詩人の詩   作:117

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この話にてアウナス編は終了です。
楽しんでいただけると幸いです。


082話

 

 

 アウナスは倒した。対してこちら側に欠員はいない。完全勝利と言っても過言ではないだろう。

 しかしそれにはもう一言付け加えなくてはいけない単語がある。それは、今現在のところはという言葉だ。

 生き返ったとはいえ、ユリアンの意識は未だに戻っていない。一度死んだ身であるからして、回復にどれだけ時間がかかるか分かったものではない。そして意識がないという意味ではようせいも同じだ。死神のカマで斬りつけられたダメージがどれほどで回復するのかは分かったものではない。

 戦力にならないという意味ではエレンも同様。アウナスを倒した直後で肉体的な疲労が多大なのはもちろんであるが、それ以上にユリアンが一度死んで生き返ったという事実のせいで彼女の心に余裕は全くない。それを飲みこむだけでそれなり以上の時間がかかるだろう。

 また、モニカもあまり当てにならない。術力をほぼほぼ使い切ってしまったのはもちろんの事、自身の術威力をあげる為に使用していた宝石もアウナスを倒す為に砕いてしまった。一段戦闘能力は落ちる。

 ギリギリ戦えなくもないのがエクレアとリンの二人だけである。彼女たちはアウナスの炎熱による体力消費やダメージと、術力以外に損傷はない。とはいえ精神をすり減らした戦いの直後であるのはその通りである。できれば休養を取りたいのが本音だ。

 エクレアは周りを見渡す。

 アウナスは、ゲートが四魔貴族がこの世界に留まる為の楔のようなものだと言っていた。フォルネウスを倒した時も、奴の影がゲートを破壊すると同時に消えた事を考えれば恐らく嘘ではない。となれば、このゲートの間は四魔貴族にとって、己の命の次に大事なものだと考えていいだろう。そんな場所が堅牢でない訳ではなく、唯一の出入り口を除けば侵入は不可能だと考えていい。

 心なしか小さくなった氷の剣。いや、大剣程のサイズが長剣くらいの大きさになっている辺り、小さくなったのは気のせいではないだろう。ゆっきーもゆっきーでエクレアと共にアウナスと戦っていたのだ。その氷の剣を持って、エクレアはゲートの間の出入り口にそれを突き刺す。

「えい」

 そしてなけなしの術力を注ぎ込み、氷の壁を作り出す。ゲートの間の唯一の出入り口を塞ぎ、これで一先ず安全地帯は確保できたと思っていいだろう。

 為すべき事を為したエクレアは、寝心地の良さそうな場所を見つけてゴロンと横になる。

「はー。疲れたぁ」

「疲れましたね。四魔貴族、噂に違わぬ強さでした」

 リンは微笑を浮かべながらようせいを抱え、エクレアの隣に寝かす。そして荷物を漁り、火を熾して温かい食事の用意をし始めた。

 チラリとあちらを見やれば、そこには未だに倒れ伏したユリアンの手を取るエレンとモニカの姿が。まあ、しばらくは放って置いてもいいだろう。

「食事の準備をしますね」

「もーワニとかヘビとか保存食とかやだー。甘いもの食べたーい」

 四魔貴族を倒したとは思えない年相応のワガママを言うエクレアに、リンはその表情を更に緩めるのだった。

 

(ぅ…)

 朦朧とする意識が浮上する。感じた事ない不快感、重度の風邪や酷い二日酔いなどとは比べ物にならない。端的に言って、命の危険を感じていた。

(ぁ、これやば)

 明確に死の存在を感じ取れる。今現在、ユリアンは自分が生死の境目にいる事を明確に理解していた。

 ぞっとする状況だろうが、それに抗う事はおろか反応する気力もない状態。ふらふらと流されるままにどちらに転がってもおかしくない。

 それでも心配はなかった。死の側は何も感じない虚無だと理解するが、ただそれだけ。そして生の側からは何かに優しく抱き着かれるように引っ張られるのを感じる。これが押し出す力になった時こそが死ぬ時だろうと漠然と理解できる。つまり今はまだ、死ぬ定めにユリアンはないのだ。そう思えば恐怖心など微塵も湧かなかった。

 代わりに死という概念をまじまじと観察する。圧倒的な虚無、虚無、虚無。()()()()()()()()()()()()()()()()。それこそが死、生きている間の概念が何も通じない全くの未知。ここまで来ると文字通り世界が違う。生の世界と死の世界は全く別の法則で動いていると把握する。これを感じてしまえばアンデッド型モンスターなどはまだ生きている部類にはいるだろう。生物として死んでいても、生の世界で動く物という意味で。

 まあ、そんな意味があるのかないのか分からない考察ももう終わりだろう。ゆるゆると死から遠ざかり、意識が回復していくユリアン。

(……?)

