もかも自由にできるという訳ではない。モニカにせよミューズにせよ、義理や恩、そして得があるからこそトーマスカンパニーの世話になっているのであって、大きな不満があれば離れていく事は想像に難くない。そしてその場合、彼女等の部下であるシャールやユリアンも失う事になる。圧倒的に手持ちが足りないトーマスカンパニーとして、武力の頼りを失うのは大きな痛手だ。最低限以上には彼女たちに配慮をしなくてはならない。
そんな彼女たちが朝食の前に軽く話し合いをした時に、ミューズが焦ったのが自分の価値の無さだ。もちろんクレメンスの娘としての価値はあるだろうが、それ以外に思い浮かぶものが何もない。サラやモニカは己を守れる位には鍛えているのに、ミューズにはそれさえもないのだ。ちなみにニーナは置いている。彼女はひとまず、世話係以上の期待はされていない。
ミューズが自身を鍛えたいと言い、そしてそれに同意したサラとモニカ。旅とは自分の身を守れなければ、せめて護衛が駆けつけるまでは自分で自分の身を守らなければならない事がある。だからこそ、自分を鍛えようというミューズの言葉に頷いたのだ。
しかしこれに困るのはシャールである。いや、鍛えるのがダメという訳ではないのだ。ただ、それを自身がすることができない。自らの華奢な主を痛めつけるような事もある訓練を施すなど、心底からできるとは思えない。そして甘い訓練は土壇場でそれを露呈して、逆に危険な目に遭わせてしまう事を彼は重々承知していた。
ならば他の者に任せなければいけないが。女性陣は練度が足りない、少年は加減が下手で教えるのに向いていない。となれば、選択肢はユリアンしか残されていない。
シャールは縋るような目でユリアンを見る。おおよそ同じ思考を経て、そして結論に至ったのか。ユリアンもなんとも言えない表情をしてシャールを見返していた。
「ユリアン、悪いがお願いできないだろうか?」
「分かりました、シャールさん。確かに俺が適任のようですね」
「あら? シャールが教えてはくれないの?」
無邪気な顔でちょこんと首を傾げるミューズだが、シャールとユリアンの顔は引きつるのみである。このお嬢様、人を教えるという事がどれほど難しいのか分かっていないらしい。
「私よりユリアンが適任かと」
「そうなのですね。では、ユリアンさん。お願いできるかしら?」
「はい、微力ながら全力でお教えいたします」
ユリアンの言葉ににっこりと笑うミューズ。それが訓練で削ぎ落とされる時はそう遠い話ではない。具体的に言えばもう間も無くだろう。
「明日にはリブロフに着くそうですが、今日は時間がありますね。早速ですが、今からお願いできないかしら」
そしてその時間を自分から積極的に早めるお嬢様。知らないという事は恐ろしいものである。
と言っても、知ってるからといってもそれを避ける人間ばかりとは限らない。
「私も自分の力が足りないって思い知ったの、一緒に鍛えて欲しいわ。ねえ、いいでしょ? ユリアン」
「私もです。護衛の任を預かっているのに、ユリアン任せで情けなく思っていました。私ももっと強くなりたいです!」
「あ、じゃあシャールさんは僕を鍛えてよ。 いいでしょ?」
サラ、モニカ、少年がそれに追従してきた。まあ、断る理由もないので頷いておく男たち。
「それじゃあ、お茶が終わったら訓練を始めようか。それで、ニーナはどうする?」
「あの、えっと……。私、皆さんのお世話を頑張りますねっ!」
ニーナは不参加らしい。まあ、田舎娘が昨日のような都会で刺客に狙われつつ全力で逃げるという体験をすればむべなるかな。あのように心臓に悪い出来事とは極力関わりたくないというのは、理解できる話でもある。
と、いうより。鍛えれば誰でも強くなれれば苦労はない。体格や才能、そして経験。全てが伴わないニーナが多少努力したとしても、それが実を結ぶ事になるのはかなり未来になるはずだ。むしろ、己に合わない事を事前に悟ったニーナを褒めるべきだろう。
朝食が終わり、動きやすい格好をした上で木製の武器を持った一同が甲板の上に集合した。ニーナも見学だけはした方がいいという事で同行だけはしている。
