詩人の詩   作:117

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過去最長、更新です。
どうか楽しんで頂けたら幸いです。


075話

「決闘、か」

「ええ。三日後です」

 槍と剣を交えながらシャールとユリアンが言葉も交える。話だけはシャールも聞いている、ユリアンとエレンがアウナスを討伐するメンバーを決める為に決闘をすると。確かにあの感情のぶつけ合いはどこかに落としどころを作らなくてはなかっただろう。

 発案は詩人であり、審判も彼がする。行う決闘は騎士のそれで、代理人を立てる事も可能。古い貴族の決闘方法で、それはシャールの知識にもある。代理人を認める辺りは騎士の決闘というよりかは貴族の決闘に近いが、昔は騎士と貴族が類似であった時代もあったし、今現在も戦えない貴族が騎士を名乗る事も少なくない。

 そこら辺の言葉の選び方はどうでもいいが、幾つか提示された条件にシャールは思考を割いていた。真剣であるとはいえまだ準備運動の段階だからこそ、そちらに思考を回す余裕がある。

 まずは決闘までエレンとユリアンの無意味な接触を禁じる。これは揺さぶりや交渉などを極力回避する為にある。この二人には意味がない話だが、名を譲って実を取るという話はいくらでも存在する。また、審判である詩人も肩入れを防ぐ為、やはり最低限の接触以外のエレンとユリアンへ接触が禁止される。これも心配しなくていい話だろうが、審判が買収されてしまえば決闘など茶番に堕ちるのだから。

 勝敗は敗北宣言か、もしくは死をもって決定される。これもまた決闘の作法でもある。場合によっては殺すのを禁止して、頭上に括りつけられた球を破壊した方が勝ちというのもあるが、四魔貴族に挑むというのにそんなお遊びで勝敗を決しても仕方ない。命くらい懸けろという詩人の主張はシャールも納得するものだった。

 さて。こうなった時、どちらが勝つかを考えてしまうのは仕方のない事だろう。そしてシャールの中で導かれた答えは、8割以上の確率でエレンの勝利に終わるというものだった。

 シャールが己自身を基準で考えた時、彼がエレンに勝てる確率は9割程度だと見ている。一見高い確率に見えるが、実は最も危ない確率の一つだ。

 勝率を測る時、一番嫌なものが五分五分である。こちらは互角だと思っているが、相手の思考は分からない。見えている手札で対等という事は、見えていない手札一つであっさりと負けてしまう可能性もあるという事。もちろん、見せていない手札で楽勝という可能性もあるが。

 次に嫌な確率が勝率1ケタ。もしかしたらこの手が決まれば上手を倒せるかも知れない、そんな甘美な誘いと僅かにくすぶる勝つ自信があるからこそ、危うい賭けに乗ってしまいかねない勝率。これ以上に、例えば2割から3割程度の勝率だと分が悪いと素直に引けるのだが、人とは不思議なものでギリギリあり得なくはない確率に惹かれてしまうのだ。シャール程の戦士でも大丈夫だとは言い切れない誘惑がそこにある。まあ、ここで大丈夫だと言い切る奴の方が存外さらっと知らないうちに誘惑に負けるのであるが。

 最後に嫌な確率が9割方勝てるというものだ。順当に行けば勝てる、普通負けない。そういった思考こそが知らず相手を低く見て、その実力を見損なう。窮鼠猫を噛むという事例が起こりやすい確率であり、この実力差になると負けが見えた側も徒党を組む。多数が入り混じった戦いには不測の事態が起こりやすく、まさかが起きてしまう事も、稀によくある。100回に1回しか勝てない戦いは世界中で頻発するものだ、千回も万回も。

 シャールがエレンと戦った場合、最後のケースに当てはまる。斧と体術、そして玄武術を扱う彼女だが。槍と剣、体術に朱鳥術まで扱うシャールとは手札の数でも勝っているし、練度でもやはりシャールが上。一対一なら、普通負けない。

 何度も言うが、この普通というのが厄介なのだ。普通勝てないのは相手も分かっている話であり、それなのに何故向かってくるのか。ただのバカか、奥の手があるかの二択である。フォルネウスを倒した彼女はまず間違いなく後者であろう。余り気持ちのいい話でないが、例えばエクレアと名乗っているあの少女が乱入して突如としてニ対一になるという事も、実戦ならば十分にありうる。決闘でも全く無いとは言えない事で、要するに審判ごと殺してしまえばいいという発想である。まあ審判を殺すのはともかく、実戦では伏兵を配置して奇襲をもって数的有利や状況有利に立つのは常套手段の一種だ。むしろ思いつかない方がバカと言われるレベルである。

 そうなった場合、覚悟していてもシャールの勝率はガクっと下がる。おおよそ五分五分、一番戦いたくない確率くらいにはなる。その上、二の矢三の矢も無いとは言い切れない。別の襲撃者が現れたなら、実はもっと得手とする武器を隠していたら、ミューズが狙われたなら。不確定要素には事欠かないだろう。