 ただ、気のせいだろうか。死の世界に、何かの存在があった気もしたのだが――

「「ユリアンっ!」」

 左右から同時に声が浴びせられる。モニカとエレンのそれに、ユリアンは目を瞬いた。

「あ? 俺、なに……?」

「なに。じゃないわよバカァ! あんた、一度死んだんだからねっ!」

 そう言ってユリアンの手を握りポロポロと涙を流すエレン。

 生き返り、意識を取り戻したユリアンを見て緊張の糸が切れたのか、はらはらと涙を流してもう片方の手を握るモニカ。

「生命の杖を…砕きました。生き返って、何よりです。ユリアンっ!」

「ほんと、本当にもう知らないんだからっ! 約束破って勝手に死んでっ! バカバカバカバカァ!」

 自分の死を泣いてくれる人がいる。悲しんでくれる人がいる。そして、生き返った事を喜んでくれる人がいる。

 ――ふと、ミューズの歌声を思い出した。そしてユリアンは自分で自分を恥じる。彼は彼が思うよりずっと、自分の命が重いという事に気が付いていなかった。

 ユリアンはロアーヌに仕え、モニカの護衛をしている。故に人を殺すのも仕事のうちだし、もう何十人も殺している。そんな人を殺した自分の命は重くはないと、そう考えてしまっていた。自分の命の価値を下げてしまっていた。

 けれども命の価値はそんなに簡単には決まらない。産まれたばかりの子供の命が愛おしいように、人を殺してしまった者にしかない価値もきっとある。もちろん殺人に快楽を求めてしまうのはもはや人ではないが、殺さなければ生きられない世界では人を殺したというのはファクターの一つでしかないのだ。

 そう思い、体を起こすユリアン。自分の側にはモニカとエレンが居たが、他の者は。

 果たしてリンとエクレア、ようせいは少し離れた所で熾した火を囲っていた。その中心では鍋がグツグツ煮えている。リンとエクレアの食事は済んでいるようで、満足そうな顔をしている。ようせいは今正にスプーンで飯を掻っ込んでいる。

「もぐもぐ。あっ、ユリアンやほー。生き返ったんだねー」

「ユリアンさん、お帰りー。大変だった? 私、死んだことないから分かんないけど、生き返るってやっぱ大変なのー?」

「ユリアン、食欲あるなら食べますか? 生き返った人を見るのは初めてなのでどう対処したらいいのか知りませんが……」

「……」

 生き返った自分が言うのもなんだが。

 なんか『生き返る』って気軽に言い過ぎじゃないか?

 普通に大事だろ、コレ。

 そう思うユリアンはきっと間違っていない。

 

 たっぷり食べて、ぐっすり寝る。体調を整えた一行はゲートの間を後にして帰路についた。

 氷の壁を解除して、大剣に戻すエクレア。そしてその瞬間に違和感に気がつく。

「あれ?」

「どうかした、エクレア?」

「んー?」

 他のみんなを見渡して表情を探るが、違和感を感じた者はいないらしい。ならばと頭を振ってその違和感を追い払う。

「んにゃ、何でもないよエレンさん。ちょっと熱さが変わってるかなって思っただけだから」

「? 熱さが?」

「まあ何が違うって訳でもないし。

 さ、帰ろー」

 そう言って先頭を歩き出すエクレアと、そしてちょっと困惑しながらも彼女に続く一同。

 ちなみにエクレアが感じた違和感は間違っていない。

 そもそもとして冷静に考えれば分かるものだが、火術要塞という場所は異様だ。何でこんなジャングルの奥地にマグマ溜りの要塞が存在するのか。言うまでもなく、アウナスの所為である。

 アウナスは自分の力を高める為に、そして自分を有利にする為にゲートを中心とした場所に炎熱を集めたのだ。それが火術要塞であり、マグマ溜りである。その熱量をアウナスは集めて受け取り、また逆に余裕がある時はアウナスがエネルギーを分け与えてマグマを活性化させる。この循環により火術要塞のマグマは火柱を上げ、アウナスは自身の炎熱を更に強化させていた。配下のモンスターも、時間を見つけては樹々を集めてマグマにくべて火力をあげる。そうして維持されていた(フィールド)が火術要塞である。

 しかし要たるアウナスはもう存在せず、マグマにエネルギーが供給される事はない。またアウナスがいなくなった事により、その配下もマグマに燃料を投下する事もなく三々五々に散っていく。

 熱気溢れる火術要塞という場所はこれから先マグマが冷えて固まり、ただの廃墟となるだろう。もしかしたらそのままジャングルの樹々に呑み込まれるかもしれない。一種の物悲しさもあるだろうが、残念ながらそれを感じ取れる存在はこの世にいないだろう。誰にも悲しまれずに朽ちていくというのが、僻地に居を構える四魔貴族の宿命なのかも知れない。まあ、実際には物悲しく思うより喜ぶ人間の方が圧倒的に多いとは思うが。四魔貴族は嫌われ者なのである。

 とにもかくにも、そんな訳で帰りは行きとうって変わって楽だった。何せモンスターがほとんど襲ってこない。アウナスの命令に従って襲ってきた原生型のモンスターや術妖などは軒並み姿を消している。精々が雷火やマグマといった炎熱を好むモンスターが散発的に襲ってくる程度。モニカの術力が低下しているとはいえ彼女も無力ではないし、他の面々に至ってはアウナスを倒した事でむしろ生き生きとしている程だ。苦戦などする訳もなく、あっさりと火術要塞を脱出する。

