…ので。クリスマスと年末年始は休ませて下さい。
決行日。詩人とエクレアは普段と変わらないが、エレンとリン、モニカとユリアンはやや固くなりながら昼食をとった。
そして食後のお茶を口に運びながら最後のミーティング。とはいえ、難しい事は特にない。要は詩人を除くメンバーで前軍を相手取って、その間に詩人がそこを抜ける。そして詩人独りで本隊を撃破後、ヤーマスまで攻め上りドフォーレの中枢を叩く。
言葉にすれば簡単なもの。だが、前者でさえ5人対2500人だ。相手が戦う事に慣れない素人とはいえ、数というのは暴力である。更に言えば戦いの素人という事でこちらの剣先も鈍りかねない。後者の詩人は更に酷い。一人で3000もの訓練が為された兵士と戦い、これを抜けて最も警戒が強いヤーマスに忍び込んで戦果をあげるのだ。奇跡を何度おこせばいいのが想像もできないだろう、普通ならば。
だがしかし、この詩人が気楽にそれをやれると言うのだ。ならば残る彼ら彼女らが言う事は何もない。ただ、この詩人を信じる事が唯一できる事だろう。
そしてその一方で詩人は詩人で彼なりに仲間を心配していた。
この中で一番心配ないのはユリアンだろう。彼は貴族の護衛という意味で高水準にまとまっている。所作や立ち振る舞いというものをカタリナに叩き込まれ、戦いでは詩人が僅かに教えた基礎を元にハリードが丹念に仕上げた。これだけでもロアーヌが彼にどれだけ肩入れをしていたのかが分かる。その上でモニカを護衛する旅の間に磨かれた警戒心、実戦の中でより研ぎ澄まされた戦闘能力。そして何より護るという決意。今のユリアンは、自身やその護衛対象が危険に晒されたのならば誰であろうと殺す事ができるだろう。それこそ武器を握った事がない素人から、戦う術を持たない女子供まで。
そういった意味で逆に心配なのはエレンだ。彼女は護る為ならば実力以上の結果を出せるだろう。フォルネウスとの戦いでも、エクレアが危機に陥ってからの爆発力は凄かった。だがその反面、無防備な相手を攻撃するという事に強い忌避感を持つタイプだ。特に今回の相手はエレンの判断基準では護る対象に含まれかねない。迷いが鈍りになり、不覚をとらないとも限らない。何せ、相手は死兵。死ぬ事を受け入れた上で捨て身で殺そうと襲い掛かってくるのだ。今まで体験した事がない戦いになる事は想像に難くない。
戦闘能力という意味で同じく心配なのはモニカである。一般兵よりは遥かに強いだろうが、彼女は戦いに出る5人の中では明らかに頭一つ劣っている。その上で彼女は武器よりもどちらかというと術の方に適性がありそうであり、更に非力だ。屈強な男たちに波状攻撃を仕掛けられ続ければどうなるか分からない。まあその点はユリアンがいるからフォローはしてくれるだろうが。
エクレアはそのムラっ気に問題がある。戦う事に楽しみを覚える彼女は、相手が強ければ喜んで全力を出せるだろうが、弱ければやる気をなくすタイプでもある。それでも身を守る術は詩人が念入りに叩き込んだ上、氷の剣まで持っているのである。危険が迫る事はないだろうが、どこか心配が残るのは事実だ。
リンによせる思いは心配ではなく期待。弓を最も得意とする彼女は前線に出るタイプではないし、仮に接近されたとしてもその体術に心配はない。それよりも危機に陥った仲間にその弓でフォローをする仕事に期待が持てる。もちろん、そんな場面が訪れないに越した事はないのだろうが。
彼らが今回とる陣形は、詩人が教えたホーリーウォールというものだ。前線に3人が立ち、攻める壁となって後ろに並んだ2人を守る。前線の中央には一番心配がないユリアン、その両翼をエレンとエクレアが固めて後衛にはモニカとリンが並ぶ。もちろん敵の数が数である為に乱戦になる危険性は十分あるだろうが、できるだけこの陣形を維持して戦うのが基本方針だ。そして乱戦になって不利になったら、それぞれの判断でバンガードに逃げ込む。当然だが、命を大事にすることが一番だった。