他の面々は言わずもがなだが、ミューズが選んだ武器は剣である。どの武器にも縁がなかった彼女はせめて教えを乞うユリアンと同じ武器を選ぶ事にしたのだ。教わる人と同じ武器なら実りも多少は多かろうという理由で。
そしてまずやる事は素振りである。
「では、はじめぇ~い!!」
シャールは目を鋭くしてその言葉を発する。流石は元近衛騎士筆頭、訓練などに出すその声は堂に入っており腹にビリビリと響く。それを間近で聞いた女性達、特にそんな声を聞いた事がなかったミューズは特に面食らうが、シャールの言葉に従って武器を振り始める。男性陣は練度が高いため、声の一つや二つでいまさら驚いたりはしない。
そうして武器を振り始めるが、教える側のシャールとユリアンと、教わる側の他の面々で向かい合うように素振りをする。そしてシャールは自分が教える人物たちの動きを見て目を細めた。
筋がいい。それに尽きる。
少年はいい、彼が強い事は分かっていたし実戦で磨かれたであろう荒いながらも力強い剣筋が見て取れる。少し矯正すれば飛躍的に強くなれるだろう。
問題はサラとモニカ、そしてユリアンだ。とにかく動きに無駄が少なく、極めて綺麗な武器の振り方をしている。しかもその上で動きに余裕を残しており、咄嗟の事態にも反応できるであろう足腰の捌きさえも見て取れた。女性には力強さが足りないが、ユリアンはそれすらもクリアしていて高水準でまとまっているといっていい。
流石にこの光景に違和感を覚えないシャールではない。ここまで仕込むのは相当に難しいと分かるが為に自身も木製の槍を振りながら問いをかける。
「ユリアンにサラ、それにモニカ。動きが随分綺麗だが、君たちは誰に教わったのかな?」
その言葉にやはり武器を動かしながら、この三人で共通する武術を教えてくれた人を思い出す。若干遠い目になりながら、しかし決して無理はさせなかったあの詩人。
「名前は知りませんが、詩人と名乗るとてもお強い方でしたわ」
「ええ。私たちと私のお姉ちゃん、それからトーマスを短いながらも鍛えてくれたんです」
「最初の段階だから分からなかったけど、無茶苦茶教え方が上手でした。無理はさせず、けれども理に適った矯正をしてくれて。彼には本当にお世話になりました」
声色は軽く、それなり以上に恩を感じているのだろうと分かる言い方である。
そうとまで言われればどんな教え方だったのかとシャールの興味の一つも湧いた。
「ほう。どんな教え方だったのかな?」
「「「乱取り」」」
揃った三人の言葉に思わず言葉を失うシャール。それに構わず、かつて教えて貰った時を思い出しながらそれぞれがその内容を口にする。
「旅の最中に教わりましたわ、雑事当番でない三人をまとめて乱取りをするのです。まずは全ての攻撃を回避して、足りない部分を口で教えて下さいました」
「それが一段落つきましたら詩人さんも棍棒を出して、更に実戦形式で。隙を見せたり甘い動きを見せたりした途端にスコンと叩かれて痛かったわ……」
「それでいて武器で攻撃を逸らしたり、武器だけに決して頼らせずに体術を学ばせたり。今思えば、凄い人だったな……」
特にロアーヌで兵士の全体特訓に参加したり、ハリードに技を教わったりしたユリアンはその言葉の重みが違う。様々な体験をした彼をして、詩人よりも上達を感じられたのはハリードとの特訓だけである。それも種類が違い、ハリードには剣技を教わって戦術の幅が広がった上達の感じ方だが、詩人との特訓では基礎能力が上がるような感覚だ。それも底なしに上がっていくのだから、凄いを通り越して逆に少し怖くなってくる。
そこまで口々に褒められればシャールとしてもその詩人に興味が湧く。その腕に装着された銀の手はミューズの許可を得て彼が使う事が許されている。久方ぶりに利き腕を存分に振るいながら、シャールは興味本位で質問を続けた。
「その詩人とやらはどのくらい強いのか? 何か指標になる事はないか?」
その言葉に少しだけ口をつぐんだ一同だが、代表してユリアンが答える。
「ガルダウイングを瞬殺しました」
「は?」