 その出入り口で待ち構える男が一人。

「よ」

「詩人さんっ!」

 ぱぁと顔を輝かせて飛びつくエクレア。14歳の女の子を、詩人は動じる事無く受け止める。

 ……鎧に兜に氷の剣、更には旅道具を装備して物凄い重量になっている気もするが、詩人は動じる事無く受け止めるのだった。

「勝ったよ、アウナス倒したっ! ゆっきーもむっちゃ頑張ったんだよ!」

「そうかそうか」

 無邪気にじゃれてくるエクレアに問題ない事を確認した詩人は、すっと目を細めて出て来た全員を見渡す。

 そして薄く笑った。

「全員、無事だな」

「一人死んだけどね」

 ぶすっと言うエレンに、おおよそを察して苦笑いを浮かべる詩人。

 確認の為にモニカの装備を見るが、やはり生命の杖がない。

「誰だ?」

「ユリアンよ。この馬鹿、死なないって約束簡単に破るんだから」

「未熟で申し訳ない」

 ペコリと頭を下げるユリアンだが、エレンはツーンとしている。本気で怒っている訳ではなく、幼馴染の気軽な挨拶といった所だろう。

「それで詩人さんはボルカノを倒せたのですか? ……魔王の盾をアウナスが持っていたので心配でしたの」

「ああ、やっぱりそっちに行ってたのか。魔王の盾は、ボルカノに勝ち目がないと判断して逃げやがったからな。火術要塞の方向に行ったのは確認したんだが、ボルカノを殺しきるうちに見失っちまった」

「……殺しきるって」

「……盾だけ、逃げたの?」

 色々とシュールな光景が想像できたが、詩人が言っている事に間違えはない。

 まあ、彼の狙いは魔王の盾ではなくボルカノである。魔王の盾が逃げたからといって、ボルカノを仕留めきるまでは動けなかったのだろう。リヴァイヴァという術については軽く聞いているから、厄介さは何となく分かる。

 それはそうと、これでお役御免の人物が一人いる。ジャングルを荒らすボルカノが居なくなり、その元凶であったアウナスを倒した。ならばようせいにはこれ以上旅に付き合う理由はない。

「じゃ、私はもう村に帰ろうかな。ジャングルの中の方が楽だし、王様がいればアケまで迷わないでしょ?」

「……そうね」

 少し寂しそうに笑うエレン。対してエクレアは快活ににっこりと笑顔で送り出す。

「じゃね、バイバーイ。楽しかったよ、ようせい!」

「私も。短い間でしたがお世話になりました。あなたが淹れたハーブティー、美味しかったですよ」

 リンを皮切りに。モニカやユリアン、詩人も挨拶していく。

「寂しいですが、仕方がないですわね。ようせいさんもお元気で」

「稽古して、腕があがったよ。ありがとよ」

「一応、俺も妖精族の王だ。困った事があったら訪ねて来い」

 それぞれが言葉をかわして終わる。

 が、ここで湿っぽい別れにならないのがようせいがようせいたる所以である。

「じゃあね、ばいばい! その恋、応援してるからっ」

『!!』

 幾人かが露骨に反応する。その顔を見てけらけらと笑いながら、ようせいはジャングルの樹々の間を飛び回り、消えていった。

「……あんのガキッ!」

「……そう反応を返すから面白がられるんだ」

 からかわれた内のユリアンが行儀悪く地面を蹴るが、それを醒めた視線と声で諫める詩人。一応彼も妖精族の王らしく、妖精族の生態は頭に入っているらしい。

 妖精族は無邪気で悪戯好き。相手が面白く反応すればする程にからかってくる、少し困った習性がある。反応を返さないのが一番なのだ。

「まあ、アウナスは倒した。残る四魔貴族は二匹で、ジャングルを出るまでは死なない程度に気楽にいくか。稽古もしばらくはしなくていいだろ、乱取りをするには場所が悪い。

 ――奇襲の訓練とか、それを防ぐ特訓とかはできるが。している場合じゃないからな」

「それが詩人、ちょっと大変な情報を聞いたわ」

「ん?」

 軽く言う詩人だが、エレンは深刻そうな顔をしている。

「誰から聞いたって?」

「アウナスから」

「……四魔貴族の話を信じるな」

 途端に露骨に嫌そうな顔をする詩人だが、こればっかりは聞いて貰わなければならない。

 四魔貴族さえ恐れる存在がいるのだから。

「聞いて! アウナスが恐れた八人の世界を破壊する者がいるのよ!!」

 その言葉にピクリと反応する詩人。

 表情を消し、エレンを見返す。圧力さえ感じるその視線を、エレンは真正面から受け止めた。

「――話は道すがらだな。時間がもったいない」

 

 夜。

 詩人が加わったジャングルの旅は、これも行きとは比べ物にならない程スムーズに進んだ。というのも、普段は見せない剣に手を添えた時だけ出す殺気を詩人がまき散らして移動していたのだ。殺されないと理性で理解しているエレンたちでさえ神経が削れ、モニカに至ってはこの一日の間で少しやつれてしまっている。それ程の気配に襲い掛かるバカはほとんどおらず、居たとしても他に手を出させないうちに詩人が棍棒で叩き潰していた。

 となればする事がない他の面々は、アウナスから聞いた情報を殺気立った詩人に話すだけ。ジャングルという普通とは違う環境の中、ただただ歩き続けながら近場から発生する殺気に耐える。