「と、こんな所か」
つらつらと考え事をしながらも詩人の口は滑らかに動いていた。一通り話を終えた彼はぐるりと周囲を見渡すと、心配そうな表情をしたエレンが目に入った。
「詩人…」
「どうした?」
「…。独りで、大丈夫?」
言われてみれば当然だ。受け持つ仕事の過酷さならば詩人の方が酷い。それこそ彼女たちとは段違いといえるだろう。
エレンの心配は一般的に見れば至極当然であり、だからこそ心を砕いてしまう。
「なんなら、あたしもそっちに付いていった方がいいんじゃないの。どこで人手が必要になるか分からないし」
「いらん。むしろ、邪魔だ」
それをあっさりと詩人は否定する。
一般的とは言えない戦いをするのは百も承知、だからこそ詩人は単独行動を選んだのだ。彼について来れるレベルでなければ、文字通りの足手まといにしかならない。
「でも…」
「せめて俺と一秒でも戦えたら考えてやるよ」
なおも心配するエレンを手酷い言葉で遮る詩人。
この言葉にはいい気分になれという方が無理だろう。それなりに自負と自信があるのに言われたくない言葉である。だがその一方で事実でもあり、本気の詩人を相手にしては束にしてかかっても一秒持つかは怪しい。腹は立つが、何も言い返せない。
そんな微妙な雰囲気に水を差したのはエクレアである。
「ん~。一秒はちょっと辛いかな。0.1秒におまけしてくれない?」
「ああ、いいぞ。じゃあ0.1秒におまけしてやる」
物凄く軽い言葉を口にするエクレアに、口調も軽く頷く詩人。その雰囲気にどこか毒気を抜かれてしまう。
まあ実際、1秒も0.1秒も大差ない。まず、詩人の初撃を防げないのだから。単純な攻撃はもちろん、彼には
「じゃあ、そろそろ行くか」
そう言って立ち上がる詩人。各々がそれに続くが、未だにエレンは彼が心配らしい。
「詩人。…死なないでよ」
「死ぬか。俺より自分の心配をしておけ」
その心配は届かなかったけど。
北側の城塞からバンガードの外に出る。弓矢の届かない位置に陣取るドフォーレの前軍が視界に辛うじて映り、その威圧感を伝えてくる。
2500の敵。今まで戦ってきた事の無い数に、誰ともなしに汗が伝う。
そして変わらない詩人のペース。
「じゃ、後は頼んだ」
そう言い残し、これから戦争に行くとは思えない気軽さで彼は姿を消す。
詩人の相手は前軍の奥にいる本隊。直進すれば必然前軍とぶつかってしまう為、迂回していくのだろう。その移動する姿すら視界に収められないのだから、詩人が来るだけ足手纏いだという言葉も分からなくはない。納得もできないが。
だが、それに心を砕いている余裕はない。彼らとて楽な訳がないのだから。
「……行こう」
「ええ」
「分かったわ」
「行きましょう」
「りょーかい」
先頭にユリアンが立ち、歩を進める。一歩一歩、2500もの軍の元へ。
ざくざくと土を踏みしめる。全員が気が付いていた、この土地は荒れていると。地面に生えた草は無残に荒らされ、大地は抉れて折れた矢も突き刺さったままだ。そして何より血がしみ込んでいる。死体こそ衛生面から片づけられたのだろうが、地面に流れ込んだ大量の血液までは処理のしようがない。余りに生々しい殺し合いの後が嗅覚を刺激する。
ここに至ってはエクレアでさえ真剣になる。敵軍に近づくにつれ、陣形を整えるように立ち位置を変える。ユリアンとエレン、エクレアが壁となって後衛のモニカとリンは弓を持つ。
やがてその声が届く範囲まで近づくと、代表してユリアンが腹の底から響く大声をあげた。
「我等はロアーヌのモニカ姫に率いられし精鋭であるっ!