「あの男は、ガルダウイングを一撃で仕留めました」
「……それは」
思わず聞き返したシャールに、ユリアンははっきりとそう言う。目が点になるシャール。
ガルダウイングのような強力なモンスターを瞬殺する。もちろん、倒すだけならシャールだってできるだろう。だがそこに一撃や瞬殺という単語が盛り込まれれば難易度は段違いに上がる。それを可能とするのが詩人と呼ばれた男らしい。
「凄いな、それは。いつか手合せを願いたいものだ」
軽い様子で言うシャールだが、心の中では熱い思いが滾っている。自分よりも強いと思われる相手とは久しく会っていない。それと手合せをできる機会があっては滾るのも無理はない。
さて。軽い雑談をしながら素振りをしていた彼ら彼女らだが、そろそろ現実にも目を向けるべきだろう。黙々と己を高めるために素振りを続けていた少年はいい。
「…ハァ、ハァ、ハァ」
問題は準備運動のレベルをしている段階で息が乱れているミューズだ。予想できた事とはいえ、これは酷い。
どうするべきか、ユリアンは考える。詩人の特訓、兵士の訓練、ハリードの教え、カタリナの実技。それぞれを体験したユリアンはどのような教え方がいいのか考え模索し、選び取る。
「素振り、やめ~い!!」
シャールの言葉で全員が一斉に動きを止める。他は軽い汗を流したりしている程度だが、ミューズは肩で息をしていた。
「じゃあ、私は他の者を教えるが、ミューズ様はユリアンにお願いして本当にいいだろうか?」
「ええ、ミューズ様は私がなんとかするしかないでしょうね」
何せ他に教える人間がいない。本当に彼が教えるしかないのだ。
ここで二手に分かれる。シャールはユリアンとミューズから離れ、ユリアンはミューズに近づいて声をかける。
「大丈夫ですか、ミューズ様」
「大、丈夫です。武器を振るって大変なのですね」
「本物の武器は重いからもっと大変ですよ。それに敵に当たれば反動も大きい。ミューズさまはまず、素振りやランニングといった基礎体力を向上させる事から始めましょう」
たったこれだけで疲れ切った表情のミューズに苦笑いで答えるユリアン。確かにそこがないと何も始まらない。
ただ、ユリアンが見るにそこまで絶望的ではない。確かに体力はなさそうだが、そこは鍛えればいいだけの話。そしてしばらく寝たきりだったから体力や筋力は確かに衰えているようだが、体幹のバランスはいい。鍛えれば悪くない以上の結果を残せそうではある。
「お疲れのところ申し訳ありませんが、だからこそ有効な訓練もあります。引き続き訓練をいたしましょう」
「わ、分かりました。次は何をするのですか?」
問うミューズに、ユリアンは剣の間合いまで距離を離して木製の剣を構える。
「実戦です。と、いっても本気で叩き合う事はありません。
まずはミューズ様に攻撃していただきます。私はそれを防ぎますし、甘いところがあれば軽く反撃して教えます。ミューズ様は攻撃をしても隙をつくらないように、敵を攻めてください。
それが終わったら、今度は私が攻撃しますのでミューズ様はそれを防いでください。その際、私がどのようにミューズ様の攻撃を防いだのかを思い出しながら身を守って下さい。見て覚える事も大事ですから」
「はい」
「では、始めましょう」
結果として。あまり痛みを与えなかったユリアンだが、体力切れを起こしてミューズがへばってしまうまでそれは続けられた。ミューズは疲れきって分かっていないが、翌日には筋肉痛で全身が酷いことになるだろう。
そして翌日にはリブロフに着く。大商人であるラザイエフに目通りを願うのだから、体の不調を隠して好印象を与えなければならない。貴族としてのスキルが試される事であろう。
船上の出来事に関わりなく、船は順調にリブロフに進んでいく。
あまり昼食が進まなかったミューズはそのまま倒れ込むように眠り、ぐっすりと眠ってしまう。その間、他の面々は思い思いに残り僅かな船旅を楽しんでいた。
最近厳しくなってきたので、いったん週一以上更新の努力目標を取り下げようかと思います。
詳しくは活動報告に記載します。
ご一読をどうかよろしくお願いいたします。