 比べて、測りきれていないエレンとは違い、幾度ともなく手合せをしておおよそを把握しているユリアンには100%に近い確率で負けない。それどころか、必要最小限の力で勝てる。最短で、最小の労力で、傷一つなく。もちろん戦いに絶対はないが、それでも絶対に負けないとシャールには言い切れた。もう少し深く言うならば、絶対に殺せると言った方がいいかも知れない。シャールが無力化するには危険が伴うレベル、それがユリアンだ。半端に力を持つと強者は本気で殺しに来かねないといういい例である。

 だがそれはユリアンが弱いという事では決してない。むしろシャールに本気を出さないと危険であると思わせるのは十分に強者を名乗る資格があると言える。例えばバンガードに敷かれた素人集団のドフォーレ商会前軍。アレなんぞはシャールやカタリナといった強者ならば、ユリアンたち5人と同じ戦果は容易くあげられただろう。言い換えれば、あの前軍はその程度の価値しかなかったとも言えた。一人の強者によって打倒されるレベル、そしてその一人が疲弊すればいいという考え方だ。ドフォーレ商会は案外この考えで、バンガードを城塞を削れなくてもサザンクロス辺りを弱らせれば良しといった思考回路だったのかも知れない。

 ユリアンとエレンの戦いに話を戻そう。

 シャールが危険信号を灯らせるのがエレンで、心配なく勝てるのがユリアン。そしてこのシャールとエレンの力関係がそのままエレンとユリアンに当てはまる。

 つまり、順当に行けばエレンが勝つ。何か間違いが起きない限り。そしてシャールが知る限りでユリアンが持っている間違いを起こす手札が、エレンに通用するかと聞かれれば首を傾げざるを得ない。確かに意表をつく技は幾つも携えているが、エレンもそういった事に対する危機感は必要以上に持っているだろう。何せ自分を倒すにはそれしかないのだ。警戒しない方がおかしく、順当に戦いたいのはエレンなのだから。それを思えばやはりシャールはエレンにチップを賭けたくなるが、そういった戦いこそ何が起きるか分からない。堂々巡りだ。

「そろそろ本気でお願いします」

 ユリアンの言葉にシャールの思考が切り替わる。一瞬で間合いを広げ、剣が届かずに槍が突き刺さる距離を稼ぎ、槍を構える。

 決闘までに腕を磨かなくてはいけないユリアンだが、その相手には前述の通りエレンと詩人を選べない。白羽の矢が立ったのはシャールで、彼もそれを喜んで受け入れた。シャールにとってユリアンは可愛い弟分や後輩の騎士といった感覚である。会ったばかりのエレンよりも情が深く、また夢魔の世界から自分と、何よりミューズを助けてくれた恩人でもある。断る理由がない。

 ちなみにそのミューズはというと、詩人たちがバンガードに向かった日からずっとウンディーネに術の手解きを受けていた。ウンディーネ曰く、なかなか見ない才能であるらしい。周囲のモンスター退治には危険を伴う事からシャールもこれを歓迎し、人手が減ってぶつぶつ言うようせいと2人でウィルミントン周辺に居た異常な数のモンスターを駆逐してみせた。

 バンガードから6人が戻ってもウンディーネの授業は続いた。モニカも巻き込み、ひたすら術の真髄を叩き込む。本来ならばこれに大金を払わなくてはならないものだが、これはウンディーネ自身が断った。理由は3つあり、1つはエレンの仲間からお代は取れないという事。2つはお金よりも才能の原石とも言える彼女たちを磨くのが大切だという事。3つ目は、弟子が四魔貴族を倒せば十分に元が取れるという事。ここら辺がウンディーネが口にした理由である。

 そしてエクレアは風邪に倒れて、詩人は意外と言っては失礼かもしれないがそんな彼女の面倒をよく見ている。ユリアンは腕を磨き、そしてエレンはリンと何か訓練をしているようだった。

「いくぞっ!!」

 余計な思考はそこでお終い。シャールとしてはほんの僅かでもユリアンの勝率を上げるべく、彼を効率的に鍛え上げる事に考えが傾いていった。

 激しく槍と剣とが火花を散らせる。いや、シャールがわざと受けさせているのだ。その熱でまるでユリアンを鍛え上げるように、激し過ぎる稽古は始まるのだった。

 

 対してエレン。

 彼女はフルブライトの屋敷の一室で、奇妙な座り方をしながら目を閉じて集中していた。もしも東の文化を知っていたのならば、それは座禅と呼ばれる座り方だと分かっただろう。それを教えたのはもちろんリン、同じ部屋で同じ格好をして目を閉じながら集中するもう一人。