モンスターと手を組むドフォーレの軍に告ぐ。大人しく投降しろっ! 抵抗しないならば悪いようにはしないっ!!」
ドフォーレの前軍は本当に軍としての体裁が整っていないらしい。監視すらもロクに為されておらず、たった数人の接近を見逃していた。
ユリアンの大声を聞いて慌てた様子で武具を身に纏った男たちがわらわらと出てくるが、これくらいは想定内。彼らは戦いたくて戦っている訳ではない。家族や他の大事なモノを人質に取られたが為、死ねと命じられただけなのだ。死にたくはないだろうが、戦わない選択肢はない。
できるだけ殺したくない、そして死にたくもない、そんなお互いに望まない殺し合いが始まる。
数十、数百といった数の敵兵が突進してくる。その表情にはまだ余裕があった、精鋭と名乗るが相手はたかが数人。バンガードに無策に突っ込めと言われるのと比べ物になる訳がない。
その認識が甘いと気が付かされるのにそう時間はかからなかったが。
「ソウルフリーズ」
「「サンシャイン」」
遠距離にて大多数の敵を相手にするならばやはり術に勝るものはない。モニカが魂を凍えさせる息吹を駆けよってくる烏合の衆に浴びせかけ、エクレアとリンが合わせた太陽術で普段とは何倍にもなった熱射が降り注ぐ。
冷気と熱光に晒された軍の前面はそれだけで崩れ、ヒィヒィと悲鳴をあげながらその場で動けなくなってしまう。相手が術を使うとも考えていなかっただろう対応を見る限り、相手は本当に素人の集まりなのだろう。余り酷い傷を与えたくないという心情も合わさり、広範囲低威力で放った術である為に致命傷から程遠いはずなのだが。
そして動けなくなった人員を、その倍の人員を割いて手を貸しながら戻っていく。傷の程度が分からないのだろうから怪我を負ったらまず撤退するという思考回路なのだろう。更にその上で本音では戦いたくない者がほとんどである筈なので、逃げる口実には丁度良かったに違いない。しかしそれでも膨大な数のどれだけが削れたのかは不明だ。未だに大軍と呼ばれる数が津波のように襲い掛かってくるのだから。
接近戦が始まる。
前線を支えるたった3人。そのうちでまともなのは中央に陣取る男だけで、両翼に位置を取るのは女。しかも片方はその上で子供。強いと思える筈もない。
だがしかし、この2人は津波のような人の波を見事に捌ききっていた。
「地走りっ!」
少女の足元に大剣が突き立てられて衝撃波が
しかもそれは一本ではない。一呼吸には一閃しか放てないそれも、言い方を変えれば数秒に一閃は放てるという事だ。大剣を地面に突き立てたまま、自らに迫る人の群れを蹴散らしていく。
「はっ!」
女性は襲い掛かってくる完全武装の男の腕を引っ掴むと、地面から引っこ抜いて他の敵に投げつける。
原理としては空気投げの要領で宙に浮かしてジャイアントスイングの回転力を足した上で放り投げているのだが、そんなものが分からなけらばその光景は正に悪夢だった。自分たちの誰よりも線の細い美女が、大の男を人形でも投げつけるようにポンポンと投げ戻しているのだから。
軽い擬音がつきそうな様子で冗談のように吹っ飛ぶ男たちだが、その体重と身につけた武具の重さが減っている訳ではない。ブン投げられた男も、ブチ当てられた男も。その両方が激痛に悲鳴を上げてのたうち回る。投げられた拍子に武器を取り落としていなければそれが突き刺さって死ぬ者も出たであろう。
襲い掛かってくる兵を武器として使用するというとんでもない事をしつつ、女性は自分への接敵を許さない。しかし軍の方はまだまだ1000を楽に超える数を有しているのだ。
少女も疲弊したのか衝撃波を放つ間隔が長くなってきて、隙ができる。女性も人を投げつける精度が落ち、浮かす事に失敗する。軍がそれを逃す事はなく、ここが勝機と雪崩のように数を頼りに突進する。
「「練気拳っ!」」