 ――スムーズはスムーズだが、楽かどうかは微妙である。

 とにかく話す事を話したエレンたちはジャングルで一夜を過ごす事にした。このペースならアケには明日にでも着くだろうが、今重要なのはそこではない。

 焚き火を囲み、重苦しい空気が流れるその場。

 発生源は、当然詩人。彼は片手で顔を半分覆い隠している。晒している方の顔は無表情だが、隠している方の顔は表情が見えない。

「……話は分かった」

 声も平坦(フラット)。だが、その奥にある激情を感じ取れない鈍い人間はここにはいない。

 詩人は今、何かしらの激しい感情をその胸中に宿している。もちろん、外から見てそれがなんだか分からない。もしかしたら詩人本人さえも分かっていないのかも知れない。

「だがその上で聞くが、四魔貴族さえも恐れる破壊者ならば、アウナスと手を結ぶとは考えなかったのか?」

「ない」

「四魔貴族と結ぶ手は切り落としますわ」

 端的に言い切るエレンと、婉曲表現をするモニカ。リンはピンときていない表情だが、エクレアとユリアンは冗談言うなと言わんばかりに厳しい表情をしていた。

 流石に言葉が過ぎたかと、そこで言葉を止める詩人。そんな彼に声をかけるエレン。

「話を戻すわ。四魔貴族が恐れる程だとしたら、あたしたちだけじゃ厳しいかも知れない。詩人の強さは知ってるけどね。

 トムにも伝えなくちゃいけないし、フルブライト商会にも話を通して。それからロアーヌのミカエル様にも――」

 そこで言葉を止めるエレン。詩人が指を一本だけ立てて、その口の前に持っていったからだ。それは静かにという意味にも取れるし、そして。

「破壊者の生き残りは、後一人」

 1という数字にも取れる。

「残りは俺と協力者が殺した。後一人が死ねば、全て終わる」

 その言葉に全員が目を見開く。それを無視して言葉を続ける詩人。

「だから、お前らは手を出すな。

 これは俺の闘いだ」

「……信じて、任せて、いいのね」

「当然」

 言い切る詩人に、ふと笑みをこぼすエレン。

「まあ、手助けが必要なら言ってよね。できる事ならするわよ」

「あ、そうそう。手助けで思い出した。俺の探し人は見つかったか?」

「――火術要塞では、見なかった」

「――そうか」

 

 夜が更けていく。アウナスと戦ったばかりだという事で、見張りは詩人のみで他は眠りにつく。

 とはいえ、神経が昂っている上にピリピリとした殺気を放つ詩人が側にいるのである。寝付きは当然良くない。高温多湿な気候もそれに拍車をかける。が、とはいえ疲れていない筈もなく、よくない寝付きを経て全員が眠りについた。

 パチパチと火が弾ける音がする。ホーホーと夜に鳴く鳥の声が聞こえる。ガサガサと草木が揺れ動く。

(お前は覚えていたのか、アウナス)

 詩人の心の声は、誰にも届かない。

 

 日が昇り、アケに帰りつく。

 そしてもたらされる吉報、アウナス討伐成功の報に村中が湧いた。アウナスは積極的にモンスターを使って害を与えていなかったのは事実のようだが、死食の後からジャングルのモンスターは一気に凶暴になった。おそらくはアビスの気と関係しているのだろうが、ゲートを閉じればその影響も減るだろう。

 それ故の喜びだが、それも長くは続かない。

「詩人殿っ!」

 少し憔悴した顔で寄ってくるのはトーマスカンパニーの男性。ジャングルの旅の基礎知識をくれた人で、スパイスも用意してくれたし、食べられるものから毒虫の注意喚起もしてくれた。

 いつもニコニコと余裕が――

『自分、ここに左遷されたんっすよね…。エリートコースならピドナでバリバリ働いてるし……』

 ――大抵は余裕がある人間だったハズだ。それがここまでの反応を見せるとは、普通ではないだろう。

 たぶん。

「どうした?」

 息が切れる程に走ってきた彼は、少しだけ息を整えると、叫ぶ。

「フルブライト商会からの伝言ですっ! ロアーヌがビューネイ軍に侵攻を受けましたぁ!」

 きゅっと目を細める詩人。少しだけ顔を強張らせるエレン。思わず叫びそうになった口を自分の手でふさぐモニカ。ぎゅっと白銀の剣を握りしめるユリアン。きょとんとした顔のリン。

「次はビューネイだねー」

 そして呑気そうに言うエクレア。

 方針は決めていなかったが、こうなっては是非もない。次の相手はビューネイに決定だろう。

「ロアーヌへ! は、早く行かないとっ!!」

「落ち着けモニカ、ここからロアーヌへの直行便はない。ピドナの定期便か、用意してるウィルミントンかだ」

「なら、よりロアーヌに近いピドナへっ…!」

「だから落ち着け。お前が身一つで行ってどうするんだ、何の役にも立たないだろうが。

 折角アウナス討伐の手土産ができたんだ、ウィルミントンに行ってフルブライトに報告してどう動くかを打診する。

 ――それにロアーヌだけじゃない。前の戦争で世界中の勢力図が大きく変わった。ここからしばらく荒れるぞ」

 慌てるモニカを手早く諭し、詩人は懐から煙草を取り出す。そしてそれを咥えると、術力で熱を生み出して火を付けた。

 紫煙を胸一杯に吸い、そして吐き出す。

「煙草吸うの、見た事ないんだけど」

 この中では一番詩人と長くいるエレンが問う。

 それに素気なく返す詩人。

「前にいつ吸ったのかは忘れたよ。ただ、覚悟を決めなきゃいけない時期がきたみたいだからな」

「?」

「……一服だけ、な。滅多に吸わない。

 さて。悪いが貰えるだけの情報を貰っていいか、ウィルミントン行きの船で時間もあるし、吟味したい。ロアーヌも壊滅した訳じゃないんだろ、さっきの言い方だと」

「あ、はい。ロアーヌ軍とビューネイ軍が野戦を行い、ミカエル候が勝ったとか。ただ、ビューネイ軍も大きな被害を被る前に退却したとの情報もあり、次の侵攻は予断を許しません」