 お互いの息づかいだけが感じられる、薄暗い部屋。西には存在しない集中法を学ぶエレンは、自分の感覚が研ぎ澄まされていくのを感じる。それはいわば感を磨くと言った作法でもあった。例えば周囲の空気の流れを感じ、そこに漂う湿度までも理解する。玄武術を扱うのならば絶対に無駄にならない感覚である。また、己の中に巡る血の流れを深く理解し、それに沿うように練気を流す。東の技術で気功と呼ばれる秘奥の技術であり、気を操るエレンであるからこそ体得できたといえるだろう。そしてまた、床から僅かに感じ取れる振動や壁から伝わり揺れ動く空気の流れから隣室の状況の把握も可能とし、自分を中心として感じ取れる空間を広げていく。その感覚をものにした時、それは曖昧な勘から変化して他人には理解出来ない第六感となり、まるで未来を予知したかのような先読みを可能とする。隣室の中で一ヶ所、どうにも把握できない場所があるが、そこはエクレアが休んでいる部屋なのでどうせあの詩人だろう。言い換えれば、この感覚で感じ取れない場所には未知の危険が潜んでいるともいえる。それはそれで収穫だ。

 僅かに数日、リンから技術を学んだだけでこの成長だ。果たしてシャールはここまでエレンを理解してまで自分が有利と言っているのか、甚だ疑問である。それほどまでにエレンの成長は早い。いや、ユリアンも遅くはなく、彼だって早い。なので言い換えればエレンの成長はこう表現できるだろう。異常である、と。

 エクレアは天才であり、天賦の才があるといっていい。ではエレンにそれが無いかと言われれば、そんな訳がないのである。最低でも天才が四魔貴族に挑むラインであり、それをクリアしつつ己を磨く努力を決して怠らないからこそのフォルネウス撃破の偉業が為されたのである。そしてその戦いも実質負けたとエレンが思っている以上、彼女の慢心には繋がらない。四魔貴族に届く牙を、より硬くより鋭く磨いていく。

 エレンの後ろにはサラがいる、戦いに負けて死んでしまえば、全ての苦しみは愛しい妹に降りかかる。この現状は、エレンに死ぬ事さえ許されないと自分を追い込んでいく。死ねない、死ねない、勝つしかない。その執念を超えた強力な意識は、彼女を猪にしない。自分に足りないのは何なのか、必要なものは何なのか。冷静な判断力で識別し、冷厳とも言える実行力で身につけていく。

 苛烈さは彼女は既に手にしている。フォルネウスのメイルシュトロームをその身に喰らい、なお敵に斧を向けられるそれが苛烈でなくてなんなのか。しかし、苛烈なだけではダメなのだ。激しいだけではダメなのだ。窮地に立たされて、決死の覚悟で立ち上がったまではいい。だが、その後に突進しようとしたのはいただけない。エレンはフォルネウスとの戦いを、そう反省していた。敵は自分よりも体格で勝り、力で勝り、体力で勝る。そんな相手に傷ついた体で真っすぐ向かってどうしたら勝てるのか。あの場面こそ、冷静でなければならなかったのだ。

 だからエレンは学んでいる。激しく動くだけでなく、静かの中にある強さを。彼方の地である武将が遺した言葉、風林火山。風や火は激しさの象徴だが、林や山は静かの象徴である。戦いとはその両方が兼ね揃わなければならないのだ。闇雲なだけではダメなのだ。エレンは教わるまでもなくそれを理解していた。

 やがてリンが瞼を開けると同時、エレンも瞳をのぞかせる。それを見るリンは微苦笑して口を開いた。

「凄いですね、エレンさん。短期間でここまで体得できるなんて」

「いや、あたしなんてまだまだよ」

 それに謙遜でなくエレンはそう答える。それは正しくもあり、そしてまた間違ってもいた。

 短期間でここまで体得できるのは凄い。それは間違いなく正しく、否定するエレンは間違っているとも言える。

 だがしかし、結果として勝てなくては意味がない。その為に磨き上げる余地は多すぎる程にある。そういった意味で、まだまだといった彼女は間違ってはいない。

 これ程の才を持ち、しかして溺れずに着実に前へ進んでいく。そこに狂気が見えないからこそ、逆にリンにはそれがうすら寒いものに思えた。これでもまだ満足しないのか、これでも足りないのが四魔貴族とやらかと。それは恐怖の感情と同時、期待感をもリンに抱かせる。そのような敵と戦ってみたい。そして死闘の果て、勝ちをもぎ取りたい。それは武人としての性とも言えるだろう。

 ならば自分も負けてはいられない。リンは気合いを入れ直す。彼女は23と若く、伸び代はまだまだある。年下のエレンに負けてはいられない。

 不敵に笑い合った2人の女性は、再び瞳を閉じて集中を高めるのであった。

 

 3日は早い。

 ユリアンはシャールと共に苛烈な日々を過ごす。

 エレンはリンと共に心を研ぎ澄ます事に時間を費やす。

 モニカとミューズはウンディーネに学び、詩人とようせいは風邪の治りかけであるエクレアの相手をした。

 その時の流れはまるで天気の機嫌さえも流し去ってしまったようで。1日、また1日と過ぎる毎に曇天が空を覆っていく。

「嵐になる、か」

 前日。試合会場であるフルブライト鍛錬場を下見に来た詩人が空を見上げて、そう呟く。今にも泣き出さんばかりの空模様を見れば誰だってそれを感じるだろう。

(さて。どちらが勝つか)