その人の雪崩を、ただ拳を合わせる事で弾くように吹き飛ばす。奇しくも2人同時に仕掛けたそれによって、両手で連打した数の人間が空高く舞う事になった。二つの地点から人が滝のように地面から空に向かい、そしてまた地面に落ちるのは。遠くから見ていたならば、ある種壮観ですらあったかも知れない。
こんな奴らを相手になんかできる訳がない。女子供に傷一つ付けられない、戦う心得えを知らない男たちは攻撃の対象を変える。目指すのは中央に陣取る男。そいつも傷の一つも負っていないが、肩で息をして3人の中では一番余裕がないように見える。その周囲はピクピクと悶える男たちで埋め尽くされているが、逆に言えば死んでいない。殺されないならば、まだこちらの方が可能性があると多くの者が殺到する。
男――ユリアンはそれを見て諦観の感情を抱いてしまった。
(ああ。もう、無理だ)
不可能だ。出来なかった。遂行はされない。所詮、自分はこの程度かと自虐の笑みさえ浮かんでしまう。
その笑みを浮かべたまま、ユリアンは接近してきた男の喉に刃を突き立てた。
「え」
なんで殺すのか。それを理解できなかった男は、小さな単語一つ遺して絶命した。そしてユリアンは止まらない。武装した男たちの急所の多くは防具で覆われている。余計な手間をかけられる現状でない以上、一太刀で殺さなくてはならない。ならば狙う最適解は首。か細いそのラインに的確に剣を振るい、ユリアンは5、10、15と瞬く間に死体を量産していった。
(殺さないで済むかもなんて甘かったな)
割り切ったユリアンの動きに澱みはなく、流麗に首のみに剣を当てて切っていく。
ユリアンの覚悟を理解したであろうリンの矢の軌道も変わる。今までの狙いは脚、機動力を削いで撤退させる意味で射っていたそれを、頭部に変える。ほんの僅かにしか狙いどころがない上に、顔面というのはとにかくせわしなく動く。それに的確に矢を合わせられるリンの技量はどれ程か。
ユリアンの覚悟を理解したであろうモニカの術が変わる。月の術、ソウルフリーズにてダメージの蓄積や動きの阻害を狙っていたが、炎の刃を生み出すエアスラッシュにて敵を焼き切っていく。防具がある為に致命傷までは負わせられないが、肌や髪が焼ける異臭と生きながら焼かれていく苦痛による聞きなれない絶叫が響き渡る。この段階ではむしろ殺せない火力しかない事を恨むだろうおぞましい悲鳴だ。
殺す。殺す。嬲る。狙いが明らかに変わり、彼らは押し寄せる男たちの士気を奪い取っていた。死ねと命じられて戦場に来たが、実際に死を見せつけられ、それを上回るような苦痛の声を聞いてしまえば生存本能が刺激されるのは仕方がない。結果、軍の動きが完全に止まった。
それを遠くから見ていたのはドフォーレの指揮官。烏合の衆とはいえ、指揮官くらいはいないとどうにもならない。例えば脱走兵がいた時など、それを報告して人質を殺すぞという脅しの意味もなくなってしまうのだから。
その指揮官は止まった軍に歯噛みする。彼にとって前線で戦う男たちは、死のうが補充される消耗品。あれほどの腕を持つ者を打ち取れるなら、例え1000人殺されようが痛くも痒くもない。自分の戦功の為、男たちを脅迫する為に大きく息を吸う。
「お――」
お前ら、大切な者がどうなってもいいのか。その言葉は最初の一文字しか口から出る事はなかった。指揮官の顔のすぐ横を、氷の斧が飛来して抜けたからだ。
飛んできた方向を見れば、そこには氷の斧を担いだ美女の姿が。よくよく見れば少女も剣先を指揮官に向けて殺意を込めた瞳で睨んでいるし、奥の女も弓矢の照準を指揮官に合わせている。
3人の女は無言で語っていた。次は当てる、今度は殺す。
指揮官の背中に冷や汗がドバっと流れる。突撃する男たちが1000人死のうが指揮官の心に響くものは何もないが、自分の命1つが狙われては恐怖に心臓が早鐘をうってしまう。