「――タフターン山は霧の結界に守られている。緊張させ続けられれば戦いには負けても戦果は十分、か」

「はい。しかし、襲い掛かってくるビューネイ軍に対策しない訳にもいきません」

「ま、そこの辺りはミカエル候が考える所だ。俺たちの領分じゃない」

 トーマスカンパニーの男性が手渡す資料をそのまま懐に仕舞う詩人。そのままスタスタと歩き出す。

「? どこ行くのよ」

「船に決まってるだろ、とっととウィルミントンに行くぞ。船に乗るまでの時間は短縮できるからな」

 

 

 

 数日が過ぎる。

 ウィルミントンにあるフルブライトの屋敷に詩人たちは足を踏み入れていた。そこで最近めっきり屋敷から出なくなったフルブライト23世が出迎える。戦争が始まった段階で世間の混乱が増し、下手に外出すれば暗殺される機会も増えてしまう為だ。この状況では籠城するのが最善手といえる。

「やあ、アウナス討伐お疲れ様」

「……討伐失敗は考えてないのか?」

「その時はその時さ。信じるのはタダだし、いくらでも信じるよ。どうだったとか聞かれるよりも気分がいいだろう?」

「違いない」

 くくくと笑う詩人とフルブライト。簡単な挨拶が終われば次の話に移行するが、他の者は話の早さについていけていない。

「じゃあ、早速で悪いが急ぎの用事から済ませるか」

「ああ。確かにあるね、急ぎで大事な用事が。水平線上に船が見えた時から準備をさせていた」

「手際がいい、流石だな」

「「じゃあ――食事だ」」

「いや、それも大事だけどね!?」

 思わずエレンが突っ込んだ。それに真顔で返すフルブライト。

「いや、真面目に大事な話だ。私も一度アケには行った事があるが、人の食べるものはあそこにはない」

「アケの人たちに大分失礼ですわねっ?」

「じゃあモニカ姫、貴女は満足できたとそう言い切れるか?」

「……」

 すっと流れるように視線を逸らすモニカ。それを見て爽やかすぎる笑顔を見せるフルブライト。

「まあ、今回の食事は詩人がアケに行く前に手配していた分だ。ここまでがアウナス討伐の報酬であるから、遠慮せずに食べてくれたまえ」

「フルブライト様。お食事の用意ができました」

 と、そこで執事が部屋に入り込んできた。その言葉ににっこりとフルブライトが笑う。

「ああ、これはいいタイミングだ。では話は食事をしながらといこうか」

 

 食堂にて、詩人とフルブライトを除く全員が用意された食事に夢中だった。モニカでさえ見苦しくないギリギリでがっついているといえばその迫力が分かるだろうか。

 アケで用意されたものは、味気ない白身魚やワニの固い肉。味付けは同じスパイスばかりだから一日で飽きがくる。口にする果物は甘みや酸味がキツく、さらっとしたものが何一つない。船での食事だって基本的に保存食を水で戻して塩などで味付けをした質素なものだ。

 対してこの場に並べられた食事は手間暇かけてフルブライト商会のコックが作ったものばかりだ。エレンは子羊のローストを厚く切って口に運び、ユリアンは鶏の香草焼きの足を掴んで腿に齧り付く。モニカはサラダに赤身魚を和えてドレッシングをかけたものを口にして久しぶりの野菜を堪能しているし、エクレアはサンドイッチを口にしてお腹を落ち着けたらデザート三昧。ショコラケーキから梨のタルトから、オレンジのシャーベットと遠慮なく容赦なく甘味をお腹に収めている。

 そんなたった一人を除いて最低限話だけ聞く態勢に入っているのを尻目に、詩人とフルブライトは紅茶を片手に情報交換を行っている。

「ロアーヌの現状はアケで聞いたのと変わらないか」

「ああ。だが、ミカエル候には何か作戦があるようで、今は多くの兵士を集めている。トーマス君もロアーヌの出だし、そういった経緯で打診を受けたと聞いたな。

 当然我がフルブライト商会も四魔貴族を打倒するなら本望だろうという使者をいただいた」

「で、なんて答えた?」

「『フルブライト商会は今現在、アウナス討伐に全力を注いでいる。話はそれが終わってからにしていただきたい』」

「保留か。ま、妥当だな」

「――で、ビューネイ討伐に参加する予定かな?」

 フルブライトの問いを受けて、いったん食事の手を止める一同。ただし一人を除く。

「もちろんよ。あたしは全部のゲートを閉じるつもりだし」

「エレンさんがやるなら私もやるよー」

「ロアーヌが襲われて、わたくしが引く選択肢はありませんわ」

「モニカに同じく」

「そうか。ではモニカ姫とその護衛を除いた方々がビューネイ討伐をフルブライト商会の名前でやってくれる事を対価に、今現在の世界情勢を教えるというのはどうかな? 西部戦争で世界は大分動いた」

「やはりか。頼む」

 詩人が言うと同時、エレンたちは食事に戻った。ガツガツと食べ物を胃に流し込みながら、耳は会話に傾ける。ただし一人は除く。

 そして話し始める段になって、フルブライトはちょっと困った顔をする。いや、困ったというよりもしたくない話をするというべきか。

「まずは西部戦争の結果から話していこうか。詩人がドフォーレ会頭を暗殺してくれたおかげで、ドフォーレ商会は内部崩壊。こちらが強襲する混乱に合わせてドフォーレ会頭の息子の一人がなんとか内部を取り纏め、全面降伏することでこちらの被害は最小限に抑えられた。