 当然ながら詩人に未来予知の能力などない。翌日の試合のどちらが勝者になるか、今の時点で分かる訳がないのだ。

 だがそれも文字通り、時間の問題である。明日になれば嫌でも答えが出る。そう、嫌な答えであってもだ。

「勝敗は…敗北宣言。もしくは、どちらかの死」

 それが決闘の作法である。シャールが危惧したような第三者の割り込みも許容している辺り、昔の貴族は非常に性格の悪い作法を作り出したと言わざるを得ない。公平に、不平等。ルールを作る側は己が有利になるように作るのが人の道理。万人に強いた規則の中で、自分だけが枷なく動けるように。または、相手だけに不利を強いるように。事前の取り決めも、見る者が見れば穴だらけだ。

 だがしかし、このルールを詩人は採択した。それは額面だけ取れば平等に見えるからであり、そしてエレンとユリアンがお互いがお互いを測れるのに一番いいと思ったからでもある。

 

 ポツリと、空が泣きだした。詩人は踵を返して屋敷へと戻る。

 そして雨はざあざあと降り出す。赤子の癇癪のような雨は激しさを増す一方で、治まる気配は一向に無かった。

 

 

 その日にも雨は降り止む事無く、むしろ稲光りも伴って暗い世界を一瞬だけ瞬かせる。ぬかるんだ土の鍛錬場で、数人がその決闘に立ち会っていた。

 風邪が治りきっていないエクレアは部屋の窓から中庭にある鍛錬場を見守っている。ようせいもこの雨の中、好んで外には出ないからして彼女と一緒だ。ミューズも青ざめた顔で同席していた。場合によってはユリアンが死ぬとシャールに聞かされたからこその顔色である。対して野次馬根性丸出しでティーカップを傾けているのはウンディーネ、彼女が何をもって余裕を持っているのかを知れる者はいないだろう。

 鍛錬場に出ているのは、完全武装のエレンとユリアン、そして詩人。それからシャールとリンもだ。この決闘の穴に気が付いている2人は場合によっては割り込むつもりだと詩人には理解できていた。そしてもう1人、武装こそしていないもののモニカも雨具を風雨に晒しながらもその場に立っていた。ユリアンが命を懸けて雨風に打たれているのに、自分だけ屋根の下で安穏とする事は彼女の矜持が許さなかった。

 ちなみにフルブライトは観戦すらしていない。このような乱痴気騒ぎに興味はないし、そもそもドフォーレとの戦争も趨勢は決まったとは云え、相手はまだ詰んでいない。後々の利益をバンガードやトーマスカンパニーと取り合う意味もあり、今も執務室で仕事の真っただ中だろう。この嵐の中に早馬を放つ事も少なくない。彼は彼とて戦っているのだ。

「――ルールは以上だ」

 最後の確認として詩人は再度、改めて宣言する。

「両者、何か言う事は?」

「リン!」

「シャールさん!」

 2人は同時に声をあげる。3日、共に自分を鍛えてくれた恩人へ。まるで準備をしていたかのように同時に同じ声を出した。

「「手を出すな!」」

 これは自分の戦いだ、2人の戦いだ。静かに闘志を燃やす瞳が、雄弁にそう語っていた。

 声色でもはや手出し無用と理解したシャールとリンだが、万が一に備えない訳がない。下手な戦いで殺し合うことを望む仲では無いと承知している。銀の手を装着したシャールは槍を強く握りしめ、リンは片手に弓を片手に矢を持ち、離さない。

 それら全てを見届けた詩人がとうとうその言葉を発する。

「はじめ!」

 瞬間、ユリアンが白銀の剣を片手に疾走する。騎士の盾を持ち、シルバーチェイルを身につければ中々の重量のはずだが。その重さを全く感じさせない素早さだった。

 しかしエレンにはその全てが見えている。確かに速い、それなりに。それでもいつも組み手をしているエクレアよりか、まだ遅い。エレンはブラックの斧を持ち、ガントレットや鉄片が張り付けられたブーツで防御と攻撃の両方を兼ね揃える。そしてその頭上には聖王のかぶとが、曇天の中でなお光り輝いていた。

 剣と斧の間合いはほぼ同じだが、重量の差で剣の方が速い。その先手取るために間違いないタイミングでユリアンは剣を振るおうとするが、ゾクリと走った直感に従って急停止。その眼前を斧がブオンと空を切る。

(冗談だろっ!?)