ましてや死ぬ覚悟など微塵も持っていなかった男である。急に提示された自らの死という事象に抗う勇気は僅かにも存在しなかった。
「てっ…撤退! 撤退だー!!」
その言葉は戦場全体に響き渡り。一瞬の空白を挟んだ後、その言葉を待っていたと言わんばかりに全員が我先にと退却を始める。
「……案外、なんとかなるものね」
「そだねー」
得た戦果は、敵の全軍退却。殺した敵は数十くらいだろうし、戦闘不能になった者も200~300人程だろう。
だがしかし。それでもたった5人で2500の兵を追い払う事に成功したというのは、言い難い感覚をそれぞれの胸に残すのだった。
前軍が踵を返す頃。
詩人はたった独りで悠々と歩いていた。隠れるものがない荒野、相手にするのは3000もの正規兵。見つからないというのは虫が良すぎる。
まあ、そんな虫が良すぎる方法がない訳ではないのだが、手間がかかったり消費が多かったりするので詩人はその手段は取らないでいた。そして姿を晒して歩いている以上、敵に見つかるのは道理である。兵としての訓練を受けた軍だけあって、油断もない。たった一人であろうと、前軍をすり抜けて来た不審者に警戒しない訳がなかった。
数百の兵で陣を組み、矢を番えた弓を引き絞っている。その奥には千を超える兵が警戒しつつ近づくその男を睨みつけている。
詩人は矢の射程距離内に不用心に入り込み、そのまま歩を進める。ドフォーレが矢を射かけないのは男の目的が判明していないから。可能性としてはバンガードの使者という事もあり得る。話し合いの余地なく殺す程に切羽詰まっていない以上、話し合いならば応じるし、そうでなくても生け捕りにして情報を吐かせるのが当然の考えだ。
やがて声が届く距離になった時、詩人は足を止めて宣言する。
「降伏しろっ! たった一度だけチャンスをやる。戦いが始まれば、お前ら全員を殺すっ!!」
奇妙な沈黙が流れた。
たった一人が3000の軍に向かって言ってのけた言葉は壮絶な気まずさをその場に漂わせていた。逆じゃないのかと、呆れる者も多い。
将軍もそんな一人だった。訳が分からないが、とりあえずアレは敵のつもりらしい。こんな馬鹿な事をする狂人がまともな情報を持っているかも怪しい。というか、あの男の言葉は何も信じない方がいいだろう。狂った男の中身など知りたくもない。
「撃て」
簡潔な命令は実行される。
引き絞られた弦から放たれた矢は勢いよく一人の男に向かう。
瞬間、将軍の背筋に極めて質の悪い寒気が襲った。何故だろう、あの男の顔も見えないのに、悪魔のような笑みを浮かべた気がして――
――男に殺到した矢は、不自然に弾かれた。何もしていない、何もしていないはずなのに。そして次の瞬間に、前面に配置されていた兵たちの首が軒並み飛ぶ。
「は?」
敵の姿は、男一人。不自然に矢は弾かれて、百程の兵の首が一斉に飛んだ。例え夢だったとしても、こんなものは一生に一度見るか見ないかの悪夢だろう。
更に悪いのは、これが現実という事だ。
男は一気に加速して軍に接近する。何をされたのかは分からない。分からないが、もはやあの男以外に原因は考えられない。もはや狂乱に近い感覚を覚えながら、弓兵は矢を放つ。
しかし男には通用しない。またしても男に向かう矢は空にて唐突に弾かれて、再び百程の首が宙を舞う。まるで魔王の加護でも受けているかのような男は、もう軍の間近にいる。
「弓は効かんっ! 剣を持て、槍で刺せっ!!」
将軍は咄嗟にそう指示する。どういう原理かは分からないが、あの男は矢を無効化するらしい。ならば直接刃をその体に刺し込んでやるしかない。少なくとも試す価値はある。
間違っていない指示であるし、的確な指示である事も確かだろう。将軍は確かに優秀な男だった。だが、相手がそれが通用する男ではない事が彼の不幸だった。