 ただしドフォーレ商会は内部でそうとうやり合ったらしく、ドフォーレ会頭の他の子供二人は死亡。一人は日和って難を逃れたがなんの権利も残らず、もう一人は勝った方の補佐についたといった形だな。

 実権は、癪だがトーマスカンパニーに半分程取られた。アウナスの話とか色々とネマワシをして後手に回ったのが痛い」

 ジロリと詩人を睨むフルブライトだが、詩人はどこを吹く風。むしろそちらが下手な手出しをしたせいだろと言わんばかりの対応だ。

 実際、エレンやエクレアを使って下手にケンカを吹っ掛けたのはフルブライトである。彼に反論する資格はないだろう。

「――まあ、いい。それでトーマスカンパニーは北西と南西を手中に収めた。大躍進といっていいだろう。

 だが西部はフルブライト商会の地盤がしっかりしているし、北西にも北にも中央にも影響力がある。仲良くできればいいが、最悪今ならまだ潰せる」

「けど、仲良くした方が得は多い、だろ?」

「もちろんだ」

「ところで気になったんだけど、ラザイエフ商会ってどうなったの?」

 そこでエクレアが口を挟む。それに渋い顔をするフルブライト。

「……ラザイエフはドフォーレに情報を売っていた」

「え?」

「戦争が即座に終わったから気がついたがな、明らかにラザイエフから情報が漏れていた兆候が見えた。証拠を掴む前に隠されたから追及はできないが、ほぼ黒だな」

「え。じゃあ…ラザイエフ商会を敵にするの?」

 エクレアの心配そうな声に、ふーとため息を吐くフルブライト。

「一概にそうとも言えないな。ラザイエフ商会がフルブライト商会に多く手助けをしてくれたのは事実だ。

 証拠もないし、今回の戦争は中立だったという事で手をうった。損を回収させないが、同盟は続けていい。そういう判断だ。

 正直に言うと、ラザイエフとは味方でいてくれた方が嬉しい」

 フルブライトの言葉に少しだけ顔に苦みが走る()()()()だが、これは相当に軽い対処だ。三権分立などないこの世界、力が全て。立法も行政も裁判も一つの頭が行う。だが言い換えれば力があれば無理が通って道理が引っ込むのである。ラザイエフ商会のバランス感覚はフルブライト商会が持たない力の一つであり、それは支配してしまえば失われてしまうもの。貸し一つ、というか得無しで手を打っても同盟を続けたいと思える程だ。もちろんこれに懲りたらもう同じことはするなという威嚇も込めているが、多分効かないだろう。むしろその程度で効いてしまうバランス感覚などフルブライト商会は必要としないのだから、世の中はままならないものである。

 とりあえずラザイエフ商会の話は終わり、次に進む。

「で、だ。西部の状況とトーマスカンパニーの話はおおよそ詰めたな。強いていうならこの混乱した世界にどんな手を打つかだが…そこは未来の話だから置いておく」

「分かっている。他にはどこの馬鹿がどんな馬鹿をやらかした?」

 詩人の言葉に薄く笑うフルブライト。

「一つはファルス。ルートヴィッヒにケンカを売った」

「馬鹿だな」

 一言で斬って捨てる詩人。多少は世話になったユリアンが心配そうに声をかける。

「ファルスは勝てるんですか?」

「訳がない。国力のケタが違う。一蹴されて終わりだ」

「まあ、ファルスがピドナに戦争を仕掛ければ隙もできる。ミューズ様とシャール殿はその隙を縫ってピドナに帰還した。雌伏し、ルートヴィッヒの寝首を掻く算段だそうだ。

 ルートヴィッヒはフルブライト商会の敵でもあるからな、我が社やトーマスカンパニーで囲う手筈になっている」

 道理でシャールはともかく、ミューズの歓待がないのだと一同は納得する。ただし一人は除く。

「どうしてそんな無謀な事を…」

「西部戦争の勝者側に立って調子に乗ったのさ。

 フルブライトとしても無能な味方は必要ない。早々に囮にさせてもらったよ。協力要請も受けたが、アウナス討伐を建前にのらりくらりだ。話が詰まる前にファルスが詰む」

 くっくっと悪い笑みを浮かべるフルブライトだが、ユリアンとモニカの顔色は優れない。

 ファルスがどうなろうが知った事ではないが、あの町には一人恩人がいる。

「ニーナはどうなるんだ…」

「ポールさんも…」

「ポール? ファルスの英雄ポールか? 野盗を倒した程度で英雄に祭り上げられた、あの」

「しかもその野盗を壊滅させたの俺だしな」

 流石にフルブライトは情報命の商売についているだけあって、ポールの情報を得ていたらしい。更にぽつりと呟いた詩人の言葉でおおよその事情は察した。

 ニーナが誰かは分からないが、恐らくそのポールとの関係者だろう。更にそのニーナとやらに心配をしているだけあって、モニカやユリアンはニーナに思い入れがあるのだろうとも察した。

 そこまで考えが巡れば話は早い。フルブライトとしても借りはとっとと返しておきたいのであって、戦争の起爆剤にした借りを持ったままのエレンに顔を向ける。エレンもそこに思い至ったのか、既に視線はフルブライトを射抜いていた。