 同じ間合いで同時に武器を振るう場合、その速度を分けるのは大きく2つ。武器の重量と、使い手の膂力である。それでも同じ人間である以上、普通は重量以上に膂力が関係するなんてない。これが同じ剣同士なら考慮する必要があるだろうが、エレンが振るうのは鈍重な斧なのである。それを小剣のようにとは言いすぎだが、少なくとも常人の剣よりも素早く振るう事にユリアンの頬を雨でない液体がつぅーと流れた。

 そして回避された事を驚きをもって見るエレン。この速度はユリアンには見せた事のない速度だった。だからこそ、回避されたことが意外だった。でもまあ戦いなのだ、意外がない方がむしろ意外。すぐに立て直して立ち止まったユリアンに追撃をかける。

 しかしユリアンはすぐにその場から離れる。勝機があるのは剣の間合いのみ、エレンのもう一つの武器である体術の間合いに入ってしまっては勝ち目がない。そうユリアンは分析していた。ユリアンとて体術を磨いてない訳ではないのだが、専門家には劣る。そしてエレンは間違いなく体術の専門家だった。いくら分が悪くとも、剣と斧の斬り合いにかけるしかない。相手の方が速く力強いとしても、ユリアンの勝機は剣にしかないのだ。

 ――それに付き合う必要は、エレンにはなかったのだけれども。

「スコール」

 離れたユリアンを、打撃力を持った雨が打ち据える。後ろに体重をかけていたユリアンは、雨に押し出されるように無様に背中から泥まみれの地面に打ち据えられる。何しろこれ以上ないくらいに玄武術に向いた天候だ。エレンがそれを使わない訳がない。

 天気までもエレンの味方かと心の中で悪態をつきながら、ユリアンは後転して立ち上がり、エレンを正面に見据える。多少の距離はあるが、剣や斧の間合いではない。そしてエレンの術はそれ程の威力がある訳でもなく、ユリアンにダメージらしいダメージはない。いけると思ったユリアンの視界には、氷の斧を担いだエレンの姿が。そこから想定される攻撃は一つのみ。

「トマホーク」

 その氷の斧をブン投げる事。数キロにも及ぶ氷塊をいちいち受けてはいられないと、鋭いステップでそれをかわすユリアン。しかしそれこそがエレンが望んだ行動、待ちわびた行動だった。

「練気拳」

 間合いの外だからと油断したユリアンが悪い事は間違いない。だが、それが責められるだろうか? まさか数メートルも離れた相手に吸い寄せられるように体が引っ張られるなどと、想像できる方がおかしい。

 驚きに目を見開くユリアンの、その背後で斧の形をした氷塊が屋敷の壁にぶつかる音がする。近づいたらマズイと思いつつ、しかしトマホークを回避したユリアンはその場に踏ん張れる姿勢をしていない。踏ん張れたとして、このぬかるんだ泥でどれだけ効果があるかは不明だが、そんな悪あがきさえもエレンは許してくれなかった。

 吸い寄せられたユリアンは、その頬にガントレットをしていない方の手で殴られた。それは斧を持っている方の手であり、つまりエレンはわざわざ手加減してダメージが少ない攻撃方法を選んだという事である。

 ミシリという骨が軋む嫌な感覚を、エレンとユリアンの両方が感じ取る。そして思いっきり殴り飛ばされたユリアンはぬかるみの中をゴロゴロと転がって、瞬く間に泥まみれになっていく。

(やはりこうなったか…)

 シャールは心の中でそう思う。ユリアンは弱くない。だが、エレンが強いのだ。彼が思うに、四魔貴族を相手取るのに最も必要なのは統率力であると考える。単独の人間が撃破できるような存在が、四魔貴族と呼ばれて魔王がいなくなった後の聖王が活躍する300年を支配できる訳がない。聖王ですら仲間を集め、数の力で四魔貴族をゲートの彼方へと追いやったと聞く。

 ならば必要とされるのは統率力。それも何百何千を結束させる方向ではなく、たった数人の強者を鋭く束ねる能力だ。クセのある強者を束ねるのに必要な技能はいくつかあげられるが、その中の一つに俯瞰力があげられる。空間把握能力とも言われるそれは、敵味方の配置を正しく理解して支配する。いわば間合いの取り方が上手いのだ。ユリアンもその能力がないとは言わないが、より優れているのはエレンだろう。素早さも力も彼女の方が上であり、そのような感覚能力も上。更には術も使えて、練気拳にて間合いも自在。ここまでくればシャールでも苦戦するだろう。他はともかく、気をあそこまで自在に扱えるとは思っていなかった。しかも練気拳を容易く披露したという事は、他にも奥の手が眠っていると考えた方がいい。これは自分も危ういかも知れないとシャールは思う。