突き出された槍はするりとかわされて、すれ違う時にその脳天が剣にて叩き割られる。
振るわれる剣を華麗に避けて、回転しつつ振るわれた剣で兵士の胴が斬り飛ばされてピクリとも動かなくなる。
千を超える兵士が絶え間なく同時に繰り出す致死の刃は、男に掠る事もなく。逆に男の近くにいる兵は例外ない死が与えられていく。
(なんだこれは)
目の前の光景を現実と認められない将軍だが、事実は変わらない。障害などないかのように、その男は死を振りまきつつ軍の中央に一直線に進んでくる。
指揮官が――将軍こそが狙いだと気がついたのは男が眼前に現れてからだった。血の滴る剣を携えた男はまるで死神のよう。持った剣は禍々しく、魔剣の類いである事は一目で見て取れた。
ここでようやく正気に戻った将軍は慌てて腰に下げた剣を抜く。だがそれが何の役に立つのか。この魔王のような男に――
「――待て。本当に魔王か?」
「……」
「魔王なのか。宿命の子は魔王なのか、貴様は魔王なのかっ。現れるのは神王ではなかったのかっ!!」
将軍の声が終わると同時、その命も終わる。一瞬で距離を詰めた男がその心臓を剣で穿ったから。心臓が損なわれて人が生きていられる道理がある方が不思議だろう。目を見開いたまま将軍は地面に倒れ伏し、ただ血を流すだけの遺体に変わり果てた。
それを為した男――詩人は虫でも踏み潰したかのように感情の無い顔で周囲を見渡す。
軍が、将軍が。たった一人に打ち取られた。残された者たちに浮かぶ感情は恐怖のみだった。
(だいたい1000か。まあ、悪くない数を殺せたな)
殺した数をおおよそ数えていた詩人はそう思いながら口を開く。
「大将首は取ったが、宣言した通り全員の命を貰う」
「ひっ」
誰ともなしに恐怖に息を飲む。ゴクリと生唾を飲む音が聞こえた気がする。助けてと聖王に祈る声がする。
「――なんだ、助かりたいのか?」
それが聞きたかった詩人は、偶然聞きとがめたかのように意外そうに言う。
「ならば最初から降伏すればよかったものを。
しかし困った。一度戦い、殺すといった以上は命を取らなくては筋が通らない」
どうしようかと悩むポーズを取る詩人。そしてそれを固唾を呑んで見守る生き残りの兵。数にして、おおよそ2000か。これだけの数が居ても全員が殺されるだろう確信を持たざるを得ない光景が直前まで繰り広げられていた。
やがて詩人はある提案をする。
「よし、こうしよう。全員殺すと言ったが、俺の代わりに一人殺せばそいつは助けてやる。
宣言通りにはならないが、俺の味方をするというなら温情は必要だ」
その言葉に一瞬だけ気まずい静寂が走る。
次の動きは早い。ある男が剣を抜き、隣にいた仲間の腹を突き刺した。
「がぁっ!」
「死、死ね! 死ねっ! 俺は生きる、だからお前が死ねっ!」
ぐさぐさと仲間を数回刺したその男は、確実に殺したと判断した時にその視線を詩人へと向ける。
恐怖に染まりながらも、懇願するように声をかけた。
「これで、これで俺の命は助けてくれるんだな?」
「ああ、約束だ。俺はお前を殺さない」
ほっと安堵の表情を浮かべた仲間殺しをした男。
その表情のまま、その首が飛ぶ。背後にいた別の男がその男の首を断ち切ったのだ。
「こ、殺した、殺したっ! これで俺は助かるっ!!」
そのまま男は血塗られた剣を振り回しながら、詩人に背を向けて脱兎の如く逃げ出す。
だがその先には他の兵がいる。全員が全員、血走った目で周りにいる直前まで仲間であった者たちを殺気立って睨みつけていた。
「どけぇ! 俺の命はもう保障されたんだ、どけぇぇぇ!!」
「うるせぇ! 俺の為にお前が死ねぇぇぇ!!」
「死ねない、俺は死ねないんだ。レイシアが、嫁の腹の中に子供がいるんだっ!」
「補給兵を狙え、あいつらは弱い!」
「あの新兵は俺の獲物だ、お前ら手を出すなぁぁぁ!」
「い、痛い痛い痛い痛い! やめてくれぇぇぇ」