 エレンもユリアンから話は聞いていたが、ニーナという少女はモニカとユリアン。そして何より誰より、サラの窮地を救ってくれたらしい人物だ。ならばエレンとしてもできる限り力になりたいと思う。

「……」

「……話は早いって訳だな。君に貸していた分で、ポールとニーナの安全を保障しよう。確保する前に生きていたら、だが」

「まともな扱いをしなさいよ」

「もちろんだとも、エレン君の機嫌が悪くなる事はしない。適した仕事を割り振るつもりだ。

 …誓って故意に殺す気はないが、死んでしまう事はある、そこは恨まないでくれよ?」

「あたしに恨まれないよう、細心の注意を払いなさい」

 そこまで込みで貸しだとエレンは言う。思ったより面倒な貸しになったとフルブライトは苦笑いだ。

 とはいえフルブライト商会は大商会である。いざとなれば家族の一つや二つ、簡単に養える。面倒な貸しではあるが、そこまで重い貸しではない。少なくとも四魔貴族を半分潰し、残りも倒そうとするエレンに借りを作るよりかは圧倒的に軽い。

「もちろんだ。

 さて、もう一つあった大きな動きだが…ツヴァイクがポドールイのヴァンパイア伯に攻め込む計画を立てている」

 ガシャンと詩人がカップを落とした。その表情は驚きに満ち満ちており、割ったカップやこぼれた紅茶には意識を微塵も向けていない。

 素早く掃除に動くメイドと新しいカップに紅茶を注ぐメイドを無視して、詩人は茫然と呟く。

「――本当か?」

「情報だけは、本当だ。聖王遺物の聖杯がモンスターの手にあってはいけないという名分だとか」

 そう言葉を返すフルブライトに。詩人は深く、深いため息を吐いた。

 エレンやユリアン、モニカは当然だと思う。詩人はレオニード伯と個人的な友人なのだ。彼が攻められると聞いて、何故平静でいられるのか。ましてやツヴァイクは強豪国、レオニード伯とてただでは済むまい。

 それを感じてか、エレンは躊躇いながら小さな声で呟く。

「…、……詩人。あたし達は、ビューネイを後回しにして、レオニード伯に協力する?」

 エレンのその言葉に、詩人は薄く笑う。

 まるでエレンを馬鹿にしたように。

「なんで? やるならツヴァイクに協力だろ?」

「「「なんでっ!!??」」」

 モニカでさえ、立場と教養を忘れて突っ込んだ。

「なんでって…レオニードが聖杯狙いでケンカを売られるんだぞ? ツヴァイクの市民が心配だ、どこまで深く抉られるか……。

 あ、それともレオニードが手を出す前にツヴァイク軍を叩くか? なくはないが、やっぱり下手に手を出すのは上手くない――」

「いやいやいやいや! そうじゃなくて、あんたレオニード伯の心配をしてるんじゃないの!?」

 エレンの困惑絶頂の声に詩人はきょとんとした声で返す。

「レオニードの心配? なんで?」

「なんでって…」

「レオニードは征服欲こそないが、制圧力は四魔貴族と同等かそれ以上だぞ。正直、聖王が居ない今、世界の覇者となってもおかしくない能力を持ってる。本人にその気はないが。

 そんなレオニードを攻める。しかも目的が聖杯だなんて、例外を除いて自殺行為だ。

 ――国は知らんが、それに巻き込まれる国民はたまったものじゃないだろう」

 どうやら詩人はレオニード伯ではなく、彼に蹂躙されるツヴァイクの民草の心配をしていたらしい。

 ぶつぶつと呟く言葉を聞くに、彼自身がレオニード伯に借りを作って無辜の民を守る算段すら立てているようだった。西部戦争には大きな借りを作らなかったのにだ。

 それに呆れればいいのやら、どうしたらいいのやら。とにかく反応を放棄した面々。

「…わたくしたちはツヴァイクとレオニード伯との戦いに首を突っ込まなくていいのですわね?」

「もちろんだ、モニカ。モニカはロアーヌ、エレンは四魔貴族。それに全力を注いでいい。

 俺はまあ、個人的にレオニードに手紙を送っておこう」

 ふー、と息を吐く詩人。

「とにもかくにも、今はビューネイだ。モニカとユリアンはアウナスを倒した者としてロアーヌに帰るとして、エレンとエクレアは違う」

「え、あたしたちは違うの?」

 てっきりロアーヌに行き、ミカエルの作戦に参加するつもりだったエレンは気の抜けた声をあげる。

 個人でタフターン山の霧の結界を突破するよりかは現実的な作戦だと思っていたが、詩人の意見は違うらしい。

「もちろんだ。四魔貴族を潰すに一番の方法は、聖王詩の復元に他ならない。

 ――謳われた巨竜ドーラ、その子供のグゥエインの力を借りるぞ」

 ニヤリと嗤う詩人だが、それに待ったをかけるのはフルブライト。

 彼は彼でグゥエインの危険性を理解している。

「グゥエインはおおよそ10年前から急に凶暴化し、人を襲っている。まさかたかが人の頼みも聞くまい」

「方法はある。なんの為に(きん)を用意して貰ったと思っている?」

「あ」

「まさか、この為ですか…?」

 ニヤリと笑う詩人の顔が全てを語っていた。

 高位の竜種は何故か嗜好が偏る。ドラゴンルーラーが気高き武具に執着するように、少なくともドーラは金銀財宝に執着していたと記録にある。いわば輝くモノを好み、人が通貨にする金や宝石を好んで襲い奪っていたと。ならばその子であるグゥエインが同じ嗜好を持っていたとしても不思議ではない。