 勝敗の趨勢を確信したシャールと同時、対して審判である詩人に驚きはない。彼はエレンを鍛えた張本人である。今更この状況に驚きを覚える筈がない。

 心配なのはむしろこれからだ。

「ねえ、ユリアン。アンタがあたしに勝てると思った?」

 高圧的に地面に伏すユリアンに語り掛けるエレン。彼女は開始時点から全く動いていない。それがエレンとユリアンの差であり、現実の壁だった。

「その程度で四魔貴族と戦えるって、本当にそう思ってるの?」

「…………」

「話になんないね、出直しな。とっとと負けを認めて、別の方法を探せばいい。

 期限はないんだろ? あたしが全部のゲートを閉じたら、そっちを手伝ってあげるよ」

「…………」

「フルブライトとドフォーレの戦争。その勝利の立役者はモニカ姫って事になってるんだろ? そこから手を出して頑張ればいい。

 四魔貴族と戦うなんて、死にに行くような真似をする必要はないんだよ」

「…………っ! 黙れ、エレンッ!! 俺が、いつ! 負けを認めたっ!!」

 淡々と醒めた言葉を投げつけるエレンに、ユリアンが激高して剣を手に立ち上がる。

 殴られた頬は腫れ上がり、痛ましく情けない。開始時点から一歩も動かず泥もブーツにつくだけのエレンと違い、ユリアンは全身が泥まみれ。

 弱い犬程よく吠える。そう言われても仕方のない状況だった。

 エレンはすぅと目を細める。

「へえ、要するに――殴られ足りないんだ?」

 エレンは斧を背中に仕舞う。ガントレットを外し、腰にぶら下げる。これで彼女の腕を守るものはなくなった。ユリアンの剣が喰い込めば大きなダメージになるだろう。

 パンパンと拳を掌に打ち合わせながらエレンはゆっくりとユリアンとの間合いを詰める。

 やがて剣の間合いになった時、ユリアンは躊躇なく剣を振るう。一応は致命傷にならないような場所を狙っているが、刃筋は立っており峰打ちなどではなく、下手をしたら取り返しのつかない怪我にもなりかねない一撃だった。

 しかしそうならない事はエレンは理解している。それは詩人もシャールもリンもエクレアも、もしかしたらユリアンだって。振るわれた剣の横にエレンの手の甲が打ち付けられて、軌道が大きく逸れる。体勢を崩したユリアンの腹に短勁が叩き込まれた。

「グォボァェッ!」

 聞くに堪えない醜声を上げながら、剣を取りこぼし腹を押さえるユリアン。だがエレンは油断をしない。冷静に地面に落ちた剣の柄を蹴って遠くに追いやると、跪いたユリアンの顎を蹴り上げて脳を揺らす。

 ユリアンの視界には泥まみれの地面が涙に歪んで映ったと思ったら、急速に痛みを伴いながら雨を降らす雲も見上げさせられた形になる。そしてそのままどしゃりと地面に崩れ落ち、泥の地面を水平に視界に入れる羽目になった。

 そのユリアンの顔を、エレンは無表情に踏みつける。

「四魔貴族が相手なら、このまま頭蓋は踏み潰されてる。あたしに傷一つ与えられないあんたが、本気で四魔貴族に相手にできると思ってるのかい?

 死なないうちに負けを認めなっ!」

 ユリアンの命はエレンに握られている。それは誰の目にも明らかだった。彼女がほんの少し脚に力を籠めるだけで、ユリアンの頭は卵のように潰されるだろう。

 理解出来ない人間はいない。だからモニカが声を張り上げる。

「もういいです! この勝負はエレンさまの勝ちですっ!!」

「…………」

「詩人さんっ!?」

 モニカの絶叫とも言える声にも詩人は反応を返さない。シャールもリンも、エクレアもウンディーネもようせいも。

 ルールを理解していないのはモニカ一人だけだった。

「死ぬか、負けを認めない限りは勝負は決まんないよー」

 退屈そうにようせいが言う。実際、ここまでのワンサイドゲームは観客には受けが悪いだろう。だがそれで蹂躙される側はたまったものではない。

 ユリアンは返答として、闘志に燃えた瞳をエレンに投げつけた。

「ふぅぅぅん」

 負けない、負けない、負けていない。そう語るユリアンの瞳に、エレンの機嫌が著しく下がる。

 ユリアンの顔から脚を動かし、その右腕に照準を合わせる。

「っ! やめてぇぇぇ!!」

「っっっ! ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」

 その腕の骨が踏み砕かれた。

 声にならない絶叫をあげ、右腕を左手で押さえて泥の中をのた打ち回るユリアン。モニカの絶叫は、届かない。

 もはや剣を握る事さえ許されなくなったユリアンに、エレンは冷徹に告げる。

「次は、殺す」

「殺せ」

 ビクリとエレンが硬直する声だった。直前まで痛みに喚いていた男の声ではなかった。

 痛みを湛えたまま、ユリアンは獰猛な表情でエレンを見上げていた。

「どうした、俺を、殺せぇぇぇ!!」

「っ!」

 ヤケになった訳ではない。負けを認めるのは死ぬより嫌だ、そういった意地だけが込められた声だった。

 エレンには似たような声をかつて聞いた事がある。だが彼はユリアンとは違う。彼は既に死んでいたのだから。そう、龍神降臨を唱えてフォルネウスに突撃したブラックが生き残る方法はなかった。死ぬ事を認めたブラックと、ユリアンの声が重なった。静かなブラックの声と激しいユリアンの声は全く違うのに、その2つが重なったのだ。