「殺せ、殺せ、殺せ!」
「殺しにかかってくるなら全員殺すぞぉぉぉ!!」
瞬く間に仲間同士で殺し合うドフォーレ軍。殺し殺され、殺し殺され。
もはや最初の、詩人の言葉は残っていない。あるのはただ、自分が生きる為に周囲の人間を殺す事だけ。生きている人間は全て自分を狙う敵になっているのだ。助かる為には全てを殺すしかない。
つい先ほどまで共に戦う仲間同士で殺し合う、余りに酸鼻な地獄絵図。
それを生み出した詩人はその惨劇の場から既に離れ、ドフォーレの軍を見渡せる小高い丘に立っていた。完全に統率を失い、自滅していく軍を見ながら詩人は一言呟く。
「良し」
半殺しの戦略、成功である。
まずは敵軍の半分程を殺し、その上で指揮官も殺す。そして生き残った半分に仲間殺しをそそのかし、その半分同士で殺し合わせる。
これは詩人が一人しかいない為に編み出された戦略である。例えば単独で軍を壊滅させようとしてもそれは難しい。兵といえども人間であり、戦意がなくなれば逃亡する。四方八方に散ってしまえば、その全てを詩人独りで仕留めるのは不可能である。
故にこのような方法を取る。軍としては壊滅、生き残る者も僅かにいるだろうが、兵として使い物になる訳がない。そして出る証言は支離滅裂なものばかりで、信用される訳もない。敵軍を全滅に限りなく近づけた上で、詩人が剣を使ったという事実は闇に葬られるのだ。
狂乱の戦場に背を向けて、詩人は一路ヤーマスを目指すのだった。
場所はヤーマス、時刻は夜。
ドフォーレ商会が支配するその町で今現在最も厳重な警戒がされているのがその商館だった。ドフォーレ会頭が指揮する戦争の重要機密が詰まったその部屋は、当然ながら暗殺といったものも警戒されている。
「バンガードは硬直状態か、それでいい。まずは東からくるツヴァイクを相手にしなくては挟み撃ちに遭う。
ウィルミントン周辺にモンスターが大量発生している意味は分からんが…ランスの辺りにうちのモンスターをばら撒いておくか?」
豪奢な部屋で着々と戦略を整え、勝つ為の布石をうっていくドフォーレ会頭。様々な案を考慮し、吟味し、勝つ為に手段は選ばない。
今は一人で考えを整理する時間だ。隣の部屋に護衛は詰めているが、基本的に彼らがこの部屋に入ってくる事はない。
そして考えが一区切りついた時、ふうっと疲れたため息を吐くドフォーレ会頭の視界がグルンと回った。貧血を起こしたような感覚ではない。文字通り、見える光景が回転したのだ。
一体何が。そう思うドフォーレ会頭の視線の先には鏡があった。そこに映し出されているのは、首を断ち切られて回転しながら床へと向かう自分の頭と、その背後で剣を携えた道化師のような恰好をした詩人の姿。
(暗殺? ばかな、ドフォーレにそんな隙は――)
それがドフォーレ会頭の最後の思考になった。地面に倒れ伏す首の無い胴体と、ゴロンと転がる光を宿さぬ瞳を持った頭。
暗殺を成功させた詩人は、そのままその場を立ち去る事はしない。ドフォーレ会頭の遺体にはまだ用があるのだ。
詩人は頭のない体をまさぐり、やがて一つの品を奪い取る。それはドフォーレ会頭の封蝋印、ドフォーレ会頭が生きているならばまず手放す事がないもの。つまりこれを持って詩人はドフォーレ会頭の暗殺成功の証にしようというのだ。
「これで仕事は終わりだな」
気軽にそう言った詩人は、今度こそ部屋から、ヤーマスから姿を消す。
残されるのはドフォーレ会頭の遺体。そしてトップを失った事により秩序を失うであろうドフォーレ商会。
それを確信している詩人は、もうやる事はないとバンガードへと帰投するのだった。
だいぶエグかった、戦争編はこれで終わりです。
次回からはアウナスへと移行。簡単な事後処理を終わらせた後、本格的にアウナスにターゲットを絞っていく予定です。
どうか楽しんでいただけると幸いです。