 不思議ではないが、嗜好というのは遺伝するものではない。ドーラがそうであったとして、グゥエインがそうであるとは限らない。そういった疑問の視線が詩人に向けられるが、彼は不敵に笑って返すのみ。勝算があるのだろう。

「――ならば何も言うまい、頑張りたまえ。で」

「ああ、任せておけ。ビューネイは空と陸から挟み撃ちにしてやるさ。で」

 ビューネイ討伐の方針が固まった時点で、向きたくなかった最後の問題点に全員が視線を向ける。視界に入っていたが、あえて無視していたそれ。

 リンが、静かに大粒の涙を流しながら、ゆっくりと口を動かしていた。その姿。

 今までの話はまるで聞いていない。それを理解できる抜けた動作。彼女は今、他の全てを忘れて口を動かしていた。

「美味しい―。美味しいよぅぅぅ!!」

「そ、そうか。それはよかった……」

 これには用意した詩人もドン引きである。

 彼がかつて訪れた東では主食がコメだった。西ではライスと呼ばれるそれは、野菜の一種としてたまに使われる程度であり栽培はされてない。野生で収穫された程度であるそれを、好事家にパエリアといった魚介料理の添え物として出されるのが精一杯だった。

 そんなライスをふっくらと炊き、塩をまぶしてそれだけで握る。おにぎりと言われるそれを、詩人はリンの為にフルブライトに注文していた。金貨数枚が飛ぶ手間だろうが、それは詩人にとってもフルブライトにとっても大した手間にはならない。

 しかしそれを声が聞こえないとばかりに頬張り、涙を流して咀嚼する放蕩娘を見ればかける言葉はない。喜んでもらえれば何よりという言葉を通り過ぎ、そこまでかよと引きつった笑みを浮かべかねない。

「また――食べたいなぁ…?」

「っ!? ま、まあ金をかければ用意できない食べ物ではないがな」

「稼げば食べられるんだね、西でもっ!!」

 食わさねばコロスと言わんばかりに言うリンに思わず話してしまうフルブライトの言葉がまた悪手。頑張れば食べられるというニュアンスが込められた言葉に反応したリンに、コクコクと頷く事しかできないフルブライト。

 そして最後の一個になったおにぎりに手を伸ばしたリンだが、そこで無邪気に邪悪な言葉を言う放蕩娘が一人。

「でもリンさんがそこまで美味しく食べるんだ。私も食べたいなぁ…」

「バッカァァァ!!」

 スパァーーンとエクレアの頭をはたくエレンだが、吐いた言葉は戻らない。

 残るおにぎりは後一個。楽しみにしていたリンに対抗し、食べたいといったエクレア。流石のリンも動きが止まる。何せ、彼女は大人なのだ。そして相手は少女なのだ。

「……っ!」

「……ぅぅぅっっ!!」

「ぅぅぅぅぅぅぅぅっっっ!!」

 ギリギリギリと歯を食いしばり、心の中で深い葛藤を繰り広げ、差し出すべきか聞かざるべきか悩みに悩みぬく23歳。

 オロオロとそれを見守っていた一同だが、やがてリンは結論を出す。

「……………………………………………どうぞ」

「遭難者の最後の食料か」

 思わずユリアンが突っ込んだが、幸い誰の耳にも止まらなかったらしい。いや、聞こえたかも知れないが否定する言葉を誰も持たなかったという可能性もある。

 とにもかくもエクレアの眼前に差し出されたおにぎり。

 そしてエクレアも容易くそれを口にする程子供でもない。

「あ、あははー。どうしようかなぁ……」

「――、――――食べて、下さい」

 心を殺しきって少女におにぎりを差し出す大人の女性。ここが遭難した場所ならともかく、他にも豪華絢爛な食べ物が並ぶフルブライトの食堂だ。異様に過ぎる。

 困った様に周囲に視線を巡らせるエクレアだが、誰も視線を合わせない。エレンでさえ視線を合わせない。

 その雰囲気を察して、詩人が呆れながら口を開く。

「どうだ、鈴。エクレアにはいずれ東の、本場のおにぎりを食べて貰うというのは?」

「!?」

「その為には西と東の違いをお前が分からくてはいけないだろう?」

「そ、そうだね! エクレアちゃん、いつか東で私が美味しいおにぎりを握ってあげるっていうのはどうっ!?」

「うんっ、それでいいよ! だからリンさんはしっかり味見してね!」

「分かったわ!」

 そう言って最後のおにぎりにかぶりつくリン。それをほっとした表情で見る全員。

 その他諸々は置いておき、方針は決まった。モニカとユリアン、そしてついでにリンは船でロアーヌに向かってミカエルが掲げるビューネイ討伐作戦に参加して。エレンとエクレア、そして詩人は北に向かってドーラの子であるグゥエインを説得して味方に加える。

 

 世界と物語は、ゆっくりと確実に動いていく。

 

 

 




さて、今回でアウナス編が終わって次回からビューネイ編が始まります、が。
ちょっと思うところもあり、少なくとも来週の更新は休ませて下さい。私の言葉は活動報告に乗せますので、ご一読いただけると幸いです。意見はそちらに頂けると幸いです。
どうかこれからも詩人の詩をよろしくお願いいたします。
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