 それにエレンは恐怖する。それはこの決闘で初めて見せたエレンの怖気ついた表情だった。そして反射のように氷の斧を作り出し、こちらに駆け出しかけていたモニカに向けてそれを投げつける。

 ユリアンの側に駆け寄ろうとしたモニカの足元に氷の斧が突き刺さり、泥飛沫をあげる。

「殺すのはあんたじゃない。――モニカだ」

「殺せ」

「っ! あんたの、戦う理由を殺すってあたしは言ってるんだよっ!!」

「だから殺せって、俺は言ってるんだよっ!!」

 モニカを殺すというエレンに詩人は止める気配がない。ルールに逸脱していないからだ。負けを認めない以上、脅迫も認める。これは暗にそう言っているルールだった。

 しかし最初に他に手を出すなと言ったのは他ならぬエレン自身である。知らぬ間に、彼女は自分で定めたルールを破っていた。

 それに気が付いていたなら、まだ心を立て直せたかも知れない。けれども主君(モニカ)の命を盾に取られてさえ、ユリアンは揺るがない。

 勝利。その為ならば、モニカの命も危険に晒そう。その覚悟がなく、四魔貴族の前に立てる筈もない。

 覚悟がないのは――エレンだった。護るべきものを危険に晒す勇気がないのは、エレンだった。

 エレンはユリアンの気迫に押され、よろよろと後ろに下がり、足が縺れて尻もちをつく。そのお尻が泥水を吸い上げ、じわじわと汚れていく。

 ユリアンは右腕を押さえながら立ち上がり、剣も持てない体で、痛みを顔面に表しながら、呆然としたエレンを見下ろしていた。

 

 エレン・カーソンという人物の話をしよう。

 彼女はカーソン農場を経営する一家の傍流として産まれた。カーソン農場は商会では下の中、コムギを耕して問屋に卸し収入を得る。小さな村の纏め役でもあり、収穫祭などでは音頭をとる程度の地位にはいた。収穫祭、新年祭、誕生祭。そういった祝い事にはちょっとした贅沢が許され、多少の飢饉ではひもじくとも飢える事はない。そんな一家だ。

 その年の事をエレンは朧気に覚えている。歳は、確か5つ。後から死食の年月を鑑みても間違いがない。父親に連れられ、ままごとのように畑の世話をし始めた年。雑草の一本を抜いてはしゃぎ、気味悪く蠢くミミズを見て父親に抱き着いたそんな頃。エレンには妹が産まれ、そしてある日昼間なのに世界が真っ暗くなった。

 村のそこかしこですすり泣く声が聞こえたが、カーソン家では悩ましい声がうめいていた。産まれたばかりの妹が元気に泣いているのが、親戚や両親には不満だったらしい。産まれたばかりの妹のお姉ちゃんになるんだと意気込んでいた幼いエレンには、その事の重大さが分かっていなかった。

 死食を生き延びるのは宿命の子のみ。つまり、エレンの妹でありサラと名付けられた女の子は宿命の子だということだ。もしもそれを公表してしまえばどうなるかは聖王詩が語ってくれるだろう。死んだ方がマシだと思えるような苦難の果て、個人としての幸せを掴む事無く死ぬのだ。歴史に偉業を遺したとして、笑って過ごせる人生を送れるかははだはだ疑問。

 そしてカーソン家はそれ以上に自分の家の滅亡を恐れた。格が低いと自覚するカーソン家は、宿命の子を理由に世界中から突き上げを喰らう事を恐れたのだった。もはやサラの味方はその両親とエレンだけといってよかった。

 かといって、下手に殺してしまっても後々不利益を被ってしまうかもしれない。カーソンはエレンとその家族に一年以上の放浪を命じた。その路銀をくれただけマシな方だったのだろうが、当時のエレンにとっては自分達を厄介者扱いして放り出すような薄情者にしか見えなかった。まあ、ある意味では間違っていない認識である。

 こうしてエレン一家の放浪の旅が始まった。サラを隠しながら、目指す先のない旅路。この間でエレンは強い自立心を養う事になる。周囲は敵、親戚も敵。それでも可愛い妹であるサラは家族と共に守らなくてはならない。強い保護欲が幼いエレンに目覚めていった。そしてそんな少女の行為は威嚇であり、寄った村や集落で遊ぼうと寄って来た子供たちに強烈な敵意を向けた。年上の男のガキ大将に引っ叩かれて地面に転がされても、決して涙は流さなかった。泣けば弱くなる。本能的にそう悟っていたエレンは、年上のガキ大将に噛みついて引っかき、相手を泣かせた。結果、サラの秘密は守られたがエレンは孤独だった。誰も近づけば殴りかかってくる少女と友達になろうとはしなかったのだ。

 それが変わったのは、数年が経ってようやくシノンの開拓村に居ついた頃。エレンは9歳で、サラは4歳。サラが少し育ちの遅い5歳という言い訳が通じる年頃になってからだ。

 そのシノンの開拓村は訳あり者が少なくなかった。そもそも開拓村というのが危険と隣り合わせであって、訳がない者が来るわけがないといった方が正しい。強いて言うなら、纏め役のベント家がそれだったのだろうが。彼の家以外は困ったら立ち寄り、不便になったら立ち去る。そんな連中ばかりだった。もちろんそんな中でも居つく者達はおり、エレンのカーソン家もその一つ。死食で女の子を亡くし、実は宿命の子を匿っているのではないかと疑われて元の村から逃げ出したノール家もその一つ。取り纏め役として逃げ出す訳にいかないベント家もまたその一つ。

 エレンはそこで初めて友人を得た。ユリアン・ノールとトーマス・ベント。トーマスことトムは少し年上だったがそれでも物腰の柔らかい彼はエレンが最も心を許せる友となり、死食で妹を亡くしたユリアンはサラの事を自分の妹のように可愛がり、エレンの共感を呼んだ。サラを守る同胞として、自分を迫害しない仲間としてエレンはトーマスとユリアンを認識したのだった。

 時が過ぎ、思春期になる。トーマスはともかくユリアンはエレンに色気を出し始めたようだが、エレンにその気は起きなかった。彼らはサラを守る仲間、エレンにとって家族も同然だったのだから。言うなればエレンにとってユリアンは恋人と見るには近過ぎたのだった。

 さて、こうした経緯のエレンだが。ユリアンがその命を賭しても、それ以上の覚悟を示しても守りたいといっている少女を見つけたという。ロアーヌの妹姫、モニカだ。

 それに対して裏切られたという感情がなくはない。エレンにとってユリアンは共にサラを守る家族だったはずなのだから。かといってそれを押しとおす程子供でもない。彼女ももう二十歳、ユリアンがサラを守っていたのは亡くした妹に重ねていたという事を理解できる歳だ。トムが自分たちを見守ってくれたのは、危なっかしい奴らを見張っているうちに仲良くなったというのが分かる歳だ。

 だが、二十歳に至ってもエレンだけが子供だった。サラを守り、家族である父と母を守り、同胞であるユリアンとトムを守る。彼女はその小さな世界で生きていたと言っていい。モニカ姫がシノンに駆け込み、ゴドウィン男爵の内乱に巻き込まれても彼女だけが変わらなかった。変われなかった。結果、守るはずの者たちに置いて行かれて一人残された。

 もしもそこで詩人が声をかけてくれなければ。本当にエレンは全てを失い、朽ちてしまっても不思議ではなかった。そしてその心配を誰もしていなかった。サラを守るしっかり者。それがエレンの評判であって、サラを守る事に依存している幼い少女だとはトーマスでさえ思いもしていなかった。

 しかしエレンの世界は広がる。世界情勢、四魔貴族、宿命の子。そして、詩人。ウォードといった外の世界の住人と触れ合い、エクレアといった新しい妹分もでき、ブラックやウンディーネにボストンといった四魔貴族と戦う仲間もできた。サラを守る事には違いないが、狭いシノンの村からようやくエレンは羽ばたく事ができたのだった。

 だからこそ、ユリアンの無謀が許せなかった。エクレアはいい。彼女は自分が命に代えても守る、あるいは逃がす。彼女も大切な妹だから。モニカもいい。彼女はロアーヌの妹姫で、実績を積まなくてはならない。命を懸けても仕方ない、だから全力で自分が守ろう。リンは自分よりも大人だ。まさか自分の行動に責任を取れないという訳もない。最悪、四魔貴族を見て勝てないと思ったら逃げてもいい。ゲートの間で戦っている時間があれば逃げおおせるだろう。

 だがユリアンとトーマス、サラはダメだ。彼らが命を懸ける事を、エレン・カーソンは認められない。自分の目の前で、四魔貴族と戦うなんて認められない。だって死にに行くようなものだから。サラを守る為だったら自分の命はいくらでも懸けてやる、だけどそれに彼らの命は賭けられない。彼らが大事だから、同胞だから、家族だから。

 けれども、ユリアンは、命を懸けてまで、守るべき主君を懸けてまで、戦おうと、している……

 

「――ユリアン」

「なんだ、エレン」

 雨が降る。それは両者をひたすらに濡らしていく。見下ろすユリアンと、見上げるエレン。エレンの眦から零れる雫は雨か、それとも――

「約束して」

「何を」

「……どうか、死なないで」

 絞り出すように、泣くように。エレンの口からそんな言葉が漏れる。

 それにユリアンは力強く頷いて答える。

「死なないさ。そして、誰も死なせないっ! 約束する、誓うよ、エレン!!」

 根拠も何もない宣誓。けれども、それはエレンが信じるべき同胞の言葉。世界で最も信じるべき一人の約束。

 雨が降る。傷だらけのユリアンと、傷一つないエレンを濡らしていく。そのまましばらく、たった一つの言葉を待つ。

 

 

「あたしの、負けよ」

 

 

 

 

 




長く重苦しいお話だった…。
あ、この話で年内の更新は終わりかと思います。
少し早いですが、皆さま、良いお年を。
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